古賀茂明氏の偉大なる「実績」+α(再掲)
古賀茂明氏がまたぞろおかしなことを口走っていると聞き、
https://wpb.shueisha.co.jp/news/politics/2021/11/12/114778/(惨敗の立憲民主党は「連合とベッタリ」を今すぐにやめろ!)
今回の衆院選では、共産党など野党5党の選挙協力が実現し、一時は30~40議席増も予測された立憲民主党だったが、フタを開けてみるとマイナス14議席の計96議席に沈んだ。惨敗といっていいだろう。
敗因については「共産と共闘したことが嫌われた」「枝野代表では党のイメージアップは無理」などの声が多数で、枝野代表が辞任を表明するなど執行部の刷新が進みそうだ。
だが、党の表紙を変えたくらいで、立憲の党勢が回復するとは思えない。政策や戦略の抜本的な練り直しが必要だ。そのひとつが「おんぶに抱っこ」とまで揶揄(やゆ)される立憲の"連合依存"からの脱却だろう。
ヒントになるのは日本維新の会の躍進だ。改革路線を大々的にアピールした維新は、比例票を前回の衆院選(17年)の338万票から805万票へと伸ばし、議席も改選前の11から41へと大幅に増やした。本拠地の大阪では15人の候補全員が小選挙区で当選。しかも比例代表で北海道を除く10ブロックで議席を確保して、全国区の政党への足がかりをつくることに成功した。
今回の衆院選に至るまで、維新が有権者に示し続けたのは、労働組合との対決姿勢だった。 ・・・・・
まあ、旧民主党の中には、こういう「有識者」の声にひょいひょいと乗せられたがる手合いが結構大勢いるというのが、先日アップされた宮本太郎さんとの対談の中で、旧自公政権が徐々に社民的になってきていたのを再びネオリベにもっていったのが鳩山民主党政権だったという話と通底する話であるわけです。
http://gendainoriron.jp/vol.28/feature/taidan.php(宮本太郎提言は“神聖なる憎税同盟”の壁を打ち破れるか)
・・・2009年の民主党政権は、小泉政権と同じくらい「磁力としての新自由主義」を撒き散らしていたのではないか。宮本さん自身も詳しく書いていますが、2000年代前半の小泉政権は、確かに小泉・竹中の新自由主義路線でした。しかし第1次安倍政権から、福田、麻生政権と進むにつれ、自公政権は徐々に社会民主主義的な傾向を現してきました。それが民主党政権になってもっと社民主義になったというふうに、『現代の理論』の読者は考えているかもしれませんが、私の目から見るとむしろ民主党政権で小泉政権に戻ったのです。構造改革だ、事業仕分けだと言って、無駄を全部切ればお金はいくらでも出てくると主張し、それまで自公政権末期3代で少しずつ積み上げられてきた社会民主主義的な方向が、個々の政策ではつまみ食い的に社会民主主義的な政策はあるものの、大きな流れでいうとむしろ断ち切られてしまった。
鳩山政権はそれとは別の面で失敗して参議院選挙で与野党が逆転してしまい、やむを得ず菅直人は自公政権末期の社民的な政策を徐々に復活させていきました。その社民政策復活を象徴する人物が二人います。一人は財務大臣になった与謝野馨さんですが、もう一人は宮本太郎さんです。皮肉なことに、2000年代から2010年代への変わり目の中で、民主党政権というのは一時期小泉的な構造改革路線に逆流し、それが難しいことが分かって再び福田・麻生政権時代の社民的な政策に復帰して、野田政権で税と社会保障の一体改革に結実したのだと見ています。・・・
という話はそれとして、久しぶりにこの方の名前を見たので、かつて本ブログでこの方を取り上げたエントリを思い出し、せっかくなので皆様にも再度観賞していただくことにします。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-916a.html(古賀茂明氏の偉大なる「実績」)
正直言って、ここ十数年あまりマスコミや政界で「正義」として語られ続け、そろそろ化けの皮が剥がれかかってきたやや陳腐な議論を、今更の如く大音声で呼ばわっているような印象を受ける本ではありますが、それ自体は人によってさまざまな見解があるところでしょうし、それを素晴らしいと思う人がいても不思議ではありません。
彼が全力投球してきた公務員制度改革についてもいろいろと書かれていますが、不思議なことに、公務員全体の人数の圧倒的多数を占める現場で働くノンキャリの一般公務員のことはほとんど念頭になく、ましてや現在では現場で直接国民に向かい合う仕事の相当部分を担っている非正規公務員のことなどまるで関心はなく、もっぱら霞ヶ関に生息するごく一部のキャリア公務員のあり方にばかり関心を寄せていることが、(もちろんマスコミ界や政界の関心の持ちようがそのようであるからといえばそれまでですが)本来地に足のついた議論を展開すべき高級官僚としてはどういうものなのだろうか、と率直に感じました。まあ、それも人によって意見が分かれるところかも知れませんが。
しかし、実はそれより何より、この本を読んで一番びっくりし、公僕の分際でそこまで平然とやるのか、しかもそれを堂々と、得々と、立派なことをやり遂げたかのように書くのか、と感じたのは、独占禁止法を改正してそれまで禁止されてきた持株会社を解禁するという法改正をやったときの自慢話です。
不磨の大典といわれた独禁法9条を改正するために、当時通産省の産業政策局産業組織政策室の室長だった古賀茂明氏は、独禁法を所管する公正取引委員会を懐柔するために、公取のポストを格上げし、事務局を事務総局にして事務総長を次官クラスにする、経済部と取引部を統合して経済取引局にし、審査部を審査局に格上げするというやりかたをとったと書いてあるのですね。
嘘かほんとか知りませんが、>公取の職員はプロパーなので、次官ポストが出来るというだけで大喜びするはずだ。公取の懐柔策としてはこれ以上のものはないという、という私の予想は的確だった。
>思った通り、公取は一も二もなく乗ってきた。ただ、公取としては、あれだけ反対していたので、すぐに持株会社解禁OKと掌を返しにくい。・・・
>・・・公取の人たちは「こんなことをやっていると世間に知れたら、、我々は死刑だ」と恐れていたので、何があっても表沙汰には出来ない。
>この独禁法改正が、今のところ私の官僚人生で、もっとも大きな仕事である。純粋持株会社の解禁という政策それ自体をどう評価するかどうかは人によってさまざまでしょう。それにしても、こういう本来政策的な正々堂々たる議論(もちろんその中には政治家やマスコミに対する説得活動も当然ありますが)によって決着を付け、方向性を決めていくべきまさ国家戦略を、役所同士のポストの取引でやってのけたと、自慢たらたら書く方が、どの面下げて「日本中枢の崩壊」とか語るのだろうか、いや、今の日本の中枢が崩壊しているかどうかの判断はとりあえず別にして、少なくとも古賀氏の倫理感覚も同じくらいメルトダウンしているのではなかろうか、と感じずにはいられませんでした。
わたくしも公務員制度改革は必要だと思いますし、とりわけ古賀氏が関心を集中するエリート官僚層の問題よりも現場の公務員のあり方自体を根本的に考えるべき時期に来ているとも思いますが、すくなくとも、国家の基本に関わる政策を正攻法ではなくこういう隠微なやり口でやってのけたと自慢するような方の手によっては、行われて欲しくはない気がします。
それにしても、通常の政策プロセスで、それを実現するために政治家やマスコミに対して理解を求めるためにいろいろと説明しに行くことについてすら、あたかも許し難い悪行であるかのように語る人々が、こういう古賀氏の所業については何ら黙して語らないというあたりにも、そういう人々の偏向ぶりが自ずから窺われるといえるかも知れません。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-9945.html(そうだよね!と共感できる、同じ視点のコメント)
古賀茂明氏の著書について、先日のエントリに「ようやく同じ視点のコメントが・・・」という共感の声が届きました。
http://pu-u-san.at.webry.info/201106/article_94.html>「改革派官僚」古賀茂明氏については、新たな動きが大きく報じられているけれど、各方面の論客の皆様からも、やはり、いろいろな発信が。
池田信夫さん・・・もなかなか興味深い。「なるほど」と、説得力を感じるのです。
当然のことながら、改革の同志とも言える高橋洋一さんも大いに発信。・・・
でも、かもちゃん自身は、ベストセラーになっている「日本中枢の崩壊」の中身について、かなり違和感を感じていて、・・・それと同じようなことを誰も指摘しないのは、自分の感覚がずれているのかなぁ、と思っていたのでした。
そうしたら、hamachanブログが・・・
そうだよね!と共感できる、同じ視点のコメントをようやく見つけた。
わたくしからも、共感できるコメントです。
>結局、古賀さんたち「改革派官僚」なる方々の視野に入っている「公務員」とは、どこまでなのでしょうか。
被災地の現場で連日苦闘しておられる公務員の方々については、どのようにお考えなのでしょうか。考えてなんか、いないのでしょう。
古賀茂明氏にしろ、池田信夫氏にしろ、高橋洋一氏にしろ、こういう「改革」芝居型の人々の頭の中にある公務員改革というのは、霞ヶ関村の中の権力争いで、どういう人々が権力を握るかどうかということでしかないように思われます。
現に今、被災地の現場で日々苦闘している多くの正規、非正規の公務員たちのことなんぞ、これっぽっちも頭にはないのでしょう。
そして、もうひとつ、こういう「構造改革」派の人々が、古賀氏が自らの著書であっけらかんと証言している独禁法改正の裏取引に対して何も言わないのは、自分たちが考える「正義」を実現するためなら、どんな手口でも許されると考えているからではないかという気もします。
古賀氏の正体を知るためにも、池田氏や高橋氏の賞賛で読んだ気にならずに、ちゃんと自分でこの本を買って、じっくり読んでみることをお薦めします。それで古賀氏のやり口に感動したというなら、それはそれでけっこうですから。
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