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2021年10月 7日 (木)

分配か改革か?

もともと、自民党も旧民主党もその中にネオリベ要素と社民要素を併せ持っていることにあまり変わりはない。その時々にどちらの要素が表に出るかはさまざまだが、本来対蹠的な要素を出すべき野党が、構造改革を掲げた小泉政権時には「それでは足りない、もっと構造改革を!」と叫び、その後の修正を図った第1次安倍・福田・麻生政権時には「それでは足りない、もっと分配を!」と叫ぶという、時代精神に「輪をかける戦略」に走って、国民には選択肢がなくなる結果になった。

その後の民主党政権と第2次安倍政権は実はよく似ていて、両方の要素を打ち出したのだが、ただ民主党政権の場合、改革路線は事業仕分けで自分の支持者を殴りつけて支持を失い、分配路線は子ども手当がバラマキだと批判されて引っ込めるなど、どちらもうまくいかなかったのに対し、第2次安倍政権は竹中平蔵を使って規制にドリルで穴を開けるなどと改革を謳いつつ、経済好循環で賃上げだと言う政策も掲げて、7年間維持したのだから手法は巧みだった。

こうなると、対立軸は安倍氏の掲げるナショナリズム的な右派型アイデンティティ・ポリティクスをめぐる形而上的なものと、もろもろのスキャンダル・ポリティクスをめぐる形而下的なものに集中する。分配か改革かという本来の政策的対立軸が希薄化すること自体が、国民の選択肢を奪う結果となった。

今回の自民党の総裁選挙が興味深いのは、岸田氏が自民党の中の社民要素を代表する形「分配」を唱え、河野氏がネオリベ要素を代表する形で「改革」を唱え、高市氏が右派型アイデンティティ・ポリティクスを代表する形で、わかりやすくなったことだろう。結果的に自民党はより社民要素を打ち出す形になったが、さて旧民主党の野党側はどうするのか。既に出されている政策を見る限り、「それでは足りない、もっと分配を!」という要素と、「そんなんじゃダメだ、抜本改革だ!」というのが入り交じっていて、このまま行くと的を絞りきれない可能性が高い。結局、毎度おなじみのスキャンダル・ポリティクス頼みになりそうだが、それが日本の政治の運命なのかも知れない。

 

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コメント

リベラルと改革は、別にイコールではないですけどね。まあ、それはそれとして、

> アイデンティティ・ポリティクスをめぐる形而上的なものと、もろもろのスキャンダル・ポリティクスをめぐる形而下的なもの

結局、「自由!」でも、「民主!」でも、「自由と民主のバランスを」でもなく、

   自由と民主をともに実現をします!

なんて主張をする手合いの行きつく際は、応援団の違いによる対立以外には大差がない、ということでしょうね

リベラルフェミニズムと社会主義の落差とそれへの無感覚
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-5924c7.html
> 二つの全く異なる立場からの議論が混在している

確かにこれが日本の政治の運命ではと思わされますね。


社民とネオリベと右派型アイデンティティ・ポリティクスの折衷にならざるをえない自民党は、しかし利害対立が複雑化しつつある現状では過半の国民の支持をえるのが難しくなり、長期的には支持基盤が不安定化しつつあるのでしょう。

自民党は長らく公明党との連立で衆参過半数を維持してきましたが、それも難しくなるのかもしれない。状況に応じて、社民、ネオリベ、右派を代表する中小政党と連立の枠組みを組み替えていきながら政権を維持することになるのかもしれませんね。競争的一党優位政党制と呼ぶべきか。二大政党制を前提としてきた連合もこの流れに巻き込まれつつあるように思われます。

結局、政治改革において希求された二大政党制の夢は破綻したというべきでしょう。

> 安倍氏の掲げるナショナリズム的な右派型アイデンティティ・ポリティクス
> 高市氏が右派型アイデンティティ・ポリティクスを代表する形

公共の福祉とは言うけれど、まともな民主であれば、具体的な施策において、
それが恣意的なものでなく、公共と言えるのか?、と厳しく問うていくはずの
ところ、特定の応援団が付いて、その意向ばかりを反映していれば、まともな
民主なんかにはなりようがない、ということだと思います。安倍氏、高市氏の
右派型民主というのも、その一つでしょうね。一方、社民というのは歴史的に
形成された、(ある程度?)「まともな民主」ということだろうと思います。
議会においては、特定の応援団が付いたものが互いに対立、調整をすることで
公共の福祉の実現を図る、ということは考えられますけど、内閣が特定の応援
団の顔色ばかりを窺うようではその結果は一体、どうなってしまうのか?

> 政治改革において希求された二大政党制の夢

二大政党制というのは、理念としては「自由党」と「民主党」という訳ですが
それぞれに特定の応援団が付いて、実態が理念から掛け離れていく実例を見る
ことは実のところ、かなり容易なのかもしれません

共感しかありません。10数年前は「税金の無駄遣い」「官僚の既得権」を叩くことを、民主党はもちろん自民党もさかんに行っていて、「財政危機」が政策を語る際の枕詞になっていていました。しかしこの10年で、財務省周辺以外は、自民党の多数も全野党も財政拡大の方向になっています。今の方向性自体は支持できますが、やはり変化が急激すぎです。また今度「税金の無駄遣い削減」が盛り上がったら、与野党全部がそっちに流れるんだろうと考えると、やはり素直に歓迎できない気分です。総裁選でも全候補が「子育て支援」を連呼していたのも、違和感しかありませんでした。介護や大人(とくに氷河期世代)の貧困の方が、状況はよっぽど深刻なのに、それについて積極的に触れる人は野党を含めてほとんどいません。その時々で「受ける」と思った政策に与野党一斉に飛びつくというこの日本の政治の習性は、「受けない」とみなされた対象を排除する政治になって、気づいたらその問題が深刻化しているということを繰り返しているように思います。

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