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2021年10月

2021年10月31日 (日)

海老原嗣生さんの拙著書評

71cahqvlel_20211031182001 海老原嗣生さんが産経新聞で拙著を書評しています。

https://www.sankei.com/article/20211031-KOLDU6JC65OLRIGNHEISP575YU/(『ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機』 本家と乖離 日本の人事論)

ジョブ型の人事制度を導入―。昨今、こんな言葉をよく目にする。もともと、この語は欧米の雇用システムと日本のそれを比較するために用いられたものだ。欧米がジョブ型、対して日本はメンバーシップ型という。ジョブ型に変えれば日本型雇用の旧弊を清算できるだろうと、企業は好んでこの言葉を使う。ただ、それは本物の欧米型とは似ても似つかない。そんなカオスの中、「ジョブ型・メンバーシップ型」の名付け親の濱口桂一郎氏 が、重い腰を上げた。

海老原さんはこの問題についてはむしろ私の同志の側なのですが、拙著の言いたいところを的確に伝えてくれています。

・・・濱口氏や私は、事あるごとに「なんちゃってジョブ型」の本家本元との乖離(かいり)を指摘していた。そうした批判を受けてか、「日本的ジョブ型」なる語が多用され出した。直訳すれば「日本的欧米型」。まったく、自家撞着(どうちゃく)にもほどがある話だろう。

 

2021年10月30日 (土)

新日本法規財団無料セミナー「日本型雇用の課題とこれからの雇用社会~昭和的働き方から脱却せよ~」

https://www.sn-hoki.co.jp/seminar/seminar1754972/

新日本法規財団無料セミナー 日本型雇用の課題とこれからの雇用社会
~昭和的働き方から脱却せよ ~ライブ配信

主催:一般財団法人新日本法規財団
協賛:新日本法規出版株式会社

2021年11月29日[東京]

■倉重 公太朗(倉重・近衛・森田法律事務所)
■白石 紘一(東京八丁堀法律事務所)
■濱口 桂一郎(労働政策研究・研修機構労働政策研究所)
■芦原 一郎(弁護士法人キャストグローバル)

コロナ禍によるテレワークの拡大に象徴される働き方の大きな変革の中、日本型雇用の課題が浮き彫りとなってきました。
日本が貧困化から抜け出すため、昭和的働き方、昭和的イメージから脱却して、改めて「雇用」を再定義する時期に来ているのではないでしょうか。
日本が世界で戦える企業を作るための雇用社会とは何か、労働における多様な個性の活用とは何か、本セミナーでは労働法制に造詣の深い専門家をお迎えし、それぞれの視点から日本が活気を取り戻すための雇用社会について考えていきます。

第1部 ジョブ型雇用の誤解とメンバーシップ型雇用の矛盾(40分)[講師]濱口桂一郎氏

    昨今流行している浅薄な「ジョブ型」論の誤解を暴いた上で、日本的なメンバーシップ型雇用が様々な労働法分野で矛盾をもたらしている姿を描き出します。


第2部 雇用改革のファンファーレ(40分)[講師]倉重公太朗氏

    日本経済低迷の根幹にあるのは、閉塞的な日本的雇用システムにあるのではないかという指摘も多くされるようになってきました。雇用の流動性が低く、働きがいが見いだせない中で、企業として、個人として、ひいては日本の雇用社会として、どのような方向性を目指すべきなのか。これからの雇用社会について、考え、ディスカッションできればと思っております。以前は解雇規制の「か」の字を出しただけで議論にならない程でしたが、真剣に未来のために何をすべきなのか、堂々と語っていきたいと思います。是非、一緒に考えましょう。


第3部 人事と“市場”の接続へ向けて(40分)[講師]白石紘一氏

    日本型雇用の一つの特徴として、内部に閉じた労働市場がありました。もっとも、最近では、労働市場はもちろんのこと、資本市場においても、雇用・労働に対する外部からの注目が高まっており、人事としても、外部への情報発信を一層心掛ける必要が出てきています。本セミナーでは、昨今、具体的にどのような制度が設けられているのかなどをご紹介します。


第4部 パネルディスカッション「日本型雇用の何が残り、何が変わるか」(45分)

    [モデレーター]芦原一郎氏 [パネリスト]濱口桂一郎氏、倉重公太朗氏、白石紘一氏
    筋書きのないパネルディスカッションです。時間の許す限り、視聴者の皆さんの意見や感想、質問なども積極的に取り入れていきたいと思います。パネラーと視聴者が、日本型雇用の実態と問題点、あり方について、具体的なイメージを共有し、今後の企業経営や組織運営のヒントをできるだけたくさん得られるように運営したいと思います。

 

2021年10月29日 (金)

これは労働法的にも大変興味深い事案なので、是非判決まで行って欲しい

一歴史好きの読者としても大変面白く読ませていただいた本の著者でもあるんですが、それはそれとして人間文化研究機構(国際日本文化研究センター)vs呉座勇一事件は有期雇用契約についての大変興味深い論点を提起しているように思われるので、こういう裁判沙汰をやっていると肝心の歴史の研究が進まないのかも知れませんが、それはそれとして是非徹底的に判決に至るところまでやり抜いていただきたいと切望しております。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/667180

Img_d2c36368334ad517cf10d211ae4337bd1601  会員制交流サイト(SNS)上で不適切な発言を繰り返したことで無期雇用資格を取り消されたのは不当だとして、国際日本文化研究センター(京都市西京区)の助教だった呉座勇一氏が29日までに、同センターを運営する人間文化研究機構(東京)を相手取り、無期雇用の地位にあることを確認する訴えを京都地裁に起こした。・・・

 訴状によると、呉座氏は2016年、任期付きの教員として採用され、今年10月から任期のない定年制の資格を与え、准教授とする決定を同1月12日付で受けた。しかし、SNS上での不適切発言を理由に8月、再審査の結果として資格の付与を取り消す通知を受けた。
 呉座氏側は、資格の付与は正社員としての採用決定に相当し、取り消しは実質的な解雇に当たると主張。SNS上での不適切発言は、懲戒解雇の理由としては程度が軽いと訴える。また、被告側の内規に存在しない「再審査」が行われただけで懲戒審査委員会は組織されておらず、解雇権の乱用だとしている。
 人間文化研究機構は呉座氏について「9月末で助教の任期は切れ、10月から機関研究員となっているが、それは処分ではない」とし、訴訟については「訴状を見ていないのでコメントできない」としている。 

今年10月から無期契約になると今年1月に決定を受けた有期契約労働者というのは、その間の期間は有期なのか無期なのか、有期であると同時に無期の内定状態でもあるのか、その間の期間に無期に転換するという決定を取り消されることはどういう法的な性質があるのか、単なる期待の消滅に過ぎないのか、それとも内定状態の無期契約の解除すなわち解雇であって、解雇権濫用法理の対象であるのか。うわぁ、これって、採用内定の法的性質の応用問題のようにも思われるのですが、皆さんどう考えますかね。

(追記)

A3vlrwm_400x400_20211031223601 故桝本純さんのファンになられた「女性」さん(生物学的には♂)による整理:

https://twitter.com/ssig33/status/1454045811176886272

1) 内定は労働契約締結と本当に同義か、 2) 准教授としての採用通知は新卒における内定と同等の価値があるか、 3) 1,2 が満たされるとしてTwitter での不適切発言で懲戒は権利濫用にあたるかどうか、 4) 懲戒プロセスに問題がないか みたいなそれぞれ切り出せばシンプルな技術論でしかなさそう。 

https://twitter.com/ssig33/status/1454046145479643138

1) は別にいまさら崩れないので 2) が満たされると結構日文研/総研大としては厳しくなりそう 

https://twitter.com/ssig33/status/1454047285810286599

 41 歳の人材をウルトラハイエンドなプロフェッショナルとして雇う行為と、新卒を十把一絡で雇う行為が同じような法律行為として裁かれるのかどうか というのが焦点だと思うんだけどこういうの事例あるんだろうか

ほんとはそこが問題だと思うけど、何しろ(賃金処遇は別として)入口はもっともジョブ型であるはずの知的プロフェッショナルな大学教授の皆様が、メンバーシップ型サラリーマン宜しく学部廃止に対して、学問の中身はなんであれとにかく大学教授という身分だけは断固護持すべきという訴えを起こして裁判所がそうだそうだと認めているくらいなので、シニアの大学教授ですらそうなんだから、テニュアのお約束をもらったばかりの40代の洟垂れ小僧なんぞ、十把一絡げの新卒と選ぶところはないんじゃないですかね。

2021年10月27日 (水)

労働政策フォーラム「多様な働き方を考える─「同一労働同一賃金」ルールをめぐる現状と課題─」

Forum_20211027222901

定年制の今昔 その虚と実と@『ひろばユニオン』2021年11月号

Hiroba_20211027121601 『ひろばユニオン』2021年11月号に「定年制の今昔 その虚と実と」を寄稿しました。

 定年ってなに?
 
 まず読者に素朴な質問を。定年ってなんでしょうか。

 法律上に定義規定はありませんが、男女雇用機会均等法に基づく差別禁止指針には「労働者が一定年齢に達したことを雇用関係の終了事由とする制度」とあります。日本政府の英訳では「mandatory retirement age」となっています。強制退職年齢という意味です。

 ところが、現在日本でなお圧倒的に多い60歳定年で強制的に退職させられる人がいたら、それは間違いなく違法です。なぜなら、高年齢者雇用安定法により、65歳まで継続雇用することが(例外なく)義務づけられているからです。

 もっともそれはかつては努力義務でしたし、その後もしばらくは例外のある義務でした。60歳で意に反して退職させられる人があり得たので、60歳はなお強制退職年齢だと言えました。

 でも今は違います。強制退職が不可能な60歳という年齢を今なお定年と称しているのはなぜなのでしょうか。そして言葉の正確な意味での強制退職年齢である65歳を定年と呼ばないのはなぜなのでしょうか。

 ここには、定年制をめぐる建前と本音と虚と実とが複雑に絡み合っているのです。・・・・

なお、私以外の寄稿者は、戎野淑子、櫻庭涼子、内田文子(電機連合)のみなさんです。

 

 

2021年10月26日 (火)

建設アスベスト最高裁判決と一人親方の労働安全衛生政策@WEB労政時報

WEB労政時報に「建設アスベスト最高裁判決と一人親方の労働安全衛生政策」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/login.php

去る5月17日、建設アスベスト訴訟の最高裁判決が下され、その中で一人親方に対する国の責任が認定されたことが注目を集めました。・・・・

 

 

2021年10月25日 (月)

賃金の本質は仕事ではなく身分への対価

日本型雇用の本質は学歴の扱いによく露呈します。

『ジョブ型雇用社会とは何か』で取り上げた、高学歴を低学歴と詐称したら懲戒解雇だけれど、低学歴を高学歴と詐称しても雇止めにもならないというのは、その好例ですが、30年間何の疑問も持たれずに業務に従事してきた職員を、大卒じゃなくて高卒だったから差額を返せと言い出しているこの事例も、いかにもよく日本型雇用社会における賃金というものの本質を現わしているようです。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20211024-OYT1T50053/

公益社団法人・峡北広域シルバー人材センター(山梨県韮崎市中田町中条)で少なくとも約15年間で計約400万円の給与過払いがあったことがわかった。

センターによると、基準より多く給与を受けとっていたのは勤続30年の職員。高校卒業後、大学を中退していたが、大卒として給与算定されていたことが資料の残る期間で確認された。

人事台帳には大学の在籍証明書はあったが、卒業証明書はなかった。センターの調査に対し、7月に職員から「勤務当初から高卒と言っている」と回答があり、9月の給与から高卒の給与に改めた。

センターは「大卒扱いになった経緯は不明」としている。確認された給与過払い分については返還を求める方向で25日の理事会に諮る見通し。

拙著でも述べたように、仕事の中身に関する限り、日本は全然学歴社会ではありません。欧米では、そもそも学歴というスキル証明書がなければそれを必要とするジョブにはめ込んでくれませんが、日本では学歴なんかどんな仕事をするかと全然関係がないと思われているので、この仕事は大卒、この仕事は高卒なんていう風にはなっていない。

だけど、仕事の中身とは関係のない身分については、学歴というのはとても大事であるということが、この記事から分かります。30年間、仕事をしてくる中では、彼が大卒か高卒かなどということは何も気にかけなかったのに、実は身分が違っていたというのは、仕事の中身と関係のない身分の現れである賃金額との関係では極めて重要なことであったわけです。

賃金の本質は仕事ではなく身分への対価であるという日本社会の本質をここまであからさまにしてくれたこの事件は、長らく教科書に載せる値打ちがありそうです。

 

 

 

2021年10月23日 (土)

〈創立140周年記念〉第33回明治大学社会科学研究所公開シンポジウム[ジョブ型と日本企業]

Meiji

45歳定年にコメント@日経ヴェリタス

『日経ヴェリタス』というメディアで、45歳定年についてコメントしています。私以外に登場しているのは、柳川範之、太田康尚、山崎俊輔、石原直子の諸氏です。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO76886070S1A021C2PPN000/

Nikei 労働政策研究・研究機構研究所長の濱口桂一郎氏は、「全員が管理職を目指すメンバーシップ型の前提は、労働意欲が高く、何でもやろうとする若い新入社員が大量に雇用できるという点にあった。中高年の管理職層の人数も少なく、貢献度合いと処遇をバランスさせる定年制度も機能していた」と話す。ところが少子高齢化の結果、企業内の人口構成は中高年層が厚くなった。「ゼネラリストとして育った彼らの生産性が低いことが、企業の問題意識につながっている」(濱口氏)・・・

労働政策研究・研究機構研究所長の濱口氏は、「45歳定年は60歳定年と違うことを言っているようで、実は線引きの時期を早めているだけにすぎない。重要なのは、いつ定年とするのかではなく、管理職を目指さない多様な働き方をどう実現するかだ」と主張する。・・・

 

『労働新聞』の拙著紹介

71cahqvlel_20211023084201 毎月書評を寄稿している『労働新聞』ですが、拙著「ジョブ型雇用社会とは何か」を紹介しています。目の付け所が、いかにも労働関係者らしいというか。

https://www.rodo.co.jp/column/115441/

「ジョブ型」と「メンバーシップ型」の定義を示したうえで、採用や退職、労働時間、賃金、労働組合などの雇用関係諸問題について詳細に論じている。浮かび上がってくるのは、いかに巷間でいわれる「ジョブ型」が本来のそれとはかけ離れているか。ジョブ型の導入を検討中の企業はもちろん、すでに採り入れた企業も一読することをお勧めする。

 同一労働同一賃金の立法過程に関する考察が興味深い。大きく関与した、東京大学の水町勇一郎教授の真の意図は、正社員と非正規労働者を原則として同じ賃金制度下に置くことにあったと推測。実際に成立した法律や関連する指針は、なぜその真意と反するものとなったのか――。人事担当者ならば是非、ご自身の目で確かめてほしい。

 

 

2021年10月22日 (金)

定年制があるのは日本だけ?

人事界隈で「なぜ日本にだけ「定年制」があるのか」が話題になっているようですが、この命題の真偽は「定年制」の定義によります。

もし、英語でいう「mandatory retirement age」という意味で言うならば、この問いはそもそも間違った認識の上に成り立っているといえます。一定の年齢で雇用関係を終了するという意味での退職を強制することを「定年制」と呼ぶならば、世界にはそれを禁止している国も増えていますが、依然として一定年齢以上では認めている国もあります。

C4d4f66a こういう話題を見たら、すぐにOECDのサイトで確認する習慣を身につけておきたいものですが、2019年に刊行されたOECDの「Working Better with Age」という統合報告書では、

https://www.oecd-ilibrary.org/employment/working-better-with-age_c4d4f66a-en

その55頁にこのように記述しています。

A careful review of age-specific labour-market regulations or social policy legislation is also required. For instance, several countries have either abolished mandatory retirement ages as a valid reason for terminating labour contracts (Australia, Canada, the United Kingdom and the United States along with two EU countries, Denmark and Poland), or have raised the applicable age limits.
Getting rid of mandatory retirement altogether is not without controversy. In particular, employers often argue that their businesses could not be run as efficiently without mandatory retirement practices. As it is difficult to objectively measure the performance of older workers, mandatory retirement provides an easy mechanism to dismiss less productive workers. Ultimately, it comes down to a point of fairness. Why should someone still performing well be forcibly retired just because of age?

注意深く年齢特有の労働市場規制や社会政策立法を見ていくことも必要だ。例えば、労働契約を終了する正当な理由として定年制を廃止したり(オーストラリア、カナダ、イギリス、アメリカに加えてEUのデンマークとポーランド)あるいはその年齢を引き上げる国もいくつかある。

定年制を廃止するのは論争を呼ばざるを得ない。とりわけ、使用者はしばしば彼らの事業が定年制なしには運営できないと主張する。高齢労働者のパフォーマンスを客観的に測定することは困難なので、定年制はより生産性の低い労働者を解雇するのに容易な手段を提供する。究極的には、これは公正さの問題に帰着する。なぜなおちゃんと成果を上げている者を年齢のみを理由に無理矢理退職させねばならないのか?

読めば分かるように、年齢ゆえにパフォーマンスの落ちた労働者を個々にいちいち指摘せずにまとめて簡単に追い出すために強制退職年齢としての定年制を使う国は、減りつつあるとはいえ、OECDが繰り返し疑問を呈してきているとはいえ、まだ結構あります。

では、「定年制」があるのは日本だけというのは間違いかというと、必ずしもそうとはいえないのです。というのは、今の日本の法体系では、「定年」という言葉はもはや強制退職年齢という意味ではないからです。

このあたりの消息は、拙著『ジョブ型雇用社会とは何か』の第2章の3に詳しく解説しましたので省略しますが、要するに今の日本では法律上認められた強制退職年齢は65歳であって、60歳で年齢を理由に雇用関係を解消してしまうことは許されません。

ところが、依然として圧倒的多数の企業は60歳定年だといって、その時点で賃金労働条件をがくんと下げています。年功賃金で嵩上げされた高給とパフォーマンスが釣り合わないからですが、この「定年」とは強制退職年齢ではなく、労働条件精算年齢に過ぎないのです。そういう意味での「定年制」は、確かに世界中見渡してもその例を見ることはできません。その意味では、確かに、特殊日本的「定年制」は日本だけにしかないので、上記命題は正しいと言うこともできます。ただし、そういう用語法は日本を一歩出るとほとんど誰にも通じないので(つうか、英語でmandatory retirement ageといった瞬間に、そういう意味以外では絶対に認識されないので)、あまり意味のある議論ではありません。

 

 

2021年10月20日 (水)

2つのブログで拙著が言及されました

71cahqvlel_20211020194901 少しずつ読まれているんだな、という実感がします。本日二つのブログで『ジョブ型雇用社会とは何か』が取り上げられました。

https://blog.goo.ne.jp/jchz/e/f110e155ef6432d7acbc389dfe230d13?fm=rss(見もの・読みもの日記)

 著者は12年前の著書『新しい労働社会』(岩波新書、2009)で「ジョブ型」「メンバーシップ型」という雇用の類型を紹介したことで知られている。私はこの本は読んでいないが、『働く女子の運命』(文春新書、2015)を読んで、いろいろ納得した。そうしたら、最近、ネット記事で「ジョブ型」という文字が妙に目につくようになった。本書によれば、経団連が『2020年版 経営労働政策特別委員会報告』で大々的にジョブ型を打ち出したためだ。ところが、2020年に流行したジョブ型は「私の提示した概念とは似ても似つかぬもの」「間違いだらけのジョブ型」だったという。笑ってはいけないが、苦笑してしまった。そこで、世の中の間違いを正すため、あらためてジョブ型とメンバーシップ型について説明したのが本書である。・・・

いや笑ってください。ここは苦笑するところです。

http://nanatoshi.com/yomukamo/%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%96%e5%9e%8b%e9%9b%87%e7%94%a8%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%a8%e3%81%af%e4%bd%95%e3%81%8b%ef%bc%9a%e6%ad%a3%e7%a4%be%e5%93%a1%e4%bd%93%e5%88%b6%e3%81%ae%e7%9f%9b%e7%9b%be%e3%81%a8/(よむかも)

 『ジョブ型雇用社会とは何か:正社員体制の矛盾と転機』よむかも。
メンバーシップ型雇用:日本 ジョブ型雇用:世界
まあ、大まかに言えばそうなんだけど、ちゃんと理解してる?
――って話みたい。
すでにいくつかの大企業でもジョブ型が導入されてる。
そこで、ジョブ型への移行を宣言した某大手企業の社員に聞いてみる。
「制度がどう変わろうと会社から与えられた職務に全力を尽くす!」
のけぞる~!

はい、そこはのけぞるところです。

『ジュリスト』2021年11月号で労働審判口外禁止条項事件を評釈

1369_p_20211020194301 来週初めに刊行される予定の『ジュリスト』2021年11月号で、判例評釈をしております。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/020743

労働審判における口外禁止条項の違法性と国家賠償責任-国(口外禁止条項)事件(長崎地裁令和2年12月1日判決)です。

 Ⅳ 本判決の真の意味
 本件は国家賠償請求訴訟であり、労働審判事件において審判に本件口外禁止条項を付したことが国家賠償法1条1項の「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとき」に当たるというXの訴えに対し、結論的にはそれを否定する請求棄却の判決であり、X敗訴、Y勝訴の判決である。
 しかしながら、それは表面的な形式上の勝敗であって、X側の実質的な狙いは本件口外禁止条項が労働審判法に違反するものであることを(国家賠償請求訴訟においては傍論であってとしても)明確に宣言させ、それによって本件訴訟との関係では第三者にすぎないAとの関係で本件口外禁止条項による縛りを事実上解除することにあったと考えれば、X側にとっては極めて満足すべき判決である。
 さらにいえば、本件口外禁止条項が労働審判法違反であると明確に宣言しながら、本件訴訟自体では被告の国が勝訴しているため、敗訴したX側は控訴せずにこれで確定してしまい、Aは自らが関与し得ないところで本件口外禁止条項の効力が失われるという結果だけを甘受しなければならなくなったのであるから、実質的には完全無欠のX側の勝利とすらいうことができよう。

 

2021年10月19日 (火)

山下ゆさんの拙著評

71cahqvlel_20211019234501 新書の目利きとして名の通っている山下ゆさんが、『ジョブ型雇用社会とは何か』に9点をつけてくれました。

http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52319516.html

そんな状況に対し、世の「ジョブ型」に対する誤解を正しつつ、もう1度日本の労働法と雇用の現実の間にある矛盾を掘り下げて、近年の労働政策を検証しています。
 基本となる構図は『新しい労働社会』で示されていたものですし、その後も著者はさまざまな本で問題を論じ続けてきたわけですが、それでも今作の議論は刺激的です。特に日本の労働法の矛盾が鋭く抉り出されており、この問題の根深さを改めて教えてくれます。
 『新しい労働社会』につづき、日本の雇用問題、そして日本社会の問題を考える上で重要な論点を示してくれた本と言えそうです。
山下ゆさんには、12年前の『新しい労働社会』の時から、新書本が出るたびにこちらが言いたかったことを見事に取り上げていただき続けていて、本当にありがたいと思っています。

『日本比較政治学会年報 第23号 インフォーマルな政治制度とガバナンス 』

589593 『日本比較政治学会年報 第23号 インフォーマルな政治制度とガバナンス 』(ミネルヴァ書房)を、その中の一篇「常態化する労働政治のインフォーマル・プロセス――日韓「働き方改革」比較の視点から 」を書かれた安周永さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。政治学の学会誌など、こういう機会でもなければなかなか目を通すことはないでしょうから、安さんの論文のほかにも例えばインドネシアのパンチャシラ青年団の話などは大変興味深く読めました。

https://www.minervashobo.co.jp/book/b589593.html

さて、安さんの論文ですが、かつてわたくしが書評した『日韓企業主義的雇用政策の分岐――権力資源動員論から見た労働組合の戦略』の最新トピック版です。

https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/659-660-10.pdf

同書は派遣法、非正規、雇用保険、外国人を取り上げていましたが、今回は働き方改革で、やはり安倍内閣の政治過程と韓国の朴槿恵政権の政治過程における労働組合の戦略をインサイダー対アウトサイダー、提携か否かという軸で分析しています。

かつての書評では労働法政策の観点からかなり厳しい指摘もしましたが、今回もいくつか分析の視座に違和感を感じるところがあります。ただ、それ以上に、この論文は労働政策におけるフォーマルプロセスに焦点が当たっていて、タイトルのようにインフォーマルな話になっていないのではないかという気がしました。敢えて言えば、三者構成というフォーマルなプロセスが、官邸の中の外からはよく見えない政治過程によって空洞化されることとのせめぎ合いという面が強く、とはいえ、官邸という政治の中枢で行われていることをインフォーマルというわけにもいかないでしょうから、タイトルとあっていない感がしました。

 

 

 

 

「アジャイル型開発と派遣・請負区分」@『労基旬報』2021年10月25日号

『労基旬報』2021年10月25日号に「アジャイル型開発と派遣・請負区分」を寄稿しました。

 去る9月25日、厚生労働省のホームページにひっそりと「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準」(37号告示)に関する疑義応答集(第3集)がアップされました。この問題に関心のある人しか気が付かなかったでしょうが、これは昨年来問題となっていたアジャイル型開発と派遣・請負区分に一定の決着をつける文書だったのです。
 アジャイル型開発とは、システム開発において、計画段階では厳密な仕様を定めず、小さな単位に分けられた開発を「スプリント」と呼ばれる単位で繰り返して実施し、最終的なシステムを完成させる開発手法です。細部にわたる仕様をすべて決定してから開発工程に進むのではなく、ユーザにとって優先度の高いものから順次開発・リリースして、運用時の技術評価やユーザの反応に基づいて素早く改善を繰り返すことにより、システムの機能同士の結合リスクを早期に解消できたり、システム利用開始までの期間を短くできたりする利点があります。
 従来のウォーターフォール型の場合、要件定義、設計、開発、テスト、リリースといった工程に分割し水が上から下に流れるように次の工程に進みます。前の工程に後戻りはしないことが求められるので、プロジェクトの途中での事業環境の変化による仕様変更などに柔軟に対応することが困難です。これに対し、アジャイル型の場合、開発プロセスを比較的短期間に区切った上、最小限の仕様でシステムを開発し、システムへの機能追加を繰り返してシステムを完成させます。いったん開発したシステムを試してみてから、機能の追加変更や優先順位の変更がされることも想定されるので、業務要件の変更に柔軟に対応することができるのです。
 このようなアジャイル型開発では、チームの人数が少人数であり、ユーザとベンダの要員が1名ずつペアを組んで作業を行うこともあり、またより密なコミュニケーションが求められることから、ユーザがベンダの個々の要員に対して直接に作業の依頼・指示をする場面が多くなります。このような状況が、ベンダの雇用する要員がユーザの直接の指揮命令を受けてユーザのために労働に従事させられていると評価されると、偽装請負と判断されてしまいます。
 この問題をまず提起したのは、昨年2020年10月13日の経団連の規制改革要望『改訂 Society 5.0の実現に向けた規制・制度改革に関する提言』で、「アジャイル開発等のシステム開発における発注者、受託者、委託先との直接的な意思疎通や協働が偽装請負と判断される「直接な作業指示」にあたらないことを明確化すべきである」と要望したのです。この問題は政府の規制改革推進会議の成長戦略ワーキング・グループでも2021年2月25日に取り上げられ、6月1日の『規制改革推進に関する答申~デジタル社会に向けた規制改革の「実現」』に盛り込まれるとともに、6月18日に閣議決定された『規制改革実施計画』でも、「厚生労働省は、関係府省とも連携の上、アジャイル型開発の環境整備に向け、労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準の具体的当てはめの明確化について、新しい開発手法を活用するベンチャー企業等を含めた実務者会合を早期に立ち上げ、システム開発の実態を踏まえつつ検討を行う。その結果に基づいて疑義応答集等で考え方を明らかにし、広く周知を図る」こととされました。
 こうした動きに対応するため、厚生労働省は同年5月31日から7月21日にかけて3回にわたって「派遣・請負区分のあてはめの明確化に関する実務者ヒアリング」を開催しました。ヒアリングメンバーは学識経験者2名(うち1名は鎌田耕一)、システム開発関係者2名、システム開発関係団体2名、労使関係団体2名(連合と経団連)、省庁関係者2名(内閣官房IT総合戦略室と経産省)の計10名です。その議事要旨もアップされています。これを受けて先月公開された疑義応答集(第3集)は、6頁7問答の全てがアジャイル型開発に充てられています。
 まず基本的な考え方として、「アジャイル型開発は、発注者側の開発責任者と発注者側及び受注者側の開発担当者が一つのチームを構成して相互に密に連携し、随時、情報の共有や助言・提案をしながらシステム開発を進めるものですが、こうしたシステム開発の進め方は偽装請負となりますか」という問いに対して、このように答えています。
 アジャイル型開発においても、実態として、発注者側と受注者側の開発関係者(発注者側の開発責任者と発注者側及び受注者側の開発担当者を含みます。以下同じ。)が対等な関係の下で協働し、受注者側の開発担当者が自律的に判断して開発業務を行っていると認められる場合には、受注者が自己の雇用する労働者に対する業務の遂行に関する指示その他の管理を自ら行い、また、請け負った業務を自己の業務として契約の相手方から独立して処理しているものとして、適正な請負等と言えます。
 したがって、発注者側と受注者側の開発関係者が相互に密に連携し、随時、情報の共有や、システム開発に関する技術的な助言・提案を行っていたとしても、実態として、発注者と受注者の関係者が対等な関係の下で協働し、受注者側の開発担当者が自律的に判断して開発業務を行っていると認められる場合であれば、偽装請負と判断されるものではありません。
 他方で、実態として、発注者側の開発責任者や開発担当者が受注者側の開発担当者に対し、直接、業務の遂行方法や労働時間等に関する指示を行うなど、指揮命令があると認められるような場合には、偽装請負と判断されることになります。
 こうした事態が生じないよう、例えば、発注者側と受注者側の開発関係者のそれぞれの役割や権限、開発チーム内における業務の進め方等を予め明確にし、発注者と受注者の間で合意しておくことや、発注者側の開発責任者や双方の開発担当者に対して、アジャイル型開発に関する事前研修等を行い、開発担当者が自律的に開発業務を進めるものであるというようなアジャイル型開発の特徴についての認識を共有しておくようにすること等が重要です。
 受注者側が自律的に開発業務を行っておればよいというのが原則論ですが、それでは心配になる点がいくつも出てきます。以下の問答は、それに一つ一つ丁寧に回答しようとしています。特に、受注者側の自律性をどこで見るかが問題になります。受注者側の管理責任者の選任、同席との関係です。この点について、「両者が対等な関係の下で協働し、受注者側の開発担当者が自律的に開発業務を進めている限りにおいては、受注者側の管理責任者が会議や打ち合わせに同席していない場合があるからといって、それだけをもって直ちに偽装請負と判断されるわけでは」ないと言いつつ、受注者側の開発担当者に対して指示を行う必要がある場合に「発注者側の開発責任者や開発担当者が、直接受注者側の開発担当者に当該指揮命令を行ってしまうと、たとえ受注者において管理責任者を選任していたとしても、偽装請負と判断されることにな」ると釘を刺しています。
 また、発注者側の開発責任者と受注者側の開発担当者間、あるいは開発チーム内のコミュニケーションがどの程度許されるのかも注目されています。この点についても、「発注者側の開発責任者が受注者側の開発担当者に対し、その開発業務の前提となるプロダクトバックログの内容についての詳細の説明や、開発業務に必要な開発の要件を明確にするための情報提供を行ったからといって、それだけをもって直ちに偽装請負と判断されるわけでは」ないとか、「実態として、両者間において、対等な関係の下でシステム開発に関する技術的な議論や助言・提案が行われ、受注者側の開発担当者が自律的に開発業務を進めているのであれば、偽装請負と判断されるものでは」ないと言いつつ、それが「実態として、受注者側の開発担当者に対する業務の遂行方法や労働時間等に関する指示などの指揮命令と認められるような場合には、偽装請負と判断されることにな」ると釘を刺します。
 さらに、「会議や打ち合わせ、あるいは、連絡・業務管理のための電子メールやチャットツール、プロジェクト管理ツール等の利用において、発注者側及び受注者側の双方の関係者全員が参加した場合」でも、「実態として、両者が対等な関係の下で情報の共有や助言・提案が行われ、受注者側の開発担当者が自律的に開発業務を進めているのであれば、偽装請負と判断され」、その「全ての機会に管理責任者の同席が求められるものではない」としつつも、それらの場において「実態として、発注者側の開発責任者や開発担当者から受注者側の開発担当者に対し、直接、業務の遂行方法や労働時間等に関する指示などの指揮命令が行われていると認められるような場合には、偽装請負と判断される」と釘を刺しています。
 基本的には上述の基本的な考え方を様々な状況下で繰り返しているだけですが、結局外形的な指標で一律に判断することはできず、「対等な関係」とか「自律性」が保たれているかどうかという実質的な判断に委ねられざるを得ないということが伝わってくるQ&Aになっているといえます。「自律性」というのは言い換えれば「裁量性」ですが、考えてみれば今回問題となっているシステム開発の世界は、1987年改正労働基準法で専門業務型裁量労働制が導入されたときからその典型業務として適用されてきているように複雑な知的労働力の典型です。そうした高度な専門技術者が企業の枠を超えて(その企業同士の契約形式が請負であれ準委任であれ)知的行為をぶつけ合いながら無形のシステムを構築していくような世界に、派遣・請負区分という終戦直後以来の法的枠組みを当て嵌めようとすることから生じているのが、このアジャイル型開発の問題なのかも知れません。
 そもそもこの派遣・請負区分(いわゆる37号告示)の前身は終戦直後の1948年職安法施行規則第4条の労働者供給事業と請負の区分基準ですが*1、今まで問題となってきたのは建設業の重層請負や製造業の構内請負であって、相対的に単純な物理的労働力の提供者に対する指揮命令の有無が主として問題になってきました。1951年に刊行された労働省職業安定局雇用安定課編『労働者供給事業認定基準並に疑義解釈集』(労働法令協会)は150ページを超えるかなり分厚い本ですが、そこに取り上げられているのは土木建築業をはじめ、電気通信工事、沿岸荷役、派出婦、運輸業、ビル清掃、貨車積卸、道路修繕、造船、鉱夫、林業、溶接作業、石材切出等々と、ほとんど全て肉体労働系です。1960年代に事務処理請負という名で広まり、1985年の労働者派遣法によって法的に位置付けられた事務系派遣も、英語でいうクラーク業務であって、基本的には全てボスの指揮命令によって作業をするものであり、自律性、裁量性といった性格は希薄でした(日本の派遣法が日本型雇用システムを守るためという屁理屈で「専門技術的26業務」という虚構を作り出したために概念が混乱している面はありますが)。
 その意味では、これら単純作業系とは対照的な真の意味での高度専門技術者が企業の枠を超えて知的行為をぶつけ合う世界に、70年以上昔の発想による区分基準を当てはめるようなやり方がなお有効なのか、そろそろ根っこから見直す必要が生じてきつつあるのかもしれません。皮肉なことに、この疑義応答集が出された2021年というのは、前年からのコロナ禍で、zoomなどのオンラインツールを用いたリモート会議や打ち合わせが急速に一般化した年でもあります。発注者側の開発責任者と開発担当者、受注者側の管理責任者、開発担当者が画面上にてんでに並んで様々なコミュニケーションをしている状況の中から、何が指揮命令で何がそうでないのかを区別しようとするのは、なかなかに難しいことではないでしょうか。

*1さらに遡れば、戦前の1938年改正職業紹介法で労務供給事業の規制が導入されたときに発出された通牒(昭和13年収職第514号)が「事業請負ノ形式ナルモ其ノ内容ハ主トシテ労務ノ供給ヲナス場合ハ本規則ノ適用ヲ受クル」と指示したのが最初です。

 

 

2021年10月18日 (月)

『唯物論研究年誌第26号 コロナが暴く支配と抑圧』

590787 大月書店の角田三佳さんより、その編集になる『唯物論研究年誌第26号 コロナが暴く支配と抑圧』をお送りいただきました。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b590787.html

補償なき時短や休業はては解雇を迫られる非正規労働者、障害児・者とその家族‥‥‥コロナ禍は、さまざまな領域に存在する矛盾や抑圧をあぶりだしている。「社会的弱者」に牙をむく現状を見据え、抵抗と変革の基盤を探る。

私にはよく理解できない哲学的な論文も盛り込まれていますが、特集の中では首都圏青年ユニオンの栗原耕平さんの「新型コロナ禍における非正規労働者の抵抗とその基礎」が、シフト制アルバイト問題をその労働過程を細かく分析することによって浮かび上がらせており、大変興味深く読めました。

あと、植上一希さんらによる「コロナ禍が突きつける大学・若者の教育と社会・政治変革の課題」という座談会の終わりの方で、ジョブ型雇用をめぐってのやりとりが、教育現場の感覚をよく示しています。

小谷 ・・これから日本でジョブ型雇用が増えていくのかが気になっています。例えば日本の学校の先生は、授業とか生徒のケアとか、ゼネラルな能力を求められていますが、ヨーロッパではそういうことはあり得なくて、ちゃんと分業しているわけですよね。日本の場合は、専門性を保った人でも、専門外のことに関わらなければならない。でもオンラインになってくると、ジョブ型で「この仕事をするために雇います」という話になってくる。そうすると、同じように「授業以外に関しては、ほかの人がやるので、しっかり専門性を高めることに自分の時間を使って下さいね」という流れになってくることも考えられるかなと。

蓑輪 公共サービス労働について言えば、ジョブ型にすると公共サービスの機能が本当に崩壊するから、実際、やりたくてもできないんじゃないでしょうか。例えば、虐待介入でも、学校や保育園で日常的に子供たちと接している教師や保育士が果たしている役割は、ほかでは代替できない固有のもので、その人たちを虐待対応の現場から引き上げるのは、現実的にあり得ないし、あってはいけないという気がします。全体として、、公共サービスについて言えば、やっぱりゼネラルが残ってしまう。

小谷 ただ、それが例えば教員志望の人が教員になりたがらない理由にもなっている。

・・・

蓑輪 確かに公共サービス労働は、ジョブ型にしていくとサービスがきちんと提供できないという問題が起きる。ただ、日本はゼネラルな能力が求められすぎて過重労働になっているので、責任や職務を整理しつつ、仕事を評価していく発想は恐らく必要だとは思うんです。ただそうすると、労働者が行う業務を限定して、階層的な職場構成にすべきだという話になって、今度、それでいいのかという話が出てきて本当に難しい。・・・

階層的なジョブ型で仕事を限定することを嫌がり、平等なメンバーシップ型でへとへとになることが歴史的に労働者自身の選好でもあるという日本社会の姿が浮かび上がってくる座談会です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

林雅彦さんの拙著書評@『週刊東洋経済』

2171651_p 『週刊東洋経済』10月23日号のブックレビューコーナーで、林雅彦さんが『ジョブ型雇用社会とは何か』の書評を書かれています。曰く「誤解により悪用される危うさ 名付け親が自ら正す」

https://premium.toyokeizai.net/ud/magazine/pubdate/20211023

最後のところが、わたしの秘かな思いを汲んで頂いております。

・・・対象となる事象は不変であるためこれまでの焼き直しにならないかとの評者の心配は杞憂であった。職場での定期健診で使用者側に健康に関する情報を握られることをどう考えるか、障害者雇用とジョブ型雇用の親和性など、この両者を軸にして見直してみることによる新たな気づきは多い。

ちなみに、同号の大特集は例のみずほ銀行ですが、そもそも銀行業務の神経系にあたるシステム開発がこういう状況になっていることについても、ジョブ型とメンバーシップ型でもって分析するといろいろと見えてくるものがありそうな気はします。

 

 

 

 

2021年10月17日 (日)

流行りの「ジョブ型雇用論」が間違いだらけの理由 濱口桂一郎氏に聞く@弁護士ドットコム

弁護士ドットコムにインタビュー記事が全編後編の二段構えで載っています。インタビュワは新志有裕さんです。

https://www.bengo4.com/c_5/n_13676/ (流行りの「ジョブ型雇用論」が間違いだらけの理由 濱口桂一郎氏に聞く)

新たな人事制度の仕組みとして、職務内容(ジョブ)を特定して、必要な人員を採用・配置する「ジョブ型雇用」という言葉がブームになっている。
これまでの日本の大企業の正社員は、新卒一括採用で職務内容を限定せずに採用し、定期的に職務内容を替えていく「メンバーシップ型雇用」が主流だった。賃金の値札も、ジョブ型はジョブに貼り、メンバーシップ型はヒトに貼るものであり、両者は概念的に大きく異なる。
メンバーシップ型雇用は人事評価の難しさから、年功序列に陥りやすく、いわゆる「働かないおじさん」を生み出してしまうことや、会社都合の異動などでキャリアの自律性が乏しくなる、などの理由でこの数年、「ジョブ型雇用」を推進する流れが強まってきた。
しかし、「メンバーシップ型雇用」「ジョブ型雇用」の名付け親でもある労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎研究所長は新著「ジョブ型雇用社会とは何か:正社員体制の矛盾と転機」で、「おかしなジョブ型論ばかりが世間にはびこっている」と批判している。濱口氏のインタビューを前後編に分けてお届けする。(編集部:新志有裕) 

https://www.bengo4.com/c_5/n_13677/(なぜ人事査定があるのに「働かないおじさん」が生まれるのか? 濱口桂一郎氏に聞く)

14623_2_1  新卒一括採用で職種を限定せずに「就社」した人たちが、若い頃は馬車馬のように働かされながらも、中高年になってから、上がった賃金にみあった仕事をしていないと批判される「働かないおじさん」問題が長年指摘されている。
最近、日本の大企業が、職務内容を特定して、必要な人員を採用、配置する「ジョブ型雇用」を導入しようとしている背景には、組織の一員としてみんなで出世を目指す「メンバーシップ型雇用」が、結局は年功序列になりがちであるため、新制度で歯止めをかける狙いもあるようだ。
しかし、なぜ、多くの企業で人事査定をしているにもかかわらず、「働かないおじさん」が出てくるのを止めらないのか。新著「ジョブ型雇用社会とは何か:正社員体制の矛盾と転機」を上梓した労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎研究所長のインタビュー後編では、この問題を扱いたい。(編集部:新志有裕)

 

 

 

 

 

 

2021年10月16日 (土)

絶妙のタイミングで『日本大学の研究』

9784791774180 なんという絶妙のタイミングで『日本大学の研究』なんていう本を出すんだろう、と思いましたが、いや橘木さんにはそんなつもりは全くなく、これまで陸続と出してきた『早稲田と慶応 名門私大の栄光と影』、『東京大学 エリート養成機関の盛衰』、『京都三大学 京大・同志社・立命館-東大・早慶への対抗』、『三商大 東京・大阪・神戸 日本のビジネス教育の源流』等々といった大学シリーズの延長線上のはずだったんでしょうね。

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3604

国内最大の学生数をほこり、旧制大学として長い伝統を持つ日本大学。戦前・戦後・現在へと続くその軌跡から、教育方針と経営理念の特徴を探り、時代の節目における改革の実態、そして多彩な人材をいまなお輩出し続ける理由を、異色の経済学者がその独自のまなざしで明らかにする。画期的な書。

 

 

 

 

自治体は雇用契約を結べないけれど、偽装請負だと雇用になってしまう件について

こういう増田が話題になっていて、

https://anond.hatelabo.jp/20211014160920(埼玉県ワクチン接種センターで働いていたのに労働者ではないと言われた話)

謝金扱いだから労働契約がないとのことだったが、時間や勤務場所が拘束されていること・この仕事をしろと指示されていることなどから、「使用従属関係」が発生するのではないか。 

こういう応答がされているのですが、

https://anond.hatelabo.jp/20211015101356

自治体が人を雇う場合、一般的な雇用契約をすることができない。少し前までは曖昧にされてたが、総務省が古い解釈を今更示したせいで、一時的であれ短時間であれ、明確に公務員として任用せねばならなくなった。令和2年度4月から施行された会計年度任用職員てやつだ。 

いや、それは教科書レベルの回答であって、も少しディープな話があるんだな。

確かに、使用者が労働者に指揮命令する雇用契約については、自治体は民法上の雇用契約を締結することはできず、正規であれ非正規であれ任用による公務員という形で使用しなければならない。それは確かなんですが、一方で、契約上は雇用契約じゃなく請負だの準委任だといった非雇用契約の形をとっていても、その実態が指揮命令していれば契約の文言に関わらず雇用とみなされるという法理もちゃんとある。問題は、これが自治体にも適用されるのか、それとして締結することはできない雇用契約が、偽装請負だという理由で結果的にできてしまうことがあるのか?という点にあるわけです。

そして、この点について「然り」と判断した裁判例がちゃんとあるのですよ。私が昨年6月に東大の労働判例研究会で評釈した浅口市事件判決です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-e462a4.html(浅口市事件評釈@東大労判)

御多分に漏れず、東大の労働判例研究会もリモート開催となっていますが、昨日は私の番が回ってきて、浅口市事件(岡山地倉敷支判平成30年10月31日)(判例時報2419号65頁)を評釈しました。

・・・このように、地方公共団体は自ら意図的に雇用契約を締結することはできないのであるが、本判決は労働者性に関する判断基準を用いることによって、その主観的意図としては労務参加契約という名の請負契約を締結したはずであったYが、客観的には雇用契約を締結していたことになるという筋道によって、結果的に雇用契約を締結することができる回路を付与したような形になっている。

 これは公務員法が想定していない帰結ではあるが、労働者性に関する判断基準を素直に解する限り回避することはできない理路である。なぜなら、公務員法が明示ないし黙示に禁止しているのは、雇用契約を雇用契約として締結することに限られるのであって、厳密に労働者性判断基準に照らせば雇用契約になりうる個人請負契約を締結することは自由であるし、それが結果的に雇用契約であることが判明したからといって、主観的に個人請負契約として締結された契約関係が無効になることもあり得まい。その意味では、法理的にはこれはもともと雇用契約であったものがその性質通りに判明したものではあるが、現実社会における存在態様からすれば、個人請負契約として締結されたものが労働者性判断基準という操作をくぐらせることによって雇用契約に転化したものと認識されることになろう。・・・

・・・以上から、地方公共団体が締結した個人請負契約がその実態に即して雇用契約であると判断されることを制度的に回避することは不可能であり、従って地方公共団体が個人請負契約を利用する限り、法律上存在しないことになっている公務員としての地位を有さず地方公共団体と雇用契約に基づいて労務を提供する者は常に生じうることになる。かかる存在が法理上存在可能であることは、国家公務員法上に外国人との雇用契約が明記されていることからも明らかであり、地方公務員法が想定していないからといって、法理上その存在を否定することもできない。

 本判決は、樹木伐採作業に従事する労務参加契約というやや特殊な地域性のある事案であったが、今後フリーランス等の雇用類似の働き方が増加し、国や地方公共団体においてもそうした人々を個人請負契約の形で活用することが増えるならば、その労働者性の判断を通じる形で、結果的に国や地方公共団体との雇用契約で就労する者が増加していく可能性もあり得る。これに対していかなる法政策的対応があり得るのか、検討をしておく必要もあるのではなかろうか。

この事件のインプリケーションは結構大きいものがあり、その後今年5月に刊行された『日本労働法学会誌』134号では、弁護士で信州大准教授の弘中章さんが、この判決にも触れながら、この問題を論じています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-17206c.html(『日本労働法学会誌134号』)

Isbn9784589041586_20211016202501  さて、学会誌には大会の記録以外の論文も載っています。その中でいささかびっくりしたのは、弁護士で信州大准教授の弘中章さんの「公共部門における「委託型就業者」に関する一考察」です。何にびっくりしたかというと、私が東大の労働判例研究会で報告したまま活字にすることなくひっそりとホームページに乗っけておいた評釈を引用されていたのです。浅口市事件((岡山地倉敷支判平成30年10月31日)(判例時報2419号65頁))という、市との労務参加契約の雇用契約該当性が問題になった事案です。・・・ 

 弘中さん曰く:
・・・しかし、最近の裁判例では、個人が行政主体と業務委託等の契約を直接に締結した場合において、その就労実態から当該契約を「雇用」と評価したものが見られ、注目される。また、研究者からも、個人請負契約によって公務に従事する者の存在に注意を促す指摘がなされるようになってきている。・・・
 まだほとんどだれも本格的に議論を始めていないテーマではありますが、これから結構出てくる可能性もあるように思われ、こういう形で正面から議論をする論文が学会誌に載ったのは大変うれしいことでした。 

 

 

 

 

 

 

 

新しい資本主義実現会議は紅7点だけど労1点

昨日、岸田新内閣の目玉政策機関として新しい資本主義実現会議が設けられました。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/pdf/honbu.pdf

「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」をコンセプトとした新しい資本主義を実現していくため、内閣に、新しい資本主義実現本部(以下「本部」という。)を設置する。

で、その有識者構成員のリストがこちらですが、

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/pdf/rist.pdf

翁 百合 株式会社日本総合研究所理事長
川邊 健太郎 Zホールディングス株式会社代表取締役社長
櫻田 謙悟 経済同友会代表幹事
澤田 拓子 塩野義製薬株式会社取締役副社長兼ヘルスケア戦略本部長
渋澤 健 シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役
諏訪 貴子 ダイヤ精機株式会社代表取締役社長
十倉 雅和 日本経済団体連合会会長
冨山 和彦 株式会社経営共創基盤グループ会長
平野 未来 株式会社シナモン代表取締役社長CEO
松尾 豊 東京大学大学院工学系研究科教授
三村 明夫 日本商工会議所会頭
村上 由美子 MPower Partners GP, Limited. ゼネラル・パートナー
米良 はるか READYFOR 株式会社代表取締役CEO
柳川 範之 東京大学大学院経済学研究科教授
芳野 友子 日本労働組合総連合会会長

これ、ジェンダーバランスという観点からは男性8名、女性7名でうまく釣り合いがとれているとはいえますが、属性で分けると、経営者側11名、労働者側1名、研究者3名という色分けで、労1点という意味では安倍内閣時の働き方改革推進会議と同じです。

連合会長に就任したばかりの芳野さんは、場合によっては神津さんの時みたいに一人で頑張らないといけない局面もあるかもしれません。

あと、渋沢栄一翁の玄孫の方がさりげに入っているのは、高祖父が「日本資本主義の父」なので、「新しい資本主義」にふさわしいということなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

フリーランスの安全衛生規制

昨今注目を集めているフリーランス問題ですが、白熱する議論から零れ落ちがちな話題として安全衛生問題があります。もちろん、安全衛生と表裏の関係にある労災保険については近年特別加入が陸続と拡大しているのですが、労働安全衛生法の適用自体の議論は、フリーランス問題の枠組みではあまり取り上げられていないようです。

しかし一方、今年5月の建設アスベスト最高裁判決により、一人親方に対する安全衛生対策について国の権限不行使が違法と判断されたことにより、労働安全衛生法の適用範囲を一人親方に、あるいは一人親方に限らず下請事業主に拡大すべきではないかという議論が提起されてきます。

実はさっそく今週月曜日(10月11日)の労政審安全衛生分科会に「建設アスベスト訴訟に関する最高裁判決等を踏まえた対応について」という資料が提示されており、そこでは安全衛生法22条、57条に基づく省令の規定を労働者に限らず一人親方等にも拡大する改正をすべきかという議論が提起されているようです。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/000841259.pdf

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2021年10月15日 (金)

酔流亭さんのやや長めの書評

71cahqvlel_20211015000601 酔流亭さんが、『ジョブ型雇用社会とは何か』に対して、やや長めの書評を書かれています。

https://suyiryutei.exblog.jp/30755224/(日本版「同一労働同一賃金」の深相)

「深相」という言葉は、私の本に出てくる用語ではありませんが、とてもいいたいことを一言で表している二文字ですね。

先月出たばかりの『ジョブ型雇用社会とは何か』(濱口桂一郎著 岩波新書)は教えられるところが多い本ではある。なかでも、日本版「同一労働同一賃金」を実現しようとした労働法学者・水町勇一郎氏(東大教授)の真意は何であったかへの洞察には「あっ、そうだったのか」と思った。・・・

・・・濱口桂一郎氏の洞察によれば、水町教授はそのこと(現状では日本では同一労働同一賃金は実現しないこと)を百も承知で、しかし政府が同一労働同一賃金を謳うのを衝いて、その名の下に、せめて非正規雇用労働者の賃金を正規雇用の職能給(人に値札の付いた賃金制度である)に統一しようとしたのではないか。同一賃金は実現できなくとも、正規と非正規を同一の基準では処遇せよ、と。・・・ 

・・・それだけに濱口桂一郎のこの問題について推測を含めた洞察は、水町への敬意と友情も感じられて腑に落ちるものである。 

念のためにいえば、この「深相」はあくまでも「私の想像に想像を重ねた解釈」に過ぎないので、本人はそんなことはおくびにも出していません。

この書評の最後には、私の労働組合へのスタンスがあまりにも冷ややかではないかとの苦情が書かれています。

・・・ただ『ジョブ型雇用社会とは何か』という本全体については、冒頭に書いたように勉強になったけれど、違和感もまた残る。労働運動に対する著者の突き放したような冷ややかな視線だ。なるほど日本の労働組合運動は、それが生み出された労働社会の歪みを反映しておおいに歪んでいる。いい加減にせい、こいつら、とEU諸国の労働社会と運動を熟知する著者が吐き捨てたくなるのもわからぬではない。しかし、その歪みを糺すのは職場から労働運動を強めていくこと以外には無いのではなかろうか。 

冷ややかと言えばそうかも知れませんが、冷静さを失って妙に熱っぽく叫び出すとだいたい足を踏み外して転げます。

冷ややかにではあってもそれなりにシンパシーを示しているつもりではありますし、特に最後の提言は、労働組合を愛していないとああいうのは出てこないですよ。

 

 

 

 

キャバクラは労働者性問題の宝庫

こういう記事がありましたが、

https://www.bengo4.com/c_5/n_13675/(キャバクラの女性従業員は「労働者」、さいたま地裁で和解成立 店が残業代含む「解決金」支払い)

14621_2_1 キャバクラ店で働いていた女性が、店に対して残業代などを請求していた裁判は、さいたま地裁で和解が成立した。

店側はこれまで「業務委託契約のため、残業代等は発生しない」という主張を続けたが、女性の「労働者性」を認める内容を和解条項に盛り込み、未払い分を解決金として支払うことが定められた。

女性側は10月14日、都内の会見で「キャバクラ店で働く女性は、労働者としての待遇を受けられないことが多い。労働者性が認められたことで、残業代や、深夜割増賃金なども会社が支払うべきだと明確にされた」とした。・・・・・

判例集だけ見てるとあんまり気が付きませんが、このキャバクラをはじめとする風俗営業適正化法において「接待飲食等営業」と呼ばれているような事業において歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなすタイプの接客職というのは、一人親方や運転手と並んで労働者性問題が一杯詰まっている分野なんですね。

Kantoku_20211015084501 これは、私が今年2月に発表した報告書『労働者性に係る監督復命書等の内容分析』において明らかにしたことですが、全国の労働基準監督官の皆さんは結構この手の問題を取り扱っています。

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2021/documents/0206.pdf

(イ) 労働者性ありと判断した事案

・監6 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):週1-2回、20時-25時勤務の接客サービスで、出退勤管理はタイムカード形式で行い、賃金は時間給で、指名料は5割、ドリンク代は2割という取り決め、特に契約書を交わすことなく、厚生費(10%)と呼ばれる事務手数料を控除している。申告人から解雇予告(手当)違反の申告があり、被申告人は、「解雇したことは間違いない」と言いつつ、申告人は労働者ではなく個人事業主であると主張。名目上は個人事業主であったとしても、労働者性が否定されるものとは認められないと判断し、解雇予告手当の支払いについて是正勧告。

(ロ) 労働者性なしと判断した事案

・監37 その他の飲食店のフロアレディ(定期監督):ラウンジのホステスやボーイについて、雇用契約ではなく個人事業主として接客等の業務を任せているだけであり、シフトに入ってもらいたい時間帯を依頼することはあっても強制はせず、人手不足の時には開店しないこともあり、税務面も個人事業主として確定申告させている。労働者性を高める客観的資料も確認できず、法違反なしと判断。

(ハ) 労働者性の判断に至らなかった事案

 接客職に係る監督復命書事案で、労働者性の判断に至らなかった事例はない。

(7) 申告処理台帳の事案

(イ) 労働者性ありと判断した事案
・申1 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):深夜割増の賃金未払いの申告。事業主は、申告人は個人事業主として演奏や自分の連れてきた客への接客をしてもらい、報酬を払う契約であると主張。ミュージックパブでバンドボーカル兼ホールスタッフとして勤務し、決められたシフトの時間内には一般の来店客の接客、店の開け閉めや掃除、買い出し等の雑務も事業主から命じられて行い、深夜割増込みで時給1000円で契約していることを総合的に考慮して、労働者性が強いものと判断し、是正勧告。

・申4 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):フィリピンクラブのホステスとして勤務。売上ペナルティの控除が違法との申告。事業主は申告人を個人事業主と主張し、過去は会計士の指示通り申告人に請求書を出させ、それに対して報酬支払後、印紙を貼った明細を渡していたが、面倒になったのでやめてしまい、源泉徴収票に報酬と記載している。申告人の売上が基準額に達しなかった場合に報酬額から控除していた。タイムカードを打刻している。個人事業主契約があったことを証明できないため、労働契約として判断せざるを得ないとして、是正勧告を交付。

・申5 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):解雇予告手当未払いの申告。労働者は男性マネージャー1名だけで、接客するキャスト6-7名は全員外注としているが、契約書はない。勤務は21時-24時半で、報酬は時給2300円とドリンクパックと指名料。キャスト同士のトラブルで契約解除。業務指示に対する諾否の自由があまりなく、報酬も時給制で、一定の労働者性が認められると伝え、予告手当の支払いで終了。

・申7 その他の接客娯楽業のフロアレディ(申告監督):キャバクラのホステスが解雇予告手当と罰金及び名刺代の控除の返還を求めて申告。役務提供契約を結び、税金もそう処理しているが、勤務時間は19:30-26:00(又は27:00)で週3-4日出勤、接客時間に対して時給3000円と同伴・ドリンク手当が当日現金払い。接客時間はキャッシャーが手書きで記録。勤務中は店長の指示に従い、接客時に座る席まで指示され、欠勤には許可が必要で、当日連絡の場合は罰金を払う等、個人事業主として業務委託契約であったと認めるのは困難と判断した。ただし退店のいきさつを解雇とは認めず、罰金と控除の返金を指導。

(ロ) 労働者性なしと判断した事案

・申15 一般飲食店の仲居(申告監督):配膳接客をする仲居として勤務してきた申告人が未払いの残業代を求めて申告。事業場側は申告人を芸能人と同じで雇用契約ではなく、「報酬、料金、契約金及び賞金の支払調書」という個人事業主に対しての源泉徴収を行っていた。社会保険、雇用保険等の控除をせず、仕事の依頼に諾否の自由があり、勤務時間、出勤日等指定はないことから、労働者ではないと判断し、ただ申告人と同様の勤務形態である仲居については、委託契約書を結び、労働の態様を明らかにするよう指導。

(ハ) 労働者性の判断に至らなかった事案

・申23 その他の接客娯楽業のフロアレディ(申告監督):キャバクラのホステスが解雇予告手当を求めて申告。雇用契約書はなく、就労開始時に日給45000円等の条件を交わしている。事業場側は、店舗という場所を各個人事業主に貸している(「箱貸し」)だけと主張。「来なくて大丈夫ですよ」を断定的に解雇と判断できないため、処理を終了。

・申29 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):ラウンジのママが、賃金から売上不足や調整と称して控除されていると申告。事業場側は申告人が個人事業主と主張。臨検監督を行う前に、会社が一部支払うことで申告取り下げ。労働者性は特定に至らず。

・申31 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):接客キャストが解雇に伴う賃金未払いを申告。キャスト契約書には専属請負契約であることが書かれている一方、所定労働時間は20時-翌2時で、時給2250円と労働者性も見受けられるが、労働者であると断定できないことから、処理を終了。

・申32 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):ホステスが賃金未払いを申告。時給2000円及び指名料1人1500円。事業場側は申告人が個人事業主と主張。出勤を強要したことはなく、営業日はいつ来てもらってもよいが、開店から2時間後の20時以降は受付せず。タイムカードは打刻させていたが、昼に他の事業場で働くことは妨げていない。ただし本人以外のものが来ることは認めていなかった。契約内容が客観的に分かる書面もなく、労働者性を肯定しかねることから処理を終了。

・申33 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):キャバクラのキャストが賃金未払いを申告。勤務時間は20時-25、26時で、フロアキャスト業務請負支払報酬によれば、時給2300円で指名数に応じた時間給やボトルバック、同伴バック、欠勤控除がある。時間管理や欠勤控除など労働者性を補強する要素も認められるが、事業場から申告に係る給料が振り込まれたので処理を終了。

・申40 その他の飲食店のフロアレディ(申告監督):ホステスから賃金未払いの申告。報酬は時給+ボトル注文による歩合制。労働日1週間ごとに本人から希望させ、勤務の指示はしていない。報酬から個人事業主として10.21%の税金を引き、確定申告は本人が行っている。服は自前で準備。月1回程度本人に対し個人事業主であると説明していた。書面契約はなく口頭のみの契約。以上から労働者性があるとは断定できないため、処理を終了。

 

(8) 分析

 伝統的に労働者性に係る問題の一つの焦点となってきた傭車運転手を含む運転手と同数の事案が接客職に見られるというのは、訴訟に至った事案の裁判例を中心に労働者性の問題を見てきた研究者にとってはやや意外に思われるかも知れない。しかし、以上の各事案を概観しても分かるように、こうした風俗営業適正化法において「接待飲食等営業」と呼ばれているような事業において、歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなすタイプの接客職が、今日における労働者性に係る事案の少なからぬ部分を占めているということは、注目に値する発見であろう。
 一人親方や運転手といった他の職種の事案と比較すると、キャバクラやパブといった歓楽的飲食店の店内で夕方から深夜に至るまで接客しなければならないという業務上の必要性からであろうが、報酬を時給で定めているケースがかなり多く、そのことが個別事案によって違いはあるが、労働者性ありと認めるものが相対的に多くなっていることの背景として存在しているように思われる。しかし、時給制であるにもかかわらず労働者性の判断に至っていないケースも少なくない。接客の具体的態様がいちいち事業場側の指揮監督下にないため労働者性の判断に踏み切れないことがその背景にあるようにも見られるが、時間的空間的に拘束された下で客を歓楽的雰囲気で接待しなければならないという従属性の観点がやや軽視されている感もある。

(9) 労働基準監督行政への示唆

 労働基準監督官が労働者性の判断基準としている1985年の労働基準法研究会報告は、「報酬が時間給を基礎として計算される等・・・報酬の性格が使用者の指揮監督の下に一定時間労務を提供していることに対する対価と判断される場合には、「使用従属性」を補強する」としており、これが接客職に対するやや積極的な労働者性判断をもたらしているようである。一方、事業特性からか、申告者本人や事業場との連絡が必ずしも円滑にいかないケースがまま見られ、労働基準監督官としてはいささか扱いにくい分野なのかも知れない。その意味で、労働者性の紛争がこれだけの事案数に上る職種でもあり、労働基準法研究会報告における傭車運転手等のように、具体的事案として取り上げて当該職種特有の観点も含めて判断基準を示すことも考えられよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

労務屋さん、くろかわしげるさんの拙著評

71cahqvlel_20211015000601 労務屋さんに『ジョブ型雇用社会とは何か』を評していただいてます。

https://roumuya.hatenablog.com/entry/2021/10/14/171429

一昨日に久々に出社した際にピックアップしたのですが調べてみたところその前に出社したのは8月30日であり、この本も奥付をみるとほぼ1か月前には刊行されていたようで、お礼が遅くなり申し訳ありません。

実は、何人かの方々からぼつぼつとお礼のメールをいただきつつあり、やはり昨年来のコロナの中で、しっかりテレワークが確立してたまに職場に出てくるという行動パターンを続けておられる方は結構いるんだな、と感じています。当方は、コロナでテレワークがどうたらこうたらと書いたり喋ったりしている割に、自分の行動パターンはほぼ毎日出社組で、zoomで授業したり講演したりはしているものの、メインは全然テレワークしてませんな。

閑話休題。いかにも労務屋さんらしく、やんわりとした言葉の後ろ側でさりげに向こうの方を皮肉るという高度な書評になっておりますが、この最後の一文は、まあ私もそう思いますが、「言ってる向き」じゃなくて、「そう聞いてそう思い込んでる向き」に読んでもらえば本望なので。

「評価」に関する所論に対しては異論があるので無条件にお薦めすることができないのが残念なのですが(一部はこのブログでも過去に書きましたし、できれば時間のある時にまとめて書きたい)、人それぞれ、どこかどうかで「なるほど、そういうことだったのか」という発見があると思われる、非常に啓蒙的な一冊となっています。まあ「時間ではなく成果で評価」とか言ってる向きはたぶん読まないでしょうけど。

もひとつ、くろかわしげるさんもツイートで連投しています。

https://twitter.com/kurokawashigeru/status/1448635466413010947

 遅れていますが、濱口桂一郎「ジョブ型雇用社会とは何か」を読み進めています。
 メンバーシップ型の正社員雇用を人にやさしい雇用として思い込まれている逆説と、そのことで起きている今の時代の矛盾がこれでもかこれでもかと書かれています。
 ドライに、労働力の交換で働きたいという人が、安定して正当な対価を払われて働くことのできる職が、二極化する雇用のなかでなくなっている問題は大きいと思います。
 ジョブ型雇用の概念は、役所の非正規労働を考える補助線として非常に有効でした。役所には専門職というメンバーシップ雇用にそぐわない職種が山ほどありますが、正規職員の人事制度とそれによる職員ガバナンスが、専門職に適合しなくてアウトソーシングや非正規化の対象にされやすいものです。
 ジョブ型雇用として一般職非常勤職員制度の運用変更を画策していましたが、「会計年度」という専門性も職もない、ただの雇用期間だけの定義をガチンとはめられた制度になって、取れたものは取れたけども、おかしなことになったなぁと思うばかりです。
 濱口先生の本では、児童手当も出てきて、戦後生活給として賃金が育ちすぎて、子どもの数で賃金が決まるようなものを児童手当に置き換えようとして失敗した歴史と。
 非正規労働者が増えて、家族手当がない労働者が増えて、初めて児童手当の意味が理解されつつあるという時代なのだろうと思います。かといって企業が家族手当を全廃してその分法人税として払ってくれるかというと微妙。

話が二重三重にねじれていて、ほめる側もけなす側も、ほんとは厳しいメンバーシップ型を優しいと思い、ほんとはぬるいジョブ型を成果主義でビシビシだと思い込んでいるのを、その事実認識が間違っているよ、逆なんだよと言ってるのに、価値判断を責められていると思い込んで、ほめるにせよけなすにせよますます間違った認識に閉じこもるので困っちゃうのですね。

 

 

 

2021年10月13日 (水)

「女性」さんの短評

71ttguu0eal_20211013120701 以前、桝本純さんのオーラルヒストリーに関心を持って「今世紀最高の本」とまで絶賛していた「女性」さんという方(一人称「俺」のこの方の生物学的な雌雄の別は存じ上げませんが)が、『ジョブ型雇用社会とは何か』について、あまりほかの方がつっこまないところで、しかし私としては秘かにつっこんで欲しいなと思っていたところに、うまい具合につっこんでいただいています。

https://twitter.com/ssig33/status/1447750147375435778

濱口桂一郎さんの新刊読みました。一番よかったの国がハイエンド外人を水増しする話で、もしメンバーシップ雇用のOJTでハイエンドになれるなら、そこに後からハイエンド外人でもはまるはずだけどそうなってない、つまり日本の労働者はほぼ全てノースキルローエンドであることが示唆されている。
では日本のハイエンド人材がどこに消えてるかというと、これは学位が資格として日本でも機能してる医師と士業なんだよな。あとごく一部の外資。大多数の産業はやる気だけある能力のない人の気合いで維持されてる。
別にたぶんこんなこと言いたくて濱口さんがジョブ型雇用社会とは何かという本を書いたわけではないんでしょうが、労働者のスキルが完全崩壊している様子が本に現れてる感じはありますね
UAゼンセンは非正規受け入れてるってチラッと触れてたが、ゼンセンの話はもっと詳しく一般書にあるといいと思うんだよな。俺は濱口先生が紹介してくれた渋いオーラルヒストリーでだいたい満足しましたが。
最後の方で労働者代表制に触れてるあたり、濱口さんの問題意識は"中小企業の労働者および大企業の非正規雇用の人"という圧倒的大多数の労働者は事実上無権利状態で働いている、という部分にあるんですかね、というかだからこそ日本の雇用終了とかを書いてたのか 

 

 

本田由紀『「日本」ってどんな国?』

9784480684127 本田由紀『「日本」ってどんな国?─国際比較データで社会が見えてくる』(ちくまプリマ-新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。タイトル通り、サブタイトルも含めてタイトル通りの本です。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480684127/

家族、ジェンダー、学校、友人、経済・仕事、政治・社会運動について世界各国データと比較し、日本がどんな国か考えてみよう。今までの「普通」が変わるかも!?

以下のように広範な領域にわたっていろんなデータを並べつつ、日本は「スゴイ国」じゃなく「相当やばい国」であることを説いています。

第1章 家族

第2章 ジェンダー

第3章 学校

第4章 友だち

第5章 経済・仕事

第6章 政治・社会運動

第7章 「日本」と「自分」

ただ、こういう若者向けの本でどこまできちんと伝えられるかは分かりませんが、その「スゴさ」が「ヤバさ」の元であり、「ヤバさ」が「スゴさ」の元であるという両義的な関係にあるということも伝えられればよかったという気がします。

 

 

 

 

2021年10月12日 (火)

育児休業、最初の導入企業どこ@日経新聞

Https___imgixproxyn8sjp_dsxzqo1128217007 日経新聞の10月11日夕刊に、かなりでかく「育児休業、最初の導入企業どこ」という記事が載っています。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD163P50W1A910C2000000/

2020年度に育児休業を取った人は42万人(給付金受給者)と、過去最高を記録した。同年度に生まれた赤ちゃんが82万人だから、いまや育児休業は子育てになくてはならない存在だ。いったいいつ、どこの会社が始めたのだろうか。

「さぁ、わかりませんね」。育児・介護休業法を管轄する厚生労働省職業生活両立課に尋ねれば、すぐ分かるだろうという甘いもくろみはいきなり挫折した。・・・

というわけで、記者は育児休業法制定時に担当補佐だった伊岐典子さんに聞きに行き、「電電公社がルーツだと思う」と聞いて、そのいきさつを調べます。

41g9c5v8cjl このミステリ仕立ての叙述は記事を読んでいただくとして、このあたりは『働く女子の運命』でもちょびっと触れたところです。

先駆的な育児休業制度
 日本で初めて育児休職制度を導入したのは、影山裕子氏がまだ男女差別に悩まされていた当時の電電公社でした。彼女は自伝『わが道を行く:職場の女性の地位向上をめざして』(学陽書房)の中で、この制度導入は自分が言い出したことであるかのように書いていますが、萩原久美子氏の『「育児休職」協約の成立』(勁草書房)によれば、そういう事実はなさそうです。同書は、当時の電電公社の労働組合、全電通の近畿地本執行委員だった松葉頴子氏のアイディアから、電話交換手の就労継続のための育児休職構想が労働組合の要求として打ち出され、1965年に協約として確立していく過程をビビッドに描き出しています。
 法制度としては1975年に議員立法で成立した「義務教育諸学校等の女子教育職員及び医療施設、社会福祉施設等の看護婦、保母等の育児休業に関する法律」が最初です。この法律の出発点は、1963年の日教組定期大会で、「これから婦人教師はどんどん増加するのだから、既婚婦人もさらに増加するし、従って育児休職制度が必要だ」と提起されたことにあります。出産育児を理由に退職を余儀なくされた女性教師たちが、復職を希望してもきわめて困難という状況下で、日教組婦人部が本格的に検討を開始し、1966年には法制化を求める決議を行い、同年にはILOとユネスコの「教員の地位に関する勧告」という国際的な追い風も吹いたこともあり、翌1967年に当時の日本社会党から法案が提出されました。こうした活動には前例があります。日教組婦人部の運動により、産休補助教員を取り入れるための「女子教育職員の産前産後の休暇中における学校教育の正常な実施の確保に関する法律」を、議員立法により1955年に成立させていたのです。ちなみに、日教組といえば政治団体だと勘違いしている人もいますが、確かに政治活動に熱心な活動家もいましたが、こういうまっとうな労働組合としての活動にも熱心に取り組んでいたのです。閑話休題。社会党案の審議未了が3回繰り返された後、与野党間で参議院文教委員会に小委員会が設置され、自民党も合意して1972年に法案にまとめ、参議院本会議で可決し、衆議院に送付するところまで行きましたが、衆議院では審議未了廃案になってしまいました。
 一方、看護婦等の育児休業を求めたのは労働組合からではなく、国立病院の看護婦不足に悩む厚生省サイドでした。1969年斎藤昇厚生大臣が人事院総裁に看護婦の育児休職制度を検討するよう要望し、自民党内部で検討が進められたのです。これが1974年頃、看護婦・保母人材確保法案としてまとめられましたが、国会に提出するに至らず、野党側が対抗法案を出しています。結局1975年に、厚生族の橋本龍太郎議員と文教族の西岡武夫議員を中心に両者統合した法案が準備され、成立に至りました。
 重要なのは、労働組合主導であれ政府主導であれ、この時期に女性のみの育児休業制度といえども確立したのは、出産育児で退職されては困るような特定職種の女性たちだけだったということです。そうでない普通の女性の場合はどういう扱いだったかというと、1972年の勤労婦人福祉法にあるように「必要に応じ、育児休業の実施その他の育児に関する便宜の供与を行うよう努め」ればよかったのです。そして、この点は1985年の男女均等法でもほとんど変わりはありませんでした。


 

2021年10月11日 (月)

ノーベル経済学賞のニュースに合わせて「クルーグマン on 最低賃金」(再掲)

ノーベル経済学賞をカード氏らが受賞したというニュースをみて、そういえば本ブログで彼の最低賃金に関する研究に言及したことがあったよな、と検索してみたら、こういうのが出てきました。せっかくなので再掲しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/on-da7a.html

Krugmancircularthumblargev4

 

 

別段目新しい話でもありませんが、ネット上で威勢の良い特殊日本的な「りふれは」(「リフレ派」ではなく)には最低賃金を目の敵にして、雇用を失わせるに決まっているという方々が多数いることもあり、そういう彼らがなぜか(自分らの政治的立場とは異なるにもかかわらず)引用したがるポール・クルーグマンの昨日のコラム「Liberals and Wages」から、最低賃金に言及した部分を引いておきます。全然目新しい話ではありません。

http://www.nytimes.com/2015/07/17/opinion/paul-krugman-liberals-and-wages.html?rref=collection%2Fcolumn%2Fpaul-krugman&action=click&contentCollection=opinion®ion=stream&module=stream_unit&contentPlacement=1&pgtype=collection&_r=1


Meanwhile, our understanding of wage determination has been transformed by an intellectual revolution — that’s not too strong a word — brought on by a series of remarkable studies of what happens when governments change the minimum wage.

More than two decades ago the economists David Card and Alan Krueger realized that when an individual state raises its minimum wage rate, it in effect performs an experiment on the labor market. Better still, it’s an experiment that offers a natural control group: neighboring states that don’t raise their minimum wages. Mr. Card and Mr. Krueger applied their insight by looking at what happened to the fast-food sector — which is where the effects of the minimum wage should be most pronounced — after New Jersey hiked its minimum wage but Pennsylvania did not.

Until the Card-Krueger study, most economists, myself included, assumed that raising the minimum wage would have a clear negative effect on employment. But they found, if anything, a positive effect. Their result has since been confirmed using data from many episodes. There’s just no evidence that raising the minimum wage costs jobs, at least when the starting point is as low as it is in modern America.

さて、賃金決定に関する我々の理解は、政府が最低賃金を変えたら何が起こるかについての素晴らしい一連の研究によってもたらされた知的革命によってーこれは言いすぎじゃないよ-大転換しているんだ。

20年以上も前に、経済学者デービット・カードとアラン・クルーガーは、ある州が最低賃金を引き上げたら労働市場にどういう影響を与えるかを実験的に明らかにした。実験というのは、隣接する州が最低賃金を引き上げないという自然のコントロールグループが提供されていたからだ。カードとクルーガーは、ニュージャージー州が最低賃金を引き上げたけれどもペンシルベニア州は引き上げなかった時に、ファーストフード業界-最低賃金の影響を一番受けると言われている業界だ-で何が起こったかを観察することで彼らの洞察を適用した。

カードとクルーガーの研究まで、多くの経済学者たちは-僕自身も含めて-最低賃金を引き上げたりしたら雇用に明らかなマイナスの影響を与えると思い込んでいた。ところが彼らは、それどころかプラスの影響があることを発見したんだ。この結果は多くのエピソードからのデータによって確認されてきている。最低賃金を引き上げたら雇用が失われるなんて言う証拠は全くないんだ。少なくとも、(最低賃金の引き上げの)出発点が現代アメリカのように低い国ではね。

(追記)

https://mobile.twitter.com/yeuxqui/status/625455548427689984?p=p


というか「経済学者」、最賃引き上げや、賃上げの批判しなくなったなw。都構想とかは突然擁護してみたりはするが。

というか、「りふれは」ケーザイ学者ね。

======================================

も一つついでに、このエントリの本体じゃなくて「追記」の部分を

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-d8c7.html(最低賃金引き上げに意欲)

(追記)

例によって、3法則氏が全開ですが、

https://twitter.com/ikedanob/status/624257385834528768

内閣府は「賃金が上がると雇用が減る」という法則を知らないのか。

さすが、20年前のカードとクルーガーの研究も知らずに、居丈高に「法則」とか口走る経済評論家の面目躍如といったところです。いや、躍如としてめ面目ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理科系は文科系よりもジョブ型?

拙著へのツイートで、

https://twitter.com/TyePass/status/1446838357820985354

そういやこれ買って半分読んだけど面白い
「ジョブ型雇用社会とは何か: 正社員体制の矛盾と転機」
工学系には分からないところがちらほら。そこが新鮮で面白い。大学と職業訓練の在り方とか。それなりに大学で職業訓練を受けたと思うし高校理数系科目も仕事に直結している。

https://twitter.com/TyePass/status/1446841437228658696

工学系だとジョブローテーションは比較的少なくある程度ジョブ型ですし、新卒時に即戦力的に働ける人も少なくないと思っていましたが、そうではない世界(新卒一括採用で教育しなおすのが都合が良い社会)について書かれてあるので面白いと思います。あと単純に雇用について考えさせられます。

もちろん、初めにジョブありきの本来的な意味でのジョブ型ではないのですが、文科系の典型的なメンバーシップ型に比べれば理科系にはかなりジョブ型っぽい要素があるのは確かでしょう。

この点を企業の採用基準において大学の選抜度(つまり入試時の偏差値)と大学での学習内容のどちらが重視されているのかによって分析したのが、『キャリアデザイン研究』17号に載っている中尾走・平尾智隆・梅崎修「大学での学習内容は新規学卒労働市場で評価されているのか?-全国学生調査と機関データを結合した実証分析」です。

その結論は、ある意味で常識的ですが、

・・・本稿では、大学生の内定獲得に対して、大学の選抜度、専攻分野、及びその交互作用の影響を見てきた。大学の選抜度は、どの専攻分野でも内定獲得に正の効果を持つが、その効果は専攻分野間で一様ではないことが明らかになった。

具体的には、人文科学、社会科学、教育で大学の選抜度の効果が大きく、自然科学ではその効果が小さかった。専攻分野の主効果(大学の選抜度が最小値の時の切片)に直目すれば、自然科学や保健で人文科学よりもその効果が大きい。つまり、大学の選抜度が低い場合には、人文科学よりも内定獲得の確率は高いが、自然科学では大学の選抜度が上がったとしても、人文科学ほど内定獲得確率が上昇しないということが分かった。

・・・つまり、自然科学では大学の選抜度以上に、大学での学習内容によって蓄積された人的資本が評価されるため、選抜度による差異の効果が相対的に小さく出ていると言える。一方、自然科学と比べたときに、人文科学では大学での学習内容よりも大学の選抜度が新卒労働市場で評価されているために、大学の選抜度によって内定獲得確率が大きく異なる。

 

 

 

 

 

 

 

 

字体の話

8e7ezxpr_400x400 常見陽平さんのところに拙著が届いたようなのですが、

https://twitter.com/yoheitsunemi/status/1447378662139916296

出勤したら、『ジョブ型雇用社会』(濱口桂一郎 岩波書店)が届いていた。感謝。実はすでに買っていた。「一刀両断!」という帯に、通算二度斬られたことになる。勉強しろ、ということだ。「45歳定年制」や「今日の仕事は、楽しみですか。」を語る上でもこの本は役に立つ。今読まれるべき本である。

ちなみに、日経電子版では濱口桂一郎先生が浜口桂一郎と表記されているのは、日経の致命的なミスか、アニマル浜口ジムに入門したからなのか。そして、プロレスラーはメンバーシップ型と、ジョブ型とフリーランスがまだら模様の世界である。

2009年に出た『新しい労働社会』(濱口桂一郎 岩波書店)は長く読まれる本であり、ずっと引用されていた。大学の労働社会学のゼミでも課題図書になっていた。これも、長く読まれることだろう。

すみません、ご自宅用と職場用にしていただければ。

ちなみに、「浜口」表記は、メディアによって「濱口」でいいと言ってくれるところと、なぜか強硬に「浜口」でなければダメというところがあって、結局字体がばらばらになってしまいます。

芸能界とスポーツ界でも違うようだし、よく分かりません。

 

このままでは国家財政は破綻する@矢野康治

411h2flqr2l_sx341_bo1204203200_ 『文藝春秋』2021年11月号に現財務事務次官の矢野康治さんが

財務次官、モノ申す
「このままでは国家財政は破綻する」

誰が総理になっても1166兆円の〝借金〟からは逃げられない。
コロナ対策は大事だが人気取りのバラマキが続けばこの国は沈む
矢野康治

というのを寄稿してかなり話題になっています。

が、例によって減税(憎税)バラマキ派と増税緊縮派の不毛な対立図式ばかりで盛り上がって、「しっかり税金を取ってしっかり必要なところに配ろう」という本来のまっとうな議論がどこかに吹っ飛んでしまうという哀しき現実が繰り返し演じられ続けるようです。

ただ、どちらが悪いかと言えば、明らかに神聖なる憎税同盟の最右翼たる減税ニッポンの連中が諸悪の根源であって、これだけコロナで財政支出をしながら(もちろんそれらは必要であり、十分とも言えないが)むちゃくちゃな減税論を振り回す連中を目の当たりにして、勘定所の役人(財務次官は勘定奉行か)が、そこまで税金を憎むのならそれに見合って緊縮せよと言いたくなるのは役目柄当然であり、職務に忠実と言うべきでしょう。

31dsj9bb24l_sy291_bo1204203200_ql40_ml2_ もちろん、それは本来のあるべき姿からの逸脱なのですが、「しっかり税金を取ってしっかり必要なところに配ろう」というまっとうな議論が欠落している世界では、やむを得ないというか、気持ちは分かる、という気がします。

 

 

 

2021年10月10日 (日)

イタリアで反ワクチン右翼が首相府と労組を襲撃?

Italy これは労働法政策の応用問題でもありますね。イタリアで、職場におけるコロナ証明書の所持義務化に反対する右翼グループが首相府と労働組合(CGIL)を襲撃したようです。日本のメディアではCGILという名前までは見当たらないようですが、向こうのメディアでは結構大きく報じられています。

https://www.reuters.com/world/europe/italian-police-use-water-cannon-push-back-anti-vax-protesters-rome-2021-10-09/

Italian police used water cannon and tear gas on Saturday to push back hundreds of people, including neo-fascist activists, demonstrating in Rome against a government drive to make the COVID-19 "Green Pass" mandatory for all workers.

One group of protesters tried to break through police lines to reach Prime Minister Mario Draghi's city centre office, while a separate group tried to smash their way into the headquarters of Italy's main CGIL trade union.

ヨーロッパでも反ワクチン派はやたらに勢いがあるようですが、政府の政策に賛成した労働組合まで巻き添えを食らうようです。

CGIL, which has accepted the Green Pass system for workers, condemned the attack on its offices.

"The assault on CGIL's national headquarters is an act of fascist thuggery, an attack on democracy and on the world of work," its leader Maurizio Landini said in a statement. "No-one should think that they can return our country to its fascist past."

どういう政策かというと、

Under the pass system, any worker who fails to present a valid health certificate from Oct. 15 will be suspended with no pay, but they cannot be sacked.

コロナのワクチン接種ないし検査陰性の証明書がなければ労働者は10月15日から無給で出勤停止になりますが、解雇されるわけではないと。

 

 

 

2021年10月 9日 (土)

Nさんの連続短評

71cahqvlel_20211009224901 時代の流れなのか、12年前の『新しい労働社会』の時に比べて、『ジョブ型雇用社会とは何か』に対しては、ブログよりもツイッター上での短評が多く寄せられています。その中で本日心に残ったのは、

https://twitter.com/coriolan1807/status/1446757572745187334

濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か』(2021年9月)税別1,122円 メンバーシップ型、ジョブ型雇用という言葉を人口に膾炙させたの濱口桂一郎(1958-)による新刊。 生半可な理解で中途半端に奨励されつつあるジョブ型論をバッサリ切り捨て、大変痛快。
労基法、労働組合法がGHQ労働課の指導により、ジョブ型雇用を志向しながら制定されていながら、戦後早々からの企業別組合の定着や高度成長期の「職能給」定着によりそれがメンバーシップ型一色に塗り替えられていく描写は明快。
また、現下のメンバーシップ型社会にジョブ型の接木をせんとした労働契約法改定、パートタイム労働法の同一労働同一賃金施策解説は、同施策で何がクリティカルに変わるのかいまいち理解できて居なかった身としては勉強になった。 なるほど、大して世の中が変わらないはずである。
職能資格制度における「職務遂行能力」が何一つ具体的な能力・業績を査定するわけでもなく、「やる気」「忠誠心」のといった情意考課であると喝破してあるのも、「まあ、その通りだろうな」という感想である。 大企業の人事屋さんは、同書読んだ方がいいと思うなあ。
あと、本書は「労働法」畑の学んできたドクトリンとはかなり異なる評価、議論になっており、労働判例ばかりだけ追ってても実態や総論はわからんよと言わんばかりの著者の議論は民間企業に勤める給与所得者には説得的。 

一つ一つ、著者の意図を見事に読み取っていただいていて嬉しい。「労働判例ばかりだけ追ってても実態や総論はわからんよと言わんばかり」って、いや言わんばかりじゃなくて露骨に言ってます。

 

 

 

 

2021年10月 8日 (金)

労政時報の人事ポータルjin-Jour(ジンジュール)に書評

71cahqvlel_20211008230601 労政時報の人事ポータルjin-Jour(ジンジュール)に、『ジョブ型雇用社会とは何か』の書評が載っています。

https://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=80914

■ 2020年以降、多くのメディアで流行した「ジョブ型」という言葉は、もともと著者がつくったものである。元をたどれば、2009年に著者が執筆した『新しい労働社会――雇用システムの再構築へ』において、日本的な「メンバーシップ型」と対比させるために用いられたものであり、現在多くのメディアで使用されているジョブ型の概念は著者が提示したものと大きく異なる。本書は、世間にはびこる間違いだらけのジョブ型論にメスを入れるとともに、雇用システムの基礎をさまざまな項目からひもといていく。

■ 序章は、メディアに掲載されたジョブ型の関連記事を取り上げ、その矛盾点を指摘する。続く第1章では、ジョブ型とメンバーシップ型の「基礎の基礎」を改めて詳細に解説し、第2章以降において問題領域ごとにメンバーシップ型の矛盾点がどう現れているのかを分析していく。第2章はジョブ型論で見落とされがちな採用・定年・高齢者雇用・解雇、第3章は賃金制度、第4章は労働時間――と続いていく。多くの議論において労働時間問題は残業代の問題に偏りがちであるが、本書ではワーク・ライフ・バランス、メンタルヘルス等の観点を含め説明している。

■ 第5章は「メンバーシップの周縁地帯」と題し、短期的メンバーシップとして位置づけられてきた女性正社員や、メンバーシップ型に馴染なじまない障害者雇用、また、出入国管理政策の観点から扱われた外国人労働者について問題提起する。終章となる第6章では労働組合をテーマに、世界的な歴史を踏まえつつ、日本特有の労働組合の状況を説明している。本書は、日本における労働問題を多角的に分析し、正しいジョブ型の理解へと導くためのバイブルといえるだろう。人事担当者であれば一度は読んでおきたい一冊だ。 

 

 

溝上憲文さんの記事拡大版

Gig 先日紹介した溝上憲文さんの記事の拡大版がYahooニュース個人に載ってます。

https://news.yahoo.co.jp/byline/mizouenorifumi/20211008-00262081(フードデリバリー配達員は「個人事業主」ではなく「労働者」! ヨーロッパで進むギグワーカーの社会的保護)

私の解説の引用部分がより長くたくさんの情報が入っていますね。

・・・EUは第2次協議文書で複数の選択肢を示しているが、労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎研究所長の「EUのプラットフォーム労働の労働条件に関する第2次協議に見える立法構想」(JILPTリサーチアイ2021年6月22日掲載)によると、いくつかの選択肢を提示している。

 

2021年10月 7日 (木)

神津・井手対談

朝日の論座に、連合会長からようやく降りたばかり(対談時にはまだ会長職だった?)の神津さんと、旧民主党から裏切られてばかりの井手英策さんの対談が載っています。

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021100400004.html

こういう台詞は、なかなかの思いで語られているのでしょう。

――確かに、岸田さんが総裁選で掲げた主張は、民主党や民進党が掲げていた施策と親和性があるように見えますね。

井手 岸田さんが自民党政調会長だった頃(2017~20年)、岸田派の人たちが派閥の要望をつくりました。旗印は「オール・フォー・オール」ならぬ「オール・サポート・オール」。おそらくそれが基になっているであろう総裁選の施策をみても、僕の主張とほとんど同じです。

――「オール・フォー・オール」の核心はどこにあるのでしょうか。

井手 成長が前提でない社会では皆がしんどい。なので、皆を受益者にしないといけない。一方、財源については、皆で痛みを分かち合って負担しないといけない。消費税も必要ですし、お金持ちや大企業にも応分の負担をしてもらわないといけない。皆が負担し、皆が受益者になるので、「オール・フォー・オール」。一種の社会連帯ビジョンです。

一方、神津さんは雇用の硬直性にこう問題意識を示します。

神津 企業別組合には、高度成長の記憶から抜け出せない社会全体の発想が影響していると思います。かつては基本的に完全雇用だったし、会社で一生懸命働くといいことがあった。経済もそれにうまくマッチして成長していった。ただ、その結果、雇用の流動性は極めて低くなりました。

 長期安定雇用が中心だった雇用のあり方が変わり始めたのは1995年、日経連が「新時代の日本的経営」を発表してからです。そこで出てきた働き方のひとつが、非正規雇用といわれるテンポラリーな形の雇用です。非正規雇用は、当時は2割だったのが今は4割になり、女性だけをみると6割になりました。

 その結果、雇用の形態が二つに分断されてしまった。そこでは、本当の意味の連帯は生まれてこない。ましてや「連帯」という言葉の背後に、まず義務を果たすことという戦前からの意識が残っているとするなら、なおさらです。

 労働力の流動性を高めるというのは、もともとわれわれの発想にはなかったのですが、どう考えてもこの硬直性が、日本の社会に禍(わざわい)をもたらしている。だからこそ、繰り返しになりますが、北欧型の労働環境が必要なのです。路頭に迷うことがなければ、転職のイニシアチブはもっと強くなるはずです。

先のエントリに書いた岸田新首相との関係について、二人はこう語ります。

――岸田政権がスタートしました。岸田自民党とどう向き合われますか。

神津 距離感でいうと、岸田さんとわれわれとは比較的近いと感じています。連合は単に野党を応援するだけの組織ではありません。それはひとつの手段であり、メインは政府や与野党に政策を要請し実現を図ることです。その意味で、様々な政策を要請していくうえでも距離感というのは大事です。

 一方で、われわれは二大政党的な政治の運営を求めており、時に政権交代があるほうが望ましいと考えています。目前に迫る衆院選は、菅義偉さんが急に首相を辞めたことで、議席予想の絵柄がまったく変わってしまいました。正直言って、状況としては、以前より厳しくなっている感じはします。

――井手さんは岸田政権をどう見ていますか。

井手 先述したように、岸田さんの政策は僕たちと近いです。ただ、依然成長にこだわり「成長と分配の好循環」に言及しているのは、民主党政権の時と代わり映えしません。「新しい日本型資本主義」と言う以上、成長なき時代を念頭においた政策モデルを考える責任があります。10年間増税しないというのは、アメリカやイギリスと比べて無責任な気がしますね。

正直言って、「減税ニッポン」の野党の応援団でいいのか、二人とも頭が痛いところでしょう。

 

 

分配か改革か?

もともと、自民党も旧民主党もその中にネオリベ要素と社民要素を併せ持っていることにあまり変わりはない。その時々にどちらの要素が表に出るかはさまざまだが、本来対蹠的な要素を出すべき野党が、構造改革を掲げた小泉政権時には「それでは足りない、もっと構造改革を!」と叫び、その後の修正を図った第1次安倍・福田・麻生政権時には「それでは足りない、もっと分配を!」と叫ぶという、時代精神に「輪をかける戦略」に走って、国民には選択肢がなくなる結果になった。

その後の民主党政権と第2次安倍政権は実はよく似ていて、両方の要素を打ち出したのだが、ただ民主党政権の場合、改革路線は事業仕分けで自分の支持者を殴りつけて支持を失い、分配路線は子ども手当がバラマキだと批判されて引っ込めるなど、どちらもうまくいかなかったのに対し、第2次安倍政権は竹中平蔵を使って規制にドリルで穴を開けるなどと改革を謳いつつ、経済好循環で賃上げだと言う政策も掲げて、7年間維持したのだから手法は巧みだった。

こうなると、対立軸は安倍氏の掲げるナショナリズム的な右派型アイデンティティ・ポリティクスをめぐる形而上的なものと、もろもろのスキャンダル・ポリティクスをめぐる形而下的なものに集中する。分配か改革かという本来の政策的対立軸が希薄化すること自体が、国民の選択肢を奪う結果となった。

今回の自民党の総裁選挙が興味深いのは、岸田氏が自民党の中の社民要素を代表する形「分配」を唱え、河野氏がネオリベ要素を代表する形で「改革」を唱え、高市氏が右派型アイデンティティ・ポリティクスを代表する形で、わかりやすくなったことだろう。結果的に自民党はより社民要素を打ち出す形になったが、さて旧民主党の野党側はどうするのか。既に出されている政策を見る限り、「それでは足りない、もっと分配を!」という要素と、「そんなんじゃダメだ、抜本改革だ!」というのが入り交じっていて、このまま行くと的を絞りきれない可能性が高い。結局、毎度おなじみのスキャンダル・ポリティクス頼みになりそうだが、それが日本の政治の運命なのかも知れない。

 

2021年10月 6日 (水)

今年の労働関係図書優秀賞は川上淳之『「副業」の研究』

Tosho2021 今年の労働関係図書優秀賞は川上淳之さんの『「副業」の研究』(慶應義塾大学出版会)に決まりました。おめでとうございます。

https://www.jil.go.jp/award/bn/2021/index.html

本書については、今年3月に刊行されたときに本ブログで取り上げておりました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/03/post-b025d4.html

川上さんの副業研究は、2017年の労働関係論文優秀賞を受賞していまして、そのときに確か授賞式で語られたことが頭に残っていたのですが、それが本書でもあとがきに書かれています。

この本の執筆のきっかけになる副業研究のアイディアを思いついたのは、2011年の秋頃、霞ヶ関から上石神井に移動する西武新宿線の車内だった。当時の私は、三つの研究所と二つの非常勤講師を担当する、いわば副業だらけのクィンタプル・ワーカーであった。慌ただしく職場間移動する中で、私は次のようなことを考えた。

「自分は、午前中に進めていた企業の生産性に関する研究の方法を、午後の職場で進めている最低賃金の研究に適用することができている。このような形で研究ができるのは、自分が複数の仕事をしているからかもしれない」

もちろん、午前中の霞ヶ関とは経済産業研究所(RIETI)であり、午後の上石神井とは労働政策研究・研修機構(JILPT)ですね。そこで生産性と最低賃金の研究という見事なカップリングができたわけです。

とはいえ、この発想だけで研究が進められたわけではありません。川上さんのお母さんが、真剣な口調で

「世の中、そういう副業ばかりではないんじゃないの?」

といわれたことが、本書の研究のここかしこに現れています。

世の中には副業に関する本はごまんと出ていますが、この問題に関する本格的な経済学的研究としては初めての本じゃないでしょうか。

このように川上さんの副業研究は、論文段階でも労働関係論文優秀賞を受賞しており、一つのネタで二つの賞を総なめという大変効率性の高さです。

全く余計なお世話な話ですが、昨年の図書優秀賞の酒井正さんの『日本のセーフティーネット格差』も慶應出版会だし、そのまえの神林龍さんの『正規の世界・非正規の世界』も慶應出版会だったし、最近なかなか調子がいいようです。

(追記)

Keidanren_20211006120901 なお、たまたまですが、ちょうど本書の受賞に併せたように、経団連が『副業・兼業の促進』という冊子を公表しています。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2021/090_honbun.pdf

その後半には、以下のような15社の企業事例が載っています。

株式会社IHI
ANAホールディングス株式会社
SMBC日興証券株式会社
カゴメ株式会社
株式会社JTB
株式会社静岡銀行
株式会社新生銀行
ダイハツ工業株式会社
株式会社ディー・エヌ・エー
東京海上日動火災保険株式会社
株式会社みずほフィナンシャルグループ
三菱地所株式会社
ライオン株式会社
ライフネット生命保険株式会社
ヤフー株式会社

 

 

2021年10月 5日 (火)

令和3年度IDE大学セミナー「大卒キャリアと大学教育」

令和3年度IDE大学セミナー「大卒キャリアと大学教育」のお知らせです。

https://www.ihe.tohoku.ac.jp/CPD/events/pd211115/

Ide

 

 

2021年10月 4日 (月)

『ジョブ型雇用社会とは何か』重版決定

71cahqvlel_20211004201901 先月の9月17日に刊行された拙著が、ほぼ半月で重版が決定しました。

https://twitter.com/Iwanami_Shinsho/status/1444968977625542656

話題の新書『ジョブ型雇用社会とは何か』も重版が決まっています。ジョブ型がニュースの見出しを飾る機会がどんどん増えていますが、この本がジョブ型、そして日本の働き方を特徴であるメンバーシップ型についても正しい理解を与えてくれます。

これもすべて、全国の読者の皆様のおかげです。ありがとうございます。

重版決定に合わせたわけではないのでしょうが、お二人がブログで詳しい書評を書かれています。

一人は労働弁護士の水口洋介さんです。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2021/10/post-b70492.html

濱口桂一郎氏ことハマチャンが2009年7月発行の「新しい労働社会-雇用システムの再構築へ」(以下、「前著」と言う。)の続刊です(以下、「新著」と言う。)。新著の狙いは、2020年に経団連が「ジョブ型」を打ち出し、マスコミ(特に日経)がジョブ型への転換を煽るようになったが、その「ジョブ型」の理解は、著者の打ち出したものとは似ても似つかぬ、大間違いなので、その誤りを正すことを目的としているとのことです。

もう一人は以前から拙著を詳しく読んでいただいているマシナリさん。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-832.html

ということで、個人的にはこれまでのhamachan先生の言説の中でもダントツに頭の中が整理されたように感じました。といいながらこれも全く個人的な感覚ではありますが、hamachan先生の言説に触れると「遠大な課題に立ち向かう徒労感とそれに抗う意地」のようなものが私の内部から沸々と湧いてくるのを感じるところでして、本書でもしっかりそれは感じられます。ただし、『新しい労働社会』から本書に至るまでの間に曲がりなりにも働き方改革が進められて労働時間の物理的な上限規制が実現したこともあって、理路を正しく追っていけば進むべき方向へ社会が動いていく可能性があるという安心感も感じました。

ちなみに、丸善丸の内本店(オアゾですね)の週間ベストセラーでは新書部門第3位だそうです。

https://twitter.com/maruzen_maruhon/status/1444581525282955272

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『月刊連合』10月号は渋沢栄一×労働組合

Covernew_20211004130001 『月刊連合』10月号が届きましたが、表紙には、渋沢栄一と鈴木文治が並んでいる古い写真が。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

知ってた? 大河ドラマ『青天を衝け』の主人公
渋沢栄一と労働組合の数奇な関係
 「日本資本主義の父」と言われる実業家・渋沢栄一が注目を集めている。2024年に刷新される新一万円札の顔に採用され、今年の大河ドラマ『青天を衝け』(NHK)の主人公にもなった。また、経営史研究においては、渋沢の公益を追求する「合本主義」や道徳と経済を両立させる「道徳経済合一説」を再評価する動きもあるという。
 さらに前号の特別対談で「渋沢は日本の労使関係の育ての親の一人だ」「渋沢は労働組合を認め、労使関係が大事であると明確に主張した。そのことはもっと知られるべきだ」との発言が…。いったい渋沢栄一と労働組合にはどのような接点があったのか。改めて探ってみた。

渋沢と労働組合の因縁については、今年の『エコノミスト』3月30日号に「いま学ぶ!渋沢資本主義(4) 日本型「企業別労働組合」の源流 」を書いたところですが、連合が本格的に取り上げるに至りましたか。

202110_p23

記事の筆者は友愛労働歴史館の間宮悠紀雄さん。2019年に「協調会結成100年-渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」という企画展をしていたということで、いろんなエピソードを盛り込んでいます。

 

 

「働き方の変化と社会保障-非正規とフリーランスが問い直す」@『改革者』2021年10月号

21hyoushi10gatsu 政策研究フォーラムの『改革者』2021年10月号に「働き方の変化と社会保障-非正規とフリーランスが問い直す」を寄稿しました。

http://www.seiken-forum.jp/publish/top.html

社会保障は雇用社会の安定装置だが、戦後日本の正社員体制では、正社員とその家族が最も保護され非正規労働者や自営業者の保護が手薄い逆転現象がおきた。近年世界的にフリーランスが拡大し、その保護が課題となっている。

 

 

2021年10月 3日 (日)

装丁カフェで表紙を作ってみたら

こないだ3行要約したばかりなのに、また何をやっているんだと言われそうですが、文章を入力するだけで「本の表紙っぽい画像」を作成する「装丁カフェ」なるサービスがあると聞き、さっそく拙著のタイトルを入力してみたところ・・・・

Job

Joshi_20211003223601

Wakamono_20211003223701

Chukonen

ふうむ、なんだか気分が出ているような。

給特法制定時の中基審建議及び覚書(再掲)

労働基準さんがこういう疑問を呟いていますが、

https://twitter.com/labourstandards/status/1443897003637755904

当時の労働省はなぜ給特法を阻止できなかったんでしょうね。元教員が私立学校(幼稚園含む)を設立して、公務員の労働時間管理を持ち込んでいて民間もめちゃめちゃ迷惑しているのだが。

これに対して皆さんいろいろとコメントしていますが。

https://twitter.com/tomofullmoon/status/1443925965629902855

給特法は旧文部省が所管する法律でしたから、縦割り行政で労働省が阻止する立場にありませんでした。

https://twitter.com/labourstandards/status/1443926322611310599

各省協議というのがあるとおもうんですが。

https://twitter.com/tomofullmoon/status/1443928209326678020

う~ん、昭和46年ですよね。当時の労働省は各省協議できるような存在だったのか、あるいは各省協議するような状況になかったのか詳しくは分かりませんが、労働省が出てくる場面ではなかった時代だったような気が…。

https://twitter.com/yamachan_run/status/1443930020779466756

医師の働き方改革に関する議論でで、労働基準部が蚊帳の外状態であることに似ていますね。。

https://twitter.com/labourstandards/status/1443930055311192076

各省協議って基本的に記録が残っていないんで何ともわからないんですけどそのあたり研究してみたいです。

いやまあ、弱小労働省に給特法を阻止するなんてことはできるはずはありませんが、それでも黙って指をくわえてみていたわけではありません。中央労働基準審議会がちゃんと建議を行い、各省協議の結果、両省間で覚書が取り交わされています。

この件についても、本ブログで2年前に取り上げたことがあるので、そのまま再掲しておきますね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-92c5.html(給特法制定時の中基審建議及び覚書)

=====================================

先月、『労基旬報』に「公立学校教師の労働時間規制」を寄稿したのですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/2019225-de99.html

その後、興味を持って給特法が1971年に制定されたときの解説書をぱらぱらと読んでいくと、

https://www.amazon.co.jp/%E6%95%99%E8%82%B2%E8%81%B7%E5%93%A1%E3%81%AE%E7%B5%A6%E4%B8%8E%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8E%AA%E7%BD%AE%E6%B3%95%E8%A7%A3%E8%AA%AC-1971%E5%B9%B4-%E6%95%99%E5%93%A1%E7%B5%A6%E4%B8%8E%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A/dp/B000J9JRF6(文部省初等中等教育局内教員給与研究会編『教育職員の給与特別措置法解説』第一法規

法案を国会に提出する前に、当時の労働省の中央労働基準審議会に報告し、1971年2月13日に同審議会から次のような建議が出されていたんですね。


1 労働基準法が他の法律によって安易にその適用が除外されるようなことは適当でないので、そのような場合においては、労働大臣は、本審議会の意向を聞くよう努められたい。

2 文部大臣が人事院と協議して超過勤務を命じうる場合を定めるときは、命じうる職務の内容及びその限度について関係労働者の意向が反映されるよう適切な措置がとられるよう努められたい。

この建議はあくまでも労働大臣に宛てたもので、文部大臣宛ではないのですが、これを受けてその二日後、次のような覚書が結ばれていたようです。


覚書

昭和46年2月15日

文部省初等中等教育局長

労働省労働基準局長

「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(案)」について

第65国会に提案される「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(案)」に関し、文部省と労働省は下記の通り諒解し、文部省はその趣旨の実現に努めるものとする。

1.文部省は、教育職員の勤務ができるだけ、正規の勤務時間内に行われるよう配慮すること。

2.文部大臣が人事院と協議して時間外勤務を命じうる場合を定めるときは、命じうる職務については、やむを得ないものに限ること。

なお、この場合において、関係教育職員の意向を反映すること等により勤務の実情について十分配慮すること。

60年近く昔の証文ですが、給特法がほぼそのまま生きている以上、これも一応生きているはずでしょうね。

(追記)

なお、社労士講師の大河内満博さんがこう続けてつぶやいていますが、

https://twitter.com/tomofullmoon/status/1444777562798841857

この時点でのツイートは何を考えていたのかと言えば、昭和46年頃の労働省は何か大変な労働問題を別に抱えていたはずで、給特法に関わっていられない状況にあったはずのことを思い出そうとしていたのです。そうそう、今頃思い出しましたが、当時の労働省は、住友セメント事件(東京地判昭和41.12.20)を 契機として次々と男女雇用差別訴訟が提起され、勤労婦人に対する法施策の問題に忙殺されていた時期でした。そして、昭和45年の「勤労青少年福祉法」に続き、ようやく昭和47年に「勤労婦人福祉法」を成立させたのですから、給特法に関わることなどできるはずもなかったのです。 昭和40年代は、経済界から「勤労婦人の過保護論」まで出ていましたので、労働省は経済界との調整に苦労していた時代です。「勤労婦人福祉法」を全面改正して「男女雇用機会均等法」を成立させたときもそうでした。経済界から「女子に参政権など与えるべきではなかった」などとも言われたくらいでした。

いやいや、給特法が関わるのは労働基準法の労働時間の規定であって労働基準局の所管であり、男女差別問題は婦人少年局の所管であり、労働基準局が婦人問題に忙殺されることはあり得ません。

ついでにいうと、男女均等立法化問題が本格化するのは1980年代からであって、1970年代初頭は(一部界隈は別として)世間的にはほとんど関心がなく、勤労婦人福祉法など、ほとんど中身のない空っぽの法律であって、そもそも「労働省は経済界との調整に苦労 」すらしていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月 1日 (金)

「公立学校教師の労働時間規制」再掲

Asa 本日、さいたま地裁が公立学校教師の労働時間について判決を下したようです。

https://www.asahi.com/articles/ASPB15D7NPB1UTIL023.html教員給与に裁判長が異例の苦言「もはや実情に適合しないのでは」

教員の時間外労働に残業代が支払われないのは違法だとして、埼玉県の公立小学校教員の男性(62)が県に未払い賃金を求めた訴訟の判決で、さいたま地裁(石垣陽介裁判長)は1日、男性の請求を棄却した一方で、判決の「まとめ」で、残業代を支払わない代わりに月給4%分を一律で支給する教職員給与特措法(給特法)について、「もはや教育現場の実情に適合していないのではないか」と異例の指摘をした。教員の働き方改革や給与体系の見直しの必要性にも言及した。 

記事には、判決文の一部が引用されていますが、本論で請求を棄却した理屈と、なお書きで給特法を批判したということの関係もよくわからないのですが、

以上のとおり、原告には、労基法37条に基づく時間外労働の割増賃金請求権がなく、また、本件校長の職務命令に国賠法上の違法性が認められないから、その余の点を判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないといわなければならない。 

なお、本件事案の性質に鑑みて、付言するに、本件訴訟で顕(あらわ)れた原告の勤務実態のほか、証拠として提出された各種調査の結果や文献等を見ると、現在のわが国における教育現場の実情としては、多くの教育職員が、学校長の職務命令などから一定の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあり、給料月額4パーセントの割合による教職調整額の支給を定めた給特法は、もはや教育現場の実情に適合していないのではないかとの思いを抱かざるを得ず、原告が本件訴訟を通じて、この問題を社会に提議したことは意義があるものと考える。わが国の将来を担う児童生徒の教育を今一層充実したものとするためにも、現場の教育職員の意見に真摯(しんし)に耳を傾け、働き方改革による教育職員の業務の削減を行い、勤務実態に即した適正給与の支給のために、勤務時間の管理システムの整備や給特法を含めた給与体系の見直しなどを早急に進め、教育現場の勤務環境の改善が図られることを切に望むものである。 

この問題については2年前に自分なりにその経緯をまとめたことがありますので、再掲しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/2019225-de99.html(「公立学校教師の労働時間規制」@『労基旬報』2019年2月25日号)

『労基旬報』2019年2月25日号に「公立学校教師の労働時間規制」を寄稿しました。

いろんな論じ方のあり得るテーマですが、ここではかなり徹底的にガチ法律論として論じています。

 2017年3月の『働き方改革実行計画』に基づいて、2018年6月に働き方改革関連法が成立し、労働基準法上に初めて時間外労働の絶対的上限規制が設けられました。しかし、そこには建設業や自動車運転業務などいくつもの例外があり、とりわけ医師については厚生労働省医政局に「医師の働き方改革に関する検討会」を設置して、非常に長い時間外労働の上限を検討していることが報じられています。

 これに対して、近年やはりその長時間労働が社会問題となってきた学校教師については、働き方改革実行計画でも働き方改革関連法でも全く触れられていません。しかし、2017年7月に文部科学省の中央教育審議会に「学校における働き方改革特別部会」が設けられ、約1年半にわたる審議の末、去る2019年1月25日に「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について」を答申するとともに、文部科学省は「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」を公表し、学校における働き方改革推進本部が設置されました。この答申は膨大なものですが、今回は学校教師の労働時間規制のいささか複雑な仕組みに焦点を当てて解説したいと思います。

 まずもって、多くの教育関係者にも誤解があるようですが、「教師」という職種のみに着目した労働時間の特例は存在しません。制度上特別扱いがあるのは公務員たる教師のみであり、現在は公立学校教員のみです。一貫して民間労働者であった私立学校教員はもとより、2004年から非公務員型独立行政法人になった国立学校の教員も、労働基準法がフルに適用され、従って36協定も時間外・休日労働に対する割増賃金も、さらに2018年改正による時間外労働の上限規制も、全くそのまま適用されます。ところが非常に多くの私立学校では後述の給特法類似の仕組みを実施しているようですが、いうまでもなくそれは違法であり、労働基準監督官による摘発の対象となります。

 公立学校教員の特例も、基本的にはまず地方公務員であることによるものです。ここも誤解している人がいますが、労働基準法は地方公務員にも原則的に適用されます。地方公務員法第58条の定めるその適用の仕方が複雑なのですが、いわゆる現業(地方公営企業)がほぼフル適用であるのに対し、病院や学校を含むいわゆる非現業は、労使協定を要件とする規定、すなわち(1か月単位を除く)変形労働時間制、フレックスタイム制、裁量労働制、2018年改正で導入された高度プロフェッショナル制が適用除外です。これは、労使対等決定原則を定めた第2条を適用除外していることに基づくもので、もっぱら集団的労使関係法制の観点からのものだとされています。確かに、就業規則で実施できる1か月単位の変形制は適用されています。ところが、それでは説明が付かないのが、肝心の第36条が適用除外になっていないことです。純粋の非現業である官公署については制定当時から、第33条第3項で公務のための臨時の必要がある場合には協定なしに時間外・休日労働が可能ですが、病院や学校では(第33条第1項の災害等の場合でない限り)36協定を結ばなければできないはずです。病院は長くここを、労働基準法施行規則第23条の宿日直と称することでやりくりしてきましたが、近年それが監視断続労働の要件に合わないとして批判を浴びたことは周知の通りです。

 そして、公立学校教師にも第32条と第37条は(少なくとも地方公務員法上は)フル適用です。公務として時間外・休日労働を命じておいて時間外・休日割増賃金を払わなければ労働基準法違反です。もっとも、いわゆる非現業の大部分については、労働基準監督機関の権限(第102条)も適用除外となっています。労働基準法違反を摘発するのは、人事委員会又はその委任を受けた委員、人事委員会がない地方公共団体ではその長(知事や市長)で、「自分で自分を監督するという、労働基準監督システムとしてはいかにも奇妙な制度」(拙著『日本の労働法政策』)なのです。

 ところが、ここでさらに複雑なのは、いわゆる非現業の一部についてはこの奇妙な制度ではなく、素直に労働基準監督機関が監督することになっていることです。例えば公立病院の場合は、地方公務員たる医師に関して、労働基準監督官が臨検して、法違反を摘発し、場合によっては送検することが可能です。これまで問題が表面化しなかった医師の長時間労働が、働き方改革の中で検討されるに至った一つの背景には、この監督権限の所在があります。ところが、公立学校の教師の場合、法違反を摘発するのは使用者の身内ないし本人であって、とても機能するとは思えません。

 ここから給特法の立法経緯に入っていきます。一般公務員より若干高い給与を払う代わりに超過勤務手当を支給しないというのは、1948年の公務員給与制度改革以来の発想です。しかし労働基準法第37条はフルに適用されるのですから、1949年の文部事務次官通達「教員の勤務時間について」(昭和24年2月5日発学第46号)は、「勤務の態様が区々で学校外で勤務する場合等は学校の長が監督することは実際上困難であるので原則として超過勤務は命じないこと」と述べていました。しかし、実態としては時間外労働が多く行われていたため、1960年代後半に超過勤務手当の支給を求めるいわゆる「超勤訴訟」が全国一斉に提起され、下級審で時間外手当の支給を認める判決が続出し、1972年の最高裁判決がそれを確認しました。

 この動きに対応すべく1971年5月に立法されたのが、国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(いわゆる「給特法」。後に国立学校が外れる。)です。これにより給与月額の4%の教職調整額が支給されるとともに、労働基準法第37条が(法文上で)適用除外されました。併せて、上記第33条第3項の「公務のための臨時の必要がある場合」に36協定なしに時間外・休日労働可能という規定も官公署並みに適用することとしたのです。そして、「正規の勤務時間をこえて勤務させる場合は、文部大臣が人事院と協議して定める場合に限るものとする。この場合においては、教育職員の健康と福祉を害することとならないよう勤務の実情について充分な配慮がされなければならない」という条文が設けられ、その「場合」は政令でいわゆる超勤4項目とされました。具体的には①生徒の実習、②学校行事、③職員会議、④非常災害、児童生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合等です。

 ところが、公立学校教師の長時間労働は悪化の一途をたどっています。その大部分はクラス担任や部活動担当に伴うもので、超勤4項目に含まれない「自発的勤務」とされ、裁判例(札幌高裁平19.9.27)もそれを容認しています。しかし、実態としてはそれなしには学校運営が成り立たない状況にもかかわらず、引き受けた教師の自発的活動ゆえ公務ではないので公務災害補償の対象にもならないという理不尽なことになってしまいます。

 さらに、一般の働き方改革の一環として、労働安全衛生法上に労働時間の適正把握義務(第66条の8の3)が規定され、これは地方公務員にもフルに適用されます。ただし、官公署と公立学校は例によって身内ないし本人が監督するという仕組みです。とはいえ、働き方改革が国政の重要課題となる中、監督署に臨検される恐れがないから労働時間の把握もしませんというわけにはいきません。遂に文部科学省も教員の働き方改革に踏み出さざるを得なくなったわけです。

 ただ、なまじ給特法で時間外・休日労働が第36条や第37条の違反にならないような仕組みにしてしまったために、それをどうするかが悩ましい問題となります。素直に考えれば、「給特法を見直した上で、36協定の締結や超勤4項目以外の「自発的勤務」も含む労働時間の上限設定、全ての校内勤務に対する時間外勤務手当などの支払」を原則とするところから始めるべきことになりますが、答申はそれを是としません。あくまでも給特法の基本的枠組みを前提として、「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」でもって在校時間等の縮減に取組むというスタンスです。

 この「ガイドライン」は、超勤4項目以外の自発的勤務を行う時間も含めて、在校時間プラス児童生徒の引率等校外勤務時間(在校時間等)の上限の目安を示すもので、1か月45時間、1年360時間、特例で年720時間、その場合1か月100時間未満など、基本的に2018年改正労働基準法に沿っています。ただし、在校時間自体が法的概念ではなく、ガイドラインも法的拘束力はありません。教育委員会はそれぞれガイドラインを参考にして方針を策定し、業務の役割分担や適正化、必要な環境整備に取り組むこととされています。

 では労働時間規制については何もしないのかというと、やや唐突に1年単位の変形労働時間制の導入が打ち出されています。学校には夏休みなど児童生徒の長期休業期間がある一方、学期末・学年末には成績処理や指導要録記入で忙しく、また学校行事や部活動の試合の時期も長時間勤務になりがちなので、年間を通した業務のあり方に着目して検討しようというわけです。その発想自体は「ありうる」とは思われますが、残念ながら現行地方公務員法は1年単位の変形制を適用除外しています。答申は「当時において地方公務員の業務においてあらかじめ繁閑が生じるものが想定されなかったことにより適用されなかった取扱いが、現在も引き続いているもの」と説明していますが、これはウソです。地方公務員法の解説書に、はっきりと「労使協定による・・・規定は適用されない」と書かれています。だからこそ、就業規則で可能な1か月単位の変形制は適用されるのです。より細かく言えば、1998年改正で1か月単位の変形制は労使協定又は就業規則で導入することとされましたが、このとき地方公務員法第58条に第4項を追加し、読み替え規定でわざわざ労使協定の部分を削って就業規則で導入する部分だけ残したのです。そのくせ36協定は堂々と残っているのですから首尾一貫していないのですが、少なくとも地方公務員法制としては労使協定を前提とした制度を地方公務員たる公立学校教師にだけ適用するというのは難しそうです。

 答申は「地方公務員のうち教師については、地方公共団体の条例やそれに基づく規則等に基づき、1年単位の変形労働時間制を適用することができるよう法制度上措置すべきである」と述べていますが、1か月単位変形制と違って1年単位変形制は労働基準法上労使協定のみであって就業規則という途はないので、それを実現するためには労働基準法第32条の4を改正し、労使協定なしに1年単位変形制を導入できる根拠規定を設けなければなりません。地方公務員法や給特法は、労基法の規定を適用除外することはできても、労基法にない規定を勝手に作ることはできないからです。ところが、1か月単位変形制はもともと就業規則で導入可能だったから労使協定との選択制にするのは可能でしたが、もともと労使協定が要件の1年単位変形制を就業規則との選択制にすることは、労使対等決定原則に反する「改悪」ですからほぼ不可能でしょう。いや、公立学校教員だけを労基法上で特別扱いしてくれればいいのだというかも知れませんが、それならなぜほかの特別扱いは労基法上ではなく、地方公務員法や給特法でやっているのかということになります。この政策方向は、文部科学省が考えている以上に本質的な難点を孕んでいるのです。

 

 

鎌田耕一『概説 労働市場法 第2版』

Gaisrodomktho_v2 鎌田耕一『概説 労働市場法 第2版』(三省堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.sanseido-publ.co.jp/publ/roppou/rodo_shakai/gaisrodomktho_v2/

4年前に初版をいただいたときと同じ台詞になりますが、「普通の労働法の教科書ではどうしても継子扱いされがちな労働市場法を、それだけで一冊のテキストブックにした意欲的な本」です。

ただ、テキストブックという性格を強く意識されているためか、もう少し踏み込んでもいいように感じるところが結構あります。特に、新たな職業仲介サービスについては軽くコラムで触れているだけですが、いままさにそれらへの対応が審議されはじめたところでもあり、もう少しどういうビジネスモデルが出てきつつあるのかを詳しく書き込んでもいいように思いました。研究会報告書参照と言えばそうなんですけど、普通そこまで見に行かないので。

これは凄くトリビアに見えるかも知れませんが、派遣と請負の区分の話で、アジャイル型開発が問題になってきたことにも触れてもよかったような。

また、初版のときに本ブログで述べたことですが、求職者支援制度を、第8章の雇用保険法の最後ではなく、第10章の職業能力開発と法の最後に入れているのはやはり抵抗感があります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-9cbe.html

 

 

上司「AIが決めたことだから」@溝上憲文

Img_a2329b4367f350b0b5f4b6211d9710d49981 プレジデントウーマンに溝上憲文さんが「上司「AIが決めたことだから」人事評価と賃金の決定がブラックボックスになる恐怖」というコラムを書いています。

https://president.jp/articles/-/50447

採用・人事の分野でもAIの導入が進んでいる。AIの判断をうのみにしていいのか。人事ジャーナリストの溝上憲文さんは「予測結果に誤差が入り込む可能性があり、対象となる個人に不当な差別など不利益を与えるリスクもある」という――。

AIと労働問題というと、どうしてもフレイとオズボーンが言ったAIで雇用が失われる論ばかりに注目が集まりますが、むしろAIによる採用や人事管理の判断がブラックボックス化してしまうことへの危険性が、労働法や労使関係の観点からも重大なものを孕んでいます。

この溝上さんのコラムは、いろんなところに取材して、何が起こっているかを伝えています。

最後のページでは、私の先日のリサーチアイなども引用しつつ、EUがこの4月に提案したAI規則案を紹介し、こう述べています。

採用の際のスクリーニングや面接試験でのAI予測、昇進や成果など給与に関わる人事評価は、すでに紹介したように日本でも行われている。規制案ではリスクマネジメントシステムの設定やデータガバナンスの確立義務のほか、ユーザーへの透明性と情報提供義務や人間による監視義務なども盛り込まれている。規則案が成立すれば、企業はGDPR同様に大きな打撃を受けることになる。

EUは法規制によってAI予測が招く働く人たちの権利保護と人権侵害から守ろうとしている。それに対して日本は個人情報保護法を含めて法整備がかなり遅れている。AI予測がもたらす不利益を排除するルールを早急に構築すべきだろう。

 

 

『週刊エコノミスト』10月12日号

Econo 『週刊エコノミスト』10月12日号の書評コーナーの「著者に聞く」で、『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書)が取り上げられております。

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20211012/se1/00m/020/054000c

57 著者に聞く 『ジョブ型雇用社会とは何か』濱口 桂一郎

聞き手は、渋沢栄一の記事のときにもお世話になった黒崎亜弓さんです。

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20211012/se1/00m/020/013000c

 昨年来、日本特有の「メンバーシップ型」雇用から「ジョブ型」に転換すべきと盛んに論じられている。2つの言葉の〝生みの親〞である濱口さんが、にわかに沸き起こったジョブ型論のおかしさに業を煮やし、筆をとった。・・・・

 

 

 

 

 

 

 

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