フォト
2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 『ジョブ型雇用社会とは何か』予告 | トップページ | 『生活経済政策』8月号のシンポジウム »

2021年8月 1日 (日)

アンシャンレジームの法の支配は人権の敵か?

ある憲法学者のこのツイートが炎上しているようですが、

https://twitter.com/sansabrisiz/status/1421471058930982914

一番簡単な例え話しようか。法の支配からすれば、契約は守らねばならないはず。
でも、強欲な社長が、劣悪な条件で労働させようとしたらどうする?
契約という法を守れというのか?

https://twitter.com/sansabrisiz/status/1421472367381938183

刑罰謙抑性を主張して労基法の罰則を廃止しろというのか。もう少しこの世の中のありようを考え直してもらいたい。

この方が、自ら実定法学の一つである憲法学者と名乗って呟いている以上、これが炎上するのはあまりにも当然です。

(この法律違反の契約)
第十三条 この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となつた部分は、この法律で定める基準による。

 労働基準法は単なる刑罰法規であるだけではなく、それに違反する労働契約を無効とし、その中身を労働基準法によって置き換えるという民事法規でもあるというのは、少なくとも法学部の労働法の授業の最初に叩き込まれるはずのことであって、それを忘れ果てている憲法学者が炎上するのは当然です。

 なんですが、それだけで済ませるにはややもったいない面もあります。

実定法学は現在効力を有する実定法の範囲内でだけ議論を完結させがちですが、そもそもなんでそんな法律が作られたのか、という歴史的な場面に踏み込めば、労働基準法ができる前には、あるいはむしろその前身の工場法ができる前には、まさに「法の支配からすれば、契約は守らねばならないはず。でも、強欲な社長が、劣悪な条件で労働させようとしたらどうする?契約という法を守れというのか?」という状況が現にあったわけです。

その状況下においてはまさに「アンシャンレジームの法の支配は人権の敵」であり、かかる悪法を修正して、あるべき方に置き換えるべきという議論は、運動論として存在しうるし、まさに存在したし、それによって現に工場法や労働基準法が生み出されてきたことも確かです。

そういう次元の違う話が、実定法学者の解釈論であるかのごとき誤解を招く仕方で呟かれたというのが、この炎上の原因なんでしょうね。

ついでにいうと、こういう話のネタとしては、労働基準法よりも労働組合法の方がより適切です。世界中どこでも、産業革命の開始時期には団結禁止法ないしそれに類する弾圧立法により、そもそも労働者が集まって権利を主張すること自体が犯罪扱いされていたわけで、それに従ったりすることなく、それに逆らってその当時の実定法に違反して運動を繰り広げたから、多くの先進国に今あるような労働組合立法が存在するようになったわけです。

とはいえ、このツイートは立派に炎上するだけの値打ちのあるものであることは確かですが。

 

 

 

 

 

« 『ジョブ型雇用社会とは何か』予告 | トップページ | 『生活経済政策』8月号のシンポジウム »

コメント

炎上ってほどでもないような。

法実証主義と自然権論の対立の話でしょ。
記事中のツイは某議員のロリコン事案についての話題だが、政党に対して適正手続きを守れというのは変。
「そんなことを言ったら選挙に負けるから」クビというのは、これも立派な理由でしょ。

例えば「被差別部落民であることが選挙で不利だから、当該議員を資格停止にする」というのだったら、これは政党が悪いが、今回のは自業自得。

繰り返すが、選挙に勝つのが最大手段である政党という組織において、適正手続など不要。


また、この憲法学者を批判しているのが反厳罰化の弁護士たちというのも既視感ありあり。

刑法謙抑制という、多数ある価値のうちの一つのみを金科玉条にしたけっか、極悪人の味方ばかりしてるじゃないですか。
性犯罪厳罰化で、日弁連以外の全団体が賛成している。

もはや、「権力による刑罰は人権侵害(キリッ」という時代じゃない。
刑罰には、謙抑的であるべきなものも、積極的であるべきなものも両方存在する。

比例原則や抑止を無視した謙抑性論は、ただの悪人優遇だろ。

刑罰にはまず応報・一般予防・特別予防という根拠があって、謙抑性は被害の大きさ・悪質性・危険性に対して刑罰が重すぎないようにする、あるいは些細な罪には刑罰を用いない、という趣旨。

つまり、謙抑性は刑罰の第一の原理ではない。
謙抑制のみを振りかざす人は悪人の味方をしているだけである。

些末な法律論はさておき、その本務において専ら「教員養成」を担っておられる笹沼弘志先生が素晴らしい人格者であることは以下のツイートからも間違いのないことが明らかです

> 虐め、人種差別、ジェノサイドでお笑い、女性差別、先住民差別、野宿者排除、震災・原発事故罹災者無視、コロナ医療資源差別・庶民放置、介助者排除・障害者差別…
> オリパラ中止した方が簡単では。
https://twitter.com/sansabrisiz/status/1418447703244034048
https://twitter.com/sansabrisiz/status/1418042660892274688

まず、何よりも、(実質的に強制)動員させられている「障害者、及び、女性アスリート」の人権を守るために中止すべきです
池江選手なんて、大事なそのお体に極めて大きなご負担も掛かっており、本当に気の毒ですね

社会情勢に合わせて法律や条文は作られるし改正されるし廃止される。
憲法も(あまり知らないけど少なくとも米国は)改正(修正?)してる。
日本ではかたくなに金科玉条してますよね。変える議論することすら忌避してる。
変えないのなら憲法学者の人はいったいどこを見て、何をしてるんでしょうか。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 『ジョブ型雇用社会とは何か』予告 | トップページ | 『生活経済政策』8月号のシンポジウム »