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2021年8月29日 (日)

松尾研のAI君に要約してもらいました

走れメロスから始まってなんでも3行以内に要約してくれると大評判の松尾研のAIであるelyzaくん。さっそく、三校まで終了し、あとは来月の刊行を待つだけの『ジョブ型雇用社会とは何か』の現在ただいまほぼ誰も読んでない原稿をぶち込んでみました。どうなってるかな、ドキドキ・・・。

Iwanamicover

https://www.digest.elyza.ai/

Elyza

いや、たしかにそうなんだけど・・・。それを強調しているのは確かなんだけど・・・。

(続き)

面白いので、以前の本も要約してもらうと、

Joshi
うーむ、確かにそういうことを書いているけれどもそう切り取りますか、という。

Wakamono

Atarashii

 

 

 

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コメント

久しぶりにお邪魔して読んだこの記事の最初の要約、笑ってしまいますね。どれほど説明しても、常に常に超強力形状記憶合金で「ジョブ型とは成果主義だ」に多くの人の認識が戻ってしまうのは、結局、労働の在り方だけ議論しても、そもそも労働の在り方を含めて社会構成員の生活全般を規定している社会の在り方の彼我の相違について、つまり、大前提について、ほとんどの日本人には全く認識がないままなのが問題なのではないでしょうか。小人は、労働や社会問題の専門家ではなく、ヨーロッパをちょっとだけ見たことのある人間に過ぎず、その大雑把な印象・感想に過ぎませんが、考えるところを書いてみます。

そもそも欧米では、社会が個人を単位に構成されているのに対し、日本では、社会が「家」ないしその相似形というか擬制の集団を単位に構成されている。国家がそのそれぞれの単位を支えている構造は同じ。なお、個人を単位にする欧米、と一括りにしても、欧と米では社会の在り方がまた違って、欧では単位となる個人が連帯して社会全体の水準を維持しようとするのに対し、米では個人の自由な選択、言葉を変えれば自由競争が社会の原則になっている。
労働者は日本社会では、まず、職場集団のメンバーになるのが大前提である。職場集団は会社であれ、官公庁であれ、家の擬制集団であって(奉公すべき「お家」)、家族の身分的序列である長幼にあたるのは職階であり、「管理職」と「平」という職階は役割分担というより、身分に近い。この日本の職場集団では、まず全員がその集団のメンバーであって、「メンバーシップ型」と言われるのは固定的業務のみに貼り付けられずに働くことを期待される成員、「ジョブ型」と言われるのは固定的業務によって働くことを条件とする成員となる。「メンバーシップ型」「ジョブ型」のどちらの成員も、「メンバー」であり、職場集団(=「お家」)への貢献度(=「ご奉公の度合い」)によって評価されるという点では変わりがない。
欧米の労働者は、特定の職場集団への所属を前提とせず、労働者個人の業務(ジョブ)能力によって就労し、その職場で割り当てられた業務(ジョブ)を通常誰にも期待される水準で遂行していればよい。日本の「ジョブ型労働者」は、すでに記したことの繰り返しになるが、その固有の技能の「ジョブ」によって所属する(=メンバーとなっている)職場集団に寄与(=奉公)することが期待され、どれほど寄与しているかで評価される。技能が狭く特定されている分だけ、メンバーシップ型よりも厳しく評価されるかも、というのが「成果主義」になってしまうのでは。
労働者は労働によって報酬を得て生活するが、個々の労働者とその家族の生活を保障する在り方も日米欧で異なる。生活保障を行うのは、日本ではまず所属する「イエ」、ヨーロッパでは「社会連帯」、アメリカでは労働者個人、である。教育、医療、介護など、さまざまな生活場面でこの差が見られる。例えば次世代を再生産するための教育を例にとれば、日本では子どもの教育を含む家族の再生産のためには職場集団から家族手当が出る、ヨーロッパでは将来社会の単位となる個人の教育は保育から大学まで公的に保障する方向である、アメリカではヨーロッパと異なって高評価の学校では高額の費用を要してそうしたところに進学できるかは個々の子女の親の財力による。
こうした社会構造の違いの中で、日本の場合、安定した集団に所属し、その集団の序列・規律を乱さない程度に暮らしていればかなり楽しく暮らせる。日本の男女平等達成度の低さは国力から考えると驚異的であり、労働面でも、非正規雇用の多さ・男女賃金格差・管理職登用の少なさなど多くの問題がある。しかしながら、日本の女性の幸福度は決して低くないどころか、むしろ高い。この高さは、多くの女性がなんらかの形で集団に属した安定した生活を送っていることによると思われる。逆に日本で最も幸福度の低いグループは非正規雇用・独身の男性である(という記事を「世界価値観調査」か何かに関連して読んだ)記憶があります)。
労働者のめざす生活のイメージもそれぞれの社会で異なる。ヨーロッパでは、国民の幸福度が高い北欧は幸福な生活を「ヘゼリッヒ」(オランダ)「ヒュッゲ」(デンマーク)と表現するが、これはまじめに働く労働者がそこそこ豊かな暮らしを享受している状態と思われる。ILOの標語であったdecent workも、まじめに働いて普通に暮らせるというイメージがある。日本の幸福は、まずは「人並み」(所属集団の中の通常の在り方)になり、できれば「身を立て名をあげ」(所属集団の中で上位の序列に進む)ることにある。アメリカでは個人の経済的成功が社会的評価の最大の基準ではないだろうか。

私自身は、社会的連帯に支えられた個人がそれぞれに落ち着いたヒュッゲな生活(目標は個人の安楽で、立身出世とか経済的成功ではない)を送るというヨーロッパの在り方にとても魅力を感じます。そこでの働き方が「ジョブ型」だと思います。ただ、このヨーロッパも、世界的な格差の拡大や、紛争・災害での人口移動などの圧力で、そうした安定を維持できるのかと気になってはいますが。

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