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2021年8月28日 (土)

山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談(13年ぶりの再掲)+α

何やらまたぞろ竹中平蔵氏をめぐってあれやこれやかまびすしいようですが、少なくとも過去20年以上にわたる新自由主義的な「改革」の原動力をすべて竹中氏ら新自由主義者のみに帰する発想が当を得ていないことだけは間違いないと思います。

そういう話は何回も本ブログで取り上げてきましたが、その中でも旧自公政権の末期の13年前に『中央公論』に載った対談を取り上げたこのエントリは、本人たちみずからが明確に述べていることもあり、大変参考になるはずです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c012.html(山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談)

今日発売の『中央公論』で、山口二郎氏と竹中平蔵氏が「新自由主義か社会民主主義か」というタイトルで対談しています。

もし、ここ10年あまりの対立軸が、本当にそういう軸であったなら、なんとよかったことでしょうか。

そうでなかったことを今になって嘆いてみせる山口二郎氏が、そうではなかった最大の原因がなんであったかを、自らこう語っています。

>山口 90年代には竹中さんと同じ課題に仲間として取り組んだという意識が私にはある。すなわち、官僚支配と自民党の族議員政治こそが日本をおかしくしている悪の元凶であると。そこに竹中さんは経済学の立場から、私は政治学の立場から批判の矢を放ち、一定の世論形成に成功した。

竹中 そうですね。

そこまで分かっているのであれば、「医療費の削減だとか、国民生活に直接影響する施策がたくさん内包されていたのにそれらがまともに吟味されることなく通ってしまった」というような小泉政権下の事態をもたらした責任の一端は、そういう「政治学の立場からの批判の矢」にもあったのではないかとという自省があってもいいように思われます。

五十嵐さん、和田先生の本のエントリーでも述べたことですが、もしカイカクがもっぱら竹中氏らの(新古典派)「経済学の立場から」の議論だけであったとしたなら、ああいう国民全体を巻き込むような熱狂的な「カイカク正義」万歳の大渦にはならなかったでしょう。

まさに山口二郎氏のような「政治学の立場からの批判の矢」が、朝日新聞をはじめとするリベラルなマスコミをも巻き込んで多くの国民を、とにかく極悪非道の官僚を叩いて政治主導のカイカクをやっているんだから正しいに違いないという気分にもっていったのではないかと私は思うわけです。

ちなみに、この対談にはこういう注目すべき発言もあります。

>竹中 法律の問題もあるのですが、労働監督が現場で機能していないというのも大きいんですよね。ここがしっかりしていれば、サービス残業なんて許されないはずなのに。

山口 監督署が人手不足に陥っているという実態もあります。レフェリーが絶対的に足りない。

竹中 おっしゃるとおり。他方、地方農政局なんかには何もやらないでぶらぶらしているような人がごまんといるんです。例えばそこを削って仕事のあるところに回す。それが我々の言う改革ですよ。改革が不十分だからこんな状態になっている。山口先生がご指摘のファクトはすごく正しい。一緒に「改革を推進せよ」よいっていただけませんか(笑)。

あのう、笑ってる場合ではないんですけど。竹中大臣が在任しておられた5年間、経済財政諮問会議で、そういうご発言をいただいたという記憶は残念ながらないのですが、本当にそうお考えであったのであれば、是非小泉首相をはじめとする皆様の前でご発言いただきたかったところです。

とりわけ、労働基準法なんかいらない、労働基準監督署なんかいらない、労働行政なんかいらないと、政府の中枢ではっきり断言されたあの奥谷礼子氏の面前で、はっきりと「馬鹿なことを言うではない」と叱りつけていただきたかったところですね。 

22844_20210828083701 この構造がずっと尾を引いていて、たとえば今年出た宮本太郎さんの本でも基調低音として響いているわけです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-31054e.html(宮本太郎『貧困・介護・育児の政治』)

・・・・この三つの力のうち、とりわけ日本の福祉政治を考えるうえで重要なのは、磁力としての新自由主義でしょう。日本の新自由主義というのは決して竹中平蔵みたいな典型的イデオローグによって引っ張られてきているわけではなく、とにかく増税を憎み、減税をほめたたえる左翼方面にも極めて根強い(例の社会党の北朝鮮無税化礼賛を想起せよ)思想が根っこにあるので、例外状況で社会民主主義的な政策が実現しても、すぐにそれを掘り崩す方向に力が働いていくのでしょうね。 

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_46a5.html(山口二郎氏の反省)

・・・今頃あんたが後悔しても遅いわ、なんて突っ込みは入れません。この文章自体がまさにそれを懺悔しているわけで、人間というものは、どんなに優秀な人間であっても、時代の知的ファッションに乗ってしまうというポピュリズムから自由ではいられない存在なのですから。
まあ、でも90年代のそういう風潮に乗せられて、いまだに生産の場に根ざした連帯を敵視し、それこそが進歩だと信じ込んで、地獄への道をグッドウィルで敷き詰めようとする人々が絶えないんですからね。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-9826.html(山口二郎氏の反省その2 参加や直接政は必ずしも民主主義を増進させないのか!?)

・・・立派な政治学者が今頃になってそんなことを言い出さないでよ!!といいたくなりますね。
実は、山口二郎氏と私は同年齢。同じ年に同じ大学に入り、同じような環境にいたはずですが、私がその時に当時の政治学の先生方から学んだのは、まさに歴史が教える大衆民主主義の恐ろしさであり、マスコミが悪くいう自民党のプロ政治のそれなりの合理性でした。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-2dac.html(宮本太郎・山口二郎編『リアル・デモクラシー』または憂しと見し世ぞ今は恋しき)

でも、何で今こういう本を出すのかを率直に述べているのは、山口二郎さんの「終わりに」です。
その冒頭に出てくるのが、上の百人一首の歌なんですね。

長らへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき

どういうことか?

・・・打破すべき悪しき仕組みや悪者たちを除去した結果、政治は均衡を失い、首相は強権をほしいままにし、人々の生活も不安定になった。そうした変化は、かつて政治過程の重要な登場人物であった組織、団体が弱体化したことに起因している。・・・

いやまさにその「悪者たち」を除去すべしと論陣を張って先頭に立っていたのが山口二郎さんたちであったわけですが、まさにだからこそ「憂しと見し世ぞ今は恋しき」なんですね。

・・・政治改革の中で、自立した個人を単位とする政治参加のモデルと考えられてきた。日本人が、それぞれのしがらみを断ち切って、自分で考え行動するようになれば、自民党による一党支配は崩れるだろうという期待が存在した。集団主義は封建的、あるいは伝統的な保守支配の地盤であり、個人主義が民主主義をもたらすという図式が暗黙のうちに共有されていた。・・・
・・・既存の集団を既得権にしがみつき守旧派と攻撃し、組織されざる大衆に改革をアピールするという手法は、小泉純一郎以来、扇動の能力を持つ政治家に愛用された。これも、政治における個人主義浸透の結果であり、ある意味で90年代以来の民主化の帰結ということもできるだろう。・・・・・・・

そう、だからこそ「憂しと見し世ぞ今は恋しき」なんですね。 

 

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コメント

自由主義と個人主義はほぼ同じものですが、それと民主主義はそもそも対立関係にあるはずなんですが

> 「自由、立憲」と「民主」の間で適当なバランスを取るという意味ではなく、両方を実現するという意味だったら、かなり頭悪い
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-e7dad0.html#comment-120337601

>まさに山口二郎氏のような「政治学の立場からの批判の矢」が、朝日新聞をはじめとするリベラルなマスコミをも巻き込んで多くの国民を、とにかく極悪非道の官僚を叩いて政治主導のカイカクをやっているんだから正しいに違いないという気分にもっていったのではないかと私は思うわけです。

これは完全に山口・竹中・朝日路線が正しい。
というのも、近代自由主義(リベラリズム)は個人の資質・能力・行為に関係のない属性による差別を否定し、特定集団の既得権という差別を認めていない。また、民主主義は権力の源泉を国民一般にのみ求めており、「特定の国民」による特権を認めていない。法治主義は、憲法・法律に根拠を持たない官僚による統治を認めていない。

ゆえに、自由・民主・法治という近代リベラリズムを尊ぶ者は、誰であれ、1.特定集団の特権(既得権)を否定し、2.民意によらない特定集団の権限を否定し、3.法に基づかない官僚による統治を否定しなければならない。

濱口氏は記事の内容から推察するに、社民主義者かつ官僚主導擁護者かつ既得権団体擁護派ということらしいが、これこそまさに社民主義者や官僚や既得権者が小泉首相や橋下知事に惨敗した理由よな。

当時のことは良く覚えているが、ネットでもリアルでも、「平等とか格差反対とか言っているが、てめーらが既得権を護持して非既得権者を差別してんじゃねーか!」という非難が圧倒的に多かったよ。

「平等だの格差是正だのきれいごと言って、てめーらこそが既得権を持って美味しい思いをしている搾取の加害者じゃねーか」という辛辣な非難を社民主義者に突き付けた代表的論者が「希望は戦争」の赤木氏で、筆者含め社民主義者や官僚主義者は、これに有効な反論をできなかった。

「既得権持って良い思いをしている『貴族』に奪われるよりは、自分の実力や努力で正当に、能力主義で、公平な市場で稼いでいる『資本家』を認め、資本主義の格差を是認したほうがなんぼかマシだ」という主張に、反論できますか?(マルクスは、貴族が支配するよりも、資本家が支配するほうが進歩であると主張している)

「平等を唱える既得権者」という究極の社会矛盾に対して異議申し立てをした赤木氏に対する筆者の返答は、冷酷なものであった。
「既得権を奪うとお前ら負け組はもっと不幸になるぞ!それでもいいのか!」という、脅し文句、上品に書いていたことは、決して忘れません。

もともと、自由主義はそんなものであって、悪くなった訳でも、良くなった訳でもない

一方、民主主義はおかしくなる余地がふんだんにあって、おかしくなると、民主主義同士による対立が激化したり、さらに、一部の民主主義が敵方の一部の民主主義を(新)自由主義と言って非難するとか、(レアケースだとは思うのですが、逆に、民主主義的な施策を自由主義的なものとして喧伝して)訳が分からなくなるといった症状を呈するようです

まあ、おかしくなる余地があるということは、良くなる余地もあるということでしょう

自己矛盾に気づいたまではいいものの、もう一度、論理を立て直そうとするまでには至らず、とりあえず、その場、その場で、何だか、気に入らないものに適当な難癖を付ければOKと開き直った状態みたいですね。この状態だと放っとくしかないような

サンデルさんとかは、結果の平等と機会の平等を区別することは困難と今頃になって気付いて(あるいは、今頃になって気づいた体で)、論理を立て直そうと藻掻き始めた感じ(あるいは、体)でしょうか

社民主義って思想的に脆弱なんですよ。
「既得権の格差を認める社民主義」なんてのは、彼らの根本目的に格差是正・包摂・平等に反しまくってるわけで、投げる前からブーメランが刺さっている状態。

論理的に一本筋が通っているのは、マッチョなゴリゴリの自由市場主義か、きれいな社民主義くらいしかない。
汚い社民主義の「古い自民党・古い左派」が嫌われるのは当たり前だ。

これはピケティにも言えて、自ら高学歴・高収入・高社会的地位であるのに、自分よりそれらが低い立場の中流階級を強者認定してヘイトしてしまっている。
これが社民主義の矛盾なのだ。

>自己矛盾に気づいたまではいいものの、もう一度、論理を立て直そうとするまでには至らず、とりあえず、その場、その場で、何だか、気に入らないものに適当な難癖を付ければOKと開き直った状態みたいですね。この状態だと放っとくしかないような


↑「結果の平等」なる非現実的なイシューを掲げるソーシャル主義者やピケティのことですね分かります


>サンデルさんとかは、結果の平等と機会の平等を区別することは困難と今頃になって気付いて(あるいは、今頃になって気づいた体で)、論理を立て直そうと藻掻き始めた感じ(あるいは、体)でしょうか


↑あなたは知らんでしょうけどサンデルはガチ保守の共同体原理主義者なんで、「「機会の平等」なんぞいらねえ、生まれた身分で分相応に生きろ」が本音でも普通に論理的に通ってしまう、というかサンデルの自己決定権アンチや機会平等アンチの主張では身分制と神を復活させなければ論理破綻してしまう。
日本のソーシャル主義者が「サンデル先生が結果平等を推進し、機会平等を批判しているぞ!リベラルは結果平等(格差是正)や全体主義を受け入れろ!」と発狂しているが、それ保守共同体封建主義の理論だって理解してます??

>自己矛盾に気づいたまではいいものの、もう一度、論理を立て直そうとするまでには至らず、


↑それは結果の平等とか全体主義(反個人主義)とかいう破綻した価値観にしがみついている濱口やお前のことだろ!

濱口氏たちは、一方で「格差を是正しろ」と主張し、他方では「この既得権格差は社会を安定させているから受け入れよ」という。これでは既得権団体や官僚らが「良いとこ取り」しているし、そういう偽善者に説教される人らも怒るでしょ。

小泉・橋下・竹中・山口の改革論はもっと単純明快で、「機会平等で能力に応じて稼ぐ。何が悪い?」ということ。

ハッキリ言って濱口氏はこれに何の有効な反論もできず、出てきたのは社民主義擁護というよりも、「貴族制度が社会の安定に役立っているから身分制度を守ろう!」というバークの身分制擁護論みたいな極右思想だった。


今でも「日共のトップがバイオリン弾いて豪邸に住んでいる」という所謂ブーメラン批判があるが、社民主義にしろ社会主義にしろ、格差否定なんてのは主張者が徹底的に身ぎれいにしていないと説得力が無い理論なんだよ

逆に「欲望は発展や進歩の原動力」と認めている自由市場主義は、その主張者の力や富がそのまま理論の正当化になる。

そりゃ社民主義は市場主義に勝てないよな

普通に考えれば、「結果の平等を主張するなら、まずピケティやサンデルらその主唱者の収入や資産を中央値レベルまで引き下げよ」という話が出てきそうだが、そういうブーメラン批判を免れている時点で彼らエリートインテリ右翼の特権性が証明されている。

なんにせよ、少し前には中国共産党を熱狂的に擁護する文章を本ブログのコメント欄に量産していた「中国」氏が、ここにきて新自由主義の使徒になって、挙げ句の果てに山口二郎氏までをネオリベとして褒め称えるというのは、一見論理矛盾の極みに見えて、実はちゃんと筋が通っているというあたりが、大変面白いところですな。

「何が好きで、何が嫌いか」という点では、ぶれていないんでしょうね
その理由付けを場当たり的に適当、嚙ましているというだけで

いや、戦後日本の左派からネオリベへという凡庸なインテリの言論の軌跡をシームレスになぞっているのは感心する。それは反権力、反権威、反体制という点では一貫している。

正直、戦後の通俗的な教養書を学習させたAIを使った研究者の実験に付き合わされているのではないかという疑念もぬぐえない。コミュニケーションがまともに成立せず、変化球に対応できないのはAIぽい。

>山口二郎氏までをネオリベとして褒め称えるというのは、

そういう趣旨ではないんですな
私はメルケル・マクロン・ブレア・シュレーダーあたりを支持する伝統的自由主義~超穏健社民主義くらいの立場なのです(アメリカ保守的な完全自己責任体制には反対)。

昨今の保守や社民主義者が自由主義ニクシーのあまり個人主義や機会平等や市場経済や能力主義といった近代市民革命の成果を破壊しようとするルサンチマンやニヒリズムに危険を感じてしまっているだけです。


山口次郎氏の既得権破壊・官僚主導改革論、近代リベラリズムの立場から見れば圧倒的に正論じゃん。竹中氏や赤木氏が、(皮肉にも、まったく正反対の階層から)既得権社民主義の矛盾を批判したときに、アンチ構造改革・アンチ規制緩和の論者たちは有効な反論をできなかった。

平等を求める者が、「お前らは「平等」じゃないだろ」と批判されたときに、「社会の安定のために既得権格差を認めるのだ」と言い出したのは笑っちゃいました。

そうですね、その意味では、丸山眞男を掲げつつ、反米ならばタリバンを激賞するヨニウム氏とよく似た心性の持ち主なのかもしれませんね。戦後日本左翼によくあるタイプですが。

>反米ならばタリバンを激賞するヨニウム氏とよく似た心性の持ち主なのかもしれませんね。戦後日本左翼によくあるタイプですが。

私は左翼ではなく自由主義経済右派なんですが。。
タリバンに近いのは、リベラルからの既得権・汚職打破や改革といった異議申し立てを却下し、開き直って「既得権差別や不条理こそ社会の安定に必要だ」と個人主義・自由主義・合理主義を否定した社民主義者ではないですか?

私のタリバン・中国・ロシア擁護は、「外国勢力が自分の正義感を他国の内政に押し付けるのは良くない」という国際法のレベルであって、激賞というものではない。

「不条理な既得権は社会の安定に必要だ」と言い出したら、タリバンや中国やロシアも批判できないはずなんですけどね。。

「既得権差別を擁護する社民主義者」という異形の左翼が勃興していて、これら(ピケティ・トッド・濱口らの)界隈では「機会の平等」がタブーになっている。

「中国」さんと同じく労働者党もピケティやMMTを批判してるね

●荒唐無稽な「コロナ債務帳消し」論――赤字財政解消策の戯言(「海つばめ」ダイジェスト第828号)
  https://www.facebook.com/SappDasKapital/posts/1624623201062142

>…欧州(EU)では、昨年11月にはイタリアのカロッサ政務次官から、新型コロナパンデミック下で発行さ
>れたソブリン債の帳消し、満期の無期限化延長(いわゆる借金の棒引き)を望むという声が上がり、今
>年2月には貧富の「格差論」で知られ、斉藤幸平が社会主義に転向したと賛美するピケティら独、仏、
>伊、スペインなど経済学者、政府関係者100人超によって、「コロナ債務帳消し」の意見書が出されている。

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> しかし、ピケティらの言うように中央銀行の保有する政府の債務を帳消ししても問題ないと言えるか。

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> 今流行りのMMT論者によれば、日銀が紙幣印刷機を回して紙幣を増発すれば問題は生じないと>いう意見もある。だが、思いのまま紙幣を増加させても大丈夫など言うのは戯言である。

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> 政府の借金を棒引きするという姑息な手段で、行き詰まる国家財政を解決しようなど言うのは幻想でしかない。 

>労働者党もピケティやMMTを批判してるね

やはり、ピケティはあちらの界隈でしたか。。
低負担高福祉という人たちを私は全否定しますので、ピケティも絶対的悪に認定しました。
オールド社会主義への批判、社民主義のトレードオフ性に耐えられない左翼が(右翼も一緒に)どんどんMMTカルトに回収されてますね。

あの界隈はどう贔屓目にみても高橋時計大先生とどっこいどっこいで、池田信夫先生よりはるかに低劣なんですが、この2者をポピュリストやルサンチマン扱いしてボロクソ叩いてきた濱口氏が急進左派やMMT界隈を優遇しているのは、クローニー資本主義感がありますね。

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