自業自得りふれはの国際的炎上(再掲)
開会式を前日に控えて、ついにユダヤ人虐殺ネタでサイモン・ヴィーゼンタールまで招き入れる展開になってしまっているようです。
こういうのを見るにつけ、倫理的という言葉をリスクマネジメントとしてとらえる感覚がいかに希薄なのかを改めて痛感します。
いや、あんたが倫理的であるかどうかなんてどうでもいい、知ったこっちゃない。
倫理の時間に学ぶべきことはそんな倫理学者がのたまうような話じゃない。
そんなことを口走れば、そんなことを口走るようなやつを使えば、どういうおそるべき事態がそのあとにやってくるかということについての、最低限のセンスを身につけること、これに尽きる。
ここはいまから倫理です。
はい、復習。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post.html(自業自得りふれはの国際的炎上)
昨日のエントリで取り上げた日銀審議委員の原田泰氏の発言が、ついにサイモン・ウィーゼンタール・センターの目にとまり、謝罪声明を出すに至ったようです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-5ae3.html (「りふれは」の自業自得的オトモダチ効果)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-85661668-bloom_st-bus_all (ヒトラーの経済政策「正しい」発言に国際的な非難-日銀が謝罪声明)
・・・原田委員は自身の発言について、日銀広報を通じ、「一部に誤解を招くような表現があったことについては、心よりおわび申し上げたい」とコメントした。日銀も「審議委員の発言に誤解を招くような表現があったことについては遺憾に思っており、こうしたことがないよう、今後とも注意してまいりたい」との声明を発表した。
まあ、話の中身については昨日のエントリに付け加えるべき事はそれほどあるわけではありません。
ナチスに先立つワイマール時代の政権、とりわけ労働者の利益を代表するはずの社会民主党が、時代の必要性からも彼らの立場からも当然取るべきであったケインジアン的経済政策を拒否し、それまでの「オーソドックス」な経済政策に固執したことが、致命的な失政であったことを嘆き悲しむのであれば、それは(池田信夫のような人々からは批難されるかも知れませんが)多くの進歩的な人々から共感を呼ぶ発言であったでしょう。
それが、本ブログで繰り返し紹介してきたシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』で力説されていることでもあります。
しかし、原田氏がやらかしたのは、権力を掌握したナチスが諸々の極悪非道、悪逆無道とともに遂行したある種の軍事ケインズ主義を賞賛(しているかのように受け取られる恐れのある発言をあえて)するという事態であったわけです。そしてその国際的帰結が上記国際ユダヤ組織による抗議と、日銀という組織自体による謝罪であったわけですね。
私自身がリフレ派やその中の「りふれは」に妙な言いがかりをつけられたりした経験から思うに、この事態には、リフレ派諸氏に共通するある種の心の構えの歪みが露呈していると思われます。
それは、物事をただただひたすらマクロ経済政策という特定の視角からのみ見ることが絶対的正義であり、それ以外の観点を混入させることは天地ともに許されざる悪行であるかのごときものの言い方をする傾向が、程度の差はあれ、なにがしか観察されるということでした。
物事をただひたすらマクロ経済政策の観点からのみ見るならば、今回の原田発言とシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』はほぼ同値と評することができるでしょう。実際、昨日のエントリで私自身、
ここで言われていることの歴史学的ないし社会科学的意味自体で言えば、その言説は殆ど正しい。というか、それは本ブログで繰り返し紹介してきたシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』の認識と殆ど変わらない。
と述べたとおりです。この点に関する限り、原田氏はシュトゥルムタールと同じ側におり、居丈高に彼を批難する池田信夫氏の反対側にいる。
しかし、もちろん(リフレ派諸氏の認識とは異なり)世の中で大事なのはマクロ経済政策『だけ』ではないわけです。
本ブログの過去ログを見ると、マクロ経済政策以外のこと、例えば社会政策的な観点を少しでも論じようとすることに対して信じられないくらい居丈高に批難しまくるりふれはの異常な姿がこれでもかこれでもかと浮かび上がってきます。とりわけある種の「りふれは」は、ただひたすら金融緩和政策のみをあがめ奉ればよいので、それ以外のことに少しでも言及すると異教徒に対するような猛爆撃が降り注いできたものですが、そういう物事に対する心の構え方が、今回の事態の背景にあったのではないかと、これはりふれはの誹謗中傷に晒されたことのある身としては心から思います。
物事をただただひたすらマクロ経済政策という特定の視角からのみ見ることが絶対的正義であり、それ以外の観点を混入させることは天地ともに許されざる悪行であるならば、たしかに社会民主党の失政を嘆くこととナチスの善政を褒めちぎることとは同値であり、
原田発言のどこが問題なのか全くわからない。因縁つけてるやつはみんなバカか悪意があるかどっちか。
ということになるのでしょう。
残念ながら、世の中ではそれ以外のことも、とりわけナチスに関してはそれ以外のことの方が遥かに重要なのです。
そういう常識を、自らの自発的マクロ経済への視野狭窄によって見えなくしてしまったことの一つの帰結が今回の事件であったと言えましょう。
(上記リンク先エントリ)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-5ae3.html(「りふれは」の自業自得的オトモダチ効果)
稲葉氏がこう言っていますが、
https://twitter.com/shinichiroinaba/status/880636848271392768
原田発言のどこが問題なのか全くわからない。因縁つけてるやつはみんなバカか悪意があるかどっちか。
本当に心の底からそう思っているならば、稲葉氏も病膏肓に入ったとしか言いようがない。
http://jp.reuters.com/article/haraada-germany-polcy-idJPKBN19K1JT (原田日銀委員、ヒトラーが「正しい財政・金融政策」 悲劇起きた)
日銀の原田泰審議委員は29日、都内での講演で、ナチス・ドイツ総統だったヒトラーが「正しい財政・金融政策をしてしまったことで、かえって世界が悪くなった」と述べた。
原田審議委員は、1929年の世界大恐慌後の欧米の財政・金融政策に言及。「ケインズは財政・金融両面の政策が必要と言った。1930年代からそう述べていたが、景気刺激策が実際、取られたのは遅かった」と述べた。・・・
そのうえで「ヒトラーが正しい財政・金融政策をやらなければ、一時的に政権を取ったかもしれないが、国民はヒトラーの言うことをそれ以上、聞かなかっただろう。彼が正しい財政・金融政策をしてしまったことによって、なおさら悲劇が起きた。ヒトラーより前の人が、正しい政策を取るべきだった」と語った。
原田審議委員は、合わせてナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺と第2次世界大戦によって、数千万人の人々が死んだとも述べた。
ここで言われていることの歴史学的ないし社会科学的意味自体で言えば、その言説は殆ど正しい。というか、それは本ブログで繰り返し紹介してきたシュトゥルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』の認識と殆ど変わらない。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-7008.html (『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を復刊して欲しい)
・・・経済学の専門家であるヒルファーディングは、高度に発展した資本主義経済の複雑なメカニズムに強い印象を受けたので、彼はそれに対するほとんど全ての干渉を危険なものと考えるに至った。すなわち彼は、マンチェスター派の自由主義者に接近していった。彼は、イギリスでスノーデンが演じたと同じ役割を演じ、恐慌中に提案された繁栄の回復を早めるための多くの計画を拒絶した。そのような努力は、よくいってさらに悪い経済的破局の道を用意するに過ぎないと確信してであった。・・・
・・・社会民主党は、異常な強度と持続性を持つ恐慌を洞察しなかった。経済的暴風が全勢力をもって吹き荒れていた1931年になってすら、彼らは、危機自体の緩和にはあまり役立たず、ただ労働階級の直接的苦悩を軽減することを主眼とした政策を固執した。多くの社会民主党と労働組合の指導者たちは、オーソドックスの理論に執着していた。それは、国家の干渉は目先の救済をもたらしはするが、それはただその代償として危機を一層長期にわたらしめ、さらに性質において一層厳しいこともあり得るような別の恐慌を準備するに過ぎないという理論である。従って社会民主党と労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・
・・・しかし彼らは失業の根源を攻撃しなかったのである。彼らはデフレイションを拒否した。しかし彼らはまた、どのようなものであれ平価切り下げを含むところのインフレイション的措置にも反対した。「反インフレイション、反デフレイション」、公式の政策声明にはこう述べられていた。どのようなものであれ、通貨の操作は公式に拒否されたのである。
・・・このようにして、ドイツ社会民主党は、ブリューニングの賃金切り下げには反対したにもかかわらず、それに代わるべき現実的な代案を何一つ提示することができなかったのであった。・・・
社会民主党と労働組合は賃金切り下げに反対した。しかし彼らの反対も、彼らの政策が、ナチの参加する政府を作り出しそうな政治的危機に対する恐怖によって主として動かされていたゆえに、有効なものとはなりえなかった。・・・
しかし、同じことをその政策をとるべきであったのにとらなかった社会民主主義の側から論ずるか、その政策とともに悪逆無道の行為を行ったナチスの側から論ずるかで、その与える印象がいかに変わってくるかは、極めて高いレベルの公職に就いているものが常に心得ていてしかるべきことではありましょう。
ただし、それはあくまで一般論。
原田氏は自他共に認める「リフレ派」であり、その強固なお仲間意識で知られるこの思想集団の中には、シュトルムタールとともに社会民主党の失政を悔やむどころか、むしろナチスによる善政を喜ぶ心性の持ち主ではないかと疑われるような言動をあちらこちらで行っている人々がおり、そしてここが重要なのだが、そういう人も同じリフレ派だからと言ってやたらに親友づきあいしていると誤解されますよという心からの忠告に対して、あたかもリフレーション政策に対する誹謗中傷を聞かされたかのごとく逆上してみせる多くの「りふれは」が、これは極めて多数存在することも、これまた多くの傍観者が目の当たりにしてきたことでもあります。
断固としてお仲間意識に基づき、あいつらは少なくともその一部はナチスにシンパシーを感じている連中なんじゃないかという疑念を抱かせる、或いは少なくともその疑念を積極的に払拭しようと懸命に試みてこなかったという意味において、今回の騒ぎは、確かにその歴史学的ないし社会科学的なコアの部分だけでは誤解ないし曲解と評すべき点があるのは確かですが、いままでの「リフレ派」諸氏の諸々の言動を踏まえて考えれば、ある程度までは「自業自得」と評されてもやむを得ない面があることは確かだろうと思われます。
まあ、そう言われて心得違いをすぐ直すような人々ならこんなことにはならないわけですが。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-6f0b.html (シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を直ちに再刊せよ?)
訳書を刊行した岩波書店編集部は、稲葉氏を犯罪者に陥れないために、直ちにシュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇』(Ⅰ・Ⅱ)を再刊するように。
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後世の英国病、オランダ病、アメリカ含む諸国のスタグフレーションを見ればヒルファーディングは正しいのでは?
これら「ケインズは死んだ」事例を反省せず、自由主義・不干渉のオーソドックス経済政策がダメというのは、間違っている。
スタグフレーション以外にも、平等を目指した介入政策と統制の結果、「官僚支配による腐敗した格差社会」になってしまった例が多数。
大阪もこれなんだよ
だから大阪でネオリベガー維新ガーやってもダメで、「公務員天国の統制経済社会主義は間違ってました。ごめんなさい」と言え。
まじで公務員社会主義者のせいで大阪は後10年くらいは維新の天下だわ。どうしてくれるんですか
投稿: 中国 | 2021年7月22日 (木) 19時40分
城山三郎『小説日本銀行』の初めにの方に、シャハトを尊敬する日銀マンがでます。が、何でまた、今頃になって・・・。結局、何でもかんでも「ナチ党」を連想させるものに拒絶反応するからでしょうか。
投稿: 湯原正樹 | 2021年7月23日 (金) 21時10分
> 政治生命を絶つに等しい重い処分
https://twitter.com/pontapiranao/status/1418485232219557891
まあ、こちらも、
リスクマネジメントが出来ていなかった
と言えば、一応、そうなんでしょうね。
> そんなことを口走れば、そんなことを口走るようなやつを使えば、どういうおそるべき事態がそのあとにやってくるか
投稿: POD版 | 2021年7月24日 (土) 15時17分
5年前、このブログに「阿波」というHNの人がよく書き込みをしていました。
イデオロギーはリベラルで、手段はポピュリズム、という感じで、反差別を掲げてソーシャルな政策を過激な言葉で批判して、ブログ管理人や他のコメンテーターは眉をひそめていました。
しかし……。
日本経済が回復し(コロナ禍で危ういですが)、反差別が至る所で訴えられるようになった2021年の現在、この「阿波」氏の言動に、学ぶべきところが多いのではないでしょうか?
阿波氏の次の言葉が、今の私の心に強く残っています。
「残念ながら低知能層に必要なのは説得ではなくプロパガンダであると認めざるを得ないな」
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-59d2.html#comment-114112355
今回の炎上問題をはじめ、反差別・反レイシズムでは、私達は、この言葉に記された態度を取ることが、何よりも必要ではないでしょうか?
(実際、阿波氏は、反差別運動を行っていた「しばき隊」「神奈川新聞」を高く評価している、と書き込んでいます)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-8298.html#comment-114151428
そして、コロナです。
科学的根拠があり、議論が尽くされて「有用」と結論が出ている「PCR検査」で、日本では反対論が喧しく、まともに検査を行うことが出来ていません。
政府の矛盾した言動で、日本国民の行動変容もまともにやろうとしなくなりました。
私たちは、コロナの感染拡大を防止するために、科学的・合理的根拠がある事柄については、黙って従う・反対者には有無を言わさず従わせる、そういう態度を取るべきだと思います。科学に敬意を払い、感染症対策のグローバル・スタンダードを押し付けることです。
コロナ禍の今、かつての嫌われ者の言葉が、これほど私たちにとって大事なものになるとは、思ってもみませんでした。
投稿: にっしー | 2021年7月25日 (日) 15時52分
いや、啓蒙は期待されていたほど力を発揮するものではなく、メディア・プロパガンダ・真実よりも真実っぽさこそが力を発揮するというのは、昔から-21世紀に入って以後特に-はっきりしているのではないですかね。
(JKガルブレイス ゆたかな社会、ジョセフ・ヒース 啓蒙主義2.0 ;2014 他)
投稿: ↑ | 2021年7月26日 (月) 12時51分
https://twitter.com/himaginary_/status/1418196702415134720
”原田発言を蒸し返した人”
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705813767196700610/comment/perfectspell
蒸し返すという単語の持つニュアンスを改めて思い知るとは思いませんでした。
投稿: りふれ派の仲間たちとリフレ派 | 2021年7月26日 (月) 12時54分