本日は近江絹糸人権争議の記念日
共同通信社の「あのころ」に、今から67年前の1954年6月4日に始まった近江絹糸の人権争議の写真が載ってます。
https://nordot.app/773320907366973440
1954(昭和29)年6月4日、大阪の近江絹糸紡績の労働組合が「結婚の自由を認めよ」「信書を開封するな」「仏教の強制をやめろ」などの要求を掲げ無期限ストに突入した。会社は人権無視の労務管理を行っていた。世間は驚き、前近代的な企業体質に非難が集中、100日を超す争議の末に労組側の訴えが通った。
これ、わたしも解説文を寄せた『日本人の働き方100年』にも載っていた奴ですね。私の解説では:
・・・日本の労働争議史上に燦然と輝く成果を収めたのは、既に第2部に入っているが、1954年の近江絹糸争議である。人絹と人権を引っかけて、人権争議とも呼ばれたこの争議は、若い女子工員たちが宗教、外出、通信の自由を求めてストライキを決行し、封建的な経営方針を打ち破った、まさに戦後民主主義の象徴ともいうべき争議であった。・・・
近江絹糸人権争議については、今日でもなお関心が持たれ、続々と研究書が刊行されています。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/1-d614.html(『近江絹糸人権争議オーラル・ヒストリー(1)』)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/3-1dda.html(『近江絹糸人権争議オーラル・ヒストリー(3)朝倉克己オーラル・ヒストリー』)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-6fc2.html(本田一成『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議』)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-0181.html(その時19才の私は!!)
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