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2021年5月27日 (木)

【GoTo書店!!わたしの一冊】第20回 ウォルター・シャイデル『暴力と不平等の人類史』

514kqpyyj9l 『労働新聞』に代わる代わる執筆している【GoTo書店!!わたしの一冊】ですが、今回はウォルター・シャイデル『暴力と不平等の人類史』(東洋経済新報社)です。700ページを超える大著ですが、ものすごく読み応えがあります。冒頭は本ブログでむかし何回か取り上げた懐かしい赤木智弘さんの「『丸山真男』をひっぱたきたい―31歳、フリーター。希望は戦争」から始まります。

https://www.rodo.co.jp/column/106346/

 2006年末、朝日新聞社の雑誌『論座』2007年1月号に大きな議論を巻き起こした論文が載った。赤木智弘の「『丸山真男』をひっぱたきたい―31歳、フリーター。希望は戦争」だ。曰く「平和が続けば、このような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかも知れない何か―。その可能性の一つが、戦争である」、「戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは『持つものが何かを失う』から悲惨なのであって『何も持っていない』私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる」。

 これに対し左派文化人は、戦争がいかに悲惨かを説くばかりで、赤木の主張の本丸に正面から向かい合おうとするものはなかった。少なくとも同年11月に刊行された著書『若者を見殺しにする国』(双風舎)で赤木はそう慨嘆していた。その赤木の提起に正面から答える大著が、2019年6月に刊行された本書である。原題は「The Great Leveler」。レヴェラーとは近世イギリスの急進的平等主義者のことだ。700頁を超える本書は古今東西の史実を縦横に引用しながら、人類史において平等をもたらしてきたのは、戦争、革命、崩壊、疫病という「平等化の四騎士」であったことを論証する。

 そのトップバッターとして登場するのは日本だ。戦前、欧米諸国よりも所得分配が不平等だった極東の国が、国家総力戦体制の下で急激に平等化していった姿を克明に描き出す。1938年から1945年の7年間で、上位1%の所得シェアは19.9%から6.4%に下落している。その経緯の一端は、私も『日本の労働法政策』において「社会主義の時代」と呼んで論じた。日本では確かに戦争と戦後の混乱が平等をもたらし、平和はじわじわと不平等を招き入れてきたのである。それは他の多くの諸国でも同様であった。

 この歴史像はトマ・ピケティの『21世紀の資本』における「資本収益率>経済成長率ゆえに格差が拡大するのであり、20世紀は戦争と革命のおかげでそれが逆転しただけ」という主張とも響き合う。戦場の死屍累々に匹敵する平等化の旗手(レヴェラー)は、ソ連や中国のような革命という名の自国民への大虐殺だったというのも、さらに一層陰鬱な歴史像であろう。四騎士に代わる平和的平等化の企てをことごとく吟味した著者は、「暴力的衝撃と全く無関係に物質的不平等が少なからず軽減したという論理的かつ確実な裏付けのある事例を見つけるのは難しい」と結論付ける。

 著者は四騎士は馬から下りたという。そして正気の人間なら彼らの復帰を決して望まないだろうと。おおむね正しいが、一点だけ彼の予言は外れた。コロナ禍直前に刊行された本書は「疫病による大量死の可能性は低い」と述べていたが、今や世界中でコロナ死者は300万人を超えている。しかし過去1年余りの経験は、感染のリスクに身をさらす弱者を痛めつけ、リスクから身を引き離せる強者を守り、世界中で格差が拡大しつつあることを示している。疫病という第四の騎士はレヴェラーから用心棒に転身したのであろうか。 

(参考)

というわけで、もう今から十数年前に本ブログで赤木さんの文章を取り上げたエントリをサルベージしておきましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_3f06.html(フリーターが丸山真男をひっぱたきたいのは合理的である)

これは当然なのだ。そして、彼が戦争を待ち望むのも当然なのだ。
実際、今から70年前、中学校以上を出たエリートないし準エリートのホワイトカラー「社員」との差別待遇に怒りを燃やしていた彼の大先輩たるブルーカラー「工員」たちを、天皇の赤子として平等な同じ「従業員」という身分に投げ込んでくれたのは、東大法学部で天皇機関説を説いていた美濃部教授でもなければ、経済学部でマルクスを講じていた大内教授でもなく、国民を戦争に動員するために無理やりに平等化していった軍部だったのだから。もちろん、それを完成させたのは戦後の占領軍とそのもとで猛威を振るった労働組合であったわけだが、戦時体制がなければそれらもなかったわけで。
このへん、戦前は暗かった戦後は明るくなった万歳史観では全然見えないわけで、そういう史観の方々には何が問題なのかもよく分からないのだろう。もちろん、戦争なしにそういう改革ができたのであればその方がよかったのかも知れないが(実際そういう国もないわけではないが)、戦争もなしに戦前の丸山真男たちがそれを易々と受け入れただろうかというのが問題になるわけで。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html(赤木智弘氏の新著)

赤木さんにとっては、左派というのはいまの社民党みたいなものなのでしょうね。福島瑞穂さんみたいなのが「左派」の典型なのでしょうね。それは、年齢から考えれば、生きてきた時代状況の中ではまさにそうだったのですから、やむを得ないところがあります。
しかし、それは高度成長期以後のここ30年くらいのことに過ぎません。
それまでの「左派」というのは、「固有性に対する差別」を問題にするのはブルジョア的であり、まさに「努力しても報われない弱者」働いても働いても貧しさから逃れられない労働者たちの権利を強化することこそが重要だと考えるような人々であったのです。リベラルじゃないオールド左翼ってのはそういうものだったのです。赤木さんとおそらくもっとも波長があったであろうその人々は、かつては社会党のメイン勢力でもあったはずなのですが、気がつくと土井チルドレンたちが、赤木さんの言う「「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなってい」る人々、私のいうリベサヨさんたちが左派の代表みたいな顔をするようになっていたわけです。この歴史認識がまず重要。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

彼の主張は、思われている以上にまっとうです。「俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ」と言ってるわけですから。そして、戦争になればその可能性が高まるというのも、日中戦争期の日本の労働者たちの経験からしてまさに正しい。それこそ正しい意味での「ソーシャリズム」でしょう。
ところが、「左派」という歪んだ認識枠組みが、自分のまっとうな主張をまっとうな主張であると認識することを妨げてしまっているようで、わざとねじけた主張であるかのような偽悪的な演技をする方向に突き進んでしまいます。
自分が捨てたリベサヨ的なものと自分を救うはずのソーシャルなものをごっちゃにして、富裕層がどんな儲けても構わないから、安定労働者層を引きずり下ろしたいと口走るわけです。安定労働者層を地獄に引きずり下ろしたからといって、ネオリベ博士が赤木君を引き上げてくれるわけではないのですがね。 

 

 

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