水島治郎・米村千代・小林正弥編『公正社会のビジョン』
水島治郎・米村千代・小林正弥編『公正社会のビジョン 学際的アプローチによる理論・思想・現状分析』(明石書店)を、編者のお一人の水島治郎さんよりお送りいただきました。
https://www.akashi.co.jp/book/b577171.html
政治への不満、ジェンダー間の不平等、雇用不安。絶望感と諦めが充満するなかで、それでも「公正な社会」を実現することは可能か。政治・経済・社会・法の諸側面を融合し討議を重ねてきたプロジェクトチームが、不公正な社会状況を打ち破る新たな秩序を提言。
冒頭の3章は、法哲学、政治哲学的な議論が続きますが、第5章の水島さんのはおなじみのポピュリズムの話だし、続く第6章の濱田さんのはおなじみの若者の話です。
とはいえ、水島さんは今回、ちょっと目先の変わった素材を持ち出してきています。それは、「置き去りにされた地域」の代表として、イギリスと日本の産炭地域を取り上げ、炭鉱が閉山して放り出された人々に対してどのような施策が講じられたか、その違いが詳しく描写されています。
この炭鉱離職者対策の問題は、実は高度成長期日本における数少ない「しんがり」型雇用政策として注目すべき点がいろいろあるんですね。この水島論文では、とりわけ旧雇用促進事業団が行った手厚い広域移動による再就職支援に着目しています。
かつて本ブログでもちらりとふれたことがありますが、こういう炭鉱離職者の広域移動のための公的住宅として作られた雇用促進住宅が、時間の経過とともにその機能が失われ、ムダの典型として猛攻撃を受けるようになっていくということ自体が、いろいろと考えさせる素材でもあります。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_97bd.html(雇用促進住宅の社会経済的文脈)
・・・もともと、雇用促進住宅は、移転就職を余儀なくされた炭鉱離職者向けの宿舎として始まり、その後高度成長期に労働力の広域移動政策が進められるとともに、それを住宅面から下支えするために建設されていったものです。その頃は、労働力流動化政策と一体となって、有意義な施策であったことは間違いないと思います。
ところが、70年代以降、地域政策の主軸はもっぱら就職口を地方に持ってくることとなり、地方で働き口がないから公的に広域移動を推進するという政策は消えてしまいました。これは、もちろん子供の数が減少し、なかなか親のいる地方を離れられなくなったといった社会事情も影響していますが、やはり政策思想として「国土の均衡ある発展」が中心となったことが大きいと思われます。大量の予算を、地方の働き口確保に持ってくることができたという政治状況もあったでしょう。こういう状況下では、雇用促進住宅というのは社会的に必要性が乏しいものとなり、そこに上記のような公務員が入居するというような事態も起こってきたのでしょう。
それが90年代に大きく激変し、地方に働き口がないにもかかわらず、公的な広域移動政策は為されないという状況が出現し、いわばその狭間を埋める形で、請負や派遣のビジネスが事実上の広域移動を民間主導でやるという事態が進みました。こういう請負派遣会社は、自分で民間アパートなどを確保し、宿舎としているのですが、その実態は必ずしも労働者住宅として適切とは言い難いものもあるようです。
このあたりについては、私はだいぶ前から政府として正々堂々と(もう地方での働き口はあんまり望みがないので)広域移動推進策にシフトしたらどうなのかと思い、そういうことを云ったりもしているんですが、未だに地域政策は生まれ育った地元で就職するという「地域雇用開発」でなければならないという思想が強くありすぎて、かえって適切なセーフティネットのないまま広域移動を黙認しているような状況になってしまっている気がします。
一連の特殊法人・独立行政法人叩きの一環として、雇用促進住宅も全部売却するということになり、それはもっとうまく活用できるんじゃないのかというようなことを口走ることすら唇が寒いような状況のようですが、実は経済社会の状況は、雇用促進住宅なんてものが要らなくなった70年代から90年代を経て大きく一回転し、再びこういう広域移動のセーフティネットが必要な時代になって来つつあるようにも思われます。
雇用促進住宅ネタは、例によって例の如き公務員叩きネタとして使うのがマスコミや政治家にとっては便利であることは確かでしょうが、もう少し深く突っ込むと、こういう地域政策の問題点を浮かび上がらせる面もあるのではないでしょうか。もちろん、その前に公務員に退去して貰う必要があるのは確かですが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/1546-b7d2.html(雇用促進住宅への入居1546件)
・・・まあ、見ての通りというわけですが、与野党の先生方がそろいもそろって、また左右のマスコミが声をそろえて、潰せ潰せの大合唱を繰り返した挙げ句、ご希望通り見事に廃止されることになった雇用・能力開発機構の、それでもなお機能としては残されることになった職業訓練機能とは違って、そんなもの要らないから完全に潰せということになった雇用促進住宅が、こともあろうにかくも人様のお役に立てるとは、どこかのおとぎ話みたいな話ですな。
まあ、潰せ潰せの方々は、全然反省の色はなさそうですが、まあそれはそういうものでしょう。
むしろここで考えるべきは、これまで企業の社宅に委ねていた労働住宅問題を、公的な社会政策として改めてどこまで対処すべきものと考えていくべきかという問題でしょう。現在、下のエントリーにもあるように、派遣切りされた人々に「寮付きの求人」を紹介するという対応をしているわけですが、今後それがどこまで期待できるかを考えると、あまり有望とは言えないと思われますし、本ブログで何回か述べてきたように、今後雇用機会の乏しい地域からの広域移動を公的政策としてある程度進めていくのであれば、まさに雇用促進住宅の機能がますます重要になるはずです。
もちろん、政策の本筋は、民間賃貸住宅に入居できるような住宅手当制度を、普遍的な社会手当として創設していくという方向だと思いますが、労働異動に対応して機動的に住宅を提供しうる仕組みは確保された方がいいと思われます。もちろん、その住宅は、入居者が必要もないのにいつまでも居座ることのないよう、「ちゃんと出て行っていただく機能」を備えておく必要はありますが。
なお、参考までに、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-2042.html(労働「政策」は長期雇用を「強制」していない)
・・・総じて、経済学系の方々には、あたかも日本の労働政策が戦後一貫して終身雇用や年功賃金をひたすら「強制」してきたかのように思われている方がいるように感じられますが、そのかなりの部分は、年齢コーホートによる錯覚効果ではないかと思われます。自分が社会に出た頃に世の中で主流だった考え方は、実はその一つ前に時代にはそうではなかったにもかかわらず、あたかも太古の昔からそうだったように感じるものです。これは、それに対してプロであるかコントラであるかに関わらず、同じように見られる現象です。
むしろ、かつての労働政策は、大企業正社員型の雇用慣行からはずれた人々に焦点を当てたさまざまな政策を講じていたのですが、70年代以降、政策担当者自身の目線が日本型雇用慣行奨励型にシフトして行くにつれて、そもそもなぜそのような政策をしなければならないかについての信念が徐々に薄れていき、外からの攻撃に対しても脆くなっていったという面があるように思われます。企業内訓練の乏しい中小零細企業労働者のための公的な職業訓練機関や、企業福祉の乏しい中小企業労働者のための労働者福祉施設や、社宅の乏しい中小企業労働者のための雇用促進住宅等々です。こういった日本型雇用慣行を前提としないたぐいの労働政策が、日本型雇用慣行にどっぷりつかって育った人々によって、ムダだから潰せと攻撃され続けてきたことは、この歴史的展開の皮肉さをよく示しています。
大変皮肉なことですが、ある種の人々は「日本の労働政策が大企業正社員型雇用慣行を強制しているからけしからん」と批判するとともに、まさにこのような中小零細企業労働者向けの公的サービスをムダだと非難することにも熱心なように見えます。もちろん、彼らはそれが論理的に矛盾しているなどとはこれっぽっちも感じてはいないのでしょうけど。(いうまでもなく、これは安藤さんのような良質な労働経済学者のことではありません)
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広域移動と地域雇用、まあ本来的には二者択一的にとらえるべきではなく、ベストミックスを模索すべきで、そのために雇用促進住宅を活用するという道もありえたでしょうね。
しかしそのためには生き残る地域の選別、維持すべき地域の雇用と広域移動を推進すべき部分とを弁別しなくてはならないわけですが、平等主義的な考えが根強い日本では政治的にハイコストすぎて、弱体化した日本の政治には対処できなかった。炭鉱のように一部地域に限らず、今般は全国的な問題であったこともそれに拍車をかけた。
インバウンドはこの困難を民間レベルで解決できる特効薬として期待されたのでしょうが、コロナでそれも泡と消えたと言わざるをえないでしょう。
今こそ普遍的な家賃補助の導入を進めるべきでしょうね。多くの人がその恩恵を被れば、雇用促進住宅のようなものへの風当たりも弱まって政策的な制約も減少するでしょう。政治の決断が求められます。
投稿: 通りすがり2号 | 2021年4月15日 (木) 18時47分