総同盟的なるものと民同的なるもの@桝本純オーラル・ヒストリー
旧同盟から連合で組合プロパー(というか本人的には「書記」)として活躍し、一昨年亡くなった桝本純さんのオーラル・ヒストリーが出ているのを見つけました。インタビュワは田口和雄さんで、岩崎馨さんが横に付く形です。
読んでいくと、生前の桝本さんの口ぶりが生き生きと蘇ってくるような感じで、思わず読みふけりました。
性格上、労働運動にかかわる話題しかされていないので、桝本純という多面的な人物像の一部でしかないのですが、その中でも、いくつも重要なポイントが指摘されています。実は、私の労働運動史に対する歴史観の相当部分は桝本さんとの会話で形作られた面もあり、ページごとに懐かしさを覚えました。
その中でも、ややもすると多くの人が勘違いをしがちなところが、労働運動の路線対立を右派対左派でとらえてしまいがちなところでしょう。それは一見激烈だけど表層の対立に過ぎず、根っこは企業別組合中心主義とそれを超えた産別・ナショナルセンターの権限が強いかで、総評も同盟も中に両方の傾向がある。そしてそれは、戦前来の総同盟の流れと、戦後産別民主化同盟の流れに対応すると、
そして、実は企業別組合的性格は総評の方が強かったんですね。何しろ国労も全逓も全電通もみんな超巨大国営企業の企業別組合で、やたら過激に見えるその「闘争」もすべて、藤林敬三の言うところの「家庭争議」。これらはみんないわゆる「民同左派」なわけです。内弁慶体質。
一方、同盟に行った「民同右派」も、政治イデオロギーの向きが違うだけで、体質は全く同じ。塩路天皇みたいに企業内で力をふるう、その振るい方が違うだけ。
一方、旧総同盟の系譜をひく流れは、総評では全国金属だけど、初期の高野実が追放されたのちは、これはもうほんとに周辺的な存在。
同盟では総同盟派がそれなりの存在感をもち、企業別組合を超えた運動体質はそれなりに残っており(ここが、桝本さんが自らの同盟時代の経験として語るところですが)、とはいえやはり民同右派(「全労」)が大きな力を持っていた。
で、桝本さんの言いたいのは、連合結成は決して同盟の勝利なんかではなく、実は民同的なるものの勝利であり、総同盟的なるものの敗北なんだということ。
そして、やたらにイデオロギーで喧嘩していた全国金属と全金同盟がJAMとして元のさやに納まったら、実は似たような体質であったことがお互いに分かった云々という笑い話みたいなことがおこるわけです。
これはほんとに、ぜひ一般向けの本として出版してほしい内容です。まあ、あれこれの人の名前も出てきて、そのままでは出版できないところもあるかもしれませんが。
(参考)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-6e841b.html(桝本純さんのこと)
桝本さんは、ここではかつてのブントの理論的リーダーとして「偲」ばれているんですが、彼はその後労働組合ナショナルセンターの同盟のプロパー職員となり、その後連合に移り、連合総研の副所長もされていて、私との関係ではこの頃にかなり密接なおつきあいをさせていただいたんですね。
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