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2021年2月 1日 (月)

中核派トップの会見記事で思い出したことなど

中核派トップの老人が会見したという記事を見て、その昔本ブログに書いたあるエントリを思い出しました。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/82518

Chukakuha 約半世紀にわたる潜伏生活から昨年9月に姿を現した過激派「中核派」最高指導者の清水丈夫議長(83)が27日、東京都内で会見した。公の場で活動する方針に転じた理由を「資本主義をぶっ倒すために闘わなければならない。全労働者階級人民に訴えようと思った」と述べた。警察は活動の活発化を警戒する。
 中核派は1963年、「革マル派」と分裂して発足し、安保闘争や成田空港反対運動を展開。多くのテロ、ゲリラを実行し、71年に警察官が殺害された「渋谷暴動事件」を起こした。清水氏は会見で、渋谷暴動事件を「安保・沖縄闘争の発展の中でどうしても必要な闘争だった」と振り返り、人命が失われたことは「階級闘争だから仕方ない」と述べた。・・・ 

中核派といえば、2012年にこんなエントリを書いていました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-44b0.html(若き日の池田信夫氏)

池田信夫氏のつぶやき:

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/206617042676224001


0713fe530fcea06ff35722211e39f7b9_40私の友人は2人、中核派に殺された。それも誤爆だった。これから反原発デモに参加する人は、鉄パイプで殴り殺されるリスクを覚悟したほうがいい。

というところだけみると、まるでまったく無関係の学生がやられたみたいですが・・・

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87b82fb7d88e3e98eaf045b8401db2c7週刊誌だけがテロと闘う日本


私の学生時代にも、私が部長だったサークル(社会科学研究会)で、革マルのメンバーが内ゲバで4人も殺された。念のためいっておくと、社研は(東大教授の)吉川洋氏も部長をつとめたアカデミックなサークルで、私自身も党派と無関係だったが、当時は革マルが駒場を拠点にしていたため、中核と革労協にねらわれたのだ。

池田氏の学生時代の末期はわたくしが駒場にいた頃と重なっていますが、少なくともわたくしが入学した時に先輩からこんこんと教えられたのは、社会科学研究会は革マルのフロントだから近づかない方がいいよ、という忠告でした。

それがどこまで正しい忠告であったか否かを判断することは、関わらなかったわたくしにはできませんが、少なくともそういう認識が一般的であったことは事実です。

さらに、わたくしが入学してすぐ、駒場で開かれていた革マル派の集会に顔を出していた新入生が、襲撃してきた他のセクトに殺されるという事件も起こったりしていて、ますます命が惜しければ社会科学研究会には近づかない方がいい、という雰囲気がありました。

もとより、セクトと無関係だった当時の一学生の感想に過ぎませんが、若き日の池田信夫氏が部長を務めていた社会科学研究会のメンバーが4人も中核派に殺されたのが全くの「誤爆」と言えるのかどうかには、いささか疑問があります。

少なくとも、わたくしの同期生であったその殺された学生が「誤爆」であったのに比べると、社会科学研究会のメンバーであると目星をつけられて殺されたわけですjから。

(追記)

稲葉振一郎氏の絵解き

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/379984971923853313


W5s524vo1bu0xf6v1dxv元から単なる転向マルクス主義者や。発想の根幹はかわっとらん。彼にとって資本主義は前から暴力装置で、それを批判する代わりにそれに額づくようになっただけのこと。

 

(※欄)

また自慢げにつぶやいていますな。

http://twitter.com/ikedanob/status/221432442223988736

自慢じゃないが、私は友人が4人も内ゲバで殺されて「革命」運動がどういうものか、よく知っている。官邸の前で騒いでいるのは、革命とは何の関係もない「反原発」というカルトに洗脳された子どものままごと遊び。

なるほど、さすが、「子どものままごと遊び」じゃない本当の「革命」運動を経験された方は違う・・・。

 

人間年をとると、儂の若い頃はこうだったんじゃ、みたいなことを繰り返すようになるそうですが、この若い頃過激派に入り浸っていたとおぼしき御仁も、その傾向が顕著に現れてきているようですな。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51901121.html

「過激派」といわれた新左翼系セクトの友人が、突然アパートに泊まりにきた夜という記事でちょっと思い出したので、個人的メモ。
私も大学時代、サークルの部員4人が内ゲバで殺されたときは、さすがに恐かった。パン屋の前で公衆電話をかけていると私の前で30分かけてパンを買う客がいたり、喫茶店で前に見たことのある客が隣の席に座ったり、気持ちの悪いことが続いたあと、(大学に連絡していない)下宿の郵便受けに何かを通告するように某党派の機関紙が入っていた。身の危険を感じて、友達の家を泊まり歩いた。
当時、そういう話は珍しくなかった。キャンパスが血の海になったことも1度や2度ではないが、いま思えばひどい勘違いだった。

儂も若い頃はやんちゃをしたものじゃわい、とでもいいそうな口調ですな。

それは政治的にはナンセンスだったが、マルクス主義を乗り超えることで学生は大人になり、社会を客観的に見られるようになった。

池田信夫氏が「大人にな」ったかどうかについては、人によっては異見のあるところでしょう。「社会を客観的に見られるようになった」に賛成する方はさてどれくらいいることやら。

 

 

 

 

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