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2021年2月 9日 (火)

労働者協同組合法の根源的矛盾

昨日の朝日新聞に澤路さんが労協法の記事を書いていましたが、

https://www.asahi.com/articles/ASP1Y3PLLP1WULZU00V.html(ついに法制化された「協同労働」 働き手が話し合い経営)

As20210129000991_comm 「労働者協同組合(労協)法」が昨年12月に議員立法で成立し、2年以内に施行されることになりました。働き手が自ら出資し、経営に関わる――。「協同労働」と呼ばれる働き方の組織が、法律に位置づけられます。会社に雇われて働くことと、どう違うのでしょうか。・・・ 

この労働者協同組合法については、これまでも本ブログで時々コメントしてきましたが、最終的に成立した法律は、その一番根っこに最大の矛盾をはらんだまま成立に至ったという感じがします。それは、協同組合の構成要素(メンバー)たる「労働者」が、労働法の適用対象たる使用従属関係下の雇用労働者と位置付けられたということです

Screenshot20210204at95531 この点は、当事者たちが一番感じていることのようで、雑誌『協同の發見』1月号は同法制定を特集していますが、その文章の端々に、「我々の哲学と全然違うものを押し付けられた」といわんばかりの不満がにじみ出ています。

一昨日本ブログで紹介した橋本陽子さんの『労働者の基本概念』でも、例のワーカーズコレクティブ轍・東村山事件をかなり詳しく取り上げていますが、この事件こそは、労働者協同組合法成立以前のワーカーズコレクティブで働く出資者=運営者=労働者が、労働基準法上の労働者に当たるかどうかが争われ、当たらないという判決が出たなのであってみれば、せっかく作った法律がその結論をひっくり返すようなものになってしまったというのは、当事者たちにとってはまことに忸怩たるものがあったであろうことは想像にかたくありません。

・・・労協法では、組合員は従属労働者であることを受け入れない限り、法律の制定は不可能であったために、今まで私たちが目指してきた労働者の在り方(協同労働者)とは矛盾が生じます。しかし今後、私たちの運動原則の中で協同労働をしっかり描くことによって、その矛盾を整合させることは可能だと考えています。・・・

この「協同労働」の立場からすると、従属労働に安住している労働運動は批判すべきもののようです。

・・・補論的になりますが、労働組合関係者はどこまでいっても雇われ者根性に徹します。経営には関係ありませんといいながら給料や労働条件を上げろと要求します。それは当然のことですが、そこだけに留まるとしたら今の危機の時代の労働運動としてはありえないのではないかと思います。・・・

この大変率直な意見は、いろんなレベルで物事を考えさせるものがあります。まず第一に、これはまさしく、労働組合を否定する家父長的経営者や共産党一党独裁国家の言いぶりと共通しており、そこにおけるほめたたえられるべき「労働」の在り方と通底しています。その意味で、これはブラック企業の培養器になる危険性があるという批判はまことにもっともであることの証左でもあります。

しかしながら第二に、実は現実の労働者や労働運動は決して「雇われ者根性」に徹してなどおらず、むしろ自分たちの労働を成り立たせる基盤として経営に口を出そうとしてきました。その意味では、この批判はまことに古典的資本主義のステレオタイプであり、いつの時代の話だろうという感じもします。

そして、一方で「雇われ者」でありつつ、他方で経営に関わる者でもあるという矛盾をいかに整合させるかというのは20世紀の労使関係を貫く中心的な課題でもあったことを考えれば(その一端は『働き方改革の世界史』に垣間見ることができましょう)、このアナクロニックでステレオタイプの古典的資本主義批判がストレートに労働者性否定のお花畑的アソシエーション礼賛につながるところをひっくり返して、その矛盾と向かい合わなければならないようにしたことの意味は極めて大きいものがあると思うわけです。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-1c76ba.html(労働者協同組合は究極のメンバーシップ型なんだが・・・)

・・・で、そこに最近ニューモードのマルクス主義で人気を博していいる斎藤幸平さんが登場して、その礼賛に唱和しているんですが、そうなればなるほど懸念が増してくるわけですよ。何しろ、マルクス御大の「あそしえーしょん」の夢想が魔法使いの弟子たちの手を転々とした挙句に、この地上にどんな地獄絵図をもたらしたかという世界史を齧った人間としてはね。

大阪市立大大学院の斎藤幸平准教授は「現場の労働条件が悪化し経済的不平等が拡大する中、労働者が経営主体となる協同労働が広がれば、労働のあり方や生産の仕方を根本から変える可能性がある」と指摘した。

「しかし労使関係を前提にしない、もっと別の働き方があるはずで、それが協同労働だ。必ずしも労使関係を前提とせず労働者自らが出資し、自分たちでルールを定め、何をどう作るかを主体的に決める。株主の意向に振り回されず労働者の意思を反映していけば、働きがいや生活の豊かさにつながるのではないか」

どんな御託を並べようが、いかに労働者の利益を代表する共産党が権力を握ってすべてを支配するからお前たち労働者が支配しているのと同じだ、などと言おうが、現実に社会主義諸国の職場には(国家権力によって労使関係ではないと定義され、それを労使関係だと指摘することを禁じられた)現実の労使関係があったわけです。そういう血塗られた歴史の重みを忘れて、こういう軽薄な言葉を吐けるんだなあ、と嘆息。

いや今回の法案は、まさにそういう(とりわけ労働弁護士方面から提起された)懸念に応えるために、当初の「労働者じゃない」という設計を全面的に「労働者である」と変え、つまり、労働者協同組合の組合員として働くものといえども、この市場社会において労働力を売って生きる労働者として、その取引条件を市場における集合取引(まさにウェッブ夫妻が描き出し、ゴンパースが旗を振ったコレクティブバーゲニング)として行うんだと明記することで、そういう地獄絵図につながる懸念を払拭しようとしているわけですが、それを報じる新聞の論調が、なんだか夢想の世界を生きているかのごとくなので、やっぱり心配になるわけです。 

(追記)

ちなみに、この問題を突っ込んで考えるために有用と思われる論文を紹介しておきます。Miriam KullmannとAndrea Iossaによる「Subordination in Solidarity? The Labour Law of Workers’ Cooperatives」(連帯の中の従属?労働者協同組合の労働法)です

http://regulatingforglobalization.com/2020/03/23/subordination-in-solidarity-the-labour-law-of-workers-cooperatives/

 

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コメント

家父長的組織文化に親和してきた指導者(笑)がおられると思われ・・・どことは申しませんが、同じシステムの医療機関のランドリサービスを請け負っておられますが・・・従事者(労働者)は労働意欲もなくむちゃくちゃで・・・あくまで知りうるミクロな経験ですけれども、とはいえ必ずしも組織組成に問題ありとの間違えとも思えません。
斎藤本・・・図書館ランキングは高いですよ・・・まだまだマルクス需要があるのですね。
本ブログも賑わいを魅せるコメント・エントリはこうした読み手の琴線にふれるものが多いと思われますので、門外漢として実に興味深いです。
エントリ・デシジョン・ツリーとも感じる一定のエントリ・サイクルはカウントしないながらも日々お邪魔しているとリズム化しているように期待通りで感心いたします。
よけいなことを書きましたが、こうした組織の一部は確かに夢想=Somebody to Loveですね。

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