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2021年2月 4日 (木)

森元首相発言の雇用システム論的理解

20210204s00048000316000p_thum もう世間は「女性蔑視発言」で炎上しているわけですが、おそらく本人の主観的意図はそのようなものではなく、組織における意思決定機関と公式的には位置づけられている「会議」なるものにおける女性陣の行動様式に接してのものすごく率直な感想を述べただけだったのであろうと思われます。

これはもう昔から言い古されていることではありますが、日本的な組織においては、公式の組織規則でフォーマルな意思決定のためのものと位置づけらている「会議」っていうのは、実はそこで一から率直な意見の交換なんぞをする場所ではなく、実質的な意見のすり合わせというのはもっとインフォーマルな場で、多くの場合、5時以降の飲食を伴う場において行われ、そこでおおむねの合意が成り立ったうえで、最終的な確認のために昼間にフォーマルな会議を開くというパターンが多い、あるいは少なくとも多かった、わけです。「平場(ひらば)」なんていう言葉も、この日本的慣行を前提にしないと、どういう意味なのかさっぱり分からないでしょう。

で、森元首相は、こういう日本的慣行にどっぷりつかり、それに完全に適応する形で今まで来られた方なのであってみれば、「平場」でああだこうだと延々やらかす人々の行動様式に辟易していたのであろうことは想像に難くありません。

一方、かつては男性中心であった日本の組織も男女均等法以来徐々に女性が増え、フォーマルな意思決定機関である「会議」に出席する女性の数も増えてきましたが、女性はそもそもかつての5時から飲食を伴う場で実質的な意思決定というのとは縁遠いわけで、そんなこんなで日本の組織の「会議」のありようも、徐々に「平場」で議論が出るようになってきたわけで、おそらくそれはスポーツ界でも同様なんだと思われます。

その意味では今回の炎上発言は、確かに文字面では「女性蔑視」ではあるのですが、その一枚皮をめくると、むしろ平場での議論を嫌い、インフォーマルな場での意見調整を好む(かつての、あるいは今でも結構残っている)日本的な組織のありようと、そこに新参者として進出してきたためにそうした慣行に縁遠い女性陣たちとの文化摩擦の一帰結と評することが適切であるような気がします。

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コメント

しかしこれ、欧米では本当にフォーマルな会議で実質的な意見のすり合わせなんてしてるんですかね。

欧米の描写なんかを見ると、夜の社交の場で重要な意思決定がなされてる感じがしますよね。日本とたいして変わらないのでは。

伝統的な組織と、先進的なIT企業なんかでは違うでしょうから、これは世代間対立の問題かもしれませんが。

欧米もガラスの天井なんて言われたりしますし、建前では女性を昇進させつつも実質的な意思決定からは排除してるのが実態ではと思われますね。

まあ欧米は本音と建前の使い分けが巧みで、それゆえに世界に覇権を確立できたのに対して、日本は欧米の建前を真に受けて失敗し逆ギレというのがパターンとしてあるので、あまりヒートアップしても仕方がないでしょうね。

> 実際にやるのは裁量性に乏しいけれどもやたらに長時間労働になる雑多な仕事
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-e3bef9.html

> 実質的な意見のすり合わせというのはもっとインフォーマルな場で、多くの場合、5時以降の飲食を伴う場において行われ、そこでおおむねの合意が成り立った
> 日本的慣行にどっぷりつかり、それに完全に適応する形で今まで来られた

字面としては「女性差別」として表れているのだけれど、本当はそうではなくて、
(KY氏と同根の?)「限定雇用差別」という訳ですね。

> 欧米の描写なんかを見ると、夜の社交の場で重要な意思決定がなされてる感じがしますよね。

まあ、(経営における)意思決定に参加してるのは「欧米ではエリートだけ」ということかと。
日本とは事情が異なるように思われますね。

メディアによる切り取り「・・・(という人もいる)」でしょ。

でもまあ他人の発言の引用であっても、それを上の立場の人が言っちゃいけませんが。
意思決定システムへの新参者という立場で言えば、PTAがお母さまたちになってしまったらお父さんがはいりづらいのと一緒で、どこでもある話。ただ、公に出てくるということは、社会構造(人員構成)が変わってきているということを示しているのでしょう。

> 欧米の描写なんかを見ると、夜の社交の場で重要な意思決定がなされてる感じがしますよね。

> まあ、(経営における)意思決定に参加してるのは「欧米ではエリートだけ」ということかと。日本とは事情が異なるように思われますね。

映画ではなく、現在、放送中の日本のドラマなのですが、TBS、火10ドラマのボス恋、第4話(2/2放送分)というのが、高岡早紀がアシスタントを丁寧に扱う一方で、アシスタントが越権で勝手な判断をしたことで首にしようとする欧米型を体現し、菜々緒が普通の生活を求める上白石萌音をパワハラ上等で雑用係として扱き使いつつ、インフォーマルな形で重要な場面に参加させる日本型を体現しているのですが、結局は日本型を礼賛するという構造になっていて、日本のマスコミの意識が良く表れているように思いました。つまり、日本のマスコミは「女性たちを日本型の総合職で扱き使う」ことを称賛してる、ってことです。今まで男でやってきたのを女に入れ替えた、というところが今風と言えるでしょうね。

https://www.tbs.co.jp/BOSSKOI_tbs/story/ep4.html
https://www.tbs.co.jp/muryou-douga/20138/20138_2000579_1000001276/index.html

ブログユーザーのコメントにはクスクス(^_^)・・・ユーザと言うよりはクライアント(^_^)

> 日本のマスコミは「女性たちを日本型の総合職で扱き使う」ことを称賛してる、ってことです。今まで男でやってきたのを女に入れ替えた、というところが今風と言えるでしょうね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/02/post-4f081d.html
> 優秀な女性が多数配属されていましたが、その中には”お嫁さんが欲しい”という人が何人もいました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-e3bef9.html
 
そう言えば、同枠の『ナギサさん』は、「家事が苦手なバリキャリ」の多部未華子が
自分と同じタイプの瀬戸康史ではなく、(既にキャリアを卒業した)「家事が得意な
おじさん」の大森南朋を選ぶ話でした。どちらも、それなりに好評である訳ですから
 
 「女性たちを日本型の総合職で扱き使う」ことを良しとする
 
志向はマスコミの独りよがり、という訳でもないのでしょう。

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