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2021年2月 7日 (日)

アーロン・バスターニ『ラグジュアリーコミュニズム』または半世紀遅れの未来学入門

91zjptqwmpl アーロン・バスターニ『ラグジュアリーコミュニズム』(堀之内出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://info1103.stores.jp/items/5fc10286b00aa34c94002ab0

 資本主義がもたらす破滅的な危機を避けるため、いまこそテクノロジーの恩恵を人々の手に。万人に贅沢(ラグジュアリー)を。
めざましい技術革新の果てにあらわれるポスト資本主義社会へ向けた新たな政治=「完全自動のラグジュアリーコミュニズム」の構想。
資本主義リアリズム、加速主義を超えて、イギリスの若手ジャーナリスト、アーロン・バスターニが新しい未来を提示する。

邦訳のタイトルは原題の後半だけで、前半の大事なところが抜けている。

原題は「Fully Automated Luxury Communism」。「完全自動の贅沢な共産主義」だ。この「完全自動」ってのが大事。著者のバスターニの能天気なまでのテクノロジー・オプティミズムをあらわしているのがこの「完全自動」なのだから。

それ故、本書は読む者にものすごく「懐かしさ」を感じさせる。そもそもマルクス御大がある意味そうだったのでそれへの先祖返りでもあるし、最近はそれこそ第四次産業革命というタイトルで山のような類書が出ているんだけど、実は私の場合、本書を読みながら、半世紀以上昔に出たある本が何回も脳裏をよぎっていた。

Koyama それは、1967年に出た香山健一の『未来学入門』(潮新書)だ。

Amazonで1円という値段がついている本書を覚えている人はほとんどいないだろうが、農業革命、産業革命に続く情報革命で人類史は新たな(ラグジュアリーな)段階に展開する・・・という、その後何回も繰り返され陳腐化していく歴史観(その成れの果てが最近政府御用達の「Society5.0」なんだが)を、かなり早い段階で打ち出した本だ。

率直に言えば、それは元全学連委員長だった転向マルクス主義者が梅棹忠夫のひらめきにインスパイアされて作り出したイメージである。

梅棹忠夫が市販されていない広報誌『放送朝日』に「情報産業論」を書いたのは1963年。彼にとっては夜店の余技みたいなものだったのだろうが、その奔放な人類史イメージでもって官許マルクス主義の硬直的で辛気臭い歴史観を取り換えた香山の本は、いわば裏返しの唯物史観になっていた。

裏返しの唯物史観というのは、文字通りの意味でそうだ。まだマルクス主義を脱却して数年しかたってない若き香山の筆が描き出す未来図は、階級闘争がきれいさっぱり拭い去られているだけで、その細かなあれもこれもすべてイデオロギー闘争にかまける愚かな(数年前の自分を含めた)観念論者を馬鹿にし、テクノロジーこそが素晴らしき未来を作り出すという底抜けのオプティミズムをふりまわす、言葉の正確な意味での「唯物」的な歴史観に満ち満ちていた。

この裏返しの唯物史観は、その後世界中に広まった。ダニエル・ベルやアルビン・トフラーからジェレミー・リフキンまで、突き詰めると梅棹忠夫の思い付きの延長線上の議論をあれこれと様々な小ネタを入れて膨らましているだけで、要するに「Fully Automated Luxury Capitalism」なんだよな。

その裏返しの唯物史観をもう一遍裏返したのが本書だ、ということになるわけだが、実のところ「Fully Automated Luxury」という形容に続くものは、共産主義だろうが資本主義だろうが、基本的にはみんな似たようなメロディを奏でることになる。「懐かしさ」というのはそういうわけだ。

これは別に悪口じゃない。上述のように、マルクス御大自身がかなりその気があったわけだし、少なくとも草稿集から片言隻句を探し出してエコロジストの元祖に仕立て上げるどこぞの贋造業者たちに比べれば、百万倍まっとうな議論だとは思う。

でも、やっぱり本書を読み終わった今、感じるのは半世紀以上前の本をほじくりだして改めて読み返しているみたいな、妙な「懐かしさ」なのだ。

あと、細かなことだけど、一点(どちらかといえば出版社の編集者向けに)。

p125に、こういう文章が出てくるけれども、

・・・こうした見解は、オックスフォード大学のふたりの研究者、カール・ベネディクトとマイケル・オズボーンが発表した報告書の結論を追認するものだ。・・・

いや、そりゃ、世の中には、わざと「ウラジミール・イリッチ」とか「ヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ」とだけ言って指し示す用語法もあるけれど、世間では”フレイ&オズボーン”で通っているこの有名な論文の著者の一方を、あえてファミリーネーム抜きにする意図がわからない。

だって、そのフレイの大著『テクノロジーの世界経済史』も邦訳出てるんですぜ。

 帯文 斎藤幸平
ほんとに技術革新で贅沢なコミュニズムができるの?
「脱成長コミュニズム」への挑戦!

目次
序文 未来を求める六人の人物

【第一部】楽園のもとの混沌
 第一章 大いなる無秩序
 第二章 三つの断絶
 第三章 「完全自動のラグジュアリーコミュニズム」とは何か?

【第二部】新たな旅人たち
 第四章 完全な自動化――労働におけるポスト欠乏
 第五章 無限の動力――エネルギーにおけるポスト欠乏
 第六章 天空の掘削――資源におけるポスト欠乏
 第七章 運命を編集する――老いと健康におけるポスト欠乏
 第八章 動物なしの食物――栄養におけるポスト欠乏

【第三部】楽園の発見
 第九章 大衆からの支持――ラグジュアリー・ポピュリズム
 第一〇章 根本原理――新自由主義との決別
 第一一章 資本主義国家の改革
 第一二章 FALC――新たな始まり

訳者あとがき 橋本智弘

 

 

 

 

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