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2021年2月

2021年2月27日 (土)

EUがプラットフォーム労働者の労働条件指令に向けて第1次協議

Blobservlet 去る2月24日、欧州委員会がプラットフォーム労働者の労働条件に関して労使に対する第1次協議を開始しました。

https://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&furtherNews=yes&newsId=9932

Today, the Commission launches the first-stage consultation of European social partners on how to improve the working conditions for people working through digital labour platforms.

この問題については、今までも結構いろいろ書いてきましたが、いよいよプラットフォーム労働者の労働条件指令に向けた動きが始まるようです。

というわけで、これから解説を書いていきますが、それが活字になって皆様の目に触れるようになる前に、来週水曜日、令和3年3月3日の3時からという超ゾロ目の縁起のいい日時にzoomで行う東京労働大学講座特別講座の「フリーランスの労働法政策」の最後のところで、この協議文書の内容、とくにこういう指令案にしたいという趣旨がにじみ出ているところの紹介をしたいと思います。

お申込みはこちらからどうぞ

https://www.jil.go.jp/kouza/tokubetsu/20210303/index.html

Freelance_20210227215201

 

 

2021年2月25日 (木)

『新しい労働社会』第12刷

131039145988913400963_20210225221501 『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』(岩波新書)が刊行されたのは2009年7月。もう12年近く前になり、日本の労働の世界もだいぶ変化がありましたが、なお読み継がれて本日第12刷が出ました。

昨年は「ジョブ型」「メンバーシップ型」という言葉が、いささか誤解にまみれた形で流行しましたが、この概念を定式化したのは本書でした。

改めてこの間本書を愛読していただいた読者の皆様に心より感謝申し上げます。

はじめに
 
序章 問題の根源はどこにあるか-日本型雇用システムを考える
 1 日本型雇用システムの本質-雇用契約の性質
  職務のない雇用契約
  長期雇用制度
  年功賃金制度
  企業別組合
 2 日本の労務管理の特徴
  雇用管理の特徴
  報酬管理の特徴
  労使関係の特徴
 3 日本型雇用システムの外側と周辺領域
  非正規労働者
  女性労働者
  中小企業労働者
 
第1章 働きすぎの正社員にワークライフバランスを
 1 「名ばかり管理職」はなぜいけないのか?
  マクドナルド裁判
  管理職と管理監督者
  スタッフ管理職
  (コラム)組合員資格と管理職
 2 ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実
  ホワイトカラーエグゼンプションの提起
  政府の奇妙な理屈付けと経営側の追随
  労働側のまともな反論
  「残業代ゼロ法案」というフレームアップ
  (コラム)月給制と時給制
 3 いのちと健康を守る労働時間規制へ
  消えた「健康」の発想
  過重労働問題と労働政策の転換
  まずはEU型の休息期間規制を
 4 生活と両立できる労働時間を
  日本型「時短」の欠落点
  ワークライフバランスの登場
  普通の男女労働者のための基準
  (コラム)ワークシェアリングとは何をすることか?
 5 解雇規制は何のためにあるのか?
  恒常的時間外労働と整理解雇法理
  遠距離配転や非正規労働者と整理解雇法理
  生活との両立を守る解雇規制こそ必要
 
第2章 非正規労働者の本当の問題は何か?
 1 偽装請負は本当にいけないのか?
  偽装請負追及キャンペーン
  「偽装請負」とはそもそも何か?
  経団連会長の指摘
  請負労働の労働法規制
 2 労働力需給システムの再構成
  登録型派遣事業の本質
  労働組合の労働者供給事業
  臨時日雇い型有料職業紹介事業
  労働力需給システムの再構成
  (コラム)日雇い派遣事業は本当にいけないのか?
 3 日本の派遣労働法制の問題点
  「派遣切り」の衝撃
  EUの派遣労働指令
  業務限定の問題点
  「ファイリング」の無理
  製造業派遣禁止論の無理
 4 偽装有期労働にこそ問題がある
  登録型派遣事業禁止論の本質
  EUの有期労働指令
  有期労働契約をどう規制すべきか
 5 均衡処遇がつくる本当の多様就業社会
  均衡処遇の必要性
  職能資格制度における「均衡処遇」
  期間比例原則の可能性
  賃金制度改革の社会的条件
  (コラム)職能資格制度と男女賃金差別
 
第3章 賃金と社会保障のベストミックス-働くことが得になる社会へ
 1 ワーキングプアの発見
  ワーキングプアの発見
  プアでなかった非正規労働者像
  生活できない最低賃金
 2 生活給制度のメリットとデメリット
  生活給制度はいかに形成されたか
  生活給制度のメリット
  生活給制度のデメリット
  日本的フレクシキュリティのゆらぎ
  (コラム)家族手当の社会的文脈
 3 年齢に基づく雇用システム
  年齢差別問題の再登場
  年長若年者への年齢差別問題
  学卒一括採用システム
 4 職業教育訓練システムの再構築
  公的人材システム中心の構想
  企業内教育訓練体制の確立
  職業指向型教育システムに向けて
  日本版デュアルシステムの可能性
  (コラム)教育は消費か投資か?
 5 教育費や住宅費を社会的に支える仕組み
  生計費をまかなうのは賃金か社会保障か
  二つの正義のはざま
  教育費や住宅費を支える仕組み
  (コラム)シングルマザーを支えた児童扶養手当とその奇妙な改革
 6 雇用保険と生活保護のはざま
  雇用保険と生活保護の断層
  日本型雇用システムに対応した雇用保険制度のほころび
  (コラム)登録型プレミアムの可能性
  トランポリン型失業扶助
  生活保護の部分的失業給付化
  働くことが得になる社会へ
 
第4章 職場からの産業民主主義の再構築
 1 集団的合意形成の重要性
  「希望は戦争」という若者
  誰が賃金制度を改革するのか
  非正規労働者も含めた企業レベルの労働者組織の必要性
 2 就業規則法制をめぐるねじれ
  労働条件の不利益変更は個別労働問題なのか?
  合理性の判断基準としての労使合意
  労働契約法の迷走 
 3 職場の労働者代表組織の再構築
  労働者代表組織のあり方
  過半数組合と労使委員会
  新たな労働者代表組織の構想
  (コラム)労働NGOとしてのコミュニティユニオン
 4 新たな労使協議制に向けて
  整理解雇法理の再検討
  日本型労使協議制の光と影
  (コラム)フレクシキュリティの表と裏
 5 ステークホルダー民主主義の確立
  三者構成原則への攻撃
  三者構成原則の現状と歴史
  ステークホルダー民主主義の確立に向けて 

『日本労働研究雑誌』2021年2・3月号

728_0203 『日本労働研究雑誌』2021年2・3月号は、メインは「学界展望:労働経済学研究の現在」ですが、経済学論文の最先端をつかまえて議論しているので私の手には負えないのでとりあえずパス。安藤道人さんの御話の中で脇道的に拙著『働く女子の運命』が出てきたりしますが、勿論本筋ではありません。

https://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.html

特集はなんと「船員の働き方」です。

特集:船員の働き方
解題 船員の働き方 編集委員会

紹介 内航船員の働き方について 畑本郁彦(日本内航海運組合総連合会)

船員の集団的労使関係 立川博行(全日本海員組合)

論文 船員の安全と健康確保 久宗周二(神奈川大学教授)

内航船員の働き方改革に向けて─船員労働法制の特質と課題 野川忍(明治大学大学院教授) 

船員労働ってのはニッチだけどなかなか面白いテーマなんですよ。

255_hp 私も以前、『季刊労働法』2016年冬号(255号)に「船員の労働法政策」ってのを書いたことがありますが、陸上労働法の世界とはひと味もふた味も違う世界が広がっていました。

はじめに
1 船員法制の形成期
(1) 西洋型商船海員雇入雇止規則
(2) 商法と旧船員法
2 労働力需給調整システムと集団的労使関係システムの形成*3
(1) ILOの影響
(2) 船員職業紹介法
(3) 海事協同会による集団的労使関係システム
3 戦前期船員法政策の展開と戦時体制
(1) 1937年船員法
(2) 船員保険法
(3) 船員と傷病
(4) 戦時体制下の船員法政策
(5) 終戦直後期における船員管理
4 終戦直後期における船員法制の改革
(1) 労使関係法政策
(2) 1947年船員法
(3) 船員法の労働時間・有給休暇等
(4) 災害補償と船員保険
(5) 労働市場法政策
5 その後の船員労働条件法政策
(1) 1962年船員法改正
(2) 船員の最低賃金
(3) 1988年船員法改正(労働時間関係)
(4) 2004年船員法改正
(5) 2008年改正
6 その後の船員労働市場法政策
(1) 船員雇用問題と船員雇用促進特別措置法(1977年)
(2) 1990年改正(船員労務供給事業)
(3) 2004年改正(船員派遣事業)
7 船員保険の解体
8 船員労働委員会の廃止 
9 ILO海事労働条約の国内法化

 

 

 

アニメーターの労働環境@『ビジネス・レーバー・トレンド』2021年3月号

202103 『ビジネス・レーバー・トレンド』2021年3月号は「アニメーターの労働環境」が特集です。

https://www.jil.go.jp/kokunai/blt/index.html

アニメーターの職場から考えるフリーランサーの働き方

【基調講演】『アニメーターはどう働いているのか?』からみるフリーランス労働 松永伸太朗 長野大学企業情報学部 助教

【研究報告】フリーランサーの働き方 濱口桂一郎 JILPT 研究所長

【事例報告1】実態調査にみるアニメ制作従事者の働き方 桶田大介 日本アニメーター・演出協会 監事、弁護士

【事例報告2】東映動画労組の歴史と労働者としての権利 沼子哲也 東映動画労働組合 副委員長

【事例報告3】アニメーターの働き方の課題 船越英之 亜細亜堂労働組合 委員長

【パネルディスカッション】 コーディネーター:濱口 桂一郎 JILPT 研究所長 

というわけで、昨年12月15日に開催した労働政策フォーラムの中身がBLTに載りました。

松永さんの『アニメーターはどう働いているのか』が労働関係図書優秀賞を受賞したので、せっかくだからアニメ関係者を集めて報告とディスカッションをやれば面白そうだというのでやったものですが、司会の私自身が大変面白く聞かせていただいたという感じです。

Kk

 

2021年2月24日 (水)

「労働者保護」と「ビジネスの成長性」のバランスが焦点にーギグワーカー

Kv_187 ADECCOの「Power of Work」に、インタビュー記事「「労働者保護」と「ビジネスの成長性」のバランスが焦点にーギグワーカー」が載っています。

https://www.adeccogroup.jp/power-of-work/187

私と山田久さんが登場して喋っていますが、私の部分は以下の通りです。

「ギグワーカー」とは、ネット経由で単発の仕事を請け負う働き手を指す。Uber(ウーバー)に代表されるシェアリングサービスや、ネットを通じて仕事を受発注するクラウドソーシングの普及に伴い登場した働き方だ。コロナ禍で外出自粛が求められるなか、料理宅配サービスなどのニーズが急拡大し、ギグワーカーも世界的に増えている。新たな雇用の受け皿になるとの期待がある半面、課題となっているのが労働者保護の枠組みをどう設計するかだ。
ギグワーカーはパートやアルバイトなどの雇用契約を結んでいないケースが多く、個人事業主に当たるため、最低賃金や労災保険などの制度が整備されていない。労働者保護が足りないままでは人員を安定的に確保するのが難しくなるが、逆に保護が行き過ぎればビジネスとしての成長性を損なう可能性もある。このバランスをどう判断するかが争点となっている。
「すでに海外では極めてホットな議論がなされています。特に動きが激しいのが米国。カリフォルニア州では2020年1月に、ライドシェアの運転手を個人事業主ではなく従業員だとする州法が施行されました。しかしライドシェア事業者などの間ではそれに反発する声も強く、その後、同州の住民投票で法制化を覆す提案がなされ、賛成多数を獲得するという事態になりました。それだけ、労働者保護とビジネスの成長性に対する意見が拮抗しているということです」(濱口氏)
今後はギグワーカーの増加に伴い、日本でも同様の議論が活発化していく可能性はある。 

 

熊谷謙一『改訂増補版 アジアの労使関係と労働法』

Image_20210224210301 熊谷謙一さんの『改訂増補版 アジアの労使関係と労働法』(日本生産性本部生産性労働情報センター)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://bookstore.jpc-net.jp/detail/books/goods004009.html

 これまでにない経済発展とグローバル化が続くアジア各国では、社会的な格差拡大とともに、劣悪な労働環境と労使関係の増加など、社会や環境整備が経済成長に遅れていることからくる問題がひろがりを見せている。経済成長とともに、伝統的な労働慣行と新しい労働情勢・労務管理のはざまで、将来に向けた取組みが続いている。
 本書は、アジアの労使関係、労働法制の状況について、現地での経験と調査を踏まえ、西アジアを除く主要18か国と1地域について、その歩みと展開、最新の状況、背景にある歴史と文化について触れている。
 わが国の労使や行政の関係者、進出企業の方々にとって、揺れ動くアジアの労働情勢をより深く理解し、的確な対応をすすめるための一助となるだけでなく、日本の制度や法律をこれまでとは別の角度から見つめ直すことにもつながる一冊である。
(改訂増補版では、既載各国の情勢のアップデートと3カ国と1地域を増補)

初版をいただいたのはもう5年以上前になります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-b59c.html

ご承知のように、熊谷さんは長く同盟、連合で活躍され、その後国際労働財団(JILAF)、そして日本ILO協議会で国際労働派として活躍してこられた方ですが、本書はアジア諸国の労使関係と労働法制の手頃な解説書になっており、いろいろと面白かったです。

初版に追加されているのは、スリランカ、パキスタン、ラオス、それにこれは国じゃありませんが極東ロシアというのが付いてきています。

本書に登場するアジア諸国は今も激動の中にあるところも少なくありません。ここ数年来一国二制がくずされつつある香港は最近の動きまで書き込まれていますが、さすがにミャンマーが今こういう状況になるなんて、本書校了時点でも難しかったのでしょうね。

なお、労働法の動向についていえば、ベトナムの直近の労働法改正(2021年1月施行)までちゃんと入っています。

ついでに予告しておきますと、来月JILPTから『団結と参加―労使関係法政策の近現代史』を刊行します。アジア諸国も含め、世界42か国(地域)プラスEU,ILOの集団的労使関係法制の歴史を概観するものです。

http://hamachan.on.coocan.jp/danketsumokuji.html

 

 

 

 

2021年2月23日 (火)

小島庸平『サラ金の歴史』

102634 小島庸平さんの『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/02/102634.html

個人への少額の融資を行ってきたサラ金や消費者金融は、多くのテレビCMや屋外看板で広く知られる。戦前の素人高利貸から質屋、団地金融などを経て変化した業界は、経済成長や金融技術の革新で躍進した。だが、バブル崩壊後、多重債務者や苛烈な取り立てによる社会問題化に追い詰められていく。本書は、この一世紀に及ぶ軌跡を追う。家計やジェンダーなど多様な視点から、知られざる日本経済史を描く意欲作。

封筒からこの本を取り出した時、私は一瞬、もしかして宛先を間違えられたのかな?と思いました。著者の小島庸平さんも存じ上げていないし、タイトルを見ても、私に送られてくるような本じゃないと思ったからです。

しかし、あて先は間違いなく私です。私に読めという中身があるに違いないと思って、さっそく読み始めました。

読み進むうちに、なるほど、私に読めというのはこういう趣旨だったのだな、ということがじわじわとわかってきました。

一言でいうと、戦後日本におけるサラ金の発展(と没落)は、サラリーマンと専業主婦という性別役割分業を前提とした日本型雇用システムの確立とその変容を反映していたのです。

戦前以来の素人高利貸しの中から、まず「団地金融」というビジネスモデルが登場してきますが、これは団地に入居できるような階層であることを住宅公団の審査によって確証された「社員」の妻に、「夫に内緒で」お金を貸すというものです。

そこから今度は、その夫の方、つまり「サラリーマン」にお金を貸すビジネスモデル、つまり「サラ金」という言葉の源流が生み出されます。

ここで小島さんは、サラ金のニーズが当時の日本企業の人事管理制度とサラリーマン夫婦の在り方にあったのだと説明します。

日本企業の人事管理制度とは人事査定、とりわけ日本独特の「情意考課」です。情意考課で高く評価されるためには、仕事だけではなく全人格的に「付き合い」をよくしなければならず、特に付き合いゴルフや付き合い麻雀が必須です。

ところが一方、戦後日本的夫婦役割分担構造では、「家のことは全部任せた」と財布の管理も専業主婦に委ねられ、夫は渡される小遣いの範囲内で賄わなければならず、情意考課引き上げのための原資はほかに求めなければなりません。それを提供したのがサラ金だったというわけです。ふむふむ。

いささか図式的すぎるきらいもありますが、高度成長期の日本社会の構造からサラ金という新たなビジネスモデル出現の必然性を説く小島さんのロジックはなかなか興味深いものがあります。

この日本型システムがやがて揺らいでいき、そういう「前向き」の資金需要ではなく「後ろ向き」の資金需要、つまり下層の人々の目先の生活資金までサラ金が「金融包摂」するようになっていくと、言い換えればかつての(専業主婦を持てる上級労働者層という意味での)サラリーマン金融から、労働者金融、消費者金融になっていくと、我々の記憶に生々しい暴力的な取り立てのあれこれが全面に浮かび上がってきたというわけです。

この歴史絵解きを、どこまで説得的と感じるか否かは読者によってさまざまでしょう。

さて、読み終わって改めて「まえがき」に目を通すと、上で「金融包摂」といったことに関わる一節が再度目に入ってきました。

貧しい人に金を貸す金融包摂の代表格であるバングラデシュのグラミン銀行、その金利は年20%で現在の大手サラ金よりも高利なのですが、創設者ユヌスはノーベル平和賞を受賞しています。

この皮肉をあらためてじっくりと考えてみる必要がありそうです。

 

 

 

 

 

2021年2月22日 (月)

『日産・ルノー アライアンス オーラルヒストリー』

27210 八代充史・井原久光・牛島利明・梅崎修・島西智輝・南雲智映・山下充編『戦後労働史研究 日産・ルノー アライアンス オーラルヒストリー グローバル提携時代の雇用・労使関係』(慶應義塾大学出版会)をお送りいただきました。

https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766427219/

これ、もしかしたら見た記憶がある方もいるかも知れません。

一昨年に、報告書(非売品)の形でまとめられていたものの市販本です。その時のエントリはこちらですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-c70a.html

いままさに日産とルノーの関係の行方にみんなが固唾をのんでいるときに、こういうオーラルヒストリーを世に送るというのは、あまりにもはまりすぎているというべきなのか、まずい時に当たってしまったというべきなのかわかりませんが、ゴーンが引っ提げてきた日産=ルノーアライアンスが始まったころの証言の数々は、大変興味深いものです。

本書の「はじめに」でも、そもそもこれはゴーンのサクセスストーリーでも、その逃亡劇でも、社内政治話でもないと、くどいくらいに断っています。

それでも、報告書に登場した8人のうち2人が脱落して、本書では6人になっています。解題でもその2人分は削られていますね。

 

 

 

 

2021年2月21日 (日)

今井順『雇用関係と社会的不平等』

L17458 これは著者からお送りいただいた本ではなく、面白そうだったので読んでみたものです。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641174580?top_bookshelfspine

1980年代半ば以降30年にわたる「雇用改革」は,雇用関係をどのように変え,社会的不平等と排除のパターンにどのような影響を与えたのか。「産業的シティズンシップ」に着目し,日本の正規雇用と非正規雇用の格差拡大について一貫した論理で整理する意欲作。 

読んでみると、今井さんの問題意識はほぼわたくしのそれと重なっています。副題には「産業的シチズンシップ」が出てきますが、本書で取り上げられるのはその特殊戦後日本的な形態たる「企業別シチズンシップ」であって、この概念はほぼわたくしのいう「メンバーシップ」と重なります。

第1部でその形成史を簡単に概観した後、第2部と第3部で、ここ30年余りの期間に、非正規と正社員の双方で進んだ変化を、「企業別シチズンシップ」の矛盾の露呈拡大という観点から一貫して論じたものです。この点も、ここ十数年間の私の諸著作の問題意識とほぼほぼ重なっています。

なぜ用語が異なるかといえば、おそらく今井さんは世界の政治社会学で共通概念になっている「シチズンシップ」から入って、その特殊形態として「正社員」であることに様々な権利義務が付随してくる戦後日本の在り方に注目してきたからなのでしょう。

なので、あまりにも私の問題意識と重なりすぎるので、あえて取り上げて論じるところがあまりないのですが、一点興味深いというか、目に付いたのが、第5章の副題にもなっている「去勢されたライフコース」という(やや奇矯にも見える)概念です。

1990年代以降、それまでは正社員になるのが当たり前だった若年青年層に、不本意に非正規化せざるを得ない層が増加したことはよく指摘されていますが、彼らが経験した企業別シチズンシップからの排除に対する「適応」としての心理的な現状処理の一つとして、モラトリアムだと位置づけること、社会的な独立を主張することに並んで、ジェンダー保守主義を強調することが発見されている点は、ここ20年余りのジェンダー・ポリティクスを理解するうえでなかなか重要なのではないかと思いました。

政治的に奇妙にフレームアップされる夫婦別姓問題が、(もちろん様々な要素が絡み合っているとはいえ)自らの未婚時の姓でもって社会的に一定の評価をすでに得ている(勝ち組)女性の、その社会的評価の付着した姓を結婚後も使い続けることによって、コンパラブルな男性と同様の勝ち続けられるポジションを得たいという要望に立脚していることとの対比で、(負け組)若年・中年男性のジェンダー保守主義は、高齢層のいまさら変わらない保守主義とはやはり異なる平面で考察される必要がありそうな気がします。

 

 

 

 

 

 

 

女性がなりたがらない「管理職」と男性がなりたがる「管理職」

経済同友会の代表幹事の発言をきっかけに、女性が管理職になりたがらない問題がまた話題になっているようですが、いくつもの話が輻輳しているこのテーマを、腑分けせずにぐだぐだに話するとわけわかめになりがちです。

この問題には世界共通の問題の側面があり、それはまさに管理監督する責任を負ったハードワークな機能としての「管理職」に対して、社会慣行的に家庭責任を負いがちな女性がなりたがらないという問題です。

ただし、ジョブ型社会におけるハイレベルジョブとしての「管理職」を女性が目指さないというのは、例えば医療の世界でより責任の高い「医師」になりたがらないとかの問題と同様、その根っこのところで女性の参入を促そうという政策につながりますが、メンバーシップ型社会ではそう単純ではありません。日本の企業における「管理職」はそう単純な存在ではないからです。

実際に日本の会社やいろんな組織の中で職業生活を送っている人はみんな知っているように、日本の「管理職」とは、世界共通のまさに管理監督する責任を負ったハードワークな機能としての「管理職」という側面と、実のところは管理の監督もしていない、場合によってはまともな労働すらしていなくても、平社員より相当に高い高給を得ている地位としての「管理職」という側面があり、後者は実のところ管理職になるまでの長年にわたる勤続に対する報酬という性格を持っています。

女性が管理職になりたがらないというのは、裏返して言うと男性は管理職になりたがるということですが、さてその男性がなりたがっている「管理職」というのは、本当に管理監督する責任を負った機能としての「管理職」なのか、それとも往々にして「働かないおじさん」と揶揄されることもある地位としての「管理職」なのか、よく考えて論じる必要があるそうです。

 

2021年2月20日 (土)

イギリス最高裁がUber運転手を労働者と判決(追記:「従業員」に非ず!)

既に報じられているように、イギリス最高裁がUberの運転手を「労働者」(worker)であると判決しました。イギリス労働法の「worker」ってのは「employee」と違ってやや複雑なんですが、かなりの労働法上の保護の対象になります。Uber社がいうような自営業者ではないということです。

https://www.bbc.com/news/business-56123668

_117077186_img_7524 Uber drivers must be treated as workers rather than self-employed, the UK's Supreme Court has ruled.

The decision could mean thousands of Uber drivers are entitled to minimum wage and holiday pay.

むむ、これ報告書のタイミング的に・・・・というところはあるんですが、いずれにしても最近ヨーロッパ各国で続々とこの問題に対する司法の判断が出されてきていて、これから結構動きがありそうです。

イギリスはもはやEU加盟国ではありませんが、その動きは大きな影響力を持ちます。

実は、まだ委員会に出てはいませんが、数日前欧州議会の雇用社会問題委員会に出されるプラットフォーム労働者の公正労働条件、権利及び社会保護に関する決議案が明らかになっていて、これから欧州委員会が何らかの立法手続きに動き出すという観測もあるようで、引き続き注視していく必要があります。

(追記)

このニュース、日本の新聞も報じているんですが・・・・

https://www.asahi.com/articles/ASP2M7WP4P2MULFA046.html(ウーバー運転手は「従業員」 英最高裁が権利認める判決)

配車サービス大手、米ウーバー・テクノロジーズのロンドンの運転手らが、ウーバーに対して「従業員」の権利を認めるよう求めた訴訟で、英最高裁は19日、運転手側の主張を認める判決を出した。ウーバー側は英国の雇用法制に従い、運転手への最低賃金の保証や有給休暇を付与する必要が出てくる可能性がある。仕事をネットで請け負う「ギグ・エコノミー」のあり方に一石を投じる判決だ。・・・・

原文の英語は「employee」じゃなくて「worker」なのに、なんでわざわざ「従業員」なんて間違った訳をつけるんだろう。イギリス以外では両者は同義語ですが、ことイギリスに関する限り、両者は異なる概念であり、それはイギリス労働法の基本なんですが。

ちなみに各紙の星取り票は:

日経新聞:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO69305540Q1A220C2NNE000/(ウーバー運転手は「従業員」 英最高裁、仏に続き認定)

毎日新聞:https://mainichi.jp/articles/20210220/k00/00m/030/214000c(ウーバー運転手は「従業員」 英最高裁判決とギグワーカーの現状)

東京新聞(もとは共同通信):https://www.tokyo-np.co.jp/article/87082(ウーバー運転手は従業員 英最高裁、権利認める)

読売と産経は記事なし。

なんだ、全滅じゃねぇか。

(再追記)

なんで日本のマスコミはみんなそろいもそろってイギリスでは「employee」とは区別される「worker」の話を、わざわざ「従業員」と報じているのだろうと不思議に思っていたのですが、もしかしたら、イギリス発ではなくフランス発のニュースをもとにしていたからなのかもしれません。

https://www.bilan.ch/entreprises/uber-les-chauffeurs-sont-des-employes-pour-la-justice-britannique(Uber: les chauffeurs sont des employés, pour la justice britannique)

これ、AFPからの記事で、AFP日本語版では「従業員」と訳しちゃっていますね。

https://www.afpbb.com/articles/-/3332651(「ウーバー運転手は従業員」 英最高裁が判断)

いや、フランス語では「employés」も「travailleurs」も変わんないかもしれないけど、イギリス語(つうか、ここ20年程のイギリス労働法)では違うんだよね。

 

 

 

プラトンの無断引用の査読者責任

最近の科学の世界の常識はほとんど理解を絶するところがありますが、やはりプラトンの著作といえども引用する場合にはきちんとプラトン本人の了解を得なければならず、それを怠った無断引用の悪質な論文を見逃した査読者の責任たるや極めて重大なものであるようです。なまいだぶ。

https://twitter.com/U4Gv2h/status/1362631267317997570

先日、哲学分野でプラトンの著作を無断引用している論文を見かけました。科学じゃ考えられませんよね。ちゃんと著者に了解を取らないと。

Qwr8e9pw_400x400 見逃した査読者にも責任がありますね。

アテナイまで伝書鳩を飛ばせば済むことですからね。

そうですね、今では最も安全な情報伝達の方法かもしれません。まさか鳩で送るとは思いませんものね。

 

 

総同盟的なるものと民同的なるもの@桝本純オーラル・ヒストリー

旧同盟から連合で組合プロパー(というか本人的には「書記」)として活躍し、一昨年亡くなった桝本純さんのオーラル・ヒストリーが出ているのを見つけました。インタビュワは田口和雄さんで、岩崎馨さんが横に付く形です。

読んでいくと、生前の桝本さんの口ぶりが生き生きと蘇ってくるような感じで、思わず読みふけりました。

性格上、労働運動にかかわる話題しかされていないので、桝本純という多面的な人物像の一部でしかないのですが、その中でも、いくつも重要なポイントが指摘されています。実は、私の労働運動史に対する歴史観の相当部分は桝本さんとの会話で形作られた面もあり、ページごとに懐かしさを覚えました。

その中でも、ややもすると多くの人が勘違いをしがちなところが、労働運動の路線対立を右派対左派でとらえてしまいがちなところでしょう。それは一見激烈だけど表層の対立に過ぎず、根っこは企業別組合中心主義とそれを超えた産別・ナショナルセンターの権限が強いかで、総評も同盟も中に両方の傾向がある。そしてそれは、戦前来の総同盟の流れと、戦後産別民主化同盟の流れに対応すると、

そして、実は企業別組合的性格は総評の方が強かったんですね。何しろ国労も全逓も全電通もみんな超巨大国営企業の企業別組合で、やたら過激に見えるその「闘争」もすべて、藤林敬三の言うところの「家庭争議」。これらはみんないわゆる「民同左派」なわけです。内弁慶体質。

一方、同盟に行った「民同右派」も、政治イデオロギーの向きが違うだけで、体質は全く同じ。塩路天皇みたいに企業内で力をふるう、その振るい方が違うだけ。

一方、旧総同盟の系譜をひく流れは、総評では全国金属だけど、初期の高野実が追放されたのちは、これはもうほんとに周辺的な存在。

同盟では総同盟派がそれなりの存在感をもち、企業別組合を超えた運動体質はそれなりに残っており(ここが、桝本さんが自らの同盟時代の経験として語るところですが)、とはいえやはり民同右派(「全労」)が大きな力を持っていた。

で、桝本さんの言いたいのは、連合結成は決して同盟の勝利なんかではなく、実は民同的なるものの勝利であり、総同盟的なるものの敗北なんだということ。

そして、やたらにイデオロギーで喧嘩していた全国金属と全金同盟がJAMとして元のさやに納まったら、実は似たような体質であったことがお互いに分かった云々という笑い話みたいなことがおこるわけです。

これはほんとに、ぜひ一般向けの本として出版してほしい内容です。まあ、あれこれの人の名前も出てきて、そのままでは出版できないところもあるかもしれませんが。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-6e841b.html(桝本純さんのこと)

桝本さんは、ここではかつてのブントの理論的リーダーとして「偲」ばれているんですが、彼はその後労働組合ナショナルセンターの同盟のプロパー職員となり、その後連合に移り、連合総研の副所長もされていて、私との関係ではこの頃にかなり密接なおつきあいをさせていただいたんですね。

 

 

2021年2月19日 (金)

コロナ禍の雇用・女性支援プロジェクトチームのメンバー全員のリスト

一部新聞が、特定の一部メンバーの名前だけを報じたために、やや誤解を招きつつあるかに見える標記プロジェクトチームですが、厚生労働省のプレスリリースからメンバー全員の名前をコピペしておきます。いろいろな考え方があると思いますが、おおむねこういう会議体に出てくるであろう方々の中に、やや目を引く方も含まれているといったところではないかと思われます。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_16829.html

コロナ禍においては、女性の雇用等への影響が特に深刻となっていることを踏まえ、政府が実施している支援策の効果的なPR方法等について、発信力のある有識者も交えて議論し、困難な問題を抱える方々に必要な支援が十分に行き渡るように取組を一層進めるため、三原厚生労働副大臣をチームリーダーとして、本プロジェクトチームを開催する。

チームリーダー     三原じゅん子  厚生労働副大臣
メンバー        金子恵美   元衆議院議員(※オンライン参加)
                               駒崎弘樹   認定特定非営利活動法人フローレンス 代表理事(※オンライン参加)
                               小室淑恵   株式会社ワークライフバランス 代表取締役
                               佐藤博樹   中央大学大学院戦略経営研究科 教授(※オンライン参加)
                               菅井利雄   株式会社ブレインズ・カンパニー 代表取締役社長
                               トラウデン直美   環境省サスティナビリティ広報大使
                                                         慶應義塾大学法学部政治学科在学中(※オンライン参加)
                               西田亮介   東京工業大学リーダーシップ教育院・リベラルアーツ研究教育院 准教授(※オンライン参加)
                               古市憲寿   慶應義塾大学SFC 研究所 上席所員(※オンライン参加)
                               三浦瑠麗   株式会社山猫総合研究所 代表取締役
                               森永真弓   株式会社博報堂DY メディアパートナーズ
                                                メディア環境研究所 上席研究員(※オンライン参加)
ゲストスピーカー      工藤啓       認定特定非営利活動法人育て上げネット 理事長(※オンライン参加)

 

 

 

 

池田心豪『仕事と介護の両立』

9784502369216_430 佐藤博樹、武石恵美子責任編集のシリーズ「ダイバーシティ経営」の第6巻は、JILPTの池田心豪さんの単著『仕事と介護の両立』です。

https://www.biz-book.jp/isbn/978-4-502-36921-6

介護と仕事の両立は、育児と仕事の両立と何が違うのかを浮き彫りにしながら、ダイバーシティの喫緊の課題である仕事と介護の両立支援について、柔軟な発想で考え方を示す。

池田さんはこの問題の第一人者で、厚労省の研究会でも議論をリードしてきた人なので、こうした一般向けの本として一冊にまとめられると便利です。

中身は累次の研究報告書などで既に読んできたものが多いですが、「介護は育児と違う」というメッセージを中核にまとめられているので、頭がすっきりします。

 

 

 

UNCORRELATEDさんの書評

9_20210219091901 一昨日、アンコリさんがツイートで『働き方改革の世界史』にコメントされていたのを紹介しましたが、その後ブログ「ニュースの社会科学的な裏側」で、より詳しい書評を展開されています。

http://www.anlyznews.com/2021/02/blog-post_18.html(名著から学ぶ『働き方改革の世界史』)

・・・立命館大学の海老原嗣生氏と労働政策研究・研修機構労働政策研究所の濱口桂一郎氏がこういう状況を改善するためにか、ユニークな労働組合の歴史と構造を学ぶための本を出していたので拝読してみた。『働き方改革の世界史』は、構成から大学の半期の講義での利用を考えた節のある、労働問題に関する名著の紹介を通して、労組の始まりから没落気味なところまでの歴史と種類別の機能、さらに国際的な違いが学べる本。ただし、序章で普通の日本人は労働争議の手順すらしらないことを嘆いているが、法的手続きのような細かいことが学べる本ではない。 

私がいう話ではないかもしれませんが、かの『エンゼルバンク』のモデルであり、人呼んで「雇用のカリスマ」こと海老原さんをつかまえて「立命館大学の」というのは、いささかいかがなものかと。

・・・引用部分ではない地の文の語り口は軽いし、だらだらと読んでいくとトレード(職業)型/ジョブ(職務)型/パートナーシップ型といった概念の違いが分かるようになるし色々と勉強になるので、労働組合に興味がある人にも、理論や計量を主に学んでいて制度的な知識が危うい人にも、労働組合を悪く言いたい人にもお勧めできるのだが、ぼそっと書いてある労組がマクロ経済に与える影響については、学部生も対象読者にしている本だと思うので、もう少し慎重に書いて欲しかった。「結果的にデフレ二○年間を生み出してきた日本型社員組合」(p.36)とぼそっと書いてあったりするが、それがデフレの原因と言うには理論的、計量的な分析が要るし、そもそも物価が継続的に下落していたのは「失われた二十年」の最初の十年弱でしかない。

ここはツイートで批判されていた論点と同じですね。

で、最後に私の一昨日のエントリを受けてこう追記されています。

追記(2021/02/18 21:37):同じような内容のツイートの方に、デフレに関しては「半世紀前の「聞き分けのない労働組合がインフレの元凶だ」という議論をそっくりそのまま裏返しただけ」と言う説明があった。そう言えば昔、そういう話もあった。

(なお)

ちなみに、アンコリさんのこのブログの直前のエントリでは、例のラムザイヤーさんの部落民論文に対する角岡さんの批判を批判しています。議論の中身そのものというよりも、書かれていることの典拠があるかないかという、ある意味で極めて重要な問題に触れていて、興味深いものでした。

 

 

「織田信長に学ぶ、ジョブ型雇用の成功の条件」か・・・

2928_fig もう舌にたこができるくらい文句を言っているので、毎日数十件ずつ登場する「ジョブ型」をいちいちどうこう言う気は疾うになくなっているのですが、でもやっぱり出てきましたな、経営コンサルお得意の戦国武将シリーズ。

https://hrzine.jp/article/detail/2928  (織田信長に学ぶ、ジョブ型雇用の成功の条件)

たぶん、今度は、「明智光秀から考える、ジョブ型雇用と忠誠心」なんてのがでてくるんでしょうか。

今年の『プレジデント』誌のラインナップが楽しみです。

 

 

 

 

 

2021年2月18日 (木)

スウェーデンよりイタリアの方が反フェミニストは少ない

Tatevhovhannisyan-1 例によってソーシャル・ヨーロッパからですが、ちょっと変化球の記事。

https://www.socialeurope.eu/fewer-italians-than-swedes-hold-anti-feminist-views

Fewer Italians than Swedes hold anti-feminist views

スウェーデンよりイタリアの方が反フェミニストが少ない、って、それがどうしたの?

いや、そりゃ、ヨーロッパでも各国民性に対してステレオタイプがあるわけですよ。

イタリア?

Few would consider Italy—known for its ‘macho’ politics and far-right leaders promoting ‘traditional’ gender roles—as a hotspot for feminist values in Europe. 

「マッチョ」政治と伝統的な性別役割を促進する極右の指導者で知られるイタリアが、ヨーロッパにおけるフェミニスト的価値観のホットスポットだなんて考える奴はほとんどいないだろう。

ところがそうでもないみたいで、フェミニズムを男性の周縁化、悪者化のもとだと非難する者の数は一番少ないようだ。

スウェーデン?

Meanwhile, in Sweden—long seen as a bastion of progressive gender-equality politics—more people (41 per cent) than anywhere else surveyed said they at least somewhat agreed with the statement: ‘It is feminism’s fault that some men feel at the margins of society and demonised.’

進歩的なジェンダー平等政治の要塞と長くみなされてきたスウェーデンだが、他のどの欧州諸国よりも男性の周縁化、悪者化の元凶をフェミニズムだという意見に賛成する者が多いらしい。

各国の数字はこのグラフの通りなんですが、

Screenshot20210216at171058

 

 

 

 

 

解雇の金銭救済制度はなぜねじれにねじれるのか?@『労基旬報』2021年2月25日号

『労基旬報』2021年2月25日号に「解雇の金銭救済制度はなぜねじれにねじれるのか?」を寄稿しました。

 過去20年間、労働時間法制や非正規労働法制など大きく変わってきた分野に対比して、議論ばかりが繰り返されながらほとんど何も進展がなかった分野が解雇法制、とりわけその金銭解決(補償/救済)制度です。2003年の労働基準法改正時には国会提出直前に蹉跌し、2007年の労働契約法制定時にはもとになった研究会報告でかなり詳細な制度設計をしながらも労政審の審議でいつの間にか消滅しました。その後「日本再興戦略」を受けて、2015年10月から「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」で議論され、2017年5月に一旦その報告書が出されたものの、2018年6月からさらに「解雇無効時の金銭救済制度に係る法技術的論点に関する検討会」を設置して、前記報告書が提起した金銭解決制度の法技術的論点の検討を続けています。2020年に入ってからは1年近く動きがありませんでしたが、ようやく2020年11月に再開し、その議論の整理では、これまでの形成権構成に加え、新たに形成判決構成が並列されています。この両者を対比させてざっと見ておきましょう。
 形成権構成では、無効な解雇等により金銭救済請求権(形成権)が発生し、その行使として訴えの提起等がなされ、これにより解消金債権が発生し、その金額が判決確定によって判明するとともに、訴えの提起により解消金支払いの条件付き労働契約の終了という効果が発生し、解消金支払という条件成就に伴い労働契約が終了します。
 これに対し形成判決構成では、無効な解雇等は形成原因の発生に過ぎず、解消金債権の発生と解消金支払い条件付き労働契約の終了の判決を求める訴えを提起し、認容判決が確定することにより解消金債権が発生するとともに、解消金支払条件付き労働契約の終了という効果が発生し、解消金支払という条件成就により労働契約が終了します。
 形成権構成では原則的には裁判外でも公使可能ですが、制度創設時には訴えの提起又は労働審判の申立てに限り、裁判外での権利行使の可否については制度創設後の状況等を踏まえて検討します。形成判決構成では訴えの提起又は労働審判の申立てによりますが、労働審判で実現することが可能かという問題があります。
 また、解消金の構成と支払の効果については、労働契約解消金の支払のみによって労働契約が終了するという構成と、バックペイの履行確保の観点から、労働契約解消金に加えて(併合提起した)バックペイも支払ったときに労働契約が終了するという構成を示しています。後者には、バックペイを先に充当する旨の特則を労働契約法に規定し、バックペイ弁済後解消金の支払により労働契約が終了する案、バックペイを労働契約解消金に含める案があります。
 解消金で補償すべき範囲は現在の地位に反映された解雇前の就労実績の喪失と契約終了後の将来得べかりし賃金等の経済的損失であり、その考慮要素としては勤続年数、給与額、企業規模、年齢が挙げられていますが、年齢については低いほど今後就労する期間が長く経済的損失が大きいという評価と、年齢が高いほど再就職が困難となり経済的損失の補償の必要性が高いという相反する評価が示されています。
 算定方法については、客観的な考慮要素のみで算定式を構成して基準額を算定した上で、一定の評価を要する考慮要素によって等が基準額を増減する方法と、基礎的な部分について一部の定型的な考慮要素のみで算出し、それに加わる部分については上限を決めるのみで、その他の個別的な要素を考慮して算定する方法が示されています。
 このように、一見法技術的な議論が煮詰まってきているように見えますが、そもそも現実の労働社会において膨大な数に上っている解雇の法社会学的実態から考えた時、上述のような法技術的な議論のどれほどが多くの労働者にとって意味のあるものであるのか、大変疑わしいという感を免れないものがあります。本紙でも何回も書いてきたように、日本では労働紛争が裁判所に到達するのは極めてわずかな数でしかありません。ヨーロッパ諸国のように労働裁判所で年間数十万件の事案を処理しているような国とは違うのです。筆者は裁判所まで行かない主として中小零細企業における個別労働紛争とその解決の実態を探るため、都道府県労働局におけるあっせん事案の内容を分析し、『日本の雇用終了』や『日本の雇用紛争』(労働政策研究・研修機構)として公刊しましたが、そこでは解決する事案ですら平均して10万円台の解決金で解決しており、むしろ解決しないものの方が多いのが実態です。世の中の実態としては、日本も解雇は金銭解決されている国なのです。なのに、それを法律に書こうとすると、法技術的な難問がぞろぞろ出てきてなかなか収拾がつかないという訳の分からない事態になってしまうのです。ごくごく上澄みの判例法理だけで細かな議論を積み重ねれば重ねるほど、圧倒的に多くの労働者とは縁遠い空虚な制度設計になっていくだけではないでしょうか。
 それにしても解雇の金銭救済という問題はなぜここまで込み入った話になってしまったのでしょうか。解雇自由が原則のアメリカを除けば、ヨーロッパ諸国にはいずれも何らかの解雇規制がありますが、その救済制度としては金銭解決が一般的です。それがなぜ日本ではこんなに難しいのでしょうか。
 その最大の理由は、権利濫用法理というもともと例外的な状況に対してのみ最後の手段として取り出してくるべき法理を、よほどのことがない限り適用されるべき原則的な法理として確立してきてしまったことにあると思われます。いわずもがなですが、権利濫用とは、民法1条3項に規定される超一般原則です。普通はそれぞれの法律におけるそれぞれの規定に従って動いているけれども、それでは社会正義に反することになってしまう、しかしそれにうまく当てはまる法規定が見つからないという絶体絶命の状況で、突然神様が天から降りてきて、「この紋所が目に入らぬか!」とひっくり返してしまう万能の武器が権利濫用法理なのです。民法の授業では、信玄公旗掛松事件とか宇奈月温泉事件が必ず教えられますね。
 ところが労働法の世界にくると、権利濫用と言いながら解雇に正当事由がなければ権利濫用になってしまうという、原則と例外が完全に逆転した法理になってしまいます。もちろん、もともとの民法では解雇自由が原則だったので、それに対して労働法の世界が丸ごと例外なのだといえばそうなのですが、その膨大な、もはや原則の存在する余地のないくらいの例外が、依然として例外としての法的規定のまま存在し続けていることが、今日解雇の金銭救済をめぐって法技術的論点に頭を悩ませなければならない大きな原因になっているのだと思われます。
 解雇はもともと自由に行使することのできる権利でした。それを前提に、しかしこの事案ではあまりにひどいから、権利濫用法理を使って特別に例外的に解雇を無効にしてやろう、と、最初は考えたのでしょう。そして、そういう例外的処理が山のように積み重なっていきました。しかし、どんなに積み重なっても例外的処理は例外的処理です。絶体絶命の状況で天から降りてくる葵の御紋です。一般原則として、この解雇はこれほどに不当だから無効にしてやろう、この解雇はこの程度しか不当でないから無効にはせず、金銭の支払いで許してやろうとか、そういう全体的な目配りができるような仕組みにはならなかったのです。
 大変皮肉ですが、ヨーロッパ諸国のように早い段階で法律上に解雇規制を書き込むという法政策が採られていれば、そういうこともできたかもしれませんが、残念ながらそういう機会を逸してしまい、2003年に労働基準法改正によって初めて解雇権濫用法理がそのまま法律上に規定されることになりました。
 とはいえ、あらためて考えてみると、この2003年改正時にもう少し落ち着いて法政策の在り方を深く考える余地はあったようにも思われます。この時、それまでの判例法理をそのまま立法化するという触れ込みだったのですが、よくよく考えれば、それまでの判例はいかに膨大な数に上るとはいえ、すべて個別事案に対する個別判断の積み重ねに過ぎません。その当該解雇事案については、正当な理由がないから無効だと判断してきただけであって、およそ正当な理由がない解雇はすべて無効だというような一般原則を定立したわけではありません。この事案はひどいから無効だけれども、別の事案はそこまでいかないから金銭を払えば有効にしてもいい、というような判断がありうることを否定していたわけではありません。
 その意味では、今日解雇の金銭救済制度で、例外的な状況だから無効という大前提の上に、金銭救済制度を考案しなければならないという「無理ゲー」をしなければならなくなった原因は、あまり深く考えずに判例法理を「そのまま」実定法に書き込んでしまった2003年改正にあったのかもしれません。

 

2021年2月17日 (水)

インフレの元凶、デフレの元凶

アンコリさんが『働き方改革の世界史』にツイートでコメントされているのですが、

https://twitter.com/uncorrelated/status/1361905380461174784

7701a3bd22bf6f31d55ea7ec9e6a4569_400x400 だらだらと『働き方改革の世界史』https://amzn.to/2OCnSwA を読み始める。語り口が軽く読みやすい思想史と言うか労働問題の古典紹介になっている。 

根拠脆弱と言う意味で「結果的にデフレ二〇年間を生み出してきた日本型社員組合」(p.36)がちょっと気に入らないのだが、組合の形態は制度だから外生的と見なせるから、論としては成立するかな。 

数理モデルと計量分析にウェイトがかかっている経済学徒が読むと視野が広くなりそうではあるが、なぜかより一般均衡で考えないといけない感が出てくる。こういう歴史学的な方向でいったら、経済学のアドバンテージを示せないからかな? 

いやまあ、わたしはむつかしい経済理論を使って経済分析しているわけでもなんでもないので、どういう「論」として成立しているかといわれれば、せいぜい労働をめぐる議論にすぎないわけですが、それも別段目新しい議論をやっているわけでもなく、半世紀前の「聞き分けのない労働組合がインフレの元凶だ」という議論をそっくりそのまま裏返しただけです。

今どきの若い人は知らないでしょうが、1970年代の世界中の経済論議の焦点はインフレ、それも不況なのに物価は上がり続けるスタグフレーションというやつで、その元凶と目されていたのが、企業経営に何の顧慮もしないで平然と賃上げ要求ばかりやりやがる労働組合というやくざ連中だったわけです。世界的には。「へぼ将棋、雇用より賃金をかわいがり」てなわけです。

その中で、なぜか例外的に経済整合性をわきまえていたのが、当時世界中の経済学者から賞賛の嵐を浴びていたわが日本の労働組合であったなんてことは、もはや老人でないと覚えていないのでしょうね。

例外的にインフレの元凶ではなかったがゆえに経済学者から賞賛されていた日本の労働組合が、半世紀後には「へぼ将棋、賃金より雇用をかわいがり」とデフレの元凶視されるに至ったのも、実のところ論理構造自体は何にも変わっていないのです。

 

 

2021年2月16日 (火)

ジョブ型雇用 テレワークだけでなく「シニア雇用」などにおいても重要に@ADECCOの『Power of Work』

Kv_186 ADECCOの『Power of Work』のインタビュー記事からもう一つ、「ジョブ型雇用 テレワークだけでなく「シニア雇用」などにおいても重要に」。前半はテレワークがらみの話ですが、最後のパラグラフのこれが大事です。

https://www.adeccogroup.jp/power-of-work/186

・・・「そもそも管理職に不向きな人財もいます。そこで、誰もが一様に旧来型の出世コースを目指すのではなく、例えば40代の中堅社員ぐらいから、特定の専門職としてずっと働くことを選べるような制度を導入する。年功制ではなく、職務に対して給与を支払う仕組みにすれば、60歳を超え、定年再雇用で70歳まで働いても同じ賃金水準を維持できる。このようなシニア世代までを想定したジョブ型雇用の活用には、大きな意味があると思います」(濱口氏)

ちなみに、わたしは「じんざい」と喋ったときに「人材」という字を想定していましたが、文字起こしされたのは「人財」となっていたので、「人材」だといったのですが、会社の方針で「人財」だと言われたので、そうなっています。

個人的にはあんまり好きな字面ではないのですけど。

 

労働運動はプチブルである件について

9784480073310_600_20210216095501 昨日紹介した『経営法曹研究会報』の創刊第100号記念特集号のパネルディスカッションの中で、いろいろと面白ネタについて喋っていますが、その中で昨年の『働き方改革の世界史』に絡んでお話しした部分を。労働運動というのはそもそもプチブルの運動なんですよ。

 

緒方 先ほどのご講演で労働力が商品であるというお話がありました。資本主義社会の中ではブルジョワジーとプロレタリアートがいて、持たない者が労務の提供を商品にして対価を得るというのが、雇用契約というか、資本主義社会の中の基本的な、原理的な考え方ではないかと思います。それと、先生の先ほどのご講演で、労働力と独占禁止法との関係があって、取引契約の基本を据えて、交渉力を付けるために集団カルテルを認めたというお話がありました。労働力の商品とその関係がどう関連するのかをもう少し教えていただければと思います。

 講師・濱口 これは最近出た『働き方改革の世界史』という本にも書いていますが、今言われたブルジョワジーとプロレタリアートというのはマルクス主義的な発想で、これはむしろ欧米の主流の労働運動の発想ではありません。ですので、私の本ではマルクスは取り上げていません。取り上げていないというのは、労働運動はそういう発想ではないのです。

 では何かというと、今の言い方になぞらえて言うと、労働者はプロレタリアートではなくてプチブルです。プチブルというのは、大ブルジョワジーに対するプチブルです。商店主や何かみたいなところです。つまり、労働力を売るというのは、小さなお店が自分のところの物を売っているのと一緒です。そういう意味では、マーケットの同じアクターです。だから、労働者もそういう意味からいくとブルジョワジーです。物すごく違和感のある言い方かもしれませんが、欧米の労働運動の出発点はプチブルとしての労働運動です。プチブルというのは、労働力という商品を売るわけです。ただし、大きなブルジョワジーに比べれば弱い。だから団結するわけですが、団結というのは、つまり、別の言い方をすれば談合です。弱いプチブルが談合して、この値段以下では売らないぞと言っているわけです。それが労働運動の出発点です。

 それに対して、みじめな労働者があまりにもかわいそうだから、我々社会主義者がお前たちを救ってやろうというのがマルクス主義なので、流れとしてはその2つは全く別だと思ったほうがいいと思います。

 労働は商品ではないというのはどういうことかというと、商品を売っている労働組合が、商品を売る人間が、談合するのはけしからんと言って繰り返し摘発されたわけです。しかも、罰金が2倍返し、3倍返しのような迫害を受けた。それに対して、アメリカ労働総同盟(AFL)のサミュエル・ゴンパーズは立法運動をして、法改正を勝ち取った。反トラスト法の中に、労働者が団結してカルテルのようなものを結んでも、それは対象にしないという法律をつくらせようという運動を延々と何十年もやって、ついにそういう法律が出来るわけです。アメリカの労働運動の歴史は、その運動の歴史です。

 日本はそれが全部終わってから、独禁法もそれが終わってからやってきたので、それがあまり表に見えない。ですが、根っこをたどると、実はそういう話になっています。

 ですので、労働は商品でないというのは、商品だけれどもカルテル規制の対象にはするなという意味での言葉だというのが本来の意味ですが、そもそも雇用関係が人間関係になってしまって、労働力が本当の意味で商品でなくなってしまっている日本では、逆に、まともに商品として、この性能は幾らだということを言うと、労働者を商品扱いしてけしからんというような訳の分からない批判になってしまっている。その辺のずれ、おかしさがあるということを言いたかったわけです。

 その辺は最近出た本の中でももう少し詳しく解説していますので、読んでいただければと思います。

 

2021年2月15日 (月)

わが国における『ジョブ型』雇用の導入と実務上の課題@『経営法曹研究会報』創刊第100号記念特集号

Image0_20210215131501 経営法曹会議の機関誌『経営法曹研究会報』の創刊第100号記念特集号をお送りいただきました。

そのほとんどのページを占めているのは、昨年10月23日に収録して録画配信した経営法曹会議の労働法実務研究会の基調講演とパネルディスカッションです。

わたくしがたっぷり(『ジュリスト』の奴よりももっとたっぷり)喋った後、大澤英雄さんの司会で、木村貴弘、緒方彰人、鈴木里士の各氏とさらにさらにたっぷりと議論を闘わしております。

『ジュリスト』が短くて物足りなかった方は、こちらをどうぞ。

 

渋沢栄一と労働問題(再掲)

いよいよ大河ドラマが始まり、新一万円札に内定している渋沢栄一が(なぜか徳川家康とともに)出てきたので、 

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一万円札が話題になったときに本ブログで彼を取り上げたエントリ2題を再度再掲しておきます。二部構成になっていますので、最後までちゃんと読むこと。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-7677.html (渋沢栄一の工場法反対論)

 なにやら、お札の顔が変わるという話があるようで、1万円札の福沢諭吉の次は大隈重信・・・とはならないで、渋沢栄一という名前が挙がっているようです。
渋沢栄一who?
概略はWikiを見ればわかりますが、そこに書かれていない労働法関連のエピソードを一つ。
拙著『日本の労働法政策』414ページにも一部引用してありますが、彼は明治29年(1896年)の第1回農商工高等会議の席で、「職工ノ取締及保護ニ関スル件」の諮問に対し、次のような反対意見を述べています。
・・・夜業ハイカヌト云フコトハ、如何様人間トシテ鼠トハ性質ガ違ヒマスカラ、昼ハ働ライテ夜ハ寝ルノガ当リ前デアル、学問上カラ云フトサウデゴザイマセウガ、併シナガラ一方カラ云フト、成ルベク間断ナク機械ヲ使ツテ行ク方ガ得デアル、之ヲ間断ナク使フニハ夜業ト云フ事ガ経済的ニ適ツテヰル・・・唯一偏ノ道理ニ拠ツテ欧州ノ丸写シノヤウナモノヲ設ケラルルト云フコトハ絶対ニ反対ヲ申シ上ゲタイ
いやあ、実に爽快なまでの経済合理性優先の労働者保護反対論をぶち上げています。人間は鼠じゃないといいながら、鼠みたいに使いたいという本音が優先しています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-9402.html (渋沢栄一の工場法賛成論)

 昨日のエントリを見て、渋沢栄一ってのはとんでもねぇ野郎だと思ったあなた。いやいや話はそう単純じゃありません。
明治29年(1896年)の第1回農商工高等会議の席では、「唯一偏ノ道理ニ拠ツテ欧州ノ丸写シノヤウナモノヲ設ケラルルト云フコトハ絶対ニ反対ヲ申シ上ゲタイ」と、猛反発していた渋沢ですが、その後工場法による職工保護の必要性を認めるようになり、明治40年(1906年)の第1回社会政策学会には来賓として呼ばれてこういう挨拶をしているんです。
・・・それから工場法に付て一言申し上げますが、・・・私共は尚早論者を以て始終目せられたのであります。・・・
・・・そこで我々が其工場法に対して気遣ひましたのは、唯々単に衛生とか、教育とか云ふ海外の有様だけに比較して、其法を設けるのは、独り工場の事業を妨げるのみならず、職工其者に寧ろ迷惑を与へはせぬか、其辺は余程講究あれかしと云ふのが、最も私共の反対した点であつた。・・・
・・・併し其時分の紡績工場の有様と今日は大分様子が変つて来て居る、試に一例を言へば、其時分に夜業廃止と云ふことは、紡績業者は困る、どうしても夜業を廃されると云ふと、営業は出来ないとまで極論したものでありますが、今日は夜業と云ふものを廃めても差支へないと紡績業が言はうと思うので、世の中の進歩と云ふか、工業者の智慧が進んだのか、若は職工の有様が左様になつたのか、それは総ての因があるであらうと想像されます。又時間も其時分よりは必ず節約し得るやうに、語を換へて言へば、時を詰め得るやうになるだらうと思ひます。故に今日に於て工場法が尚ほ早いか、或は最早宜いかと云ふ問題におきましては、私はもう今日は尚ほ早いとは申さぬで宜からうと思ふのであります。・・・
・・・左様に長い歴史はありますが、今日が尚ほ早しとは申さぬのでありますけれども、願くは実際の模様を紡績業に就て、或は他の鉄工場、其他の業に就て、之を定めるには斯ることが実地に大なる衝突を生じはせぬかと云ふことだけは努めて御講究あれかしと申すのであります。学者の御論中には英吉利、独逸、亜米利加等の比較上の御講究が大層な討論と思召さるるが、それは言はば、同じ色の闘ひであつて、所謂他山の石でないから、其事の御講究に就て十分御注意あらむことを希望いたすのであります。
11年後の渋沢は、もう工場法には反対しないと言っています。ただ、最後のあたりで、社会政策学会の学者連中に対して「先進国の出羽の守ばかりやりやがって、日本の現実を知らねぇんじゃねぇか」(大意)といわんばかりの台詞を噴いている辺りは、「唯一偏ノ道理ニ拠ツテ欧州ノ丸写シノヤウナモノヲ設ケラルル」云々の気持ちは少しは残っているようではありますね。

 

2021年2月13日 (土)

「成長」の物語(基本的に再掲)

この記事に対して、

https://toyokeizai.net/articles/-/409906(徹夜も上等!結局「猛烈に働く人」が成長できる)

「社長輩出企業」として知られるリクルート。同社で鍛えられ、外に出て社長になるのは男性だけではない。なにせ『リクルート出身社長名簿女子版2021』という本が出るくらいに「女性社長」を輩出しているのだ。
リクルート女子はなぜ社長になれるのか。自らも元リク(リクルートのOB・OG)で、女性経営者を支援するベンチャー企業「コラボラボ」の社長でもある横田響子氏に、『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』を上梓した大西康之氏が話を聞いた。 

deseanさんがこう呟いていたので、

https://twitter.com/desean97/status/1360369456057249796

 そもそも「成長」という言葉が不明だよな。成長ってなによ。「出世」はわかる。「稼ぐ」もわかる。でも「出世する」って「成長する」なのか?「稼ぐようになる」って「成長」なのか?

この、日本の雇用社会における独特な「成長」という言葉の奇怪さに気が付かれましたな。

これも、本ブログで折に触れ論じてきたトピックです。

せっかくなので、いくつかのエントリをお蔵出し。

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http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b066.html(決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!)

ダイヤモンド・オンラインの「格差社会の中心で友愛を叫ぶ」から、「じつは派遣より悲惨!?“ブラック化”する外食・小売チェーンの正社員たち」というタイトルの、読んでいくうちに背筋が冷えてくるリポートを。筆者は西川敦子さん。

http://diamond.jp/articles/-/7843

>“交通事故を引き起こす社員がやたらと多い”。

 これが「外食産業の裏側」の管理人で、大手外食チェーンで働く大塚賢児さん(仮名・30代)の率直な感想だ。疲労と睡眠不足でハンドル操作を誤るのだろうか。車が全損するほどの大きな事故もまれではないそうだ。

 社員の悲劇はそれだけにとどまらない。

「寝床から起き上がれない」と電話をかけてきたきり、退職する社員。接客中に倒れる社員。突然、失踪してしまう社員。

 今までに大勢の同僚がこうして職場から消えて行った。

 大塚さん自身、危うい場面を何度も経験している。運転中、信号待ちの間に猛烈な睡魔が襲ってくることは数知れず。39度の熱に浮かされても仕事を休むことはできない。

“身近で格安”というイメージのある外食・小売チェーン。だがその裏では、一部の企業で過重労働問題が多発している、という声がある。

具体的な事例はぜひリンク先をじっくりお読みいただきたいところですが、雇われて従わざるを得ない側の

>なんだかんだで自宅に戻る時間がなく、控室の床に段ボールを敷いて寝ることも多い、と大塚さん。店の駐車場に停めた車で寝ることもしばしばだ。

 たまに帰宅すれば、ベッドに倒れこんで泥のように眠るだけ。アパートのポストは郵便やDMがいっぱいで、洗濯カゴからは汚れた衣服が溢れているが、どうすることもできない。

というような状態を、自分で好きに夜中まで働いているベンチャー経営者の感覚で

http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10428558374.html

>最近は新規上場する会社の元従業員とかがチクって労働基準法違反が見つかり上場審査で×を貰うことも多いらしい。ベンチャー企業の従業員の多くは好きで夜遅くまで働いている奴も多いのに、それができなくなる。なんて馬鹿馬鹿しい。きっと労働生産性が低く働きづらくなってやめた社員の僻みだったりするんだろうが。

と罵る神経はあまりいただけるものではありませんね。

もちろん、本ブログにも現れたように、そういうのを崇拝する人々もいるようで、

>ところで、ベンチャー系チェーンの中には、経営者を崇拝する社員たちが、自らサービス残業を買って出るケースもあるようだ。

 ブラック企業の問題に詳しいNPO法人若者就職支援協会の黒沢一樹さんは、自身もベンチャー系の飲食店チェーンで働いた経験を持つ。

「1日の平均勤務時間は16時間くらいでしたね。サービス残業はあたりまえで、泊まりもありました。みんなけっこう自分から長時間労働をしているので、おかしいなと思い、『どうしてこんなに働くんですか』って聞いたことがあるんです。そうしたら『決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!』と……。

 その店では社長が神様みたいに思われていて『あの人はすごい』『社長様さまです』ってみんな言い合っていた。たしかに店員は一生懸命接客していて、サービスの質は高かった。でも、それだけ働いて、正社員でも月20万円の給料って、どうなんだろう、と。結局、その会社は僕が辞めてまもなく潰れてしまいました」

なるほど、いかにも。「決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!」ですか。

そういえば、

>だいたいこのような起業家の元には、同じような価値観を持った人たちが集まり、自分の意思で夢を叶えるために必死に頑張っているだけです。努力しているだけです。

>努力している人、頑張っている人を批判するのはよくない。
あなたの頭のレベル、低いね。

と罵倒した人もいましたっけ。

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http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-8159.html(何で日本の左派なひとは「成長」が嫌いか)

メモ書きとして:

ジョブ型社会では、経済成長すると、「ジョブ」が増える。「ジョブ」が増えると、その「ジョブ」につける人が増える。失業者は減る。一方で、景気がいいからといって、「ジョブ」の中身は変わらない。残業や休日出勤じゃなく、どんどん人を増やして対応するんだから、働く側にとってはいいことだけで、悪いことじゃない。

だから、本ブログでも百万回繰り返してきたように、欧米では成長は左派、社民派、労働運動の側の旗印。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-5bad.html(「成長」は左派のスローガンなんだが・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-211d.html(「成長」は労組のスローガンなんだし)

メンバーシップ型社会では、景気が良くなっても「作業」は増えるけれど、「ジョブ」は増えるとは限らない。とりわけ非正規は増やすけれど、正社員は増やすよりも残業で対応する傾向が強いので、働く側にとってはいいこととばかりは限らない。

とりわけ雇用さえあればどんなに劣悪でもいいという人じゃなく、労働条件に関心を持つ人であればあるほど、成長に飛びつかなくなる。

もつ、エコノミック系の頭の人は「成長」といえば経済成長以外の概念は頭の中に全くないけれど、日本の職場の現実では、「成長」って言葉は、「もっと成長するために仕事を頑張るんだ!!!」というハードワーク推奨の文脈で使われることが圧倒的に多い。それが特に昨今はブラックな職場でやりがい搾取するために使われる。そういう社会学的現実が見えない経済学教科書頭で「成長」を振り回すと、そいつはブラック企業の回し者に見えるんだろうね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b066.html(決まってるじゃないか。自分の成長のためだよ!)

まあ、要すれば文脈と意味内容のずれによるものではあるんだが、とりわけ経済学頭の人にそのずれを認識する回路がないのが一番痛いのかもしれない。

(追記)

まあ、実のところ、「ニュースの社会科学的な裏側」さんのこの評言が一番的確なのかも、という気もしますが・・・。

http://www.anlyznews.com/2013/02/blog-post_13.html


さすがに経済成長を重視する人々も、不平等や外部不経済が自動的に解決すると主張する人々は少数だ。ただし、ブラック企業問題に取り組んでいるNPOに経済成長に着目しないのはセンスが悪いと高飛車に言い放ったりする経済成長万能派も現存するわけで、実証的・理論的な背景が脆弱な面もあって、特に根拠は無いのだが、左派には不愉快に思われるような気がする。つまり、左派は経済成長が嫌いなのではなく、経済成長と言う単語にうるさい人々が嫌いなのでは無いかと思われる。

いるいる。

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http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-5698.html(「成長」をハードワークの同義語として擁護/反発する人々)

またもなつかしのデジャビュシリーズですが、

https://twitter.com/alicewonder113/status/502440729743208449

ありす:世界はもうこれ以上経済成長しなくていいと言うのは、こういう女性たちをそのままにしていいと言ってるのと同義だと思ってる

スメルジャコフ:問題はどういう経済成長がいいのか、ということですよね。過労死と隣り合わせの経済成長がいいというわけではないでしょうし。

ありす:少なくとも経済成長は必要だということだと思っています。嫌な経済成長は嫌だからといって、成長を嫌がっていても何の世のため人のためにならない

ありす:いや…というか、過労死は経済成長と関係がないんですよ。過労死が成長をもたらすわけでもないし、経済成長してなくても過労死はあるので。

本ブログでも何回も指摘しているのですが、なまじまじめに経済学を勉強してしまったありすさんは、世間一般で、とりわけブラックな職場で人をハードワークに追い込むマジックワードとして用いられる「成長」という言葉が、厳密に経済学的な意味における「成長」とは全然違うことにいらだっているわけです。

でもね、その「成長」への反発は、そういう「成長」を振りかざす人々がいるからその自然な反作用として生じているのである以上、お前の用語法は経済学における正しい「成長」概念と違う、といってみても、なかなか通じきれないわけです。

 

 

 

 

 

 

 

2021年2月12日 (金)

常見陽平さん、小熊英二さんに「オススメ」されました

2075983_p というわけで、『中央公論』の新書大賞。『働き方改革の世界史』はランク外ですが、この分野の目利き2人に「オススメ」されています。

一人は常見陽平さん。

「働き方改革」と新型コロナウイルスショックのその先を考える上で、立ち止まって読みたい1冊。経営者と従業員の利害調整に関して、人類はどのように試行錯誤を続けてきたのかがよく分かる労作。現在の労使関係の理論がどのように生まれたか、理想と現実のギャップなどがよく分かる。経済新聞などで論じられる上滑り感のある日本型雇用見直し論などを鵜呑みにする前に、一度読んでおきたい本。人間はどのように働いてきたかわかる教養書でもある。 

もう一人は小熊英二さん。

労働運動/労使関係の古典文献を読み解きながら、現代日本の「働き方」を再考、「日本の現代」を拘束している限界を時間軸と空間軸の両面から知るには、「世界の歴史」を学ぶことが必須と教えられる。

ものごとを分かっている方に理解してもらうのはうれしいものです。

 

2021年2月11日 (木)

大岩央さんに選ばれたので満足です

Shinsyo_award_zadankai_ph00thumb660xauto 『中央公論』が毎年やっている新書大賞。私はいつも縁なき衆生ですが、「辣腕の女性編集者が語る 新書の現在、そして未来」という触れ込みの <新書大賞2021>【女性編集者座談会】のなかで、PHP新書の大岩央さんに『働き方改革の世界史』を取り上げていただいていたので、もう満足です。

https://chuokoron.jp/shinsho-award/116811_2.html

・・・『働き方改革の世界史』(濱口桂一郎、海老原嗣生、ちくま新書)は欧米型のジョブ型雇用を、労使関係に着目して古典を繙きながら解説したユニークな一冊です。日本の雇用体系と対比しつつ、面白く読みました。・・・

「テレワークの権利」?─ドイツにおけるコロナ禍での立法動向@山本陽大

Yamamoto_y2017 山本陽大さんがJILPTホームページにリサーチアイとして「「テレワークの権利」?─ドイツにおけるコロナ禍での立法動向」を書いています。

https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/054_210210.html

筆者は、2017年度以降、第4期中期計画におけるプロジェクト研究の一環として、「雇用社会・就業形態の変化に向けた労働法政策のあり方に関する比較法的研究」を立ち上げ、そのなかで第四次産業革命下における労働法政策のあり方について、ドイツにおける議論および立法動向を分析対象として比較法研究を実施してきた。その最終的な成果については、2021年3月末に、労働政策研究報告書『第四次産業革命と労働法政策-"労働4.0"をめぐるドイツ法の動向からみた日本法の課題』が刊行される予定であるが、本稿においては、特にコロナ禍の現在、日本でも関心を引くと思われる「テレワークの権利(Recht auf Telearbeit)」をめぐるドイツの立法動向について、上記報告書の内容を一部先取りする形で紹介することとしたい。・・・・

わたしが厚生労働省のテレワーク検討会で各国まとめて報告したことのその後の動きも書かれているので、参考になるかと思います。

JILPTの年度末特別講座

来月、JILPTは東京労働大学特別講座を3回ライブ配信で開催します。

https://www.jil.go.jp/kouza/tokubetsu/index.html

2021年3月3日(水曜)15時~17時
フリーランスの労働法政策 講師 濱口桂一郎 労働政策研究・研修機構研究所長 

2021年3月9日(火曜)15時~17時
働き方改革phase1&phase2とこれからの労働法 講師 水町勇一郎 東京大学社会科学研究所教授 

2021年3月17日(水曜)15時~17時
テレワークの労働法政策 講師 濱口桂一郎 労働政策研究・研修機構研究所長 

3回のうち2回は私がやります。

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「ひとりを笑うな」はリベラリズムの精髄だけど、いかなる意味でもソーシャルじゃない

このポスターが話題ですが、

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いや、これはまさに個人の尊厳を何よりも大事にするリベラリズムの精髄ともいうべき素晴らしい言葉だと思いますよ。でも、少なくとも「ソーシャル・デモクラティック・パーティ」という名を冠する政党のセリフではないと思います。ソーシャルとは、一人一人は弱いけれどもみんなで力を合わせることで強くなれるんだ、という思想なんですから。

もう十数年前から本ブログで似たようなことを言い続けている気がしますが、日本で唯一「ソーシャル」という形容詞を党名につけている政党が、思想的にそこから一番遠いということこそ、丸山眞男をひっぱたきたかった旧若者を始めとして、きわめて多くの人々を混乱させてきた原因なんですけどね。

(その昔のエントリ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)

昨日の続きです。

赤木さんは第3章「丸山真男をひっぱたきたいができるまで」で、ご自分の思想遍歴を語っているのですが、これがまさに昨日の話とつながります。

彼は、自分が「いわゆる左派」だったというのですが、その「左派」ってのは何かって言うと、最初に出てくるのが、オウム真理教バッシングに対する批判なんですね。

それが左派かよ!そういうのはプチブル急進主義って言うんだぜ!

と、昔風の左翼オヤジはいうでしょう。

オウムだの幸福の科学だの、そういう大衆をだまくらかすアヘン売人どもに同情している暇があったら、その被害者のことを考えろ!

と、ゴリゴリ左翼はいうでしょう。

でも赤木さんにとっては、そういうリベリベな思想こそが「左派」だったんですね。このボタンの掛け違いが、この本の最後までずっと尾を引いていきます。

彼が、「このような左派的なものに自分の主張をすりあわせてきました」という、その「左派的なもの」というリストがp131にあります。曰く、

>平和を尊び、憲法9条を大切にする。

>人権を守る大使から、イラクの拉致被害者に対する自己責任論を徹底的に否定する。

>政府の有り様を批判し、労働者の立場を尊重する。

>男女はもちろん平等であり、世代や収入差によって差別されてはならない。

ここにはいかにもリベサヨ的なものから、一見ソーシャルなものまで並んでいますが、実は、その一見ソーシャルなものは赤木さんにとって切実なものではなかったことがそのすぐあとのところで暴露されています。

>男性と女性が平等になり、海外での活動を自己責任と揶揄されることもなくなり、世界も平和で、戦争の心配が全くなくなる。

>で、その時に、自分はどうなるのか?

>これまで通りに何も変わらぬ儘、フリーターとして親元で暮らしながら、惨めに死ぬしかないのか?

をいをい、「労働者の立場を尊重する」ってのは、どこか遠くの「労働者」さんという人のことで、自分のことじゃなかったのかよ、低賃金で過酷な労働条件の中で不安定な雇傭を強いられている自分のことじゃなかったのかよ、とんでもないリベサヨの坊ちゃんだね、と、ゴリゴリ左翼の人は言うでしょう。

>ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。自分の言論によって自分が幸せにならない。このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。

よくぞ気がついたな、若いの。生粋のプロレタリアがプチブルの真似事をしたってしょうがねえんだよ、俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ、と、あんたは言うべきだったんだ、と、オールド左翼オヤジは言うでしょう。

もちろん、半世紀前の左翼オヤジの論理がそのまま現代に通用するわけではありませんが、リベサヨに目眩ましされていた赤木さんにとっては、これは「ソーシャルへの回心」とでも言うべき出来事であったと言えます。

問題は、赤木さんの辞書に「ザ・ソーシャル」という言葉がないこと。そのため、「左派」という概念がずるずると彼の思考の足を引っ張り続けるのです。

彼の主張は、思われている以上にまっとうです。「俺たち貧乏人にカネをよこせ、まともな仕事をよこせ」と言ってるわけですから。そして、戦争になればその可能性が高まるというのも、日中戦争期の日本の労働者たちの経験からしてまさに正しい。それこそ正しい意味での「ソーシャリズム」でしょう。

ところが、「左派」という歪んだ認識枠組みが、自分のまっとうな主張をまっとうな主張であると認識することを妨げてしまっているようで、わざとねじけた主張であるかのような偽悪的な演技をする方向に突き進んでしまいます。

自分が捨てたリベサヨ的なものと自分を救うはずのソーシャルなものをごっちゃにして、富裕層がどんな儲けても構わないから、安定労働者層を引きずり下ろしたいと口走るわけです。安定労働者層を地獄に引きずり下ろしたからといって、ネオリベ博士が赤木君を引き上げてくれるわけではないのですがね。

赤木さんはあとがきで、こう言います。

>ええ、わかっていますよ。自分が無茶なことを言っているのは。

>「カネくれ!」「仕事くれ!」ばっかりでいったい何なのかと。

それは全然無茶ではないのです。

そこがプチブル的リベサヨ「左派」のなごりなんでしょうね。「他人」のことを論じるのは無茶じゃないけど、自分の窮状を語るのは無茶だと無意識のうちに思っている。

逆なのです。

「カネくれ!」「仕事くれ!」こそが、もっともまっとうなソーシャルの原点なのです。

それをもっと正々堂々と主張すべきなのですよ。

無茶なのは、いやもっとはっきり言えば、卑しいのは、自分がもっといい目を見たいというなんら恥じることのない欲望を妙に恥じて、その埋め合わせに、安定労働者層を引きずりおろして自分と同じ様な不幸を味わわせたいなどと口走るところなのです。そういうことを言えば言うほど、「カネくれ!」「仕事くれ!」という正しい主張が伝わらなくなるのです。

 

法学こそ価値判断まみれのはずなんだが・・・

恐らくこういうのが世間一般の印象なのではないかと思うのですが、

https://twitter.com/labourstandards/status/1359120602225803270

人文学や政治哲学に違和感を抱くのは、例えば「リベラリズム=良い」とか「でもこんな悪いところもある」とか「ナチズムは悪い」「でも我々の中にも潜んでいる」とか何故か価値判断を一々挟んでいるところ。法学にはあまりそれを感じない。

でもね、それこそいろんな学問の入門書の基礎の基礎のところをちらりとでも読めばすぐわかるように、法学、少なくともその主流である法解釈学こそが、徹頭徹尾価値判断を追求している学問であり、それゆえに法解釈学は科学ではなく、傍流の法社会学が「科学としての法律学」を訴えるということになるわけだし、その対極に位置すると考えられている政治学とか経済学とか社会学といったいわゆる社会科学というのは、それこそマックス・ウェーバー御大を引っ張り出すまでもなく、そういう価値判断をいったんカッコに入れ(価値自由)、純粋客観的にこの世の仕組みを明らかにするという触れ込みになるわけです。

ところが、本来価値判断まみれのはずの法解釈学が、その価値判断をいかにも客観的であるかのように正当化しようとあれこれ理屈をこねくりまわすので、素人の目にはほとんど複雑怪奇な論理ゲームをもてあそんでいるかのように見え、価値判断を押し付けるような議論をしていると感じさせなくなってしまうのに対比して、本来価値自由な客観的な論理を組み上げているはずの諸社会科学が、きちんと論理を追求しているとは到底思えないようなうかつな価値判断丸出しの言説をうかうかもろだししたりするものだから、そっちの方が価値判断をいちいち挟んでくるという感想をもたらすことになるのではないかと思われます。

でもね、法解釈学って、結局は「よって私はかく解する」に帰着するのであって、価値判断以外の何物でもないのです。

ADECCOの『Power of work』でエッセンシャルワーカーについてお話

ADECCOの『Power of work』で、「コロナ禍が浮き彫りにした社会的意義と処遇―エッセンシャルワーカー」というタイトルのインタビュー記事が載っています。語っているのは、私と山田久さんです。

https://www.adeccogroup.jp/power-of-work/185

Kv_185  コロナ禍に伴って2020年に注目を集めたキーワードとして挙げられるのが、「エッセンシャルワーカー」だ。
 人間の生命や暮らしを守るのに欠かせない仕事に従事する人々を指す言葉で、医療関係者をはじめ、食料品店の販売員や物流の配達員、保育・介護の職員、清掃や警備の従事者など幅広い職種がこれに当たる。コロナ禍において感染リスクを背負いながら働いているが、待遇は必ずしも良いとはいえず、慢性的な人手不足となっている。独立行政法人労働政策研究・研修機構の労働政策研究所長、濱口桂一郎氏はこう話す。
 「以前からあった職種ですが、これまでその重要性や処遇について議論されることがあまりありませんでした。コロナ禍を契機に『エッセンシャルワーカー』という言葉によってその概念や重要性が広く認識されたのは、2020年の大きなトピックだと考えています」
 過度な残業を抑制して労働時間を削減し、同一労働同一賃金によって待遇差を是正していくといった一連の働き方改革の考え方は、エッセンシャルワーカーの待遇改善にもつながるものだ。所得改善が進めば購買力の向上につながり、新たな内需の基盤を生み出すことにもなる。
 「エッセンシャルワーカーはリスクに直面しながらわれわれの生活を支えてくれているのだから、待遇改善を図るべきではないか」という機運が、国内でも自然な感情として湧き上がりつつあると日本総合研究所の副理事長、山田久氏は指摘する。
 「スーパーなどの流通業界では、人財需要が高まっていることを受けて店舗のスタッフに対し特別ボーナスを出している例もあります。しかしこうした動きは全体で見ればごく一部。民間医療機関ではコロナ禍で来院が減って経営が悪化しているケースが目立ちます。待遇改善は容易ではなく、離職者も少なくありません。現状の働き方改革の枠組みを超えて、労働の社会的な価値に対して正当な賃金をどう設定していくべきかが問われています。コロナ禍で浮上したこの問題をしっかり受け止め、私たちは今後『働き方改革の"Version 2"』を再設計していかなければならないのでしょう。政策だけでなく、価値観の変革も欠かせません。
 企業経営者らがエッセンシャルワーカーの待遇改善がもたらす社会的な意義を広く発信していくことも大切です」(山田氏)
 濱口氏は、エッセンシャルワーカーの仕事はAI(人工知能)やロボティクスなどによって代替されにくく、中長期的にはこの領域に多くの労働力が流入していくと指摘する。
 「その意味でも、どのような経済的・社会的メカニズムで処遇の改善を図っていくかは、今後政策的に重要な論点になっていくでしょう」(濱口氏) 

 

 

2021年2月10日 (水)

労働政策研究報告書 No.206『労働者性に係る監督復命書等の内容分析』

Kantoku 労働政策研究報告書 No.206『労働者性に係る監督復命書等の内容分析』がJILPTホームページにアップされました。

https://www.jil.go.jp/institute/reports/2021/0206.html

・研究の目的
労働基準監督署において取り扱った労働者性に係る事案の内容分析を通じて、1985年労基研報告の労働者性判断基準の運用実態を明らかにする。

・研究の方法
労働基準監督行政が作成した監督復命書及び申告処理台帳のうち、その中に「労働者性」「個人事業主」という文言の含まれているものの提供を受け、その内容分析を行う。

・主な事実発見
労働者性の判断状況は、全122件のうち労働者性ありとする事案が27件(22.1%)、労働者性なしとする事案が37件(30.3%)、労働者性の判断に至らなかった事案が58件(47.5%)となっており、半数近くが労働者性の判断に至っていない。また労働者性を判断したもののうち、否定的な判断が肯定的な判断を上回っている。職種別・業種別分析は報告書を参照。

・政策的インプリケーション
近年情報通信技術の急速な発展により、契約上は「労働者」ではないが、その就労の実態はこれまでの雇用契約に基づくものとほとんど変わらないような新たな就業形態の者をどう扱うべきかが、世界共通に大きな政策課題として持ち上がってきている。7月17日閣議決定の「成長戦略実行計画」において、「フリーランスの環境整備」の中に「現行法上「雇用」に該当する場合には、契約形態にかかわらず、独占禁止法等に加え、労働関係法令が適用されることを明確化する」とされ、また同日の規制改革実施計画においても「厚生労働省は、労働基準監督署等を通じ労働者性の判断基準を分かりやすく周知し、問題が認められる場合にはその是正を図る。」とされている。このような状況のなか、労働基準監督現場における労働者性に係る事案の実態を明らかにすることの政策的意義は大きい。

・政策への貢献
フリーランスの働く環境を整備するためのガイドライン策定に活用。 

 

2021年2月 9日 (火)

「労働日不確定型労働者」というカテゴリーの誕生

まだ制度設計の途中ですが、先週金曜日に公表された「休業支援金・給付金の大企業の非正規雇用労働者の取扱い」というのは、実のところは、これまできちんと労働政策で認識されてこなかった「労働日不確定型労働者」という新たな政策対象のカテゴリーが公式に認知されたという点に最大の意義があります。

https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000107715_00003.html

1.休業支援金・給付金における大企業の非正規雇用労働者の取扱いについて
 新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金(以下「休業支援金・給付金」という。)については、雇用調整助成金の活用もままならない中小企業の労働者を対象としてきましたが、今般、本年1月からの緊急事態宣言の影響を受ける大企業にお勤めの、一定の非正規雇用労働者の方についても、休業手当を受け取れない場合に休業支援金・給付金の対象とする予定です。
  具体的な対象は以下のとおりです。なお、受付開始時期は2月中下旬頃を予定しておりますが、申請方法等の詳細については、改めてお知らせします。
 大企業に雇用されるシフト労働者等(注)であって、事業主が休業させ、休業手当を受け取っていない方
 (注)労働契約上、労働日が明確でない方(シフト制、日々雇用、登録型派遣)
 対象となる休業期間: 令和3年1月8日以降 

ここで「シフト労働者等」と呼び、具体的には「シフト制、日々雇用、登録型派遣」とは、労働契約上労働日が明確でないがゆえに、労働日であるにもかかわらず使用者が休業させた日としての休業日も明確でなく、それゆえ、労働日確定型労働者であれば問題にならないそもそもの入り口で休業に当たるか当たらないかでもめてしまうような労働者です。

今日、飲食店やサービス業では極めて一般的に行われているあり方であるにもかかわらず、一般的な非正規労働者としての議論の中にまとめて議論されて、この類型の労働者特有の問題については(過去、学生アルバイトについて、学業とのバッティングをめぐって問題化したことはありますが)正面から議論されることはありませんでした。

先日、『労基旬報』1月25日号にこの問題について論じた小文を寄稿したところですが、この問題は休業の問題だけではなく、労働時間規制や賃金保証をはじめ労働法の他のいろいろな分野にもかかわる深い論点だと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-3cd0d6.html(シフト制アルバイトはゼロ時間契約か?@『労基旬報』2021年1月25日号)

 

 

 

 

 

労働者協同組合法の根源的矛盾

昨日の朝日新聞に澤路さんが労協法の記事を書いていましたが、

https://www.asahi.com/articles/ASP1Y3PLLP1WULZU00V.html(ついに法制化された「協同労働」 働き手が話し合い経営)

As20210129000991_comm 「労働者協同組合(労協)法」が昨年12月に議員立法で成立し、2年以内に施行されることになりました。働き手が自ら出資し、経営に関わる――。「協同労働」と呼ばれる働き方の組織が、法律に位置づけられます。会社に雇われて働くことと、どう違うのでしょうか。・・・ 

この労働者協同組合法については、これまでも本ブログで時々コメントしてきましたが、最終的に成立した法律は、その一番根っこに最大の矛盾をはらんだまま成立に至ったという感じがします。それは、協同組合の構成要素(メンバー)たる「労働者」が、労働法の適用対象たる使用従属関係下の雇用労働者と位置付けられたということです

Screenshot20210204at95531 この点は、当事者たちが一番感じていることのようで、雑誌『協同の發見』1月号は同法制定を特集していますが、その文章の端々に、「我々の哲学と全然違うものを押し付けられた」といわんばかりの不満がにじみ出ています。

一昨日本ブログで紹介した橋本陽子さんの『労働者の基本概念』でも、例のワーカーズコレクティブ轍・東村山事件をかなり詳しく取り上げていますが、この事件こそは、労働者協同組合法成立以前のワーカーズコレクティブで働く出資者=運営者=労働者が、労働基準法上の労働者に当たるかどうかが争われ、当たらないという判決が出たなのであってみれば、せっかく作った法律がその結論をひっくり返すようなものになってしまったというのは、当事者たちにとってはまことに忸怩たるものがあったであろうことは想像にかたくありません。

・・・労協法では、組合員は従属労働者であることを受け入れない限り、法律の制定は不可能であったために、今まで私たちが目指してきた労働者の在り方(協同労働者)とは矛盾が生じます。しかし今後、私たちの運動原則の中で協同労働をしっかり描くことによって、その矛盾を整合させることは可能だと考えています。・・・

この「協同労働」の立場からすると、従属労働に安住している労働運動は批判すべきもののようです。

・・・補論的になりますが、労働組合関係者はどこまでいっても雇われ者根性に徹します。経営には関係ありませんといいながら給料や労働条件を上げろと要求します。それは当然のことですが、そこだけに留まるとしたら今の危機の時代の労働運動としてはありえないのではないかと思います。・・・

この大変率直な意見は、いろんなレベルで物事を考えさせるものがあります。まず第一に、これはまさしく、労働組合を否定する家父長的経営者や共産党一党独裁国家の言いぶりと共通しており、そこにおけるほめたたえられるべき「労働」の在り方と通底しています。その意味で、これはブラック企業の培養器になる危険性があるという批判はまことにもっともであることの証左でもあります。

しかしながら第二に、実は現実の労働者や労働運動は決して「雇われ者根性」に徹してなどおらず、むしろ自分たちの労働を成り立たせる基盤として経営に口を出そうとしてきました。その意味では、この批判はまことに古典的資本主義のステレオタイプであり、いつの時代の話だろうという感じもします。

そして、一方で「雇われ者」でありつつ、他方で経営に関わる者でもあるという矛盾をいかに整合させるかというのは20世紀の労使関係を貫く中心的な課題でもあったことを考えれば(その一端は『働き方改革の世界史』に垣間見ることができましょう)、このアナクロニックでステレオタイプの古典的資本主義批判がストレートに労働者性否定のお花畑的アソシエーション礼賛につながるところをひっくり返して、その矛盾と向かい合わなければならないようにしたことの意味は極めて大きいものがあると思うわけです。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-1c76ba.html(労働者協同組合は究極のメンバーシップ型なんだが・・・)

・・・で、そこに最近ニューモードのマルクス主義で人気を博していいる斎藤幸平さんが登場して、その礼賛に唱和しているんですが、そうなればなるほど懸念が増してくるわけですよ。何しろ、マルクス御大の「あそしえーしょん」の夢想が魔法使いの弟子たちの手を転々とした挙句に、この地上にどんな地獄絵図をもたらしたかという世界史を齧った人間としてはね。

大阪市立大大学院の斎藤幸平准教授は「現場の労働条件が悪化し経済的不平等が拡大する中、労働者が経営主体となる協同労働が広がれば、労働のあり方や生産の仕方を根本から変える可能性がある」と指摘した。

「しかし労使関係を前提にしない、もっと別の働き方があるはずで、それが協同労働だ。必ずしも労使関係を前提とせず労働者自らが出資し、自分たちでルールを定め、何をどう作るかを主体的に決める。株主の意向に振り回されず労働者の意思を反映していけば、働きがいや生活の豊かさにつながるのではないか」

どんな御託を並べようが、いかに労働者の利益を代表する共産党が権力を握ってすべてを支配するからお前たち労働者が支配しているのと同じだ、などと言おうが、現実に社会主義諸国の職場には(国家権力によって労使関係ではないと定義され、それを労使関係だと指摘することを禁じられた)現実の労使関係があったわけです。そういう血塗られた歴史の重みを忘れて、こういう軽薄な言葉を吐けるんだなあ、と嘆息。

いや今回の法案は、まさにそういう(とりわけ労働弁護士方面から提起された)懸念に応えるために、当初の「労働者じゃない」という設計を全面的に「労働者である」と変え、つまり、労働者協同組合の組合員として働くものといえども、この市場社会において労働力を売って生きる労働者として、その取引条件を市場における集合取引(まさにウェッブ夫妻が描き出し、ゴンパースが旗を振ったコレクティブバーゲニング)として行うんだと明記することで、そういう地獄絵図につながる懸念を払拭しようとしているわけですが、それを報じる新聞の論調が、なんだか夢想の世界を生きているかのごとくなので、やっぱり心配になるわけです。 

(追記)

ちなみに、この問題を突っ込んで考えるために有用と思われる論文を紹介しておきます。Miriam KullmannとAndrea Iossaによる「Subordination in Solidarity? The Labour Law of Workers’ Cooperatives」(連帯の中の従属?労働者協同組合の労働法)です

http://regulatingforglobalization.com/2020/03/23/subordination-in-solidarity-the-labour-law-of-workers-cooperatives/

 

欧州議会による「つながらない権利」の指令案勧告@WEB労政時報

WEB労政時報に「欧州議会による「つながらない権利」の指令案勧告」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/login.php

去る2021年1月21日、欧州議会は「つながらない権利に関する欧州委員会への勧告に係る決議」を採択しました。この文書は実質的には欧州議会による指令案の提案ですが、形式的には欧州委員会に対する指令案の提案の勧告という形をとっています。これは、EU運営条約においては、立法提案をする権限は行政府である欧州委員会にのみあり、立法府である欧州議会にはないからです。欧州議会は欧州委員会が提案した指令案や規則案を審議して採択するかしないかを決める権限があるだけです。・・・・

 

 

 

2021年2月 7日 (日)

アーロン・バスターニ『ラグジュアリーコミュニズム』または半世紀遅れの未来学入門

91zjptqwmpl アーロン・バスターニ『ラグジュアリーコミュニズム』(堀之内出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://info1103.stores.jp/items/5fc10286b00aa34c94002ab0

 資本主義がもたらす破滅的な危機を避けるため、いまこそテクノロジーの恩恵を人々の手に。万人に贅沢(ラグジュアリー)を。
めざましい技術革新の果てにあらわれるポスト資本主義社会へ向けた新たな政治=「完全自動のラグジュアリーコミュニズム」の構想。
資本主義リアリズム、加速主義を超えて、イギリスの若手ジャーナリスト、アーロン・バスターニが新しい未来を提示する。

邦訳のタイトルは原題の後半だけで、前半の大事なところが抜けている。

原題は「Fully Automated Luxury Communism」。「完全自動の贅沢な共産主義」だ。この「完全自動」ってのが大事。著者のバスターニの能天気なまでのテクノロジー・オプティミズムをあらわしているのがこの「完全自動」なのだから。

それ故、本書は読む者にものすごく「懐かしさ」を感じさせる。そもそもマルクス御大がある意味そうだったのでそれへの先祖返りでもあるし、最近はそれこそ第四次産業革命というタイトルで山のような類書が出ているんだけど、実は私の場合、本書を読みながら、半世紀以上昔に出たある本が何回も脳裏をよぎっていた。

Koyama それは、1967年に出た香山健一の『未来学入門』(潮新書)だ。

Amazonで1円という値段がついている本書を覚えている人はほとんどいないだろうが、農業革命、産業革命に続く情報革命で人類史は新たな(ラグジュアリーな)段階に展開する・・・という、その後何回も繰り返され陳腐化していく歴史観(その成れの果てが最近政府御用達の「Society5.0」なんだが)を、かなり早い段階で打ち出した本だ。

率直に言えば、それは元全学連委員長だった転向マルクス主義者が梅棹忠夫のひらめきにインスパイアされて作り出したイメージである。

梅棹忠夫が市販されていない広報誌『放送朝日』に「情報産業論」を書いたのは1963年。彼にとっては夜店の余技みたいなものだったのだろうが、その奔放な人類史イメージでもって官許マルクス主義の硬直的で辛気臭い歴史観を取り換えた香山の本は、いわば裏返しの唯物史観になっていた。

裏返しの唯物史観というのは、文字通りの意味でそうだ。まだマルクス主義を脱却して数年しかたってない若き香山の筆が描き出す未来図は、階級闘争がきれいさっぱり拭い去られているだけで、その細かなあれもこれもすべてイデオロギー闘争にかまける愚かな(数年前の自分を含めた)観念論者を馬鹿にし、テクノロジーこそが素晴らしき未来を作り出すという底抜けのオプティミズムをふりまわす、言葉の正確な意味での「唯物」的な歴史観に満ち満ちていた。

この裏返しの唯物史観は、その後世界中に広まった。ダニエル・ベルやアルビン・トフラーからジェレミー・リフキンまで、突き詰めると梅棹忠夫の思い付きの延長線上の議論をあれこれと様々な小ネタを入れて膨らましているだけで、要するに「Fully Automated Luxury Capitalism」なんだよな。

その裏返しの唯物史観をもう一遍裏返したのが本書だ、ということになるわけだが、実のところ「Fully Automated Luxury」という形容に続くものは、共産主義だろうが資本主義だろうが、基本的にはみんな似たようなメロディを奏でることになる。「懐かしさ」というのはそういうわけだ。

これは別に悪口じゃない。上述のように、マルクス御大自身がかなりその気があったわけだし、少なくとも草稿集から片言隻句を探し出してエコロジストの元祖に仕立て上げるどこぞの贋造業者たちに比べれば、百万倍まっとうな議論だとは思う。

でも、やっぱり本書を読み終わった今、感じるのは半世紀以上前の本をほじくりだして改めて読み返しているみたいな、妙な「懐かしさ」なのだ。

あと、細かなことだけど、一点(どちらかといえば出版社の編集者向けに)。

p125に、こういう文章が出てくるけれども、

・・・こうした見解は、オックスフォード大学のふたりの研究者、カール・ベネディクトとマイケル・オズボーンが発表した報告書の結論を追認するものだ。・・・

いや、そりゃ、世の中には、わざと「ウラジミール・イリッチ」とか「ヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ」とだけ言って指し示す用語法もあるけれど、世間では”フレイ&オズボーン”で通っているこの有名な論文の著者の一方を、あえてファミリーネーム抜きにする意図がわからない。

だって、そのフレイの大著『テクノロジーの世界経済史』も邦訳出てるんですぜ。

 帯文 斎藤幸平
ほんとに技術革新で贅沢なコミュニズムができるの?
「脱成長コミュニズム」への挑戦!

目次
序文 未来を求める六人の人物

【第一部】楽園のもとの混沌
 第一章 大いなる無秩序
 第二章 三つの断絶
 第三章 「完全自動のラグジュアリーコミュニズム」とは何か?

【第二部】新たな旅人たち
 第四章 完全な自動化――労働におけるポスト欠乏
 第五章 無限の動力――エネルギーにおけるポスト欠乏
 第六章 天空の掘削――資源におけるポスト欠乏
 第七章 運命を編集する――老いと健康におけるポスト欠乏
 第八章 動物なしの食物――栄養におけるポスト欠乏

【第三部】楽園の発見
 第九章 大衆からの支持――ラグジュアリー・ポピュリズム
 第一〇章 根本原理――新自由主義との決別
 第一一章 資本主義国家の改革
 第一二章 FALC――新たな始まり

訳者あとがき 橋本智弘

 

 

 

 

橋本陽子『労働者の基本概念』

555348 橋本陽子さんより待望の大著『労働者の基本概念-労働者性の判断要素と判断方法』をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.koubundou.co.jp/book/b555348.html

現在の労働者性を判断する上で必読の論文集!
 産業の変化によって、社会が大きく変わっていくとしても、働くことで、生活の糧を得る者には、必要な保護が保障されなければなりません。本書はそういう問題意識に基づいて、「労働者概念」の明確化を試みることを目的とした意欲的な論攷です。
 労基法と労組法上の労働者概念は基本的に同一の概念であると考え(労働者概念の統一性/単一性)、相対性は、体系上の必要からやむを得ず認めるべきである場合にのみ認められるというものとして、こうした基本概念と個々の実定法上の概念を区別することによって、概念の統一性と相対性の解明を試みています。労働者概念の判断要素と判断方法という視角から論じる必読論文集です。 

何が「待望の大著」なのかというと、何しろもとになった助手論文が法学協会雑誌に連載されたのが2002~2003年で、その後随時いろいろと論文を書かれてもなかなか一冊にまとめられることなかったのが、ようやくこうして一冊になったというわけです。

本書ではドイツ法から踏み込んで、EU法上の労働者概念についても大変詳しく解説されています。

序 章 本書の課題
第1章 裁判例における労働者性判断の特徴と問題点
第2章 ドイツ法上の労働者概念
第3章 EU法上の労働概念
第4章 労働者概念の法理論的検討
第5章 労働者性の判断要素と判断方法
補 論 「事業(所)」概念の検討
終 章 要  約
欧文要約(ドイツ語・英語)/判例リスト(ドイツ・EU)/
参考文献/事項・人名索引 

橋本さん独自の考えを展開しているのが第5章ですが、例の東村山のワーカーズコレクティブ事件とかも出てきます。

まあ、この問題を考える人には不可欠な本であることは間違いありません。

そのうえで、最近の関心事からするとある側面が取り上げられていないことがちょっと気になりました。それは、例のFNV事件EU司法裁判決以来の、競争法上の事業者性と労働法上の労働者性との相克という問題です。

この問題については、3月刊行の『季刊労働法』春号に「フリーランスと団体交渉」という文章を寄稿していますが、EUレベルでは大騒ぎになっているこの問題がドイツではどういう風に受け止められているのでしょうか。

 

 

 

2021年2月 6日 (土)

Global Democracy Index 2020

英エコノミスト誌が毎年発表してる「Global Democracy Index」(世界民主主義指数)の2020年版です。

Screenshot_20210202_at_221316

 

こうしてみると、世界の構図は冷戦時代とさして変わっていないんだな、ということが良くわかります。

ユーラシア大陸の構図など、梅棹忠夫が文明の生態史観を思いついたときと本質的にはなんも変わっとらんということなんでしょうか。

パタニティ・リーブ(父親産休)なんだが、どこにも「男」って言葉が出てこない件について

本日、「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律及び雇用保険法の一部を改正する法律案要綱」の諮問に対する答申がなされたんですが、

https://www.mhlw.go.jp/content/000735138.pdf

中身は雑多なものも含めていろいろ入っていますが、やはり中心は「男性の育児休業取得促進」というスローガンで出されてきている、出生後8週間以内の休業でしょう。これは、英語でいえばマタニティ・リーブ(母親出産休暇)に対するパタニティ・リーブ(父親出産休暇)なんですが、そういう立て付けにはなっておらず、法案要綱では「出生時育児休業」というなんだか中性的な言葉になっていますね。

二 出生時育児休業の新設
1 労働者は、その養育する子について、その事業主に申し出ることにより、育児休業のうち、2から16までにより、子の出生の日から起算して八週間を経過する日の翌日まで(出産予定日前に当該子が出生した場合にあっては当該出生の日から当該出産予定日から起算して八週間を経過する日の翌日までとし、出産予定日後に当該子が出生した場合にあっては当該出産予定日から当該出生の日から起算して八週間を経過する日の翌日までとする。)の期間内に四週間以内の期間を定めてする休業(以下「出生時育児休業」という。)をすることができるものとすること。ただし、期間を定めて雇用される者にあっては、その養育する子の出生の日から起算して八週間を経過する日の翌日から六月を経過する日までに、その労働契約が満了することが明らかでない者に限り、当該申出をすることができるものとすること。

もちろん、「労働者は」と規定しているとはいいながら、この労働者は母親たる労働者では(ほとんど)ありえません。なぜなら、労働基準法がこう規定しているからで、

(産前産後)
第六十五条 使用者は、六週間(多胎妊娠の場合にあつては、十四週間)以内に出産する予定の女性が休業を請求した場合においては、その者を就業させてはならない。
② 使用者は、産後八週間を経過しない女性を就業させてはならない。ただし、産後六週間を経過した女性が請求した場合において、その者について医師が支障がないと認めた業務に就かせることは、差し支えない。

微妙にずれは発生しうるとはいいながら、おおむね出生後8週間までに「出生時育児休業」を取得できる親である労働者というのは、それが産後休業期間に当たる母親たる労働者ではないので、まあほとんどの場合父親になるでしょうなあ、というやたらめったら持って回った、誰に向けて解読せよと言っているんだといいたくなるような、複雑怪奇な規定ぶりになっておりますな。

こういうのをみると、あっさりパタニティ・リーブという言葉で済ませられる英語がうらやましくなります。

 

 

 

 

2021年2月 5日 (金)

『季刊労働者の権利』で拙著書評

877e9f85e11a933ffbbfabaf6c6e73a6 日本労働弁護団の『季刊労働者の権利』2021年1月号(339号)で、鴨田哲郎さんに『働き方改革の世界史』を2ページにわたって丁寧な書評をしていただいています。

冒頭、いきなり

濱口と海老原のコンビの本なら面白いだろう。それにしても、働き方改革の「世界史」って何だ?こんな気持ちで手に取った。

ときます。鴨田氏に言わせれば、

濱口桂一郎は・・・・論点によっては誰も言わなかったことを指摘する。

とのことで、この評価は大変嬉しいものです。でもこれって、みんな真面目に割と似たようなことばかりいっているところで、別に鬼面人を驚かすような突飛なことではなく、ちょっとその時点にみんな脳みその中を足並みそろえているところからちょびっとだけずらせれば、だれでもが気が付くような視点を投げかける、というところに、まあ一定の意味があるんだろうなと思っているもので。

今回の森発言も、みんな女性蔑視だと批判して、まあそれはそのとおりで間違いないんだけど、でももっと本質的な問題が潜んでいるよね、って指摘すると、結構多くの人が「そうだね」というくらいにはみんな薄々認識している問題ではあるわけです。

というわけで、この本の中身を詳しく丁寧に紹介していき、最後のパラグラフで、

・・・藤林論考をさらに深める連載が続いているそうなので、本書の第2弾が出るかもしれない。濱口の評価に賛同するかどうかはともかく、日本の労働組合、労働運動とかかわっている我々には、読むべき本ではなかろうか。

と、早くも第2弾への期待を表明していただいております。ありがとうございます。

実は、『企業民主化試案』に続いて、『HRmics』次号では沼田稲次郎の『現代の権利闘争』を取り上げるのですが、そこまでで『HRmics』が廃刊になってしまうので、その先どうするかは現時点では未定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年2月 4日 (木)

森元首相発言の雇用システム論的理解

20210204s00048000316000p_thum もう世間は「女性蔑視発言」で炎上しているわけですが、おそらく本人の主観的意図はそのようなものではなく、組織における意思決定機関と公式的には位置づけられている「会議」なるものにおける女性陣の行動様式に接してのものすごく率直な感想を述べただけだったのであろうと思われます。

これはもう昔から言い古されていることではありますが、日本的な組織においては、公式の組織規則でフォーマルな意思決定のためのものと位置づけらている「会議」っていうのは、実はそこで一から率直な意見の交換なんぞをする場所ではなく、実質的な意見のすり合わせというのはもっとインフォーマルな場で、多くの場合、5時以降の飲食を伴う場において行われ、そこでおおむねの合意が成り立ったうえで、最終的な確認のために昼間にフォーマルな会議を開くというパターンが多い、あるいは少なくとも多かった、わけです。「平場(ひらば)」なんていう言葉も、この日本的慣行を前提にしないと、どういう意味なのかさっぱり分からないでしょう。

で、森元首相は、こういう日本的慣行にどっぷりつかり、それに完全に適応する形で今まで来られた方なのであってみれば、「平場」でああだこうだと延々やらかす人々の行動様式に辟易していたのであろうことは想像に難くありません。

一方、かつては男性中心であった日本の組織も男女均等法以来徐々に女性が増え、フォーマルな意思決定機関である「会議」に出席する女性の数も増えてきましたが、女性はそもそもかつての5時から飲食を伴う場で実質的な意思決定というのとは縁遠いわけで、そんなこんなで日本の組織の「会議」のありようも、徐々に「平場」で議論が出るようになってきたわけで、おそらくそれはスポーツ界でも同様なんだと思われます。

その意味では今回の炎上発言は、確かに文字面では「女性蔑視」ではあるのですが、その一枚皮をめくると、むしろ平場での議論を嫌い、インフォーマルな場での意見調整を好む(かつての、あるいは今でも結構残っている)日本的な組織のありようと、そこに新参者として進出してきたためにそうした慣行に縁遠い女性陣たちとの文化摩擦の一帰結と評することが適切であるような気がします。

ボクちゃんだけが真実を知ってる症候群第2弾

先日、光秀がそろそろ信長殺しにかかりそうなので、若き日(中二時代)の黒歴史を恥ずかしながら公開しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-b498ba.html

要するに、「ボクちゃんだけが真実を知ってる症候群」なんだけど、クラスの半分くらいが不良や不良予備軍みたいな公立中学校の大したことのない目立たぬ二年生のぼうやが、なぜかほかの生徒や教師も読んでなさそうな八切止夫の歴史モノに嵌まってしまい、『信長殺し、光秀ではない』とか『上杉謙信は女だった』とか『徳川家康は替え玉だった』とか、もう何十冊も読みふけって、これこそほかの馬鹿どもが知らない歴史の真実だ!!と思い込んでしまったわけです。で、挙げ句の果てに、その公立中学校で社会科の教師をしている可哀そうな先生に、「あなたの教えているのはうそばっかりだ、歴史の真実はここに書いてあるから勉強するように」などと、めんどくさいことを言ってたんだから、まあ恥ずかしい話です。わが黒歴史。・・・ 

この際だからついでに、同時期にもう一つの壮大なオルタナ歴史に入れあげていたことも告白しちゃいましょう。こちらは、今やほとんどだれも顧みない八切止夫と異なり、今日に至るまで脈々とつながり、いまだに信者が絶えないオルタナ歴史です。

それは、「古史古伝」と呼ばれる一群の偽書なんですが、富士古文書から始まり、ウエツフミだの、竹内文書だの、ホツマツタヱだの、まあいろいろあります。

M50367388640_2 これもやはり、公立中学の目立たない二年生だったころ、たまたま本屋で見かけた大陸書房の(ここで、「おっ、大陸書房かよ」と突っ込みを入れるのはなし)、鈴木貞一『先古代日本の謎』という本に見事にはまってしまい、神武天皇以前にウガヤフキアエズ朝が何十代もあったんだ、日本は他に負けないくらい古い古代文明の国なんだとか、しばらく熱中していたんですね。

なので、こういうオルタナ歴史に嵌まる精神構造というのは、自分自身も中二時代にそうだった経験があるだけによくわかるところがあります。

前のエントリで書いた通りなんですが、

まあ、そんじょそこらの中二のぼうやに比べりゃ、大人向けの歴史モドキの本を山のように読んでるだけで遥か認識の高みに上ったつもりになってるんだけど、そもそも歴史学ってのは、まず史料ってのがあってだな、ということがわかってない厨房だから、たまたま自分が読んだ活字がそのまま真実だと思い込んじゃう。そういう典型的なメカニズムを、中二時代にある意味一番いいサンプルで経験したもんだから、このあほだら踊りをしている人々の精神構造がじわじわわかってしまうところもあったりするわけです。

 

 

 

 

【GoTo書店!!わたしの一冊】第5回『日本人の働き方100年』

81sqrmrja4l279x400 今年から『労働新聞』で始まった【GoTo書店!!わたしの一冊】の第5回、私のでは第2回目になる本は、『日本人の働き方100年(定点観測者としての通信社)』です。

https://www.rodo.co.jp/column/101489/

 本書は1月16日から東京国際フォーラムで開催される予定だった写真展の図録である。「予定だった」というのは、1月8日に再び発令されたコロナ禍の緊急事態宣言の煽りを食らって延期されてしまったからだ。そのため、本来なら会場で販売されるはずだった本書は、今は寂しく書店の片隅に並んでいる。とはいえ、この図録は単独の写真本としても大変興味深いものになっている。いわば、写真で語る近代日本労働史とでもいうべきものになっているのだ。
 まず劈頭を飾るのが今からほぼ1世紀前の1920年、大日本労働総同盟友愛会が主催した日本最初のメーデーの写真だが、その後は横浜市電の総罷業、日本ゼネラルモータースの越年争議、鐘紡争議で募金活動する女性たち、東京市電の罷業本部で炊き出しする女性車掌たち、女工哀史で有名な東洋モスリン亀戸工場の争議、住友製鋼所の争議への差し入れ風景、事務所に立てこもって気勢を上げる山岡発動機工作所争議団、等々と、どれもこれも闘う労働者の姿ばかりが映っている。いや雇用されている労働者だけではない。相撲の力士たちが待遇改善を求めて中華料理店に籠城しているかと思えば、浅草松竹座のレビューガールたちも待遇改善を求めて気勢を上げている。平成、令和のすっかり争議を忘れてしまった日本人に比べれば、戦前の日本人の方がはるかに闘争心をむき出しにしていたのだ。
 敗戦後も日本人は労働争議に明け暮れた。東宝争議の写真に写っているのは鎮圧にやってきた米軍の戦車である。「来なかったのは軍艦だけ」といわれたこの争議では、組合側で黒澤明監督や三船敏郎らが活躍したことでも知られている。デパートでも「三越にはストもございます」と48時間ストライキに突入した。しかし、郵便、国鉄といった公共サービスのストライキは、民間労働者の共感を呼びどころか反発を招き、やがてこれら公共部門の民営化の遠因ともなっていくことになる。
 平成時代の労使紛争の写真は、2013年の大相撲の八百長問題をめぐる蒼国来の解雇紛争と、2004年のプロ野球選手会によるストライキだけである。大相撲とプロ野球。労働をめぐる紛争は、いまや華やかなプロスポーツの世界でしか表舞台に現れなくなってしまったかの如きである。
 その代わりにデモの写真はいっぱいある。しかし、デモは所詮デモに過ぎない。ストライキが会社と斬り合う真剣勝負であるとすれば、デモは広く世間一般に訴えかけているだけだ。そして、戦前や戦後のデモの写真が、メーデーにおける労働者の団結を誇示するデモンストレーションであったのに対し、近年のデモの写真は、労働時間規制や派遣切りといった労働政策テーマに対するマイノリティグループのアドボカシー活動以上のものではない。そのプラカードに「原発反対」とか「海外派兵反対」とかあってもなんの違和感もないだろう。それがたまたま労働運動を名乗っていたとしても、いかなる意味でも労働争議と呼ぶことはできない。

 

 

 

2021年2月 1日 (月)

『ジュリスト』2月号のエアースタジオ事件評釈の感想

L20210529302 『ジュリスト』2月号に、学習院大学の橋本陽子さんがエアースタジオ事件東京高裁判決の評釈を書かれています。

http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/020609

[労働判例速報]

劇団員の労働者性――エアースタジオ事件――東京高判令和2・9・3…橋本陽子……4

この事件、実は私も英文誌『Japan Labor Issues』6月号向けに原稿を書いているんですが、公開はだいぶ先になります。

ちょっと気になったのは、橋本さんがこのように書かれていたことです。

・・・会社法上の機関である取締役と従業員の兼務と異なり、同一の就労者と委託者との間の契約関係においては、2つの異なる契約関係の存在を容易に認めるべきではない。・・・

これは一般論としてはそういうことも言えるのですが、本件については、Xは劇団員としての立場とは別にY経営のカフェで店員として勤務していて、こちらについては労働者性に争いはないんですね。なので、カフェ勤務、裏方業務、稽古、公演、懇親会のすべてを一貫しなければならないとすると、非労働者という選択肢はなくなってしまうのです。橋本さんはその立場だから良いですが、たとえば公演・稽古は労働者性なしとと言う立場の人が一貫性を求められたら、Yすら認めているカフェ店員としての就労すら労働者ではないといわなくてはならなくなり、それはいくら何でも無茶ではないかと思います。

私は高裁の判決には疑問があり、むしろ地裁の裏方業務と公演・稽古で線引きするのがいいのではないかと思っているものですから、ちょっと一言口を差し挟ませていただきました。

『概説 海事法規(2訂版)』

9784425261437 神戸大学海事科学研究科海事法規研究会編著『概説 海事法規(2訂版)』(成山堂書店)を、執筆者の一人である根本到さんよりお送りいただきました。

https://www.seizando.co.jp/book/9112/

海事法規解説の定番書。
海事の理解と運用に必須の16法令を6名の専門家が丁寧に解説。商法の改正など最新の法令改正に対応。初学者から海技士・海事代理士の勉強にも役立つ海事法規の入門書。

2010年にに初版をお送りいただいてからほぼ10年、根本さんの担当されている船員法関係もいろいろと変化があり、それらが盛り込まれています。

第4編 船員法
 第1章 序説
  第1節 船員法の意義
  第2節 船員法の構成
  第3節 船員法の沿革
  第4節 船員法の性格
  第5節 他の労働法規との関係
  第6節 船員法の最近の改正

 第2章 総則
  第1節 船員法の適用範囲
  第2節 船員法の基本原則

 第3章 船長の職務権限及び船内紀律
  第1節 船長の権限
  第2節 船長の義務
  第3節 船長の職務の代行
  第4節 争議行為の制限

 第4章 雇入契約及び雇用契約
  第1節 雇入契約の当事者
  第2節 雇入契約に対する船員法の効力
  第3節 雇入契約の締結に関する保護
  第4節 雇入契約の届出
  第5節 雇入契約の終了
  第6節 雇入契約の終了に伴う保護
  第7節 予備船員の雇用契約
  第8節 船員手帳
  第9節 勤務成績証明書

 第5章 労働条件
  第1節 給料その他の報酬
  第2節 労働時間、休日及び定員
  第3節 有給休暇
  第4節 食料並びに安全及び衛生
  第5節 年少船員
  第6節 女子船員
  第7節 災害補償
  第8節 就業規則
  第9節 船員の労働条件等の検査等

 第6章 監督

 第7章 雑則

 第8章 罰則

 第9章 ILO海事労働条約 

 

 

 

中核派トップの会見記事で思い出したことなど

中核派トップの老人が会見したという記事を見て、その昔本ブログに書いたあるエントリを思い出しました。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/82518

Chukakuha 約半世紀にわたる潜伏生活から昨年9月に姿を現した過激派「中核派」最高指導者の清水丈夫議長(83)が27日、東京都内で会見した。公の場で活動する方針に転じた理由を「資本主義をぶっ倒すために闘わなければならない。全労働者階級人民に訴えようと思った」と述べた。警察は活動の活発化を警戒する。
 中核派は1963年、「革マル派」と分裂して発足し、安保闘争や成田空港反対運動を展開。多くのテロ、ゲリラを実行し、71年に警察官が殺害された「渋谷暴動事件」を起こした。清水氏は会見で、渋谷暴動事件を「安保・沖縄闘争の発展の中でどうしても必要な闘争だった」と振り返り、人命が失われたことは「階級闘争だから仕方ない」と述べた。・・・ 

中核派といえば、2012年にこんなエントリを書いていました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-44b0.html(若き日の池田信夫氏)

池田信夫氏のつぶやき:

http://twitter.com/#!/ikedanob/status/206617042676224001


0713fe530fcea06ff35722211e39f7b9_40私の友人は2人、中核派に殺された。それも誤爆だった。これから反原発デモに参加する人は、鉄パイプで殴り殺されるリスクを覚悟したほうがいい。

というところだけみると、まるでまったく無関係の学生がやられたみたいですが・・・

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87b82fb7d88e3e98eaf045b8401db2c7週刊誌だけがテロと闘う日本


私の学生時代にも、私が部長だったサークル(社会科学研究会)で、革マルのメンバーが内ゲバで4人も殺された。念のためいっておくと、社研は(東大教授の)吉川洋氏も部長をつとめたアカデミックなサークルで、私自身も党派と無関係だったが、当時は革マルが駒場を拠点にしていたため、中核と革労協にねらわれたのだ。

池田氏の学生時代の末期はわたくしが駒場にいた頃と重なっていますが、少なくともわたくしが入学した時に先輩からこんこんと教えられたのは、社会科学研究会は革マルのフロントだから近づかない方がいいよ、という忠告でした。

それがどこまで正しい忠告であったか否かを判断することは、関わらなかったわたくしにはできませんが、少なくともそういう認識が一般的であったことは事実です。

さらに、わたくしが入学してすぐ、駒場で開かれていた革マル派の集会に顔を出していた新入生が、襲撃してきた他のセクトに殺されるという事件も起こったりしていて、ますます命が惜しければ社会科学研究会には近づかない方がいい、という雰囲気がありました。

もとより、セクトと無関係だった当時の一学生の感想に過ぎませんが、若き日の池田信夫氏が部長を務めていた社会科学研究会のメンバーが4人も中核派に殺されたのが全くの「誤爆」と言えるのかどうかには、いささか疑問があります。

少なくとも、わたくしの同期生であったその殺された学生が「誤爆」であったのに比べると、社会科学研究会のメンバーであると目星をつけられて殺されたわけですjから。

(追記)

稲葉振一郎氏の絵解き

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/379984971923853313


W5s524vo1bu0xf6v1dxv元から単なる転向マルクス主義者や。発想の根幹はかわっとらん。彼にとって資本主義は前から暴力装置で、それを批判する代わりにそれに額づくようになっただけのこと。

 

(※欄)

また自慢げにつぶやいていますな。

http://twitter.com/ikedanob/status/221432442223988736

自慢じゃないが、私は友人が4人も内ゲバで殺されて「革命」運動がどういうものか、よく知っている。官邸の前で騒いでいるのは、革命とは何の関係もない「反原発」というカルトに洗脳された子どものままごと遊び。

なるほど、さすが、「子どものままごと遊び」じゃない本当の「革命」運動を経験された方は違う・・・。

 

人間年をとると、儂の若い頃はこうだったんじゃ、みたいなことを繰り返すようになるそうですが、この若い頃過激派に入り浸っていたとおぼしき御仁も、その傾向が顕著に現れてきているようですな。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51901121.html

「過激派」といわれた新左翼系セクトの友人が、突然アパートに泊まりにきた夜という記事でちょっと思い出したので、個人的メモ。
私も大学時代、サークルの部員4人が内ゲバで殺されたときは、さすがに恐かった。パン屋の前で公衆電話をかけていると私の前で30分かけてパンを買う客がいたり、喫茶店で前に見たことのある客が隣の席に座ったり、気持ちの悪いことが続いたあと、(大学に連絡していない)下宿の郵便受けに何かを通告するように某党派の機関紙が入っていた。身の危険を感じて、友達の家を泊まり歩いた。
当時、そういう話は珍しくなかった。キャンパスが血の海になったことも1度や2度ではないが、いま思えばひどい勘違いだった。

儂も若い頃はやんちゃをしたものじゃわい、とでもいいそうな口調ですな。

それは政治的にはナンセンスだったが、マルクス主義を乗り超えることで学生は大人になり、社会を客観的に見られるようになった。

池田信夫氏が「大人にな」ったかどうかについては、人によっては異見のあるところでしょう。「社会を客観的に見られるようになった」に賛成する方はさてどれくらいいることやら。

 

 

 

 

戦国の忍者は使い捨ての非正規雇用?

81mbprsdacl ほとんど99%は趣味の読書ですが、ちょびっと労働問題(と言って言えないこともない)風のところもあったので紹介。

真田や武田に関する歴史書をたくさん出している平山優さんの、昨年でたこの本を、基本的には全くの趣味ベースで読んでたんですが、最後の「おわりに-戦国の忍びとはどのような人々だったのか」で、こういう見出しの下にこんな記述が・・・。

非正規雇用は使い捨て

 このように見てくると、戦国の忍びの特徴とは、①諜報、索敵、待ち伏せ、暗殺など任務の多様性、②それ故の呼称の多様性、③人数と規模の膨張、④出身地、階層、職種の多様化、⑤それゆえにアウトロー出身者の数の多さ、などにまとめられるだろう。そして、彼らはすべて、戦争に勝ち抜くためだけの目的のもと、大名に雇用された人々であり、知行地を拝領し、武士身分として活動する者は、忍び出身の足軽大将くらいであって、後は「当座」の扶持をもらう非正規雇用の人々であった。

戦国大名や国衆が忍びを募集するとき、①「当座の扶持」(契約金、支度金)の一時支給、②足軽大将や寄親(指揮官)の下に配属されたことを契機に支給される「同心給」(同心全員を対象に一括支給された知行地)からの配分、③盗人などの罪人は罪一等を減じること、などが提示された。そして、大名の麾下に編制されると、彼らは味方の地においては諜報、盗み、放火、略奪などは厳禁され、そうした行為は敵地において奨励された。・・・

いっぽうで、敵の待ち伏せや城塞、敵陣への潜入、放火、乗っ取りの活動などは、まさに命がけの任務であり、それゆえ忍びたちの氏勝率は極めて高かったと推定される。・・・・そして、戦死したり、傷ついた忍びたちのその後を物語る史料は、管見の限り見られない。・・・

武士であれば土地(ストック)をもらうわけですが、忍びという非正規雇用はフローの金をもらうというわけです。

この本を読むと、昼間の武士の華々しく闘って手柄を立てる世界の裏側に、夜の影に潜んで潜入、放火、乗っ取りといった非正規戦闘形態に従事した膨大な数の非正規雇用の忍びたちが活動していたことが分かります。

表だっては描かれることなく、史料の端々にちらりちらりと垣間見える彼らの姿を一つ一つ丹念に拾い上げて一冊に描き出した平山さんの手際は見事です。

 

 

 

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