諸外国のテレワーク法制概観議事録@第4回これからのテレワークでの働き方に関する検討会
昨年11月16日の第4回これからのテレワークでの働き方に関する検討会で報告した諸外国のテレワーク法制概観については、そのときにパワポスライドをお見せしましたが、その時のわたくしの発言を字に起こした議事録が厚労省のホームページにアップされていたようなので、こちらに私の発言部分と、質疑応答に応えた部分を切り取って載せておきます。
https://www.mhlw.go.jp/content/000721083.pdf
○濱口委員 濱口でございます。
今日、これから、ここにありますように「諸外国のテレワーク法制概観」ということで簡単に御報告申し上げたいと思います。
これは、今回、コロナ禍で急速にテレワークが広がったということで、厚生労働省のほうから我々JILPTのほうに御依頼があって、うちの研究員を中心に、あと、外部の研究者も含めて、現在、研究中でございます。まとまるのは恐らく来年度の早いうちということになろうかと思いますが、本日はその途中段階、言わば中間報告的な形で御報告をさせていただこうと思っております。
最初に、まず、総論的お話なのですが、実は、ちょうど1年前、コロナ禍が始まる直前、2019年11月に、ILOが「21世紀のテレワーク」という報告書を出しております。これは、コロナ禍直前における各国の状況が書かれているのですが、その序章で、これは前にもちらっとお話をしたのですが、テレワークの進化について3段階論的な説明をしております。頭の整理にいいのではないかと思いますので、ここで簡単に説明いたします。
第1世代は「ホームオフィス」で、これは80年代から90年代にかけて、自宅で電話とかファクスを利用して仕事をするものです。当時はテレコミューティングという言い方が普通で、当時、トフラーの『第三の波』という本で、これが賞賛されていたということも御承知かと思います。
第2世代は、90年代半ばから2000年にかけての時代で、ラップトップコンピューターとか携帯電話を利用して、自宅以外でも仕事ができるようになりました。これを、この本では「モバイルオフィス」の時代と呼んでおります。
さらに2010年代以降は、スマートフォンとかタブレットで、情報処理と通信が完全に一体化します。また、情報もクラウド上で常時アクセス可能になります。そこで、もうモバイルオフィスを超えて今や「バーチャルオフィス」の時代になったのだと、この本は言っております。
少し前にILOとEUの労働研究機構が出した共同研究の報告書があります。タイトルがなかなか興味深くて、「working anytime anywhere」、いつでもどこでも働くというタイトルです。これがコロナ禍の直前の状況だったのですが、ただ、いつでもどこでも働くと言っていたのは数%に過ぎません。ヨーロッパ全体でも3%ぐらいなのです。
ところが、そこにコロナ禍が来て、一気に3分の1が在宅勤務になりました。皮肉な話ですけれども、進化の段階論からいうと、第1世代のホームオフィスが大々的に広がったというわけです。これは恐らく日本もそうでしょうし、世界中、似たような状況ではないかと思います。
各国を見ていく前に、まず、EUの動きをちょっと概観しておきます。90年代後半からテレワークに対する問題意識が高まってまいりまして、もう20年近く昔になりますが、2002年に、EUレベルの労使団体、具体的には欧州労連とか欧州経団連といったところが、EUレベルのテレワーク協約というのを締結しております。これは、それ自体としては法的拘束力があるものではないのですが、各国の労使が自発的にこれに基づいて施行するという扱いになっております。
協約の中身は、テレワークというのは自発的にやるものだとか、職場で働く人と同一の雇用条件、データ保護とかプライバシーの尊重、機材の費用をどう負担するか、安全衛生、労働組織、訓練、集団的権利等々といったことが書いてあります。
ただ、当時はやはりテレワーカーは少数派だったのですが、コロナ禍の下で、EUの労働研究機構でもいろいろ調査をしております。それによると、恒常的にテレワークをしているのが約3分の1、何らかのテレワークをしているのが半数弱に上っております。
以下、各国の状況を見てまいります。
まず、ドイツでございますが、コロナ禍で労働者の36%が在宅勤務をしています。ドイツの連邦政府では、現在モバイルワーク請求権の法案の策定作業を進めております。実は、当初案は、モバイルワークを希望する労働者との協議を義務づけるというほどほどの案だったのですが、去る10月にハイル労働社会相、この方は社民党の政治家なのですが、この方が主導した草案では、労働者に1年につき24日のモバイルワーク請求権を付与し、使用者は緊急の経営上の理由がなければ拒否できないという、かなり強硬な案を政府部内で提起しているようなのです。ところが、連立を組むキリスト教民主同盟のほうでは、それはちょっときつ過ぎるのではないかということで異論もあるようです。これが今後どうなるかはまだ不透明だということでありまして、現行法上は、原則として労働者に在宅勤務請求権というのはありませんし、また、在宅勤務をする義務もありません。
また、在宅勤務用の貸与機材を毀損したときに、損害賠償責任がどうなるかとか、労働者の支出した必要経費の負担をどうするか、あるいは、ホームオフィスへの立入権の問題もあります。これは、自宅への立入権は原則として認められていないということがありますので、逆に安全衛生の義務等も一部免除されているようです。さらに、通信障害による就労不能時にも賃金請求権があるというような扱いになっているようです。
一番関心の高い労働時間規制ですが、まず、法律上、テレワークに関する特則というのはございません。ただ、使用者側には労働時間の把握が困難であるということで、労働者側にはワーク・ライフ・バランスの観点から、柔軟性、フレキシビリティーのニーズが高いということで、信頼労働時間という仕組みがあります。これは法律上の制度ではないのですけれども、使用者は労働時間管理を行わない、労働者のセルフマネジメントに委ねるという仕組みです。
この場合でも、あくまでも労働時間規制はかかっておりますので、みなしや適用除外ではありません。ただ、いつ仕事を始めて終わったということのマネジメントを労働者に委ねるという仕組みであります。この信頼労働時間の下では、労働時間記録義務というのは、労働者の自己記録によるというのが通説であります。
ただ、これは非常に最近の動きなのですが、昨年、EU司法裁判所で、CCOO事件の判決が下りました。これはスペインの労働組合が訴えた事件に対する判決です。EUレベルで労働時間指令というのがありまして、この解釈権限はEU司法裁判所にあります。そして、その解釈が、ドイツであろうがフランスであろうが全てのEU加盟国に影響を及ぼすのです。この昨年の判決で、労働時間を記録するための適切な手段の導入というのが使用者の義務であるということを、EU司法裁判所が判断しております。そこで、今後、この使用者の労働時間把握義務というものが信頼労働時間にも及ぶのではないか、それがテレワークにも妥当するのではないかという議論がされているようです。まだ非常にホットな話なので、どのように落ち着くか分かりませんが、今、そういうことがドイツでは問題になっているとのことです。
なお、ヨーロッパ、特にフランスをはじめとしていろいろな諸国で、今、つながらない権利というのが注目を集めているのですが、ドイツはこれについては、少なくとも連邦労働社会省は、これをわざわざ規定しようといった方向性はあまりなく、消極的だということです。
また、先ほどもちょっと申しましたが、労働安全衛生規制については、作業場規則の一部、VDT作業についての規制はかかるのですが、それ以外は基本的にかからない。なぜかというと、そもそも自宅なので使用者に立入権限がないからだということです。
さらに、労災保険については、自宅で仕事をしていて階段から落ちて、これが労災になるかならないかということで裁判になったという事例はあるようです。日本で注目される過労死とか過労自殺というのは、そもそもドイツの労災保険では、そういうのは労災・職業病ではないという扱いになっています。日本ではどうしてもそこに注目が集まるのですが、ドイツではそれは問題にはならないということです。ただ、テレワークの途中で、子供を保育園に送り迎えしている途中でけがをしたのが、これが通勤災害になるかどうかという議論はあるようです。
なお、テレワークの導入には、事業所委員会(Betriebsrat)との協議、同意が必要になっております。
次がフランスでございますが、フランスは、15年前の2005年に、テレワークに関する全国職際協定を締結しています。職際というのは、職業別ではなくて、全ての職業を覆う全国協約という意味ですが、これが締結され、これの中身を踏まえて、2012年に雇用型テレワークに関する規定が労働法典に導入されています。そういう意味で、テレワークに関する規定が労働法上に存在する国であります。その規定が2017年のオルドナンス(政令)と2018年の法律で改正をされています。その中身は後でお話をします。
この規定では、テレワークというのは労使の合意で実施するのが原則で、労働者は拒否することができるというのが大原則です。ただ、使用者が憲章(Charte)を一方的に策定し、あるいは集団協定(労使協定の一種)を締結して、これにより実施する場合には、ある労働者がその憲章や集団協定に基づいてテレワークをしたいと希望したにもかかわらず、それを使用者が拒否する場合には、その理由を説明する義務があるということになっています。
この点を捉まえて、フランスではテレワークの権利があるのだという向きもあるようですが、これはあくまでも理由の説明義務であって、テレワークの権利、先ほどのドイツのハイル労働社会相の草案で言うような意味での権利、請求権があるわけではありません。逆に、今回のコロナ禍などの特別な状況下では、テレワークの勤務を命じうるのだと解されているようであります。
また、先ほど見た全国職際協定や労働法典に基づいて、テレワーク勤務者は企業施設で勤務する者と同一の権利を有するとされています。なお、2012年に労働法典にテレワークの規定が設けられたときには、テレワークの費用は全て使用者負担とするという規定があったのですが、それが2017年、2018年の改正で削除されているようです。
さらに、労働時間規制については、法律上、テレワークに関する特別の規制は特にないということです。もちろん、労働時間規制そのものについてはカードルの扱いなど、いろいろな特別の法制はあるのですが、テレワークということに着目した特則はないということです。
なお、労災保険では、テレワークの労働者が業務遂行中に、テレワークを行っている場所で発生した災害は労働災害と推定するという規定が設けられています。
次はイギリスでありますが、イギリスは、ある種の権利がかなり前の段階で入っております。2002年に雇用権法という法律が改正されて、ここで労働時間や就労場所について柔軟な働き方を要請する権利というものが、もう20年近く前の段階で入っておりました。ただ、この段階では、育児・介護等を行う被用者のみが対象だったのですが、これが2014年に改正をされて、26週間以上継続雇用されている全ての被用者に、この時間や場所についての柔軟な働き方を要請する権利が認められました。その意味では、一定のテレワーク請求権というべきものがイギリスにはあると言っていいのだろうと思います。ただ、申請できるのは12か月のうち1回のみですし、派遣労働者には権利がありません。
また、ここで「被用者」とあえて書いているのは、イギリスでは被用者と労働者という概念は別でありまして、労働者よりも少し狭い被用者についての権利だということです。
このように、被用者には要請する権利があるのですが、使用者は一定の場合にのみ要請を拒否できます。その場合、使用者に対する不服申立てが可能で、状況によって雇用審判所への申立ても可能です。こう見ると、結構強いハードな権利のようにも見えるのですが、ただ、拒否できる一定の場合というのが、8つぐらいの項目がずらずらと並んでおりまして、何でもそのどれかには該当するのではないかという感じもあります。。実態がどうなっているかを、もう少し突っ込んで調べる必要があるのだと思いますが、形としては請求権になっているけれども、実態としては少し緩い面があるのかもしれません。
なお、テレワークにも労働時間規制が適用されるのですが、御承知の方も多いかと思いますが、イギリスはオプトアウトというのがあります。これはEUの労働時間指令を導入するときに設けた特例ですが、週労働時間の上限規制を個別に適用除外するという制度があります。実は、現在、雇用契約を結ぶときには、デフォルトで、必ず週労働時間の上限は私は適用しませんという条項を入れます。それをしないとそもそも雇用契約を結べないという状況らしいので、労働時間規制が適用されるといっても、あまりそこのところは意味がないという状況のようです。
また、これは法制ではないのですが、今回の新型コロナが流行する下で、ACAS(助言斡旋仲裁局)という行政による労働紛争処理システムが、テレワークに係る助言、アドバイスという文書を公表しておりまして、使用者のなすべきことを中心として事項がここにいろいろ列挙されております。
次にアメリカです。アメリカでは、今回のコロナ禍の下でテレワークがどういう状況になっているか。5月と9月の数字を書いておりますが、5月のときにはかなり増えたのですが、若干減ってきているようです。
これを見ると公務が大変多いのですが、実は公務部門、とりわけ連邦政府職員については、過去20年超にわたり法令に基づきテレワークが推進されてきました。一般的な民間部門では、特段テレワークについての法制度というのはなくて、実務上は既存の法令の枠内で対処されているのですが、公務部門、とりわけ連邦政府職員については20年間にわたってテレワークを推進するという形でやってきたのがアメリカということです。
アメリカの法制度、特にアメリカの労働法の在り方自体がほかの国と違っているので、少し分かりにくいところがあるのですが、公正労働基準法上、労働の許容というのがあって、これも雇用に含むと解釈されているために、使用者はテレワーカーの実労働時間を把握する必要があるのだとされているということです。
また、職業安全衛生法の雇用の場所には自宅も含まれるということで、使用者は自宅での就労環境についても、危険がないようにするのがリスク回避としてベターだと考えているそうであります。
労災補償法については、アメリカの労災補償は連邦法ではなくて州レベルで制定をされているのですが、ここでは災害が雇用から生じ、かつ、雇用の過程において生じた場合には補償の対象とするとなっておりますので、テレワーカーの自宅における行動の公私の区別が問題となるとされております。
また、差別禁止事由に該当する属性の者、人種とか性別とかですが、他の属性の者と異なってテレワークを命じないこと、あるいは命じることは差別に該当します。障害者差別の関係では、テレワークの合理的配慮該当性が問題とされます。ただ、アメリカは、そもそも正規・非正規差別などという問題がないので、日本で問題となるそちらの問題は、逆に問題にならないということであります。
先ほど申し上げた連邦政府職員のテレワークについては、2010年のTelework Enhancement Actという法律に基づいて推進をされているということです。
主な4か国は以上でありますが、最後のところで、これは若干エピソード的にちらっと見かけたものを最後に放り込んだみたいな感じなのですが、その他の諸国として2か国ほど紹介をしております。
まずオランダですが、オランダは2000年に労働時間調整法という法律が設けられまして、労働時間の長さに選択の自由というのが導入されました。これは、パートタイムにするかフルタイムにするかの選択の自由なのですが、これが2015年改正で柔軟労働法という法律になりまして、その働く時間帯と就業場所についても選択権が導入されました。これは、ある種のテレワークの権利だと思うのですが、ただ、この就業場所についての選択権については、企業側に裁量権があって、あくまでの申請権だということのようであります。
それから、フィンランドは、ちょっと前の1996年の労働時間法で、始業時間、終業時間を3時間移動できるとされていたのですが、これが昨年、2019年の改正で、1週間の労働時間40時間のうち半分の時間については、従業員が、いつ、どこで働くのかを決められるようになったという情報がございます。
このように、主要4か国以外でもテレワークについていろいろな動きがあるということを最後に付け加えて、私からの報告は終わりたいと思います。
以上でございます。
○濱口委員 これが、今、御説明できるだけの知識は私はございません。まず、イギリスの場合、被用者(Employee)というコアの概念があり、その周りに労働者(worker)という概念があり、さらにその外側に自営業者があるという3層構造になっていて、この、時間や就労についての要請権というのは、あくまでもワーカーではなくてエンプロイーだという形での一種の差別というか差異があります。さらにそのエンプロイーであっても派遣労働者の場合には権利がないという構造になっています。私からお答えできるのはその程度なのですが、そこについてどういう議論があるかというと、派遣労働者のところについての議論というのは、私は承知しておりません。むしろエンプロイーとワーカーで差があることについては、この問題だけではなく、ほかのいろいろな権利についてもエンプロイーとワーカーに相当差があるので、これを見直すべきではないかという議論は、今回のコロナ禍以前から、もっと包括的な、いろいろな側面についてずっと議論はされています。
御質問に対するダイレクトな答えにはならないのですけれども、私の知る限りではそんな状況かと思います。
○濱口委員 ありがとうございます。
今年に入ってから、コロナ禍の中でどういう動きがあるかということで言うと、明らかな動きとしてあるのはドイツかと思います。先ほど申し上げたように、テレワーク請求権、かなり強いハードな請求権というアイデアが、政府部内のハイル労働社会相が主導する形で行われているということです。これは現在進行形ですので、どのように動いていくかを注目して見ていきたいと思うのですが、ほかの国々では、必ずしもコロナ禍でもって法制を今すぐどうするという動きがあるとは聞こえていない状況かと思います。
もちろん、ある意味、ヨーロッパも、第一波の後、第2波になって、今、感染者数が相当な数になっていますので、また、これがどういう影響を及ぼしてくるかというのは見ていかないといけないと思うのですが、現時点では、今年に入ってから、そういう法制の大きな動きがあるのはドイツかなという感じです。○濱口委員 そこは正直よく分からないのです。テレワークをする権利については、ハイル労働社会相が大変熱心で、政府内で議論を先導しているということは分かるのですが、逆に、つながらない権利に対してあまり積極的でない理由というのは、私の見た限りではあまり出てきません。
実は、ドイツ以外のヨーロッパ諸国、どちらかというラテン系の国々でつながらない権利が論じられています。フランスの場合、毎年、労使交渉をするということが義務づけられているのですが、その義務的交渉事項の中に、つながらない権利についても含めるという規定が数年前に設けられたということがあります。同じように、イタリアとかスペインとかベルギーといった、ラテン系の国々では、そういうつながらない権利に関する問題意識というのがあるようですが、ほかの国々ではあまりないようです。その辺はもしかしたら国民性が影響しているのかもしれません。
いずれにしてもドイツ人は、テレワークする権利ということについては非常に熱心といいますか、ホットな議論をしているけれども、つながらない権利ということについては、それほどの熱心さでは議論はしていないということのようです。
○萩原委員 ありがとうございます。
○濱口委員 あと一点、最初に萩原さんが言われた話なのですが、我々JILPTのほうでも、コロナ禍になってからいろいろ調査しております。それによると、非正規の中がはっきり分かれていて、契約社員や派遣社員は、正社員とほぼ同じぐらいテレワークをしていて、パート、アルバイトはかなり低いという結果が確かに出ております。そこは、今、萩原委員がおっしゃったとおりだと思います。○濱口委員 パフォーマンスという話ではないのです。パフォーマンスというのは、いずれにしても、テレワークをちゃんとやっているものの、その業績評価という話だと思うのですが、そういう話は実は全然出てこないです。そこが日本での議論と大分違うところかなという感じがいたします。
基本的に、やる、やらないという話であって、テレワークをやる際のパフォーマンスとか生産性が問題になるというのは、少なくとも諸外国のテレワークに関する議論の中には出てこないです。そういう意味では日本独特の議論かなという感じがいたします。
ここでいうのは、あくまでも通信障害で、そもそも全然できなかったという、そこの責任を、一種の危険負担をどちらが負うかという話で、業績評価の話ではないです。ほかの国々も含めて、このテレワークについて業績評価をどうするかという話というのは、実は見る限り出てこないです。そういう意味では日本独特の議論かなという気がいたします。
○濱口委員 ありがとうございます。
2002年のEUレベルの協約というのは、ここにも書いてございますけれども、実は、その少し前に、行政府である欧州委員会が、雇用関係の現代化についての労使協議というのを行って、これを受けて結ばれたというものでありまして、実は、その中身というのはテレワークと、もう一つは経済的従属労働者という、今の言い方で言うとフリーランスの話です。このテレワークとフリーランスという新しい働き方が出てきたということで、これについてどうしますかという問題提起を投げかけたことに対して、少なくともテレワークについては、我々で、労使で一定の、自発的な、自主的な、ルールをつくりましたという関係になっております。
ちょうど、この90年代終わりから21世紀にかけての時期に、情報通信革命、当時、IT革命といわれたものが世界的に大きく取り上げられておりました。これによって労働社会が大きく変わっていくということが、日本も含めてですけれども大変ホットな議論になっていたので、その議論に乗る形で、欧州委員会から提起がされ、労使団体のほうでもそれを受けて協約を結んだということです。当時の時代状況はそういうものでした。
その後は、2002年に協約が結ばれた後、フランスが2005年のテレワークに関する全国職際協定を、EUの協約を受けて締結したように、そのようにやっているところもあるのですが、ドイツは労使で一緒にパンフレットをつくってそれで終わりにしている程度だし、イギリスは、ほかの大陸諸国のように労使で共同して何かやるというカルチャーがそもそもありません。ですので、EUレベルで協約は結んだけれども、各国レベルの動きについては、国によって非常に様々な状況でした。
ただ、コロナ禍の少し前の、まさに2010年代になってから、AIとかIoTとかいうことがどんどん言われるようになって、第3世代のバーチャルオフィスが、議論として盛り上がってきました。先ほど申し上げた、いつでも、どこでも働くという働き方が、数としては、割合としては、少ないけれども、非常に最先端的な働き方として注目を集めるようなってきていたところに、今度は今年に入ってからコロナ禍で、働き方としては第1世代のホームオフィスなのですが、労働者全体の3割とか4割というような多くの人たちが、強制的に在宅勤務をするようになったわけです。このように、いろいろなことが積み重なっていって、今から見ると、この2002年のEUレベルの協約というのは、ちょっと昔の話という感じになっているのかなという感じがいたします。
今、いろいろ各国レベルで動きがあるのですが、その動きが直接、この18年前のEUレベルの協約を受けてという話ではもうない。時代としては次のフェーズに移っているという感じがいたします。
それから、2つ目の、労働者の希望を尊重するという点ですが、これはどちらかというと、この検討会でも、前の議論のときに、私もテレワークの権利とか義務とかという形でお話をしたのですが、こういった労働に関わるいろいろな物事を、権利とか義務とかいう枠組みで捉えて議論をするという、カルチャーというか背景があるのではないかと思います。コロナ禍になってからテレワークをめぐる議論というのは世界中で非常にホットな形であるのですが、やはり、日本では、先ほど小豆川さんがおっしゃったように、パフォーマンスがどうとか評価どうとかということに着目する議論が多いのに対して、ヨーロッパではそうではなくて、やはり権利とか義務とかという切り口からの議論が多いようです。これは、なぜかというと、労働社会のカルチャーとしてそういうものがあるのではないかと、そんな感じがいたします。
あまりお答えになっていないのですが、多分、テレワークに限らず、ほかのことについても、やはり議論のスタイルとして、権利とか義務とかという形で議論をするという傾向があるのかなという印象を持っております。
○濱口委員 ちょっと付け加えますと、先ほどフランスのところで述べたように、使用者が、憲章(Charte)かあるいは集団協定で実施する場合に、労働者がテレワークを希望して、それが使用者が拒否する場合には、その理由を説明する義務があります。これをもって、フランス政府自身が、これはテレワークの権利を認めた規定だと言っているらしいのです。理由を説明する義務がある程度で権利と言えるのか、という感じがするのですが、それを権利というように政府自身が言うというところに、物事を権利とか義務とかという用語で語ろうとするカルチャーが反映しているのではないかと思います。
○濱口委員 あくまでも、この信頼労働時間というのは、法律上の制度でも何でもなくて、慣行といいますか、労働時間規制は適用するけれども、労働時間の把握義務というか、記録義務が使用者ではなくて労働者にあって、そのこと自体は、別に法律上に労働時間の把握義務や記録義務が規定されているわけではないので、事実として、特にホワイトカラーの場合にはそういうのが割と一般的に行われているということだったようなのです。
ただ、ドイツもEUの加盟国であり、労働時間については各国の法律の上にEUの労働時間指令というのがあります。そこで、どこかの国でもめごとがあって、それが、EU司法裁判所に行って判決が出されると、その判決は、事件のあった当該のその国だけではなくて全加盟国を拘束します。今、イギリスは抜けてしまいましたけども、ドイツであれフランスであれ、その国の法律の解釈は、EU司法裁判所の判決で拘束されてしまうのです。
そういうことで、ドイツから見ると、若干もらい事故みたいなところがあるかもしれませんが、労働時間を毎日きちんと記録する義務があるのだというのが、EU指令の解釈として、EUレベルで確定してしまうと、今までドイツが、ドイツの法律の解釈としてはこれでいいのだよとやっていたけれども、それで本当にいいのかどうかというのが、今、問題になっているということのようであります。
なお、これまでの発言も併せて再度載せておきます。
第1回
〇 濱口委員
濱口でございます。ありがとうございました。特に、小豆川さんのお話は、大変詳細でかつ、私の知らないような細かい事も教えていただいて、非常に勉強になりました。ただ、冒頭の7つの時期区分をされたのですが、非常に細かくて、もう少しざっくりとした時期区分を紹介したいと思います。
今回新型コロナ危機で世界的にテレワークが注目されていますが、その直前までも、ここ数年来、世界的にテレワークというのが大変注目を集めたトピックになっていました。とりわけ、昨年2019年にILOが「21世紀におけるテレワーク」という報告書を出していまして、日本、EU、アメリカ、インド、ブラジル、アルゼンチンの実態を調べています。その序章で、メッセンジャーさんという方が、テレワークの進化を三段階に区分されています。これが非常に分かりやすく、かつ、今ものを考える上でも役に立つのではないかと思います。第1世代は70年代末ぐらいから80年代にかけての時期です。この頃はだいたいコンピューターはスタンドアローンで、通信機器も電話とファックスでやっていたような時代です。彼はこの時期を「ホームオフィスの時代」と呼んでいます。通勤する代わりに自宅が職場になるという意味で、テレコミューティングとも呼ばれました。次の第2世代は、90年代から2000年代の時期です。これは彼は「モバイルオフィスの時代」と呼んでいます。コンピューターはラップトップコになり、また携帯電話(モバイルフォン)を使って、家を離れても仕事ができるようになったので「モバイル」なんですが、データはやはりオフィスに集中されていました。それが、2010年代、とりわけその半ば以降は、彼はそれを第3世代と呼ぶのですが、「バーチャルオフィスの時代」になります。スマートフォンやタブレットのように、情報機器と通信機器が完全合体して、どこに居ようが職場や自宅と同じように仕事ができる、同じようなレベルで仕事ができるという時代です。この時代を最もよく言い表すフレーズとして、私が気に入っているのが、少し前の2017年に、ILOとEUの労働研究機構が共同で出した研究報告書のタイトルで、「Working Anytime Anywhere」というものです。いつでもどこでも働けます。というすごいタイトルですが、これができるようになったことで、今までの時間的、空間的に限定された場所で、それが職場であろうが自宅であろうが、あるいはサテライトオフィスであろうが、そこで働くのが労働だという、労働法の基本概念自体がガラガラと変わりつつあるという議論をしています。このように、大きく三段階に分けると見通しが良くなるのではないかと思います。そういう意味から言うと、今回の新型コロナ危機というのは、直前まではこの三段階のいわば先端部分が、技術の発達に乗っかる形で、できるところがどんどん先に行くみたいな形で進んでいたのが、むしろそうじゃなかったところに、いきなりロックダウンとか緊急事態宣言により、ステイホームでホームオフィスが強制されたようなところがあります。つまり、テレワークの進化の段階からいうと最先端ではなくむしろやや古いタイプのホームオフィスですが、それが今までテレワークなどしていなかったような人々にまで大量に適用されることで、多くの問題が出てくる。そういう状況ではなかろうかと思うのです。
先程、小豆川さんが言われたような、最近までずっと、テレワークというのはワークライフバランスに資すると言ってきたわけですが、実際にやってみたらワークライフバランスどころか、むしろワークライフコンフリクトが噴き出しているという面もあります。あるいは、これはもしかしたら、日本の雇用システムの問題かもしれませんが、仕事の仕方が個人のジョブに切り分けられていないために、テレワークをしようとしたらいろいろトラブルが発生するという話もあります。先程の三段階論で言うと、最先端というよりも少し前の世代のテレワークなのですが、新型コロナ危機によりそれが一気に拡大したことで、雇用システムとしていろいろ問題が起きているとも言えます。そういう意味では、今テレワークを論じるに当たっては、去年まで先端的なところで議論していたような「いつでもどこでも働ける」という話と、世代論的にはむしろ旧世代のテレワークになりますが、強制的に在宅勤務をせざるを得なくなったために、今までの働き方との間でいろいろ矛盾が生じているという話との、両にらみのような形で議論していくことが必要であろうと思っています。先程の開催要綱からすると、この検討会はどちらかというとやや後者に重点があるのだろうとは思いますが、一方で最近ワーケーションという言葉もちらちら出てきています。ワーケーションは、ある意味まさしく典型的なworking anytime anywhereの表れみたいなところがありますから、それが労働の在り方、労働法とか労使関係の在り方にどう影響するかということも、併せて念頭に置きながら議論していく必要があるのではないかと感じました。
第2回
○濱口委員 濱口でございます。
この論点の書き方はテレワーク対象者を選定するという企業の雇用管理の観点からの書き方なのですが、労働問題というのは、当然のことながら、アクターは使用者と労働者と両方あるわけで、選定されなかった労働者はどうなるのだという問題が出てきます。一方でテレワークをする権利という議論は既にヨーロッパで出てきておりますが、そこは権利性をどこまで認めるのか、認めないのかという話と裏腹なのです。今言われた新入社員の話は、いかにもそれはふさわしくないだろうなという感じもあるのですが、例えばやっている業務の性格だとか、もう少し難しくなってくると、あなたの職位がどうだとか、就業形態がどうだとかみたいな話になってくると、結構大きな労働問題になり得る。
その話を裏返すと、今のはテレワークは一種の権利、つまり望ましいものであるという観点からの話なのですが、実は必ずしもそうでもないかもしれない。つまり、私はテレワークなんかしたくないのに、会社からテレワークを命じられた、断る権利はあるのか、という問題もありうる。つまり、権利と義務がそれぞれプラスの話とマイナスの話と二重になっていて、そこをどのように解きほぐしていくのかという論点と、そもそもの問題提起としてあるような労務管理上、どのようにすれば企業の業務遂行上、望ましいテレワークの配分の仕方が可能なのかという話と、両面から議論する必要があるだろうなということを感じました。
以上です。
第3回
○濱口委員 濱口でございます。
今の幾つかの論点について、まず1つ目の人事評価ですが、確かにこの間、マスコミ等で人事評価が最大の問題だという議論をされているのですが、人事評価というのはどちらかというと表面的な話であり、むしろ根っこの話は業務のやり方、進め方の問題ではないかと思います。
例えば欧米のオフィスであれば、ITが入る以前から基本的に紙ベースで仕事をしています。そうすると、その紙ベースの仕事の進め方が電子化されるだけであり、その電子化された紙ベースの仕事の仕方がテレワークになって距離が離れても基本的にその延長線上で行われるのです。これに対して、もともと日本のオフィスでは紙ベースというよりも、いわばバーバルコミュニケーションあるいは場合によったらノンバーバルコミュニケーションが重要でした。だから、それが電子化されてもやはりちょっと来て、説明しろみたいな話になりますし、それをテレワークでやるのはなかなか難しい。
その難しさが表面に現れた一つが人事評価の問題なのです。確かに人事評価という形で問題が露呈しているのですが、根っこはむしろ業務の進め方の問題ではないかと。そういう意味では、かなり根が深い話です。ただ、だからといって、仕事の進め方をがらっと変えて、基本的に文書ベースで全部やるべきだという話になるのかどうか。これがまた日本の組織の在り方とも密接に絡む問題なのでなかなか難しいのではないか。これは後の人材育成の問題も一緒だと思うのですが、日本の雇用の在り方の根っこに関わる話ではないかと感じております。人事評価をどうするか、成果なのかプロセスなのかという話だけでは話が解決しない、そういう印象を持っております。
それから、費用負担の話も、例えばテレワーク手当という話が幾つかのところで出ているのですが、これは前回、私のほうから提起した、そもそもテレワークする権利があるのか、義務があるのかという、そこを踏まえないといけないのではないか。テレワークにかかるコストについては、既に厚労省で助成金も用意されていますが、そうではなくて労働者に対するテレワーク手当ということになると、やはりそもそもテレワークするということが権利、義務としてどうなのかという話をきちんと詰めた上でないと、やや先走りの話ではないかという印象を持ちます。
人材育成は、先ほど申し上げた人事評価の話とつながっていますが、日本の場合、即戦力として採用するわけではなくて、いわば素人を採用して、それをその上司や先輩が鍛えていくというやり方です。そうすると、そこはやはり文書ベースだけではなかなかうまくいかないので、どうしてもバーバルなあるいはノンバーバルなコミュニケーションとともにやっていくことになる。となると、テレワークとの相性というのはなかなか難しい。これも人材育成をどうするかという形で問題としては出てくるのですが、やはりその根っこのところには根深い問題があるのではないかと思います。
雑駁ですけれども、この3つの論点について、そんな印象を持っております。○濱口委員 濱口でございます。
労働時間の問題はいろいろな意味で非常に大きな問題なのですが、基本的な物の考え方として、労働時間管理というのは労働者にとってどういう意味を持つものなのかということから考えたい。これには両面あって、過度な長時間労働にならないようにするのが労働時間管理であるという側面があるとともに、一方で、せっかく会社から離れてある程度自由に働けるはずなのに一挙手一投足を管理されるのは嫌だという、そういう側面もあると思うのです。
この両方をどういうふうに調和させるか、いいバランスを取るかということが重要です。私は、個人的には、一昨年につくられたガイドライン、非常によくできているのですが、ちょっと違和感があるのは、例えば中抜け時間について休憩時間とするとか、時間単位年休とするというような規定があるのです。それは確かに通常の労働時間制度を前提とすればそうなるのですが、せっかく会社から離れているのにそこまで厳格な時間管理をするのかという感じもします。つまり、これは労働者にとってのメリット、デメリットというのがそう単純ではないということを考える必要があるのではないか。
ただ、だからといって、ずるずると自由にやらせればいいではないかというところに行ってしまうと、過度な長時間労働になる危険性もあります。おそらく次の話題ですが、安全衛生管理の問題も出てくるので、そこは過度な長時間労働にならないような大枠としての労働時間管理は必要になります。今、労働安全衛生法上では、労働時間の状況の把握義務は、みなし制とか管理監督者も含めてかかっていますので、そういう大きな枠で時間管理する中で、ややミクロな、仕事の合間にちょっと子供の面倒をみるというようなところまで休憩時間とか時間単位年休というようなことにしなければいけないのか、あるいはそこはもう少しざっくりとしてもいいのかという、その辺を両にらみのような形で考えていく必要があるのではないかと感じおります。
○濱口委員 濱口でございます。
先ほども申しましたけれども、労働時間をどう管理するかという話と、こちらの健康管理、メンタルヘルスの話というのは表裏の関係にあります。今までの日本の労働時間の議論というのはミクロな労働時間管理に関心を集中し、それは何のための労働時間管理かというと、ややもすると賃金対象時間という意味の話ばかりをやってきたきらいがあります。最近になってようやく健康管理という観点から、あまり細かい何分何秒働いたから残業代がいくらという話ではなくて、健康を損ねるような長時間労働はまずいねという話になってきたと思うのです。まずは健康管理のために、過度な長時間労働にならないようにするにはどうしたらいいか。それは今までの賃金対象時間という観点からの労働時間管理とは異なり、ややマクロな、ざっくりとした、しかし、過度な長時間労働にならないような仕組みをどういうようにきちんとつくっていくかという観点が重要なのだろうなというように思っております。
もう一つ、実はかつての在宅勤務通達やガイドラインでは、私生活との関係というのが重要だと言っています。確かにできるだけきれいに分けたほうがいいとは言われているのですが、そうはいっても、とりわけ日本の普通の住宅の実情からすると、どうしてもそこはダブってこざるを得ないところがあります。そこを前提として、ある程度、私生活と在宅でやっている仕事が時間的、空間的にダブってくることを前提として、それをうまく回すような仕組みというのをどう考えるのか。テレワークにおいても私生活と仕事を峻別すべきだ、それがあるべきテレワークだ、みんなそうすべきだというように言ってしまうと、多くの人がそこから外れていってしまうので、仕事をしている最中に子供が泣くこともあるというようなことを前提とした仕組みの構築というのを考えていく必要があるのではないかと、そんなざっくりとした感想を持っております。
○濱口委員 濱口でございます。
このワーケーションの話はここで取り上げるべき話題なのかどうか。国土交通省のほうでワーケーションの検討会を始められたということなので、そちらで主としてやられるのだと思うのですが、ただ、当然ここにも書いてあるとおり、基本的には年休を取ってワーケーションに行っている間にホテルの部屋で仕事をした、その時間は一体何なのかとか、労働時間制度の観点からすると結構大きな論点を提起しているように思われます。一方でワーケーションの推進という観点で、国土交通省なり観光庁で進められていくのだと思うのですが、それを労働基準法なり労災保険法との関係でどういうように見るべきかというのは、当然こちらのほうで考えていく必要がある話だろうと思います。
それから、つながらない権利の問題は、先ほど来ずっと出てきている健康管理の観点からの、細かな賃金対象時間よりも、フィジカル、メンタル両面の健康管理のためにどういう労働時間規制の在り方があり得るのかといったときに、テレワークしている本人の主体性というものを中心に置くと、最近フランスとかイタリアとかスペインとかベルギーなんかで導入されているつながらない権利という発想は一つのヒントになるのではないか。どういう形でできるかというのはなかなか難しいところはあるのですが、そういう観点は頭に置いておく必要があるでしょう。先ほど風神先生がインターバル規制に触れられたのですが、テレワークしている方にとってのインターバル規制の在り方としては、このつながらない権利という形で出てくるのかなという気づきを与えていただきました。そういう観点からこの問題は議論していく必要があるという感想を持ちました。
以上です。
○濱口委員 今の座長のまとめでほぼ尽きていると思うのですが、そういう観点からしても、最初のところで申し上げた、過度な労働時間管理を再考した方がいい。これは半分笑い話みたいなものですが、最近「テレワークで生産性が落ちていませんか、四六時中、社員を見張れる機械がありますよ」というような宣伝があるらしいのです。それはそれで確かにその企業の人事管理のスタイルがそういうものだという面もあるのかもしれないのですが、もし労働時間というものをきっちりと、ミクロな一挙手一投足まで全部監視しないといけないと思っているのだとすると、それはテレワークそのものの生産性をむしろ逆に下げる危険性もあるのではないか。労働時間管理というのは基本的にはテレワークであれ、職場勤務であれ、健康をきちんと守るために過度な長時間労働にならないようにするのが労働時間管理というものの本来の趣旨なのだということは、きちんとメッセージとして伝えていく必要があるのではないか。
いや、それは分かっているけれども、やはり一挙手一投足を管理したいのだという方向に流れるとすると、それはかえって問題を生み出しかねないのではないかと、そう考えています。
第5回
○濱口委員 ありがとうございました。
こうやって全文読み上げていただきますと、目で見たときにはあまり気がつかなかったことで気になることがありまして、7ページ目の下から2つ目のパラグラフ、テレワークの人事評価のところなのですが、書いてあることは全くそのとおりであって、おっしゃるとおりなのです。テレワークをせずに出社していることのみを理由として高く評価してはいけないのだと。そのとおりだと思うのですが、ただ、改めてこれを見て感じたのは、実は今回のコロナ禍で大きな問題になったのは、一つはテレワークなのですけれども、もう一つ、実はエッセンシャルワークの問題があるのです。その文脈というのは、テレワークをしたくてもできない、出勤して仕事をしなくてはいけないのに、処遇が低いのは問題ではないかということです。もちろんここは直接それに関わっているわけではないのです。テレワークができる職種の中でしている人としていない人で出勤したことを高く評価するようなことをしてはいけないという話であって、それは全くそうなのです。しかし、エッセンシャルワークと言うはどうかはともかくとして、そもそもテレワークできない職種をどう考えるのかという反応がありうる。つまりここでいう人事評価というのは人を評価するという話であって、職種を評価するというのはまったく別の話だということを何らかの形で注記しておかないといけないのではないか。書いてあることは全くそのとおりなのですが、エッセンシャルワークを無視しているとか、おとしめているといった印象をもし与えるとまずいなと感じたところです。そこは書き方を工夫していただければと思います。
以上です。
○濱口委員 今、風神委員が、私がさっき申し上げたことにコメントされたのですが、結局この問題は、日本の社会に職務意識が非常に乏しいために、職務単位で物を考えることを飛ばしていきなり個人ベースの話に行ってしまうから、こういう変な問題が起きるのではないかという感じがするのです。ここでは、まず最初に来るのが対象者の選定なのです。まず人ベースの対象者の選定で、その後にようやく対象業務が来るのです。しかしながら、本来、この仕事はテレワークできるのかできないのか、というのが先に来なければおかしい。テレワークできないと言っているけれども、それは判こを押さなくてはいけないからだというのなら、それはおかしいので、テレワークできるでしょうという話がまずあって、その上で人の選定に行くはずなのです。まず業務ができるかできないかというレベルで、例えばテレワークがどうしてもできない、本質的な意味でのエッセンシャルワークだから、この業務を高く評価するのだというのはあり得る話だと思うのです。ところが、日本人の感覚がそうだからなのですが、それが後のほうに追いやられて、先に人ベース、個人ベースの評価の話に行ってしまっているから話が混乱するのではないか。
そういう意味からは、最初の対象者の選定の話もまず業務があって、それから個人なのではないかと。評価もそういう意味からいうと、職務評価があって、それで個人の評価なのではないか。そこを明確にした上で、業務についてもこれは今までできないと思っていたけれども実はできるのだというような話がある、そのテレワークできる業務の中で、する人としない人で、そこで差別があってはならないなどというように、きちんと整理したほうがいいのかという感じがいたします。私はたまたま、別件でエッセンシャルワークの話があるものですから、それが頭に残っていたのでそのように感じたのですが、多くの方もこれを読まれたときにそのように感じるところがあるのではないかと思ったものですから。そこは少し構成が変わるかもしれないですけれども、初めにまず業務があって、それから個人に行くということを考えていただければと思いました。
それから、先ほどの川田委員や小西委員が指摘されたこととの関わりなのですが、経緯的に言うと、事業場外労働自体はもう30年以上前にできた制度で、そのときはいわゆるポケベル通達というものがあって、その考え方がいまでもあるのです。一方で、このテレワーク、在宅勤務については2004年、2008年に通達が出されていて、そこは大きく言えばその枠内なのですけれども、少し細かく要件が示されていて、必ずしも単純に労働時間を算定しがたいということではなく、むしろきちんと体制を整えることで、時間を算定しようと思えばできるけれどもあえてしないような仕組みにすることが要件になっていると私は理解しております。基本的には2004年、2008年の通達の考え方が現在の2018年のガイドラインにもそのまま書かれていますので、考え方としてはそれに基づいているのだろうと思います。そこが非常に重要なところで、テレワークの中でも特に在宅勤務というのは、一方で労働者にとっての私生活の場と切り分けると言いながらなかなか切り分けにくいところがあるので、あえてきちんとコントロールしない、やろうと思ったらできるのだけれども、あえてそれを仕組みとしてしないことをもってみなし制の適用という要件にかからしめているところがあるので、むしろそこをきちんと明確に示したほうがいいのではないか。もちろん読めば分かるのですが、もともとの2004年、2008年のときの通達にはそこがかなり明確に書かれていたこともありますので、そこの考え方を再度もう少し明確に示されたほうがいいのではないかという感じがしました。
以上です。○濱口委員 先ほど竹田委員が言われたことは、官庁もエッセンシャルワークなのか、それとも判こ押しのための出勤なのかというのは考えてみる必要があるかと思います。これは半ば冗談ですが。
この検討会に出させていただいて、感想として2つほど思っております。一つは、ワーク・ライフ・バランスという言葉がここ十数年来ずっとはやっているのです。ただ、今までは基本的にはワーク・ライフ・バランスというのはワークの場とライフの場が分かれている、分かれていることを前提として、できるだけライフを確保しよう、だから、ワークを限定しようということでほぼ話は済んでいたのです。ところが、テレワーク、とりわけ在宅勤務というのは、いや応なしに場所的にワークとライフが入り交じってしまう。そういう中で、ワークとライフをバランスさせるというのはどういうことなのかというのを、今までもあったのですが、改めて考える機会になりました。これだけ非常に多くの、瞬間風速的には労働者の半分以上の方がテレワークする時期もあったということから、改めてワークとライフをバランスさせるというのはどういうことなのかを、私も含めて考えさせるいい機会になったのかと思います。この報告書はあくまでその一里塚であって、ワーク・ライフ・バランスをどのように考えていくべきなのかということは、これを一里塚としてさらにもっと考えを深めていく必要があるのだろうと思っております。
もう一つ、これは小西委員がちらっと言われたことと関わるのですが、時間や場所にとらわれない働き方というのは、逆に言うと労働者性の判断基準の中に時間的・空間的拘束性があるということがあって、あまりそこを強調し過ぎると労働者でないというようになってしまう危険性があります。ただ、それを裏返して、労働者でなくなってしまうリスクにならないためにそこをぎちぎちに規制しなければいけないという話だと、これは逆にテレワークのメリットをかえって減殺することにもなってしまいます。なかなか話は難しいのですが、労働者としての一般的な保護を維持しつつ、しかし、その中でそういった時間的・空間的な拘束性のなさというものがどこまで可能なのか。これももちろん今までもあった話ではあるのですが、これだけ大規模にテレワークが拡大することを経験した時代の中で、これからの課題としても考えていく必要があることなのだろうということを改めて感じました。
私の感想は以上です。
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コメント
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第4回「これからのテレワークでの働き方に関する検討会」で発表された「諸外国の #テレワーク 法制概観」や第1~3回の発言を議事録から抜粋してブログに投稿してくださり、感謝。
昨年12月25日に公開された検討会報告書も読ませていただき、厚労省のテレワークガイドラインの改訂にも強い関心をもっていますので、今後ともブログでの情報発信のほど、よろしくお願いします。
投稿: 佐伯博正 | 2021年1月23日 (土) 19時05分
この長ったらしいエントリにどれほどの需要があるのかわかりませんでしたが、拙発言をまとめてアップしたことに意味があったことを確認出来て、有難いです。
これからも本ブログを宜しくお願いいたします
投稿: hamachan | 2021年1月23日 (土) 22時55分