古関裕而と労働政策
いやいや、別に古関裕而が労働政策にかかわりのある曲を作ったという話じゃありません。ていうか、そういう曲も作っているんですけど、その話じゃない。
古関裕而の生涯については、先日終わった朝の連続テレビ小説「エール」で描かれたように、戦前はあまり売れず、早稲田やタイガースの応援歌という非売品が評判になった程度ですが、戦時中はその曲調が軍歌にフィットして「露営の歌」や「若鷲の歌」などが大ヒットし、戦後も「栄冠は君に輝く」や「オリンピックマーチ」など売れっ子作曲家として活躍しました。そんなことは知ってるけど、それが労働政策と何の関係があるの?と言われそうです。中身じゃなくて、戦前は人気が出ず、戦時中と戦後にとても受けているというところが、両者はよく似ているなと思うのです。
ドラマでは、おそらく世間で一般的な歴史観に沿って、戦時中のヒットした軍歌がかなり否定的なイメージで描かれ、その反省の上に戦後の歌曲が作られるというストーリー展開でしたが、でも、応援歌といい、軍歌といい、スポーツ歌曲といい、音楽としてはよく似たジャンルです。歌詞を知らない外国人が聞いたら、六甲おろしも予科練も高校野球も同じように聞こえるでしょう。まさにドラマのタイトルのごとく「エール」の歌。
そして、そういうタイプの曲を得意とする古関裕而は、戦時中ではない戦争前の時代には、古賀政男みたいな作曲家の後塵を拝して全然売れず、せいぜい紺碧の空や六甲おろしを作っても金にならないような二流音楽家だったのが、戦時中と戦後という時代には、その政治的文脈は違うとはいいながら、音楽的には似たような、そして古関裕而の性に合ったタイプの、まさに「エール」の歌を作って引っ張りだこになる。
これは、歴史家は全く180度変わったと言っている戦時中と戦後という時代が、少なくとも時代が求める音楽タイプという意味においてはよく似た時代であったということを意味しています。古関裕而の音楽を評価しないのが戦前であり、評価するのは戦時中と戦後なのです。
そして、ここまで書いてくると、そろそろ私が何を言いたいのかが薄々わかってきた人もいると思いますが、そういう古関裕而の立ち位置とほぼ同じような立ち位置を戦前、戦時中、戦後に経過してきたのが、まさに労働政策だという話です。
これも、具体的な個々の労働政策立法の歴史を全部すっ飛ばしたイデオロギー的な決めつけ史観では全部零れ落ちてしまう話ですが、戦前なかなか実現しなかった様々な労働政策課題が、戦後占領下で続々と実現していくよりも前に、日中戦争から太平洋戦争が激化していく時代にこそ、実は続々と実現しているのですね。
このあたり、一昨年の日本労働法学会の報告でごく簡単に紹介したところですし、詳しくは『日本の労働法政策』に書いてありますが、労働政策に親和的で、労働者保護的な立法が続々と実現していったという点で、軍国主義的な時代とGHQ支配下の時代とはきわめてよく似ているのです。
・・・1930年代半ばから1950年代半ばまでは「社会主義の時代」であり、前半はナチスドイツ風の国家社会主義、後半はアメリカ的偏差を有する社会民主主義(ニュー・ディール主義)を掲げつつ、一貫して労働市場政策における規制強化、労働条件政策における労働者の生活保障等の政策が進められた。
例えば、1938年職業紹介所が国営化され、1937年成人男子にも就業時間規制(残業含め12時間)を導入し、1938年安全衛生管理体制(安全管理者、安全委員、工場医)を確立し、1942年健康診断を義務づけられ、1940年最低賃金が導入され、1941年労働者年金が設けられ、労働者代表制は産業報国会という形で実現し、戦後さらに拡充されていった。とりわけ重要なのは、戦時中に賃金統制令等によって強制された生活保障的年功賃金制が、戦後企業別組合によって再確立されていったことである(電産型賃金体系)。
それも、実は結構前から繰り返し論じていることなので、いまさら何?と思う人もいるかもしれません。いや、古関裕而を想起したのは、このように戦時中と戦後は実は密接につながっていて、イデオロギー的な偏差を除けばきわめて類似した活動をしているにもかかわらず、そのことを素直に認めることに対する心理的抑圧感が強くて、ほとんど同じような歌曲なのに戦時中の軍歌と戦後のスポーツ歌曲をなんだかすごく違うもののように描こうとするドラマの描き方のスタイルと、ほとんど同じような労働者保護的な政策や立法が行われているにもかかわらず、それを素直に認めようとすることに対する心理的抑圧が強くて、戦時中は労働者弾圧の抑圧時代、戦後はそこからすべてが解放されたみたいに描きたがる歴史叙述のスタイルとの間に、ものすごく同型性を感じるわけです。
« 新年早々、日経新聞は | トップページ | ジョブ型で社会主義をやるってこういうことさ@キューバ »
労働歌もエールの歌ですが、現代日本ではまったく存在感がありませんね。
戦後の日本では「ハマータウンの野郎ども」が部活という回路を通じて「栄冠は君に輝く」や「オリンピックマーチ」の世界に統合されるので、それも無理ありませんが。
戦中から戦後に続く一つのモメンタムが、欧米とはまったく異なる景色を日本にもたらしているのが実感されます。
投稿: 通りすがり2号 | 2021年1月 4日 (月) 18時55分
> 労働政策課題が、戦後占領下で続々と実現していくよりも前に、日中戦争から太平洋戦争が激化していく時代にこそ、実は続々と実現している
コロナを「大規模な危機と捉える」ことによって、
国家社会主義的体制の強化の呼び水にしたい、と
いうが機運が今、ちょっとあるように思いますね。
という状況で、双方の陣営がやり合っている最中、
みたいな感じでしょうかね。
> 「ひとが亡くなっている」「前線は頑張っている」「少しの辛抱だ」みたいな言説
https://twitter.com/reichsneet/status/1346621026499608576
> 「コロナはただの風邪」って笑ってた
https://twitter.com/TomoMachi/status/1346620375937925121
投稿: てりやき | 2021年1月 6日 (水) 20時47分