笹沼朋子「セックスワーカーの労働者性に関する覚書」@『愛媛法学会雑誌』47巻1号
『愛媛法学会雑誌』47巻1号に掲載されている笹沼朋子さんの「セックスワーカーの労働者性に関する覚書」は、昨年コロナ禍の中で本ブログでも何回か取り上げたことのあるトピックを論じていて、興味深いものです。
冒頭、例の岡村隆史さんの発言が出てきて、それに対する藤田孝典さんの激烈な批判があり、さらにそれに対するSWASHの要友紀子さんの痛切な批判が出てきて、こういう大学紀要を読むような奇特な人々に対する分かりやすい状況説明がされています。
等しくセックスワークに従事する者に対するコロナ禍での助成制度が、厚生労働省の場合は当初除外していたのがSWASHなどの批判を受けて対象に含めることとしたのに、経済産業省の場合は除外し続け、その理由付けに藤田さんのような議論が使われているというのは、ずっと追いかけている人にとっては基本的な知識ですが、一歩外に出ると必ずしもそうではないからです。
的確に要約できる自信もないので、是非大学図書館等で読んでいただければと思いますが、「事業としての性交渉は搾取なのか労働なのか」とか「セックスワーカー市場を作っているのは誰か」とか「そもそも労働だって搾取である」とか、見出しを追うだけでも興味がそそられます。
笹沼さんの結論は、これも見出しの文句ですが、「セックスワーカーが解放されるために必須のもの-団結権」ということになるのでしょう。
そして、最後のところで、「私は、性的人格権という概念については賛成できない」と主張される理由についても、なかなか火を噴くような強烈な議論が展開されています。ここだけでも読む値打ちがあります。
(参考)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-b631f8.html(新型コロナと風俗営業という象徴)
一方、コロナショックを労働政策面から和らげようとして政府が繰り出した雇用助成金政策に対して、それが風俗営業従事者を排除しているのが職業差別だという批判が噴出しました。そしてその勢いに押された厚生労働省はそれまでの扱いをあっさりと放棄し、風俗営業従事者も支給対象に入れることとしたわけですが、このベクトルは風俗営業のみを卑賎視する偏見に対して、それもまた歴とした対人サービス産業であるという誇りを主張するものであったはずで、その背景にはやはり、風俗営業も他の対人サービス業も、人と人との接触それ自体を商品化する機会を稼ぎのもとにしていることに変わりはないではないか、そして現代社会はそれを経済拡大の手っ取り早い手段として使ってきているのではないかという自省的認識の広がりがあったのかもしれません。
ところが、ここにきて、某お笑い芸人がラジオ深夜番組で語ったとされる、コロナ不況で可愛い娘が風俗嬢になる云々というセリフが炎上しているらしいことを見ると、実は必ずしもそうではなかったのかもしれないなという感じもあります。・・・
(追記)
世の中、ちょっとした時期のずれで大きな差ができることがありますが、本日から申請を受け付け始めた経済産業省の持続化給付金は、中小法人向けの200万円コースも、個人事業主向けの100万円コースも、特定の風俗営業は対象から除外しています。・・・
雇用助成金の時には、風俗営業だからと言って排除するのは職業差別だとあれほど騒いだ人々が、岡村発言の直後にはだれも文句を言わなくなってしまっているというあたりに、その時々の空気にいかに左右される我々の社会であるのかがくっきりと浮かび上がっているかのようです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-3d83ef.html(ネット世論駆動型政策形成の時代の言説戦略と無戦略)
・・・とはいえ、ネット世論駆動型政策形成の基盤であるネット世論というものが、いかに風にそよぐふわふわしたものであるかは、そのネット上におられる諸氏はよく理解されておられるところのはずで、その危うさが露呈したのが、雇用助成金において先行的に適用除外の撤廃が先行しながら、経産省所管の持続化給付金が始まる直前に猛烈な急ブレーキがかかった、例の性風俗営業関係の適用除外問題だったと思います。
雇用助成金における風俗営業の適用除外に対して、職業差別だという批判の嵐が巻き起こったのもネット世論であったわけですが、今回その勢いに水をぶっかける形になったのも、深夜ラジオ番組における芸人の発言に対するネット世論における猛烈な批判であったというのは、やはりこのネット世論駆動型政策形成の本質的な危うさを浮き彫りにする事態であったように思います。
注意すべきは、前者の雇用助成金における風俗営業の適用除外を批判するネット世論は、明確に当該制度の変更を求めるネット言説戦略としてなされ、そういう意図に即した形で政治家から行政に迅速に伝えられて実現に至ったわけですが、後者はそうではなく、むしろその芸人発言批判の言説が現下の政策形成プロセスにどのような影響を与えるのかについての認識を欠如した形で、その意味では言説戦略の欠如(無戦略)としてなされてしまい、結果的に想定していなかった政策効果をもたらしてしまったらしいところです。・・・
(追記)
いかにも表層的な世間受けしそうな「正義」に、軽々しく、そう、その「正義」の論理的帰結がどのようなものであるかというところまできちんと深く考えることなく、表層的な世間受けしそうな「正義」に軽々しく乗っかりたがるという、藤田さんの傾向に対しては、かつて「年金返せ」騒ぎの際に、本ブログでも指摘したことがありますが、その時も、そもそも何を批判されているのかを自省しようという姿勢はほとんど見られませんでしたね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-fac874.html(労働問題としてのセックスワーク@『国際比較労働法・労使関係雑誌』)
本稿でとりわけ私が関心を持ったのは、「3.2 労働権とセックス産業における雇用、自営業、偽装自営業」という節で、日本でもそうですがドイツでも恐らく世界中で、事実上諾否の自由のないセックスワーカーたちが自営業ということにさせられているケースが大変多いのですね。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-beecc1.html(さすがに藤田孝典氏に団交応諾義務はないと思うが・・・)
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