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2021年1月 2日 (土)

駆け込み訴え型ユニオンがその武器を使える最低限の要件

昨年8月に、東京都労委の決定について紹介した首都圏青年ユニオン連合会の話ですが、正月休みの間にいろいろ考えたことを、とりあえず内々のメモとしてここに書き込んでおきます。これはあくまでもまだ考え途中の自分用のメモに過ぎないので、ちゃんとした形にするまでは引用等はご遠慮願います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-50e58d.html(首都圏青年ユニオン連合会はまっとうな労働組合に非ず@東京都労委)

・首都圏青年ユニオン連合会の機能は、もっぱら個別労働紛争の事後的解決手段としての駆け込み訴え型ユニオンと同じ
・駆け込み訴え型ユニオンが用いる武器としての「正当な理由なき団体交渉拒否は不当労働行為」という団交強制の仕組みは、本来一定職域における労働条件決定メカニズムを公正なものとするための一要素
・団交強制の仕組みの元祖であるアメリカでは、これは排他的交渉代表制を前提に、一定職域の労働者の過半数の支持を得た労働組合に排他的な団体交渉権を与え、当該過半数組合との団交を正当な理由なく拒否することを不当労働行為として是正させる仕組みであり、ミクロ政治的な意思決定メカニズムとして正当化されるもの
・1945年労組法には存在しなかったこの仕組みが、1949年改正で導入される際の立法過程では、当初アメリカ型の(ワグナー法と同様の)排他的交渉代表制を導入し、それを前提として過半数の支持を受ける労働組合との団交拒否を不当労働行為に位置づけるものであったが、途中でGHQ側の都合により排他的交渉代表制が完全に撤回されたため、結果的にいかなる少数組合であっても団体交渉を要求すれば、それを拒否することが団交拒否として不当労働行為になりうることになってしまった。
・拙評「大変皮肉な話であるが、交渉単位制がないのに、(すべての労働組合に対する)団体交渉拒否が不当労働行為として救済されるという諸外国に例のない仕組みは、こういう改正経緯の意図せざる帰結と言えよう」(『日本の労働法政策』)
・とはいえ、この段階ではまだ、企業内に複数組合が並存対立している状況を前提に、少数組合であっても多数組合と同様に団体交渉権を有するという複数組合平等主義を意味するに過ぎなかった。
・ところが時代の推移とともに企業内少数組合は衰退していき、代わりに企業外の合同労組やコミュニティユニオンが、最低でも企業内に一人でも組合員がいれば多数組合と同じ団体交渉権を行使するというようになっていった。
・そして、その団体交渉の主題が、労働組合法がもともと想定していた一定職域の公正な労働条件決定ではなくなり、その外部ユニオンに加盟した企業の(元)従業員の雇用終了、労働条件引き下げ、いじめ等の個別労働紛争の解決に移っていった。
・そして、その多くの場合において、当該個別労働紛争発生以前には組合員ではなかった従業員が、事後的に外部ユニオンに駆け込んで、組合員として(もっぱら個別紛争の解決を求める)団体交渉を要求し、その拒否が不当労働行為になるという仕組みを活用して団交を強制するという使われ方をするに至っている。これが駆け込み訴え型ユニオンである。
・この用いられ方が、少なくとも団交拒否を不当労働行為とする仕組みの祖国であるアメリカでは考えられないようなものであり、日本に導入した1949年改正時においても全く想定外のものであったことは間違いない。
・しかしながら、労働組合の設立、加入にほとんど制限が設けられていない日本法の下では、法制定時の趣旨に合わないという理由でこれを排除することは理屈としては難しい。
・駆け込み訴え型ユニオンではない企業内の多数派、少数派の労働組合であっても、労働条件の決定とともに組合員に係る個別労働紛争の解決に当たることは多いし、それが労働組合の本来業務の一つであることも確かである。それを団体交渉という形で要求すれば、それを拒否することは不当労働行為になりうる。
・一方で、個別労働紛争について、紛争の発生後に労働者が駆け込んで来てから受け付けて、その相手方である企業と何らかのコミュニケーションを行うことによって一定の解決を図るという一連の行為は、それが弁護士法の禁止する非弁行為(報酬を得る目的で、業として行うもの)に当たらない限り、労働組合以外の団体が行うことは可能である。もっともこの場合、労働組合法が付与した団交強制の助力を得ることはできない。
・労働組合が組合員の個別労働紛争の解決を労働組合として集団的な枠組みで行うことを正当化しているのは、それが個別事案としては個別労働者のみに関わる問題であっても、個別紛争が発生するような労務管理の在り方の問題は個別労働者を超えた当該職域の労働者に共通する問題であり、個別紛争の解決を通じてその一定職域の労働者に共通の問題を解決することが彼らにとって集団的な利益に当たるからである。
・この観点からすると、少なくとも、もっぱら紛争発生後に駆け込んできた労働者の個別紛争の解決のみをその主たる活動内容としているような駆け込み訴え型ユニオンについては、当該個別労働者を超えた当該職域の労働者に共通の問題を解決するという契機は希薄であり、その(内容はもっぱら個別紛争であるような)団体交渉を不当労働行為該当性の脅しによって強制することが、どこまで正当化されうるかは、疑問を呈する余地がある。
・ここで本件の首都圏青年ユニオン連合会に戻れば、首都圏青年ユニオン連合会の活動とは、このように法の本来の趣旨からするとその正当性に疑問の余地があるような駆け込み訴え型ユニオンの活動スタイルを、ビジネスモデルとして純粋抽出し、当該ビジネスモデルとしての合理性に不適合な要素を排除することによって、効率化しようとしたものと評することができよう。
・しかしながら、ここが皮肉な点であるが、その駆け込み訴えの解決ビジネスというビジネスモデルにとって不適合とも見える要素こそが、そもそもこのビジネスモデルの存立を可能にしている団交強制を正当化している唯一の根拠でもある。
・もともとの団交強制制度においては、一定職域の過半数労働者の支持を受けた労働組合にのみ団体交渉権が認められていたが、その理論的根拠は一定職域の労働者の共通の利害関係を当該過半数代表組合が代表するという点にある。代表する者が代表される者を適正に代表していることがその正当化根拠である以上、その適正に代表していることの徴表を、労組法第2条及び第5条第2項に定める当該組織運営の自主性、民主性に求めることは当然の要求ということになる。
・不完全な形で団交強制制度を導入した1949年改正が、同時に(労働者個人に係る不利益取扱い事案を除き)不当労働行為の申立ての要件として労働組合の資格審査を要求したことは、この意味ではまことに論理整合的であるといえよう。
・これは、団交強制制度が過半数組合以外の少数組合、外部の合同労組等にまで拡大適用されるようになっても変わらない。コミュニティユニオンにみられるように、組合員相互間に一定職域における利害の共通性という契機がいかに希薄になっても、かろうじてその正当性を担保しているのは、その組合員相互間の利害の共通性を前提とした組織運営の自主性、民主性なのである。
・この要件は、実のところ駆け込み訴え型ユニオンの紛争発生後に駆け込んできた個別労働者の個別労働紛争を個別に解決するというビジネスモデルにとってはかなり不整合である。非常に多くの場合、駆け込み訴え型ユニオンに駆け込む個別労働者にとっては、自発的な結社であることの証であるはずの組合費とは、自分の個別労働紛争の解決を手助けしたもらうためにその解決請負業者であるユニオンに支払う手付金でしかなく、自分の紛争が解決した後もずっと払い続けるべきインセンティブなどほとんど存在しない。
・彼ら駆け込み訴え型ユニオンの「顧客」にとっては、自分の個別労働紛争が自分の満足いくように解決されることがほぼ唯一の需要であり、ユニオンの運営が自主的であるか否か、民主的であるか否かなどはほとんど関心の外にある。
・こうして、駆け込み訴え型ユニオンにおいては、大多数の「顧客」は自分の個別労働紛争について団体交渉が行われている間は(経済的には紛争解決処理費としての)組合費を払い、組合員として当該ユニオンの運営に「参加」することとなる。
・これは、その経済的実態からすれば本来労働組合法による団交強制の力を援用することができない個別労働紛争解決ビジネスが、労働組合法の力を借りて団体交渉という名の個別労働紛争に係る交渉を当該労働者の属する企業に対して強制するために、労働組合法が保護する対象である労働組合であるという「扮装」をするために必要不可欠なコストであると評することができよう。
・もっとも、これは必ずしも全面的に「扮装」であるばかりではない。労働者の自発的結社であり、それゆえに組合員は組合費を払ってその「メンバー」となり、その運営にメンバーとしてかかわるという形式をあえて身に纏うことにより、自らの個別労働紛争の解決を求めて組合員となった労働者が労働組合本来の精神に目覚め、自らの個別労働紛争が解決した後も、新たにやってくる新組合員の個別労働紛争解決のために活動しようとする活動家を産み出す契機ともなっている。もちろんそれは全体の中ではごく一部であり、圧倒的多数の者は自らの個別労働紛争の解決の過程においてのみ組合員であることに変わりはないとしても、この細い道筋に着目する限りにおいて、自発的結社としての労働組合としての在り方に何ら反するものではないということができる。
・この細い道筋は、大部分の個別労働紛争解決を求める「顧客」にとっては余計な夾雑物的存在であるとしても、それがあるがゆえに労働組合法が予定する労働組合であることの最低限の担保となっていることを考えれば、駆け込み訴えユニオンというビジネスモデルとしての合理性にのみ身を寄せて、自発的結社としての最低限の要件を放擲してしまった首都圏青年ユニオン連合会が、そのビジネスモデルを支える生命線であったはずの団交強制という労働組合法の武器を取り上げられてしまうこともまた、論理的な帰結といわざるを得ないであろう。 

 

 

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