八代尚宏『日本的雇用・セーフティーネットの規制改革』
八代尚宏さんより新著『日本的雇用・セーフティーネットの規制改革』(日本経済新聞出版社)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。
https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/item-detail/35873
規制改革、成長戦略でかけ声倒れに終わった第2次安倍政権の経済政策を検証、菅新政権が取り組むべき改革を第一人者が明確にする。
というわけで、八代さん、退陣した安倍政権に対してはなかなか辛口です。
■2012年12月に民主党政権を引き継いだ第2次安倍政権は、2020年8月の突如の退陣声明で8年弱の長期政権を終えた。しかし、この間に長期安定政権を生かした、主要な経済政策の成果は見られていない。第2次安倍政権では、小泉政権や第1次安倍政権で経済戦略の司令塔となった経済財政諮問会議をほとんど活用せず、未来投資会議等、新しい会議を次々と作るだけで目先の話題つくりに終始した。これは「働き方改革」や「全世代型社会保障」という看板政策についても同様で、真の成長戦略には不可欠であるが、既得権力に反発される多くの構造改革を封印することで、「野党と比較してマシ」という世論に支えられた長期政権を維持してきた。この間に、急速に進展する少子高齢化、情報通信技術の発展、経済活動のグローバル化等、大きな経済変化に対応すべき貴重な時間を失ったことの社会的コストはきわめて大きい。ここで改めて安倍政権の8年間を振り返ることで、新政権が向かうべき経済政策の内容を明確にする。
■安倍政権に対しては、大企業寄りの「保守主義」という評価が定番であった。しかし、その現実の政策は、春闘賃金の引上げへの介入、同一労働同一賃金、長労働時間の抑制等の働き方改革に重点をおいた。また、コロナ危機への対応でも、国民一人当たり10万円の給付金や雇用調整助成金の大幅な拡大等、むしろ旧民主党が唱えても不思議ではない大きな政府型の政策が目立っている。安倍政権は、本来、旧民主党が目指す政策をいわば横取りすることで、野党にとっては対立軸となる経済政策を構築できなくなる。安倍政権が野党寄りの政策を自ら推進することで、その支持率の基盤を広げることは、長期政権を維持する上では効果的である。しかし、その犠牲となっているのは、本来の自民党の「小さな政府」と「市場競争を生かした経済活性化」という、保守本流の経済政策である。これはドイツのシュレーダー首相が、本来は左派政権であるにも関わらず、2000年代前半期に市場主義的な雇用改革や、抜本的な年金改革を断行したことで、その後の選挙では大敗北したものの、欧州の中でドイツ経済繁栄の基礎を築いたことと対照的である。
■今回のコロナの国境を越えた大感染は、日本だけでなく、世界経済にも大きな打撃となっている。ポストコロナの新しい時代に対応するためには、情報通信技術の積極的な活用と、それに対応した従来の働き方の抜本的な改革が必要とされる。また、東アジアの各国が直面する少子高齢化社会への対応についても、その先頭を走る日本への期待も大きい。その意味でも、菅新政権は、これまでの安倍長期政権の経済政策を反面教師として、同じ過ちを繰り返さず、本来の構造改革を実現することが急がれていると主張する。
特に、八代さんは官邸の経産省グループに対してあまり良からぬ思いを感じておられたようで、第1章では持続化給付金などに対して「ポピュリズム政治」と斬って捨てています。
第2章から以降は、これはもう本ブログでも何回も取り上げてきた労働社会政策に対する八代節で、読むたびにデジャビュを感じますが、八代さんからすると、これだけ何回も何回も同じことを言い続けているのに、世の中はどうして変わらないのだ、という思いでいっぱいなのではないかと思います。
ただ、今までの多くの本と少し違うのは、その文章中に「ジョブ型」「メンバーシップ型」という用語が極めて多く用いられていることでしょうか。これら用語の頻度は、確かに世の中におけるこれら用語の頻用ぶりに対応していますが、とはいえ、その用語法は(版元の親会社の日経新聞の多くの記事とは異なり)ほぼ100%正確です。というより、これまでもほぼ同じ概念を違う言葉で使ってきているのを、「ジョブ型」云々と言い換えているだけなので、おかしな用語法になるわけはないのですけれども。
その辺の認識論的確かさは、例えば54ページの次の文章などにも表れていますね。
・・・この「遅い昇進」モデルは、個々の仕事にこだわらないメンバーシップ型の働き方と整合的であり、過去の高い経済成長期に企業や官庁の組織が持続的に拡大した環境に適している。しかし、いくら社員が競争しても、組織が拡大せず、その成果が乏しい低成長期には、「可能性の乏しい昇進機会をめぐり、大勢の社員が馬車馬のように働く」不毛な結果となる。今後の低成長期には、出世競争は一部のワーカホリックな社員にゆだねて、大部分の社員は、各々の得意とする専門的な業務に専念するジョブ型の働き方が相対的に増えることが望ましいといえる。・・・
このあたり、最近海老原さんが書いた話とも通底しています。
https://project.nikkeibp.co.jp/HumanCapital/atcl/column/00004/112700008/(欧米には日本人の知らない二つの世界がある)
こういう一番基本的で肝心な現実認識をおろそかにして、ややもするとすぐに空中を浮かぶような「かくあるべき」論ばかりを振り回すと、「ジョブ型」が能力主義に満ちた疑似エリートたちの成果主義の世界に早変わりしてしまうわけです。
第1章 安倍政権の経済政策を評価する
第2章 日本的雇用慣行と働き方改革
第3章 長時間労働の改革とテレワーク
第4章 同一労働同一賃金と非正規社員問題
第5章 解雇金銭解決のルール化
第6章 高年齢雇用安定法の弊害
第7章 女性の働き方改革
第8章 全世代型社会保障改革の理念と現実
第9章 大きな改革を避けた年金改革法
第10章 医療と介護保険改革
これも本ブログで何回も書いていますが、様々な事態や政策に対する認識は、私と八代さんはほとんど同じです。非正規労働問題の根源はなんでもやる代わりに身分が保証される「正社員」という特殊な働き方にあるのだし、日本的同一労働同一賃金というのは欧米アジアのものとは全然似ても似つかぬインチキだし、解雇の金銭解決問題とは現実に低い金額で解決している中小零細企業と裁判やったら解雇無効だからと高い解決金になっている大企業との格差だし、高齢者の継続雇用政策というのはメンバーシップ型の非正規という変なものを作っているのだし、女性問題とは要するに男性の働き方の問題だし。そこをどうするかという実践的なところで、いくつか違いが出てきますが、それは当然でしょう。
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> 疑似エリートたちの成果主義の世界に早変わりしてしまうわけです。
> 女性問題とは要するに男性の働き方の問題だし。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-996340.html
> 夫婦共に正社員を続けることが可能です。そうすれば世帯年収は700万円くらいにはなる。
https://project.nikkeibp.co.jp/HumanCapital/atcl/column/00004/112700008/
「年収700万円の似非エリート男性」と「専業主婦」の組み合わせが
「男女差別だ!」「ジェンダーギャップだ!」というのはいいのですが、
それを男女平等にしたら、当然、
夫婦ともに年収350万円くらいの一般労働者である
みたいな状態になるはずです(個人的には、それでいいと思いますが)。
理想に燃えるフェミニストの方々は、どういう訳か、もっと「空想的な
世界」をお求めになっているような気がするのは、私の気のせいなんで
しょうか
投稿: からくれの秋 | 2020年12月21日 (月) 22時06分
ブログ主でない方の意見にコメントするのは良くない事かもしれませんが、
>本来の自民党の「小さな政府」と「市場競争を生かした経済活性化」という、保守本流の経済政策である。
「小さな政府」と「市場競争を生かした経済活性化」というのは、保守本流の経済政策なのでしょうか?
素人考えですが、保守というのは
世の中の仕組みで理屈や理論に合っていないものは、理屈や理論に合うように変更しよう
という考え方(革新)に対して、
世の中は理屈や理論通りにはいかない事もあるから、現状の仕組みを尊重すべきだ
という考え方だと思います。
その意味で、
現状を「小さな政府」と「市場競争を生かした経済活性化」という考え方に基づいて改革しよう
というのは保守本流ではないように思います。
>出世競争は一部のワーカホリックな社員にゆだねて、大部分の社員は、各々の得意とする専門的な業務に専念するジョブ型の働き方
これは大部分の社員は出世しない(できない)という事でしょうか?それらの社員でも(卒業した入社直後はともかく)いずれ結婚、子育て、介護等の費用が必要になると思うのですが、出世しなくてもそれらの費用が賄えるだけの給与が得られるのでしょうか?
それともそれらの費用は福祉として国が負担してくれるのでしょうか?
投稿: Alberich | 2020年12月27日 (日) 22時20分
私もブログ主でない方の意見にコメントするのは良くない事かもしれませんが、
>世の中は理屈や理論通りにはいかない事もあるから、現状の仕組みを尊重すべきだ
とすると米英の市場重視な社会も中ソの統制経済も中東のイスラム法統治も全部伝統だから(何年以上継続したら伝統になるかは議論あり)擁護しようという話になる無内容かつ単なる守旧派で、それだと保守本流というのが何言ってるか分からなくなります。
保守から合理と自由と市場を取ってしまうと封建主義と宗教しか残らなくなりますが、さすがに現在でそれらを主張すると極右やテトリストになってしまう。
なので近代以降で保守=市場重視で何ら問題ないかと。
投稿: 揚田信夫 | 2020年12月29日 (火) 14時50分
揚田信夫殿
>>世の中は理屈や理論通りにはいかない事もあるから、現状の仕組みを尊重すべきだ
これは私が言い出した事ではなく、旧体制(王政, 身分制社会)を 自由,平等,博愛 という理想に基づいて変えようとしたフランス革命の実際の状況を見てイギリスの偉い人が言った事で、保守の(革新に対する)有力な定義だったと思います
>近代以降で保守=市場重視で何ら問題ないかと。
”保守”や”市場重視”の定義によると思います。
日本で「小さな政府」や「市場競争を生かした経済活性化」を提唱したのは小泉純一郎氏ですが、小泉氏は首相になるまでは自由民主党の本流ではありませんでした。それ以前の自由民主党が”保守”だったという事は多くの方が認めると思いますが、その経済政策は「市場競争による敗者をなるべく出さないように市場を国が管理する」(いわゆる護送船団方式)が主流で、あまり”市場重視”ではなかったと思います。
また最近の若い人に対する調査では、最も保守的な政党として共産党、最も革新的な政党として(「小さな政府」や「市場重視」を主張する)維新の会を挙げる人が多いそうです。その意味で
現状を「小さな政府」と「市場競争を生かした経済活性化」という考え方に基づいて改革しよう
という考え方は、”保守”ではなく”革新”だと考える人も多いようです。
投稿: Alberich | 2020年12月30日 (水) 15時21分