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2020年12月11日 (金)

花見忠『労働問題六〇年』

552174
花見忠先生より、『労働問題六〇年 ― 東と西の架け橋を夢見て』(信山社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

https://www.shinzansha.co.jp/book/b552174.html

労働法学者・中労委会長・IIRA会長・弁護士として多面的に活動し、60年にわたり東西の架け橋をめざして戦後の国際労働法学の発展に注力してきた花見忠先生の卒寿記念論考集。旧制静岡高校在学中の1964年から現在に至るまでの32論考を収録し、花見労働法学の全体像を示す。縁の深い山口浩一郎、小杉丈夫、梅谷俊一郎、ハラリ、マンフレート、ヴァイス各氏が花見忠のエピソードを語る。

中身は下の目次の通りですが、その大部分を占める労働法学人生のその前とその後に書かれた政治的な文章がいろんな意味で面白く、1940年代後半という時代と、2010年代という時代の日本を象徴しているような気がしました。

論説の第1は「日本金融資本と戦後に於けるその諸対策(一九四八年)」で、まさに左翼学生のアジビラ風で、常見陽平さんが見たら歓喜しそうな文体ですね。

・・・以上戦後の諸政策が金融資本の擁護のために、社会民主的な仮面をかぶせて解放された労働階級を欺きながら強行されてきた過程を見たのである。政治権力の労働大衆による把握のないとき、社会民主的仮面を被った政府の存在をもって社会主義的政策の遂行を夢想するなら、ブルジョワジーどもはそのマスクの蔭で狡猾な笑いを笑っているだろう。・・・

花見先生がいかに旧制高校生時代とはいえ、こういう文章を書いていたとは意外でした。

私が読んだ初期のものは、花見先生が1950年代に若手労働法研究者としてデビューした当時、いまはなき『討論労働法』誌の座談会などで鋭く突っ込んでいた姿なのですが、その当時のものはほとんど本書には収録されていないようです。

また、私が自分の労働社会に関する考え方を作り上げていく上で、大きな影響を与えられたのは、いまでは絶版で手に入りにくい本ですが、花見先生の『労働争議 労使関係に見る日本的風土』(日経新書)なんです。実は、『働き方改革の世界史』の最後に取り上げた藤林敬三『労使関係と労使協議制』に一番近い感覚で日本の労使関係を描いていたのは、花見先生のこの本なんですね。だけど、第2部の論説に収録された文章は、1957年から一気に1980年に飛んでいて、プロレーバー労働法学に対して皮肉なまなざしでいやらしくしかし的確に突っ込みを入れていた時代の花見節は、やはり本書ではあまり嗅ぐことが出来ないようです。

この『労働争議』、その後講談社学術文庫に収録されてましたが、いまではそれも入手困難で、どこか再刊する出版社はないですかね。その値打ちはある本だと思います。

そして、21世紀も10年代に入ると、歴史認識問題に刀を振るい始めます。これはもう、人によっていろいろ意見があるところでしょうから、あまり中身に立ち入ったコメントは避けておきますが、その「国際基準の普遍性は真っ赤な嘘」というスタンスは、その少し前あたりから感じておりました。『季刊労働法』2008年秋号で、花見先生、山口浩一郎先生に私の三人で、「労働政策決定過程の変容と労働法の未来」という鼎談をしたとき、ILOの三者構成原則に対してフィクションだとかなり低い評価をしていたことを思い出します。

ここはその後、結構真正面からぶつかった論点ですが、本書438頁では「ILOと筆者の関係はやや倦怠期に入った夫婦喧嘩のようなもので、三下り半とはほど遠い痴話喧嘩の類いであろう」と総括されているので、私如き若輩の関与する余地はないのかもしれません。

・はしがき――卒寿をむかえて/花見 忠(ⅰ)
・卒寿をむかえられた花見先生/小畑史子(ⅲ)

◆第一部 インタビュー 花見忠先生に聞く(聞き手 小畑史子)

一 懐かしい人々(3)
二 東大病院で誕生(5)
三 幼稚園・小学校・中学校(7)
四 静岡の思い出(10)
五 大学時代(13)
六 高野耕一さんとの出会い(14)
七 日本労働協会へ(16)
八 インターディシプリナリーとインターナショナル(18)
九 「花見労働法」とは(21)
十 労働法研究の醍醐味と困難(22)
十一 昭和から平成、令和へ(24)

◆第二部 論  説

   1  日本金融資本と戦後に於けるその諸対策(一九四八年)(29)
   2  労働契約の無効取消について――ラムの所説を中心として(一九五七年)(51)
   3  同情スト合法論に対する疑問(一九五七年)(74)
   4  働き中毒のすすめ(一九八〇年)(91)
   5  男女雇用平等法案をどう読むか(一九八四年)(110)
   6  外国人労働者問題の政策的視点(一九八九年)(127)
   7  日本的差別の構造――均等法五年で問われる婦人行政(一九九一年)(136)
   8  アジアの国々と西欧の「普遍的」理念(一九九五年)(160)
   9  均等法一〇年の再検討(一九九六年)(165)
   10  女性の優遇と平等(一九九六年)(182)
   11  時代の変遷と座標軸――丸山先生の思い出(一九九七年)(185)
   12  二一世紀の労使関係を議論するIIRA世界会議(一九九九年)(190)
   13  個別労使紛争処理を考えなおす(二〇〇一年)(197)
   14  グローバル化時代におけるILOの役割と今後の課題(二〇〇一年)(210)
   15  祝辞(花見忠君叙勲祝い 高野耕一)(二〇〇四年)(223)
   16  《特別講演》労働法の五〇年――通説・判例 何処が変?(二〇〇六年)(229)
   17  《記念講演》労働委員会制度と日本の労使関係(二〇〇六年)(260)
   18  私の終戦・静高・テニス(二〇〇六年)(282)
   19  公立学校における教員の起立・斉唱義務と思想・良心の自由――東京都・都教委(教員・再雇用制度等)事件(二〇一〇年)(291)
   20  国際規範の普遍性を考え直す(二〇一一年)(307)
   21  業務委託、請負に関する問題点と対策(二〇一一年)(316)
   22  経営と労働のバランスを取り、健全な社会作りをめざす自称「ヤメ学」弁護士(二〇一一年)(334)
   23  「肉まん」と小沢昭一(二〇一四年)(344)
   24  「法の支配」の幻想について(二〇一四年)(347)
   25  同性婚の法的地位(二〇一四年)(382)
   26  世界を徘徊する「歴史認識」という名の妖怪(二〇一五年)(389)
   27  歴史認識 東と西(二〇一五年)(408)
   28  丸山眞男先生が亡くなられて二〇年――激変する世界政治に思うこと(二〇一六年)(420)
   29  東と西の架け橋を夢見て(二〇一七年)(425)
   30  三〇余年に及ぶ友の思い出――Roger BlanpainとBob Heppleの早すぎた逝去を悼んで(二〇一七年)(440)
   31  ジム・ロジャーズの教訓から我が人生を顧みる(二〇一九年)(448)
   32  無二の親友、尊敬の念置かざること能わざる偉大な経済学者、亡き神代君を偲んで(二〇一九年)(450)

◆第三部 花見忠先生を語る

   先生・同僚・老々/山口浩一郎(455)
   花見忠先生の生き方/小杉丈夫(462)
   花見忠先生のお心遣い/梅谷俊一郎(468)
   Teacher, Mentor, Friend/Ehud Harari(エフド・ハラリ)⑻(473)
   Memories of Tadashi Hanami/Robert E. Cole(ロバート・E・コール)⑹(475)
   A Cosmopolitan Japanese Scholar–A very personal congratulation/Manfred Weiss(マンフレート・ヴァイス)…⑴(480)

・履歴(481)
・主要著作(484) 

 

 

 

 

 

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コメント

面白そうな本ですね。僕は以前論文検索していて花見忠さんが露骨に右寄りの立場から歴史認識などについて発言しているのを見て驚いたことがあります。とはいえもともとこの人は左翼だったというわけでもないので転向したという表現もおかしいのかな、と。昔日産自動車の労使関係を研究していた嵯峨一郎さんというお方は日本労働社会学会設立時の中心でその大御所でもあったのですが、ブント(共産主義者同盟)前衛派の中心的な活動家で労働者自主管理を熱心に主張する急進左派的な研究者だったのですが、晩年は保守的な政治姿勢へと変わってしまい、日産争議などについても組合側に対して否定的な評価をするようになっていました。こういうのが転向ということなのでしょうが、転向したことが問題だというよりはなんだか思想的な格闘の軌跡とかがはっきりしないままいつの間にか立場が変わっていたように見えてしまうところが釈然としなかった記憶があります。

うーん、右派左派というのとはちょっと違うような。

花見さんはもともと労働研究者の中ではアンチ・プロレーバーなので、そういう意味でいえば右派だったんだと思いますが、でも労働研究の世界における右派ってのは、産業報国会的感覚丸出しの左派よりもずっと「近代派」ってことなので、最近の韓国相手のナショナリズム全開の論調は、そういう意味でいささか違和感がありますね。

花見さんの業績では、ワイマール体制創設時の動きを分析した『労働組合の政治的役割―ドイツにおける経験』(未来社)がやはり屈指だと思います。

たまたま古書店で見かけ、購入するかとパラッと目を通したのですが、どうにも収録されている論説がおもしろくなさそうだったので止めておきました。改めてこのブログを読み、収録されている論説の時期的偏りを濱口さんが指摘していることに、なるほど鋭い指摘だ、とうなずいてしまったところ。新しい論説ばかりが収録されて1960年代から70年代の論説が一本も収録されていないのはご本人の意向でしょうが、労働法学者として面白かった時期がすっぽり抜け落ちてしまったのだな、と考えさせられてしまいました。西欧中心主義への反発が著者の晩年にとって重大な課題であったのでしょうが、しかしもったいないものですね。

そうですね、自分の値打ちは自分が一番よくわかっている、と人は思いがちなんですが、必ずしもそうではなくて、自分はもう乗り越えた昔の低レベルのことだと勝手に思っていることこそが、今現在の観点からしてもとても重要であったり、これこそが今ようやく自分が到達した高みだと思い込んでいることが、実のところは陳腐極まるどうでもいいような代物だったりするわけです。

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