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2020年11月 3日 (火)

マシナリさんの『働き方改革の世界史』評

9784480073310_600_20201103151901 マシナリさんが「地元の書店に入荷されてすぐ購入した」という『働き方改革の世界史』の書評をアップされています。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-817.html

といいながら、本書は海老原さんが発行している『HRmics』に連載されたhamachan先生の「原典回帰」をまとめたものですので、加筆された部分以外は一度読んでいるはずなのですが、改めて通しで拝読してみると、その深遠さに唸らされることしきりで時間がかかってしまいました ・・・

いやまあ、別段そんなに「深遠」でもないですが、労使関係の歴史って、思われているほどシンプルじゃなくって、結構根が深いってことが伝わるといいな、とは思っています。

とりわけ、ここでマシナリさんが注目しているところですが、アメリカにおける「ジョブ型」形成史自体がなかなかに複雑怪奇な様相を呈していて、まあ、今世間で、マスコミの表層で「ジョブ型」「ジョブ型」って呼ばわって日銭を稼いでいる方々の想像の及ぶ範囲をはるかに超えるところがあるんですね。

ふむ、自分で書いててなんですが、けっこう「深遠」ですな。別に哲学的に「深遠」なわけじゃないけど、シンプルマインデッドな脳みそでは追い付いていけない程度には複雑な経緯があるんです。

 

 

 

 

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コメント

早速取り上げていただきましてありがとうございます。

この4月から地方の中小企業で人事や組織運営など担当している中で、規模に応分とはいえ「集団取引」も「共同決定」もおぼつかないどころか、「使える」手段が限られていることを痛感しておりまして、どこから手をつけるべきか考えあぐねている身としてはまさに深遠な内容に感じました。

本書で取り上げられている文献のセレクションからは、欧米では研究者も労働運動の当事者も、集団取引による労働条件の確保と共同決定による社内統制をいかに実現するかを考えていたことが伺われます。「あとがきに代えて」の内容からも、欧米の大勢として労働条件確保のためのマルクス的階級的な闘争だけではそれは実現されないという認識があり、それが現在の各国の集団的労使関係法制とそれに基づくジョブ型の雇用慣行につながっているのだなと、通して読みながら改めて考えたところです。

翻って日本では、研究者も労働運動の当事者も会社の人事部(という存在自体が日本的ですが)も、そして制度上の法制化を担う政府においてさえも、「集団取引も「共同決定」も考察の対象となることがないまま雇用慣行の見直しが進められようとしているところですが、その行き着く先が論者によってバラバラで油断なりません。本書(と刊行が待たれる本書の「日本版」)がそれを考える際の必読書となることを願っております。

マシナリさん、いつも奥底に届くような読みをしていただき、とても有り難く思っています。

集合取引と共同決定の二軸で労使関係を見るというのはわりとポピュラーな考え方だとは思うのですが、日本では(表層的な)マルクス主義用語に彩られた(その実家庭争議的な)労使対決と、(メンバーシップ感覚がそのまま露呈したような)労使一体癒着が背中合わせに貼り付いたまま、例えば働き方改革でも労使関係の活用は(メイン部分では)オミットされるという不幸な状況になってしまっており、そこの問題を提起するというのも(本書の最後の方の)意図ではありました。

ただ、それはやはり、もっと日本の文献をきちんと紹介して、将来『日本版』を出すときの宿題ですね。

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