竹中平蔵と習近平の「共鳴」@梶谷懐
中国経済の梶谷懐さんが、現代ビジネスに「竹中平蔵氏と中国・習近平政権、提唱する「経済政策」がこんなに似てきている」というエッセイを寄稿しています。これが大変面白い。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76094
あの竹中平蔵氏が、中国で大いに人気を集めているらしい。中国の人々はいったい竹中氏の何に惹かれ、彼から何を得ようとしているのか。神戸大学・梶谷懐教授による全3回のレポート。最終回となる今回は、竹中氏が提唱する経済政策と、習近平政権が目指す経済体制(「シーノミクス」と呼ばれる)に見られる類似、そして、日中で共振する「新自由主義」の動きについて解説する。
まあ、今の中国社会を、共産党一党独裁による徹底した新自由主義と考えるのは、割とポピュラーな見方だとは思いますが、そこにここ二十数年にわたって陰に陽に日本の政策決定に関わり続けてきた竹中平蔵という補助線を引いてとらえなおしてみると、改めていろいろと興味深い論点が浮かび上がってくるという感じです。逆に、中国社会という補助線を引いて竹中路線というものをとらえなおしてみると、またいろいろなものが見えてきます。
例えば、竹中氏らが主導している規制緩和のためのサンドボックスについても、こういう視点があり得るのですね。
ただ、注意しなければならないのが、このレギュラトリー・サンドボックス制度が、実際にそう銘打っていなくても、実質的に採用されているようにみえるのは、中国社会がそもそも「法の支配(rule of law)」が極めて脆弱な社会だということと深い関係があるということだ。
レギュラトリー・サンドボックスが採用された都市では、規制やルールはイノベーションという「結果を出す」ための存在となり、「法の支配」で重視されるような「政府を縛る」という側面はそれほど重視されない。その意味ではむしろ、竹中氏らが強調する、「事前的な規制から事後的チェックを行う政府への転換」とは、中国のような法の支配が弱い社会における、革新的なテクノロジーへの対応を、日本を含む先進国が模倣しつつある、という側面があるのではないか。
「中国化する日本」というと、與那覇潤さんのベストセラーのタイトルですが、竹中流の規制緩和が「法の支配の弱体化」という意味における「中国化する日本」の表れであるという視点は新鮮でした。
それでも、小泉政権時代からその構造改革路線が中国で高い評価を受けてきたのは事実だし、すでにみたように彼が第二次安倍政権の下で提言している政策は、スーパーシティ構想も含め、習近平政権が進めている国家と民間資本が一体となった経済戦略(シーノミクス)とその根本で共通するものを持っている。その意味で、竹中氏の目指す経済改革と、ここ25年ほどの中国経済の方向性は明らかに「共鳴しあっている」というのが筆者の結論である。
竹中氏の政治的立場は、批判的なニュアンスを込めて「新自由主義的」と形容されることが多い。これは一般的には「小さい政府」を志向することだと理解されている。
しかし、すでに述べたように、竹中氏は小泉政権で閣僚を務めていた時期から、「構造改革」に、単に「国家の役割の縮小」を主張するだけではなく、終身雇用制度や特定郵便局制度、さらには「自治」の名を借りて改革を拒む大学やマスコミの談合体質にいたるまで、日本社会に残る様々な「古い慣習」や中間団体を「既得権益」としてその解体を目指す、という性格を濃厚にもっていた。
中間団体を解体した一君万民型社会。そういわれればまさしく竹中路線とは「中国化する日本」そのものなのかもしれません。
一方、筆者が研究対象とする中国社会はもともと国家から相対的に独立した「中間団体」の形成が極めて困難な社会である。明清史を専門とする足立啓二氏は、その著作『専制国家史論』の中で、国家が唯一の権力ならびに公共財供給の担い手としてそびえたち、それに対抗するような自律的団体や権力への抑止力が社会の中に形成されないことが、「専制国家」としての中国の本質だと喝破している。
すでに述べたコロナ・ショックへのバッファーとして機能した雇用に流動性の高さも、中国社会において国家=共産党から独立した労働組合、すなわち労働者を守る中間団体の形成が極めて困難であるという事実と表裏一体である(足立、2018)。このような中間団体の弱さを補完するのが、ビジネスなど特定の目的を実現するために集まり、利益を得たら解散する、流動性の高い「弱いつながり」である。
このような流動性が極めて高く、自律的な中間団体がなかなか形成されないために、人々が互いに「信用」に基づいて秩序だって行動するのが困難な社会に出現したのが、大企業と政府が個人と事業体の情報を一元的に管理し、ひとびとを「よりよき行い」に誘導する現在のデジタル監視社会にほかならない。
この足立さんの本も、与那覇さんの本のもとになったものですね。
竹中氏はいわゆる「親中派」ではない。しかし、その目指すべき経済や社会に関する思想のレベルにおいて、中国の改革派のエコノミストや、官僚たちと近いマインドにあることは、彼の発言のはしばしから伺える。それは、必ずしも前回の記事で述べたような、雇用の流動化に関わることだけではない。たとえば、竹中氏はインタビューや著作の中で「自分は弱者の切り捨てを行っているのではない」「本当の意味で改革を進めれば弱者は救済され、格差は縮小するはずだ」といったことを繰り返し語っている。
ただ、そこで言われている「弱者救済」は、企業を含む中間団体から切り離された個人が文字通り「弱い存在」として国家や大企業に直接対峙することを前提している。それは端的にいえば、それまで人々がよりどころにしていた中間団体が解体された後に、いわば決して怪我をしないように遊具や砂場が工夫されて配置された「安全な公園」を政府や大企業のエリートが設計し、そこで庶民がのびのび遊ぶような社会のイメージである。ちょうど習近平政権下の中国社会がそうであるように。
そこには、今の中国と同じように、自主的な労働組合の存在する余地はそもそもないのでしょうね。
先月出した拙著『働き方改革の世界史』の「あとがきに代えて-マルクスが入っていない理由」の中で、ちょびっとだけ中国に言及したところが、こうなるととても深い意味があったような気がしてきます。
・・・なお、ロシアも含め旧ソ連・東欧圏の労働組合はITUCに加盟していますが、中国共産党支配下の中華全国総工会は(もしそれを労働組合と呼ぶならば、組合員三億人を超える世界最大の労働組合ですが)ITUCに加盟していません。これに対し、台湾の中華民国総工会はITUCに加盟しています。労働組合は国際政治に妙な忖度をしないのです。ちなみに香港の二つの自由な労働組合はITUCに加盟していますが、その運命が心配です。
というわけでせっかく海老原さんが「マルクスなんてワン・オブ・ゼム」というサブタイトルをつけてくれたにもかかわらず、遂に一冊も取り上げるに至らなかったことの背後には、こういう複雑怪奇な事情があったわけです。お判りいただけましたでしょうか。・・・
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コメント
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近代資本主義が前近代的中間団体を破壊して発展していったのは歴史的事実ですからね。日本における新自由主義、その中心である竹中路線が同様の方向をとるのは歴史的必然でしょう。そこに左派的志向が同調するのは日本独特かもしれませんが。北欧の労組がある意味中世的なコーポラティズムに依拠してEUに抵抗するのとは対照的です。
マルクスはそのような近代資本主義の高度な進展の果てに共産主義社会を夢想しましたが、現在の中国における国家資本主義はマルクスの想像だにしなかった形でそれを実現しつつあるのかもしれません。
そのような中国の現状と竹中路線が共鳴するのは論理的必然というべきかもしれません。竹中平蔵氏は資本主義の高度な発展の上に共産主義を実現せんとする、字義通りの革命家と称すべきでしょう。
日本が生んだ初の本格的革命家、竹中平蔵同志万歳!!
投稿: 通りすがり2号 | 2020年10月 5日 (月) 18時50分