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2020年10月 3日 (土)

テレワーク検討会議事録から濱口発言部分

8月17日に開催された第1回これからのテレワークでの働き方に関する検討会の議事録がアップされているようなので、そのうち私が発言している部分を紹介しておきます。初めのところは、おそらく多くの方の頭の整理にちょうど良いのではないかと思います。

https://www.mhlw.go.jp/content/000677489.pdf

〇 濱口委員
濱口でございます。ありがとうございました。特に、小豆川さんのお話は、大変詳細でかつ、私の知らないような細かい事も教えていただいて、非常に勉強になりました。ただ、冒頭の 7 つの時期区分とされたのですが、非常に細かくて、もう少しざっくりとした時期分を紹介したいと思います。
今回新型コロナ危機で世界的にテレワークが注目されていますが、その直前までも、ここ数年来、世界的にテレワークというのが大変注目を集めたトピックになっていました。とりわけ、昨年 2019 年に ILO が「21 世紀におけるテレワーク」という報告書を出していまして、日本、EU、アメリカ、インド、ブラジル、アルゼンチンの実態を調べています。その序章で、メッセンジャーさんという方が、テレワークの進化を3段階に区分されています。これが非常に分かりやすく、かつ、今ものを考える上でも役に立つのではないかと思います。
第1世代は 70 年代末ぐらいから 80 年代にかけての時期です。この頃はだいたいコンピューターはスタンドアローンで、通信機器も電話とファックスでやっていたような時代です。彼はこの時期を「ホームオフィスの時代」と呼んでいます。通勤する代わりに自宅が職場になるという意味で、テレコミューティングとも呼ばれました。次の第 2 世代は、90 年代から 2000 年代の時期です。これは彼は「モバイルオフィスの時代」と呼んでいます。コンピューターはラップトップになり、また携帯電話(モバイルフォン)を使って、家を離れても仕事ができるようになったので「モバイル」なんですが、データはやはりオフィスに集中されていました。それが、2010 年代、とりわけその半ば以降は、彼はそれを第 3 世代と呼ぶのですが、「バーチャルオフィスの時代」になります。スマートフォンやタブレットのように、情報機器と通信機器が完全合体して、どこに居ようが職場や自宅と同じように仕事ができる、同じようなレベルで仕事ができるという時代です。この時代を最もよく言い表すフレーズとして、私が気に入っているのが、少し前の 2017 年に、ILO と EU の労働研究機構が共同で出した研究報告書のタイトルで、「Working Anytime Anywhere」というものです。いつでもどこでも働けます。というすごいタイトルですが、これができるようになったことで、今までの時間的、空間的に限定された場所で、それが職場であろうが自宅であろうが、あるいはサテライトオフィスであろうが、そこで働くのが労働だという、労働法の基本概念自体がガラガラと変わりつつあるという議論をしています。このように、大きく3段階に分けると見通しが良くなるのではないかと思います。そういう意味から言うと、今回の新型コロナ危機というのは、直前まではこの3段階のいわば先端部分が、技術の発達に乗っかる形で、できるところがどんどん先に行くみたいな形で進んでいたのが、むしろそうじゃなかったところに、いきなりロックダウンとか緊急事態宣言により、ステイホームでホームオフィスが強制されたようなところがあります。つまり、テレワークの進化の段階からいうと最先端ではなくむしろやや古いタイプのホームオフィスですが、それが今までテレワークなどしていなかったような人々にまで大量に適用されることで、多くの問題が出てくる。そういう状況ではなかろうかと思うのです。
先程、小豆川さんが言われたような、最近までずっとここのところ、テレワークというのはワークライフバランスに資すると言ってきたわけですが、実際にやってみたらワークライフバランスどころか、むしろワークライフコンフリクトが噴き出してきているという面もあります。あるいは、これはもしかしたら、日本の雇用システムの問題かもしれませんが、仕事の仕方が個人のジョブに切り分けられていないために、テレワークをしようとしたらいろいろトラブルが発生するという話もあります。先程の3段階論で言うと、最先端というよりも少し前の世代のテレワークなのですが、新型コロナ危機によりそれが一気に拡大したことで、雇用システムとしていろいろ問題が起きているとも言えます。そういう意味では、今テレワークを論じるに当たっては、去年まで先端的なところで議論していたような「いつでもどこでも働ける」という話と、世代論的にはむしろ旧世代のテレワークになりますが、強制的に在宅勤務をせざるを得なくなったために今までの働き方との間でいろいろ矛盾が生じているという話との、両にらみのような形で議論していくことが必要であろうと思っています。先程の開催要綱からすると、この検討会はどちらかというとやや後者に重点があるのだろうとは思いますが、一方で最近ワーケーションという言葉もちらちら出てきています。ワーケーションは、ある意味まさしく典型的な working anytime anywhere の表れみたいなところがありますから、それが労働の在り方、労働法とか労使関係の在り方にどう影響するかということも、併せて念頭に置きながら議論していく必要があるのではないかと感じました。 

〇 濱口委員
先程、小西先生が言われたことに、若干補足する話です。今回のこの検討会の対象は、いわゆる雇用型テレワークということになっています。一方に自営型テレワーク、あるいはむしろ雇用類似の働き方といわれる領域もあり、どちらも同じ在宅労働課の所管です。われわれ JILPT はその雇用類似の方も、いろいろな調査をやらせていただいておりまして、それらがごっちゃにならないように区別していかないといけません。ただやはりこの両者は一定の関わりはあるので、その関係を考えておく必要があります。雇用型テレワークであっても、時間的、空間的に離れているために、指揮命令関係が非常に希薄化します。ということは、雇用型テレワークは雇用労働だよと言いながら、雇用労働としての性格がある面で希薄になるということです。これを言い換えますと、いわゆる労働者性の判断基準の中に、指揮命令であるとか、時間的、空間的制約というのがあるのですが、それらがないから、労働者ではないんだという風に、話が裏返しになってしまう、危険性もあるわけです。危険性という言い方をしたのは、雇用労働者であるならば、労働時間規制だけでなく、契約保護とかコスト負担、リスク負担といったような幅広い範囲で、さまざまな保護を受けることができるわけですが、雇用労働者ではないとなってしまったら、そういう様々な保護が全部なくなってしまうわけです。これは両者裏腹なのですね。ですから、雇用を前提としたテレワークについて、どういうルールにしていくべきかを考える際には、常にその裏側では、そのルールに合わないからといって雇用ではないテレワークに追い込んでしまったらどういうことになるのかという点を、常に意識しながら、議論していく必要があるのではないかということです。労働時間規制というのは確かに労働者保護の重要なトピックではありますが、ただ、そこを、先程、風神先生が言われましたが、過度に強調しすぎると、労働者であるならば労働時間規制に服さねばならない、労働時間規制から外れるようなものは労働者ではないということになってしまうと、話が反転してしまい、労働時間規制以外の様々な保護もなくなってしまい、元も子もなくなってしまうという危険性も考えられます。もちろん、この検討会のトピックは、あくまでも雇用型テレワークなのですが、その裏側には非雇用型、自営型テレワークにいつでも変わりうるのだということを、常に念頭に置く必要があると感じております。

この最後のところで出てくる「風神先生」は、昨日紹介した清家篤・風神佐知子『労働経済』の著者のおひとりです。この時はリモートで参加されていたので、直接お目にかかってはいないのですが、この前のところで労働時間規制について発言されていたので、それを受ける形での私の発言でした。

 

 

 

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