フォト
2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« ジョブ型は成果主義じゃないし、解雇自由でもないけれど、同一労働同一賃金なんだぜ | トップページ | 名付け親が語る「ジョブ型雇用」本当の意味とは?@『BizHint』インタビュー »

2020年10月14日 (水)

間違いだらけの「ジョブ型」議論、成果主義ではない…第一人者・濱口桂一郎氏が喝!@産経新聞

Sankei 産経新聞プレミアムに、私のインタビュー記事が掲載されました。題して「間違いだらけの「ジョブ型」議論、成果主義ではない…第一人者・濱口桂一郎氏が喝!」いやまあ、「喝!」といっても張本さんじゃありませんが。

https://www.sankei.com/premium/news/201014/prm2010140001-n1.html

新型コロナウイルス禍でのテレワーク拡大で社員の評価が難しくなっていることを受け、日本企業の雇用システムを欧米流の「ジョブ型」に切り替えるべきだとする議論が新聞や雑誌で盛んになっている。だが、ジョブ型の名付け親で、労働問題の第一人者として知られる濱口桂一郎労働政策研究・研修機構労働政策研究所長は「ジョブ型を成果主義と結び付ける誤解が多く、おかしな議論が横行している」と警鐘を鳴らす。(文化部 磨井慎吾)

「就職」と「入社」

ジョブ型=成果主義?

「いいとこどり」は不可能 

« ジョブ型は成果主義じゃないし、解雇自由でもないけれど、同一労働同一賃金なんだぜ | トップページ | 名付け親が語る「ジョブ型雇用」本当の意味とは?@『BizHint』インタビュー »

コメント

同記事曰く~濱口所長は「(ジョブ型およびメンバーシップ型の)2つの型のどちらも、色々なものが組み合わさった複雑なシステム。当然メリットもデメリットもあるし、全部ひっくるめて一つのシステムなので、いいとこどりなんてできるはずがない」と力を込め、メンバーシップ型の発想にどっぷり漬かった頭でジョブ型を理想化し、簡単に導入できるかのように説く議論を戒めている。

ふたたび恐縮ですが…、「両方のシステムいいとこどりはできない」という点、さもありながら「大学等の教育課程でしっかりと両システムを学ぶ必要はあろう」という思いから、以前の本コメントを再掲させていただきます。

===

日本の高等教育(大学と大学院)で言うところの「商学部」とは、かなり古い名称ですね。大学で実際に教えられているカリキュラムを見る限り、正確には「経営学部」「マネジメント学部」の方が実態にあった名称です。(参考〜早慶や一橋はいまだ商学部ですが、上智や青山や立教は経営学部です) また、有名なMBAとはMaster of Business Administration 、これを正確に訳せば「経営(管理部門)学修士」、この学部版がBachelor of Business であり日本語でいえば「経営学士」です。ビジネス(商売)やマネジメントのABC を大学で体系的に学ぶわけです。

何が言いたかったかというと、日本でも経済学部や商学部をもつ文系大学であれば、おそらくどこでもHRM(「人的資源管理」という奇妙な逐語訳が大学内では流通してますね)や社会心理学や産業心理学(欧米ではOB、組織行動学と呼ばれる)マネジメント関連の科目あるいは古くからの労使関係論といった人事労務関連の科目そのものは、種類は豊富でなくとも古くから存在しています。日本にないわけではありません。

しかるに、それがアメリカの大学のように経営学部内の一専攻として人事学科(HR major)と呼べるほどの広がりが持てない理由は、たんに日本の経営学(商学部)内に人事労務や人材開発の各専門領域をカバーしうるナレッジがない(教えられる教授や講師が絶対的に少ない)からというよりも、むしろ「メンバーシップ型」の日本企業の人事労務管理のイロハやノウハウは大学というアカデミックな環境で教えるに値しない(学問と呼べるものではない)、単なる実務上の習慣やテクニックのようなものに過ぎないと(大人社会から)達観されているからではないかとさえ思うのです。

日本のメンバーシップ型人事のキモは(かつては称賛された三種の神器ではなく)新卒集団採用と会社主導の人事異動(と定年退職)です。今後もこのシステムが日本企業を駆動させるOSであり続ける限りアカデミズムの俎上には乗らないでしょうね。

思うに、やはりグローバル型(ジョブ型)人事のキモ はエドワードラジアー氏が言うところの人事経済学(Personnel Economics。組織内及び外部労働「市場」メカニズムの均衡や競争原理をベースとする経済学的なアプローチ)であり、あるいはDavid UlrichのいうHR ChampionやHR Business Partner(従業員代表としての人事、ビジネスパートナーとしての人事)でありましょう。

その意味で、とても残念ですが、わが日本企業のメンバーシップ型人事システムは、ついここ最近Hamachan先生の功績によって「発見」されたばかりであり、日本の大学の経営学部で人事専攻としてアカデミックに学問を身につけるような対象とはなりえません。

——-(この後、kohchan から内容が理解しづらいという指摘を受けたため、以下のように追記しました。)——–

大変分かりづらい内容で申し訳ないです。

別に(職業レリバントな)HRのみならずファイナンスやアカウンティングやマーケティングなどのビジネス学科が専攻できるので海外大学の学部教育は素晴らしい!といっている訳ではないですし、さりとて、日本の大学ではメンバーシップ型のコア機関推進機能たる人事部門のリアルな専門性を学びうる人事学科専攻が出来ないから日本の文系学部教育はそれゆえダメだ!と言っているわけでもありません。

多くの日本の大学で人事分野の専攻(引用記事のいう人事学部)が成立しない理由を、われわれビジネスマンや大人社会の「本音」から(あるいはそのニーズのなさから、あるいは「学問」としての体裁の少なさから)解きほぐそうとしただけですよ。

私自身は(おそらく誤解されていると思いますので付言するのですが)、Hamachan先生がよく強調される日本の大学教育の「職業レリバンス」なるものに、とりわけ文系学部教育の変革の必要性については、実はあまり期待をしていません。もっともエンジニアや医療系職務に直結する理工/医学部に関しては、大学院を含む6年間で各専門分野における基礎をしっかりと身につけてから社会に出るのが不可欠だと考えますが、こと文系の「学部」教育については法学や経済学など実利的分野の専攻よりもむしろ文学や哲学や人類学などのいわゆるリベラルアーツの方が大切だと思っているくらいです(〜おそらくこの感覚は経団連的なる日本企業のエスタブリッシュメントの経営者や保守的な中高年ビジネスマンらと一致するものかと…)

これまでも折にふれて指摘してきましたが、現行の日本のメンバーシップ型雇用システムの最大の特徴でもあり利点とは(もちろん景気の影響を受けるとはいえ)大学や高校を卒業したまさにそのタイミングで途切れなく(会社の好き嫌いや正規/非正規の問題は残りますが)若者同世代の「ほぼ全員が職業レリバントなスキルなしに何らかの職業につける」という点です。これは、特に欧州で高止まりしている若年失業率を見ればわかる通り、メンバーシップ型日本企業が世界に対して大いに誇れる素晴らしい点ではありませんか。

会社に入るまでは、特に若い内は、きっとそれでいいのです。ただ、メンバーシップ型の問題はそこから先…中高年になってから(組織の中で次の仕事を自分で選べない中で)どうやって専門性を高めて自分らしい納得のいくキャリアを築いていけるかという点なのです。

どちらかのシステムが明らかにバラ色だということではなく、それぞれのシステムに固有の長所もあれば泣き所もありましょう。

その点、ジョブ型社会(すなわち日韓以外の世界各国)の前提は、一人ひとりの「個人」が自分自身のさらなる「成長」を求めて主体的にキャリアを作っていく(そのためには転職も辞さない)というもの(一種の心理学モデル)です。それを導入しようにも、その前提が何らかの経済的、社会政策的あるいは固有の文化的な要因で成立しなければ、うまく機能しません。

ーーーーーーー

このテーマで小職が伝えたかったことにはまだ続きがありまして…。

思うに、しっかりとしたグローバル(ジョブ型)の人事理論や制度、世界各国で通用するHRM実務の考え方(まさに欧米や世界各国の経営学部でHR major として学べる内容)は、やはり日本においても体系的かつ本格的に学習出来る環境が「どこか」にあるに越したことはありません。それは、グローバル日本企業の円滑な海外オペレーションのためにも、あるいは本体ご自身の(近い)将来のためにも…。

もっとも、議論のスコープを二十歳前後の「若者」を対象とした学部教育と限定する場合には、現行日本における文系大学教育の職業「無」関連性やこだわりのなさ(汎用性や柔軟性の高さとも言えますね)という特徴は、日本企業のメンバーシップ型の新卒一括採用習慣と運用実態とも「適合性」がありそれはそれで(今後の「デジタル柔軟性」の複雑な潮流も勘案すれば)今のところはさしていじらなくてよいでしょうと述べた訳ですが、一方で(これも前述の通り)多くのビジネスパーソンにとっては会社に入ってからの実務経験やOJTという「ありのままの現実」だけでは、そうでなくても課題大国のわが国で安心してキャリアの中盤以降を乗り越えていけるとも思えません。

その意味で、会社の仕事をしながらいわゆる社会人大学院へ通うこと、とりわけマネジャーを目指す人はビジネススクール(経営大学院)で、本格的なジョブ型のHRMを含むマネジメント全般をしっかりと学ぶことが肝要でしょうし、実際に今世紀に入って以降、そのような環境はすでに整ってきてますね。

ご無沙汰しております。
記事の論旨からずれてしまいますが、下記のリンク先(アーカイブ)でも看取できるように、正規対非正規という労働者間の対立が精鋭化していると思います。
こうした対立を緩和するには、政府が既存の雇用慣行に合わせて社会保障システムを構築したように、労働者間の対立を防ぐ合理的なルールも制定する必要があると思いますが、「日本のリベラル政党」にそれを期待して良いものなのでしょうか?
 
「共同通信公式's tweet - "最高裁、アルバイト職員への賞与認めず "」
https://archive.is/46FxB

人事マン様
kohchanです。

そんな昔の…(笑)
しかし本ブログのエントリアップのタイミングは実に面白いなあ…(笑)。
お話は力が入りすぎじゃないのかな?
政労学マッチングしてきた?l雇用システムを享受してきた誰かたちが(笑)その矩を超えるにはご提案のシステムで解が得られるのでしょうかねえ。

あ~、濱口さんの最新刊はそろそろ手元に入ります。
久々で相変わらずな”ゴリゴリ”な物言いでごめんなさい。
「歓迎します」といざなっていただけたコメントにはいまだに感謝しております。


確かに、当時は力みすぎてましたね、お互いさまですがー(笑)

例年徐々にでも地球温暖化が進行しあるとき一気に雪崩現象が起こるように…、百年に一度のコロナパンデミックが猛威をふるい続ける中、ニッポンでは「いま、ここぞ」と機を見るに敏な一部の有名企業が(カッコ付きの)「ジョブ型」人事制度をこぞって導入しようとすれば、あらゆるトレンドや時流変化に敏感な〜というかハイエナの如きに飢えた日経新聞らマスメディアがこれを嗅ぎつけ、全国の無垢な読者諸氏に読ませるべく(恐ろしいまでに無自覚にも)手間勝手な単純化と類型化を施して和風テイストに仕上げた精妙なフェイクニュースの焚き火をおこす。すると、用語の生みの親たる大名火消し筆頭のHamachan先生は〜正義感からかあるいは多少の罪悪感からか、これもボヤあれもボヤと訂正作業に大わらわの始末…。

昨今の喧騒を傍目に改めて気づいたことーいずれも雇用システムはその国の社会経済/法制度/労使関係諸々のシステム全体の一部として動的に機能しているはずであり、自動車の部品さながら欠損したパーツだけを他国より取り寄せてパッチワークするようには上手くいかない。すると、一方で、すでに「ジョブ型」人事制度への移行を宣言した企業名を見るかぎり、そういう含みも限界も何もかも実は全てわかった上で、かつて「成果主義」に負わせた断罪を今度は「ジョブ型」に担ってもらい、その傍らで経営者として真にやりたい事をしたたかに実現されていかれるのでしょうか。

脳の指令により手が動く・・・実は先に手が動き脳の指令はその後ということに等しく、ジョブ型を高らかに宣言した企業も、事実は宣言が理解を先行していることは承知で経営に都合がよい雇用を考えているのだと想像すると、余所からピースを頂戴して加工するに長けたニッポン企業らしいように思われますね。
門外漢の話ですからいつもこうした喩えとなりますが(笑)。
covid-19は新興感染症の中でも不顕性感染でりかん者を捉えることも難しく、人の移動を制限することに今現在は希望を見いだせるのですから、デジタル化とは相性が良く、こうした偶然が企業セクターでは見通しを良くするための雇用現象として顕在化したとすれば説明の一部は成功かもしれません。
いずれにせよ、人生に関わることですから、社会のコンセンサスが得られる知見に期待します。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ジョブ型は成果主義じゃないし、解雇自由でもないけれど、同一労働同一賃金なんだぜ | トップページ | 名付け親が語る「ジョブ型雇用」本当の意味とは?@『BizHint』インタビュー »