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2020年8月 2日 (日)

雇用調整給付金成立の裏面史

11021851_5bdc1e379a12a_20200802104301 今回のコロナ禍で再三注目されている雇用調整助成金は1974年末の雇用保険法への改正で雇用調整給付金として創設されたことは周知のとおりですが、拙著『日本の労働法政策』では、その経緯をこう簡単に述べています(p231)。

 雇用保険法案は翌1974年1月に国会に提出されたが、社会党、共産党、公明党は反対し、参議院で審議未了廃案となった。総評が給付の切下げであるとして強く反対していたことが反映している。ところが、ここに石油危機の影響で雇用失業状勢が厳しさを増し、一時休業や一部には大量解雇まで現れるようになって、雇用調整に対する助成措置に対する早期実施の声が高まってきた。同盟はもとから雇用保険法案に賛成であったが、中立労連が賛成に回り、総評加盟の民間労組からも積極的態度を示すものが続出した。こうして、雇用保険法案は、いわば雇用維持のための助成措置を規定する法案としての期待を背負って再度国会に提出され、1974年12月に成立に至った。

この「中立労連が賛成に回り」というたった10文字の裏側で、当時の労働組合リーダーたちがどういう動きをしていたかを、当時まだ若かった小林良暢さんが昨日電子媒体で発行された『現代の理論』で、こう綴っています。

http://gendainoriron.jp/vol.23/feature/kobayashi.php

Kobayashi_s このモデルが登場したのは1973年の石油危機の後、75年の雇用調整給付金による一時帰休である。たまたま私は大学院を終えて、電機労連に産業政策をつくるために入職してから5年目に、この緊急事態に遭遇、74年の秋口から合理化対策を担当した。・・・・

電機労連がこの給付金を積極活用したのには、いまひとつ裏の事情がある。この雇用保険法改正に、ゼンセン同盟が繊維不況対策として熱心に取組んできたが、当時の社会党が「解雇をし易くする」と反対して、法案の成立が危うくなった。これから先は、山田精吾さんが連合事務局長を辞めて連合総研に理事長に就任してきて、そこで主幹研究員をしていた私は一緒に仕事をすることになり、そこで山田さんから聞いた話である。

この法律をなんとしてでも成立させるために、山田さんが考えた一策は、電機労連を味方につけることだ。そこで、ゼンセン同盟の宇佐美会長、山田書記長が、電機の竪山委員長、藁科書記長を新橋の料理屋松玄に接待して、同じ民間だから分かってくれるだろうと法案成立に協力を頼んだ。竪山さんが「分かった」と言ってくれ、電機が社会党にねじ込んで、中立労連も法案賛成へ転換させて法案を成立させた。ところが、75年の法の施行時には、繊維産業は慢性不況で工場は閉鎖されてしまい、この新制度を使うことができず、帰休で給付金をがっぽり受給したのは電機産業だった。

この75年には、全国でも6万事業所で一時帰休を実施、不況でも雇用を維持する日本モデルが完成したのである。また、この両産別の4人が、後の民間先行の労働戦線統一を導くことになる。

ふむ、宇佐美、山田、竪山、藁科という、連合創設期のビッグネームが登場してきます。もう一つ、総評民間部門でもたとえば鉄鋼労連の宮田義二さんなどがこの給付金の成立に向けて社会党にねじを巻いたことも大きく効いているはずで、その意味では、雇用調整給付金をめぐる動きがその後の民間先行の労働戦線統一の大きな土台になったと言えるのでしょう。

 

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