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2020年8月13日 (木)

『課長島耕作』は歴史漫画

100000048350001 こういうつぶやきがありましたが、

https://twitter.com/EliteLumpen/status/1291329373568512000

最近『課長島耕作』読み始めたんだがもはや歴史漫画。時代設定は団塊世代と昭和バブル。女は男性社員の結婚相手として採用されて主な仕事はお茶くみとコピーで25歳までに寿退社するという世界観。更に「こうすれば女とやれる」的ホイチョイ指南要素が加わって歴史的資料として極めて価値の高い書物。

26184472_1_20200813221101 そういえば、6年前の『日本の雇用と中高年』の中で、日本型雇用システムにおける「管理職」なるものがいかなる意味でも管理をする職種をさす概念なんかではないことの例証として『課長島耕作』を取り上げておりました。

・・・・・では日本型雇用システムにおいて管理職とは何なのか?その答えは読者の方が重々ご承知ですよね。少なくとも、上の笑い話をみておかしさがわかった人は知っています。それは、長年平社員として一生懸命働いてきた人にご褒美として与えられる処遇であり、一種の社内身分なのです。だから、その会社を離れた後で、面接で「部長ならできます」というのが笑い話になるわけです。
 そして、この感覚が21世紀になってもほとんど変わっていないことは、ごく最近の2010年になっても『7割は課長にさえなれません』(城繁幸、PHP新書)などというタイトルの本が売れていることからも証明されます。少なくともこの本の読者たちにとって、課長というのが職種ではなく社内身分であることはあまりにも自明のことなのでしょう。
 こうした管理職に対する感覚をよく示しているのが、ベストセラーコミックの『課長島耕作』シリーズです。企業主義の時代まっただ中の1984年に初芝電器の係長として始まり、長く課長を勤めた後、90年代には部長に昇進、21世紀には取締役、常務、専務、社長を経て、会長になっていくというサラリーマンのサクセスストーリーです。回想編として近年「ヤング島耕作」「ヤング島耕作主任編」「係長島耕作」もあります。法律的には単なる労働者から管理職を経て労働者ではない経営陣に至るまでが一本のキャリアパスとして描かれているところが、いかにも日本型雇用システムを体現しています。日本の「正社員」は管理職でなくても企業のメンバーとしての性格を分け持っており(「社員」!)、平社員から中間管理職、上級管理職に至るまで、連続的に管理職的性格が高まっていくのです。
 こういう感覚を前提とすれば、ヤング島耕作=平社員、ミドル島耕作=管理職、シニア島耕作=経営陣という年齢と社内身分の対応はあまりにも当たり前なのでしょう。3つの「ミドル」が重ね焼きできる感覚の源泉がここにあります。そして、「部長ならできます」が笑い話として消費される理由も。管理職がいかなる意味でも職種ではあり得ない世界です。・・・・

2014年5月に刊行した本なので、島耕作の出世街道は会長までと書いていましたが、周知のとおり、その後『相談役島耕作』にまで行きつき、また回想編も『学生島耕作』だの『就活編』まで出てきて、まあ完璧に(この種の男性サラリーマンにとっての)古き良き時代の人生行路すごろく大系となっておりますな。

ちなみに、「女は男性社員の結婚相手として採用」という点についても、本書でこう述べておりました。

・・・・・OL型女性労働モデルには、女性正社員を男性正社員の花嫁候補者的存在とみなすという側面もあります。つまり、会社は長期的メンバーシップを保障する男性正社員に、「銃後の憂いなく」24時間働いてもらえるように、安心して家庭を任せられる女性を結びつけるという機能も果たしていたわけです。女性正社員の採用基準に、「自宅通勤できること」といった職務とも人格とも直接関係なさそうな項目が含まれていたのも、花嫁候補という観点からすれば合理的であったのでしょう。
 社内結婚した女性は、結婚退職までは短期的メンバーシップで、その後は夫の長期的メンバーシップによって、会社とつながりを持ち続けます。これも一種の終身雇用かも知れません。逆に、社内結婚したのに妻が同じ会社で働き続けるなどということは、許されない雰囲気も強かったようです。
 日本人の結婚形態は、かつては親や親族などの介在する見合い結婚が中心で、その後本人同士の恋愛結婚が主流になったとされています。それに間違いはありませんが、ある時期までその中心は社内結婚でした。自分と釣り合いのとれた相手が多く存在し、しかも企業の採用基準によって選抜されているため、配偶者選択の効率性が極めて高かったのです。男性にとっては長時間労働に追われて相手に十分な時間が割けないことが結婚への阻害要因にはなりませんし、女性にとっては同じ社内にいることで相手の出世の見込みも大体判ります。 ・・・・・

さすがに、現実の職場には結構瀰漫していたであろう、その後の時代にはセクハラと名付けられることになる当時はまだ問題視されることのなかった「「こうすれば女とやれる」的ホイチョイ指南要素」は、本書では正面から取り上げておりません。

 

 

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