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2020年8月18日 (火)

大学教授は無限定正社員なのか?専門職じゃないのか?

1735551 先月、奈良学園大学の整理解雇事件の地裁判決があったようです。

https://biz-journal.jp/2020/08/post_173555.html(奈良学園大学、学部再編失敗し教員大量解雇…無効判決で1億円超支払い命令、復職を拒否)

これは、整理解雇の原因に関しては完全に学園側に問題があるケースですが、とはいえ、大学教授という職種が専門職であるならば、「会社が悪くて社員に責任がないから」という普通の無限定正社員のロジックだけで議論していい代物ではないはずです。

・・・さらに判決では、大学教員は高度の専門性を有する者であるから、教育基本法9条2項の規定に照らしても、基本的に大学教員としての地位の保障を受けることができると判断。一審の段階ではあるが、無期労働契約を締結した大学教員を一方的に解雇することはできないことを示したのだ。

その大学教授の『高度の専門性』なるものは、大学教授という地位でさえあれば、どんなに異なる専門の学部でもいいのか?という問いを逃れることはできないはずです。

本件については、全国国公私立大学の事件情報というサイトにやや詳しい情報が載っていますが、

http://university.main.jp/blog8/archives/cat128/

・・・・すなわち、本判決は、①人員削減の必要性については、ビジネス学部・情報学部の募集停止により学生らがほとんどいなくなったため教員が過員状態になったとはいえ、被告は資産超過の状態にあって、解雇しなければ経営破綻するといったひっ迫した財政状態ではなかったと判示した。また、②解雇回避努力については、原告らを人間教育学部や保健医療学部に異動させる努力を尽くしていないことや、総人件費の削減に向けた努力をしていないと判示した。さらに、③人選の合理性については、一応は選考基準が制定されてはいるものの、これを公正に適用したものとは言えないと判示した。また、④手続の相当性についても、組合と協議を十分に尽くしたものとは言えないと判示した。

この奈良地裁の判決では、大学教授の解雇回避努力義務には、ビジネス学部、情報学部の大学教授を、人間教育学部や保健医療学部に異動させる努力も尽くさないといけないかのようです。

ほんとうにそうなのか?大学教授の専門性というのは、(テレビ番組の肩書きよろしく)「大学教授」とさえ名乗れれば、ビジネスや情報でも、人間教育や保健医療でも何でもありの、その程度の専門性なのでしょうか。

L20200529304_20200818083801 実はこの問題、『ジュリスト』2020年4月号に載せた大乗淑徳学園事件の評釈で採り上げた問題です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-e7da60.html(学部廃止を理由とした大学教授らの整理解雇――学校法人大乗淑徳学園事件@『ジュリスト』2020年4月号(No.1543))

この判決も、大学教授という地位にはやたらに固執して、事務職への配転は許されないと言うわりに、同じ大学教授でさえあればいくらでも配転せよみたいな口ぶりで、大いに問題がありました。

ただ、この大乗淑徳学園事件の場合、廃止した国際コミュニケーション学部と新設の人文学部がほとんど偽装倒産と偽装設立みたいな内容的にとても重なる事案であり、形式的に学部の名前が違うということに藉口して高齢高給の教授をまとめて解雇したような事案であり、評釈もそちらに注目しています。

・・・本件の最大の論点は国際コミュニケーション学部と入れ替わりに設置された人文学部へのXらの配置転換可能性である。なぜなら、古典的な学部配置を前提とすれば学部とは大学教授の専門性のまとまりであり、例えば法学部には法律学者がおり、理学部には物理学者がいるという状況を前提として、「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異な」り、「大学教授は所属学部を限定して公募、採用されることが一般的」であると言えようが、近年のように学部学科の在り方が多様化し、古典的学部のようには明確に専門性を区別しがたい(「国際」等を冠する)諸学部が濫立すると、必ずしも「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異なる」とは言えなくなるからである。Xら側が国際コミュニケーション学部と人文学部に「連続性があることは明らか」と主張しているにもかかわらず、本判決はこの最重要論点を回避し、「Yのとるべきであった解雇回避措置は、Xらの同学部への配置転換に限られるものではなかったというべき」と言って済ませている。本件では国際コミュニケーション学部の高齢で高給の教授を排除して、新たな人文学部ではより若く高給でない専任教員に代替しようという意図が背後に感じられる面もあり、この論点回避は残念である。・・・

しかし、この奈良学園大学の場合、大学側の不手際で、そもそもビジネス学部、情報学部の後継学部として計画していた現代社会学部がぽしゃってしまったわけで、少なくともビジネスだの情報だのを教えて飯を食っている人がその専門で教えられるような職場はなくなってしまっているんです。

その意味で、まさに、大学教授ってのはそこらのサラリーマンと同じく、やれといわれればまったく知らないことでもほいほいと教えられるような、(地位だけは大学教授という限定はあるけれども)職務の専門性はないような、そんな存在だと、この方々は思っているんだろうか、という疑問が湧いてきます。あなたがたの、そのビジネスだの情報だのの専門性というのは、いきなり人間教育だの保健医療だのにするりと切替えられる程度の、そんなものだったのか、という問いがブーメランのように帰ってくるんだということは、されどこまで理解されているんでしょうか。

(追記)

これって、『日本の雇用と中高年』で引用した例の笑い話とパラレルかもしれません。

「部長ならできます」

「大学教授ならできます」

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

裁判官は隣人トラブルから国家賠償まで、専門的なものでいっても脱税から医療過誤まで、何でもかんでも扱わなければいけないから、大学教授といえども専門を変えることは容易と思ってんではないですかね。

いや単純に、教科書に書いてある整理解雇4要件を、何にも考えずにそのまま適用しただけでしょう。そもそも大学教授の専門性なんて言う言葉を使いながら、職務の専門性には何の関心も持たず、大学教授という身分のこととした考えてないあたりに、その無考えぶりが窺われます。

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