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2020年8月18日 (火)

マルクス主義と中華文明の共通性@潘岳

8月10日のエントリ「香港に栄光あれ(願榮光歸香港)」に、SATOさんという方がコメントをつけられていて、そこで、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-ab6a8a.html#comment-118266470

さて、今現在の中国共産党の公式見解であるところの、マルクス主義なるものがいったいどういうものかということが、たいへんよくわかるコラムを発見したので紹介させてください。
 今現在(2020/08/18)、中国政府の日本語広報誌である雑誌「人民中国」のweb版のトップページから入ると「潘岳・中国を語る」というコラムが掲載されています。著者の潘岳氏は、歴史学博士で中央社会主義学院第一副院長、共産党中央委員会候補とのこと。 

という情報を提供されていますので、さっそく見に行ってみました。

http://www.peoplechina.com.cn/zlk/pyjd/202005/t20200525_800207206.html(「中国の統治」解読(3) マルクス主義と中華文明の共通性)

西洋で誕生したマルクス主義は20世紀初めに中国に伝わり、共産主義実現を理想・信念とする中国共産党を生んだ。その後1世紀近い歳月の中で、中国共産党は創造的にマルクス主義と中国の国情を結び付け、人々の解放と国家の独立を勝ち取った。また、民族の復興に向けて絶えず前進し、マルクス主義の中国化に基づく中国の特色ある社会主義の道を切り開くことに成功した。 

マルクス主義がどういうふうに「中国化」したのかというと、

マルクス主義は当初、主に民族解放の思想的武器として中国の進歩的な考えを持った人々に受け入れられた。中国共産党も愛国救亡運動と民族解放運動を通じて歴史の舞台に立った。「中華民族」を合い言葉とし、「社会主義」を目的としたからこそ、初めて中華文明の「大一統」(全国の統一)の枠組みを維持でき、社会の繁栄と安定、国家の長期的な太平を実現できた。 ・・・

いやはや、中国化したマルクス主義とは「民族解放」であり、「愛国救亡」であり、「中華民族」であり、果ては「中華文明の「大一統」」なんですね。徹頭徹尾中華ナショナリズムを支える思想的武器であって、19世紀半ばにトリーアで生まれたユダヤ系ドイツ人のひげのおっさんとはほとんど重なり合うところはなさそうな感じですが、それでもそれは断固としてマルクス主義でなければならないんでしょう。

それをどのように理屈づけようとしているか、中華風の理屈膏薬がどれくらい着きの良い代物かどうかを、じっくり読んでみましょう。

マルクス主義の統一戦線原理と中華の民本主義の伝統には共通性がある。プロレタリア革命運動の主体は必ず人民大衆であり、人民大衆であるほかないとマルクス主義は考える。中華文明にはもともと「民は惟れ邦の本なり、本固ければ邦寧し」という民本主義の伝統があり、団結できる勢力を団結させ、敵対勢力を分裂させて弱める統一戦線の計略を主張してきた。両者の結合は、なぜどのように統一戦線を組むのかという基本的な問題に答えている。

 マルクス主義の民主観と中華文明の協商・共治の伝統には共通性がある。マルクス主義の民主理論は「民主制の中では、国家制度自体は一種の規定、すなわち人民の自己規定としてのみ現れる」と考える。中華文明には長きにわたる「協商・共治」の伝統があり、上層では君主と宰相が天下を「共治」し、末端では地方の名士が自治を「協商」する。両者の結合は中国独特の協商民主の形式をつくり、「皆のことは皆で話し合う」という人民民主主義の真髄を浮かび上がらせている。

 マルクス主義の政党理論と中華文明の伝統的な政治倫理には共通性がある。レーニンは国家政権において社会主義多党制を実行する構想を初めて打ち出した。中華文明は、さまざまな政治勢力が「協商・共治」し、「大一統」の政治的枠組みを維持する実践の伝統を持つだけでなく、「家国同構」(組織構造で家族と国が共通性を持つこと)の原理に基づいて強大な「権力と責任の一致」という政治責任倫理を形成した。両者の結合は、中国の新型政党制度の基本的特徴である、一党が執政し多党が政治に参加し、執政と政治参加という共治の特徴を際立たせ、指導と協力の有機的な統一を実現したことを説明している。

 マルクス主義の宗教理論と中華文明の政治と宗教の伝統には共通性がある。マルクス主義の宗教観は教会と国家の分離を主張し、宗教が国家行政や司法、教育に干渉することを許さない。中国はもともと「多様なものが友好的に行き来し、政治を主とし宗教を従とする」という政教関係を主張している。外来宗教がどれだけ優勢かにかかわらず、およそ中国に入るには中華文明に融合しなければならない。両者の結合により、中国の特色ある新型政教関係が生まれた。その本質は宗教と社会主義社会が互いに適応する広さと深さを絶えず向上させることだ。その方向性は社会主義核心価値観によって宗教の中国化を導くことだ。

 マルクス主義の新経済政策と中国の経済統治の伝統には共通性がある。マルクスは人が人を搾取する私有制をなくすことを打ち出したが、個人の財産をなくさなければならないとは主張しなかった。レーニンは新経済政策を打ち出し、資本主義の力を十分に引き出して利用し、社会主義の生産発展の環境を整えた。中国には長きにわたる「国家本位」の経済統治の伝統がある。両者の結合の結果、中国は社会主義の経済構造全体における非社会主義的な経済成分の地位を弁証法的かつ歴史的に把握し、公有性を主体とし多種所有制経済の共同発展を堅持する基本的な経済制度を確立した。

 マルクス主義の民族理論と中国の民族統治の伝統には共通性がある。民族の大小を分けず、発展レベルの高低を分けず、一律に平等で、平等の基礎の上でのみ団結を実現できるとマルクス主義の民族観は考える。中国の歴史上の統一王朝はその土地の状況に応じて適切な措置を取り、風俗習慣に基づいて統治する一連の民族統治システムをつくり出し、中華民族の多元一体構造を絶えず強固にし発展させた。両者の結合により、中国の特色ある新型民族関係が生まれ、「民族区域自治制度」が実施された。

 マルクス主義の共産主義構想と中国の天下の理念には共通性がある。共産主義社会は「自由な人々の連合体」で、「真の共同体」だ。中華文明には非常に早くから「修身斉家治国平天下」「万邦を協和せしむ」「世界大同」の理念があった。両者の結合により、「人類運命共同体」という全く新しい国際秩序の理念が生まれ、それによって文明の交流が文明の壁を超越し、文明の相互参考が文明の衝突を超越し、文明の共存が文明の覇権を超越した。

 つまり、マルクス主義は理論と実践の二重の品格を兼ね備えている。マルクス主義と中国の伝統、中国の国情の結合により、中国の特色ある社会主義の道はしっかりした発展の土壌、強力な発展の原動力を持ち、依然として「生きたマルクス主義」になっている。中国の革命、建設、改革、復興の歴史はまさにマルクス主義の中国化の歴史だ。中国の特色ある社会主義の道は理論的法則と実践的法則の高度な統一であり、事実によって証明され、広々とした前途を持つ唯一の正しい道なのだ。 

いやひゃ、凄いの一言に尽きます。感動の嵐に包まれますね。

SATOさんの感想は次の通りでした。

特定の社会・文化・歴史的環境をもとにして成立した思想を、全く別の歴史・文化的環境にある社会に移し替えると、オリジナルなものとは似ても似つかないものとなる、という典型的な実例だと思います。
 泉下のマルクス先生も中国共産党に自分の銅像を建てられるという拷問だけは、勘弁してもらいたいと思っておられることでしょう。 

いやいや勘弁してもらいたいどころか、わざわざひげのおっさんの故郷に行ってでかい銅像をぶっ立てていますよ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/200-994a.html(マルクス200年で中国が銅像っていう話)

K10011428521_1805060816_1805060920_ いやもう、話が二重、三重、四重くらいにねじれて、何をどう語ったらいいのかよくわからないくらいあまりにも奇怪すぎてまっとうに見えさえする話題が載ってました。マルクス生誕200年記念に、中国が、ドイツのトリーアにマルクスの銅像を寄贈したそうです。・・・・ 

いやしかし、かつての毛沢東時代の(まあ、それもマルクスの思想とは似ても似つかぬものだという批判が妥当だとは思いますが)少なくともやっている当人たちの主観的意識においてはマルクスとレーニンの思想にのっとって共産主義を実現すべく一生懸命頑張っていた時代の中国ならいざ知らず、日本よりもアメリよりも、言うまでもなくマルクスの祖国ドイツよりもはるかに純粋に近い(言い換えればむき出しの、社会的規制の乏しい)資本主義社会をやらかしておいて、それを円滑にやるための労働運動や消費者運動を押さえつけるために共産党独裁体制をうまく使っている、ある意味でシカゴ学派の経済学者が心の底から賛辞をささげたくなるような、そんな資本主義の権化みたいな中国が、その資本主義を憎んでいたマルクスの銅像を故郷に送るというのは、19世紀、20世紀、21世紀を貫く最高のブラックユーモアというしかないようにも思われます。 

ちなみに、本ブログで中国とマルクス主義の関係について書いたことが3回あります。上の「潘岳」さん(もちろん西晋の文人とは似ても似つかぬ中国共産党の御用イデオローグですが)の文章と読み比べるとまた一興というところでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-855b.html(中国共産党はマルクス主義がお嫌い?)

フィナンシャルタイムズに「北京大学がマルクス主義研究会の閉鎖を恫喝」(Peking University threatens to close down Marxism society)という興味深い記事を載せています。・・・副題に「学生たちは労働組合権を巡る争議を支援し続ける」(Students continue to back workers in dispute over trade union rights)とあるように、これは、マルクス主義をまじめに研究する学生たちが、元祖のマルクス先生の思想に忠実に、弾圧される労働者たちの労働組合運動を支援するのが、そのマルクス主義を掲げていることになっている中国共産党の幹部諸氏の逆鱗に触れてしまったということのようです。 

いやいや、確かに、マルクス主義は厭うべき外国思想の典型なのかもしれませんね。
いまさら皮肉なことに、というのも愚かな感もありますが、一方でわざわざドイツのトリーアに出かけて行って、マルクスの銅像をぶっ立てたりしているのを見ると、なかなか言葉を失う感もあったりします。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-0e60.html(中国共産党はマルクス主義がご禁制?)

マルクス・レーニン主義は中国共産党の憲章の中に明記されているが、江蘇省南京大学の一群の学生が最近大学当局にマルクス主義読書研究会を設立したいと申請したところ、理由なく遅延され、理由を問うたところ暴力的に追い散らされた。・・・マルクス主義読書研究会の設立を求めた学生の一人である南京大学学生の胡弘菲によれば、50日前に大学に登録を申請したが、南京大学の哲学部と共産主義青年団の南京大学委員会によって推薦された。ところが、最近1か月間申請した学生たちは平服の連中に後をつけられ、前日学生たちが大学当局の本部に行き、南京大学党委員会の胡金波書記に面会を求めたところ、突然一群の身分不明の者たちが現れ、彼らを襲撃し、多くの者が負傷した。準備したチラシとバナーはすべて破壊された。。・・・
いやいや、もはや現在の中国共産党にとっては、マルクス主義などという不逞の思想はご禁制あつかいなのかもしれません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-ba65.html(中国にとってのマルクス主義-必修だけど禁制)

 共産党という名の政権党が支配する国の時代を担う若者たちに、その根本哲学を教えるという最も大事なはずの授業が、それをできるだけ教えたくないという気持ちがにじみ出るようなものであるのはなぜなのか?・・・

 本気で興味を持たせてしまうと、現在の他の資本主義国のどれよりも市場原理に制約が希薄な「社会主義市場経済」に対する批判的精神を醸成してしまうかもしれないから、わざとつまらなくつまらなく、だれもまじめにマルクス主義なんかに取り組もうと思わないようにしているんだろう、と。
5年前のこの川端さんの推測はおそらく正しいと思いますが、それだけの配慮をしていてもなお、そのこの上なくつまらないマルクス主義の授業にもかかわらず、本気でマルクス主義を勉強しようなどという不届きなことを考える不逞の輩が出てきて、共産党という名の資本家階級に搾取されているかわいそうな労働者を助けようなどという反革命的なことを考えるとんでもない若者が出てきてしまったりするから、世の中は権力者が思うように動くだけではないということなんでしょうか。

ご禁制にしたいほどの嫌な思想なのに、それを体制のもっとも根本的なイデオロギーとして奉っているふりをしなければならないのですから、中国共産党の思想担当者ほど心労の多い仕事はないように思われます。いまでもマルクス経済学は学生たちに必修科目として毎日教えられ続けているはずです。できるだけつまらなく、興味をこれっぽっちも惹かないように細心の注意を払いながら、一見まじめに伝えるべきことを伝えようとしているかのように教えなければならない。少なくとも私にはとても務まらないですね。 

こうしてみると、本心ではご禁制にしたいほど毛嫌いしている革命的なマルクスの思想を、共産党政権の正統性の根源たるご本尊として拝む屁理屈を作らなければならない党イデオロギー官僚のみなさんほど、脳みそを絞りに絞ってへとへとになる商売はこの世に外にはほとんどないように思われます。

まあ、時々、わざわざその中華ナショナリズムを断固として擁護してくれる奇特な日本人がいてくれるのがせめてもの慰めなのかもしれません。

 

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