コダックの倒産は何の教訓か?
ちょっと前の記事ですが、経産省の中野剛志さんが、倒産したコダックと発展している富士フイルムを取り上げて、「だからジョブ型はだめなんだ、メンバーシップ型がいいんだ」という議論を展開しています。
https://news.livedoor.com/article/detail/18460029/
まあ、いつもの中野流の議論ではあるんですが、取り上げられている会社の名前が名前だけに、一言コメントしておく必要を感じました。
・・・・さて、わが国の企業は、従来、職務権限があいまいであるがゆえに、能力の低いメンバーが温存されがちだという批判がされてきた。確かに、わが国の企業は、オーディナリー・ケイパビリティ(効率性)の点では、職務権限が明確な欧米の企業に劣るのかもしれない。しかし、ダイナミック・ケイパビリティの観点からは、職務権限があいまいな「柔軟な組織」の方が、逆に有利なのである。
言い換えれば、これまでわが国の企業の弱点と見られてきた組織構造が、不確実性がニュー・ノーマルとなった世界においては、むしろ長所に転ずる可能性があるということである。・・・・
この記事を読めば、おそらく100人中100人までもが、コダックという会社はいかにも典型的なジョブ型の会社で、それゆえにあかんようになったという印象を持つでしょう。実際、中野さん自身もそういう先入観でもってこの記事を書いている可能性があります。
ところが、労働研究の世界でコダックと言えば、滔滔たるジョブ・コントーロール型労使関係に一人背を向けて、1920年代の福祉資本主義(ウェルフェア・キャピタリズム)の精神を断固として守り続けた会社なのです。
かの有名なサンフォード・ジャコビーの『会社荘園制』が、アメリカの中の異端中の異端企業として取り上げたコダックこそが、「経営者という"領主"が会社という”領地”に社員を囲い込んで、安定雇用と内部昇進を保障し、手厚い給与と福利厚生を与え、会社自体を協同体にしてしまう」会社荘園制の典型例なのです。
そのコダックがあっさりとつぶれてしまったゆえんは何なのか?こそが、来月早々にも本屋さんに並ぶ予定の、濱口桂一郎・海老原嗣生『働き方改革の世界史』の第10講「メンバーシップ型アメリカ企業の雌伏、栄光、挫折」のテーマです。
第10講 メンバーシップ型アメリカ企業の雌伏、栄光、挫折サンフォード・ジャコービィ、内田一秀・中本和秀・鈴木良治・平尾武久・森杲訳『会社荘園制』【受講準備】外界と隔絶された共同体【本講】非主流派、少数企業の物語/福祉資本主義の崩壊からアメリカ型内部労働市場システムへ/日本型雇用に酷似/現場管理者の権力を削ぐ/コダックの協和主義/雇用と所得、どちらが重要か/コダックと富士フイルム
今の日本の知的状況というのは、まずきちんと物事をよく調べてじっくり考えようというよりは、まず初めに結論ありき、「ジョブ型が絶対に正しい」にしろ、「メンバーシップ型が絶対に正しい」にしろ、とにかく初めに価値観に基づく結論ありきで、それに合わせて事実を叙述したがるという浅薄な知的風潮が瀰漫していますが、そういう真の意味での知性とは正反対の風潮に疑問を感じられる方こそ、ぜひ今回の新著を読んでいただければと思います。
メリーゴーラウンドのように読者の認識と価値感を右に左に引きずり回し、安易な「これが正しい労使関係だ」に安住させないことを目指していますが、それを不快と感じる怠惰な精神の持ち主であるか、むしろ快感と感じてのめりこんでこられるか、読者自身も試される一冊です。
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