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2020年8月

2020年8月31日 (月)

『月刊連合』8/9月号

Covernew_20200831143701 『月刊連合』8/9月号は「コロナ時代を考える」で、巻頭対談は中島岳志さんと神津会長ですが、「コロナが問うているもの」の副題が「「リスクの社会化」×「リベラル」の結集を」で、いささか脱力してしまいます。そこらのマスコミならともかく、労働組合の機関誌で「リベラル」じゃないでしょう、と思ってしまうのは、私の用語法がヨーロッパ式だからですかね。

https://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/teiki/gekkanrengo/backnumber/new.html

世界を一変させた「新型コロナウイルス感染症」。
期せずして、日本では、社会に内在していた様々な問題が浮き彫りになっただけでなく、それに対応すべき政治の機能不全が際立っている。
コロナ禍は、私たちに何を問うているのか。ここからどこに向かえばいいのか。
中島岳志東工大教授と神津会長が語り合った。 

そのあとに5人からの提言が並んでいますが、

■提言1/政治システムと危機対応 宇野重規 東京大学社会科学研究所教授
■提言2/コロナ危機とデータ戦略 宮田裕章 慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教授
■提言3/With/afterコロナの働き方  鶴 光太郎 慶應義塾大学大学院商学研究科教授
■提言4/コロナ危機と労働法 水町勇一郎 東京大学社会科学研究所教授
■提言5/ウィズコロナ時代のセーフティネット 森信茂樹 東京財団政策研究所研究主幹 

これ、本当の長い方のタイトルはここに載っていませんが、鶴さんの提言は「日本型テレワークは十分可能だ」です。

実は鶴さん、ジョブ型正社員をあれほど宣伝しておいて、ここでは掌を返しています。

・・・最近一部のマスコミで、テレワークを推進するには職務範囲が明確なジョブ型雇用や成果主義にしなければならないとの論調が目立つ。しかし、これはテクノロジーがなかった昔の議論であり、時代錯誤である。テレワークは確かにジョブ型雇用と親和性が高く、ジョブ型自体を推進することは重要である。ただ、いまの雇用システムでも新たなテクノロジーが問題を解決してくれる。「日本型テレワーク」は十分可能なのだ。・・・・

軽薄なマスコミの論調に我慢ならない気持ちはよく分かります。しかし、これって、先日荻野勝彦さんがブログで書いていたことでもありますね。

https://roumuya.hatenablog.com/entry/2020/08/05/161030(この記事がひどい。)

ただ、そうだとしてもそれは実態から外れた残念な議論であり、なにかというと昨今のテレワークの拡大でわかったことは、そんな仕事の切り出しなどという手間をかけずになし崩しに始めてしまったところzoomやらSlackやらを使えば別に仕事の切り出しなんかしなくても・従来のように担当業務があいまいなままでもそれなりに「優秀な部下数人が手分け」することもできるし、結果テレワークでも仕事は回るということなのですね。 

意外な観点から面白かったのが、日本若者協議会代表理事の室橋祐貴さんの「若手研究者は『労働者』では無いのか?」でした。たぶん日本ではほとんど考えられたことすらないのでしょうが、研究者という職業に就くための実践的職業訓練課程に在籍するということは、十分労働者性の議論の対象になり得るのです。だって、防衛大学校や防衛医科大学校の学生はれっきとした給与をもらう公務員たる自衛官なわけですよ。本質的には変わらない。

でも、そう思われないのは日本社会なりの理由があるわけで、そこだけ捕まえてあれこれ言ってみても仕方がない面があります。

 

 

 

 

 

2020年8月30日 (日)

濱口桂一郎・海老原嗣生『働き方改革の世界史』書影

9784480073310_600

序章 日本人が煙たがる「労働運動」というもの 
 
対岸の火事としての労働争議/日本の労働組合はガラパゴス的な形態をしている/協調的だが暴れ出すと手に負えない日本型の労働組合/社内調整のための仕組み/英米と欧州大陸国で異なる進化/片翼だけの労使関係の問題
 
第一章 トレードからジョブへ 
 
Dscf15491 第1講 出発点は集合取引(コレクティブ・バーゲニング) 
シドニー&ベアトリス・ウェッブ、高野岩三郎監訳『産業民主制論』
【受講準備】会社を超えた広い連帯
【本講】労働思想の必読古典/失われた失業保険機能/集合取引とは、労働力を高く売ること/日本は生活給、イギリスは標準賃銀率/雇用の継続と日本型デフレ
 
Dscf20521 第2講 「労働は商品じゃない」の本当の意味 
サミュエル・ゴンパーズ、S・ゴンパーズ自伝刊行会訳『サミュエル・ゴンパーズ自伝 七十年の生涯と労働運動(上巻・下巻)』
【受講準備】アメリカ労働総同盟の初代議長
【本講】アメリカ労働思想の古典と現代日本/労働組合主義から社会主義への反論/ネガティブな立法闘争/労働の大憲章/国防会議諮問委員会とILO
 
Dscf24002 第3講 ジョブ型労働運動の哲学 
セリグ・パールマン、松井七郎訳『労働運動の理論』
【受講準備】ジョブ、ポスト、トレード
【本講】階級意識と仕事意識/ジョブ・コントロールの労働運動/先任権ルールと残業の考え方/現場労働者が作り上げ、決めていく/戦後日本との対比
 
復習ノート1 トレード型とジョブ型 
 
第二章 パートナーシップ型労使関係という奇跡 
 
Genten_hon1 第4講 共同決定というもう一つの産業民主主義 
フリッツ・ナフタリ編、山田高生訳『経済民主主義 ― 本質・方途・目標』
【受講準備】労使関係のパラダイム・チェンジ
【本講】現代ドイツの労働システムの始祖/ナフタリって何者?/経済民主主義の源流/労働関係の民主化/教育制度の民主化
 
Dscf30341 第5講 労使は経営共同体のパートナーシップ 
ギード・フィッシャー、清水敏允訳『労使共同経営』
【受講準備】労使双方の努力で構築
【本講】いわゆるライン型資本主義/経営パートナーシャフト―生活の安定/公正賃金/共同体のメンバーとしての従業員/組織原則の違い/フィッシャー経営学とカトリシズム
 
Dscf31891 第6講 カトリックの労働思想 
W・E・フォン・ケテラー、桜井健吾訳・解説『労働者問題とキリスト教』
【受講準備】社会問題に切り込んだ聖職者
【本講】キリスト教と労働問題/カール・マルクスの商売敵/新たなギルドの模索 /職人組合と生産協同組合/カトリシズムというモノサシ
 
復習ノート2 ドイツ型労働システムの根幹 
 
第三章 パートナーシップなき企業内労使関係の苦悩 
 
Dscf32691 第7講 労使パートナーシップへの淡い夢 
G・D・H・コール、和田耕作訳『労働者 ― その新しい地位と役割』
【受講準備】イギリスの消耗
【本講】今こそ読み返すべき還暦本/企業内部での経営参加を志向/日本型新卒一括採用が理想/完全雇用が必須な理由/ドイツや日本で実現した理想
 
Genten_hon2 第8講 パートナーシップなきイギリスの職場 
アラン・フランダース、岡部実夫・石田磯次共訳『イギリスの団体交渉制 ― 改革への処方箋』
【受講準備】労使関係は人間の権利と尊厳の問題
【本講】イギリス労使関係が大転換するきっかけ/事業所レベル交渉の弊害/従業員を相手にせよ/集団から個人へ
 
51jjh8cv0jl 第9講 ジョブ・コントロール型労使関係は崩壊の一途 
バリー&アーヴィング・ブルーストーン、岡本豊訳『対決に未来はない ― 従業員参加の経営革命』
【受講準備】精勤・勤勉な労働の回復
【本講】アメリカ労働運動の中枢からアメリカ的労使関係を批判/監督はごみを拾うな/製品の品質に関心を持つな/日本のやり方に学べ/純粋メンバーシップ型宣言/挑戦は法的に頓挫
 
Img_4962 第10講 メンバーシップ型アメリカ企業の雌伏、栄光、挫折 
サンフォード・ジャコービィ、内田一秀・中本和秀・鈴木良治・平尾武久・森杲訳『会社荘園制』
【受講準備】外界と隔絶された共同体
【本講】非主流派、少数企業の物語/福祉資本主義の崩壊からアメリカ型内部労働市場システムへ/日本型雇用に酷似/現場管理者の権力を削ぐ/コダックの協和主義/雇用と所得、どちらが重要か/コダックと富士フイルム
 
復習ノート3 ノンユニオンという帰結 
 
Dscf38211 第11講 労働者自主管理という理想像の逆説 
エドモン・メール、佐藤敬治訳『自主管理への道』
【受講準備】仏の労使の距離感
【本講】労働運動の思想的分裂/労働者自主管理と企業内労使関係/労働者を責任ある俳優に/あべこべの世界
 
復習ノート4 自主管理思想の理想郷とは 
 
第四章 片翼だけの労使関係 
 
Dscf41961 第12講 従業員組合のアンビバレンツとその帰結 
藤林敬三『労使関係と労使協議制』
【受講準備】争議の現場をよく知る研究者
【本講】労使関係は二元的である/日本と欧米、最大の違い/上部団体の存在意義/第二組合がなぜ生まれるのか/組合が左傾化する背景/不可避の雰囲気闘争/妥協機関としての労働委員会/身内の争いは激しさを増す/組合を去勢する労使協議制/藤林の予言通りになった日本の労働社会
 
復習ノート5 戦後日本のパラドックス 
 
第五章 労働思想ってそういうことだったのか対談 
 
コレクティブ・バーゲニングの真相/アメリカはなぜジョブ・コントロールを確立できたか?/立法重視で行くべきか、現場を重視すべきか?/ドイツ型パートナーシャフトは奇跡の産物/労使共同経営って、いったい何をするの?/欧米に見られる日本型雇用への憧憬/日本社会に労働者代表制は取り入れられるか?
 
あとがきに代えて マルクスが入っていない理由 

2020年8月29日 (土)

高齢・障害と社会法@『法律時報』2020年9月号

08350 『法律時報』2020年9月号は「高齢・障害と社会法」が特集で、下記のようなメンツになっています。

https://www.nippyo.co.jp/shop/magazines/latest/1.html

企画趣旨……笠木映里 

座談会基調報告……笠木映里 
[座談会]
高齢・障害と社会法……関 ふ佐子・永野仁美・森 悠一郎・柳澤 武・菊池馨実 

科学技術・医療の発展と高齢者・障害者雇用……長谷川珠子 

障害者・高齢者を対象とする労働法理論とその変容可能性……石崎由希子 

介護者支援とそのあり方についての理論的検討……津田小百合

コロナ下なので、在仏の笠木さんは基調報告はすれども座談会には参加していませんね。そこはちょっと残念です。

高齢者と障害者、労働法と社会保障法という2×2を縦横に論じるといろいろと見えてくるものがあるのだと思いますが、マクロの視点とミクロの視点がやや接合不足の感もあり、これはむしろ議論の出発点と位置付けられるべきなのでしょう。

個人的に気になったのは、たとえば座談会の中で柳澤さんが高年齢雇用継続給付についてこう述べているんですが(p26)、これは明らかに法政策の経緯を逆転させています。

・・・ゆえに、日本の高年齢者雇用継続給付も、差別禁止アプローチと全く矛盾するわけではなく、さらには休息や貢献という考え方と適合的ではないかと考えています。とりわけ、労働者自身の意思で、自分は少し日数を減らしたいとか、定年後なのでパートでもよいとか、そういった働き方を望んでいる場合には、この給付の存在によって「休息権」を部分的に実現しているとはいえるかもしれません。

ここで注意していただきたいのは、この特別な給付があるから賃金を減らしてよいという風に、賃金格差を是認する根拠として用いることは、本末転倒だということです。休息権という発想に依拠するならば、、賃金格差を是認する理由として、当該給付を持ち出すことは許されないわけです。・・・・

まさか柳澤さんが、この雇用継続給付のできた経緯を知らずにこんなことを言っているはずがないと思いますが、もちろんこの雇用継続給付は、65歳までの継続雇用を進めるために、まさに「この特別な給付があるから賃金を減らしてよい」からとにかく雇用だけは伸ばしてね、という政策目的で作られたわけで、それを本末転倒などと評するのは、それこそ本末転倒というべきでしょう。

賃金差別の元凶、とまではいわなくても、少なくともその最大の正当化要因として作られ、そのように運用されてきたこの雇用継続給付を、策定時にもその後も、この四半世紀の間誰もそんな趣旨だなんて語ったこともない「休息権」の実現のための手段だなどというロジックを勝手にこしらえて、そこからこの制度の本来の趣旨目的を「本末転倒」と批判するなんていうのは、法哲学とかの分野であればあってもいいのかもしれませんが(とはいうものの、私はそうとも思いませんが)、少なくとも実定法の具体的な条文をとらまえてあれこれ論ずる法分野においては、これはちょっとやってはいけない禁じ手ではないかと思います。

いうまでもなく、既に制度創設時の目的であった65歳継続雇用は2012年改正で義務化されているわけで、いまや定年後再雇用者の低賃金を正当化するという役割以外の何物でもなくなっているわけですが、それならそうとはっきり批判すればよいのであって、あまりにもずれた「休息権」などいうものを持ち出して無理やり正当化しようとする必要など何もないと思いますよ。

そもそも、高齢者の「休息権」自体にもいろいろと議論の余地がありますが、それをとりあえず認めたとしても、そこから導き出されるべきは例えば、高齢労働者の短時間労働請求権とかであって、労働時間とは何の関係もなくただ年齢だけで低賃金を認める以外のいかなる内容も含まないこの継続給付でもって「休息権」が担保されるというのは理解不能ではないでしょうか。

 

 

 

2020年8月28日 (金)

半分ソーシャルだった安倍政権

本日突然安倍首相が辞意を表明しました。政治学者や政治評論家や政治部記者のような話をする気はありませんが、労働政策という観点からすれば、14-13年前の第一次安倍政権も含めて、「半分ソーシャル」な自民党政権だったと言えるように思います。半分ソーシャルの反対は全面リベラルで、第一次安倍政権の直前の小泉政権がその典型です。(本ブログは特殊アメリカ方言ではなくヨーロッパの普遍的な用語法に従っているので、違和感のある人は「リベラル」を「ネオリベ」と読み替えてください)

安倍政権は間違いなくその小泉・竹中路線を忠実に受け継ぐ側面があり、労働市場の規制緩和を一貫して進めてきたことは確かなので、その意味では間違いなく半分リベラルなのですが、それと同時に、一般的には社会党とか労働党と呼ばれる政党が好み、労働組合が支持するような類の政策も、かなり積極的に行おうとする傾向があります。そこをとらえて「半分ソーシャル」というわけです。今年はさすがに新型コロナでブレーキを掛けましたが、第1次安倍政権時から昨年までずっと最低賃金の引き上げを進めてきたことや、ある時期経営団体や労働組合すらも踏み越えて賃上げの旗を振ったりしていたのは、自民党政権としては異例なほどの「ソーシャル」ぶりだったといえましょう。

第二次政権の後半期を彩る「一億総活躍」や「働き方改革」も、その中にちらりとリベラルな芽も含まれていながら、相対的にはやはりかなり異例なほどに「ソーシャル」な政策志向でした。その意味では、社労党ではないにしても、社労族ではあったのは確かでしょう。もっとも、司令塔が経産省出身の官邸官僚だったため、総体としては「ソーシャル」な政策の中にちらちらと変な声が混じったりもしてましたが。

一方で極めてナショナリズム的な志向が強烈にあるために、複数の軸を同時に考えることができない短絡的な脳みそでもって、ややもすると中身を吟味することなくレッテル張りがされる傾向もありますが、職を退いたことでより客観的にその政策を分析することができるようになれば望ましいと思われます。

それにしても、「働き方改革」の柱の一つが「病気の治療と仕事の両立」であり、そのためにわざわざ生稲晃子さんを引っ張り出したりしていたのに、ご本人が潰瘍性大腸炎という難病と内閣総理大臣という職責の両立を断念して辞任するに至ったというのは、やはり仕事のサイズの大きさによってはその両立はそうたやすくはないということなのでしょうか。これもいろいろと考える素材になりそうです。

ちなみに、「半分ソーシャル」といえば、安倍首相がことあるごとに「悪夢のような」と形容していた民主党政権も同じように(いや違う側面でですが)やはり「半分ソーシャル」でした。労働組合が最大の支持勢力であるはずなのに、なぜかふわふわした「リベラル」な空気に乗って、構造改革を競ってみたり、仕分けと称してやたらに切り刻んでみたり、挙句の果ては間違いなく選挙の時に一番一生懸命動いていたであろう組合員の首を平然と斬ったりしていましたね。まあ、それでも下駄の雪よろしくついていく組合も組合ですが。

新型コロナと風俗営業という象徴(再掲)

Huzoku 昨日、こういう記事がひっそりと載っていましたが、

https://this.kiji.is/671668179429524577(性風俗業者、給付金除外で提訴へ「根拠なし、職業差別を助長」)

新型コロナウイルス感染症対策で中小企業に支払われる持続化給付金の対象外とされた性風俗事業者が「法の下の平等を定めた憲法に反する」として、国に支払いを求める訴訟を東京地裁に9月にも起こすことが27日、分かった。原告弁護団は「合理的根拠なく特定の業種を支援から外し、職業差別の助長につながる」と主張している。・・・

このトピック、ちょうど4か月前に本ブログで取り上げておりました。4か月後の今も一字一句修正する必要性はなさそうなので、そのままここに再掲しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-b631f8.html(新型コロナと風俗営業という象徴)

============================================

今回の新型コロナウイルス感染症は、医療問題から経済問題、労働問題まで実に幅広い分野に大きなインパクトを与えていますが、その中で風俗営業というトピックが全く違う文脈で全く違う様相を呈しながら様々に語られていることが興味を引きます。それはあたかも風俗営業というそれ自体はそれほど大きくない産業分野がある意味で現代社会のある性格を象徴しているからではないかと思われるのです。

まずもって、コロナウイルスを蔓延させているのは濃厚接触している夜の街の風俗営業だという批判が登場し、警察が歌舞伎町で示威行進するてなこともありましたが、それはそういう面があるのだと思いますが、実は経済のサービス化というのは、もっともっと広い範囲で人と人との接触(どれだけ「濃厚」かは別として)それ自体を商品化することで拡大してきたのであれば、コロナショックが何よりも人と人とが接触する機会を稼ぎの元としている飲食店やサービス業といった基盤脆弱な日銭型産業分野を、当該接触機会を最大限自粛することによって直撃していることの象徴が風俗営業なのかもしれません。

一方、コロナショックを労働政策面から和らげようとして政府が繰り出した雇用助成金政策に対して、それが風俗営業従事者を排除しているのが職業差別だという批判が噴出しました。そしてその勢いに押された厚生労働省はそれまでの扱いをあっさりと放棄し、風俗営業従事者も支給対象に入れることとしたわけですが、このベクトルは風俗営業のみを卑賎視する偏見に対して、それもまた歴とした対人サービス産業であるという誇りを主張するものであったはずで、その背景にはやはり、風俗営業も他の対人サービス業も、人と人との接触それ自体を商品化する機会を稼ぎのもとにしていることに変わりはないではないか、そして現代社会はそれを経済拡大の手っ取り早い手段として使ってきているのではないかという自省的認識の広がりがあったのかもしれません。

ところが、ここにきて、某お笑い芸人がラジオ深夜番組で語ったとされる、コロナ不況で可愛い娘が風俗嬢になる云々というセリフが炎上しているらしいことを見ると、実は必ずしもそうではなかったのかもしれないなという感じもあります。そのセリフが政治的に正しいものではないことはたしかですが、本ブログのコメント欄に書き込まれたツイートにもあるように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-5924c7.html#comment-117951899

> 不景気になると
> 岡村隆史「かわいい人が風俗嬢やります」
> 経営者「有能な若者が安い給料で働く」
> あんまり言ってること変わんねえよなこれ 

労働供給過剰によってより品質の高い労働力が低価格で供給されるという経済学的には全く同型的な市場メカニズムを語る言葉が、一方はソーシャルな立場からは全く正しいものではないにもかかわらず、多くの経済学者の口から平然と語られても全く問題にならない(どころか経済学的に正しいことを勇気をもって語ったとしてほめそやされる)のに、芸人の方は集中砲火を浴びるのは、やはりエコノミカリー・コレクトに対するポリティカリー・コレクトとソーシャリー・コレクトの存在態様の大きな格差を物語っているのかもしれません。

これら新型コロナウイルス感染症をめぐってさまざまに立ち現れた風俗営業をめぐる人々の思考のありようは、誰かがもっときちんと、そしてこれが一番大事ですが、どれか一つのアスペクトだけではなく、そのすべての側面を全部考慮に入れたうえで、突っ込んで考察してほしいなあ、と思います。そういうのがほんとの意味での社会学的考察ってやつなんじゃないのかな、なんてね。

(追記)

世の中、ちょっとした時期のずれで大きな差ができることがありますが、本日から申請を受け付け始めた経済産業省の持続化給付金は、中小法人向けの200万円コースも、個人事業主向けの100万円コースも、特定の風俗営業は対象から除外しています。

https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/kyufukin_chusho.pdf

https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/kyufukin_kojin.pdf

不給付要件(給付対象外となる者)に該当しないこと
(1)風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律に規定する「性風俗関連特殊営業」、 当該営業に係る「接客業務受託営業」を行う事業者
(2)宗教上の組織若しくは団体
(3)(1)(2)に掲げる者のほか、給付金の趣旨・目的に照らして適当でないと中小企業庁長官が判断する 

雇用助成金の時には、風俗営業だからと言って排除するのは職業差別だとあれほど騒いだ人々が、岡村発言の直後にはだれも文句を言わなくなってしまっているというあたりに、その時々の空気にいかに左右される我々の社会であるのかがくっきりと浮かび上がっているかのようです。

 

 

 

 

 

 

2020年8月27日 (木)

『労働政策講義 2019-2020』

Wu20192020 リクルートワークス研究所から『労働政策講義 2019-2020』をお送りいただきました。全文はこちらで読めます。

https://www.works-i.com/research/works-report/item/wu2019-2020.pdf

労働組合、労働時間から始まって、最後が外国人労働者まで、まあかなり広く日本の労働政策をカバーしています。

ただ、『日本の労働法政策』を書いた身からすると、やや局所的というか、全体的なバランスがどうかなという感じはします。一番典型が冒頭の「日本における戦後の労働政策史」ですが、大まかな時代区分なのかというとそうでもないし、分野別なのかというと、「炭鉱政策の開始」のようなやたらに細かな項と「雇用の流動化」のようなマクロな方向性の項が混在し、やや思いつきで項目を並べただけの感があります。他の項目も、それぞれが単独の読み物として書かれたのであればそれなりに意義はあるのでしょうが、全体をまとめて分厚い『なんとか講義』という本にすると、いささかバランスが悪い感は否めません。

 

2020年8月26日 (水)

テレワークの増減

本日、JILPTが「新型コロナウイルス感染拡大の仕事や生活への影響に関する調査 」(一次集計)結果を公表しました。

https://www.jil.go.jp/press/documents/20200826.pdf

新型コロナウイルス感染症に関連した影響の中心が、「収入の減少」へシフト
― 雇用者の 6 割超、フリーランスの 7 割超が、「収入の減少に伴う生活への支障」が不安と回答
過去 3 ヶ月間(5~7 月)の世帯全体の家計収支は赤字世帯の方が多く、フリーランスでは 4 割超が赤字に ―

かなりいろいろと興味深い結果が明らかになっています。またおいおい各研究員による分析もアップされていくことになると思いますが、ここでは今回の新聞発表資料の中から、コロナ禍直前から真っ最中、そして最近までのテレワークの増減の状況のグラフを紹介しておきましょう。リンク先の14ページです。

Telework

 

 

兼業・副業の労働時間ルール

今朝の日経に、こんな記事が出ているんですが、

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63040100V20C20A8EE8000/社員が副業先の残業を事前申告 政府、9月に新ルール

副業をする人の残業時間について、厚生労働省は働く人が勤務先に事前申告するルールを9月から始める。働き手が本業と副業とでどう働くかを自由に検討できるようにし、副業を促す狙い。企業による就労時間の管理もやりやすくなるとみられるが、働きすぎる人が増える恐れもあり、厚労省は企業に健康チェックなどの充実を求める。

厚労省は8月中に副業・兼業の新たな指針を公表し、働く人に本業と副業それぞれの勤務先に残業の上限時間を事前申告するよう求める。・・・・

一瞬目を疑いました。

いや、中身自体は、既に労政審労働条件分科会で議論され、方向性が出ているんですが、新たなルールを9月から始めるとか、8月中に新たな指針を公表するとか、書かれていて。え?今日って8月26日でしたよね。8月って今日を入れてもあと6日しかないんですけど、来週火曜日から新ルールを適用するって、それ本気?まさか来年9月ってことじゃないよね。

実は、今年3月末の法改正によって、労災保険については兼業・副業の合算ルールが適用されるので、日経記者の頭の中でそれらがごっちゃになった可能性がありますね。労災保険の方は先に決着したので9月から施行ですが、まだ議論の真っ最中の労働時間ルールを、来週火曜日から変えられると思っている日経記者の感覚に興味が湧きます。

おそらくは、明日の労働条件分科会で決着を付けたいと、少なくとも厚労省サイドは考えているんでしょう。だけど、それで来週火曜日から扱いを変えるなんて、どこかの独裁国家みたいなわけにはいかないんですよ。ほんと、日経新聞の理想国家ってどこなんだろう。

(追記)

と思ってたら、ほんとに9月から、つまりあと5日後には改訂ガイドラインを実施するようです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200827/k10012586471000.html(副業の長時間労働防ぐ 新ガイドライン9月導入へ)

新型コロナウイルスの感染拡大を背景に本業以外にも仕事をする副業や兼業は今後、さらに増えるとみられています。厚生労働省は企業が働く人からの自己申告で副業などの時間を把握し、長時間労働を防ぐとした新たなガイドラインを9月から導入することになりました。・・・ 

27日の審議会では労働組合の委員から「働く人は立場が弱いので労働時間などをきちんと申告できるのか懸念がある」などという意見も出されましたが、話し合いの結果、ガイドラインの案は了承されました。 

労使とも了承したので確かに実施できますね。改訂ガイドライン案もアップされています。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201250/000663596.pdf

その「簡便な労働時間管理の方法」というのはこういうものです。

オ 簡便な労働時間管理の方法
(ア) 趣旨
副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方については上記のとおりであるが、例えば、副業・兼業の日数が多い場合や、自らの事業場及び他の使用者の事業場の双方において所定外労働がある場合等においては、労働時間の申告等や通算管理において、労使双方に手続上の負担が伴うことが考えられる。
このため、副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方について、上記によることのほかに、労働時間の申告等や通算管理における労使双方の手続上の負担を軽減し、労基法に定める最低労働条件が遵守されやすくなる簡便な労働時間管理の方法(以下「管理モデル」という。)として、以下の方法によることが考えられる。
(イ) 管理モデルの枠組み
管理モデルは、副業・兼業の開始前に、当該副業・兼業を行う労働者と時間的に先に労働契約を締結していた使用者(以下「使用者A」という。)の事業場における法定外労働時間と時間的に後から労働契約を締結した使用者(以下「使用者B」という。)の事業場における労働時間(所定労働時間及び所定外労働時間)とを合計した時間数が単月 100 時間未満、複数月平均 80時間以内となる範囲内において、各々の使用者の事業場における労働時間の上限をそれぞれ設定し、各々の使用者がそれぞれその範囲内で労働させることとするものであること。また、使用者Aは自らの事業場における法定外労働時間の労働について、使用者Bは自らの事業場における労働時間の労働について、それぞれ自らの事業場における 36 協定の延長時間の範囲内とし、割増賃金を支払うこととするものであること。
これにより、使用者A及び使用者Bは、副業・兼業の開始後においては、それぞれあらかじめ設定した労働時間の範囲内で労働させる限り、他の使用者の事業場における実労働時間の把握を要することなく労基法を遵守することが可能となるものであること。
(ウ) 管理モデルの実施
a 導入手順
副業・兼業に関する企業の事例において、労務管理上の便宜や労働者の健康確保等のため、副業・兼業の開始前に、あらかじめ使用者が他の使用者の事業場における労働時間や通算した労働時間について上限を設定し、労働者にその範囲内で副業・兼業を行うことを求めている事例がみられる。
管理モデルについても、一般的には、副業・兼業を行おうとする労働者に対して使用者Aが管理モデルにより副業・兼業を行うことを求め、労働者及び労働者を通じて使用者Bがこれに応じることによって導入されることが想定される。
b 労働時間の上限の設定
使用者Aの事業場における1か月の法定外労働時間と使用者Bの事業場における1か月の労働時間とを合計した時間数が単月 100 時間未満、複
数月平均 80 時間以内となる範囲内において、各々の使用者の事業場における労働時間の上限をそれぞれ設定する。
月の労働時間の起算日が、使用者Aの事業場と使用者Bの事業場とで異なる場合には、各々の使用者は、各々の事業場の労働時間制度における起算日を基に、そこから起算した1か月における労働時間の上限をそれぞれ設定することとして差し支えない。
c 時間外労働の割増賃金の取扱い
使用者Aは自らの事業場における法定外労働時間の労働について、使用Bは自らの事業場における労働時間の労働について、それぞれ割増賃金を支払う。使用者Aが、法定外労働時間に加え、所定外労働時間についても割増賃金を支払うこととしている場合には、使用者Aは、自らの事業場における所定外労働時間の労働について割増賃金を支払うこととなる。
時間外労働の割増賃金の率は、自らの事業場における就業規則等で定められた率(2割5分以上の率。ただし、使用者Aの事業場における法定外労働時間の上限に使用者Bの事業場における労働時間を通算して、自らの
事業場の労働時間制度における法定労働時間を超える部分が1か月について 60 時間を超えた場合には、その超えた時間の労働のうち自らの事業場において労働させた時間については、5割以上の率。)とする。
(エ) その他
a 管理モデルの導入の際の労働時間の上限の設定において、使用者Aの事業場における1か月の法定外労働時間と使用者Bの事業場における1か月の労働時間とを合計した時間数を80時間を超えるものとした場合には、翌月以降において複数月平均 80 時間未満となるように労働時間の上限の設定を調整する必要が生じ得る。
このため、労働時間の申告等や通算管理における労使双方の手続上の負担を軽減し、労基法に定める最低労働条件が遵守されやすくするという管理モデルの趣旨に鑑み、そのような労働時間を調整する必要が生じないように、各々の使用者と労働者との合意により労働時間の上限を設定することが望ましい。
b 管理モデルの導入後に、使用者Aにおいて導入時に設定した労働時間の上限を変更する必要が生じた場合には、あらかじめ労働者を通じて使用者Bに通知し、必要に応じて使用者Bにおいて設定した労働時間の上限を変できるよう、あらかじめ、変更があり得る旨を留保しておくことが望ましい。
c 労働者が事業主を異にする3以上の事業場で労働する場合についても、使用者Aの事業場における法定外労働時間、使用者Bの事業場における労働時間、更に時間的に後から労働契約を締結した使用者C等の事業場における労働時間について、各々の使用者の事業場における労働時間の上限をそれぞれ設定し、各々の使用者がそれぞれその範囲内で労働させ、使用者Aは自らの事業場における法定外労働時間の労働について、使用者B及び使用者C等は自らの事業場における労働時間の労働について、それぞれ割増賃金を支払うことにより、管理モデルの導入が可能である。
d 管理モデルを導入した使用者が、あらかじめ設定した労働時間の範囲を逸脱して労働させたことによって、時間外労働の上限規制を超える等の労基法に抵触した状態が発生した場合には、当該逸脱して労働させた使用者が、労働時間通算に関する法違反を問われ得ることとなる。

 

 

 

2020年8月25日 (火)

休業手当が給与の半額以下になる理由

今回のコロナ禍で、雇用調整助成金や直接給付と絡んで、労働基準法上の休業手当にも注目が集まりました。その中には、法律の文言上は給与の60%と書いてあるのに、実際はそれより低くて半額以下になるという批判もありました。たとえば、POSSEの今野晴貴さんのこの記事には、

https://news.yahoo.co.jp/byline/konnoharuki/20200503-00176665/(休業手当は給与の「半額以下」 額を引き上げるための「実践的」な知識とは?)

実は、労基法が定める「平均賃金の100分の60」は、それまでもらえていた月収の6割という意味ではない。実際には月収の6割すらもらえないのだ。どういうことか説明していこう。
 1日当たりの休業手当の額は「平均賃金×休業手当支払率(60~100%)」で算出される。
 平均賃金の原則的な算定方法は、「休業日の直近の賃金締切日以前3ヶ月間の賃金の総額をその間の総日数で除す」というものだ。
 勤務日数ではなく暦日数で割るため、算定される平均賃金の額は低くなる。単純な話でいえば、月に20日働いて30万円の収入を得ていた場合、平均の賃金は15,000円になりそうだが、そうではなく10,000円程度になってしまうということである。 

とありますし、毎日新聞もこう報じています。

https://mainichi.jp/articles/20200603/k00/00m/040/170000c(休業手当、規定は「平均賃金の6割」なのに…? 支給は「給与の4割」のなぞ)

新型コロナウイルスの影響で、緊急事態宣言の解除以降も、一部の業種では休業が続く。気になるのが休業中の手当だ。労働基準法では、休業手当の支払いを定めているが、現実には支払われないケースや極めて低額のケースもある。金額は「平均賃金の6割以上」と規定されているが、実際に算出すると「月収の4割ほど」にしかならないとの嘆きが聞こえてくる。一体、どういうことなのか。 

これ、まず法律の文言を確認すると、第26条の休業手当は、

(休業手当)
第二十六条 使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の百分の六十以上の手当を支払わなければならない。

とあり、その平均賃金を規定する第12条は、

第十二条 この法律で平均賃金とは、これを算定すべき事由の発生した日以前三箇月間にその労働者に対し支払われた賃金の総額を、その期間の総日数で除した金額をいう。ただし、その金額は、次の各号の一によつて計算した金額を下つてはならない。
一 賃金が、労働した日若しくは時間によつて算定され、又は出来高払制その他の請負制によつて定められた場合においては、賃金の総額をその期間中に労働した日数で除した金額の百分の六十
二 賃金の一部が、月、週その他一定の期間によつて定められた場合においては、その部分の総額をその期間の総日数で除した金額と前号の金額の合算額

大事なのは「賃金の総額を、その期間の総日数で除した金額」というところです。1月30日のうち出勤日が20日、休日が10日だったら、月給ウン十万円を20日で割るんじゃなくて30日で割っちゃうので、賃金日額が3分の2になってしまいますね。

なんでこんなやり方をしているのかと疑問に思う人もいるかも知れません。日本の労働法政策の密林に分け入って見ましょう。

この平均賃金というのは、労働基準法の特定の部分でしか使われていません。今回の休業手当以外で使われているのは、解雇予告手当と(労災の)休業補償です。

(解雇の予告)
第二十条 使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少くとも三十日前にその予告をしなければならない。三十日前に予告をしない使用者は、三十日分以上の平均賃金を支払わなければならない。但し、天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となつた場合又は労働者の責に帰すべき事由に基いて解雇する場合においては、この限りでない。
2 前項の予告の日数は、一日について平均賃金を支払つた場合においては、その日数を短縮することができる。
3 前条第二項の規定は、第一項但書の場合にこれを準用する。

解雇予告手当というのは、もちろん、解雇予告期間30日の代わりに支払うものです。解雇予告期間というのは、もちろん、出勤日であろうが休日であろうが全部含めて暦日で30日ですね。その暦日30日のすべてについて、賃金日額を支払わせたら、休日分余計に払うことになってしまいますね。だから、暦日で計算する解雇予告期間に対応する解雇予告手当の1日あたりの金額は、分母を総日数として割った1日あたりの賃金額にしなければなりません。はい、これはよくわかりました。

次に労災の休業補償です。

(休業補償)
第七十六条 労働者が前条の規定による療養のため、労働することができないために賃金を受けない場合においては、使用者は、労働者の療養中平均賃金の百分の六十の休業補償を行わなければならない。 

こちらも、労災で療養している期間ですから、やはり出勤日だろうが休日だろうが休業補償を払わなければなりません。なので、やはり1日あたりの賃金額は、分母を総日数として割った金額、即ち平均賃金となるわけです。これもわかりました。

そこでおもむろに、今回問題となっている休業手当です。もういっぺん条文を確認してみます。

(休業手当)
第二十六条 使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の百分の六十以上の手当を支払わなければならない。

休業期間中」とありますね。解雇予告手当や休業補償の規定を見てきた目で見ると、これは、出勤日だけではなく、休日も含めた暦日計算としての「休業期間中」であるように見えます。

しかし、労働基準法施行後の極めて早い時期に、労働省労働基準局はこれを休日を除いた日数であるという通達を出しています。これは、地方局からの質問に対して回答したもの(昭和24年3月22日基収4077号)で、質問はむしろ暦日計算するのではないかと聞いており、本省がそれを否定するという形になっています。

問 使用者が法第26条によって休業手当を支払わなければならないのは、使用者の責に帰すべき事由によって休業した日から休業した最終の日までであり、その期間における法第35条の休日及び就業規則又は労働協約によって定められた法第35条によらざる休日を含むものと解せられるが如何。

答 法第26条の休業手当は、民法第536条第2項によって全額請求し得る賃金の中、平均賃金の100分の60以上を保障せんとする趣旨のものであるから、労働協約、就業規則又は労働契約により休日と定められている日については、休業手当を支給する義務は生じない。

この通達が出る以前には、これについて明確に論じたものは見当たりません。寺本広作『労働基準法解説』にも、松本岩吉資料にも、特に記述はありません。とはいえ、総日数で割る平均賃金を使う場所が、解雇予告手当や休業補償のように休日も含めた総日数を対象とする制度であることからすると、それらと同様に休日も含めて休業手当を支払う制度として想定していたのではないかと推測することも不可能ではありません。

ところが、終戦後のどたばたで労働基準法を作って動かしてみると、いろいろと想定外のことが発生してきます。恐らくその一つがこの休業手当で、使用者側から「使用者の責に帰すべき事由による休業の場合」というけど、そもそも休日は始めから休みなんであって、別に「使用者の責に帰すべき事由による休業」じゃねえだろう、と文句がついたのでしょう。

これはまったくその通りであって、この条文の書き方からすれば、休日はどうひっくり返っても「使用者の責に帰すべき事由による休業」ではないのですね。

ところがその結果、おそらくは解雇予告手当や休業補償と同様に休日も含めた期間全日数を想定して平均賃金を使うことにしていた休業手当について、分母には休日も含めた平均賃金を使いながら、休日は除いた正味の「使用者の責に帰すべき事由による休業」日数分だけを支払わせるという、なんだか変な制度が出来上がってしまったというわけでしょう。

平時であればトリビアに類するような細かな労働法知識ですが、今回のコロナ禍で突然多くの人が注目する土俵の上にのぼってしまったようです。

 

 

 

 

 

2020年8月24日 (月)

残りの14万人は何型だったの?

昨今の「ジョブ型」狂騒曲は、そもそもジョブ型とは何であるのかというイロハのイをどこかに置き忘れたような議論ばっかりがあふれていて、はっきり言ってどいつもこいつも99.5%は読むに堪えないくずばかりという感じですが、さすがにこれには口をあんぐりでした。

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01400/081300001/(世界30万人をジョブ型に転換、日立が壮大な人事改革に挑む本当の理由)

国内で働く16万人を含め世界中の従業員30万人をジョブ型の人事制度へ――。日立製作所が壮大な社内改革に乗り出した。新型コロナウイルスの感染拡大により働き方をテレワーク中心へと刷新するのに伴い、人事制度の抜本的な見直しに挑む格好だ。その狙いを探った。・・・・ 

いや、今まで長らくメンバーシップ型にどっぷりとつかってきた国内の16万人をジョブ型に転換するというのはいいですよ。

残りの14万人も、ジョブ型に転換するんだそうですが、さて、その人たちは今まで何型だったんでしょうかね。

世界中の30万人から国内の16万人を引いた残りは、欧米であれアジア諸国であれ、すべてれっきとしたジョブ型の世界のはずですが、でもそれもジョブ型に転換するんだそうです。この人にとって、ジョブ型ってのは、労働研究の世界で確立した雇用システムの類型論なんかではない、何かとてつもない神秘的な崇め奉るべき何物かなんでしょうなあ。

よってもってかくのごとし。

 

2020年8月20日 (木)

第110回労働政策フォーラム「テレワークをめぐる課題」(2020年9月29日)のご案内

Jilpttelework

首都圏青年ユニオン連合会はまっとうな労働組合に非ず@東京都労委

昨日、東京都労委はグランティア事件という不当労働行為救済申し立て事案について、却下するという決定を下しましたが、その理由を見ると、そもそも申し立て組合つまり首都圏青年ユニオン連合会はまっとうな労働組合じゃないと一刀両断されていて、私の知る限りこういうケースって初めてなんじゃないでしょうか。

https://www.toroui.metro.tokyo.lg.jp/image/2020/meirei30-76.html

3 決定の概要 <却下>
  当委員会が申立人組合の資格審査を行った結果、資格審査「決定書」のとおり、申立人組合は労働組合法第2条及び第5条第2項の規定に適合しない。したがって、組合が労働組合法上の救済を受ける資格を有するものと認められないので、本件申立てを却下する。

4 資格審査「決定書」の概要 <不適合>
 ⑴ 組合においては、役員以外の一般の組合員に組合の「すべての問題に参与する権利」があるとはいえず、役員は「組合員の直接無記名投票により選挙」されておらず、会計報告は「組合員に公表」されていないから、労働組合法第5条第2項の要件を欠いている。
 ⑵ 加えて、組合の実態としても一般の個々の組合員が、組合を自主的に組織する主体であるということは困難であり、組合は、「労働者が主体となつて自主的に・・・組織する」という労働組合法第2条の要件を欠いているといわざるを得ない。
 ⑶ したがって、組合が、労働組合法に規定する手続に参与し、同法による救済を受ける資格を有するものであると認めることはできない。

労働組合の資格審査なんて、労働法の教科書ではどちらかというとあんまり力が入っていない部分ですよね。だいたい、不当労働行為事件で労働組合の適合性が問題になっても、「ここをちゃんと直してね」と親切に勧告して、規約を直してくればそれでOKというのが一般的なパタンなので、ここまではっきりと労組法第2条の要件を欠くから駄目じゃ!と蹴飛ばしたのはほとんど例がないと思います。

一体、そこまで駄目出しされた「組合」とはいかなるものなのか、有名な「首都圏青年ユニオン」じゃなくって、こちらの「首都圏青年ユニオン連合会」で検索してみると、

https://roudou-mikata.com/news/index-544.html

首都圏青年ユニオン連合会に加入した場合の特徴について、ご説明させていただきます。
特徴は、以下の2つです。

1.もらえる金額が最大値となる
2.早期に解決できる

??

さらに見ていくと、

しかし、首都圏青年ユニオン連合会は、優秀な法律家が結集している労働組合ですので・・・・

ちょっと待った。これって、自ら「労働者が主体となつて自主的に・・・組織する団体」じゃないって告白しているに等しいような・・・。

さらにもっと見ていくと、

首都圏青年ユニオン連合会は組合費無料ですが、法律専門家と企業経営者など複数所属しており、要求だけではなく、具体的に制度を活用した解決策を提示した上で、要求していきますので、回収が確実で、早期に収束できます。安心してご相談ください。 

労働者は無料だけどなんの発言権もなく、「法律専門家と企業経営者など」が中心の「ユニオン」のようですね。

さらに、退職代行にとどまらず、「労働組合を脱退したい方々へ 」などというページもあり、さすがにこれはいかがなものかと。

 

2020年8月19日 (水)

介護職は専門職か技能職か?@『労基旬報』2020年8月25日号

『労基旬報』2020年8月25日号に「介護職は専門職か技能職か?」を寄稿しました。

 近年、介護労働力不足が大きな問題となっています。政府は介護労働力確保のため様々な対策を講じていますが、それが迷走する一つの原因に、介護職を職業の階層構造の中でどう位置付けるかという根本のところが必ずしも明確でないことがあるようにも思われます。一方には(旧厚生省以来の)介護職を専門職と位置づけようという考え方があり、他方には(旧労働省以来の)介護職を技能職と位置づける考え方があります。外国人介護労働力政策をめぐる錯綜も、この考え方の違いがいくつもの制度分立の原因になっているようです。そこで今回は、この二つの考え方の対立に注目しながら、介護労働力をめぐる政策の流れを概観したいとおもいます。
 1987年5月に成立した社会福祉士・介護福祉士法は、厚生省が介護労働力を医療労働力と同じような職業資格制の下に囲い込もうとした試みでした。同法において、「介護福祉士」は「専門的知識及び技術をもつて、身体上又は精神上の障害があることにより日常生活を営むのに支障がある者につき入浴、排せつ、食事その他の介護を行い、並びにその者及びその介護者に対して介護に関する指導を行うこと・・・を業とする者」と定義されています。介護の現場労働力でありつつ、その指導役でもあるという複雑な位置づけです。
 それゆえ、「専門的知識及び技術をもつて」と言いながら、資格取得に養成施設ルートのほかに実務経験ルート(試験)が設けられています。これは、制定時に家政婦団体からの反対があったためですが、名称独占はあっても業務独占ではないため、別に介護福祉士でなくても介護業務はフルに行えることとなり、専門職としての位置づけが不安定なままとなりました。
 一方労働行政では、1991年11月の介護労働に関する研究会報告が、現行の有料紹介所の家政婦をもとに労働者派遣システムの導入を示唆したのが最初です。もっともこの時は、介護労働安定センターによる支援を中心とした介護労働者の雇用管理の改善等に関する法律の制定にとどまりました。その後、医療保険制度の改正で1996年3月から個人負担による病院付添いが廃止され、民営家政婦紹介所への求人が激減するという危機感の中で、1994年7月の介護労働研究会報告は、労働者派遣法の対象業務として「病院における介護の業務」を追加することを提起しました。しかし厚生省との調整がつかず、これは実現しませんでした。その後、厚生労働省の職業安定局は、家政婦紹介所の請負事業への進出を進める方向にかじを切りました。
 一方、社会・援護局は2006年から介護福祉士のあり方及びその養成プロセスの見直し等に関する検討会と社会保障審議会福祉部会で議論を進め、翌2007年12月に社会福祉士・介護福祉士法が改正されました。これにより、すべての者は一定の教育プロセスを経た後に国家試験を受験するという形で介護福祉士の資格取得方法を一元化されました。養成施設卒業者も国家試験を受験しなければならず、卒業者は当分准介護福祉士となります。一方3年実務経験者も新たに6か月の養成課程を経て国家試験を受験できることとなります。しかしその施行は、介護人材の量的確保への懸念から2回にわたって延期され、ようやく2017年度から5年間かけて漸進的に導入することとされました。
 しかし、2019年11月から福祉部会において、介護福祉士養成施設卒業者に対する国家試験の義務付けをさらに延期することについて議論がなされました、これは後述の外国人介護人材の受入れ政策で、2016年入管法改正で「介護」の在留資格が設けられましたが、介護福祉士養成施設に入学する外国人留学生の合格率が日本人学生より相当に低いことから、喫緊の課題である介護人材の確保に対応するために経過措置を延長すべきという意見と、質の高い人材養成と介護福祉士の地位向上のため予定通り義務化すべきという意見の賛否両論がぶつかりました。結局、2020年3月に改正法案が国会に提出され、同年6月に成立し、介護福祉士養成施設卒業者への国家試験義務付けに係る経過措置がさらに5年間延長されました。
 
 こうした流れと並行して、不足する介護労働力を確保するために外国人介護労働者の受入れ政策が拡大してきています。日・インドネシア経済連携協定に基づき2008年度から、日・フィリピン経済連携協定に基づき2009年度から、日・ベトナム経済連携協定に基づく交換公文に基づき2014年度から、年度ごとに外国人看護師・介護福祉士候補者の受入れを実施しています。これは建前上は「看護・介護分野の労働力不足への対応として行うものではなく、相手国からの強い要望に基づき交渉した結果、経済活動の連携の強化の観点から実施するもの」とされていますが、技能実習制度と同様、本気にする者はいません。
 彼らは介護福祉士候補者として入国し、特定活動の在留資格で、介護施設で3年間就労するか又は養成施設で2年間就学し、介護福祉士国家試験を受けて資格を取得し、以後介護福祉士として就労するというものですが、上述の通り、養成施設卒業者への国家試験義務付けは延期され続けています。
 一方、2014年6月に閣議決定された日本再興戦略改訂2014は、外国人技能実習制度の対象職種に介護分野を追加することと、介護福祉士資格等を取得した外国人留学生の卒業後の国内における就労を可能とする在留資格の拡充を打ち出しました。これを受けて社会・援護局は同年10月から外国人介護人材受入れの在り方に関する検討会を開催し、翌2015年2月に中間まとめを行いました。そこでは、本国への技能移転という技能実習制度の建前に沿って技能実習制度に介護を職種追加するとともに、介護福祉士の国家資格取得を目的として養成施設に留学し介護福祉士資格を取得した者に新たに「介護」の在留資格を付与することとしています。
 この時期、外国人労働政策においては、法務省入国管理局と厚生労働省職業能力開発局共同で技能実習制度の見直し作業が進められており、2015年3月には単独法として技能実習法案が国会に提出され、翌2016年11月に技能実習法が制定されました。これの施行に合わせて、技能実習制度の対象職種に介護職種が追加されました。
 一方、技能実習法と束ねて国会に提出され、同時に成立した出入国管理法の改正により、同法の別表第1の2に新たに「本邦の公私の機関との契約に基づいて介護福祉士の資格を有する者が介護又は介護の指導を行う業務に従事する活動」として「介護」という在留資格が追加されました。この場合、まず「留学」の在留資格で入国し、養成施設で2年以上就学して介護福祉士の資格を取得し(上述の通り現時点ではまだ国家試験受験は義務付けられていません)、そこで「介護」の在留資格にスイッチして、介護福祉士として就労することになります。
 さらに、2018年2月の経済財政諮問会議で外国人労働政策を大きく見直す方針が打ち出され、同年6月に閣議決定された「骨太の方針」には、新たな労働を目的とする在留資格の創設が明記されました。その後同年11月には法務省が入管法改正案を国会に提出し、翌12月に成立しました。これにより、入管法別表第1の2に「特定技能」という新たな在留資格が設けられました。同月には特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針が閣議決定され、具体的な受入れ分野として、介護業を含む14業種が定められました。
 こうして現在では、外国人介護労働力として4種類の仕組みが設けられていることになります。EPAと「介護」の在留資格は介護福祉士という専門職としての位置づけに基づき、技能実習と特定技能における介護は技能職という位置づけです。そして、専門職であるはずの「介護」在留資格の現実との乖離が、国内法における介護福祉士の専門職としての位置づけを完遂することを困難ならしめているというまことに複雑怪奇な関係です。

 

大沢真理『企業中心社会を超えて』

521338_20200819084301 岩波書店編集部の藤田紀子さんより、大沢真理『企業中心社会を超えて』(岩波現代文庫)をお送りいただきました。

今月初めに、たまたま岩波のサイトを見ていて、本書が文庫として再刊されることを知り、本ブログにこういう記事を書いたのが、藤田さんのお目にとまったようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-180a3a.html

大澤真理さんの『企業中心社会を超えて 現代日本を〈ジェンダー〉で読む』が、岩波現代文庫に収録されるんですね。本書は1993年に刊行されたほぼ一世代前の本ですが、働く女子の運命を最も的確に論じた名著として、長く読み継がれるに値する本です。文庫収録を機に、また多くの方に読まれることを願っています。 

そこでも書いたように、拙著『働く女子の運命』の基本枠組は、腰巻きにでかでかと顔の載っている上野千鶴子さんではなく、大澤さんのまさに本書の議論そのものなんですね。

冒頭にでてくるのが宮沢内閣の生活大国5か年計画というくらい、一世代昔の古い本でありながら、今日に至る日本社会の根っこの問題を最も的確に摘出していた本でもあります。

拙著の枠組になった一節は上記エントリで引用しましたが、今回の文庫化でかなり長い「なにを明らかにし、どう歩んだか」という「あとがきにかえて」が付けられており、これもまさに「あとがきに替える」だけの中身になっており、本書出版以後の30年間をざっくりと描写し、評価する内容になっています。

・・・では低成長は、会社主義が崩れ、企業中心社会が緩和されたことを示唆するのだろうか。「新時代の日本的経営」とは、女性社員や非正規従業員に対する差別を排し、過労死問題を払拭するようなものなのか。社会全体として、労働における負担と見返りの性別格差も解消されてきたのだろうか。そして、政府の税・社会保障制度や労働政策は再構築されたのか。・・・

あと、今回の文庫化で付け加えられているのが、「社会政策の比較ジェンダー分析とアジア」という付論ですが、これ実は、本書のもとになった東大社研の『現代日本社会』の一論文の執筆経緯を明かしていて、それが当時の(東大社研を中心とする)「会社主義」論者のジェンダーバイアスを暴露しようというものになっていて、なかなか面白い。

・・・しかし。「女子労働論」は会社主義の論者たちからほとんど無視されていた。・・・それは特殊な周辺領域であるばかりでなく、学問的水準が低いという「烙印」を押されていた。能力と意欲ある若手研究者なら社会の「基軸」、「一般」の研究を目指すものだという指導、誘導が暗黙のうちにも行われていた。基軸や一般として研究される対象が実は男性だけであるにもかかわらず、である。

私の論文は、雇用労働と家事労働を貫く性別分業こそが、会社主義-のちの用語では、「企業中心社会」-の基盤であることを主張した。この論文への批判的な反応として、現代日本社会を分析する上で、「女性の不在」は当然だという主張があった。・・・他方では、理由はともかく、女性を明示的に論じる必要はない、などの反論もあった。・・・私は、アカデミック・セクシズムが現に作用していることを実感した。それは、たんに女性研究者に対するセクシュアル・ハラスメントや就職差別などとしてではなく(それらはもちろん深刻で大きな問題だが)、大きな共同研究のデザインやそれに伴う人的・資金的な研究資源の配分のジェンダー・バランスとしてこそ存在していたのだ。

そこでしかし、大澤さんは、「自分の研究を女性学と称するのは避け」、労働問題や社会政策の根幹をジェンダー視点で再構築するという道を歩んでいくことになります。その第一歩を踏み出した記念碑的作品が本書というわけです。

2020年8月18日 (火)

マルクス主義と中華文明の共通性@潘岳

8月10日のエントリ「香港に栄光あれ(願榮光歸香港)」に、SATOさんという方がコメントをつけられていて、そこで、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-ab6a8a.html#comment-118266470

さて、今現在の中国共産党の公式見解であるところの、マルクス主義なるものがいったいどういうものかということが、たいへんよくわかるコラムを発見したので紹介させてください。
 今現在(2020/08/18)、中国政府の日本語広報誌である雑誌「人民中国」のweb版のトップページから入ると「潘岳・中国を語る」というコラムが掲載されています。著者の潘岳氏は、歴史学博士で中央社会主義学院第一副院長、共産党中央委員会候補とのこと。 

という情報を提供されていますので、さっそく見に行ってみました。

http://www.peoplechina.com.cn/zlk/pyjd/202005/t20200525_800207206.html(「中国の統治」解読(3) マルクス主義と中華文明の共通性)

西洋で誕生したマルクス主義は20世紀初めに中国に伝わり、共産主義実現を理想・信念とする中国共産党を生んだ。その後1世紀近い歳月の中で、中国共産党は創造的にマルクス主義と中国の国情を結び付け、人々の解放と国家の独立を勝ち取った。また、民族の復興に向けて絶えず前進し、マルクス主義の中国化に基づく中国の特色ある社会主義の道を切り開くことに成功した。 

マルクス主義がどういうふうに「中国化」したのかというと、

マルクス主義は当初、主に民族解放の思想的武器として中国の進歩的な考えを持った人々に受け入れられた。中国共産党も愛国救亡運動と民族解放運動を通じて歴史の舞台に立った。「中華民族」を合い言葉とし、「社会主義」を目的としたからこそ、初めて中華文明の「大一統」(全国の統一)の枠組みを維持でき、社会の繁栄と安定、国家の長期的な太平を実現できた。 ・・・

いやはや、中国化したマルクス主義とは「民族解放」であり、「愛国救亡」であり、「中華民族」であり、果ては「中華文明の「大一統」」なんですね。徹頭徹尾中華ナショナリズムを支える思想的武器であって、19世紀半ばにトリーアで生まれたユダヤ系ドイツ人のひげのおっさんとはほとんど重なり合うところはなさそうな感じですが、それでもそれは断固としてマルクス主義でなければならないんでしょう。

それをどのように理屈づけようとしているか、中華風の理屈膏薬がどれくらい着きの良い代物かどうかを、じっくり読んでみましょう。

マルクス主義の統一戦線原理と中華の民本主義の伝統には共通性がある。プロレタリア革命運動の主体は必ず人民大衆であり、人民大衆であるほかないとマルクス主義は考える。中華文明にはもともと「民は惟れ邦の本なり、本固ければ邦寧し」という民本主義の伝統があり、団結できる勢力を団結させ、敵対勢力を分裂させて弱める統一戦線の計略を主張してきた。両者の結合は、なぜどのように統一戦線を組むのかという基本的な問題に答えている。

 マルクス主義の民主観と中華文明の協商・共治の伝統には共通性がある。マルクス主義の民主理論は「民主制の中では、国家制度自体は一種の規定、すなわち人民の自己規定としてのみ現れる」と考える。中華文明には長きにわたる「協商・共治」の伝統があり、上層では君主と宰相が天下を「共治」し、末端では地方の名士が自治を「協商」する。両者の結合は中国独特の協商民主の形式をつくり、「皆のことは皆で話し合う」という人民民主主義の真髄を浮かび上がらせている。

 マルクス主義の政党理論と中華文明の伝統的な政治倫理には共通性がある。レーニンは国家政権において社会主義多党制を実行する構想を初めて打ち出した。中華文明は、さまざまな政治勢力が「協商・共治」し、「大一統」の政治的枠組みを維持する実践の伝統を持つだけでなく、「家国同構」(組織構造で家族と国が共通性を持つこと)の原理に基づいて強大な「権力と責任の一致」という政治責任倫理を形成した。両者の結合は、中国の新型政党制度の基本的特徴である、一党が執政し多党が政治に参加し、執政と政治参加という共治の特徴を際立たせ、指導と協力の有機的な統一を実現したことを説明している。

 マルクス主義の宗教理論と中華文明の政治と宗教の伝統には共通性がある。マルクス主義の宗教観は教会と国家の分離を主張し、宗教が国家行政や司法、教育に干渉することを許さない。中国はもともと「多様なものが友好的に行き来し、政治を主とし宗教を従とする」という政教関係を主張している。外来宗教がどれだけ優勢かにかかわらず、およそ中国に入るには中華文明に融合しなければならない。両者の結合により、中国の特色ある新型政教関係が生まれた。その本質は宗教と社会主義社会が互いに適応する広さと深さを絶えず向上させることだ。その方向性は社会主義核心価値観によって宗教の中国化を導くことだ。

 マルクス主義の新経済政策と中国の経済統治の伝統には共通性がある。マルクスは人が人を搾取する私有制をなくすことを打ち出したが、個人の財産をなくさなければならないとは主張しなかった。レーニンは新経済政策を打ち出し、資本主義の力を十分に引き出して利用し、社会主義の生産発展の環境を整えた。中国には長きにわたる「国家本位」の経済統治の伝統がある。両者の結合の結果、中国は社会主義の経済構造全体における非社会主義的な経済成分の地位を弁証法的かつ歴史的に把握し、公有性を主体とし多種所有制経済の共同発展を堅持する基本的な経済制度を確立した。

 マルクス主義の民族理論と中国の民族統治の伝統には共通性がある。民族の大小を分けず、発展レベルの高低を分けず、一律に平等で、平等の基礎の上でのみ団結を実現できるとマルクス主義の民族観は考える。中国の歴史上の統一王朝はその土地の状況に応じて適切な措置を取り、風俗習慣に基づいて統治する一連の民族統治システムをつくり出し、中華民族の多元一体構造を絶えず強固にし発展させた。両者の結合により、中国の特色ある新型民族関係が生まれ、「民族区域自治制度」が実施された。

 マルクス主義の共産主義構想と中国の天下の理念には共通性がある。共産主義社会は「自由な人々の連合体」で、「真の共同体」だ。中華文明には非常に早くから「修身斉家治国平天下」「万邦を協和せしむ」「世界大同」の理念があった。両者の結合により、「人類運命共同体」という全く新しい国際秩序の理念が生まれ、それによって文明の交流が文明の壁を超越し、文明の相互参考が文明の衝突を超越し、文明の共存が文明の覇権を超越した。

 つまり、マルクス主義は理論と実践の二重の品格を兼ね備えている。マルクス主義と中国の伝統、中国の国情の結合により、中国の特色ある社会主義の道はしっかりした発展の土壌、強力な発展の原動力を持ち、依然として「生きたマルクス主義」になっている。中国の革命、建設、改革、復興の歴史はまさにマルクス主義の中国化の歴史だ。中国の特色ある社会主義の道は理論的法則と実践的法則の高度な統一であり、事実によって証明され、広々とした前途を持つ唯一の正しい道なのだ。 

いやひゃ、凄いの一言に尽きます。感動の嵐に包まれますね。

SATOさんの感想は次の通りでした。

特定の社会・文化・歴史的環境をもとにして成立した思想を、全く別の歴史・文化的環境にある社会に移し替えると、オリジナルなものとは似ても似つかないものとなる、という典型的な実例だと思います。
 泉下のマルクス先生も中国共産党に自分の銅像を建てられるという拷問だけは、勘弁してもらいたいと思っておられることでしょう。 

いやいや勘弁してもらいたいどころか、わざわざひげのおっさんの故郷に行ってでかい銅像をぶっ立てていますよ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/200-994a.html(マルクス200年で中国が銅像っていう話)

K10011428521_1805060816_1805060920_ いやもう、話が二重、三重、四重くらいにねじれて、何をどう語ったらいいのかよくわからないくらいあまりにも奇怪すぎてまっとうに見えさえする話題が載ってました。マルクス生誕200年記念に、中国が、ドイツのトリーアにマルクスの銅像を寄贈したそうです。・・・・ 

いやしかし、かつての毛沢東時代の(まあ、それもマルクスの思想とは似ても似つかぬものだという批判が妥当だとは思いますが)少なくともやっている当人たちの主観的意識においてはマルクスとレーニンの思想にのっとって共産主義を実現すべく一生懸命頑張っていた時代の中国ならいざ知らず、日本よりもアメリよりも、言うまでもなくマルクスの祖国ドイツよりもはるかに純粋に近い(言い換えればむき出しの、社会的規制の乏しい)資本主義社会をやらかしておいて、それを円滑にやるための労働運動や消費者運動を押さえつけるために共産党独裁体制をうまく使っている、ある意味でシカゴ学派の経済学者が心の底から賛辞をささげたくなるような、そんな資本主義の権化みたいな中国が、その資本主義を憎んでいたマルクスの銅像を故郷に送るというのは、19世紀、20世紀、21世紀を貫く最高のブラックユーモアというしかないようにも思われます。 

ちなみに、本ブログで中国とマルクス主義の関係について書いたことが3回あります。上の「潘岳」さん(もちろん西晋の文人とは似ても似つかぬ中国共産党の御用イデオローグですが)の文章と読み比べるとまた一興というところでしょうか。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-855b.html(中国共産党はマルクス主義がお嫌い?)

フィナンシャルタイムズに「北京大学がマルクス主義研究会の閉鎖を恫喝」(Peking University threatens to close down Marxism society)という興味深い記事を載せています。・・・副題に「学生たちは労働組合権を巡る争議を支援し続ける」(Students continue to back workers in dispute over trade union rights)とあるように、これは、マルクス主義をまじめに研究する学生たちが、元祖のマルクス先生の思想に忠実に、弾圧される労働者たちの労働組合運動を支援するのが、そのマルクス主義を掲げていることになっている中国共産党の幹部諸氏の逆鱗に触れてしまったということのようです。 

いやいや、確かに、マルクス主義は厭うべき外国思想の典型なのかもしれませんね。
いまさら皮肉なことに、というのも愚かな感もありますが、一方でわざわざドイツのトリーアに出かけて行って、マルクスの銅像をぶっ立てたりしているのを見ると、なかなか言葉を失う感もあったりします。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-0e60.html(中国共産党はマルクス主義がご禁制?)

マルクス・レーニン主義は中国共産党の憲章の中に明記されているが、江蘇省南京大学の一群の学生が最近大学当局にマルクス主義読書研究会を設立したいと申請したところ、理由なく遅延され、理由を問うたところ暴力的に追い散らされた。・・・マルクス主義読書研究会の設立を求めた学生の一人である南京大学学生の胡弘菲によれば、50日前に大学に登録を申請したが、南京大学の哲学部と共産主義青年団の南京大学委員会によって推薦された。ところが、最近1か月間申請した学生たちは平服の連中に後をつけられ、前日学生たちが大学当局の本部に行き、南京大学党委員会の胡金波書記に面会を求めたところ、突然一群の身分不明の者たちが現れ、彼らを襲撃し、多くの者が負傷した。準備したチラシとバナーはすべて破壊された。。・・・
いやいや、もはや現在の中国共産党にとっては、マルクス主義などという不逞の思想はご禁制あつかいなのかもしれません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-ba65.html(中国にとってのマルクス主義-必修だけど禁制)

 共産党という名の政権党が支配する国の時代を担う若者たちに、その根本哲学を教えるという最も大事なはずの授業が、それをできるだけ教えたくないという気持ちがにじみ出るようなものであるのはなぜなのか?・・・

 本気で興味を持たせてしまうと、現在の他の資本主義国のどれよりも市場原理に制約が希薄な「社会主義市場経済」に対する批判的精神を醸成してしまうかもしれないから、わざとつまらなくつまらなく、だれもまじめにマルクス主義なんかに取り組もうと思わないようにしているんだろう、と。
5年前のこの川端さんの推測はおそらく正しいと思いますが、それだけの配慮をしていてもなお、そのこの上なくつまらないマルクス主義の授業にもかかわらず、本気でマルクス主義を勉強しようなどという不届きなことを考える不逞の輩が出てきて、共産党という名の資本家階級に搾取されているかわいそうな労働者を助けようなどという反革命的なことを考えるとんでもない若者が出てきてしまったりするから、世の中は権力者が思うように動くだけではないということなんでしょうか。

ご禁制にしたいほどの嫌な思想なのに、それを体制のもっとも根本的なイデオロギーとして奉っているふりをしなければならないのですから、中国共産党の思想担当者ほど心労の多い仕事はないように思われます。いまでもマルクス経済学は学生たちに必修科目として毎日教えられ続けているはずです。できるだけつまらなく、興味をこれっぽっちも惹かないように細心の注意を払いながら、一見まじめに伝えるべきことを伝えようとしているかのように教えなければならない。少なくとも私にはとても務まらないですね。 

こうしてみると、本心ではご禁制にしたいほど毛嫌いしている革命的なマルクスの思想を、共産党政権の正統性の根源たるご本尊として拝む屁理屈を作らなければならない党イデオロギー官僚のみなさんほど、脳みそを絞りに絞ってへとへとになる商売はこの世に外にはほとんどないように思われます。

まあ、時々、わざわざその中華ナショナリズムを断固として擁護してくれる奇特な日本人がいてくれるのがせめてもの慰めなのかもしれません。

 

大学教授は無限定正社員なのか?専門職じゃないのか?

1735551 先月、奈良学園大学の整理解雇事件の地裁判決があったようです。

https://biz-journal.jp/2020/08/post_173555.html(奈良学園大学、学部再編失敗し教員大量解雇…無効判決で1億円超支払い命令、復職を拒否)

これは、整理解雇の原因に関しては完全に学園側に問題があるケースですが、とはいえ、大学教授という職種が専門職であるならば、「会社が悪くて社員に責任がないから」という普通の無限定正社員のロジックだけで議論していい代物ではないはずです。

・・・さらに判決では、大学教員は高度の専門性を有する者であるから、教育基本法9条2項の規定に照らしても、基本的に大学教員としての地位の保障を受けることができると判断。一審の段階ではあるが、無期労働契約を締結した大学教員を一方的に解雇することはできないことを示したのだ。

その大学教授の『高度の専門性』なるものは、大学教授という地位でさえあれば、どんなに異なる専門の学部でもいいのか?という問いを逃れることはできないはずです。

本件については、全国国公私立大学の事件情報というサイトにやや詳しい情報が載っていますが、

http://university.main.jp/blog8/archives/cat128/

・・・・すなわち、本判決は、①人員削減の必要性については、ビジネス学部・情報学部の募集停止により学生らがほとんどいなくなったため教員が過員状態になったとはいえ、被告は資産超過の状態にあって、解雇しなければ経営破綻するといったひっ迫した財政状態ではなかったと判示した。また、②解雇回避努力については、原告らを人間教育学部や保健医療学部に異動させる努力を尽くしていないことや、総人件費の削減に向けた努力をしていないと判示した。さらに、③人選の合理性については、一応は選考基準が制定されてはいるものの、これを公正に適用したものとは言えないと判示した。また、④手続の相当性についても、組合と協議を十分に尽くしたものとは言えないと判示した。

この奈良地裁の判決では、大学教授の解雇回避努力義務には、ビジネス学部、情報学部の大学教授を、人間教育学部や保健医療学部に異動させる努力も尽くさないといけないかのようです。

ほんとうにそうなのか?大学教授の専門性というのは、(テレビ番組の肩書きよろしく)「大学教授」とさえ名乗れれば、ビジネスや情報でも、人間教育や保健医療でも何でもありの、その程度の専門性なのでしょうか。

L20200529304_20200818083801 実はこの問題、『ジュリスト』2020年4月号に載せた大乗淑徳学園事件の評釈で採り上げた問題です。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-e7da60.html(学部廃止を理由とした大学教授らの整理解雇――学校法人大乗淑徳学園事件@『ジュリスト』2020年4月号(No.1543))

この判決も、大学教授という地位にはやたらに固執して、事務職への配転は許されないと言うわりに、同じ大学教授でさえあればいくらでも配転せよみたいな口ぶりで、大いに問題がありました。

ただ、この大乗淑徳学園事件の場合、廃止した国際コミュニケーション学部と新設の人文学部がほとんど偽装倒産と偽装設立みたいな内容的にとても重なる事案であり、形式的に学部の名前が違うということに藉口して高齢高給の教授をまとめて解雇したような事案であり、評釈もそちらに注目しています。

・・・本件の最大の論点は国際コミュニケーション学部と入れ替わりに設置された人文学部へのXらの配置転換可能性である。なぜなら、古典的な学部配置を前提とすれば学部とは大学教授の専門性のまとまりであり、例えば法学部には法律学者がおり、理学部には物理学者がいるという状況を前提として、「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異な」り、「大学教授は所属学部を限定して公募、採用されることが一般的」であると言えようが、近年のように学部学科の在り方が多様化し、古典的学部のようには明確に専門性を区別しがたい(「国際」等を冠する)諸学部が濫立すると、必ずしも「大学は学部ごとに研究及び教育内容の専門性が異なる」とは言えなくなるからである。Xら側が国際コミュニケーション学部と人文学部に「連続性があることは明らか」と主張しているにもかかわらず、本判決はこの最重要論点を回避し、「Yのとるべきであった解雇回避措置は、Xらの同学部への配置転換に限られるものではなかったというべき」と言って済ませている。本件では国際コミュニケーション学部の高齢で高給の教授を排除して、新たな人文学部ではより若く高給でない専任教員に代替しようという意図が背後に感じられる面もあり、この論点回避は残念である。・・・

しかし、この奈良学園大学の場合、大学側の不手際で、そもそもビジネス学部、情報学部の後継学部として計画していた現代社会学部がぽしゃってしまったわけで、少なくともビジネスだの情報だのを教えて飯を食っている人がその専門で教えられるような職場はなくなってしまっているんです。

その意味で、まさに、大学教授ってのはそこらのサラリーマンと同じく、やれといわれればまったく知らないことでもほいほいと教えられるような、(地位だけは大学教授という限定はあるけれども)職務の専門性はないような、そんな存在だと、この方々は思っているんだろうか、という疑問が湧いてきます。あなたがたの、そのビジネスだの情報だのの専門性というのは、いきなり人間教育だの保健医療だのにするりと切替えられる程度の、そんなものだったのか、という問いがブーメランのように帰ってくるんだということは、されどこまで理解されているんでしょうか。

(追記)

これって、『日本の雇用と中高年』で引用した例の笑い話とパラレルかもしれません。

「部長ならできます」

「大学教授ならできます」

 

 

 

 

 

 

 

 

70歳までの高年齢者就業確保措置の具体的内容@WEB労政時報

WEB労政時報に「70歳までの高年齢者就業確保措置の具体的内容」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/login.php

去る7月31日の労政審雇用対策基本問題部会に、今年3月に改正された高年齢者雇用安定法による70歳までの高年齢者就業確保措置の具体的内容(省令、指針の案)が提示されています。この改正については、本連載第138回(今年2月25日)でやや詳しく解説したばかりですが、その中でもフリーランスやボランティアという形での就業確保については、労働者としての保護が失われることから、特に労働組合サイドから懸念の声が上がっていました。今回提示された省令や指針の案は、どの程度そうした懸念に応えるものとなっているのか、ざっと見ておきたいと思います。・・・・ 

2020年8月15日 (土)

こちらは本当に「あとがきに代えて」るんです

こういうつぶやきが目に入ったんですが、

https://twitter.com/nomikaishiyouze/status/1293925737557180416

むかし研究室の先輩が、「本の『結びにかえて』の『かえて』が嫌いなんです。替える必要ないでしょ、ちゃんと結べば良いじゃないですか」と言っていた。今日読んだ本の最終章が「結びにかえて」だったので思い出した。 

いやまあ、それはそれでごもっともなんですが、でも本当に「あとがきに代えて」、本来ならあとがきなんかではなくちゃんと本論で論じるような中身を、あとがきに持ってきているような場合には、「あとがきに代えて」と言ってもいいんじゃないでしょうか。

ていうか、実は来月早々にも刊行される濱口・海老原『働き方改革の世界史』の最後に、まさにその「あとがきに代えて」があるもので、言い訳をしたくなったんです。

働き方改革の世界史【目次】
 
序章 日本人が煙たがる「労働運動」というもの 
 
対岸の火事としての労働争議/日本の労働組合はガラパゴス的な形態をしている/協調的だが暴れ出すと手に負えない日本型の労働組合/社内調整のための仕組み/英米と欧州大陸国で異なる進化/片翼だけの労使関係の問題
 
第一章 トレードからジョブへ 
 
第1講 出発点は集合取引(コレクティブ・バーゲニング) 
シドニー&ベアトリス・ウェッブ、高野岩三郎監訳『産業民主制論』
【受講準備】会社を超えた広い連帯
【本講】労働思想の必読古典/失われた失業保険機能/集合取引とは、労働力を高く売ること/日本は生活給、イギリスは標準賃銀率/雇用の継続と日本型デフレ
 
第2講 「労働は商品じゃない」の本当の意味 
サミュエル・ゴンパーズ、S・ゴンパーズ自伝刊行会訳『サミュエル・ゴンパーズ自伝 七十年の生涯と労働運動(上巻・下巻)』
【受講準備】アメリカ労働総同盟の初代議長
【本講】アメリカ労働思想の古典と現代日本/労働組合主義から社会主義への反論/ネガティブな立法闘争/労働の大憲章/国防会議諮問委員会とILO
 
第3講 ジョブ型労働運動の哲学 
セリグ・パールマン、松井七郎訳『労働運動の理論』
【受講準備】ジョブ、ポスト、トレード
【本講】階級意識と仕事意識/ジョブ・コントロールの労働運動/先任権ルールと残業の考え方/現場労働者が作り上げ、決めていく/戦後日本との対比復習ノート1 トレード型とジョブ型 
 
第二章 パートナーシップ型労使関係という奇跡 
 
第4講 共同決定というもう一つの産業民主主義 
フリッツ・ナフタリ編、山田高生訳『経済民主主義 ― 本質・方途・目標』
【受講準備】労使関係のパラダイム・チェンジ
【本講】現代ドイツの労働システムの始祖/ナフタリって何者?/経済民主主義の源流/労働関係の民主化/教育制度の民主化
 
第5講 労使は経営共同体のパートナーシップ 
ギード・フィッシャー、清水敏允訳『労使共同経営』
【受講準備】労使双方の努力で構築
【本講】いわゆるライン型資本主義/経営パートナーシャフト―生活の安定/公正賃金/共同体のメンバーとしての従業員/組織原則の違い/フィッシャー経営学とカトリシズム
 
第6講 カトリックの労働思想 
W・E・フォン・ケテラー、桜井健吾訳・解説『労働者問題とキリスト教』
【受講準備】社会問題に切り込んだ聖職者
【本講】キリスト教と労働問題/カール・マルクスの商売敵/新たなギルドの模索 /職人組合と生産協同組合/カトリシズムというモノサシ
 
復習ノート2 ドイツ型労働システムの根幹 
 
第三章 パートナーシップなき企業内労使関係の苦悩 
 
第7講 労使パートナーシップへの淡い夢 
G・D・H・コール、和田耕作訳『労働者 ― その新しい地位と役割』
【受講準備】イギリスの消耗
【本講】今こそ読み返すべき還暦本/企業内部での経営参加を志向/日本型新卒一括採用が理想/完全雇用が必須な理由/ドイツや日本で実現した理想
 
第8講 パートナーシップなきイギリスの職場 
アラン・フランダース、岡部実夫・石田磯次共訳『イギリスの団体交渉制 ― 改革への処方箋』
【受講準備】労使関係は人間の権利と尊厳の問題
【本講】イギリス労使関係が大転換するきっかけ/事業所レベル交渉の弊害/従業員を相手にせよ/集団から個人へ
 
第9講 ジョブ・コントロール型労使関係は崩壊の一途 
バリー&アーヴィング・ブルーストーン、岡本豊訳『対決に未来はない ― 従業員参加の経営革命』
【受講準備】精勤・勤勉な労働の回復
【本講】アメリカ労働運動の中枢からアメリカ的労使関係を批判/監督はごみを拾うな/製品の品質に関心を持つな/日本のやり方に学べ/純粋メンバーシップ型宣言/挑戦は法的に頓挫
 
第10講 メンバーシップ型アメリカ企業の雌伏、栄光、挫折 
サンフォード・ジャコービィ、内田一秀・中本和秀・鈴木良治・平尾武久・森杲訳『会社荘園制』
【受講準備】外界と隔絶された共同体
【本講】非主流派、少数企業の物語/福祉資本主義の崩壊からアメリカ型内部労働市場システムへ/日本型雇用に酷似/現場管理者の権力を削ぐ/コダックの協和主義/雇用と所得、どちらが重要か/コダックと富士フイルム
 
復習ノート3 ノンユニオンという帰結 
 
第11講 労働者自主管理という理想像の逆説 
エドモン・メール、佐藤敬治訳『自主管理への道』
【受講準備】仏の労使の距離感
【本講】労働運動の思想的分裂/労働者自主管理と企業内労使関係/労働者を責任ある俳優に/あべこべの世界
 
復習ノート4 自主管理思想の理想郷とは 
 
第四章 片翼だけの労使関係 
 
第12講 従業員組合のアンビバレンツとその帰結 
藤林敬三『労使関係と労使協議制』
【受講準備】争議の現場をよく知る研究者
【本講】労使関係は二元的である/日本と欧米、最大の違い/上部団体の存在意義/第二組合がなぜ生まれるのか/組合が左傾化する背景/不可避の雰囲気闘争/妥協機関としての労働委員会/身内の争いは激しさを増す/組合を去勢する労使協議制/藤林の予言通りになった日本の労働社会
 
復習ノート5 戦後日本のパラドックス 
 
第五章 労働思想ってそういうことだったのか対談 
 
コレクティブ・バーゲニングの真相/アメリカはなぜジョブ・コントロールを確立できたか?/立法重視で行くべきか、現場を重視すべきか?/ドイツ型パートナーシャフトは奇跡の産物/労使共同経営って、いったい何をするの?/欧米に見られる日本型雇用への憧憬/日本社会に労働者代表制は取り入れられるか?
 
あとがきに代えて マルクスが入っていない理由 

ここ、8ページ分に及ぶ「あとがきに代えて」の中で、『HRmics』で連載を始めたいきさつとか、いかにもあとがきにありそうなことを書いているのは約2ページ半くらいで、残りはマルクス・エンゲルスからマルクス・レーニン主義に基づく労働運動の近年の動きまでを、なぜ本講ではマルクスやマルクス主義の古典を取り上げなかったかを説明する形で、1講起こすには足りない程度の短い分量の中にぶち込んでいるから、「あとがきに代えて」としか言いようがないんですね。

・・・・・労働思想の古典の第一回目がウェッブ夫妻というのはあまりにも常識的ですが、その後の私の選書はいささか常識外れだったのかもしれません。とりわけ、海老原さんがつけてくれた「マルクスなんてワン・オブ・ゼム」という連載時のサブタイトルにもかかわらず、本書には一冊もマルクスの本、いやマルクス主義系の本すらも収録されていないのは、いささか詐欺商法ではないかと思う人もいるかもしれません。いやもっとまじめに、マルクスこそ労働思想の最高峰なのに、それを無視するとは許し難い保守反動の書だ! と怒り心頭に発する人もいるかもしれません。
 そこで、「あとがきに代えて」、なぜマルクスの本やマルクス主義の本を本書で取り上げなかったのかをざっと説明しておきたいと思います。・・・・・・ 

「マルクスなんてワン・オブ・ゼム」じゃなくって、「マルクスなんてナン・オブ・ゼム」になっちゃったわけです。

 

低学歴を詐称することは懲戒解雇に値するが、高学歴を詐称することは雇止めにも値しない

この記事にこの上ない既視感が拭えなかったのですが、

https://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20200814/2020009440.html(神戸市職員が学歴詐称で懲戒免職)

神戸市で24年にわたって勤務を続けてきた男性職員が、大学卒業の経歴を隠し、受験資格が高校卒業までとされる職員に採用されていたことがわかり、市は、この職員を懲戒免職の処分にしました。
処分を受けたのは、神戸市水道局に所属する48歳の男性職員です。
神戸市によりますと、この職員は、受験資格が高校卒業までとされる技術職員の試験を受けて平成8年に採用され、これまで24年にわたって勤務してきました。
しかし、この職員は実際は大学を卒業していて、ことしの3月に匿名の通報で経歴を偽っていたことがわかったということです。
このため、神戸市はこの職員を14日付けで懲戒免職の処分にしました。

同じ神戸市で、同じく大卒が高卒と学歴詐称して、同じように懲戒免職になった事件がありました。それを取り上げた本ブログのエントリが、開口一番「デジャビュ感溢れる」というくらい、この話題はデジャビュの塊なんですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-0f34.html(大は高を兼ねない)

こういう大変デジャビュ感溢れる記事がありました。

https://www.asahi.com/articles/ASLCV7TT1LCVPIHB02B.html(「大卒なのを高卒」と詐称 神戸市の男性職員を懲戒免職)

大卒なのを高卒と学歴詐称し、そのまま長年勤務していたなどとして、神戸市は26日、定年後に再任用されていた経済観光局の男性事務職員(63)を懲戒免職処分とし、発表した。・・・

112483労働法クラスタにとっては懐かしい判例があります。拙著『日本の雇用と労働法』の101ページのコラムから。

【コラム】学歴詐称

 採用に当たり学歴詐称が問題になることは洋の東西を問いません。ただし、欧米のジョブ型社会で学歴詐称といえば、低学歴者が高学歴を詐称することに決まっています。学歴とは高い資格を要するジョブに採用されるのに必要な職業能力を示すものとみなされているからです。日本でもそういう学歴詐称は少なくありません。しかしこれとは逆に、高学歴者が低学歴を詐称して採用されたことが問題になった事案というのは欧米ではあまり聞いたことがありません。
 新左翼運動で大学を中退した者が高卒と称してプレス工に応募し採用され、その後経歴詐称を理由に懲戒解雇された炭研精工事件(最一小判平3.9.19労判615-16)の原審(東京高判平3.2.20労判592-77)では、「雇用関係は労働力の給付を中核としながらも、労働者と使用者との相互の信頼関係に基礎を置く継続的な契約関係」であるから、使用者が「その労働力評価に直接関わる事項ばかりでなく、当該企業あるいは職場への適応性、貢献意欲、企業の信用の保持等企業秩序の維持に関係する事項についても必要かつ合理的な範囲で申告を求めた場合には、労働者は、信義則上、真実を告知する義務を負」い、「最終学歴は、・・・単に労働力評価に関わるだけではなく、被控訴会社の企業秩序の維持にも関係する事項」であるとして、懲戒解雇を認めています。大学中退は企業メンバーとしての資質を疑わせる重要な情報だということなのでしょう。
 これに対して中部共石油送事件(名古屋地決平5.5.20労経速1514-3)では、税理士資格や中央大学商学部卒業を詐称して採用された者の雇止めに対して、それによって「担当していた債務者の事務遂行に重大な障害を与えたことを認めるに足りる疎明資料がない」ので、「自己の経歴について虚偽を述べた事実があるとしても、それが解雇事由に該当するほど重大なものとは未だいえない」としています。低学歴を詐称することは懲戒解雇に値するが、高学歴を詐称することは雇止めにも値しないという発想は、欧米では理解しにくいでしょう。

まことに、日本型学歴社会というのは、「低学歴を詐称することは懲戒解雇に値するが、高学歴を詐称することは雇止めにも値しない」という、摩訶不思議な学歴社会なんですね。

今回の件で、

神戸市水道局は、「このような行為は公務員の信頼性を損なうものであり、大変申し訳ありません」とコメントしています。

というくらいだから、少なくとも神戸市にとっては、大卒のくせに高卒と学歴を下方に詐称するようなことは、懲戒免職という極刑に値するほど「公務員の信頼性を損なう」ことと考えられていることは間違いありません。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-3752.html

なんだか、大学中退すると言っている学生さんが話題のようですが、こういうのを見ていると、嗚呼、日本はほんとに学歴社会じゃないんだなあ、と感じます。

欧米ジョブ型社会では、基本的に学歴とは職業資格であり、その人間の職務遂行能力であると社会的に通用する数少ない指標です。なので、学歴で人を差別することがもっとも正当な差の付け方になります。

他の差の付け方がことごとく差別だと批判されるポリティカリーコレクトな世界にあって、ほとんど唯一何の疑いもなく堂々と人の扱いに差をつけられる根拠が、職業資格であり、職務遂行能力のまごうことなき指標たる学歴だからです。

みんなが多かれ少なかれ学歴そのものを直接の能力指標とは思っておらず、人間の能力ってものは学歴なんかじゃないんだよ、という言葉が半ば本音の言葉として語られ、そうはいってもメンバーとして受け入れるための足切りの道具としては使わざるを得ないねえ、と若干のやましさを感じながら呟くような、この日本社会とは全く逆です。

欧米での観点からすればあれもこれもやたらに差別的でありながらそれらに大変鈍感な日本人が、なぜか異常に差別だ差別だと数十年間批難し続けてきた学歴差別という奴が、欧米に行ってみたらこの世でもっとも正当な差の付け方であるという落差ほど、彼我の感覚の差を語るものはないでしょう。

そういう、人間力信仰社会たる日本社会のどろっとした感覚にどっぷりつかったまま、妙に新しがってかっこをつけようとすると、こういう実は日本社会の本音のある部分を局部的に取り出した歪んだ理想主義みたいな代物になり、それがそうはいってもその人間力というものをじっくりとつきあってわかるようになるために学歴という指標を使わないわけにはいかないんだよキミ、という日本社会の本音だけすっぽりと取り落としてしまうことになるわけです。

(追記)

ちなみに、よく知られていることですが、「大学中退」が、すなわち最終学歴高卒が、大卒よりも、況んや大学院卒なんかよりもずっとずっと高学歴として高く評価されている職場があります。

日本国外務省です。

日本国政府の中枢に、大学4年までちゃんと勉強してディプロマをもらった人よりも、外交官試験にさっさと合格したので大学3年で中退しためにディプロマを持たない人の方が、より優秀でより偉い人と見なされる組織が厳然として存在している(いた)ということにも、日本社会における『学歴』の意味が現れているのでしょう。

そして、それを見て、なるほど学歴なんか何の意味もないんだ、卒業するより中退した方が偉いんだと思って、自分の『能力』を証明する何もないままうかつに中退なんかすると、もちろん地獄が待ているわけですが。

 

 

2020年8月14日 (金)

これからのテレワークでの働き方に関する検討会

夏真っ盛りの来週月曜日に第1回目の会合が開かれる「これからのテレワークでの働き方に関する検討会」の資料が、厚生労働省のHPに既にアップされています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_12991.html

1.目的
今回の新型コロナウイルス感染症対策として、これまでにない規模でテレワークが実施されることとなった。今回の経験からは、働き方の観点から、テレワークの際の労働時間管理の在り方や社内コミュニケーションの不足への対応など、様々な検討課題も見えてきているところである。
このため、労働者が安心して働くことのできる形で良質なテレワークを進めていくことができるよう、適切な労務管理を含め、必要な環境整備に向けた検討を進めるため、「これからのテレワークでの働き方に関する検討会」を開催する。
2.検討項目
(1)テレワークを行う上での課題について
(2)当該課題に対する対応方針の検討について

風神 佐知子 慶應義塾大学商学部准教授
川田 琢之 筑波大学ビジネスサイエンス系教授
小西 康之 明治大学法学部教授
小豆川 裕子 日本テレワーク学会副会長
竹田 陽子 東京都立大学経済経営学部教授
萩原 牧子 リクルートワークス研究所 調査設計・解析センター長
濱口 桂一郎 労働政策研究・研修機構労働政策研究所長
守島 基博 学習院大学経済学部経営学科教授・一橋大学名誉教授
(オブザーバー)
総務省
経済産業省
国土交通省 

検討課題は:

○ テレワークの際の労働時間管理の在り方
○ テレワークの際の作業環境や健康状況の管理・把握、メンタルヘルス
○ テレワークの対象者を選定する際の課題
○ その他、テレワークの実施に際しての労務管理上の課題

世界的に新型コロナで一斉にステイホーム型の在宅勤務が急激に拡大したのが直接のきっかけですが、むしろ数年前から新たな情報通信革命の中で、ILOとEU労働研究機構の共同研究報告書のタイトルどおり、「working anytime, anywhere」(いつでもどこでも働く)という社会が到来しつつあることにより、モバイルオフィス、あるいはバーチャルオフィス型のテレワークが注目されつつあるのが世界の動向です。

その辺、両にらみで見ていく必要があるのでしょう。

 

日弁連会長はいかなる意味でも被用者ではないのになぜ厚生年金に入らないといけないのか?

この記事を見て、なんかおかしいなと思いませんでしたか?

https://www.sankei.com/affairs/news/200811/afr2008110023-n1.html(〈独自〉日弁連会長らも厚生年金未加入)

神奈川県弁護士会の会長が厚生年金の加入漏れを年金事務所に指摘された問題で、日本弁護士連合会(日弁連)の会長らも日弁連から報酬を受けながら、厚生年金に加入していないことが11日、日弁連への取材で分かった。厚生労働省は「法人から報酬を得ていれば社会保険に加入しなければならない」としており、日弁連は「対応を検討したい」としている。・・・ 

担当者によると、会長らは加入義務のある「使用されるもの」に該当しないと考えられていた上、自身の事務所の業務も続けており、任期中だけ厚生年金に入る対応はとらなかったとみられる。

厚労省年金局の担当者は「法人の代表でも、法人組織と使用関係があり労働の対価で報酬を得ていれば、厚生年金に加入する義務がある」と指摘。期間が限定的でも「免除する決まりはない」としている。・・・

常識で考えれば、年金保険は被用者用の厚生年金保険と非被用者用の国民年金からなる、ということのはずなんですが、そのどちらも現実は大きくねじ曲がっています。

その一つが、今や国民年金の4割以上がれっきとした被用者である非正規労働者であることですが、もう一つの原則からの乖離が、今回問題となっている、いかなる意味でも被用者ではない法人代表者の厚生年金加入です。

これって要するに、本来の被用者/非被用者の二分法を、島耕作モデルに沿ってねじ曲げているわけです。ヤング島耕作から始まって、係長島耕作、課長島耕作、部長島耕作までは雇われている被用者なので厚生年金保険、取締役島耕作、常務島耕作、専務島耕作、社長島耕作は雇う側の非被用者なので国民年金、でなければおかしいはずのところを、同じ出世街道の前の方と後の方だからということで、厚生年金に入れている。健康保険も同じです。

Jilptnenkin このやり方について、私は『年金保険の労働法政策』の中でこう述べましたが、

https://www.jil.go.jp/institute/rodo/2020/documents/013.pdf

労働法上は明確に「使用される者」である短時間労働者を労使折半で保険料を負担する社会保険から排除しておきながら、明確に「使用する者」である法人の代表者や業務執行者についてはその保険料の半分を法人の負担とすることを認めているこの運用には、非正規労働者は企業メンバーたる「社員」から排除しつつ、労働者たらざる企業経営者は企業メンバーたる「社員」に含めて考える戦後日本の会社共同体思想の強い影響が窺われます。

サラリーマン上がりの社長たちにとっては大変ありがたみのあるこの特例措置が、そもそも自営業者であって、その業界団体のトップに就いただけの人にまで適用されてしまうということから、こういうおかしな悲喜劇が生み出されてしまうわけですね。

つうか、そもそも論を少しも考えずに平べったくケシカランしか言えないのって情けなくないか。せめてこれくらい深みのあること言ってみたらどうかと思うけどね。

2020年8月13日 (木)

『課長島耕作』は歴史漫画

100000048350001 こういうつぶやきがありましたが、

https://twitter.com/EliteLumpen/status/1291329373568512000

最近『課長島耕作』読み始めたんだがもはや歴史漫画。時代設定は団塊世代と昭和バブル。女は男性社員の結婚相手として採用されて主な仕事はお茶くみとコピーで25歳までに寿退社するという世界観。更に「こうすれば女とやれる」的ホイチョイ指南要素が加わって歴史的資料として極めて価値の高い書物。

26184472_1_20200813221101 そういえば、6年前の『日本の雇用と中高年』の中で、日本型雇用システムにおける「管理職」なるものがいかなる意味でも管理をする職種をさす概念なんかではないことの例証として『課長島耕作』を取り上げておりました。

・・・・・では日本型雇用システムにおいて管理職とは何なのか?その答えは読者の方が重々ご承知ですよね。少なくとも、上の笑い話をみておかしさがわかった人は知っています。それは、長年平社員として一生懸命働いてきた人にご褒美として与えられる処遇であり、一種の社内身分なのです。だから、その会社を離れた後で、面接で「部長ならできます」というのが笑い話になるわけです。
 そして、この感覚が21世紀になってもほとんど変わっていないことは、ごく最近の2010年になっても『7割は課長にさえなれません』(城繁幸、PHP新書)などというタイトルの本が売れていることからも証明されます。少なくともこの本の読者たちにとって、課長というのが職種ではなく社内身分であることはあまりにも自明のことなのでしょう。
 こうした管理職に対する感覚をよく示しているのが、ベストセラーコミックの『課長島耕作』シリーズです。企業主義の時代まっただ中の1984年に初芝電器の係長として始まり、長く課長を勤めた後、90年代には部長に昇進、21世紀には取締役、常務、専務、社長を経て、会長になっていくというサラリーマンのサクセスストーリーです。回想編として近年「ヤング島耕作」「ヤング島耕作主任編」「係長島耕作」もあります。法律的には単なる労働者から管理職を経て労働者ではない経営陣に至るまでが一本のキャリアパスとして描かれているところが、いかにも日本型雇用システムを体現しています。日本の「正社員」は管理職でなくても企業のメンバーとしての性格を分け持っており(「社員」!)、平社員から中間管理職、上級管理職に至るまで、連続的に管理職的性格が高まっていくのです。
 こういう感覚を前提とすれば、ヤング島耕作=平社員、ミドル島耕作=管理職、シニア島耕作=経営陣という年齢と社内身分の対応はあまりにも当たり前なのでしょう。3つの「ミドル」が重ね焼きできる感覚の源泉がここにあります。そして、「部長ならできます」が笑い話として消費される理由も。管理職がいかなる意味でも職種ではあり得ない世界です。・・・・

2014年5月に刊行した本なので、島耕作の出世街道は会長までと書いていましたが、周知のとおり、その後『相談役島耕作』にまで行きつき、また回想編も『学生島耕作』だの『就活編』まで出てきて、まあ完璧に(この種の男性サラリーマンにとっての)古き良き時代の人生行路すごろく大系となっておりますな。

ちなみに、「女は男性社員の結婚相手として採用」という点についても、本書でこう述べておりました。

・・・・・OL型女性労働モデルには、女性正社員を男性正社員の花嫁候補者的存在とみなすという側面もあります。つまり、会社は長期的メンバーシップを保障する男性正社員に、「銃後の憂いなく」24時間働いてもらえるように、安心して家庭を任せられる女性を結びつけるという機能も果たしていたわけです。女性正社員の採用基準に、「自宅通勤できること」といった職務とも人格とも直接関係なさそうな項目が含まれていたのも、花嫁候補という観点からすれば合理的であったのでしょう。
 社内結婚した女性は、結婚退職までは短期的メンバーシップで、その後は夫の長期的メンバーシップによって、会社とつながりを持ち続けます。これも一種の終身雇用かも知れません。逆に、社内結婚したのに妻が同じ会社で働き続けるなどということは、許されない雰囲気も強かったようです。
 日本人の結婚形態は、かつては親や親族などの介在する見合い結婚が中心で、その後本人同士の恋愛結婚が主流になったとされています。それに間違いはありませんが、ある時期までその中心は社内結婚でした。自分と釣り合いのとれた相手が多く存在し、しかも企業の採用基準によって選抜されているため、配偶者選択の効率性が極めて高かったのです。男性にとっては長時間労働に追われて相手に十分な時間が割けないことが結婚への阻害要因にはなりませんし、女性にとっては同じ社内にいることで相手の出世の見込みも大体判ります。 ・・・・・

さすがに、現実の職場には結構瀰漫していたであろう、その後の時代にはセクハラと名付けられることになる当時はまだ問題視されることのなかった「「こうすれば女とやれる」的ホイチョイ指南要素」は、本書では正面から取り上げておりません。

 

 

労働問題としてのセックスワーク@『国際比較労働法・労使関係雑誌』

最近も、藤田孝典さんがツイッター上で風俗産業就業者をめぐっていろいろと論争しているそうです。

https://twitter.com/fujitatakanori

https://twitter.com/kanameyukiko

Ijcl ここでは、もちろんその議論に加わるつもりはありませんが、セックスワークをめぐる問題は世界的にも労働法や労使関係に関わる重要な問題として議論されており、そこでの論点は日本でこの問題を論ずる人々にも何らかの参考になる可能性があると思われ、ごく最近の論文を紹介しておきます。

Bndcwrgh_400x400 クルーワーから出ている『国際比較労働法・労使関係雑誌』(International Journal of Comparative Labour Law and Industrial Relations)の最新号(2020年7月)に、エクスター大学ロースクール講師のInga K. Thiemannさんが書かれている『ドイツにおけるセックスワーク規制、反人身売買政策、及びそのセックスワーカーの労働権への影響』(Sex Work Regulation, Anti-trafficking Policy, and Their Effects on the Labour Rights of Sex Workers in Germany)という論文です。

https://kluwerlawonline.com/journalarticle/International+Journal+of+Comparative+Labour+Law+and+Industrial+Relations/36.2/IJCL2020011

This article provides an analysis of regulatory approaches to sex work, the status of sex workers’ labour rights, and the conflation of sex work and human trafficking, with reference to the example of Germany. It assesses the strengths and weaknesses of Germany’s approach to the regulation of prostitution and the ways it has been influenced by international debates challenging the status of sex work as work, as well as concerns about human trafficking. It analyses the Prostitution Act 2002 (ProstG), and the Prostitute Protection Act 2017 (ProstSchG), and their effects on the rights and working conditions of sex workers, as well as their aim of improving the safety of vulnerable sex workers and reducing the level of human trafficking and exploitation in the German sex industry. In particular, the article considers the impact of this legislation on those working in the sex industry, especially migrant women and those at risk of exploitation. Through its analysis of the existing approach to sex work in Germany, the direction of reform and the absence of a labour-rights approach to the regulation of sex work and the prevention of trafficking, the article highlights the fact that even a country that is -in principle - willing to accept sex work as work, has failed to grant labour rights to sex workers. The article argues that the Prostitute Protection Act has in some ways increased the vulnerability of sex workers rather than promoting their safety. In addition, it is argued that legislators should consider labour protection and labour rights as an alternative means of protecting sex workers, rather than (re)criminalizing aspects of sex work in the name of ‘protecting’ women by means of prohibition or control. Adopting a labour-rights approach rather than paternalistic approach would have the potential to bring about far-reaching reform of the relevant legislation both in Germany and internationally.

 

本稿はドイツの例を参照しながら、セックスワークへの規制的アプローチ、セックスワーカーの労働権の地位、及びセックスワークと人身売買の一緒くたの分析を提供する。ドイツの売春規制へのアプローチの利点と弱点及びそれが労働としてのセックスワークの地位に挑戦する国際的な議論や人身売買に関する懸念によって影響されてきたかを評価する。2002年の売春法と2017年の売春保護法及びそのセックスワーカーの権利や労働条件、その脆弱なセックスワーカーの安全を高め、ドイツセックス産業における人身売買や搾取の水準を引下げようとするその目的への影響を分析する。特に、本稿はこの立法がセックス産業で働く人々、とりわけ移民女性や搾取のリスクにさらされている人々への影響を考察する。ドイツにおけるセックスワークへの既存のアプローチ、改革の方向及びセックスワーク規制と人身売買防止への労働権的アプローチの欠如の分析を通じて、本稿は原則としてセックスワークを労働として承認しようとする国であっても、セックスワーカーに労働権を付与していないという事実を明らかにする。本稿は、売春保護法がセックスワーカーの安全を促進するよりもその脆弱性を増大させていると主張する。さらに、禁止や規制という手段により女性を“保護”するという名の下にセックスワークの諸側面を犯罪化するのではなく、立法者は労働保護と労働権をセックスワーカー保護の代替的手段として考慮すべきだと主張する。家父長制的アプローチよりも労働権的アプローチを採用することで、ドイツのみならず国際的にも意味のある広範囲の立法改革をもたらす可能性がある。

本稿でとりわけ私が関心を持ったのは、「3.2 労働権とセックス産業における雇用、自営業、偽装自営業」という節で、日本でもそうですがドイツでも恐らく世界中で、事実上諾否の自由のないセックスワーカーたちが自営業ということにさせられているケースが大変多いのですね。

・・・自営業はドイツのセックスワーカーにとって確かに選択肢ではあるが、セックス産業におけるいくつかのタイプの編成は他の産業であれば雇用とみなされるであろうカテゴリーに当てはまる。たとえば、労働時間とドレスコードを定める売春宿やサウナクラブは、指揮命令権の行使の側面を充たす。・・・

Eb5zq2avcaazoki_20200813135701 先日本ブログで紹介した『ディスガイズド・エンプロイメント』にも、風俗産業の偽装自営業は出てこないんですが、実は一人親方や傭車運転手といった伝統的な業種と並んで、けっこうな数に上っているはずです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-99cb38.html

 

 

 

 

2020年8月12日 (水)

テレワークは長時間労働の温床なのか? フランスの「つながらない権利」に学ぶ「コロナ後」の働き方@細川良

Hosokawa_20200812170101 細川良さん、最近大活躍です。先日朝日新聞でウーバー運転手の件で登場していましたが、今回はテレワークと「つながらない権利」で、弁護士ドットコムです。

https://www.bengo4.com/c_5/n_11579/

コロナ禍の外出自粛を契機に、急速に導入が進んだテレワーク。朝の満員電車など通勤に伴うストレスがなくなったと歓迎される一方で、在宅ゆえに仕事とプライベートの区別があいまいになり、長時間労働を助長しかねないといった課題も浮き彫りになっている。

スマートフォンでのメールチェックなど、いつどこにいても仕事関連の情報にアクセスできる状態に置かれていることもその一因だろう。フランスでは2016年、労働者の「つながらない権利」が立法化され、勤務時間外のアクセス制限など、企業ごとに長時間労働を防ぐ具体的なルールづくりが進んでいる。

労働法の専門家で「つながらない権利」にくわしい青山学院大学法学部の細川良教授に、テレワークの導入で変わりつつある日本人の働き方を念頭に、今後あるべきルールについて聞いた。(ライター・鳥成有佳子)

彼が何を喋っているかはリンク先で是非。

 

2020年8月11日 (火)

自営業者の社会的保護@『Work & Life 世界の労働』2020年第4号

Worklife 日本ILO協議会の刊行する『Work & Life 世界の労働』2020年第4号に、「自営業者の社会的保護」を寄稿しました。

https://iloj.org/book.html

近年、個人請負やフリーランスといわれる労働者に類似した自営業者が注目を集めている。厚生労働省は、2017年10月から「雇用類似の働き方に関する検討会」を開催し、2018年3月に報告書をまとめた。この報告書は2018年4月に労働政策審議会労働政策基本部会に報告され、同年9月に部会報告「進化する時代の中で、進化する働き方のために」がまとめられ、翌10月に「雇用類似の働き方に係る論点整理等に関する検討会」が設置され、検討が進んでいる。一方、2020年始めから世界的に急速に蔓延しパンデミックとなった新型コロナウイルス感染症への緊急対策が続々と打ち出される中で、雇用労働者と比べた自営業者への様々な保障の手薄さがクローズアップされ、急遽子どもの通う学校の休校に伴う「小学校休業等対応支援金」が自営業者向けに設けられたが、その1日当たり4100円という額が雇用労働者の1日当たり8330円(上限)と比較して低すぎるではないかという批判(現在はそれぞれ7500円、15000円となっている。)がされたことも記憶に新しい。

 今日この問題がホットなテーマとなっているのは、いうまでもなく第4次産業革命ともいわれる急激な情報通信技術の発展により、これまで雇用契約の下で遂行されてきたさまざまな業務が、プラットフォーム経済、ギグ経済、クラウド労働等々の名称の下、法形式としては個人請負等の自営業として行われる傾向が世界的に高まってきたからである。産業革命以来の200年間、先進諸国は中長期的に継続する雇用契約を前提として、労働者保護法制や社会保障制度を構築してきた。これが逆転し、雇用契約が収縮していくとすれば、自営業として働く人々をどのように保護すべきなのか?というのが、今日世界共通に問われている問題である。・・・

 さて、今号の目次は次の通りですが、

■新型コロナが浮き彫りにした課題
●自営業者の社会的保護 濱口桂一郎
●フランスのテレワーク  〜週 2 日のテレワークが労働生産性を高める〜 村田弘美
●新型コロナウイルスと仕事の世界 ILO グローバルサミット ILO 駐日事務所
■海外労働事情
●ウクライナの労働事情〜海外出稼ぎ労働の現状と背景〜 星野裕一
●大使館勤務を通して感じたインドの労働事情についての考察 浦誠治
■新旧・ILO 駐日代表あいさつ
●新代表 高﨑真一
●退任 田口晶子
■ ILO の動き
●ILO COOP 100 ILO 創設期における協同組合に関する構想 和氣未奈
●I2020 年の児童労働反対世界デー:新型コロナウイルス流行の中で  今はより一層子どもたちを児童労働から守ろうと呼びかけ ILO 駐日事務所
■コラム  矢野弘典
■編集後記 亀岡秀人 

リクルートワークス研究所の村田さんが、フランスのテレワーク事情について書いているのが、現下の話題に即して興味深いところです。

・・・また欧州では、ドイツ、英国などが自宅で働くことを権利として保障した「在宅勤務権」について検討を始めている。本レポートでは、いち早くテレワークの権利を認めたフランスのテレワーク導入への取組みと、労働生産性との関係、日本への示唆について述べる。・・・

 

 

 

2020年8月10日 (月)

香港に栄光あれ(願榮光歸香港)

Chou_20200810232501 香港の民主活動家周庭さんらが逮捕されたという報道を見つつ、

https://mainichi.jp/articles/20200810/k00/00m/030/275000c周庭氏を逮捕 民主活動家、「雨傘運動」リーダー 国安法違反容疑で香港警察

複数の香港メディアによると、香港警察は10日、著名な民主活動家、周庭(英語名アグネス・チョウ)氏(23)を香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕した。警察は同日、民主派の香港紙「蘋果日報」などを発行するメディアグループの創業者、黎智英(れいちえい)氏(71)や同紙幹部ら7人も国安法違反などの疑いで逮捕しており、民主派への取り締まりを本格化している。・・・

9784784513680_20200810232501 本ブログでこの本を紹介したのはほんの半年ちょっと前であったことが嘘のようです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-6c78f7.html周保松・倉田徹・石井知章『香港雨傘運動と市民的不服従』

・・・それにしても、本書は何というタイミングで出版されたのでしょうか。本書はタイトル通り、5年前に香港で起こった雨傘運動について論じた本です。

その主要部分は、香港の政治思想学者であり、雨傘運動にも参加した周保松さんが昨年明治大学で行った講演録です。

おそらく本書の出版企画が始まったころは、香港が今のような状況になるなんて関係者のだれも予想すらしていなかったでしょう。

これこそ人智を超えた天のめぐり合わせというものかもしれません。・・・

その「今のような状況」が、武漢発のコロナウイルスを奇貨として、一気に現下のような状況に急転直下一変してしまうのですから、一寸先は闇というものです。

このエントリに張り付けたこの歌も、いまや香港では口にすることも禁じられた禁断の歌となってしまったようです。

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月 9日 (日)

コダックの倒産は何の教訓か?

Bed83_1238_518370fcdb0d69b870df834ff055c ちょっと前の記事ですが、経産省の中野剛志さんが、倒産したコダックと発展している富士フイルムを取り上げて、「だからジョブ型はだめなんだ、メンバーシップ型がいいんだ」という議論を展開しています。

https://news.livedoor.com/article/detail/18460029/

まあ、いつもの中野流の議論ではあるんですが、取り上げられている会社の名前が名前だけに、一言コメントしておく必要を感じました。

・・・・さて、わが国の企業は、従来、職務権限があいまいであるがゆえに、能力の低いメンバーが温存されがちだという批判がされてきた。確かに、わが国の企業は、オーディナリー・ケイパビリティ(効率性)の点では、職務権限が明確な欧米の企業に劣るのかもしれない。しかし、ダイナミック・ケイパビリティの観点からは、職務権限があいまいな「柔軟な組織」の方が、逆に有利なのである。
言い換えれば、これまでわが国の企業の弱点と見られてきた組織構造が、不確実性がニュー・ノーマルとなった世界においては、むしろ長所に転ずる可能性があるということである。・・・・ 

この記事を読めば、おそらく100人中100人までもが、コダックという会社はいかにも典型的なジョブ型の会社で、それゆえにあかんようになったという印象を持つでしょう。実際、中野さん自身もそういう先入観でもってこの記事を書いている可能性があります。

ところが、労働研究の世界でコダックと言えば、滔滔たるジョブ・コントーロール型労使関係に一人背を向けて、1920年代の福祉資本主義(ウェルフェア・キャピタリズム)の精神を断固として守り続けた会社なのです。

51w7pkhg2l かの有名なサンフォード・ジャコビーの『会社荘園制』が、アメリカの中の異端中の異端企業として取り上げたコダックこそが、「経営者という"領主"が会社という”領地”に社員を囲い込んで、安定雇用と内部昇進を保障し、手厚い給与と福利厚生を与え、会社自体を協同体にしてしまう」会社荘園制の典型例なのです。

そのコダックがあっさりとつぶれてしまったゆえんは何なのか?こそが、来月早々にも本屋さんに並ぶ予定の、濱口桂一郎・海老原嗣生『働き方改革の世界史』の第10講「メンバーシップ型アメリカ企業の雌伏、栄光、挫折」のテーマです。

第10講 メンバーシップ型アメリカ企業の雌伏、栄光、挫折 
サンフォード・ジャコービィ、内田一秀・中本和秀・鈴木良治・平尾武久・森杲訳『会社荘園制』
【受講準備】外界と隔絶された共同体
【本講】非主流派、少数企業の物語/福祉資本主義の崩壊からアメリカ型内部労働市場システムへ/日本型雇用に酷似/現場管理者の権力を削ぐ/コダックの協和主義/雇用と所得、どちらが重要か/コダックと富士フイルム

今の日本の知的状況というのは、まずきちんと物事をよく調べてじっくり考えようというよりは、まず初めに結論ありき、「ジョブ型が絶対に正しい」にしろ、「メンバーシップ型が絶対に正しい」にしろ、とにかく初めに価値観に基づく結論ありきで、それに合わせて事実を叙述したがるという浅薄な知的風潮が瀰漫していますが、そういう真の意味での知性とは正反対の風潮に疑問を感じられる方こそ、ぜひ今回の新著を読んでいただければと思います。

メリーゴーラウンドのように読者の認識と価値感を右に左に引きずり回し、安易な「これが正しい労使関係だ」に安住させないことを目指していますが、それを不快と感じる怠惰な精神の持ち主であるか、むしろ快感と感じてのめりこんでこられるか、読者自身も試される一冊です。

 

 

 

2020年8月 8日 (土)

だったら立憲国民党でいかが

なんてったって、憲政の神様こと犬養毅の政党ですよ。

20180129194308

2020年8月 6日 (木)

争議行為を伴う争議、遂に50件を切る

本日、令和元年(2019 年)労働争議統計調査の概況が発表されました(なぜかページには平成14年とありますが)。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/14-r01-08.pdf

毎年じわじわと減り続けてきた争議行為を伴う争議件数、前年の58件からついに50件台を割り込んで、49件になってしまいました。

一応、総争議件数は268件(これも激減してる)となっていますが、その差の「争議行為を伴わない争議」ってのは、要するに口先だけの争議であって、この調査では「争議行為を伴わないが解決のため労働委員会等第三者が関与したもの」と定義していますが、ストライキなどのなにがしか使用者側をチクリとでも刺すような真似は全くなく、労働委員会に駆け込んでいるだけの争議とも言えないような争議です。

つまりまともな争議は今や全国で年間50件もない社会になってしまったわけです、日本は。

なぜこんなふうになってしまったのでしょうか。

という疑問から、来月刊行予定の濱口・海老原『働き方改革の世界史』は始まります。

働き方改革の世界史【目次】
 
序章 日本人が煙たがる「労働運動」というもの 
 
対岸の火事としての労働争議/日本の労働組合はガラパゴス的な形態をしている/協調的だが暴れ出すと手に負えない日本型の労働組合/社内調整のための仕組み/英米と欧州大陸国で異なる進化/片翼だけの労使関係の問題
 
第一章 トレードからジョブへ 
 
第1講 出発点は集合取引(コレクティブ・バーゲニング) 
シドニー&ベアトリス・ウェッブ、高野岩三郎監訳『産業民主制論』
【受講準備】会社を超えた広い連帯
【本講】労働思想の必読古典/失われた失業保険機能/集合取引とは、労働力を高く売ること/日本は生活給、イギリスは標準賃銀率/雇用の継続と日本型デフレ
 
第2講 「労働は商品じゃない」の本当の意味 
サミュエル・ゴンパーズ、S・ゴンパーズ自伝刊行会訳『サミュエル・ゴンパーズ自伝 七十年の生涯と労働運動(上巻・下巻)』
【受講準備】アメリカ労働総同盟の初代議長
【本講】アメリカ労働思想の古典と現代日本/労働組合主義から社会主義への反論/ネガティブな立法闘争/労働の大憲章/国防会議諮問委員会とILO
 
第3講 ジョブ型労働運動の哲学 
セリグ・パールマン、松井七郎訳『労働運動の理論』
【受講準備】ジョブ、ポスト、トレード
【本講】階級意識と仕事意識/ジョブ・コントロールの労働運動/先任権ルールと残業の考え方/現場労働者が作り上げ、決めていく/戦後日本との対比復習ノート1 トレード型とジョブ型 
 
第二章 パートナーシップ型労使関係という奇跡 
 
第4講 共同決定というもう一つの産業民主主義 
フリッツ・ナフタリ編、山田高生訳『経済民主主義 ― 本質・方途・目標』
【受講準備】労使関係のパラダイム・チェンジ
【本講】現代ドイツの労働システムの始祖/ナフタリって何者?/経済民主主義の源流/労働関係の民主化/教育制度の民主化
 
第5講 労使は経営共同体のパートナーシップ 
ギード・フィッシャー、清水敏允訳『労使共同経営』
【受講準備】労使双方の努力で構築
【本講】いわゆるライン型資本主義/経営パートナーシャフト―生活の安定/公正賃金/共同体のメンバーとしての従業員/組織原則の違い/フィッシャー経営学とカトリシズム
 
第6講 カトリックの労働思想 
W・E・フォン・ケテラー、桜井健吾訳・解説『労働者問題とキリスト教』
【受講準備】社会問題に切り込んだ聖職者
【本講】キリスト教と労働問題/カール・マルクスの商売敵/新たなギルドの模索 /職人組合と生産協同組合/カトリシズムというモノサシ
 
復習ノート2 ドイツ型労働システムの根幹 
 
第三章 パートナーシップなき企業内労使関係の苦悩 
 
第7講 労使パートナーシップへの淡い夢 
G・D・H・コール、和田耕作訳『労働者 ― その新しい地位と役割』
【受講準備】イギリスの消耗
【本講】今こそ読み返すべき還暦本/企業内部での経営参加を志向/日本型新卒一括採用が理想/完全雇用が必須な理由/ドイツや日本で実現した理想
 
第8講 パートナーシップなきイギリスの職場 
アラン・フランダース、岡部実夫・石田磯次共訳『イギリスの団体交渉制 ― 改革への処方箋』
【受講準備】労使関係は人間の権利と尊厳の問題
【本講】イギリス労使関係が大転換するきっかけ/事業所レベル交渉の弊害/従業員を相手にせよ/集団から個人へ
 
第9講 ジョブ・コントロール型労使関係は崩壊の一途 
バリー&アーヴィング・ブルーストーン、岡本豊訳『対決に未来はない ― 従業員参加の経営革命』
【受講準備】精勤・勤勉な労働の回復
【本講】アメリカ労働運動の中枢からアメリカ的労使関係を批判/監督はごみを拾うな/製品の品質に関心を持つな/日本のやり方に学べ/純粋メンバーシップ型宣言/挑戦は法的に頓挫
 
第10講 メンバーシップ型アメリカ企業の雌伏、栄光、挫折 
サンフォード・ジャコービィ、内田一秀・中本和秀・鈴木良治・平尾武久・森杲訳『会社荘園制』
【受講準備】外界と隔絶された共同体
【本講】非主流派、少数企業の物語/福祉資本主義の崩壊からアメリカ型内部労働市場システムへ/日本型雇用に酷似/現場管理者の権力を削ぐ/コダックの協和主義/雇用と所得、どちらが重要か/コダックと富士フイルム
 
復習ノート3 ノンユニオンという帰結 
 
第11講 労働者自主管理という理想像の逆説 
エドモン・メール、佐藤敬治訳『自主管理への道』
【受講準備】仏の労使の距離感
【本講】労働運動の思想的分裂/労働者自主管理と企業内労使関係/労働者を責任ある俳優に/あべこべの世界
 
復習ノート4 自主管理思想の理想郷とは 
 
第四章 片翼だけの労使関係 
 
第12講 従業員組合のアンビバレンツとその帰結 
藤林敬三『労使関係と労使協議制』
【受講準備】争議の現場をよく知る研究者
【本講】労使関係は二元的である/日本と欧米、最大の違い/上部団体の存在意義/第二組合がなぜ生まれるのか/組合が左傾化する背景/不可避の雰囲気闘争/妥協機関としての労働委員会/身内の争いは激しさを増す/組合を去勢する労使協議制/藤林の予言通りになった日本の労働社会
 
復習ノート5 戦後日本のパラドックス 
 
第五章 労働思想ってそういうことだったのか対談 
 
コレクティブ・バーゲニングの真相/アメリカはなぜジョブ・コントロールを確立できたか?/立法重視で行くべきか、現場を重視すべきか?/ドイツ型パートナーシャフトは奇跡の産物/労使共同経営って、いったい何をするの?/欧米に見られる日本型雇用への憧憬/日本社会に労働者代表制は取り入れられるか?
 
あとがきに代えて マルクスが入っていない理由 

 

 

ジョブ型にすれば解決するのか?@『Works』161号

1281693164_o リクルートワークス研究所の『Works』161号は「オンライン元年」が特集です。墨痕淋漓の表紙ですが、記事にもいちいち筆文字が出てきます。

https://www.works-i.com/works/item/w_161.pdf

で、その特集に私も顔を出しています。「視点2:ジョブ型にすれば解決するのか」というところです。

 在宅勤務において適切に勤怠管理ができない、成果を評価することができないのは、日本企業がメンバーシップ型だからだ。今こそ、ジョブ型に移行すべきだ。昨今このような言説を、メディアを中心に見かけることがある。これに対し、メンバーシップ型、ジョブ型という雇用の分類を提示した本人、労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏は違和感を隠さない。「個人の仕事の進捗が見えない、チーム連携がしにくい、評価がしにくいなど、今企業で生じている課題は、確かに個人別に仕事が切り分けられておらず、課やチームに仕事が割り振られていることが背景となっているものが多いのは事実でしょう。しかし、それらの課題が、すべてメンバーシップ型であるために生じる課題でありジョブ型にすればすべて解決される、というように短絡的に考えるべきではありません」と、濱口氏は話す。メンバーシップ型・ジョブ型という言葉を作ったときに、「どちらが一方的にいいもの・悪いものという価値判断的な意味を込めたことはない」(濱口氏)というのだ。・・・・

ちなみに、私の前に登場している視点1の守島基博さんも「「欧米企業はジョブ型だからうまくいく」わけではない」と釘を刺しています。

 

 

2020年8月 5日 (水)

ドイツはジョブ型かメンバーシップ型か?(再掲)

「ある外資系人事マン」さんが、「なんで「ジョブ型」がこうねじれるんだろう?」のコメントとして、昨日の日経の記事を引用していただいていますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-a51574.html#comment-118210946

念のためですが、ここへきてようやく日経新聞のジョブ型に関する記事が真っ当な内容に変わってきたようで、一読者としてホッとしています。例えば、今日の朝刊掲載のドイツIT企業の「ジョブ型」取材記事ですが、事実にもとづきよく書けています。ただ、しいて難を言えば、記事内の「解雇云々」の描写は、『日本及びドイツ企業=長期雇用(解雇なし)、米国企業=短期雇用(解雇多し)』という、同記者のバーチャル脳内妄想(ステレオタイプ)が反映されているようで大変残念です。今後はこういう細かい所も、安易な通年や思い込みに頼らず、正確なデータと事実を踏まえた記事を書いていただきたいものです。

せっかくドイツの話を持ち出していただいたので、もう4年近く前のエントリではありますが、「ドイツはジョブ型かメンバーシップ型か?」というのをお蔵出しておきたいと思います。たぶんいまでもそっくりそのまま世間の啓蒙に使えそうな気がします。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-f672.html(ドイツはジョブ型かメンバーシップ型か?)

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こういう言い方をこの私がすると、「お前が言うか、お前が」という非難の声がどっと襲いかかってくるような気がしないでもないですが、でもやはり、こう言わなければなりません。

ジョブ型とか、メンバーシップ型とか、頭の整理のための概念なのだから、あんまりそれにとらわれてはいけませんよ、と。

いやもちろん、ごちゃごちゃした現実をわかりやすく認識するためには大変役に立ちます。

でも、ある国の社会のありようを100%どちらかに区別しきらなければいけないと思い込んでしまうと、かえってものごとの姿をゆがめてしまうことにもなりかねません。

どういうことかというと、大杉謙一さんのこんなツイートが目に入ってきたからなんですが。

https://twitter.com/osugi1967/status/803107321643548672


先日、ドイツ人を呼んでシンポをやったのですが、どうやら経営層の人材はジョブ型で、ブルーカラー層はメンバーシップ型ではないかという感触を持ちました。

https://twitter.com/osugi1967/status/803111417092018176


ありがとうございます。「ブルーカラーがメンバーシップ型」というのは、私の憶測が入っているのでこれから知己を頼って検証したいと思います。

https://twitter.com/osugi1967/status/803111838682464256


(続き) ドイツ以外のヨーロッパでは、ジョブ型ゆえに若者の失業率が高いことは有名で、ドイツは職業教育が充実しているのでこの問題が生じにくいのですが、「型」はともかく、ブルーカラーの転職率は低いようです。

https://twitter.com/osugi1967/status/803112429487935488


私は、日本の大学の多くを職業教育型に転換していくことには反対ではないのですが、実は肝心の学生がそれを望んでいないようにも感じています。なぜ人は功成り名を遂げると教育(大学)改革の話をしたがるのか(溜息)

えーと、どこから解きほぐしたら良いのかよくわからないのですが、まず「ジョブ型」という概念のもとである、契約で職務が限定されており、賃金はその職務について決まっているという点では、ドイツは間違いなく「ジョブ型」です。

特にブルーカラー労働者の場合、企業を超えた産業別労働協約で賃金が決定されており、それが各企業に原則としてそのまま適用されるという点では、他のヨーロッパ諸国に比べてもより「ジョブ型」でしょう。

しかし一方で、とかく日本では「メンバーシップ型」の徴表ととらえられがちな企業がそう簡単に解雇できないとか、仕事がなくなっても雇用を維持しようとするという面では、これまたおそらくヨーロッパ諸国の中でもかなりそういう傾向があるのも確かです。そもそも、日本の雇用調整助成金のもとは、ドイツの操業短縮手当であって、景気変動には雇用維持で対応という面では相当に「メンバーシップ型」の面があります。

とはいえ、では日本みたいにどんな仕事にでも平気で変えるかというと、「この仕事」というジョブ意識は極めて強くて、企業が勝手に職務を変更できるなどということはありません。そこは強固に「ジョブ型」です。

さらに、集団的労使関係を見ても、産業別労働組合が産業別労働協約を結び、産業別の労働条件を決定しているという点では、これまた他のヨーロッパ諸国に比べても極めて典型的な「ジョブ型」である一方で、事業ごとに事業所委員会という労使協議システムを確立し、ある意味ではまさに日本の企業別組合がやっているような企業の中の労働関係の様々な調整を綿密にやっているという面は、これまた他のヨーロッパ諸国に比べても「メンバーシップ型」的な側面が強いという言い方もできます。そして、会社の監査役会に従業員代表がポストを占めるというかたちで、少なくとも法律上は日本よりもずっとメンバーシップ型になっていると言えないこともありません。

何が言いたいかというと、ある国の労働社会のありようというのはなかなかに複雑なもので、「ジョブ型」「メンバーシップ型」というようなある側面を切り取った切り口「だけ」で綺麗に説明し尽くせるというようなものではないということです。

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実を言うと、このあたりの消息を歴史的に解き明かしているのが、来月早々にも本屋さんに並ぶはずの、濱口・海老原『働き方改革の世界史』(ちくま新書)です。

 

 

 

 

 

 

石井知章 on 中国の非正規労働者

現代ビジネスに石井知章さんが「コロナショックで「中国の非正規労働者」が直面している深刻な現実」を寄稿されています。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74531

Img_92192422c828d8ad4bf8ba03e33938a12829 これと同じように、中華全国総工会(中国官製労働組合のナショナルセンター)を中心に、これまで感染拡大予防という「人民戦争」へ広範な労働者が動員されてきた中国でも、とくに広東省を中心に展開してきた底辺労働者による「下から」の労働運動・労使紛争は、いったんは中断を余儀なくされていった。

だが、生産・操業の再開にともない、仕事に戻らないと食べていけない農民工をはじめとする非正規労働者の多くが職場に復帰したことで、労使関係は再度、対立的構図を深めつつある。ここでは中国のコロナ禍における、最近の雇用・労働問題、労使関係の変化について概観する。・・・

石井さんは本ブログでも何回となく取り上げてきましたが、現代中国の労働問題、労使関係を追及している稀有な研究者です。この文章も、あまりマスコミが伝えない中国の中の動きを伝えてくれます。最後のページの「ポスト・コロナ時代の労使関係のポイント」というところを引用しておきます。

これまで見たように、中国におけるコロナ感染症拡大予防に際して、中華全国総工会は労働者個人の権益擁護・拡大といった、平常時における本来の労働組合としての活動(権利)よりも、むしろ全国規模での生産システムを早期に回復すべく、あらゆる分野での労働者を組織的に動員していた。

ここで中国の官製労働組合は、国家的生産秩序の再建を「上から」推し進めるという、いわば非常事態におけるもう一つの使命(義務)を果たしていったことになる。

だが、その背後では、かねてから「下から」の自立的労働運動を展開していた農民工らを中心とする労働NGOを、事実上、全面的に弾圧し、その活動を完全に中断させるという結果を導いていたといえる。

とはいえ、労働NGOが主な活動拠点にしていた広東省以外での、南部主要都市の大企業を含む事業所における「散発的」労使紛争・抗議活動の新たな発生は、「下から」の労働運動の復活の兆しになっていることを示唆している。

したがって、この点での今後の動向が、ポスト・コロナ時代の新たな労使関係の構築にとって、きわめて重要なポイントになることは明らかである。

ちなみに、本ブログで石井さんの研究について触れた過去のエントリをいくつか紹介しておきましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-71c7.html(石井知章『中国革命論のパラダイム転換』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-e435.html(『文化大革命の遺制と闘う』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-1c55.html(石井知章編『現代中国のリベラリズム思潮』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-8769.html(『中国リベラリズムの政治空間』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-755a.html(石井・緒形・鈴木編『現代中国と市民社会』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-ce30.html(『文化大革命』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-6997.html(石井知章編著『日中の非正規労働をめぐる現在』)

これは、私も一章書いています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-6c78f7.html(周保松・倉田徹・石井知章『香港雨傘運動と市民的不服従』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-97baf9.html(石井知章・及川淳子編『六四と一九八九』または「進歩的」「左派」の「歴史修正主義」)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月 4日 (火)

指揮命令のラッファーカーブ

雇用じゃなく請負化しやすいのは、かたや専門技術的な仕事で、いちいち指揮命令しない/できないタイプの仕事。マクロタスクをまとめて請け負うから、請負が不自然じゃなくなる。高度プロフェッショナルなフリーランスというイメージ。

もう一つ請負化しやすいのは、その正反対の単純労働、いちいち指揮命令しない/する必要のないタイプの仕事。ミクロタスクをその都度請け負うから、請負が不自然じゃなくなる。自転車漕いでいろんなものを運んでる人々とか。

ということで、いままで雇用という形式が一般的であったのは、その中間、つまりいくつもの関連するタスクをまとめて「ジョブ」にディスクライブしてその遂行を指揮命令するというタイプの仕事が多かったから。それが典型的な労働者像。

グラフの真ん中で指揮命令の度合が高まり、左右の両端で指揮命令の度合が薄れていく。ラッファーカーブみたいなものかな。

20世紀に確立したジョブ型社会が崩れつつあるかも知れない、というのは、その真ん中の山が崩れて、左右に広がっていくという話なんだが、そのジョブ型が確立しなかった日本では、上下いずれの方向でも、それが崩れてタスク型に行くという話が「さあ、これからジョブ型だ」みたいなおかしな方向にばかりずれまくる。

 

2020年8月 3日 (月)

『HRmics』36号

Nicchimo 海老原さんちのニッチモの『HRmics』36号が届きました。今回は「奇跡か?迷走か? コロナ対策の盲点」だそうで、いやあ海老原さんなんにでも手を伸ばしますね。正直、私はコロナに対する雇用対策や社会政策の是非や評価ならともかく、医学的観点も踏まえたコロナ対策それ自体なんか怖くてあれこれ言えません。ネット上にはいろんな人がいますがね。

http://www.nitchmo.biz/hrmics_36/_SWF_Window.html

というわけで、ここでは特集には触れずに、私の連載について。え?連載は『働き方改革の世界史』(ちくま新書)にまとめて来月出るんじゃないの?と思った方。はい、そうなんですが、今号から「帰ってきた原典回帰 日本的労使関係のユニークさと混迷に迫る」と題して、またぞろやらかしております。

これまでは英米独仏といった先進諸国の労働関係名著が中心でしたが、今回からはもっぱら日本の本を取り上げていきます。その意味では、連載第14回であるとともに、新装開店第1回でもあります。前回までの連載をもとに、海老原さんの責任編集でちくま新書から『働き方改革の世界史』を9月に刊行しますが、これからの連載記事を将来的にその日本編にしていこうという腹積もりもあります。厳密にいうと、連載第11回で藤林敬三『労使関係と労使協議制』をフライング的に取り上げてしまったので、今回は日本の労働関係名著第2回目ということになりますが、まあその辺は大目に見てください。・・・

ということで、経済同友会企業民主化研究会編『企業民主化試案-修正資本主義の構想』(1947年、同友社)を取り上げております。話は終戦直後の「三等重役」から始まります。

そして・・・・・

最後の編集後記で爆弾が破裂しています。なぜかそこだけ赤字で、

・・・そして、次号でHRmicsは最終号となります。長らくお世話になりました。

え?というわけで、颯爽と始まった「帰ってきた原典回帰」は、とりあえず2回で中断です。

 

 

 

 

藤本茂・沼田雅之・山本圭子・細川良編著『ファーストステップ労働法』

81lp0u8axal 藤本茂・沼田雅之・山本圭子・細川良編著『ファーストステップ労働法』(エイデル研究所)をお送りいただきました。

https://www.eidell.co.jp/books/?p=10885

このたび、数多くある労働法テキストに新しく、「ファーストステップ労働法」が加わることとなりました。タイトルには、入門書でありながらも、次のステップとしてのより深い学習につなげるという意味が込められています。法学部はもとより、他学部の学生にも向けた“わかりやすいコンパクトなテキスト”を意識しており、併せて、授業で使う専門書を目指してもいます。
コンパクトなことと専門書を両立させることは、求められる情報量の差からして難題ですが、本書はそれをウェブの活用によって乗り越えようと試みました。QRコードによって情報量を確保でき、さらにスマホでも簡単に使えることから、これを授業で活かしてみようと思い至ったのです。
本書の特徴の一端は、第4部に外国人や障害者なども含めて、多様な就業形態に対応しようと試みたところにも現れています。皆さんのご意見を受け容れながら大きく育ってほしいと願っています。

入門レベルの労働法教科書ですが、特色は本文中にやたらにQRコードがあることです。たとえば、冒頭の「第1章 労働法とは」には、早速「蟹工船」と「女工哀史」というQRコードが並んでおり、スマホをかざすと何が出てくるかと思うと、これらの本の表紙が出てきました。表紙だけで、中身は当然ながら出てきません。

 

 

2020年8月 2日 (日)

雇用調整給付金成立の裏面史

11021851_5bdc1e379a12a_20200802104301 今回のコロナ禍で再三注目されている雇用調整助成金は1974年末の雇用保険法への改正で雇用調整給付金として創設されたことは周知のとおりですが、拙著『日本の労働法政策』では、その経緯をこう簡単に述べています(p231)。

 雇用保険法案は翌1974年1月に国会に提出されたが、社会党、共産党、公明党は反対し、参議院で審議未了廃案となった。総評が給付の切下げであるとして強く反対していたことが反映している。ところが、ここに石油危機の影響で雇用失業状勢が厳しさを増し、一時休業や一部には大量解雇まで現れるようになって、雇用調整に対する助成措置に対する早期実施の声が高まってきた。同盟はもとから雇用保険法案に賛成であったが、中立労連が賛成に回り、総評加盟の民間労組からも積極的態度を示すものが続出した。こうして、雇用保険法案は、いわば雇用維持のための助成措置を規定する法案としての期待を背負って再度国会に提出され、1974年12月に成立に至った。

この「中立労連が賛成に回り」というたった10文字の裏側で、当時の労働組合リーダーたちがどういう動きをしていたかを、当時まだ若かった小林良暢さんが昨日電子媒体で発行された『現代の理論』で、こう綴っています。

http://gendainoriron.jp/vol.23/feature/kobayashi.php

Kobayashi_s このモデルが登場したのは1973年の石油危機の後、75年の雇用調整給付金による一時帰休である。たまたま私は大学院を終えて、電機労連に産業政策をつくるために入職してから5年目に、この緊急事態に遭遇、74年の秋口から合理化対策を担当した。・・・・

電機労連がこの給付金を積極活用したのには、いまひとつ裏の事情がある。この雇用保険法改正に、ゼンセン同盟が繊維不況対策として熱心に取組んできたが、当時の社会党が「解雇をし易くする」と反対して、法案の成立が危うくなった。これから先は、山田精吾さんが連合事務局長を辞めて連合総研に理事長に就任してきて、そこで主幹研究員をしていた私は一緒に仕事をすることになり、そこで山田さんから聞いた話である。

この法律をなんとしてでも成立させるために、山田さんが考えた一策は、電機労連を味方につけることだ。そこで、ゼンセン同盟の宇佐美会長、山田書記長が、電機の竪山委員長、藁科書記長を新橋の料理屋松玄に接待して、同じ民間だから分かってくれるだろうと法案成立に協力を頼んだ。竪山さんが「分かった」と言ってくれ、電機が社会党にねじ込んで、中立労連も法案賛成へ転換させて法案を成立させた。ところが、75年の法の施行時には、繊維産業は慢性不況で工場は閉鎖されてしまい、この新制度を使うことができず、帰休で給付金をがっぽり受給したのは電機産業だった。

この75年には、全国でも6万事業所で一時帰休を実施、不況でも雇用を維持する日本モデルが完成したのである。また、この両産別の4人が、後の民間先行の労働戦線統一を導くことになる。

ふむ、宇佐美、山田、竪山、藁科という、連合創設期のビッグネームが登場してきます。もう一つ、総評民間部門でもたとえば鉄鋼労連の宮田義二さんなどがこの給付金の成立に向けて社会党にねじを巻いたことも大きく効いているはずで、その意味では、雇用調整給付金をめぐる動きがその後の民間先行の労働戦線統一の大きな土台になったと言えるのでしょう。

 

大澤真理『企業中心社会を超えて』再刊

521338 大澤真理さんの『企業中心社会を超えて 現代日本を〈ジェンダー〉で読む』が、岩波現代文庫に収録されるんですね。本書は1993年に刊行されたほぼ一世代前の本ですが、働く女子の運命を最も的確に論じた名著として、長く読み継がれるに値する本です。文庫収録を機に、また多くの方に読まれることを願っています。

https://www.iwanami.co.jp/book/b521338.html

つうか、拙著『働く女子の運命』は、腰巻にでかでかと上野千鶴子さんの顔が載っているため、上野さんの本じゃないかという誤解すら一部に持たれたようですが、これは文春編集部の鳥嶋ななみさんが上野さんの弟子だったという縁であって、内容的にはあの縦横無尽の上野理論とはほとんど関係はなく、むしろ社会政策の観点から女性労働の問題を追及してきた大澤さんの議論に大きくインスパイアされています。

拙著でも本書をいくつか引用していますが、それよりもむしろ全体の認識枠組みとして、大澤さんの議論が基礎になっていることは、拙著をじっくり読まれた方はよくお分かりのことと思います。

長らく絶版状態で、図書館で読むしかなかった本書が文庫という形で手に取りやすくなるのは喜ばしいことです。

拙著で本書を引用していた部分を、ここで引用しておきましょう(p131)。

知的熟練論と女子の運命
 知的熟練論の皮肉は分かったけれども、それが肝心の女子の運命にどういう関係があるのだ?とさっきからうずうずしているそこのあなた。それを見事に説明しているのが、1993年に出た大沢真理氏の『企業中心社会を超えて』(時事通信社)です。彼女は小池氏の知的熟練論を、女性の立場から次のように批判していきます。本書全体のテーマである女子の運命にとって、本章のトピックである賃金制度が持つ意味をクリアに抉り出した一文です。
 ・・・性別賃金格差の問題はここからほとんど自明のことになってしまう。女の賃金が低いのは、彼女たちに「知的熟練」がないからなのだ。・・・
 当然に生じるのは、ではなぜ中小企業労働者には、そして女性では大企業労働者であっても、「知的熟練」がないのか、という疑問であろう。・・・
 ・・・技能が高まるから賃金があがるのではなく、査定=人事考課による個人差はあれ、ともかくも年齢につれて賃金をあげてやらなければならないからこそ、その賃金にみあう技能をつけさせようとするのだ。ただし、その労働者が男であるという条件つきで。・・・“妻子を養う”男の生活費にみあう賃金に、女をあずからせるということ自体が論外なのである。
 この賃金体系を前提とするかぎり、女性正社員の勤続へのインセンティブをくじき、「若年で退社」させることは、企業にとってほとんど至上命題となる。急な年齢別賃金上昇カーブをもつ大企業ほどそうなるだろう。彼女たちを単純反復作業に釘づけするのはその手段の一つと考えられる。・・・
 前章最後で見た結婚退職制や女子若年定年制の背後にあるロジックを、見事に摘出しています。

読めばわかるように、大澤さんがここで女性を題材に述べていることを裏返しにすると、『日本の雇用と中高年』で中高年男性について述べたこと(昨今のいわゆる「働かないおじさん」)になるということもお判りでしょう。そう、この27年前の本は、広範な分野における私の議論をインスパイアした原典ともいうべき本なのです。

 

 

 

 

 

2020年8月 1日 (土)

『都市問題』8月号に寄稿

Toshimondai 公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所が発行する『都市問題』8月号に寄稿しました。

https://www.timr.or.jp/cgi-bin/toshi_db.cgi?mode=saisin

特集1 フリーランスという働き方
 フリーランスという働き方の現状と課題  濱口桂一郎
 リーマン危機、コロナ危機とフリーランス  ――フリーランスの安全網の課題  水町勇一郎
 コロナ禍により曝かれた「偽装雇用」の実態  嶋崎 量
 セーフティネットを「新しい当たり前」に  ――フリーランスの窮状にみる構造的課題  北 健一
 プラットフォームビジネスとフリーランス  山崎 憲
 芸術文化から見たコロナ禍とフリーランスの課題  藤井慎太郎

私の小論は、総論的に概観しています。

 近年、フリーランスという働き方が注目を集めるようになった。厚生労働省は、2017年10月から「雇用類似の働き方に関する検討会」を開催し、2018年3月に報告書をまとめた。この報告書は2018年4月に労働政策審議会労働政策基本部会に報告され、同年9月に部会報告「進化する時代の中で、進化する働き方のために」がまとめられ、翌10月に「雇用類似の働き方に係る論点整理等に関する検討会」が設置され、検討が進んでいる。一方、2020年初めから世界的に急速に蔓延しパンデミックとなった新型コロナウイルス感染症への緊急対策が続々と打ち出される中で、雇用労働者と比べたフリーランスへの様々な保障の手薄さがクローズアップされ、急遽子どもの通う学校の休校に伴う「小学校休業等対応支援金」がフリーランス向けに設けられたが、その1日当たり4100円という額が雇用労働者の1日当たり8330円(上限)と比較して低すぎるではないかという批判(現在はそれぞれ7500円、15000円となっている。)がされたことも記憶に新しい。
 今日この問題がホットなテーマとなっているのは、いうまでもなく第4次産業革命ともいわれる急激な情報通信技術の発展により、これまで雇用契約の下で遂行されてきた様々な業務が、プラットフォーム経済、ギグ経済、クラウド労働等々の名称の下、法形式としては個人請負等の自営業として行われる傾向が世界的に高まってきたからである。産業革命以来の200年間、先進諸国は中長期的に継続する雇用契約を前提として、労働者保護法制や社会保障制度を構築してきた。これが逆転し、雇用契約が収縮していくとすれば、自営業として働く人々をどのように保護すべきなのか?というのが、今日世界共通に問われている問題である。
1 フリーランスという働き方の歴史的概観
2 フリーランスという働き方の実態
3 論点整理検討会の議論
4 フリーランス就業者政策の展望

 

 

 

 

ノワールはブラックなんだけど・・・

いまだに延々と、ブラック企業という言葉は黒人差別だからやめろみたいな議論が続いているようですが、そういうつまらないのに加わる気は全くないのですが、さすがにこれには飲んでたコーヒー吹きました。

https://twitter.com/akihamanaka/status/1267825728776663040

おー。
「ブラック企業」私も普通に使ってた。
もちろん人種差別の意図なんててない言葉とは思うけど、欧米圏へ翻訳されたら、そういう文脈が乗ってしまうかもしれないのか。興味深い

ノワールとか、肌の色を暗示しなさそうな語に言い換えたら……ノワール企業。フロント企業のことみたいだ(笑)

いやいや、ノワールって、フランス語で「黒」って意味ですよ。黒人のことも「ノワール」っていいますよ。「肌の色を暗示」どころか明示してますけど。その肌の色を指す言葉が、ロマン・ノワールでは犯罪小説という意味になるんですけど。

言葉狩りをするんなら、まず真っ先に新聞紙上で「ノワール小説の名手」なんていう人種差別満載(!)の宣伝文句を糾弾したらいかがでしょうかね。

てか、日本人の「欧米」にはアメリカ以外の国は全く存在していないんですかね。

ちなみに、スペイン語では人種も小説も全部ネグロ、ネグラです。特殊アメリカ英語で「ニグロ」が禁句になっているからといって、ラテン語に由来するこの言葉を言い換えろなんて話は聞いたことがありません。

(追記)

でも、特殊アメリカ英語「だけ」を崇拝するインチキ知識人様の追及を逃れるため「だけ」であれば、言葉の意味は全く一ミリも変わらないけれども、「ノワール企業」と言い換えてみるのもいいかもしれませんね。あるいは「社ノワール」とか。

 

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