小林慶一郎/森川正之編著『コロナ危機の経済学』
小林慶一郎/森川正之編著『コロナ危機の経済学 提言と分析』(日本経済新聞出版社)をお送りいただきました。素早いねえ、RIETIさんは。
https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/item-detail/35861
〇第2次大戦以降、人類にとって最大の危機となった新型コロナ・ウイルス。感染ピークを越えてなお、中長期にわたる甚大な影響は避けられそうにない。それは、個人から、企業や政府、日本社会の姿まで大きく変容させる可能性もある。経済のV字回復はありうるのか。日本の産業・経済はどのような問題に直面するのか。長期戦に備えるために、個人、企業、政府は何をすべきなのか。経済研究者を中心に、コロナ危機の経済・産業・企業・個人への影響を分析。問題を掘り下げ、いち早く提言する。
〇コロナ危機に関連し、積極的に分析・提言を発信している経済産業研究所の森川正之所長と、この問題でいち早く経済学者の提言をまとめた小林慶一郎氏が共同編者となり、コロナ危機の今後を見通す上で役立つ分析・提言を行い、緊急出版する。
JILPTもコロナ禍を受けて雇用労働分野の研究をコラム等で発信してますが、RIETIはさすがに分野に限りがないようで、コロナウイルスの疫学問題そのものから始まって、医療体制、食糧安保、創薬、都市政策、果ては文明論まで、なんでもござれという感じで、その中には労働市場、労働時間、在宅勤務というトピックも入っています。いや別に縄張りをどうこう言うつもりはなく、中身がよければいいんですが。
特に、黒田祥子さんの「第16章 新型コロナウイルスと労働時間の二極化--エッセンシャル・ワーカーの過重労働と日本の働き方改革」は、とても重要な論点を取り上げていて、広く読まされるべき論文だと思います。
で、その次の、編者でもある森川さんの「第17章 コロナ危機と在宅勤務の生産性」なんですが、
いやその前に、この本の裏見返しには、森川さんの肩書が「経済産業研究所所長、一橋大学経済研究所教授」となっています。おお、RIETIの所長兼任で一橋の教授になられたんですね。おめでとうございます。というか、もしかして本書は、森川さんの就任祝い本だったりして。それはともかく、
今回のコロナ危機で、急遽強制的に在宅勤務が急増したことを受け、在宅勤務にかかわる諸問題が一気に議論の前面に出てきているのはご案内の通りであり、在宅勤務の生産性というのもその一つであるわけですが、この森川論文、RIETIの研究員を含む役職員に「オフィスで仕事をするときの生産性を100としたとき、在宅勤務の生産性を数字でいうとどの程度ですか」というシンプルな質問をした答えの分析なんですね。これ、同時期に在宅勤務体制になったJILPTの研究員らに同じ質問したら、多分主観と客観が全然食い違う結果になりそうな気がします。
ていうか、これはかつての文科系の大学教授なんかは典型的ですが、法律上裁量労働でも何でもない頃から、労働時間も出勤日も自主的裁量制みたいなもので、職場でも自宅でも研究するときには研究するし、しないときはしない、みたいな行動様式があって、職場にいようが自宅にいようが放し飼い状態で、今回の在宅勤務の影響を調べるには一番向いていない職種じゃないかという気がしますが。
あと、これはやや厳しい批判になりますが、八田達夫さんの「第3章 パンデミックにも対応できるセーフティネットの構築」は、労働に関する制度を正確に理解して論じようという姿勢が欠けているきらいがあり、本書の学問的水準に影響を与えているように思われます。
たとえば、第3章の冒頭から、
・・・例えば、今回の急激な経済失速に対して、会社都合による一時帰休(layoff)に対して、失業保険給付が支給されれば、従業員も会社も助かったであろう。失業保険給付は、迅速に支給されるからである。しかし米国と違って、日本では一時帰休に対して失業保険の支給は許されていない。
およそ労働法でも労働経済でも、きちんと法制度を踏まえて物事を論ずる人であれば、これを見て頭を抱えるでしょう。
そもそも、日本には(ヨーロッパと共通するところの多い)日本の労働法制があるので、世界的に極めて特殊なアメリカ法制だけを脳みそに入れて考えると大失敗します。日本語で「一時帰休」と呼ばれるものは、アメリカでlayoffと呼ばれる一時解雇とは異なり、労務の提供はないけれども雇用関係は継続しています。解雇ではなく休業なのです。したがって、雇用調整助成金ができるはるか以前の1950年代に、万やむを得ず理屈が立たないにもかかわらずあえて通達で法の趣旨に反する取扱いをしたことはあるものの(下記リンク先拙稿参照)、現在の法制度の下で、失業しておらず単に休業している人に「失業保険の支給が許されない」のはあまりにも当然です(厳密には、激甚災害法によって、失業していない休業者に失業給付の特例が認められていますが、コロナ禍は激甚災害ではないので、やるならそのための立法が必要です。これも下記リンク先拙稿参照)。こういう文章を書く前に、そもそも日本語の「一時帰休」はアメリカ英語の「layoff」と等置してほんとにいいんだろうかという疑問を自らに問いかけてみることも必要でしょう。少なくとも自分がその詳細をよく知らない分野の法制度に関しては。
その次のセンテンスも、それに輪をかけて意味不明です。
・・・次に、雇用調整助成金制度の使い勝手を改善すれば、企業は解雇することなく休業手当を支給できるという主張がある。しかし、保険料のしくみを今のままにして、この制度の使い勝手を良くすれば、保険財政は崩壊しうる。
実を言えば、雇用調整助成金よりも失業給付によるべきだという考え方は、一つの思想的ベクトルの方向性として十分あり得る議論だと思います。それは、仕事もないのに無理に休業させて、雇用関係が継続しているという格好だけつけて助成金を出すよりも、仕事がないならさっさと首を切って、堂々と失業者になって失業給付を出す方が望ましい、という価値判断であればあり得るということです。そういう議論であれば、八代尚宏さんが日経新聞の経済教室で展開しています。
https://r.nikkei.com/article/DGKKZO61772960R20C20A7KE8000(あるべき雇用政策(上)休業手当より失業給付 重視 八代尚宏・昭和女子大学副学長)
今回のコロナ危機では、2008年のリーマン・ショック時と比べ、失業者の増加が著しく抑制されていることが特徴だ。政府の自粛要請に基づくサービス業主体の中小企業の休業増加に対応して、従業員への休業手当を補助し、解雇を防ぐ雇用調整助成金が大幅に拡充された要因が大きい。・・・
私は、こういう外的ショックによる急激な労働需要縮小期には、アメリカという例外的な国を除き、日本も含め、ほぼすべてのヨーロッパ諸国が似たような雇用維持型の政策をとっていることからしても、そのような価値判断には同感できません。ただそういう議論も必要だと思うのは、日本ではややもすると、雇用維持政策が一時的な外的ショックに対するものにとどまらず、産業構造の転換による不可逆的な労働需要のシフトにまで使われる傾向があるからで、そういう「行き過ぎた雇用維持型政策」は見直していく必要があります。それは、とりわけ出口戦略のところで問題になってくる可能性があるので(もともと先行きがなかった企業が、コロナでますます厳しくなったのをどこまで助けるのかなど)、常に念頭に置いておく必要はあるでしょう。
ということを踏まえても、「保険料のしくみを今のままにして、この制度の使い勝手を良くすれば、保険財政は崩壊しうる」というのは意味不明です。いや、そもそも失業保険制度自体が、労働者全体に占める失業者の割合が一時的には高まっても、中期的にならせば一定の少数にとどまることを前提に設計されているので、長期的に大量失業が永続したらどのみち保険財政は崩壊するんですが、そういうことを言っているわけでもなさそうです。
そもそも失業給付の本体部分は健全でぴんぴんしているのに(そっちでやれと言っているのですから、そういう前提なのでしょう)、雇用保険財政の中の一部である雇用調整助成金だけが使い勝手を良くしたために崩壊してしまうというのは、ほとんど理解を絶するところがあります。実のところ、失業給付であれ、雇用調整助成金であれ、ほんとに払底するような状況になりかけたら、不要不急の給付を削って一般会計から持ってくるということになると思われますが、そういうことにならないようにするのが重要です。
それから、八田さんはさらりと言ってますが、やはり今回の一連の流れで、雇用調整助成金に限らず、政府の給付のしくみがまことに紙に手書きでハンコを押すという前デジタル時代のままであることの問題が露呈したことは、もっときちんと批判されてしかるべきでしょう。せっかく雇用保険システムに被保険者情報が全部入っているのに、それと切り離された形でアナログな紙ベースで助成金業務が行われているというようなことでいいのか、という問題提起はされてもいいはずです。
(参考)
https://www.jil.go.jp/tokusyu/covid-19/column/002.html(緊急コラム 新型コロナウイルス感染症と労働政策の未来)
https://www.jil.go.jp/tokusyu/covid-19/column/010.html(緊急コラム 新型コロナ休業への公的直接給付をめぐって)
https://www.jil.go.jp/tokusyu/covid-19/column/011.html(緊急コラム 新型コロナ休業支援金/給付金の諸問題)
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