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« 生計目的副業と自己実現副業を誰がどうして区別するのか?という問題 | トップページ | 統計的性差別のお手本? »

2020年6月 4日 (木)

「学生に賃金を」には一定の正当性があるが・・・

私は実のところ、「学生に賃金を」という議論には一定の正当性があると思っています。

近年、学生アルバイトの問題が深刻化し、ローン型奨学金の問題が取り上げられるようになったのも、親が払う贅沢費という位置づけのまま学費がどんどん引き上げられてきたために、その負担が本人の現在又は将来の労働賃金に転嫁されてきたことが背景にあるわけで、そもそも論として「学生に賃金を」という議論は展開する値打ちがあります。

そもそも社会活動のための技能養成という点で教育と訓練はひとつながりのものであり、教育を受けている学生と訓練を受けている訓練生もひとつながりのものであるという考え方からすれば、訓練生に訓練手当を支給するという仕組みがある以上、学生に学習手当を支給するという考え方は別にそれほどおかしなものではないと思うからです。

それを何かおかしいと感じるとすれば、それは教育は高邁な営為であって訓練なんぞという下賤な営為とはそもそも身分が違うのじゃ、控えおろう!という発想からでしょう。そういうひとは自分の金で勝手にやればいいじゃん、としか思わない。

なんですが、

https://hbol.jp/219516/2

わたしは早稲田大学に1997年入学でかよっていたのですが、正直、大学の授業でまなんだことなんてひとつもありません。だいじなことはすべてサークルでまなびました。 

とうそぶき、「就職に役立つことばかりになった大学」を嘆いているようなひとには、びた一文あげたくはないですね。

(参考)

http://hamachan.on.coocan.jp/posse32.html(「日本型雇用と日本型大学の歪み」『POSSE』32号 )

・・・・表面の政策イデオロギーはネオリベラル化しながら、制度の基本思想はそれが作られた時代の日本型雇用に過剰適応したままというねじれ構造の下で、もはや少数エリートではなく同世代人口の過半数を占める大衆となった大学生たちは、学生本人の現在の労働報酬と将来の労働収入(を担保にした借入)によってその教育費用を賄わざるを得ない状況に追いやられています。それを増幅するのは、依然としてエリート教育時代の夢を追って、大学とは「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(学校教育法83条1項)のであるから、職業教育訓練機関のような低レベルのものにしてはならない、と頑固に主張するアカデミズム思想です。
 同世代人口の過半数が進学する高等教育機関が、職業教育訓練とは無関係の純粋アカデミズムの世界を維持できていたとすれば、それはその費用が親の年功賃金で賄われていたからであり、しかも、「入社」後は会社の命令でどんな仕事でもこなせるような一般的「能力」のみが期待されていたからでしょう。大学で勉強してきたことは全部忘れても良いが、それまで鍛えられた「能力」は重要であるという企業側の人事政策が、その中身自体は何ら評価されていないにもかかわらず大学アカデミズムがあたかも企業によって高く評価されているかのような(大学人たちの)幻想を維持していたわけです。
 しかしその結果、ジョブ型社会であれば当然であるはずの、大学生が卒業後多様な職業に就き、社会に貢献することになるがゆえに、その費用も社会成員みんなが公的に賄うべきという発想が広がることが阻まれました。なぜなら、大事なのはどういう教育を受けたかによって異なる個別的な職業能力ではなく、何でも頑張ればこなせる個人の「能力」である以上、教育の中身自体を公的に賄うべき筋合いはないからです。
 こういうメンバーシップ型にどっぷり浸かった主流派とは隔絶した周縁的世界に、世界標準に近い職業教育訓練を公的に賄うべきという世界がひっそりと残存しています。高学歴になればなるほど縁のない、日本社会ではずっと非主流派の悲哀を味わってきた世界、公的職業訓練の世界です。
 公共職業訓練は無料です。これは、都道府県や高齢・障害・求職者雇用支援機構の設置する職業訓練機関だけではなく、民間の教育訓練施設に委託して行われるもの(委託訓練)もそうです。実は現在、受講生の過半数は委託訓練で、特に都道府県の離職者訓練は9割以上が委託訓練です。委託先は専修学校のほか民間企業もありますが、公共職業訓練として全て無料です。親の年功賃金で賄うとか、本人の奨学金やアルバイト収入で賄うという発想はありません。さらに雇用保険制度では、失業給付の受給者が公共職業訓練を受けている場合、訓練受講期間中はその所定給付日数を超えて訓練延長給付が支給されると定めています。そして、2011年に成立した求職者支援制度では、雇用保険を受給できない失業者に認定職業訓練に受講させ、その間の生活費として月10万円の職業訓練受講給付金を支給するという仕組みが設けられました。
 社会のさまざまな仕事を担っていく人々の教育訓練費用やその間の生活費用を公的に賄うという発想は、決して特異なものではなく、むしろ世界標準に近い考え方です。そもそも、教育と訓練とを峻別する考え方は日本独特です。西欧諸国の政策では、両者は一体であり、そして広い意味での社会保障政策の一環です。しかし、日本の大学はそのような世界標準から目を背け、崩れゆく日本型雇用の中で、意識の上ではアカデミズム幻想にしがみついてきたようです。最近ようやく中教審が答申をまとめた専門職業大学構想に対しても、ありとあらゆる罵言が投げつけられたのも記憶に新しいところです。
 とはいえ、職業教育訓練費用を公的に賄うという発想は、大学を飛び越えて大学院レベルに既に広がりつつあります。1998年に設けられた雇用保険の教育訓練給付は、労働者が自分で選んだ教育訓練機関(その多くは専修学校)に支払った受講料のかなりの部分を公的に補助する仕組みですが、2014年には「学び直し支援」という看板の下、専修学校だけでなく社会人大学院のプログラムまでも3年間で最大240万円の給付の対象となりました。しかも審議会における労働側の要求で、45歳未満の若年離職者については、教育訓練期間中、基本手当の50%相当額を支給することになりました。意外に思うかも知れませんが、大学が今なお学校教育法上「学術の中心」を称しているのに対し、専門職大学院は既に「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的」としています。大衆化した大学だけが未だに職業教育機関ではないと頑張っているのです。
 日本型雇用に基づく親負担主義に支えられていた幻想のアカデミズムは今やネオリベラリズムの冷たい風に晒されて、有利子奨学金とブラックバイトという形で学生たちを搾取することによってようやく生き延びようとしているようです。そのようなビジネスモデルがいつまで持続可能であるのか、そろそろ大学人たちも考え直した方がいい時期が来ているようです。  

(追記)

こういう「批判」?をいただいたのですが、

https://twitter.com/syou_hirahira/status/1269579449973870592

下の記事にあるような、大学も職業教育訓練機関としての機能をもっと果たすべきとの考え方は賛成するんだけど、それでも、純粋アカデミズムを仕事にする人はもう少し増えてもいいと思いますよ。オックスフォード大学の最近のリリース見てるとなおさら。 

いや、その「純粋アカデミズム」も、それを仕事にするんである以上、立派な職業教育訓練なんですよ。どうも、そこのところがちゃんと伝わらないものだから、あの劣化版議論のように、職業教育をやるL型大学ってのは、法学という名のもとに大型免許の取得をするみたいなイメージが広まってる。

上で「幻想のアカデミズム」って言ってるのは、それを仕事にすることなんか全然予定もせず、会社に入ったら「大学でお勉強したことは全部忘れろ」と言われることを前提にした代物のことなんで。

その意味では、この方が言われるこれと全く同じことの盾の両面なわけです。

https://twitter.com/syou_hirahira/status/1269178468899536896

大学も職業スキルを身に着けるための場所で、日本の大学が職業スキルを無視しているってのはたぶんその通りだと思うが、アカデミックな知識が生かされる職が少なすぎるのも事実でしょ。 

まさに「アカデミックな知識が生かされる職が少なすぎる」からこそ、アカデミック教育が職業教育訓練として生かされず、卒業とともに忘れるべきものとみなされ、一方で、職業教育訓練とは大型免許のことだという認識ばかりがはびこる。

 

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コメント

> ジョブ型社会であれば当然であるはずの、大学生が卒業後多様な職業に就き、社会に貢献することになるがゆえに、その費用も社会成員みんなが公的に賄う
> 有利子奨学金とブラックバイトという形で学生たちを搾取することによってようやく生き延びようとしているようです。そのようなビジネスモデルがいつまで持続可能であるのか 
 
まず、国公立大が範を示して、経営の苦しくなった(底辺&中堅?)私大が
「うちも職業訓練に特化するので、公的資金で運営させて下さい」と言って
手を挙げる、という流れ以外にないと思いますよ。

全くの素人の感想ですが、大学教育にもジョブ型とメンバーシップ型があるという事でしょうか?
日本の大学でも、同窓会組織(三*会 等)が強固な大学があります。また海外の名門大学に留学する目的には、資格(MBA等)の取得だけでなく、(将来有力者になる可能性の高い)同級生との人間関係(コネ)を作るという事もあるそうです。このためコロナでリモート授業だけになると、(資格は取得できても)人間関係が気づけないので留学希望者が減っているそうです。

>正直、大学の授業でまなんだことなんてひとつもありません。だいじなことはすべてサークルでまなびました。

”俺は※※大学雀荘学部卒だ”という人もいたようです。そこまでいかなくても、体育会に所属しその関係(コネ)で就職した人には ”◇◇大学ラグビー学部卒”や ”□□大学駅伝学部卒” という人もいるのではないかと思います。


>「就職に役立つことばかりになった大学」を嘆いている

この大学というのは早稲田大学だと思いますが、早稲田大学は(授業よりも?)在学中の学生同士の交流が有名な印象があります。
この方が言いたかったのは
  早稲田大学は、これまではメンバーシップ型教育を行っていたのに、
  ジョブ型教育しか行わなくなった
という事でしょうか?

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