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2020年6月15日 (月)

労働者協同組合法案ようやく国会に提出

つい先日、『労基旬報』5月25日号に解説を寄稿したばかりの労働者協同組合法案が、先週金曜日に国会に提出されたようです。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DCF43A.htm

毎日新聞の記事では、

https://mainichi.jp/articles/20200612/k00/00m/010/144000c

 自民、公明、立憲民主などの各党は12日、非営利で地域課題に取り組む新たな法人形態を認める「労働者協同組合法案」を衆院に共同提出した。組合員が出資しながら自らも事業に参加できるようにするのが狙いで、学童保育の運営や、障害者による生産品の販売などの事業を想定。雇用創出と同時に福祉や子育てといった地域課題の解決を図る。秋の臨時国会での成立を目指す。

と、さすがに今国会で成立させるわけではなさそうです。

先月の私の解説では、10年前に国会提出寸前まで行きながらそこでストップがかかった理由やその後の経緯などもやや詳しく説明していますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-972ce4.html(最新の労働者協同組合法案@『労基旬報』2020年5月25日号)

それ以前から本ブログでは折に触れこの問題を取り上げてきていますので、せっかくなのでお蔵出ししておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c79d.html(労働者協同組合について)

・・・端的に言うと、労働者協同組合における労務提供者は労働法上の労働者ではないということに(とりあえずは)なるので、労働法上の労働者保護の対象外ということに(とりあえずは)なります。この事業に関わるみんなが、社会を良くすることを目的に熱っぽく活動しているという前提であれば、それで構わないのですが、この枠組みを悪用しようとする悪い奴がいると、なかなかモラルハザードを防ぎきれないという面もあるということです。
いや、うちは労働者協同組合でして、みんな働いているのは労働者ではありませんので、といういいわけで、低劣な労働条件を認めてしまう危険性がないとは言えない仕組みだということも、念頭においておく必要はあろうということです。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-784e.html(協同労働の協同組合法案)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-8536.html(「協同労働の協同組合法案」への反対論)

・・・ここでは、わたくしの判断は交えずに、樋口さんの批判を引用しておきます。この批判が正鵠を得ているのか、的外れなのか、正々堂々と議論されることが望ましいと思います。
>第3の問題は、協同労働に従事する組合員の地位が曖昧なことである。新法は労災や失業保険などでは労働者として全面適用させることを要求するのであるが、一方で組合員は経営者でもあるので労組法や最低賃金は適用されず、劣悪な労働環境の温床となりかねない。・・・は、新法は雇用以下の労働条件で働く根拠法となりかねない、と懸念を表明し、同時に労協内部で「雇われ者根性の克服」と称して、労協労働者の経営者的側面を過大に強調していることを指摘して、効率経営への奉仕の強要が行われているようだと労協法へ危惧を表明している。・・・
>ワーコレグループが主張する「新しい働き方」は賃労働を克服する理想としてデザインされているが、今日の社会において十分に検討されているとは言えない。それがフィクションのまま現実化されれば、労働者の味方のはずのワーコレ・労協が働き手に対し労働者以下の劣悪な労働環境を強制して労働搾取してはばからない愚行を演じることになる。議員立法による不十分な検討でこのような法律が成立することに嘆かざるを得ない。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ecd7.html(第4の原理「あそしえーしょん」なんて存在しない)

・・・ごく最近も柄谷行人氏が『世界史の構造』(岩波書店)という大部の本で、世界史は3つの原理の絡み合いというところは全くその通りなのに、第4の原理として「アソシエーション」を持ち出しています。そう言うのが一番危ないのですがね。
たぶん、現在の組織のなかで「アソシエーション」に近いのは協同組合でしょうが、これはまさに交換と脅迫と協同を適度に組み合わせることでうまく回るのであって、どれかが出過ぎるとおかしくなる。交換原理が出過ぎるとただの営利企業と変わらなくなる。脅迫原理が出過ぎると恐怖の統制組織になる。協同原理が出過ぎると仲間内だけのムラ共同体になる。そういうバランス感覚こそが重要なのに、そのいずれでもない第4の原理なんてものを持ち出すと、それを掲げているから絶対に正しいという世にも恐ろしい事態が現出するわけです。マルクス主義の失敗というのは、世界史的にはそういうことでしょう。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-132e.html(アソシエーションはそんなにいいのか?)

・・・それぞれの立場、というよりも、ものの考え方のスタイルによってさまざまに違った見え方をするのだということなのでしょう。
現実に存在するか否かにかかわらず思想の次元でものごとを突き詰めて考える人と、アソシエーションであれ社会主義であれ何であれ、現実に存在するシステムとして考える人との思考の落差であるのかも知れません。
私にとって「現実に存在する」アソシエーションの理念型に近いのは労働者生産協同組合であり、それとの共通性と相違性がものごとを考える出発点になります。実定法上は営利社団法人でしかないにもかかわらずあたかもそれへの(「コンビネーション」ですか)労務提供契約者であるはずの者をアソシエートした「社員」であるかのごとく思いなす日本型システムのメカニズムが興味の対象であり、その理念型である労働者生産協同組合がなお「私的労働にすぎない」「アソシエーションじゃない」といわれると、一体真のアソシエーションはどこにあるのかと途方に暮れてしまうわけです。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-e1d4.html(メンバーシップ型雇用社会における協同組合のポジショニング)

・・・ただ、全体をざっと読んで感じたのは、雇用契約自体がメンバーシップ型に傾斜している日本社会において、本来的にメンバーシップ型である協同組合のあるべき位置が狭められてしまい、むしろ本来の機能を超えた公益的存在意義を主張しなければならなくなっているのではないか、ということでした。 
・・・言いたいことは実によく分かるのですが、しかしこれは、本来株主の「私益」を目指すための営利社団法人である会社が、ある意味で協同組合的性格に近い労働者のメンバーシップ型共同体に接近したため(商法上の社員じゃない「社員」の「共益」)、本来の協同組合のポジショニングが狭められてしまい、「公益」にシフトしようとしているようにも見えます。

ついでに、ワーカーズコレクティブ組合員の労働者性が問題になった裁判例の評釈も。こちらは英語ですが。

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2020/023-03.pdf(Worker Status of the Joint Enterprise Cooperative Members The Joint Enterprise Cooperative Workers’ Collective Wadachi Higashimurayama Case  Tokyo High Court (Jun. 4, 2019) 1207 Rodo Hanrei 38)

 

 

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