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2020年6月

2020年6月30日 (火)

緊急コラム「新型コロナの影響を受けて増加した休業者のその後」@中井雅之

本日公表された労働力調査のデータ等をもとに、JILPTの中井雅之さんが緊急コラム「新型コロナの影響を受けて増加した休業者のその後─休業者から従業者に移る動きと、非労働力から失業(職探し)に移る動き─」をアップしています。

https://www.jil.go.jp/tokusyu/covid-19/column/015.html

休業者の推移をみると、下のグラフのように4月に急増した後5月に若干減少しており、その分稼働している従業者が増えていますね。

015fig1

あと、遅い遅いと批判された雇用調整助成金ですが、最新の数字では累計支給申請件数29万6,972件、累計支給決定件数は19万2,964件に上っています。

イエスは白人でも黒人でもないはずだが・・・

Whitejesus220629thumb720xauto203810 これは正直、意味がよく分からないのですが、

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93812.php(イエス・キリストは白人から黒人に戻る?)

イギリスのカンタベリー大司教ジャスティン・ウェルビーは6月26日、英国国教会をはじめ世界中の宗教機関は、「白いキリスト」について「当然」再考すべきだと語った。
制度的な人種差別を終わらせろと抗議する行動が世界中で勢いを増す中、世界の165を超える国にまたがる数百万人もの信者の頂点に立つアングリカン・コミュニオンの大司教が、イエス・キリストを白人として描くことは人種差別的だと反対の声を上げたのだ。 

いや、「白人」という言葉の意味も実は不明確ですが、古代パレスチナにユダヤ人として生まれ、アラム語を喋っていた若者が、ヨーロッパ半島の印欧語族ではないことは確かですが、サハラ砂漠以南に住む黒人でないことも確かだと思いますが。

わざわざタイトルに「黒人」といっているので、どこかでそんなことを言っているのかなと見ていくと、

市民活動家のショーン・キングは、白人のイエス・キリスト像は「白人至上主義の一形態」であるとし、ツイッターで撤去を呼びかけた。現在のパレスチナで生まれたイエス・キリストが白人だったはずはなく、黒人だった可能性が高いというのは専門家も認めるところだ。 

いや歴史上、「黒人」という言葉の意味も実は不明確ですが、少なくとも私の知る限り、パレスチナの地にサハラ砂漠以南に住む黒人が住んでいたという記録はないはずですが。

これ、ニューズウィーク日本版に載っているので、もとの英語版を見てみたら、当該部分は

https://www.newsweek.com/head-church-england-white-jesus-should-reconsidered-amid-protests-1513809

Earlier this week, activist Shaun King added white Jesus monuments to the growing list, saying the depictions were "a form of white supremacy." 

あれ、イエスが黒人だと主張している部分がないんですけど。

その次のパラグラフも、

BLM(ブラック・ライブズ・マター=黒人の命は大事)運動ニューヨーク地区責任者のホーク・ニューサムは24日、フォックス・ニュースのインタビューでキングに同調した。「青白い肌のキリストの肖像は、アメリカと世界における偽善と白人至上主義にすぎない」と、ニューサムは言った。「イエスは白人ではなかった。誰でも知っていることだ」

Hawk Newsome, the chairman of Black Lives Matter's New York chapter, echoed King's criticism during an interview with Fox News on Wednesday. "It's just the hypocrisy and the white supremacy in America and in the world that we show portraits of a pasty, white Jesus," Newsome said. "Jesus was not white. We all know this." 

いやだから、(ヨーロッパ系の)白人じゃないと、当たり前のことをいっているだけで、(アフリカ系の)黒人だなんていっていないと思うんですけど、なんでこうなるんだろう。

 

 

2020年6月29日 (月)

ホテル配膳人はなぜ日雇なのか

東京新聞に興味深い記事が出ています。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/38558(ホテル配膳人の失業相次ぐ 日雇い慣行、コロナ不況直撃 「常勤並み」でも休業手当なし)

ホテルのレストランや宴会、結婚式などで接客を担う「配膳人」。新型コロナウイルスの影響でホテルの利用者が激減していることを受け、休業手当などの補償も受けられないまま仕事を失う人が相次いでいる。ホテル業界では長年、配膳人をその日の需要に応じて日雇いで集める慣行が続いているが、実際には常勤に近い形で働く例も多い。専門家からは「慣行自体を見直すべきだ」という声も聞かれる。・・・ 

これ、多くの人が内心変だと思いながら、まあ昔からそうなっているからとそのまま来ている慣行なんですね。

ただね、実際は常勤で働いているのに形式上日雇ということになっているのには、かつて職業安定法により労働者供給事業がほぼ全面的に禁止されている中で、実態は労働者供給事業なのに、それを有料職業紹介事業だということにして、表面だけ取り繕ってやってきたことの帰結という面があるんですね。

その典型は、戦前労務供給事業でやっていた看護婦家政婦の派出事業ですが、病院の付添婦が賄えないので大変だということで、むりむり有料職業紹介だということでやれたために、その後マネキンとか配膳人とかも同じビジネスモデルに載っていったわけです。

もしそういう姑息なやり方をしないで、(後に派遣法で実現するように)正面から労働者派遣事業という形でやっていれば、派遣料でまかなえるものを、紹介手数料で賄わなければならないものだから、紹介しっぱなしでは取れるものもとれないので、日々紹介して日々手数料を取っているという形式を整えて、今までやってきたわけです。その帰結。

 

 

 

 

 

日本型雇用システムのあした@『ひろばユニオン』7月号

Hiroba 『ひろばユニオン』7月号に「日本型雇用システムのあした」を寄稿しました。

中身はおおむね次の通りですが、

ジョブ型とメンバーシップ型
「働き方改革」をめぐって
ジョブ型 経営側は抑制的
ジョブ型からタスク型へ?
第4次産業革命の揺さぶり

このうち、最近の経団連の動きについて論じた一節だけ、世間での議論がねじれ気味であるだけに、ちょっと公開しておきます。

 一方、近年経団連が「ジョブ型」を推進しようとしていることが注目されている。もっとも、今年1月の『2020年版経営労働政策特別委員会報告』は、「メンバーシップ型社員の採用・育成を中心とした日本型雇用システムには様々なメリットがある一方で、経営環境の変化などに伴い、課題も顕在化してきている」と指摘しつつ、「ただちに自社の制度全般や全社員を対象としてジョブ型への移行を検討することは現実的ではない」と抑制的である。

 具体的に示唆しているのは「Society5.0時代に向けて、最先端のデジタル技術などの分野で優れた能力・スキルを有する人材への企業のニーズが高まっていることから、こうした高度人材に対して、市場価値も勘案し、通常とは異なる処遇を提示してジョブ型の採用を行うこと」や、そうした「ジョブ型社員には職務給や仕事給、役割給の適用を検討する」ことなどであり、要するに「メンバーシップ型のメリットを活かしながら、適切な形でジョブ型を組み合わせた『自社型』雇用システムを確立すること」である。一部マスコミ報道が煽り立てるような、全面的なジョブ型社会への移行を唱えているわけではない。

 これを見て想起されるのは、四半世紀前の1995年に当時の日経連が打ち出した『新時代の「日本的経営」』における「高度専門能力活用型」である。

 同書は「長期蓄積能力活用型」という名で正社員を(主に入口で)絞り込みつつ、「雇用柔軟型」という名の非正規雇用を拡大していくという戦略を示したが、その中間に「高度専門能力活用型」の創設が提起されていた。これが両者の中間におかれているのは、その定着性の観点からであって、その社会的地位がメンバーシップ型正社員とパート・アルバイトの中間という意味ではなかったはずである。

 ところがこの四半世紀、「契約社員」という名の新たな非正規労働者は明らかにメンバーシップ型正社員の下に位置付けられ、パート・アルバイトと大して変わらないような存在となってきた。その結果、高給の「働かないおじさん」の隣で、非正規の専門職労働者たちが主戦力化しているという光景が、日本のあちこちで見られるようになっている。

 経団連のいう「ジョブ型」とは、働き方改革が目指す限定正社員への接近ではなく、四半世紀前の「高度専門能力活用型」のリバイバルと見た方がわかりやすい。少なくとも、1960年代までの日経連のように、同一労働同一賃金に基づく職務給の導入を声高に唱道しているわけではない。せいぜい、「キャリア面では、メンバーシップ型とジョブ型社員の双方から、経営トップ層へ登用していく実績をつく」ることが目新しい程度である。
 

 

 

 

 

 

2020年6月28日 (日)

濱口語法?

https://twitter.com/ssig33/status/1217478471661715457

Ocywmxdx_400x400 濱口桂一郎が使う言葉や概念、その界隈において広く受け入れられているかというとそうではないのだけど、濱口桂一郎がずっとブログを使っていてインターネットのある種の人達の間では彼と彼の使う概念が広く浸透していて、濱口語法みたいのが人からでてくるとオッってなる 

いやまあ、濱口語法だか何だか知りませんが、「リベサヨ」にしても「ジョブ型」にしても、その言葉を作った当の本人から見てあまりにもトンデモな語法が堂々と世間で通用してしまっているのを、毎日毎日これでもかこれでもかと見せつけられると、おそらくこのツイートの方の趣旨とはやや違った意味においてではありますが、「オッってな」りますね。

2020年6月26日 (金)

「経産省のチャラ男」とはあなたのこと

経産省の脱藩官僚こと古賀茂明氏が「経産省のチャラ男たちが国を亡ぼす」と言っていますが、いやその典型があなたなのでは?

https://dot.asahi.com/wa/2020062200052.html

・・・彼は、「チャラ男」で有名。誰もが知る事実だ。では、なぜ彼が出世するのか。それは、経産省がチャラ男なしには生きていけないからだ。 

少なくとも彼が書いた本を読む限り、もっとも経産省的なチャラ男というのは古賀茂明氏ご自身以外の誰でもないように思われるのですが。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-916a.html(古賀茂明氏の偉大なる「実績」)

4062170744  正直言って、ここ十数年あまりマスコミや政界で「正義」として語られ続け、そろそろ化けの皮が剥がれかかってきたやや陳腐な議論を、今更の如く大音声で呼ばわっているような印象を受ける本ではありますが、それ自体は人によってさまざまな見解があるところでしょうし、それを素晴らしいと思う人がいても不思議ではありません。
 彼が全力投球してきた公務員制度改革についてもいろいろと書かれていますが、不思議なことに、公務員全体の人数の圧倒的多数を占める現場で働くノンキャリの一般公務員のことはほとんど念頭になく、ましてや現在では現場で直接国民に向かい合う仕事の相当部分を担っている非正規公務員のことなどまるで関心はなく、もっぱら霞ヶ関に生息するごく一部のキャリア公務員のあり方にばかり関心を寄せていることが、(もちろんマスコミ界や政界の関心の持ちようがそのようであるからといえばそれまでですが)本来地に足のついた議論を展開すべき高級官僚としてはどういうものなのだろうか、と率直に感じました。まあ、それも人によって意見が分かれるところかも知れませんが。
 しかし、実はそれより何より、この本を読んで一番びっくりし、公僕の分際でそこまで平然とやるのか、しかもそれを堂々と、得々と、立派なことをやり遂げたかのように書くのか、と感じたのは、独占禁止法を改正してそれまで禁止されてきた持株会社を解禁するという法改正をやったときの自慢話です。
 不磨の大典といわれた独禁法9条を改正するために、当時通産省の産業政策局産業組織政策室の室長だった古賀茂明氏は、独禁法を所管する公正取引委員会を懐柔するために、公取のポストを格上げし、事務局を事務総局にして事務総長を次官クラスにする、経済部と取引部を統合して経済取引局にし、審査部を審査局に格上げするというやりかたをとったと書いてあるのですね。
嘘かほんとか知りませんが、
>公取の職員はプロパーなので、次官ポストが出来るというだけで大喜びするはずだ。公取の懐柔策としてはこれ以上のものはないという、という私の予想は的確だった。
>思った通り、公取は一も二もなく乗ってきた。ただ、公取としては、あれだけ反対していたので、すぐに持株会社解禁OKと掌を返しにくい。・・・
>・・・公取の人たちは「こんなことをやっていると世間に知れたら、、我々は死刑だ」と恐れていたので、何があっても表沙汰には出来ない。
>この独禁法改正が、今のところ私の官僚人生で、もっとも大きな仕事である。
 純粋持株会社の解禁という政策それ自体をどう評価するかどうかは人によってさまざまでしょう。それにしても、こういう本来政策的な正々堂々たる議論(もちろんその中には政治家やマスコミに対する説得活動も当然ありますが)によって決着を付け、方向性を決めていくべきまさ国家戦略を、役所同士のポストの取引でやってのけたと、自慢たらたら書く方が、どの面下げて「日本中枢の崩壊」とか語るのだろうか、いや、今の日本の中枢が崩壊しているかどうかの判断はとりあえず別にして、少なくとも古賀氏の倫理感覚も同じくらいメルトダウンしているのではなかろうか、と感じずにはいられませんでした。
 わたくしも公務員制度改革は必要だと思いますし、とりわけ古賀氏が関心を集中するエリート官僚層の問題よりも現場の公務員のあり方自体を根本的に考えるべき時期に来ているとも思いますが、すくなくとも、国家の基本に関わる政策を正攻法ではなくこういう隠微なやり口でやってのけたと自慢するような方の手によっては、行われて欲しくはない気がします。
 それにしても、通常の政策プロセスで、それを実現するために政治家やマスコミに対して理解を求めるためにいろいろと説明しに行くことについてすら、あたかも許し難い悪行であるかのように語る人々が、こういう古賀氏の所業については何ら黙して語らないというあたりにも、そういう人々の偏向ぶりが自ずから窺われるといえるかも知れません。 

 

 

コロナショックの被害は女性に集中@周燕飛

Zhou_y_20200626153301 JILPTの周燕飛さんがコロナに関して「コロナショックの被害は女性に集中─働き方改革でピンチをチャンスに─」というコラムをアップしました


https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/038_200626.html


JILPTの最新調査のデータを使って、コロナの影響がとりわけ女性を直撃していることを明らかにしていきます。「女性の休業者比率は男性の3倍以上」とか、「労働供給を一時的に減らさざるを得ない子育て女性」とか、「子育て女性の平均労働時間15.5%減、平均月収8.8%減」といった事実が次々と明らかにされていきます。その具体的な分析の一つ一つは是非リンク先をじっくり読んでいただくこととして、ここでは最後のパラグラフで、若干周さんの個人的意見を広げている部分を紹介しておきます。



・・・・新型コロナウィルスの影響で、女性が男性よりも大幅に就業時間を減らしたり、休業したりしていることが、JILPTの5月調査によって明らかになった。その状況が長引く場合には、女性のキャリアに深刻な影響が及ぶことが懸念される。また、就業を控えることによる女性の収入減がさらに続けば、家計にも大きな影響が及ぶだろう[注9]。
もっとも、働く女性にとっては悪いことばかりではないかもしれない。新型コロナの大流行によって押し寄せるテレワークをはじめとする働き方改革の波は、女性にとっては長期的に有利になると指摘する研究者もいる[注10]。
電車通勤が不要で、仕事の傍らで子どもの世話もできるテレワークは、もともと男女格差の解消のためにその普及が期待された働き方の1つである。そのほか、時差出勤、裁量労働等時間といった柔軟性の高い働き方も、女性が正社員の仕事を持続させやすい働き方とされる。感染症対策をきっかけに、テレワーク、時差出勤、裁量労働等の柔軟性の高い働き方が一気に広がり、新型コロナ終息後も日本社会に根付くことが期待される。
柔軟な働き方が普及すれば、女性のライフスタイルに革命的な変化をもたらされる可能性が高い。これまで日本の女性は、妊娠・出産を機にキャリアの主戦場から離れ、子育てが一段落してから、パートとして再就職するという専業主婦流のライフスタイルをとることが多かった[注11]。仮にコロナショックによって大きな「働き方革命」が起きた場合、出産・子育て期を乗り越えて、正社員として働き続ける女性が増える。近い将来、夫婦完全共働きモデルが専業主婦流のライフスタイルに取って代わることも空想ではなくなるかもしれない。その意味で、コロナショックは、男女の雇用機会平等を実現する好機となる可能性を秘めている。



 

『Japan Labor Issues』7月号もコロナ特集

Jli_20200626095301 JILPTの英文誌『Japan Labor Issues』7月号もコロナ特集で、わたくし、周燕飛さん、中井雅之さんの3人の記事(既に和文で発表済のものをアップデートしたもの)が掲載されています。

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2020/024-00.pdf

Spread of the Novel Coronavirus and the Future of Japanese Labor Policy HAMAGUCHI Keiichiro
A Look at Japanese Households Facing Risk of Livelihood Collapse Due to COVID-19 ZHOU Yanfei
Employment Trends and Employment/Labor Measures of Japan Affected by Spread of COVID-19 NAKAI Masayuki 

その他、判例評釈では池添弘邦さんが例のセブンイレブン事件の中労委命令を取り上げており、また日本の雇用システムの連載では西村純さんの賃金の二回目で、企業規模との関係を論じています。

Judgments and Orders
Is an Owner-manager of a Convenience Store a “Worker” under the Labor Union Act? The Seven-Eleven Japan Case IKEZOE Hirokuni

Japan's Employment System and Public Policy 2017-2022 Wages in Japan
Part II: Wages and Size of Company NISHIMURA Itaru 

 

 

はんこ改正という歴史秘話トリビア

なんだかコロナでテレワークの阻害要因がはんこだという話ですったもんだしているようですが、労働組合法における労働協約の効力発生要件に、わざわざそれまでなかったはんこを入れた改正があったという歴史秘話トリビアを。

終戦の年に作られた旧労働組合法は、その第19条で労働協約について規定していましたが、その時は書面で作ればよく、むしろ行政官庁への届出制となっていましたが、

第十九条 勞働組合ト使用者又ハ其ノ團體トノ勞働条件其ノ他ニ關スル勞働協約ハ書面ニ依リ之ヲ為スニ因リテ其ノ効力ヲ生ズ
勞働協約ノ當事者ハ労働協約ヲ其ノ締結ノ日ヨリ一週間以内ニ行政官廰ニ届出ヅベシ

1949年にGHQの命令で改正されたときには、第14条はこうなっていました。

(労働協約の効力の発生)

第十四条 労働組合と使用者又はその団体との間の労働条件その他に関する労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名することによつてその効力を生ずる。

そう、アメリカ風に、署名、サイン、シグナチャア、が効力発生要件になっていたんですね。はんこなんていう東洋文化ではだめだったのです。

ところが占領が終結し、占領下の行き過ぎを修正するという触れ込みで諸々の法改正がされる中、さりげなく、

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01319520731288.htm

第三条 労働組合法(昭和二十四年法律第七十四号)の一部を次のように改正する。

  第十四条中「署名すること」を「署名し、又は記名押印することに」改める。

いやまあ、労使関係の中身にはほとんど関係のないまことにトリビアな改正ではあるんですが、ちゃんとはんこを使えるようにしろという声がどこからともなくあったことが窺われます。

 

『ビジネス・レーバー・トレンド』2020年7月号は総力コロナ特集

202007 『ビジネス・レーバー・トレンド』2020年7月号は総力コロナ特集です。

https://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2020/07/index.html

各国レポート 米英独仏の新型コロナ対策の動向―― 調査部 海外情報担当
アメリカ新型コロナウイルスの感染拡大に対応する雇用維持・生活支援策イギリス雇用主への賃金助成で雇用維持へドイツ「操業短縮手当の要件緩和」や「個人事業主・零細企業への給付金支援」を実施フランス既存の部分的失業制度や健康保険の特別措置で対応
資料 新型コロナウイルス感染症に関する緊急雇用・社会政策的対応――国民と企業に対する新たな支援策(OECD分析 2020年3月20日)

Focus 海外有識者からの報告――イギリス・ドイツ・フランス

国内の動き 新型コロナウイルスへの雇用面の対応――調査部
雇用調整助成金の抜本拡充や中小企業労働者への新型コロナウイルス感染症対応休業支援金創設を決定――厚生労働省第2次補正予算

新型コロナウイルス感染症の拡大防止に向けた労使の対応
経団連・経済同友会・日本商工会議所/連合・全労連

【取材】新型コロナウイルス感染症が各業界におよぼす影響と労使の取り組み 看護  介護  宿泊・旅行  輸送  流通・小売  金属・機械  食品製造  人材サービス

【資料】新型コロナウイルス感染症に起因する雇用への影響に関する情報――厚生労働省 

海外の動きも重要ですが、ここでは各業界労使の対応を取材した記事から、日本医労連と日本介護クラフトユニオンの声を。

「病院職員というだけで保育園の入園を断られる、家族から帰ってこないで欲しいと言われるなど、差別・偏見的扱いに対しての声は、感染が拡大しはじめた3月から非常に多く寄せられている」

「訪問介護従事者は高年齢化が特に進んでおり、当組合員の平均年齢は55歳、中には80歳くらいで働いている人もいる。社会貢献をしたい、人に喜んでもらいたいという思いで従事しているのに、一部の組合員には、高齢を理由に介護職を辞めて欲しいと言われている人もいて、より人手不足に陥ることに不安を感じる」

そのほかにも、いわゆるエッセンシャル・ワーカーと言われる人々の現場からの声が満載です。

 

 

 

2020年6月25日 (木)

フリーランスのガイドライン策定?

本日の全世代型社会保障検討会議に、第2次中間報告案というのが出されていますが、

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/zensedaigata_shakaihoshou/dai9/siryou1.pdf

その中で、フリーランス、介護、最低賃金、少子化対策等についていろいろと記述されていますが、ここではやはり、フリーランスに関する部分に注目しておきたいと思います。

フリーランスは、多様な働き方の拡大、ギグエコノミーの拡大による高齢者雇用の拡大、健康寿命の延伸、社会保障の支え手・働き手の増加などの観点からも、その適正な拡大が不可欠である。
さらに、新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、フリーランスの方に大きな影響が生じており、発注のキャンセル等が発生する中、契約書面が交付されていないため、仕事がキャンセルになったことを証明できない、といった声もある。
こうした状況も踏まえ、政府として一体的に、フリーランスの適正な拡大を図るため、以下のルール整備を行う。

(1)実効性のあるガイドラインの策定  

と、「適正な拡大」を目指してガイドラインを策定するという方向性が示されています。

そのガイドラインの中身は、

①契約書面の交付
②発注事業者による取引条件の一方的変更、支払遅延・減額
③仲介事業者との取引に対する独占禁止法の適用
④現行法上「雇用」に該当する場合 

と並んでいて、さらに

(2)立法的対応の検討
(3)執行の強化
(4)労働者災害補償保険等の更なる活用 

という項目があります。

この労災保険の特別加入の拡大話は、既に6月1日に労政審の労災保険部会が開かれて、議論が始まっていますね。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11594.html

このときの議事録もすでにアップされています

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_12053.html

これらはコロナ以前から議論されていたトピックですが、今回のコロナ危機で、フリーランスの人々のセーフティネットの脆弱さが改めて注目されたことを踏まえれば、もう少し広がりのある議論も必要になるかもしれません。

 

 

 

 

 

杉田昌平監修『外国人高度人材はこうして獲得する!』

0519154202_5ec37fba50a0a 弁護士の杉田昌平さんより、杉田さんが監修された弁護士杉田昌平監修/株式会社ASIA to JAPAN編著『外国人高度人材はこうして獲得する!―「準備」「手続」「定着」の採用戦略―』(ぎょうせい)をお送りいただきました。

https://shop.gyosei.jp/products/detail/10371

■本書は、外国人学生および社会人の入社受入れ支援・サポートを中心に事業展開する企業関係者が、外国人高度人材を採用するにあたっての準備、手続、定着の最新のノウハウを解説した実践的手引書です。
■アジアを中心とした外国人の採用支援の経験豊富な著者が、採用準備段階からどのような手続が必要か、採用後に定着させるには何が必要かを解説。
■高度人材の受け入れで成功した企業7社へのインタビューを掲載することで、採用のポイントが現場の目線から理解できます! 

と言うことで、まさに外国人高度人材を採用するための実務書なんですが、表層的でなく本質に迫った実務書であればあるほどそういうものですが、なまじいなアカデミックな本よりも日本型雇用の本質、言い換えれば日本以外の諸国の雇用の本質をきちんと語っています。何かと誤解されがちな「ジョブ型」とは何かという話ですが、そこに至らないと、外国人材の採用は難しいんだよ、というメッセージが詰まっています。

たとえば、第1章の第2「日本の採用実務のガラパゴス化」や、第4章の第1「日本型雇用と外国人材」などは、この問題の本質が集約的に書かれています。

 

2020年6月23日 (火)

税法上の労働者概念と事業者概念@WEB労政時報

WEB労政時報に「税法上の労働者概念と事業者概念」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers/login.php

 今回のコロナ危機は、雇用労働者と非雇用労働者のはざまをめぐるさまざまな問題を表舞台に引きずり出す効果を果たしていますが、その中でも特に、これまであまり注目されてこなかった税法上の労働者性と事業者性の判断基準が、労働法や社会保障法上の判断基準と食い違っていることの問題点が露呈しつつあるようです。
 まず問題になったのは、新型コロナウイルス感染拡大や政府の自粛要請により収入が大幅に減少したフリーランスや中小企業を支援する「持続化給付金」をめぐり、税務署の指導に従って主たる収入を「雑所得」「給与所得」として申告してきた人たちが対象外とされる事態でした・・・・・ 

(追記)

このエッセイの最後の一文は、

・・・・それにしても、あれだけ熱っぽく交わされている労働法上の労働者性問題の議論において、この税法上の労働者性、事業者性との齟齬に関する問題意識はほとんど見られないことに、あらためて議論の欠落を感じざるを得ません。現実社会では、給与所得か事業所得かという区分こそが重大問題になっているのです。 

と、まるで誰もこの問題を取り上げていないかのような書き方をしてしまいましたが、実は『民商法雑誌』という京都系の法学雑誌の今年4月号が「社会の変化と租税制度」という特集を組んでいて、こういう論文が載っていますので、ちゃんとそういう問題意識はある人にはあるということで、お断りをしておきます。

http://www.yuhikaku.co.jp/static/minshoho.html

Minshouhou 第156巻 第1号(2020年4月号) 本体4,000円+税
特集 社会の変化と租税制度
 企画趣旨●渕 圭吾
 働き方の変化と労働法規制の意義と限界――イギリスにおける労務提供契約の不確定化に起因する諸問題を素材として●新屋敷 恵美子
 働き方の変化と租税法――所得税を中心に●渕 圭吾
 社会保障における所得再分配の現状と課題――老齢年金を主たる題材として●中野妙子
 再分配――租税法の観点から●浅妻章如
 金融取引と税――金融法研究者の視点から●森下哲朗
 デリバティブ取引を中心とした金融取引に対する課税●藤岡祐治
 インターネットと抵触法――デジタル・プラットフォームの発展を踏まえて●横溝 大
 情報通信技術の発展と国際租税法●渕 圭吾 

 

2020年6月21日 (日)

「いまこそジョブ型だ!だからエグゼンプションだ!」という非論理の雇用システム的原因

昨日のエントリに、「ある外資系人事マン」さんのコメントがついていて、そのうちエグゼンプションについて若干付け加えておく必要を感じましたので、別にエントリを起こして解説しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-389a48.html#comment-118032258

そもそもジョブ型ではない日本では、組織の上から下まで連続的かつ相互浸透的に業務内容がつながっており、ここから上はエグゼンプト、ここから下はノンエグゼンプトという風にきれいに切り分けられません。

それを硬直的なジョブ型に対してフレクシブルなメンバーシップ型のメリットと褒め称えるか、明晰なジョブ型に対して曖昧模糊たるメンバーシップ型のデメリットとけなすかは、情緒論的側面を別にすれば何等本質的ではありません(世の評論家諸氏はその手の情緒論が大好きですが)。

それゆえ、日本の非管理職正社員は、法律上は欧米のノンエグゼンプトに対応する者と位置付けられているにもかかわらず、社会的実体としてはなにがしかエグゼンプト的要素を(様々な程度において)有する者として存在しており(平社員に対して「経営者目線でものを考えろ!」とか)、それゆえサービス残業という形で表れる疑似エグゼンプト現象が極めて広範にみられるのであり、それを(素直に)労働基準法違反と指弾する議論が、社会の現実の感覚から乖離した空疎な観念論であるかのごとく感じられてしまい、それをもっと現実感覚に近づけることがあるべき正しい改革と認識され、その(以上からわかるように、極めてメンバーシップ型感覚に濃厚に根差した)エグゼンプション志向論が、(本来雇用システム論的にはそれとは全く反対の方向性を持つはずの)なんだか最近流行しているらしい手近な「ジョブ型」論に安易にくっついて、

いまこそジョブ型だ!だからエグゼンプションだ!

という(論理的には極めて混乱の極みであるような)非論理が蔓延してしまうのでしょう。

2020年6月20日 (土)

荒木尚志『労働法 第4版』

L24317 荒木尚志『労働法 第4版』(有斐閣)をお送りいただきました。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641243170

最近は、労働法の教科書といえばほぼ2年おきの改訂がデフォルトルールとなりつつあり、中にはせわしなくも1年おき改訂に近づいているものすらありますが、その中でこの荒木テキストは、ほぼ3年半おきという、ややゆっくり目の改訂ペースを保っていて、前回改定からどれくらい変わったかなというのをページをめくりながら探すのが楽しみな一冊です。

今回の改訂では、いうまでもなく働き方改革による改正が取り上げられていて、やはり例の同一労働同一賃金のあたりの記述が気になりますよね。

・・・・こうした中で、2016年1月に安倍首相が非正規雇用の待遇改善のために同一労働同一賃金の実現に踏み込む旨を宣言し、にわかに同一労働同一賃金導入論が沸き起こった。・・・同一労働同一賃金導入論は意外感を持って受け止められる政策提言であった。その提言は、当初は文字通り同一労働同一賃金原則を法律上明定するとしていたが、その後条文化に当たっては「合理性的理由(ママ)のない処遇格差禁止」として立法化すべきものとの説明がなされ、最終的には、労契法20条同様、「不合理な相違の禁止」という政策的格差是正規制に落ち着くこととなった。

政府は「同一労働同一賃金」というスローガンによって、正規・非正規雇用の格差是正の法改正を行った。しかし、この表現は法的には不正確で、誤解を招きかねない・・・・・

今となっては、これはあまりにも当たり前の評価の言葉としか思えないでしょうが、その安倍首相の発言当時、うかつにも日経新聞のインタビューで素直にもこういう趣旨のことをしゃべって、それがそのまま記事になった私からすると、実に様々な感慨が去来するところがあります。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO96617230X20C16A1NNS000/(同一労働同一賃金、難しい 労働政策研究・研修機構主席統括研究員 浜口桂一郎氏)

安倍首相が施政方針演説で「同一労働同一賃金の実現に踏み込む」と発言したことに驚いた。非正規社員の「均等、均衡待遇を確保する」という表現なら分かる。正社員化を進めたり、正社員の処遇に近づけたりする、という従来の取り組みの延長線上だからだ。
同一労働同一賃金は意味が全く違う。同じ仕事内容に対して同じ賃金を払う考え方は欧米では一般的だが、日本では難しい。日本の正社員は仕事の範囲があいまいで・・・・・ 

 

「ジョブ型」の典型は、アメリカ自動車産業のラインで働くブルーカラー労働者である

先日も日経の記事に苦言を呈したばかりですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-a51574.html(なんで「ジョブ型」がこうねじれるんだろう?)

今朝も一面トップでどどーんとやってくれました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60599430Q0A620C2MM8000/(「ジョブ型」に労働規制の壁、コロナ下の改革機運に水)

企業が職務内容を明確にして成果で社員を処遇する「ジョブ型雇用」の導入を加速している。新型コロナウイルスの影響を受けた在宅勤務の拡大で、時間にとらわれない働き方へのニーズが一段と強まっているからだ。だが成果より働いた時間に重点を置く日本ならではの規制が変化の壁になりかねない。・・・・ 

いかに流行語になっているからといって(それにしては、流行語大賞の声はかかってこないなあ)、なんでもかんでもジョブ型って言えばいいわけじゃない。

こういうのを見ていると、この日経記者さんは、日米欧の過去100年以上にわたる労働の歴史なんていうものには何の関心もなく、そういう中で生み出されてきた「ジョブ型」システムというものの社会的存在態様なんかまったく知る気もなく、ただただ目の前の成果主義ということにしか関心がなく、それに都合よく使えそうならば(実は全然使えるものではないのだが)今受けてるらしい「ジョブ型」という言葉をやたらにちりばめれば、もっともらしい記事の一丁上がり、としか思っていないのでしょう。

最近のときならぬ「ジョブ型」の流行で、ちゃんとした労働関係の本なんかまったく読まずにこの言葉を口ずさんでいる多くの人々に、とにかく一番いい清涼剤を処方しておくと、

「ジョブ型」の典型は、アメリカ自動車産業のラインで働くブルーカラー労働者である

これ一つ頭に入れておくと、今朝の日経記事をはじめとするインチキ系の情報にあまり惑わされなくなります。

世界の労働者の働き方の態様は実に千差万別です。その中で、アメリカ自動車産業のラインで働くブルーカラー労働者は、そのあまりにも事細かに細分化された「ジョブ」の硬直性により有名です。

間違えないでください。「ジョブ型」とはまずなによりもその硬直性によって特徴づけられるのです。

だってそうでしょ。厳格なジョブ・ディスクリプションによってこれは俺の仕事、それはあんたの仕事と明確に線引きされることがジョブ型のジョブ型たるゆえんなんですから。

数か月後に刊行される『働き方の思想史講義』(仮題、ちくま新書)の中でも引用していますが、監督者がごみを拾ったといって組合が文句をつけてくるのが本場のジョブ型なんですよ。

そういうジョブの線引きの発想はホワイトカラーにも適用され、雇用契約というのは契約の定めるジョブの範囲内でのみ義務を負い、権利を有するという発想が一般化したわけです。それがジョブ型労働社会の成立。おおむね20世紀半ばごろまでに確立したと言われています。

一方、賃金支払い原理としての成果主義か時間給かというのは、一応別の話。

一応といったのは、むしろジョブ型が確立することで、それまで一般的だった出来高給が影を潜め、時間給が一般化していったからです。

これも、不勉強な日経記者をはじめ、圧倒的に多くの日本人が逆向きに勘違いしているようですが、ジョブ型の賃金制度とは、ジョブそのものに値札が付いているのであり、ということは、人によって値段が違うということはそもそもあり得ないのです。

そもそもジョブ型ではなく、人に値札が付くのがあまりにも当たり前に思っている日本人には意外に思えるかもしれませんが、日本以外の諸国では、ブルーカラーはもとより、ホワイトカラーでもクラーク的な職務であれば、成果による差というのは原則的になく、まさにジョブにつけられた値札がそのまま賃金として支払われます。

ホワイトカラーの上の方になると、そのジョブディスクリプション自体が複雑で難しいものになりますから、その成果実績でもって差がつくのが当たり前になりますが、それは労働者全体の中ではむしろ少数派です。末端のヒラのペイペイまで査定されるなんてのは、人に値札が付くのを不思議に思わない日本人くらいだと思った方がいいくらいです。まあ、日本の「査定」ってのは大体、成果なんかよりもむしろ「情意考課」で、「一生懸命頑張ってる」てのを評価するわけですが、そういうのは日本以外ではないって考えた方がいい。やったら差別だと言われますよ。

で、欧米のジョブ型でも上の方は成果主義で差が付きます。はい、日本の最近のにわか「ジョブ型」論者は、なぜかそこだけ切り出してきて、それよりはるかの多くの労働者を(頑張りで査定している)疑似成果主義の日本を、あたかも純粋時間給の社会であるかのように描き出して、ジョブ型にして成果主義にしようといい募るんですね。いや純粋時間給は欧米の一般労働者の方ですから。

そうじゃないのがいわゆるエグゼンプトとかカードルで、彼らは初めからそういう高い地位で就職します。そういうハイエンドのジョブ型は、日本みたいに頑張りで情意評価なんてのはなくて業績で厳しく査定されますから、多分そこだけ見れば日本が甘くて欧米が厳しいみたいな感想が出てくるのでしょう。

はい、ここまでで、一つ目の話。

もう一つ片づけておかなければならないのは、テレワークの労働時間規制の話です。

・・・IT企業に勤める40代女性は、テレワークで時間管理が厳しくなり仕事の効率が落ちた。パソコンやスマートフォンの操作履歴を会社に把握され、午後5時の就業後にメール1本送れなくなった。「自分の都合に合わせて働けると思ったが、無駄な時間が増えただけ」と窮屈さにため息をつく。・・・

これもちょうど、『労基旬報』にエッセイを書いたところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-f59241.html(テレワークの推進が問い直すもの@『労基旬報』2020年6月25日号)

かつては、つまり情報通信技術が未発達で、いったん社外に出たらコントロールのしようがない時代というのがあったわけで、そうするとそもそも労働時間規制なんてやりようがないので、事業場外労働のみなし労働時間制でもって全部やっていたわけです。

これって、いってみれば社外裁量制みたいなもんですね。社内にいてもいちいち指示せずに自由にやらせるのが裁量制なら、社外にいて指示のしようがないから自由にやらせるしかないのが事業場外みなし制。

で、実は在宅勤務もかつては原則この事業場外労働でやっていたんですが、なまじ情報通信技術が発達しすぎて、一挙手一投足までいちいちコントロールしようと思えばできるようになってしまったため、むしろ通常の労働時間規制を適用するのが原則になってきてしまったんです。今の事業場外勤務のガイドラインはそうなっているんですが、私はそれには疑問を持っていて、せっかく会社から離れて自由に仕事を進められる可能性があるんだから、(やろうとおもったらできることをあえてやらずに)いちいちコントロールしないことをルール化した方がいいのではないかと思っています。

実をいうと、現在のガイドラインでも、そういうやり方は可能なはずです。

https://www.mhlw.go.jp/content/000545678.pdf(情報通信技術を利用した事業場外勤務の適切な導入及び実施のためのガイドライン)

 テレワークにより、労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、使用者の具体的な指揮監督が及ばず、労働時間を算定することが困難なときは、労働基準法第 38 条の2で規定する事業場外労働のみなし労働時間制(以下「事業場外みなし労働時間制」という。)が適用される。
 テレワークにおいて、使用者の具体的な指揮監督が及ばず、労働時間を算定することが困難であるというためには、以下の要件をいずれも満たす必要がある。
① 情報通信機器が、使用者の指示により常時通信可能な状態におくこととされていないこと
 「情報通信機器が、使用者の指示により常時通信可能な状態におくこととされていないこと」とは、情報通信機器を通じた使用者の指示に即応する義務がない状態であることを指す。なお、この使用者の指示には黙示の指示を含む。
また、「使用者の指示に即応する義務がない状態」とは、使用者が労働者に対して情報通信機器を用いて随時具体的指示を行うことが可能であり、かつ、使用者からの具体的な指示に備えて待機しつつ実作業を行っている状態又は手待ち状態で待機している状態にはないことを指す。例えば、回線が接続されているだけで、労働者が自由に情報通信機器から離れることや通信可能な状態を切断することが認められている場合、会社支給の携帯電話等を所持していても、労働者の即応の義務が課されていないことが明らかである場合等は「使用者の指示に即応する義務がない」場合に当たる。
 したがって、サテライトオフィス勤務等で、常時回線が接続されており、その間労働者が自由に情報通信機器から離れたり通信可能な状態を切断したりすることが認められず、また使用者の指示に対し労働者が即応する義務が課されている場合には、「情報通信機器が、使用者の指示により常時通信可能な状態におくこと」とされていると考えられる。
なお、この場合の「情報通信機器」とは、使用者が支給したものか、労働者個人が所有するものか等を問わず、労働者が使用者と通信するために使用するパソコンやスマートフォン・携帯電話端末等を指す。
② 随時使用者の具体的な指示に基づいて業務を行っていないこと「具体的な指示」には、例えば、当該業務の目的、目標、期限等の基本的事項を指示することや、これら基本的事項について所要の変更の指示をすることは含まれない。 

ただ、これはあくまでも例外で、テレワークでも通常の労働時間制度の適用が原則とされており、かつ日本の企業はどうしても一挙手一投足を管理したがる傾向にあるので、むしろテレワークは即応義務を課さずにみなし労働制でやるのを原則にした方がいいのではないかと思っているのです。

で、それは上で述べた「ジョブ型」云々という話とはほとんど関係がありません。

 

 

 

2020年6月19日 (金)

新型コロナウイルス感染症が新規高卒就職に及ぼす影響を展望する@堀有喜衣

Hori_y_20200619113401 JILPTの堀有喜衣さんが、コロナの緊急コラムとして、「新型コロナウイルス感染症が新規高卒就職に及ぼす影響を展望する─2009年から2010年の変化から─」を書いています。


https://www.jil.go.jp/tokusyu/covid-19/column/014.html



6月11日に、「令和3年3月新規高等学校卒業者の就職に係る採用選考開始期日等の変更について」(以下、就職活動の後ろ倒し)が発表された。新規高卒者の就職については、毎年開催される全国高等学校長協会、主要経済団体、文部科学省及び厚生労働省から構成される高等学校就職問題検討会議により採用選考開始期日が決められており、近年は9月16日が採用選考開始日となっていた。しかし新型コロナウイルス感染症による臨時休校により、通常なら遅くとも最終学年の春からスタートする就職指導ができなくなり、生徒の進路決定が多くの地域で遅れることになった。生徒の就職先の選択プロセスを充実させるため、就職活動の後ろ倒しに踏み切ったものであり、現実的な対応がなされたと言える。
 他方で心配されるのが、高卒就職環境の悪化である。現時点ではまだ求人の受付ははじまったばかりであるが、本コラムでは、2008年の金融危機の経験から、就職が悪化していった2009年から2010年の変化をマクロデータから確認し、今後起こる可能性のある事象について展望してみたい。 ・・・



主流派の大卒に比べて、マスコミ等でもどうしても視野の外におかれがちな高卒就職の問題に焦点を当てて、今後の動向に警鐘を鳴らしています。


なお、リクルートワークス研究所の古屋星斗さんも、コロナと高卒就職についてのコラムを書いています。読み比べてみるのも面白いと思います。


https://www.works-i.com/column/hataraku-ronten/detail009.html


 


 


 

2020年6月18日 (木)

労働時間の減少と賃金への影響@JILPT高橋康二

Takahashi_k2020 JILPTの高橋康二さんが、JILPTのアンケート調査の個票を用いて、新型コロナウイルス「第一波」によって誰の労働時間が減少したのか、その際、労働時間の減少と賃金の減少がどの程度結びついていたのかを分析しています。

https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/037_200618.html

彼の分析の着眼点は「労働時間を失う」という点です。「おわりに」から引用すると

 労働研究とは、抽象化して言えば、労働時間とその対価としての賃金の分析に他ならない。しかし、自戒を込めて言うならば、日頃の研究において、雇用や仕事を失うという視点は持っていても、「労働時間を失う」という視点は忘れられがちである。また、労働時間が失われた時に、それが賃金の減少に直結するのか否かを考えることも、必ずしも多くはない。
 本レポートでは、新型コロナウイルス「第一波」の雇用・就業への影響が、(リーマン・ショック後の不況期とは対照的に)休業者の増加など労働時間の減少という形であらわれたことに着目して、「労働時間を失う」という視点を取り戻した上で、分析を行った。
 その結果、「第一波」の中で「飲食店、宿泊業」などの幾つかの産業で労働時間が集中的に失われたこと、男性より女性の労働時間が失われたこと、パート・アルバイトや派遣労働者、中小企業労働者においては労働時間減少が賃金減少にストレートに結びつきやすいことなどが明らかになった。 ・・・

 

テレワークの推進が問い直すもの@『労基旬報』2020年6月25日号

『労基旬報』2020年6月25日号に「テレワークの推進が問い直すもの」を寄稿しました。

 2020年初めから世界的に急速に蔓延しパンデミックとなった新型コロナウイルス感染症への緊急対策が続々と打ち出される中で、同年2月末に政府がテレワークや時差出勤の推進を打ち出したことを受けて、同年3月にはテレワークを導入した中小企業事業主に対する特例的な時間外労働等改善助成金(テレワークコース)が設けられました。新型コロナウイルス感染症対策としてテレワークを新規で導入する中小企業事業主に対し、テレワーク用通信機器の導入・運用等にかかる費用の1/2を補助するというものです。
 実は、テレワークの推進は既に過去何年にもわたって政府の政策課題であり続けてきました。とりわけ、2017年3月の『働き方改革実行計画』においては、「テレワークは、時間や空間の制約にとらわれることなく働くことができるため、子育て、介護と仕事の両立の手段となり、多様な人材の能力発揮が可能となる」と賞賛したうえで、テレワークの利用者がいまだ極めて少なく、その普及を図っていくべきと述べています。これを受けて、厚生労働省は柔軟な働き方に関する検討会を開催し、その報告書に基づいて2018年2月に新たな「情報通信技術を利用した事業場外勤務の適切な導入及び実施のためのガイドライン」を公表しました。しかしながら、日本企業における仕事の進め方のスタイルが、空間を共有して仲間意識を強める中で、必ずしも文字化されない様々な情報を共有する形でスムーズに行われるという傾向が強いこともあり、テレワークはなかなか普及していません。
 そのような状況の中に、突然飛び込んできたのが今回の新型コロナ感染症です。2020年2月末に新型コロナウイルス感染症対策本部で決定された「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では、「患者・感染者との接触機会を減らす観点から、企業に対して発熱等の風邪症状が見られる職員等への休暇取得の勧奨、テレワークや時差出勤の推進等を強力に呼びかける」とされ、加藤厚生労働大臣、梶山経済産業大臣、赤羽国土交通大臣が、日本経済団体連合会(中西会長)、日本商工会議所(三村会頭)、経済同友会(櫻田代表幹事)、日本労働組合総連合会(神津会長)に、感染拡大防止に向けた協力要請をした中に、「テレワークや時差通勤の活用推進」が盛り込まれました。
 しかしながら、4月初めに厚生労働省がLINEを通じて行った調査によると、仕事をテレワークにしているのはわずか5.6%に過ぎず、新型コロナウイルス感染症がやってきたからと言って、そう簡単にテレワークを導入できるような状況にはないという日本の職場の実態が改めて示されました。その雇用システム的背景は上述の通りですが、それとともに事業場外勤務に対する労働時間法制の適用の在り方をめぐる問題がテレワークの導入に対する制約になっている面もあるかもしれません。そこで、近年の動きをざっと概観しておきましょう。
 労働基準法には主として外勤の営業職を念頭に事業場外労働のみなし労働時間制が規定されていますが、1987年に出された解釈通達では無線やポケットベル等で随時使用者の指示を受けながら労働している場合にはみなし制の適用はないとしています。携帯電話もいわんやスマートフォンも存在しなかった時代の情報通信環境を前提にしたこの解釈が今日も生き続けているのです。
 上述の2018年2月の事業場外勤務ガイドラインでは、テレワークだからみなし制が適用できるわけではなく、情報通信機器が使用者の指示により常時通信可能な状態に置くこととされていないこと等の要件を充たす必要があります。それゆえテレワークでも原則は通常の労働時間制度を適用することとなり、そのうえで例えば中抜け時間を休憩時間として取り扱うとか時間単位の年休として取り扱うといった方法が提示されていますが、長時間労働の是正という問題意識が大きく横たわっている状況下で作られたということは踏まえても、やや過剰規制のきらいはぬぐえません。
 今回は新型コロナウイルス感染症によって急激に問題意識が持ち上がったわけですが、過去十数年にわたる情報通信技術の発展によって、今や世界的に「いつでもどこでも働ける」状況が広がりつつあります。その中で、産業革命時代の労働者が工場に集中して一斉に労働するというスタイルを前提にした労働時間法制の在り方について再検討する必要性が各方面から提起されてきています。今後はむしろ、裁量労働制の見直しとも絡みますが、業務の遂行手段と時間配分の決定等について使用者がいちいち指示しないことに着目する形で、テレワークに対する労働時間規制の在り方を見直していく必要があるように思われます。今回の新型コロナウイルス感染症によってどこまでテレワークが拡大するかはまだ不明ですが、今回初めてテレワークを実践することによってさまざまな問題点が指摘され、その法制の在り方が見直されていくきっかけになれば望ましいと思われます。 

 

2020年6月17日 (水)

橘大樹・吉田寿・野原蓉子『パワハラ防止ガイドブック』

9784818519213_600 讃井暢子さんより、橘大樹・吉田寿・野原蓉子『パワハラ防止ガイドブック 判断基準、人事管理、相談対応がわかる』(経団連出版)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。そしてこれまでいつもいつも讃井さんが刊行された来た大事なご本をお送りいただいてきたことに、改めて心から感謝申し上げたいと思います。

さて、本書はタイトル通り、今月から施行されたパワハラ措置義務に対応して各企業が何をどのようにしたらいいのかを丁寧に解説している本です。

過去3年間に、パワハラ(パワーハラスメント)を受けたと感じた経験がある人は、従業員のおよそ3人に1人ともいわれています。このような状況の中、労働施策総合推進法が改正され、パワハラの防止措置が企業に義務づけられました。パワハラとは何かも定義されましたので、それに沿った対応が企業には求められます。また、もし問題が生じた場合は、パワハラ加害者本人が不法行為責任を負うだけでなく、使用者(企業)も法的責任を問われかねません。
本書では、パワハラ指針の概要や企業のとるべき対応策、過去の裁判例に加え、人事管理のポイント、相談対応とトラブル防止の具体策などをわかりやすく解説しました。「過小な要求」「過大な要求」「人間関係からの切り離し」もパワハラになること、部下から上司へのパワハラもありうること、「職場」とは会社内だけではないこと、パート社員なども対象になることなどを正しく理解するとともに、働きやすい職場づくり、相談窓口の充実に向け、本書のご活用をお勧めします。 

特に第3章の「相談対応のポイント」では、訴えを受けたときの初動対応、相談者(被害を受けた人)や行為者(とされた人)へのヒアリングのポイントが詳しく解説されていて、まさに親切なガイドとして役に立ちます。

 

欧州労働市場は若者の一人負け?

コロナ危機に対して、一気に失業率が急増したアメリカに対して、失業者はそれほど急増せず、雇用調整助成金型の政策で補助された休業者が増えたという点で日本と欧州諸国は共通していますが、それで救われるのは既に雇われている一定年齢以上の労働者で、まだ雇われていない若者がどういう運命に遭うかはその雇用システムの違いによって分岐します。そして、雇用保護的な政策を有するジョブ型社会のヨーロッパでは、一番救われないのは保護されるべき雇用にまだ至っていない若者であるということは、今までも繰り返し指摘されてきたことであり、今回も再現されるであろうと思われることでもあります。そして、そういう事態になって、なんのスキルもないのにむしろそれゆえに好んで採用してくれる日本独自の新卒一括採用システムという仕組みが、いかに若者にとってありがたいものであるかがしみじみ感じられるわけです。

たまたまソーシャル・ヨーロッパを見ていたら、欧州の若年失業率の推移と今年の予測のグラフが載っていましたが、ここ数年好況でずっと下がり続けてきた若年失業率が一気に跳ね上がる予測ですね。

https://www.socialeurope.eu/europe-needs-a-new-youth-guarantee

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2020年6月16日 (火)

兼業・副業の促進@未来投資会議

本日、官邸の未来投資会議が開催されたようで、その資料がアップされているんですが、

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai39/index.html

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai39/siryou1.pdf

なんだかやたらに兼業・副業の促進に力が入っているようです。

Corona

今後の働き方としては時間・空間の制約からの解放が8割以上で、兼業・副業の一般化はそれほどではない,あるいはほかの選択肢と並び程度なのですが、なぜか何が何でも兼業・副業を進めるぞという感じで、こればっかり具体的な制度設計に入りこんでいます。

Kengyo01

Kengyo02

と、こればっかり一生懸命なんですが、実のところ労使双方とも本音では推進なんてしたくないと思っている政策をこういう風に進めていくのは、どんなものか、と思わないでもありません。

 

 

2020年6月15日 (月)

『情報労連REPORT』6月号

2006_cover 『情報労連REPORT』6月号をお送りいただきました。

特集は「新型コロナウイルスと労働関連問題 」で、その冒頭に小熊英二さんが登場しています。

http://ictj-report.joho.or.jp/2006/sp01.html(「コロナ危機」と「日本社会のしくみ」企業間の分断線に注目を)

よく分かっている人が語ると、ものごとの筋道が極めて明快です。

まず普遍的な現象をきちんと見つめた上で、

「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる、肉体を使う現業労働者の待遇が悪いのは、普遍的な問題でどの国でも変わりません。知的作業の方が評価も待遇も良く、テレワークもやりやすく、今回のような事態でも感染のリスクも少ない。これは世界のどの国でも同じです。ただし、その格差の表れ方が日本と他国で若干異なるということだと思います。 

日本独特な局面をきちんと摘出する。

日本社会特有の問題があるとすれば、格差が企業規模の相違として表れることです。アメリカではこの問題は人種格差として表れます。・・・
管理的業務と現業との分離はどの国にもありますが、日本の場合は現業を下請けの中小企業に委託するという形が多い。管理部門を本社に残し、現業的な仕事は業務委託としてアウトソースする。それが結果として、企業規模の格差という形になるのが日本の特徴と言えますね。 

もちろん同一社内の雇用形態格差もあるのですが、そればかりに目が行く傾向をこう戒めます。

雇用形態の問題では、派遣労働者がよく問題にされます。・・・雇用形態による格差が誰の目からもわかりやすいからでしょう。それは、派遣社員が派遣先の正社員と同じ職場で同じような仕事をしているからです。 
・・・概して日本では、企業内の待遇格差は問題になるけれど、企業が違うと問題にされにくい。この間、政府が取り組んできた日本型の「同一労働同一賃金」は、同一企業内での均等・均衡待遇を求めるものでしかなく、企業間の待遇差は不問です。それ自体を大きな前進と言うこともできますが、良くも悪くも日本の慣行に沿った施策だと言えるでしょう。

そして、ここ数年来、とりわけ今回のコロナ禍でやたらに持ち上げられるようになった例の『ジョブ型』についても、

一方、職種を問わず同じ企業の正社員は平等にしようとする通称「メンバーシップ型」から、職種ごとの仕事内容で評価する通称「ジョブ型」へ変化させる場合には、現業労働者の評価を意識的に高めないと、職種ごとの格差が広がる可能性が高いです。 

と、きちんと指摘しています。いやまあ、ジョブ型とかメンバーシップ型とかをちゃんと雇用システム論として論じているひとは、そのジョブ型の光と影の陰の部分もちゃんとわきまえて論じている(はず)ですが、流行に乗って「これからはジョブ型だ!」と新商品でも売り込むつもりで威勢よく商っている人々には、その辺がすっぽり抜け落ちてしまっていますからね。「社員の平等」で覆い隠せない格差は、ジョブそれ自体の評価というこれまでできなかった課題を要求するのですが。

そして最後の集団的労使関係についてのコメントも興味深いのですが、

 労働組合に期待するという点では、産業別労働組合が企業間の格差を問題視し、労働条件の適切な最低ラインを決める役割を果たすことです。

というのは相当に現実性に乏しく、

もっと現実的な案としては産業別労働組合がかつての「地区労」のような役割を果たす方法も考えられます。つまり、組合のない企業の労働者が産業別労働組合に個人で加盟し、産業別労働組合が労使交渉をサポートしたり、産業の協約賃金を締結したりする。それができれば、労働者の共感も得られるはずです。 

というのも、小熊さんの「現実的」という形容にもかかわらず、現実に存在する産別の状況からすると、一部産別を除けばやはり現実性に欠ける感はあります。

 

 

 

 

 

 

 

労働者協同組合法案ようやく国会に提出

つい先日、『労基旬報』5月25日号に解説を寄稿したばかりの労働者協同組合法案が、先週金曜日に国会に提出されたようです。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DCF43A.htm

毎日新聞の記事では、

https://mainichi.jp/articles/20200612/k00/00m/010/144000c

 自民、公明、立憲民主などの各党は12日、非営利で地域課題に取り組む新たな法人形態を認める「労働者協同組合法案」を衆院に共同提出した。組合員が出資しながら自らも事業に参加できるようにするのが狙いで、学童保育の運営や、障害者による生産品の販売などの事業を想定。雇用創出と同時に福祉や子育てといった地域課題の解決を図る。秋の臨時国会での成立を目指す。

と、さすがに今国会で成立させるわけではなさそうです。

先月の私の解説では、10年前に国会提出寸前まで行きながらそこでストップがかかった理由やその後の経緯などもやや詳しく説明していますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-972ce4.html(最新の労働者協同組合法案@『労基旬報』2020年5月25日号)

それ以前から本ブログでは折に触れこの問題を取り上げてきていますので、せっかくなのでお蔵出ししておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c79d.html(労働者協同組合について)

・・・端的に言うと、労働者協同組合における労務提供者は労働法上の労働者ではないということに(とりあえずは)なるので、労働法上の労働者保護の対象外ということに(とりあえずは)なります。この事業に関わるみんなが、社会を良くすることを目的に熱っぽく活動しているという前提であれば、それで構わないのですが、この枠組みを悪用しようとする悪い奴がいると、なかなかモラルハザードを防ぎきれないという面もあるということです。
いや、うちは労働者協同組合でして、みんな働いているのは労働者ではありませんので、といういいわけで、低劣な労働条件を認めてしまう危険性がないとは言えない仕組みだということも、念頭においておく必要はあろうということです。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-784e.html(協同労働の協同組合法案)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-8536.html(「協同労働の協同組合法案」への反対論)

・・・ここでは、わたくしの判断は交えずに、樋口さんの批判を引用しておきます。この批判が正鵠を得ているのか、的外れなのか、正々堂々と議論されることが望ましいと思います。
>第3の問題は、協同労働に従事する組合員の地位が曖昧なことである。新法は労災や失業保険などでは労働者として全面適用させることを要求するのであるが、一方で組合員は経営者でもあるので労組法や最低賃金は適用されず、劣悪な労働環境の温床となりかねない。・・・は、新法は雇用以下の労働条件で働く根拠法となりかねない、と懸念を表明し、同時に労協内部で「雇われ者根性の克服」と称して、労協労働者の経営者的側面を過大に強調していることを指摘して、効率経営への奉仕の強要が行われているようだと労協法へ危惧を表明している。・・・
>ワーコレグループが主張する「新しい働き方」は賃労働を克服する理想としてデザインされているが、今日の社会において十分に検討されているとは言えない。それがフィクションのまま現実化されれば、労働者の味方のはずのワーコレ・労協が働き手に対し労働者以下の劣悪な労働環境を強制して労働搾取してはばからない愚行を演じることになる。議員立法による不十分な検討でこのような法律が成立することに嘆かざるを得ない。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ecd7.html(第4の原理「あそしえーしょん」なんて存在しない)

・・・ごく最近も柄谷行人氏が『世界史の構造』(岩波書店)という大部の本で、世界史は3つの原理の絡み合いというところは全くその通りなのに、第4の原理として「アソシエーション」を持ち出しています。そう言うのが一番危ないのですがね。
たぶん、現在の組織のなかで「アソシエーション」に近いのは協同組合でしょうが、これはまさに交換と脅迫と協同を適度に組み合わせることでうまく回るのであって、どれかが出過ぎるとおかしくなる。交換原理が出過ぎるとただの営利企業と変わらなくなる。脅迫原理が出過ぎると恐怖の統制組織になる。協同原理が出過ぎると仲間内だけのムラ共同体になる。そういうバランス感覚こそが重要なのに、そのいずれでもない第4の原理なんてものを持ち出すと、それを掲げているから絶対に正しいという世にも恐ろしい事態が現出するわけです。マルクス主義の失敗というのは、世界史的にはそういうことでしょう。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-132e.html(アソシエーションはそんなにいいのか?)

・・・それぞれの立場、というよりも、ものの考え方のスタイルによってさまざまに違った見え方をするのだということなのでしょう。
現実に存在するか否かにかかわらず思想の次元でものごとを突き詰めて考える人と、アソシエーションであれ社会主義であれ何であれ、現実に存在するシステムとして考える人との思考の落差であるのかも知れません。
私にとって「現実に存在する」アソシエーションの理念型に近いのは労働者生産協同組合であり、それとの共通性と相違性がものごとを考える出発点になります。実定法上は営利社団法人でしかないにもかかわらずあたかもそれへの(「コンビネーション」ですか)労務提供契約者であるはずの者をアソシエートした「社員」であるかのごとく思いなす日本型システムのメカニズムが興味の対象であり、その理念型である労働者生産協同組合がなお「私的労働にすぎない」「アソシエーションじゃない」といわれると、一体真のアソシエーションはどこにあるのかと途方に暮れてしまうわけです。 

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-e1d4.html(メンバーシップ型雇用社会における協同組合のポジショニング)

・・・ただ、全体をざっと読んで感じたのは、雇用契約自体がメンバーシップ型に傾斜している日本社会において、本来的にメンバーシップ型である協同組合のあるべき位置が狭められてしまい、むしろ本来の機能を超えた公益的存在意義を主張しなければならなくなっているのではないか、ということでした。 
・・・言いたいことは実によく分かるのですが、しかしこれは、本来株主の「私益」を目指すための営利社団法人である会社が、ある意味で協同組合的性格に近い労働者のメンバーシップ型共同体に接近したため(商法上の社員じゃない「社員」の「共益」)、本来の協同組合のポジショニングが狭められてしまい、「公益」にシフトしようとしているようにも見えます。

ついでに、ワーカーズコレクティブ組合員の労働者性が問題になった裁判例の評釈も。こちらは英語ですが。

https://www.jil.go.jp/english/jli/documents/2020/023-03.pdf(Worker Status of the Joint Enterprise Cooperative Members The Joint Enterprise Cooperative Workers’ Collective Wadachi Higashimurayama Case  Tokyo High Court (Jun. 4, 2019) 1207 Rodo Hanrei 38)

 

 

2020年6月14日 (日)

日本型住宅システムと日本型雇用システムのシンクローー平山洋介『マイホームの彼方に』

9784480879097 平山洋介さんの『マイホームの彼方に─住宅政策の戦後史をどう読むか』(筑摩書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480879097/

戦後日本において、マイホームの購入を前提とする社会がどのように現れ、拡大し、どう変化したのか? 住宅政策の軌跡を辿り、住まいの未来を展望する。 

平山さんの本をお送りいただくのは実に11年ぶりです。以前の本は、『住宅政策のどこが問題か』(光文社新書)で、ワーキング・プアと並んでハウジング・プアという言葉が交わされていたころで、それまで労働社会問題の視野から抜け落ちがちだった住宅問題がクローズアップされてきた頃でした。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-3fdd.html

今回の本は300ページを超えるハードカバーになったというだけではなく、戦後住宅政策の推移を大変緻密に、しかし本質的な筋道を的確につかみながら叙述し、今日の課題を摘出しています。

はじめに 大衆化から再階層化へ
第1章 住宅所有についての新たな問い
第2章 住宅システムの分岐/収束
第3章 持ち家の時代、その生成―終戦〜一九七〇年代初頭
第4章 もっと大量の持ち家建設を―一九七〇年代初頭〜一九九〇年代半ば
第5章 市場化する社会、その住宅システム―一九九〇年代半ば〜
第6章 成長後の社会の住宅事情
おわりに 新たな「約束」に向けて 

それを読みながら、実は私は奇妙なデジャビュを感じていました。奇妙なデジャビュ…。まるで自分が書いた本を読んでいるかのようなデジャビュです。

いやもちろんそんなことはあり得ません。そもそも、そこに書かれている戦後住宅政策のあれもこれも、私にとってはよく知らないことばかりなんですから。門外漢がよく知らない分野の専門書を読みながら感じるデジャビュとは何か?

それは、戦後住宅政策史の推移が、見事に戦後労働政策史の推移とシンクロしているからであり、戦後日本で確立した日本型住宅システムの歴史が、これまた日本型雇用システムの歴史と見事に対応しているからなんです。

ざっくり平山さんの戦後住宅史の時代区分を言うと、上の目次にもあるように、

1 終戦~1970年代初頭

2 1970年代初頭~1990年代半ば

3 1990年代半ば~

これが、内容的にもほぼ、わたくしの『日本の労働法政策』で提起している近代主義の時代、企業主義の時代、市場主義の時代に対応しているんですね。

大きく世界的に見れば、20世紀半ばから21世紀に向けて、ケインジアン福祉国家から新自由主義へという流れを共有しつつ、その間に(1970年代半ばから1990年代半ばにかけての約20年間)企業や家族という脱商品化メカニズムに依存する日本特殊な日本型雇用システム、日本型福祉社会を高く評価し、その方向に政策が極端に傾いた時代が挟まれたという点に日本の特徴がありますが、日本の住宅政策の歴史も全くそれとシンクロしているんです。

最初の時代、私の言う近代主義の時代は、少なくともその出発点では欧米と類似した三本柱による住宅供給が目指されました。三本柱とは、低所得者層のための公営住宅(公営住宅法)、中所得者層のための公的な賃貸住宅(日本住宅公団法)、そして持ち家取得のための低金利補助(住宅金融公庫法))です。しかし、上の目次にも表れているように、既にその途中から、特に高度成長期には公営住宅は停滞し、住宅公団は分譲に傾斜し、持ち家中心主義の傾向が強まりつつありました。

その持ち家中心主義が最も高まったのが、労働政策では企業主義の時代であり、社会保障政策では日本型福祉社会論が流行した1980年代を中心とする20年間で、低所得者向けの公営住宅は絶対的に縮小し、国の住宅政策は何が何でもできるだけ多くの人のために持ち家を推進するというものでした。

ところがその無理が90年代に次々に露呈し、持ち家至上主義から零れ落ちる人々が続々と出てくるようになっても、住宅政策の焦点は依然住宅取得にむけたもので、ただそれがますます市場化し、西欧諸国のような家賃補助という発想は出てくることなく、親元に子供がいつまでも同居するといった家族主義的なセーフティネットに依存している、というのが平山さんの批判の本筋です。

これ、かつてはバランスの取れた政策メニューだったのに、その後日本型雇用システム礼賛に大きく傾きすぎ、その結果できるだけ多くの人に望ましいはずの終身雇用を均霑するという政策が破綻して、市場主義的な政策に偏ってしまった労働政策と見事にシンクロしていますね。

というのが話の大筋ですが、いやこの本は300ページ余りとそれほど分厚い本ではないのですが、中身の充実ぶりがすさまじく、戦後住宅政策史のあれやこれやが一つ一つ考えさせるエピソードになっています。

 

所得税法204条1項4号の「外交員」は従業員も含むのか!?

一昨日、素朴な疑問を感じて書いたエントリですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-92f73c.html(日本郵便社員が持続化給付金って?)

・・・いやだから、かんぽ不正が原因でコロナのせいじゃないだろというのはそうなんですが、それよりなにより、れっきとした雇用労働者に支払われる「出来高払制その他の請負制」(労働基準法27条)の賃金である営業手当が、なんで事業所得として確定申告できちゃうのかが、そもそも理解困難なんですが。
だったら、日本中で行われている出来高払いの賃金労働者はみんな税法上は労働者ではなく事業者になっちゃうんですかね。・・・ 

こういうおかしなことをやっているにも何か法的根拠があるはずだと思って、よく分からない迷宮のような租税法の世界に分け入ってみると、、どうも所得税法のこの規定が根拠のようです。各号列記の第4号なのですが、どんなものと並べられているかが分かるように全号引用します。

第四章 報酬、料金等に係る源泉徴収
第一節 報酬、料金、契約金又は賞金に係る源泉徴収
(源泉徴収義務)
第二百四条 居住者に対し国内において次に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金の支払をする者は、その支払の際、その報酬若しくは料金、契約金又は賞金について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。
一 原稿、さし絵、作曲、レコード吹込み又はデザインの報酬、放送謝金、著作権(著作隣接権を含む。)又は工業所有権の使用料及び講演料並びにこれらに類するもので政令で定める報酬又は料金
二 弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、司法書士、土地家屋調査士、公認会計士、税理士、社会保険労務士、弁理士、海事代理士、測量士、建築士、不動産鑑定士、技術士その他これらに類する者で政令で定めるものの業務に関する報酬又は料金
三 社会保険診療報酬支払基金法(昭和二十三年法律第百二十九号)の規定により支払われる診療報酬
四 職業野球の選手、職業拳けん闘家、競馬の騎手、モデル、外交員、集金人、電力量計の検針人その他これらに類する者で政令で定めるものの業務に関する報酬又は料金
五 映画、演劇その他政令で定める芸能又はラジオ放送若しくはテレビジョン放送に係る出演若しくは演出(指揮、監督その他政令で定めるものを含む。)又は企画の報酬又は料金その他政令で定める芸能人の役務の提供を内容とする事業に係る当該役務の提供に関する報酬又は料金(これらのうち不特定多数の者から受けるものを除く。)
六 キャバレー、ナイトクラブ、バーその他これらに類する施設でフロアにおいて客にダンスをさせ又は客に接待をして遊興若しくは飲食をさせるものにおいて客に侍してその接待をすることを業務とするホステスその他の者(以下この条において「ホステス等」という。)のその業務に関する報酬又は料金
七 役務の提供を約することにより一時に取得する契約金で政令で定めるもの
八 広告宣伝のための賞金又は馬主が受ける競馬の賞金で政令で定めるもの
2 前項の規定は、次に掲げるものについては、適用しない。
一 前項に規定する報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第二十八条第一項(給与所得)に規定する給与等(次号において「給与等」という。)又は第三十条第一項(退職所得)に規定する退職手当等に該当するもの
二 前項第一号から第五号まで並びに第七号及び第八号に掲げる報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第百八十三条第一項(給与所得に係る源泉徴収義務)の規定により給与等につき所得税を徴収して納付すべき個人以外の個人から支払われるもの
三 前項第六号に掲げる報酬又は料金のうち、同号に規定する施設の経営者(以下この条において「バー等の経営者」という。)以外の者から支払われるもの(バー等の経営者を通じて支払われるものを除く。)
3 第一項第六号に掲げる報酬又は料金のうちに、客からバー等の経営者を通じてホステス等に支払われるものがある場合には、当該報酬又は料金については、当該バー等の経営者を当該報酬又は料金に係る同項に規定する支払をする者とみなし、当該報酬又は料金をホステス等に交付した時にその支払があつたものとみなして、同項の規定を適用する。 

204号1項各号列記は、こうしてみるとすべて(雇用類似のものも含めて)契約としては雇用契約ではなく請負や委託契約で行われる独立非従属型労務供給契約ですね。その一つとして、労働法の労働者性をめぐる判例にもよく出てくる「集金人」や「検針人」とならんで「外交員」がでてきます。ということは、これはどう考えても、いわゆる生命保険のおばちゃんのような(少なくとも契約形式上は)非労働者である外交員を指すのであって、雇用される労働者が労働基準法で定義される「賃金」として受け取っているものは当たらないはずです。

実際、同条第2項には、ご丁寧に「前項に規定する報酬若しくは料金、契約金又は賞金のうち、第二十八条第一項(給与所得)に規定する給与等・・・・に該当するもの」は適用しないといっているんですから、営業手当が(労働基準法の規定通り賃金として)給与所得と判断されれば、営業手当を受け取る従業員たる外交員が、プロ野球選手やキャバレーのホステスと同列になることはないと思うんですが、おそらくどこかで、「外交員」と言えばみんなこの並びの外交員扱いするという、おかしな運用が固定化してしまったのでしょう。

私は租税法の世界はよく分からず、これ以上迷宮の中を解きほぐすことはできませんが、どこかで何か変なことが起こっていたことだけは間違いないようです。

(追記)

つか、国税庁が通達で、従業員でも外交員なら事業所得だって言ってるみたいですね。

https://www.nta.go.jp/law/tsutatsu/kihon/shotoku/36/04.htm#a-02

204-22 外交員又は集金人がその地位に基づいて保険会社等から支払を受ける報酬又は料金については、次に掲げる場合に応じ、それぞれ次による。
(1) その報酬又は料金がその職務を遂行するために必要な旅費とそれ以外の部分とに明らかに区分されている場合  法第9条第1項第4号《非課税所得》に掲げる金品に該当する部分は非課税とし、それ以外の部分は給与等とする。
(2) (1)以外の場合で、その報酬又は料金が、固定給(一定期間の募集成績等によって自動的にその額が定まるもの及び一定期間の募集成績等によって自動的に格付される資格に応じてその額が定めるものを除く。以下この項において同じ。)とそれ以外の部分とに明らかに区分されているとき。  固定給(固定給を基準として支給される臨時の給与を含む。)は給与等とし、それ以外の部分は法第204条第1項第4号に掲げる報酬又は料金とする。
(3) (1)及び(2)以外の場合  その報酬又は料金の支払の基因となる役務を提供するために要する旅費等の費用の額の多寡その他の事情を総合勘案し、給与等と認められるものについてはその総額を給与等とし、その他のものについてはその総額を法第204条第1項第4号に掲げる報酬又は料金とする。 

この通達を素直に見れば、会社の従業員である外交員でも、固定給とそれ以外の部分が区分されていれば、固定していない部分(つまり、労働基準法27条の「出来高払制その他の請負制 」による賃金部分)は給与所得ではなく事業所得になってしまいますね。

この国税庁の解釈は、私の眼には、所得税法204条の本来の趣旨を誤って解釈したものとしか思えませんが、まあでも税務署はこの通達に従って粛々とやっているだけなんでしょうし、日本郵便もその解釈に従って粛々とやっているだけなんでしょうね。

その結果、まったく雇用関係の存在しない完全歩合制の生命保険のおばちゃん向けに設けられたはずの規定が、日本一の大企業でそれなりの基本給を給与所得として受け取っている日本郵便の営業マンたちに適用されるという、非常にゆがんだ状況が作り出されてしまっていたということのようです。

 

2020年6月13日 (土)

浅口市事件評釈@東大労判

御多分に漏れず、東大の労働判例研究会もリモート開催となっていますが、昨日は私の番が回ってきて、浅口市事件(岡山地倉敷支判平成30年10月31日)(判例時報2419号65頁)を評釈しました。

労働判例研究会                             2020/6/12                                    
市との労務参加契約の雇用契約該当性
浅口市事件(岡山地倉敷支判平成30年10月31日)
(判例時報2419号65頁)
 
Ⅰ 事実
1 当事者
X1:Yとの間の労務参加契約に基づき樹木伐採作業に従事していた者。
X2:X1の妻。
X3:X1の子。
Y(浅口市):地方公共団体。
A(補助参加人):X1と同じく労務参加契約に基づき樹木伐採作業に従事していた者。
 
2 事案の経過
・Y(合併前のZ町も含む)は公園整備事業にあたり、地元地区の意向を受けて地元地区が推薦した作業員に伐採等作業を依頼しており、平成23年度から作業者と労務参加契約を締結するようになった。
・X1はYとの間の労務参加契約に基づき樹木伐採作業に従事していた。労務参加契約には、参加期間、作業場所、作業時間、作業内容、対価(1日当たり6,550円)等が規定されていた。
・平成25年1月25日、X1と同じく労務参加契約に基づき樹木伐採作業に従事していたAが伐採した伐木がX1に衝突し、X1は頭蓋骨骨折、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、急性硬膜下血腫等の傷害を受け、高次脳機能障害、左下肢の運動障害及び顔面の醜状痕等の重度の後遺障害を負った。
・笠岡労働基準監督署長は、平成27年2月27日付で労災認定した。
 
Ⅱ 判旨
1 本件労務参加契約の法的性質
「本件労務参加契約は、第3条で作業時間が定められ、第5条において1日当たりの対価が定められており、報酬が出来高ではなく、時間に対する対価とされている。また、労務参加期間も1年間とある程度長期とわたっている(1条)。」
「本件労務参加契約においては、Yは、作業実施日や作業時間の変更を指示、連絡するものとされており(1条、3条2項)、作業員は、天候が作業に適さない場合、変更することはできたと解されるものの、基本的には、作業場所や作業時間の拘束性の程度はそれなりに高かったと考えられる。その関係からすると、作業員が業務を自由に断ることができたとも考え難いところである。」
「P2主任やP3管理人は、逐一細かい指示は行わないものの、作業は、P3管理人が作成した年間スケジュールに沿って行わなければならず、適宜、P3管理人から作業場所や作業内容の指示もなされており、作業員は、これに従った作業に従事することが義務づけられていたものと考えられる。そうすると、作業員は、基本的には、P3管理人の指揮命令を受けて作業していたと評価して差し支えない。」
「X1は、自己が所有するチェーンソーを使用しているものの、原則的には作業に必要な道具は、Yが用意するものとされていること、公園作業請求書の体裁からすると、本件労務参加契約は、作業員自らが作業することが想定されており、作業員が業務を再委託すること等が想定されているとは解されないことなどの事情を総合すると、本件労務参加契約の法的性質は、請負契約ではなく、雇用契約と解するのが相当である。」
2 Yの安全配慮義務違反
「本件労務参加契約の法的性質は、雇用契約なのであるから、Yは、本件労務参加契約の付随的義務として、信義則上安全配慮義務を負うものというべきである。」
「Yは作業員全員についてヘルメットや呼子などを用意しておらず、そのため、ヘルメットを被らずに作業を行うことが常態化していることを容易に認識し得たにもかかわらず、なんら必要な指示、指導を行っていないというのであるから、Yには安全配慮義務違反があったと評価せざるを得ない。」
3 使用者責任の成否
「本件労務参加契約は雇用契約なのであるから、AとYとの間には、実質的な指揮監督関係があり、Yは、民法715条1項の「他人を使用する者」に該当する。」
「Yは、使用者責任に基づく損害賠償責任を免れない。」
4 過失相殺の成否
「過失相殺に関するYの主張は採用することができない。」
5 損害額(省略)
 
Ⅲ 評釈
1 労基法上の労働者性
 本件は、労災に関わって労基法上の労働者性が問題となった事案であり、その観点からは特段興味深い点はない。本件判決の判断は、1985年労働基準法研究会報告の示した判断基準に従い、仕事の依頼に対する諾否の自由の有無、業務遂行上の指揮監督の有無、勤務場所や勤務時間の拘束性の有無、代替性の有無、報酬の労務対償性等の判断要素について判断し、さらに補強要素として機械器具の負担関係にも言及するなど、標準的な判断をほぼ適切に行っており、問題が請負契約か雇用契約かという点に限られている限りは、特段本評釈において取り上げるだけの価値があるものとはいえないであろう。
 この点に関する限り、原告側被告側双方の本件当事者も、また岡山地裁倉敷支部の裁判官も、本件の問題領域の射程を請負契約か雇用契約かという点にのみ見ている点で変わりはないし、裁判例を掲載している『判例時報』の解説文も、問題をその点のみに見いだしている。
 
2 国・地方公共団体は雇用契約を結べるのか?
 ところが、本件当事者Yは地方公共団体である。地方公共団体ももちろんさまざまな契約を締結することができるが、雇用契約を締結することはできるのであろうか。実は、それはできないと断言した裁判例が存在する。武蔵野市事件(東京地判平成23.11.9労経速2132号3頁)である。これは、21回の任用更新により22年以上継続勤務していた非常勤職員が任用更新されなかったことに対し、公法上の任用関係であることを理由に私法上の雇止め法理(解雇権濫用法理の類推適用)を否定した事案であるが、その中で次のように述べている。
・・・しかし、国家公務員法が公務員任用の例外として外国人との「勤務の契約」を締結する余地を認めているのに対し(国家公務員法2条7項)、地公法は、このような規定を置かず、地方公共団体における全ての公務員を地方公務員であるとしている。この趣旨からすれば、地公法は、地方公共団体に勤務する者で、一般職にも特別職にも属さない者の存在を予定しておらず、雇用契約による勤務関係の成立を認めていないものと解するのが相当である。したがって、私法上の雇用契約による地方公務員の職を認めることはできないというべきである。
 ここで引用されている国家公務員法の関係規定は次のようなものである。この2条6項及び7項は1948年12月の改正によって盛り込まれたものである。
(一般職及び特別職)
第二条 国家公務員の職は、これを一般職と特別職とに分つ。
⑥ 政府は、一般職又は特別職以外の勤務者を置いてその勤務に対し俸給、給料その他の給与を支払つてはならない。
⑦ 前項の規定は、政府又はその機関と外国人の間に、個人的基礎においてなされる勤務の契約には適用されない。
 このように、少なくとも国については、一般職及び特別職の国家公務員以外に「その勤務に対し俸給、給料その他の給与を支払」われる「勤務者」というのは(外国人以外には)存在し得ないことになっている。すなわち、国家公務員ではない者との間で雇用契約を締結するということも(外国人でない限り)できないはずである。そして、明文の規定はないものの、国家公務員法と地方公務員法における公務員概念自体に違いはないのであるから、国公法2条6項は地方公共団体にも類推適用され、地方公共団体は「一般職又は特別職以外の勤務者を置いてその勤務に対し俸給、給料その他の給与を支払つてはならない」はずである。
 ここから導き出されることは、地方公共団体は請負契約、委託契約その他いかなる契約を結ぶことも可能であるが、ただ雇用契約だけは締結することはできないということになる。なぜなら、民間部門であれば雇用契約に相当するような指揮監督下の労務提供関係は、公務員法の規制によってすべて一般職または特別職の公務員として任用しなければならないからである。国であれば上記2条7項により外国人に限り雇用契約を締結することができるが、地方公共団体の場合はその例外もない。
 なお、この規定の趣旨については、筑波大学(外国人教師)事件(東京地判平成11.5.25労働判例776号69頁)がこのように説示している。
 政府又はその機関が国家公務員法二条七項に基づいて外国人教師との間で締結した契約の法的性質について 大日本帝国憲法の下において国家事務に従事していた者としては官吏、雇員、傭人などがあり、雇員及び傭人は民法上の雇用関係を通じて国に雇用されていた者であるが、日本国憲法の下においてはこれらの区別をすべて撤廃した上で、国家公務員法二条六項は一般職又は特別職以外の勤務者を置かないこととしていること、ある者を一般職に就かせるには国家公務員法において定められた任用という方法(例えば、国家公務員法三五条、人事院規則八-一二第六条など)によることとされ、ある者を特別職に就かせるにはその特別職について定めた日本国憲法又は法律において定められた任命又は任用という方法(例えば、内閣総理大臣については日本国憲法六条一項で定められた任命という方法、人事官については国家公務員法五条一項で定められた任命という方法など)によることとされていて、一般職にしろ、特別職にしろ、民法上の雇用関係を通じて国に雇用されるという方法を採っていないことに照らせば、国家公務員法二条六項は民法上の雇用関係を通じて国に雇用される勤務者を置かないことを明らかにした規定であると解される。
 そうすると、国家公務員法二条七項は、その条文としての規定の仕方からすれば、同条六項の例外規定として設けられた規定であると考えられるから、国家公務員法は二条七項に定めた場合に限っては民法上の雇用関係を通じて国に雇用される勤務者を置くことを許したものと解される
 
3 契約性質決定による偽装個人請負契約が雇用契約であることの判明?
 このように、地方公共団体は自ら意図的に雇用契約を締結することはできないのであるが、本判決は労働者性に関する判断基準を用いることによって、その主観的意図としては労務参加契約という名の請負契約を締結したはずであったYが、客観的には雇用契約を締結していたことになるという筋道によって、結果的に雇用契約を締結することができる回路を付与したような形になっている。
 これは公務員法が想定していない帰結ではあるが、労働者性に関する判断基準を素直に解する限り回避することはできない理路である。なぜなら、公務員法が明示ないし黙示に禁止しているのは、雇用契約を雇用契約として締結することに限られるのであって、厳密に労働者性判断基準に照らせば雇用契約になりうる個人請負契約を締結することは自由であるし、それが結果的に雇用契約であることが判明したからといって、主観的に個人請負契約として締結された契約関係が無効になることもあり得まい。その意味では、法理的にはこれはもともと雇用契約であったものがその性質通りに判明したものではあるが、現実社会における存在態様からすれば、個人請負契約として締結されたものが労働者性判断基準という操作をくぐらせることによって雇用契約に転化したものと認識されることになろう。
 
4 労働者派遣法による直接雇用見なしの回避規定との比較
 このように、契約性質決定による雇用契約への「転化」に類似する事態は、既に労働者派遣法40条の6によるいわゆる直接雇用見なしにおいて存在している。職業安定法4条及び請負派遣告示37号により、契約形式は請負契約であっても実態が労働者供給契約又は労働者派遣契約であれば後者とみなされることを前提としつつ、「この法律又は次節の規定により適用される法律の規定の適用を免れる目的で、請負その他労働者派遣以外の名目で契約を締結し、第二十六条第一項各号に掲げる事項を定めずに労働者派遣の役務の提供を受ける」者は、「その時点において、当該労働者派遣の役務の提供を受ける者から当該労働者派遣に係る派遣労働者に対し、その時点における当該派遣労働者に係る労働条件と同一の労働条件を内容とする労働契約の申込みをしたものとみなす」のである。労働者派遣の役務の提供を受ける者にとっては、自ら雇ったつもりは全くなくても直接雇用契約が創出されてしまうのである。
 ところが、この規定についてはわざわざ条文上で国と地方公共団体を適用除外しており、これらについては次の同法40条の7により、公務員諸法「に基づく採用その他の適切な措置を講じなければならない」とされている。国や地方公共団体が自ら意図しない形で雇用契約を締結してしまっていることにならないように、わざわざ見なし規定を排除して、任用という法的枠組みに収まるように措置しているわけである。
 しかし、同条によって回避しているのは申込み見なしによる雇用契約の自動締結であって、国や地方公共団体が形式的には請負契約で行わせた業務が労働者派遣契約であったと判断されれば、当該国や地方公共団体は当該労働者派遣の役務の提供を受ける者としての責任を負うことになるのは当然であり、それを回避することは不可能である(国(神戸刑務所・管理栄養士)事件(大阪高判平25.1.16労判1080号73頁)参照)。
 
5 本判決の含意
 以上から、地方公共団体が締結した個人請負契約がその実態に即して雇用契約であると判断されることを制度的に回避することは不可能であり、従って地方公共団体が個人請負契約を利用する限り、法律上存在しないことになっている公務員としての地位を有さず地方公共団体と雇用契約に基づいて労務を提供する者は常に生じうることになる。かかる存在が法理上存在可能であることは、国家公務員法上に外国人との雇用契約が明記されていることからも明らかであり、地方公務員法が想定していないからといって、法理上その存在を否定することもできない。
 本判決は、樹木伐採作業に従事する労務参加契約というやや特殊な地域性のある事案であったが、今後フリーランス等の雇用類似の働き方が増加し、国や地方公共団体においてもそうした人々を個人請負契約の形で活用することが増えるならば、その労働者性の判断を通じる形で、結果的に国や地方公共団体との雇用契約で就労する者が増加していく可能性もあり得る。これに対していかなる法政策的対応があり得るのか、検討をしておく必要もあるのではなかろうか。
 
6 外務省専門調査員の事例とその解決策
 なお、外務省の在外公館に勤務する専門調査員は、かつては雇用契約ではなく「委嘱」を受ける形であったが、在中国大使館の専門調査員が中朝国境地域で交通事故に遭い、国家公務員災害補償を求めた事案(東京地判平成25.9.30判例時報2211号113頁)において、「原告は、専門調査員として、在中国日本国大使館において、委嘱された調査・研究を行うとともに、館務の補助的業務や脱北者関連業務に従事していたことが認められるものの、専門調査員制度の内容・・・からして、〈2〉国の任命権者により任命されているとはいえないし、〈3〉原則として国から給与を受けているとも言い難いことから、国家公務員とは認められない」と判断されている。
 しかし、国家公務員ではないとしても、国が雇用する労働者ではありうるはずだが(現に、在外公館の現地職員は国公法2条7項に基づく雇用である)、同事件控訴審(平成26.11.13東京高判訟務月報60巻12号2572号)では「労働契約と認めることができない」とする。興味深いのは原告側が労働者性の傍証として挙げている事実である。事件発生後の平成22年9月以降、専門調査員制度が変わり、一般社団法人国際交流サービス協会が派遣元事業主として雇用して、各在外公館に派遣するという形になっている。この場合、専門調査員は国家公務員ではないが雇用契約に基づく労働者であり、業務上災害にあった場合は一般の労災保険の対象となる。ところが裁判所は「新制度下の専門調査員と旧制度下の専門調査員とはその法的性格を異にする」と一蹴している。外務省と浅口市とでは扱いが異なるようであるが、いずれにしても、労働者派遣という形式をとることで、公務員ではないが労働者であるという法的状況に一定の解決策をとったといえよう。 

EU指令の在宅勤務権

日経新聞が在宅勤務権の話題を取り上げていますが、

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60324760S0A610C2MM8000/(在宅勤務が標準に 欧州は法制化の動き、米は企業主導)

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い本格化した在宅勤務を定着させる動きが広がっている。欧州では「在宅勤務権」の法制化が始まり、米国企業は在宅勤務の恒久化を決める例が相次ぐ。日本でも実施企業は増えたが、ルール作りなどで遅れている。在宅勤務は企業の競争力も左右する可能性がある。・・・

この話題、先月本ブログで、JILPTの『ビジネス・レーバー・トレンド』記事として紹介しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-2912be.html

・・・フベルトゥス・ハイル労働社会相は、ウイルスの脅威が去った後も、労働者が望めば在宅で勤務できる権利(在宅勤務権)に関する法案の構想を発表した。早ければ今年の秋頃に新たな法案が出される可能性がある。・・・
・・・報道によると、フベルトゥス・ハイル労働社会相の提案は、同氏が属する社会民主党(SPD)の議員や野党議員から多くの賛同を得ている。・・・
・・・他方、ドイツ使用者団体連盟(BDA)のシュテファン・カンペテル会長は、時代遅れの政策で、このような立法は不要だとした上で、「人々が在宅で働くだけでは経済は回らない」と述べて反対している。 

その後全文がJILPTのサイトで読めるようになっています。

https://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2020/05/germany_02.html

これは今回のコロナ禍を契機に出てきた議論ですが、実はそれに先立って、ある特定の文脈ではありますが、既にEUの労働法制にはリモートワークの権利が規定されています。

それは、昨年6月に採択された「両親と介護者のワークライフバランスに関する、及び理事会指令2010/18/EUを廃止する欧州議会と閣僚理事会の指令(ワークライフバランス指令)(Directive (EU) 2019/1158 of the European Parliament and of the Council of 20 June 2019 on work-life balance for parents and carers and repealing Council Directive 2010/18/EU)です。

この指令、実は邦訳が今年3月に出た『労働六法2020』(旬報社)にちゃんと載っていますが、関連部分だけ引用しておきますと

https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=uriserv:OJ.L_.2019.188.01.0079.01.ENG

Article 3 Definitions
1. For the purposes of this Directive, the following definitions apply: 

(f) ‘flexible working arrangements’ means the possibility for workers to adjust their working patterns, including through the use of remote working arrangements, flexible working schedules, or reduced working hours. 

Article 9 Flexible working arrangements
1. Member States shall take the necessary measures to ensure that workers with children up to a specified age, which shall be at least eight years, and carers, have the right to request flexible working arrangements for caring purposes. The duration of such flexible working arrangements may be subject to a reasonable limitation.
2. Employers shall consider and respond to requests for flexible working arrangements as referred to in paragraph 1 within a reasonable period of time, taking into account the needs of both the employer and the worker. Employers shall provide reasons for any refusal of such a request or for any postponement of such arrangements.
3. When flexible working arrangements as referred to in paragraph 1 are limited in duration, the worker shall have the right to return to the original working pattern at the end of the agreed period. The worker shall also have the right to request to return to the original working pattern before the end of the agreed period where justified on the basis of a change of circumstances. The employer shall consider and respond to a request for an early return to the original working pattern, taking into account the needs of both the employer and the worker.
4. Member States may make the right to request flexible working arrangements subject to a period of work qualification or to a length of service qualification, which shall not exceed six months. In the case of successive fixed-term contracts within the meaning of Directive 1999/70/EC with the same employer, the sum of those contracts shall be taken into account for the purpose of calculating the qualifying period. 

邦訳は:

第3条 定義
1 本指令においては以下の定義が適用される。 
(f)「柔軟な労働編成」とは、労働者が遠隔労働編成の活用、柔軟な労働日程又は労働時間の短縮によるものも含め、その労働パターンを調整する可能性をいう。 

第9条 柔軟な労働編成
1 加盟国は、8歳を下回らない特定の年齢までの子供を有する労働者及び介護者が育児・介護の目的で柔軟な労働編成を請求する権利を有するよう確保するために必要な措置をとるものとする。かかる柔軟な労働編成の期間は合理的な限度内とすることができる。
2 使用者は第1項に定める柔軟な労働編成の請求に対し、使用者及び労働者双方の必要を考慮に入れて、合理的な期間内に考慮し対応するものとする。使用者は、かかる請求を拒否し又はかかる編成を延期する場合はその理由を通知するものとする。
3 第1項に定める柔軟な労働編成の期間が限定される場合、労働者は合意された期間の終期において元の労働パターンに復帰する権利を有するものとする。労働者はまた、状況の変化を理由として正当化される場合には、合意された期間の終期の前に元の労働パターンに復帰することを請求する権利を有する。使用者は、使用者及び労働者双方の必要を考慮に入れて、元の労働パターンへの早期復帰の請求を考慮し対応するものとする。
4 加盟国は、柔軟な労働編成を請求する権利を6か月を超えない労働期間資格又は勤続期間資格に条件付けることができる。理事会指令1999/70/ECに規定する同一使用者との反復継続した有期契約の場合には、これら契約の総計が資格期間の算定において考慮されるものとする。

あくまでも育児・介護をする労働者という文脈の規定ですが、「遠隔労働編成」(remote working arrangements)を請求する権利がEU指令の上に姿を現しており、つまり育児休業とか介護休業と並んでワークライフバランスのためのリモートワークというのは制約付きながら一定の権利になってきているんですね。

今回のコロナ禍は、これを一気にそれ以外の労働者にも拡大していくことになるかもしれないという話です。

 

 

 

2020年6月12日 (金)

日本郵便社員が持続化給付金って?

Kampo 日本郵便とかんぽ生命の社員120名が、持続化給付金を申請したことがけしからんと話題になっているようですが、

https://mainichi.jp/articles/20200612/k00/00m/020/174000c

新型コロナウイルスの感染拡大で影響を受けた中小企業や個人事業主向けの支援策「持続化給付金」を巡り、日本郵便とかんぽ生命保険は12日、新型コロナとは直接関係がないのに給付金を申請した社員が計約120人いたと明らかにした。かんぽ生命の不正販売を受けた営業自粛による収入減を給付金で補おうとしたとみられる。両社は申請取り下げや給付金返還の手続きを促している。・・・ 

いやそりゃ、けしかるかけしからんかと言われればけしからんのでしょうが、それよりなにより、不思議でならないのは、日本郵便やかんぽ生命の社員、つまりれっきとした企業に雇用される雇用労働者であるはずの人が、中小企業や個人事業主が対象の持続化給付金を申請できるのかということなんですが。

郵便局員らは、給与所得とは別に、保険の販売成績に応じて支給される営業手当を事業所得として確定申告している。日本郵政グループでは、かんぽ生命の不正販売が発覚した昨年7月から保険販売を自粛しており、営業手当が激減。郵便局員らは、収入減は新型コロナの影響ではないものの、持続化給付金の支給条件を満たすのに目をつけたとみられる。・・・ 

いやだから、かんぽ不正が原因でコロナのせいじゃないだろというのはそうなんですが、それよりなにより、れっきとした雇用労働者に支払われる「出来高払制その他の請負制」(労働基準法27条)の賃金である営業手当が、なんで事業所得として確定申告できちゃうのかが、そもそも理解困難なんですが。

だったら、日本中で行われている出来高払いの賃金労働者はみんな税法上は労働者ではなく事業者になっちゃうんですかね。

労基法27条の「請負制」は請負契約じゃなくって雇用契約なんだよ、というのは労働法の授業で必ず言われることですが、どうも自信がなくなってきますね。税法上の労働者概念は、労働法上の労働者概念とはかなりかけ離れているみたいです。

みんな、けしかるかけしからんかということばっかりに頭がいっていて、こういうそもそも論には気が回っていなさそうに見えることが、私には一番不思議なんですが。

 

家族手当・児童手当の労働法政策@『季刊労働法』269号

269_h1scaled_20200612171201 一昨日紹介した『季刊労働法』269号が届きました。特集記事等は一昨日のエントリに載せたとおりですが、わたくしの「家族手当・児童手当の労働法政策」の中身をチラ見せしておきましょう。

はじめに
 
 通常の日本語では、「家族手当」と言えば企業が労働者に支払う賃金のうち労働者の扶養家族に対応する形で支払われるものを指し、労働法や人事労務管理論の対象です。一方「児童手当」と言えば、国が一定の要件を満たす国民に支給する社会保障給付の一つであり、社会保障法や社会政策論の対象です。とはいえ、両者は歴史的には密接に絡み合っていますし、今日においてすらその関係は解きほぐされていません。同一労働同一賃金原則を困難ならしめている日本的賃金制度にとって、家族手当やそれに類する諸手当は本質的な要素であり、それゆえに国の児童手当制度は過去半世紀近くにわたって発育不全の状態であり続けてきたともいえます。
 今回は、日本的賃金制度における家族手当の発展と、それに代わるものとして構想されながら今日まで発展し切れてこなかった社会保障制度としての児童手当の歴史を、両者の関わりに重点を置きながら見ていきたいと思います。
 
1 生活給思想と家族手当
(1) 生活給思想の出発点
(2) 戦時賃金統制
(3) 法令による家族手当の展開
(4) 戦後労働運動と家族手当

2 公的社会保障としての児童手当への道
(1) 戦後初期の構想
(2) 経済・労働政策としての児童手当
(3) 厚生省サイドにおける検討
(4) 労使の態度
(5) 児童手当法の小さな成立

3 家族手当をめぐる労働法の諸問題
(1) ストライキによる家族手当カット
(2) 家族手当における男女差別-岩手銀行事件
(3) 家族手当における男女差別-日産自動車事件
  
4 児童手当制度の有為転変
(1) 児童手当に対する批判
(2) 児童手当の縮小的拡大
(3) 21世紀の拡大期
 
5 男女平等法制下の家族手当の残存
(1) 間接差別問題の提起
(2) 間接差別から落とされた世帯主要件 
(3) 配偶者手当をめぐる政策 

 

見逃せない格差という軋み@天瀬光二

Amase_k_20200612170501 JILPTの新型コロナ緊急コラムの最新版として、天瀬さんの「見逃せない格差という軋み」がアップされました。何が軋んでいるのかというと・・・。

https://www.jil.go.jp/tokusyu/covid-19/column/013.html

軋みの音は最初小さい。しかしそれはいつのまにか広がり、気付いたときにはすでに大きな亀裂となっていることがある。すばらしい日々だった。居酒屋では杯を片手に大声で談笑し、コンサートでは見知らぬ人と肩を組み歌った。たった3カ月で世界は一変した。ウイルスの感染拡大に収束の出口が見えないまま、第二波の恐怖に直面する各国の雇用情勢は悪化し始めている。・・・・ 

と、各国の状況を見ていって、最後に

・・・・以上のように、ウイルス感染が世界中に拡散することに伴い、社会に格差という軋みがじわじわと広がりつつあるように思える。格差は、時に人種であり、性差であり、年齢であり、学歴であり、就労形態であり、貧富であるなどその要因は様々だ。だが共通するのは、格差は人々の間にフラストレーションを生じさせ、社会の重圧として重くのしかかることである。これを看過し放置しておくと、負のエネルギーが溜まり、あるとき暴動のような激しい衝動となって社会に現出することがある。最初の軋みを見逃してはいけない。JILPTでは今後の調査研究を通じて、社会の軋みを見逃さないように注視していきたいと考えている。

軋みの現れ方に、それぞれの社会のありようが浮かび上がってくるのでしょう。

2020年6月11日 (木)

今日の日経病

今朝の日経1面に「つぎはぎ行政のツケ 制度の迷宮、コロナ苦境救えず」という記事が載っているんですが、言っていることのかなりの部分は私も指摘していてその通りという面もあるんですが、どうしても結論がそっちに逝ってしまうのか・・・という感じのラストパラグラフになっていて、なんともはやです。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60205050Q0A610C2MM8000/?n_cid=TPRN0026

・・・・欧米はまずお金を配り、事後に不正をただす。スピード重視の発想だ。もたつくうちに日本の労働市場は急速に悪化した。4月の非正規労働者数は前月より131万人減り、失業予備軍ともいえる休業者は過去最大の697万人に達した。ガラパゴス行政のせいで雇用が消失しかかっている。

いやいや雇用が大量に消失したのは失業保険申請者数が2000万人を超えたアメリカでしょう。

休業者が「失業予備軍」だからガラパゴスというのなら、雇用調整助成金的制度の対象者が1000万人を超えたドイツやフランスもみんなガラパゴスだと?

話が混乱しているのは、一方で旧来の日経病的な暴風雨の時でも流動化推進みたいな感覚でこの問題を扱うから。いやいや暴風雨の時に助成金で(失業者ではなく)休業者を増やすのが雇用調整助成金的制度の目的でしょう。

そもそもこの記事の目的は、そういうヨーロッパと共通の制度をもちながら、日本の雇用調整助成金はどうしてこんなにのろいのか、という指摘をする点にあるはずで、そして確かにその指摘は一理あるし、そしてかつてのオイルショック時に作られた制度が今の時代に齟齬があるという指摘もその通りではあるんですが、結論があまりにもあらぬ方向に跳んでしまっている。

日本の問題は、多くの企業が雇用調整助成金がまだ来ないまま大量の休業者を抱えているということだというのなら、まさにその通りなんですが、なんでこういう話になるのか、と。

あと、不正受給の防止という点でいえば、ドイツもフランスも法律で定められた企業の中の従業員代表制がこれにかかわっていて、それがチェック機能を果たしているという点も忘れてはならないと思います。日本では、労働組合もない中小零細企業がまともにやっているかどうかを「過半数代表者」の記名捺印一つで信じられるのかという問題でもあります。本当は山のような添付書類をつけさせたところで仕方がないのでしょうが、それが一種の「ちゃんとやっていない企業」への参入障壁だったという面があるのかもしれません。

1か月足らずで1000万人を超える休業労働者に企業経由でお金が渡る仕組みはどうなっているのか、という方向にこそ関心を向けてほしいところです。

 

「憎税」左翼の原点?

これは、拉致問題の絡みで旧日本社会党を批判するという文脈で持ち出されている古証文ではあるんですが、

https://twitter.com/nittaryo/status/1270557950738825217

「『北朝鮮はこの世の楽園』と礼賛し、拉致なんてありえないと擁護していた政治家やメディア」
と言われても実感が湧かない皆さんに、証拠を開示しよう。これは日本社会党(現社民党)が1979年に発行した「ああ大悪税」という漫画の一部。北朝鮮を「現代の奇蹟」「人間中心の政治」と絶賛している。 

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その文脈はそういう政治話が好きになひとに委ねて、ここでは違う観点から。と言っても、本ブログでは結構おなじみの話ですが。よりにもよって「ジャパン・ソーシャリスト・パーティ」と名乗り、(もちろん中にはいろんな派閥があるとはいえ)一応西欧型社民主義を掲げる社会主義インターナショナルに加盟していたはずの政党が、こともあろうに金日成主席が税金を廃止したと褒め称えるマンガを書いていたということの方に、日本の戦後左翼な人々の「憎税」感覚がよく現れているなぁ、と。そういう意味での「古証文」としても、ためすすがめつ鑑賞する値打ちがあります。

とにかく、日本社会党という政党には、国民から集めた税金を再分配することこそが(共産主義とは異なる)社会民主主義だなんて感覚は、これっぽっちもなかったということだけは、このマンガからひしひしと伝わってきます。

そういう奇妙きてれつな特殊日本的「憎税」左翼と、こちらは世界標準通りの、税金で再分配なんてケシカランという、少なくともその理路はまっとうな「憎税」右翼とが結託すると、何が起こるのかをよく示してくれたのが、1990年代以来の失われた30年なんでしょう。

31dsj9bb24l_sx307_bo1204203200_ いまさら井出英策さんがどうこう言ってもどうにもならない日本の宿痾とでもいうべきか。

 

2020年6月10日 (水)

『季刊労働法』269号

269_h1scaled 『季刊労働法』269号の目次が労働開発研究会のサイトに出ています。

https://www.roudou-kk.co.jp/books/quarterly/8311/

まず第1の特集は「特集:副業・兼業の新段階」です。

●昨年、厚労省「副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方に関する検討会」の報告書がまとめられるなど、副業・兼業の在り方がこの間、議論されてきました。これを受け「副業・兼業」を特集します。副業・兼業における健康確保と実効性のある労働時間法制、労災保険、雇用保険という法律問題はもちろん、実務上の課題、また副業・兼業の拡大が与える労働市場への影響についても考察します。 

ということで、いろんな観点からの論文が並んでいますが、このうちJILPTの山本陽大さんが中心になってやった若手研究者5人による労災保険の比較法研究は、そもそも労災保険の比較法自体最近はあまりやられていない(JILPTになる前のJIL時代の報告書があるくらい)ので、大変有用なはずです。

副業・兼業者の労働時間管理と健康確保 
 横浜国立大学准教授 石﨑 由希子
副業・兼業と労災補償保険制度―日・独・仏・米・英法の五ヶ国比較―
 労働政策研究・研修機構副主任研究員 山本 陽大
 京都府立大学講師 河野 尚子
 明治学院大学准教授 河野 奈月
 大阪大学准教授 地神 亮佑
 同志社大学教授 上田 達子
兼業・副業を行う労働者と雇用保険法の課題
 北星学園大学専任講師 林 健太郎
副業・兼業における実務上の課題
 弁護士 笠置 裕亮
副業・兼業の拡大が労働市場に与える影響
 日本大学教授 安藤 至大 

 続く第2特集は「変わる公務労働とその課題」です。

公務労働部門では、4月から会計年度任用職員制度が始まっています。同制度、公務労働の分野における均等・均等処遇を中心に検討し、公務労働における制度と実務のはざまにある問題も指摘します。 

 この問題のオピニオンリーダーの上林さんをはじめ、こちらも読みでのある論文です。

 欺瞞の会計年度任用職員制度と間接差別の温存
 公益財団法人地方自治総合研究所研究員 上林 陽治
公務部門における「正規」・「非正規」間の均等・均衡処遇の法的実現の在り方に関する検討
 金沢大学准教授 早津 裕貴
刑事施設職員に対する団結権否認を問う─ILO87号条約(結社の自由及び団結権の保護)の適用に関わって─
 公務公共サービス労働組合協議会参与 大塚 実
公務労働における制度と実務のはざま―地方公務員という労働者―
 公務人材開発協会業務執行理事 鵜養 幸雄

特集以外の記事は以下の通りですが、

■論説■
団体行動権を支える法理 北海道大学名誉教授 道幸 哲也
アカデミック・ハラスメントの法理・序説 九州大学名誉教授 野田 進

■アジアの労働法と労働問題 第41回■
南アジアの船舶解撤現場における労働問題 インダストリオール・グローバル・ユニオン造船・船舶解撤部門担当部長 松﨑 寛

■労働法の立法学 第58回■
家族手当・児童手当の労働法政策 労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎

■判例研究■
医師の当直業務、勉強会参加時間等の労働時間性と労働時間把握懈怠の使用者の責任 長崎市立病院事件・長崎地判令和元年5月27日労経速2389号3頁 北海学園大学教授・弁護士 淺野 高宏
育児休業終了後に契約社員に移行した従業員の正社員復帰請求および雇止めの可否 ジャパンビジネスラボ事件・令和元年11月28日労判1215号5頁 京都女子大学教授 烏蘭格日楽

■重要労働判例解説■
行政措置要求の対象としての管理運営事項 三木市公平委員会事件・大阪高判平成30年5月25日労判1196号42頁 全国市長会 戸谷 雅治
医師の自主的な研鑽の労働時間性 長崎市立病院事件・長崎地判令和1年5月27日労経速2389号3頁 富山県立大学准教授 大石 玄 

なんと、同じ長崎市立病院事件の評釈が、淺野高宏さんと大石玄さんの二人が見事に重なっています。これは同じ雑誌の同じ号で読み比べできるという稀有なケースですね。どちらも北海道大学の関係者だし。

私の連載は、賃金制度としての家族手当と社会保障制度としての児童手当をだぶらせて考察したものです。

 

精神障害の労災認定事案を読む@高見具広

Takami_t JILPTの高見具広さんが、リサーチアイとして「精神障害の労災認定事案を読む─過労死共同研究への参画から─」を書かれています。彼は池添さんらと一緒に、労働安全衛生研究所の過労死研究、その中の労災認定に係る行政文書(調査復命書)の事例分析をされてきていて、報告書にもまとめていますが、その中身を広く一般向けに解説しています。

https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/036_200610.html

最後の一節だけ引用しておきますが、ぜひリンク先を読んでください。さらにそこにリンクが張ってある報告書にも目を通してもらえればもっとありがたいです。

・・・・事例分析からは、総じて、会社の常識、業界の慣行といわれるものが、被災者と職場の上司・同僚との認識ギャップを生成するなど、労災となる精神障害発病の背景をなしていることがうかがえる。非定型の質的データを扱うゆえ、鮮やかな分析には欠けるきらいがあるが、ひとつひとつの事例を丹念に読み解いて研究成果を世に出していくことで、労働環境の改善、職場風土の見直しにつなげていければと願っている。 

 

 

 

新型コロナウイルス感染拡大の仕事や生活への影響に関する調査」(一次集計)結果

JILPTのホームページに、「新型コロナウイルス感染拡大の仕事や生活への影響に関する調査」(一次集計)結果」がアップされました。

https://www.jil.go.jp/press/documents/20200610.pdf

― 4 割超が雇用や収入に「影響があった」と回答。非正社員や世帯収入が低いほど影響大。 休業を含めた「勤務日数や労働時間の減少」や「収入の減少」は 4~5 月に掛けて拡大。フリーランスでは 6 割超が、仕事や収入に「影響があった」と回答 

 

学歴詐称の特殊日本的文脈

なんだか、某都知事の学歴詐称疑惑とやらが取りざたされているようですが、そもそもイスラム帝国が世界のスーパーパワーであった時代ならともかく、今日カイロ大学における留学生としてのディプロマが当該政治的地位の職責にいかなる職業的レリバンスがあるのかよく分かりませんが、なんにせよ、今まで本ブログで学歴詐称についてぼそぼそとつぶやいたエントリを日向干ししてみようと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-3752.html(大学中退の社会的意味)

なんだか、大学中退すると言っている学生さんが話題のようですが、こういうのを見ていると、嗚呼、日本はほんとに学歴社会じゃないんだなあ、と感じます。

欧米ジョブ型社会では、基本的に学歴とは職業資格であり、その人間の職務遂行能力であると社会的に通用する数少ない指標です。なので、学歴で人を差別することがもっとも正当な差の付け方になります。

他の差の付け方がことごとく差別だと批判されるポリティカリーコレクトな世界にあって、ほとんど唯一何の疑いもなく堂々と人の扱いに差をつけられる根拠が、職業資格であり、職務遂行能力のまごうことなき指標たる学歴だからです。

みんなが多かれ少なかれ学歴そのものを直接の能力指標とは思っておらず、人間の能力ってものは学歴なんかじゃないんだよ、という言葉が半ば本音の言葉として語られ、そうはいってもメンバーとして受け入れるための足切りの道具としては使わざるを得ないねえ、と若干のやましさを感じながら呟くような、この日本社会とは全く逆です。

欧米での観点からすればあれもこれもやたらに差別的でありながらそれらに大変鈍感な日本人が、なぜか異常に差別だ差別だと数十年間批難し続けてきた学歴差別という奴が、欧米に行ってみたらこの世でもっとも正当な差の付け方であるという落差ほど、彼我の感覚の差を語るものはないでしょう。

そういう、人間力信仰社会たる日本社会のどろっとした感覚にどっぷりつかったまま、妙に新しがってかっこをつけようとすると、こういう実は日本社会の本音のある部分を局部的に取り出した歪んだ理想主義みたいな代物になり、それがそうはいってもその人間力というものをじっくりとつきあってわかるようになるために学歴という指標を使わないわけにはいかないんだよキミ、という日本社会の本音だけすっぽりと取り落としてしまうことになるわけです。

(追記)

ちなみに、よく知られていることですが、「大学中退」が、すなわち最終学歴高卒が、大卒よりも、況んや大学院卒なんかよりもずっとずっと高学歴として高く評価されている職場があります。

日本国外務省です。

日本国政府の中枢に、大学4年までちゃんと勉強してディプロマをもらった人よりも、外交官試験にさっさと合格したので大学3年で中退しためにディプロマを持たない人の方が、より優秀でより偉い人と見なされる組織が厳然として存在している(いた)ということにも、日本社会における『学歴』の意味が現れているのでしょう。

そして、それを見て、なるほど学歴なんか何の意味もないんだ、卒業するより中退した方が偉いんだと思って、自分の『能力』を証明する何もないままうかつに中退なんかすると、もちろん地獄が待ているわけですが。

一方で、日本社会の文脈ではここまで指弾される悪質な学歴詐称というのはこういうものなんですね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/post-0f34.html(大は高を兼ねない)

こういう大変デジャビュ感溢れる記事がありました。

https://www.asahi.com/articles/ASLCV7TT1LCVPIHB02B.html(「大卒なのを高卒」と詐称 神戸市の男性職員を懲戒免職)

大卒なのを高卒と学歴詐称し、そのまま長年勤務していたなどとして、神戸市は26日、定年後に再任用されていた経済観光局の男性事務職員(63)を懲戒免職処分とし、発表した。・・・

労働法クラスタにとっては懐かしい判例があります。拙著『日本の雇用と労働法』の101ページのコラムから。

41opqwqyq9l_sx304_bo1204203200__20200610092301 【コラム】学歴詐称
 採用に当たり学歴詐称が問題になることは洋の東西を問いません。ただし、欧米のジョブ型社会で学歴詐称といえば、低学歴者が高学歴を詐称することに決まっています。学歴とは高い資格を要するジョブに採用されるのに必要な職業能力を示すものとみなされているからです。日本でもそういう学歴詐称は少なくありません。しかしこれとは逆に、高学歴者が低学歴を詐称して採用されたことが問題になった事案というのは欧米ではあまり聞いたことがありません。
 新左翼運動で大学を中退した者が高卒と称してプレス工に応募し採用され、その後経歴詐称を理由に懲戒解雇された炭研精工事件(最一小判平3.9.19労判615-16)の原審(東京高判平3.2.20労判592-77)では、「雇用関係は労働力の給付を中核としながらも、労働者と使用者との相互の信頼関係に基礎を置く継続的な契約関係」であるから、使用者が「その労働力評価に直接関わる事項ばかりでなく、当該企業あるいは職場への適応性、貢献意欲、企業の信用の保持等企業秩序の維持に関係する事項についても必要かつ合理的な範囲で申告を求めた場合には、労働者は、信義則上、真実を告知する義務を負」い、「最終学歴は、・・・単に労働力評価に関わるだけではなく、被控訴会社の企業秩序の維持にも関係する事項」であるとして、懲戒解雇を認めています。大学中退は企業メンバーとしての資質を疑わせる重要な情報だということなのでしょう。
 これに対して中部共石油送事件(名古屋地決平5.5.20労経速1514-3)では、税理士資格や中央大学商学部卒業を詐称して採用された者の雇止めに対して、それによって「担当していた債務者の事務遂行に重大な障害を与えたことを認めるに足りる疎明資料がない」ので、「自己の経歴について虚偽を述べた事実があるとしても、それが解雇事由に該当するほど重大なものとは未だいえない」としています。低学歴を詐称することは懲戒解雇に値するが、高学歴を詐称することは雇止めにも値しないという発想は、欧米では理解しにくいでしょう。 

ちなみに、自分では日本的システムを徹底的に批判しているアメリカ流の市場原理主義の旗手のつもりの人間が、その実は上述のような日本的感覚に骨の髄までどっぷりつかっていることの見事な実例もありましたな。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_6879.html(解雇規制と学歴差別)

労務屋さんのブログで、ちょっと前(4月28日)の日経に載った福井秀夫氏の「厳しい解雇規制見直せ 学歴偏重を助長 所得階層固定し、格差拡大」といういささか「と」な文章を取り上げて、詳細かつ綿密に批判を加えておられます。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060428#c

このエントリーに、ちょっとコメントをつけておきました。

言い出しっぺの福井氏自身がおそらく混乱しているんだと思いますが、「学歴差別」という言葉で、一体何を指し示しているのかというのが問題でしょう。およそ労働力という商品がかなり使ってみなければ性能がなかなかわからない特殊な商品である以上、ユーザー側がその性能を示す何らかのシグナリングを求めるのは当然です。また、労働力は、(一時的な乱暴な使用に使い潰すような場合もありますが)一般的にはじっくり使い込んで性能を上げていくのがマクロ社会的には効率的ですから、購入前に商品としての性能をじっくり検討するのは当然の行動です。
「学歴」は、一般的には労働力という商品の性能を指し示すものとして正当なものと見なされていますから、アメリカであれ、ヨーロッパであれ、性別から人種から、宗教、障害、年齢、果ては性的志向に至るまで、この差別もダメ、あの差別もけしからんと、差別が軒並み禁止されているような社会であっても、いやむしろそういう社会であればこそ、学歴をシグナリングに用いることは数少ないまことに正当な選別基準と考えられています。
その意味では、自分をアメリカ流の市場原理主義者だと思いこんでいるらしい福井氏自身が、「学歴」と「差別」というあり得ない組み合わせの言葉を何の疑いもなく振り回しているという点を見るだけで、いかに日本的な情緒の世界に生きているかがよくわかりますが、まあそれはご愛敬ですが、なぜ多くの日本人が学歴による選別に対してそういう不当感を抱くかといえば、絶対平等主義の影響というのもおそらくあるでしょうが、実は一番大きなものは、学歴として尊重されているものが、労働力商品の性能のシグナルとして尊重されるべきものとは食い違っているという感覚なのではないかと思われます。

解雇規制については、労働者の労働期間を大きく若年期、壮年期、中高年期に分ければ、相対的に労務コストが大きい若年期と中高年期が主たるターゲットになりますが、実はアメリカも組合のあるところは先任権制度によって、そうでなくても年齢差別禁止法によって中高年は保護されていますから、解雇よりも希望退職で対応することが多いので、結局若年期が大きな違いになります。この時期は企業内教育訓練の時期であるので、解雇規制をうかつな形で緩和すると、企業内訓練が減少し、採用時の職業能力を示す学歴シグナリングの意味がますます高まり、いよいよ「学歴差別」が大きくなる可能性があります。それでもおよろしければどうぞ、というところですが。

ここではやや皮肉な言い方をしていますが、そういう職業能力をダイレクトに示すような学歴「差別」をますます強化せよという考え方であれば、首尾一貫した議論として成り立ち得るでしょう。企業は訳のわからない「官能」などではなく、労働遂行に役立つ技能をどれくらい身につけているのかを示すシグナリングとしての職業教育学歴を尊重すべきである、と。本田先生のご意見などは、(御本人はどこまで意識されておられるのかはよくわかりませんが)そういう考え方だと捉えることも可能です。

私自身、企業(とりわけ大企業)のミクロな立場と社会全体のマクロな立場とでは均衡点がちがうだろうなと、つまり多くの中小企業の立場も考えると、企業入社以前にある程度初期教育訓練を行うことが合理的なシステムに持って行った方が望ましいだろうと考えています。これを言い換えれば、職業人生の最初期については、解雇規制を緩やかにしておいた方がいい面があるだろうということです。ドビルパンの失敗したCPEもそうですが、労働契約法研究会報告で提唱されている試用雇用契約は、そういう観点から検討する必要があるでしょう。 

 

 

 

2020年6月 8日 (月)

岸健二編『業界と職種がわかる本 ’22年版』

10423_1591249029 岸健二編『業界と職種がわかる本 ’21年版』(成美堂出版)をお送りいただきました。毎年ありがとうございます

http://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415230856/

 これから就職活動をする学生のために、複雑な業界や職種を11業種・8職種にまとめて、業界の現状、仕事内容など詳しい情報を掲載し、具体的にどのような就職活動が効果的か紹介。
実際の就職活動に役立つ「スケジュールチェックシート」と、最新の採用動向はデータも掲載。
自分に合った業界・職種を見つけ就職活動に臨む準備ができる。

例によって、編者の岸健二さんの最近のエッセイを、労働調査会のコラムから、ちょうど本書の対象である就活生の皆さんに贈る言葉を。

https://www.chosakai.co.jp/information/alacarte/24048/

・・・まず「みなさんはひとりぼっちではない。」ということは忘れないでください。毎年何十万人という学生のみなさんが就職活動をするわけです。友人たちと「会って」情報交換をすることはできないかもしれませんが、みなさんにはスマホ、タブレットという強力な武器があります。こういう社会情勢だからこそ、就職活動に支障のない範囲で友人・仲間との会話・対話を大事にしてください。大学のキャリアセンターへの相談、情報収集も活用しましょう。
 世界中のほぼすべての企業が新型コロナウィルス感染拡大の影響を受けているのですから、混乱があるのは当たり前、くらいの気持ちで就職活動を進めてください。
 でも、大事なことも忘れないでください。気晴らしのつもりでネットゲームを始めて止められなくなってしまうようだったり、「自分の心が折れそう」と思ったら、迷わず「心の相談窓口」を検索して、最寄りの信頼できるプロに電話をしてください。「孤立」で心にダメージを受けるのは、人間として自然な反応なのですから、躊躇する必要はありません。
 第一志望の業界が、企業が、このコロナ禍のために新卒採用を中止するかもしれません。でもこれからは間違いなく「脱・新卒一括採用」の動きが加速されます。「春の新入社員」がすぐに全くなくなるとは思いませんが、職業紹介の世界に永らく身を置いてきた筆者から見ると、過去新卒で入社できなかった企業に、資格を取るなど自分のスキルを磨く努力をして「リベンジ転職」した例もたくさん目にしてきました。今回「ご縁がなかった」としても「初志貫徹」する人生もあるでしょうし、「とりあえず」と思った職場が案外自分に合っていると思ってその仕事を極めた方ともお会いしたことがあります。「人生いろいろ」と思って、もう少しの間、就職活動にしなやかにスマートな力を注いでいきましょう。・・・ 

 

 

なんで「ジョブ型」がこうねじれるんだろう?

もう毎日どこかで「ジョブ型」「メンバーシップ型」という字を目にしない日はなく、それこそ金子良事さんあたりから再三

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-340.html

今の労働問題をどう考えるのか、という風に聞かれるときに、メンバーシップ型とジョブ型という考え方が今やもう、かなりデフォルトになって来たなというのが私の実感である。おそるべきhamachanの影響力。 

とからかわれそうですが、「リベサヨ」ほどではないにしても、世間での使われ方が妙な方にねじれていくのは、一応この言葉をこねくりあげたことになっている人間からすると、どうも居心地の悪さが半端ないところがあります。

今朝も日経新聞が一面トップでどどーんと、

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60084930X00C20A6MM8000/(雇用制度、在宅前提に 「ジョブ型」や在宅専門の採用)

という記事を出し、そこにご丁寧に「ジョブ型」を解説しているんですが、

▼ジョブ型 職務内容を明確にした上で最適な人材を宛てる欧米型の雇用形態。終身雇用を前提に社員が様々なポストに就く日本のメンバーシップ型と異なり、ポストに必要な能力を記載した「職務定義書」(ジョブディスクリプション)を示し、労働時間ではなく成果で評価する。職務遂行能力が足りないと判断されれば欧米では解雇もあり得る。

まあ、前半はやや難はあるとはいえあまり間違ってはいませんが、後半がひどい。

まずなによりも、「職務遂行能力が足りないと判断されれば欧米では解雇もあり得る」ってなんだよ。

あのさ、「職務遂行能力」ってのは、日本的『能力主義管理』の中核概念であり、具体的な「職務(ジョブ)」から切り離された特殊日本的概念であり、それゆえに、企業を離れたら通用性のない企業内の格付にしか使えない「あいつはなんでもできる」でしかない概念だということは、拙著をちらりとでも読んでいたらわかっているはずのことですが、それをこうも見事に逆向きに使ってしまえる、ってことは、日経新聞のいうところの「ジョブ型」ってのは、実のところそういうものなのか、とため息を漏れさせるに十分です。

解雇自由なアメリカを除けば、ほかの諸国はなにがしか解雇に規制がありますが、解雇を正当化する理由が「ジョブ」の消失、あるいは当該具体的なジョブに係る能力不足であるのが「ジョブ型」であって、なんだかよくわからない「職務遂行能力」がでてくるのが「メンバーシップ型」なんですよ。

日本の解雇裁判の記録を見ると、「いやあ、こいつはどうしようもない奴で、社内のどの部局もこいつだけは引き取りたくないっていっているんです」という会社側の主張がいっぱい出てきますが、それくらい「ジョブ」が希薄で、その分「職務遂行能力」が大事なのが「メンバーシップ型」の日本なんですが、それが日経の解説ではかくも見事にひっくり返るのですから、正直なんと言っていいのか・・・。

も一つ、これも近頃やたらにこういうのが多いけど、「労働時間ではなく成果で評価する」ってのは、ジョブ型かメンバーシップ型かとは関係ないからね。

ジョブ型社会でも、上の方の経営管理的なジョブであればあるほど成果で評価されるし、下の方のクラーク的なジョブであれば決められたことをきちんとやることがジョブディスクリプションなのだから、時間で給料が決まるのは当たり前。

これは、雇用システム全般にわたる「ジョブ型」概念を、25年前の『新時代の日本的経営』の「高度専門能力活用型」の言い換えだと心得ているひとが犯しがちな間違いだけど、世界中どこでも、上の方になれば成果主義になるのは当たり前。

問題は、その「成果」ってなあに?ってところで、「ジョブ」が曖昧な日本では、その成果も曖昧にならざるを得ないので、わけのわからない「職務遂行能力」に基づく実のところは「人間力」評価を「成果」の「査定」にしちゃっているだけなわけで、それをどうにかしたいといっている舌の根も乾かないうちに、「職務遂行能力が足りないと判断されれば欧米では解雇もあり得る」だから、呆れて涙が出てくる。

 

 

2020年6月 6日 (土)

テレワークと繋がらない権利

48999925571_3ef50427b1_k 欧州労連(ETUC)が6月2日付で、「ロックダウンが労働者にとってつながらない権利の緊要性を示した」(Lockdown shows urgent need for workers to have a right to disconnect)という声明を出しています。いわゆるロックダウンはなかった日本でも、自粛要請の下でテレワークが急速に行われたことから、示唆されることは多いように思われます。

https://www.etuc.org/en/pressrelease/lockdown-shows-urgent-need-workers-have-right-disconnect

Before the outbreak, just one in ten people worked from home every day. But new European research shows that almost 40% of EU workers started working from home during confinement. ・・・

コロナ蔓延以前は毎日在宅勤務する労働者は10人に1人だったが、最近の調査によると外出制限の期間中在宅勤務するEUの労働者はほぼ40%に達していた。・・・

The ETUC supports ‘telework’ for as many workers as possible in these exceptional circumstances but we are vigilant that working from home every day can blur the line between professional and personal time. 

欧州労連はかかる例外的な状況で可能な限り多くの労働者がテレワークすることを支持する、が、毎日在宅勤務することが職業生活と個人生活の区分をあいまいにすることには用心すべきだ。

・Twice as likely to work 48 hours or more a week than those working at their employer’s premises
・Six times more likely to work in their free time
・The group of workers most likely to report waking up repeatedly during sleep

・週48時間以上働くものが会社の施設で働くよりも2倍多い

・自由時間にも働くものが6倍多い

・睡眠中も繰り返し起きる傾向がある

These negative effects are caused by managerial monitoring, demand for constant availability and blurred boundaries between work and private life, according to the European Parliament. 

これらのネガティブな影響は経営側による監視、常時接続の要求、仕事と個人生活との区別の曖昧化によって引き起こされている

リンチ副事務局長曰く:

As working from home becomes a more permanent feature of working life, employers must respect their workers’ right to disconnect and member states should enshrine it in national legislation. 

在宅勤務がますます職業生活の恒常的な特徴となるにつれて、使用者は労働者の繋がらない権利を尊重しなければならないし、加盟国はそれを各国の法制に明記すべきだ

 

 

2020年6月 5日 (金)

統計的性差別のお手本?

Gettyimages1151004988w1280 労務提供型プラットフォームサービスには、ベビーシッティングという具体的労務サービスを契約形式的には個人請負のマッチングという形でやっている会社もあるようで、それ自体ウーバーイーツなんかと同様、労働者性をめぐる議論が山のようにできるところですが、とりあえずそれはさておき、そんなキッズラインという会社で、労務提供側利用者の男性が、サービス需要型利用者の子どもに猥褻行為をしたという事件があったそうです。

https://www.businessinsider.jp/post-214061(シッターが預かり中の「わいせつ容疑で逮捕」の衝撃、キッズラインの説明責任を問う)

筆者の中野円佳さんは、拙著『働く女子の運命』でもその意見をかなり使わせてもらったし、数年前には東大公共政策大学院の授業にも出て頂いたこともあり、ふむふむと読んでいたのですが、その「説明責任を問」われた同社は、何を考えたか、男性のベビーシッターを全員停止してしまったようです。

https://kidsline.me/contents/news_detail/605

いやまあ、典型的な絵に描いたような統計的性差別なんですが、契約形式上は雇用労働者ではなく個人請負の独立自営業者ということになっているので、男女雇用機会均等法(現行法は男性差別も女性差別と同じく禁止されています)の対象ではないことになっています。

説明責任を問うた中野さんもこのやり方には驚いたようです。

https://twitter.com/MadokaNakano/status/1268498369367793665

しかし、こういう、いわば男性全員解雇!みたいなことが、プログラムをちょいといじるだけで簡単にできてしまうのが、プラットフォーム型ビジネスというものなんですね。

2020年6月 4日 (木)

「学生に賃金を」には一定の正当性があるが・・・

私は実のところ、「学生に賃金を」という議論には一定の正当性があると思っています。

近年、学生アルバイトの問題が深刻化し、ローン型奨学金の問題が取り上げられるようになったのも、親が払う贅沢費という位置づけのまま学費がどんどん引き上げられてきたために、その負担が本人の現在又は将来の労働賃金に転嫁されてきたことが背景にあるわけで、そもそも論として「学生に賃金を」という議論は展開する値打ちがあります。

そもそも社会活動のための技能養成という点で教育と訓練はひとつながりのものであり、教育を受けている学生と訓練を受けている訓練生もひとつながりのものであるという考え方からすれば、訓練生に訓練手当を支給するという仕組みがある以上、学生に学習手当を支給するという考え方は別にそれほどおかしなものではないと思うからです。

それを何かおかしいと感じるとすれば、それは教育は高邁な営為であって訓練なんぞという下賤な営為とはそもそも身分が違うのじゃ、控えおろう!という発想からでしょう。そういうひとは自分の金で勝手にやればいいじゃん、としか思わない。

なんですが、

https://hbol.jp/219516/2

わたしは早稲田大学に1997年入学でかよっていたのですが、正直、大学の授業でまなんだことなんてひとつもありません。だいじなことはすべてサークルでまなびました。 

とうそぶき、「就職に役立つことばかりになった大学」を嘆いているようなひとには、びた一文あげたくはないですね。

(参考)

http://hamachan.on.coocan.jp/posse32.html(「日本型雇用と日本型大学の歪み」『POSSE』32号 )

・・・・表面の政策イデオロギーはネオリベラル化しながら、制度の基本思想はそれが作られた時代の日本型雇用に過剰適応したままというねじれ構造の下で、もはや少数エリートではなく同世代人口の過半数を占める大衆となった大学生たちは、学生本人の現在の労働報酬と将来の労働収入(を担保にした借入)によってその教育費用を賄わざるを得ない状況に追いやられています。それを増幅するのは、依然としてエリート教育時代の夢を追って、大学とは「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(学校教育法83条1項)のであるから、職業教育訓練機関のような低レベルのものにしてはならない、と頑固に主張するアカデミズム思想です。
 同世代人口の過半数が進学する高等教育機関が、職業教育訓練とは無関係の純粋アカデミズムの世界を維持できていたとすれば、それはその費用が親の年功賃金で賄われていたからであり、しかも、「入社」後は会社の命令でどんな仕事でもこなせるような一般的「能力」のみが期待されていたからでしょう。大学で勉強してきたことは全部忘れても良いが、それまで鍛えられた「能力」は重要であるという企業側の人事政策が、その中身自体は何ら評価されていないにもかかわらず大学アカデミズムがあたかも企業によって高く評価されているかのような(大学人たちの)幻想を維持していたわけです。
 しかしその結果、ジョブ型社会であれば当然であるはずの、大学生が卒業後多様な職業に就き、社会に貢献することになるがゆえに、その費用も社会成員みんなが公的に賄うべきという発想が広がることが阻まれました。なぜなら、大事なのはどういう教育を受けたかによって異なる個別的な職業能力ではなく、何でも頑張ればこなせる個人の「能力」である以上、教育の中身自体を公的に賄うべき筋合いはないからです。
 こういうメンバーシップ型にどっぷり浸かった主流派とは隔絶した周縁的世界に、世界標準に近い職業教育訓練を公的に賄うべきという世界がひっそりと残存しています。高学歴になればなるほど縁のない、日本社会ではずっと非主流派の悲哀を味わってきた世界、公的職業訓練の世界です。
 公共職業訓練は無料です。これは、都道府県や高齢・障害・求職者雇用支援機構の設置する職業訓練機関だけではなく、民間の教育訓練施設に委託して行われるもの(委託訓練)もそうです。実は現在、受講生の過半数は委託訓練で、特に都道府県の離職者訓練は9割以上が委託訓練です。委託先は専修学校のほか民間企業もありますが、公共職業訓練として全て無料です。親の年功賃金で賄うとか、本人の奨学金やアルバイト収入で賄うという発想はありません。さらに雇用保険制度では、失業給付の受給者が公共職業訓練を受けている場合、訓練受講期間中はその所定給付日数を超えて訓練延長給付が支給されると定めています。そして、2011年に成立した求職者支援制度では、雇用保険を受給できない失業者に認定職業訓練に受講させ、その間の生活費として月10万円の職業訓練受講給付金を支給するという仕組みが設けられました。
 社会のさまざまな仕事を担っていく人々の教育訓練費用やその間の生活費用を公的に賄うという発想は、決して特異なものではなく、むしろ世界標準に近い考え方です。そもそも、教育と訓練とを峻別する考え方は日本独特です。西欧諸国の政策では、両者は一体であり、そして広い意味での社会保障政策の一環です。しかし、日本の大学はそのような世界標準から目を背け、崩れゆく日本型雇用の中で、意識の上ではアカデミズム幻想にしがみついてきたようです。最近ようやく中教審が答申をまとめた専門職業大学構想に対しても、ありとあらゆる罵言が投げつけられたのも記憶に新しいところです。
 とはいえ、職業教育訓練費用を公的に賄うという発想は、大学を飛び越えて大学院レベルに既に広がりつつあります。1998年に設けられた雇用保険の教育訓練給付は、労働者が自分で選んだ教育訓練機関(その多くは専修学校)に支払った受講料のかなりの部分を公的に補助する仕組みですが、2014年には「学び直し支援」という看板の下、専修学校だけでなく社会人大学院のプログラムまでも3年間で最大240万円の給付の対象となりました。しかも審議会における労働側の要求で、45歳未満の若年離職者については、教育訓練期間中、基本手当の50%相当額を支給することになりました。意外に思うかも知れませんが、大学が今なお学校教育法上「学術の中心」を称しているのに対し、専門職大学院は既に「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的」としています。大衆化した大学だけが未だに職業教育機関ではないと頑張っているのです。
 日本型雇用に基づく親負担主義に支えられていた幻想のアカデミズムは今やネオリベラリズムの冷たい風に晒されて、有利子奨学金とブラックバイトという形で学生たちを搾取することによってようやく生き延びようとしているようです。そのようなビジネスモデルがいつまで持続可能であるのか、そろそろ大学人たちも考え直した方がいい時期が来ているようです。  

(追記)

こういう「批判」?をいただいたのですが、

https://twitter.com/syou_hirahira/status/1269579449973870592

下の記事にあるような、大学も職業教育訓練機関としての機能をもっと果たすべきとの考え方は賛成するんだけど、それでも、純粋アカデミズムを仕事にする人はもう少し増えてもいいと思いますよ。オックスフォード大学の最近のリリース見てるとなおさら。 

いや、その「純粋アカデミズム」も、それを仕事にするんである以上、立派な職業教育訓練なんですよ。どうも、そこのところがちゃんと伝わらないものだから、あの劣化版議論のように、職業教育をやるL型大学ってのは、法学という名のもとに大型免許の取得をするみたいなイメージが広まってる。

上で「幻想のアカデミズム」って言ってるのは、それを仕事にすることなんか全然予定もせず、会社に入ったら「大学でお勉強したことは全部忘れろ」と言われることを前提にした代物のことなんで。

その意味では、この方が言われるこれと全く同じことの盾の両面なわけです。

https://twitter.com/syou_hirahira/status/1269178468899536896

大学も職業スキルを身に着けるための場所で、日本の大学が職業スキルを無視しているってのはたぶんその通りだと思うが、アカデミックな知識が生かされる職が少なすぎるのも事実でしょ。 

まさに「アカデミックな知識が生かされる職が少なすぎる」からこそ、アカデミック教育が職業教育訓練として生かされず、卒業とともに忘れるべきものとみなされ、一方で、職業教育訓練とは大型免許のことだという認識ばかりがはびこる。

 

生計目的副業と自己実現副業を誰がどうして区別するのか?という問題

さて、世の中がコロナ一色に染まっている間にも、それ以前からの山積する課題に対する検討は進められているわけで、去る3月末の法改正で雇用保険と労災保険については一応決着がついた兼業・副業についても、労働時間の通算問題についてはなお決着がつかないままになっていることはご案内の通りです。

そこで、去る5月19日に、経済同友会が「兼業・副業の促進に向けた意見~個人の主体的な働き方の選択を可能とする制度設計を~」という意見書を公表していました。中身は、基本的には労働時間の通算なんて難しいんだからやめてよ、という話なんですが、その理論立てがなかなか込み入っています。

https://www.doyukai.or.jp/policyproposals/uploads/docs/200519a.pdf?200601

これは、私も講演とかでこの問題を喋るときによく使う二分法なんですが、兼業・副業といっても2つのタイプがあるよと。

兼業・副業は目的によって、次の2つに大きく分類できる。
①生計維持のための収入確保を目的とした兼業・副業
②個人の自己実現や社会貢献を主目的としながら、雇用企業の人材育成、イノベーション創出、収入の増加にもつながる兼業・副業
 このうち、②の目的で兼業・副業を行う者はまだ少ないが、今後、環境を整備することにより、一層増やしていくことが望まれる。政府も「新たな技術の開発、オープンイノベーションや起業の手段、そして第2の人生の準備として有効」とし、同様の観点からその促進を図ろうとしている。 

これはほぼその通りで、も少しエッジの効いた言い方をすれば、世の中の兼業・副業の大部分は1の生計目的副業なんだけど、政府、というか官邸、というかその背後にいる経済産業省方面、が主として念頭に置いているのは、多数派の1じゃなくて、少数派の2なんですね。だから、一生懸命兼業や副業屋と笛を吹いて踊らせようとする。そこが、現場で労働問題に直面している人々と感覚がずれていく理由の一つでもあるわけです。

経済同友会は、(経産方面とは違って)そこのところの構造がよく分かった上で、しかし懸念するのは1の多数派のことばかり考えて2の少数派が過剰規制されてしまうことなんです。

しかし、現時点では①の生計維持のためにやむを得ず働かざるを得ない者が多いことから、ルールづくりの際、主として①の目的での兼業・副業を視野に入れ、一律的で過度な規制が検討される恐れがあり、これを危惧する。
 したがって、労働者保護の観点から①の目的で兼業・副業する人々を主眼に置いた過度な規制を導入することにより、収入確保の機会の喪失や、②の目的で自ら主体的に兼業・副業を選択しようとする動きが抑制される懸念があることに留意すべきである。②の目的での兼業・副業は、あくまでも自律した個人が自己責任の下で自由に行うべきものである。  

ここは、まさにその通りで、生計目的副業を念頭に置いた規制は、確かに自己実現副業にとっては過剰規制になり得ます。そういう構造であることは確かです。

ではどうするかというと、結論としては、

個人の自己実現や社会貢献を主目的とした兼業・副業については、健康管理には一定の配慮は必要なものの、基本的には自己責任で行われるべきであり、複数事業者間での労働時間通算を行わないことが望ましい。。

ということになるんですが、じゃあ、個人の自己実現や社会貢献じゃなくって、ただひたすらに低収入を補うために兼業・副業している多数派の人はどうしたらいいのかというと、それは明確には書かれておらず、結局

労働時間は通算が実務上困難なことを前提に、現時点では複数事業者間での労働時間通算を行わないことを原則にすべきである。 

というのに含まれることになっているようです。それはいささか無責任なような。

しかし、そもそも論からいうと、概念的には上記のように分けられる生計目的副業と自己実現副業を、誰がどうやって区別するの?という偉い大問題がでんとその先に控えている以上、うかつに生計目的副業は通算するけれども、自己実現目的副業は通算しないなんて、そんな議論もできないし、と言うことなんでしょうね。

 

 

 

最低賃金政策、日本とEU

昨日6月3日、奇しくも日本とEUで最低賃金政策に関して興味深い動きがありました。

日本では官邸の全世代型社会保障検討会議で最低賃金が取り上げられ、

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/zensedaigata_shakaihoshou/dai8/siryou.html

ここに日商や連合の意見もアップされていますが、新聞報道によると、安倍総理は「今は雇用を守ることが最優先課題だ」と述べ、政府として掲げ続けている「年3%」の引き上げ目標の実現に、今年は固執しない考えを示したそうです。

https://www.asahi.com/articles/ASN637JTRN63ULFA01S.html

一方、EUでは去る1月にEU最低賃金制についての労使への第1次協議を開始しており、そのことは去る3月に『労基旬報』への寄稿で紹介していたところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-4d8c00.htmlEU最低賃金がやってくる?@『労基旬報』2020年3月25日号

その第2次協議がやはり同じ6月3日付で行われたようです。

https://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&furtherNews=yes&newsId=9696

第一次協議の時にはほとんど対岸の火事だったコロナ禍が、その後ヨーロッパに燃え広がり、どういう第2次協議になるのかなと思っていたら、

The EU has been particularly hit by the coronavirus pandemic, with negative effects on Member States’ economies, businesses, and the income of workers and their families. Ensuring that all workers in the EU earn a decent living is essential for the recovery as well as for building fair and resilient economies, and minimum wages have an important role to play. Minimum wages are relevant both in countries relying solely on collectively agreed wage floors and in those with a statutory minimum wage.
When set at adequate levels and taking into account economic conditions, they support vulnerable workers and help to preserve both employment and the competitiveness of firms. 

EUはとりわけコロナウイルスパンデミックの打撃を受け、各国の経済、事業、労働者とその家族の収入にネガティブな影響をもたらしている。EUの全ての労働者がまっとうな生計を維持できる稼ぎを確保することは回復と同様公正で強靱な経済を建設する上で枢要であり、最低賃金は重要な役割を果たしうる。最低賃金はもっぱら労働協約によっている国でも法定最低賃金の国でもどちらも重要である。

最低賃金が十分な水準に設定され、経済状況を考慮するならば、脆弱な労働者を支えるとともに雇用と企業の競争力の維持に役立つ。・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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