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2020年5月 5日 (火)

ジョブなき社会の公務員減らしの帰結

Ji これを読んで、

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72275 (コロナでわかった、やっぱり日本は公務員を「減らしすぎ」だ)

・・・たとえば、新型コロナウィルスに関して、なくてはならない働きをしている保健所や公的医療機関。感染者の把握や感染拡大防止で後手に回ったとして批判を受けているが、もともと「平時」を基準に体制が構築されており、緊急時においては明らかに人手不足であることが今回わかった。
国の各省庁の職員も、時々刻々と状況が変化する中で、国会議員の動きに振り回されるなど、普段の激務に輪をかけた混乱状況に忙殺されている。
・・・・いま挙げた例はあくまでごく一部にすぎないが、なぜ行政の現場はこれほど疲弊してしまっているのか。
主な理由は、ここ20年以上にわたり、国も地方自治体も、行財政改革により職員を軒並み削減してきたこと、その一方で行政が対処しなければいけない仕事は減っておらず、むしろ増えていることにある。・・・・

言われていることはそのとおりなれど、なぜ日本が今のような状態になってしまうのかを理解するためには、やはり公務員法制はじめとする制度設計は万国共通のジョブ型でできているにもかかわらず、それを実際に運用する側は日本独特のメンバーシップ型でなんとかかんとかやりくりしてしまうという、もう何万回も繰り返してきたこの宿痾から説き起こす必要があるように思います。

公務員を減らせ減らせという議論自体は世界共通にどの国にもあります。いわゆるネオリベ系の論者は多かれ少なかれそういう主張をします。

でも、日本以外のジョブ型社会のネオリベ論者は、公務員減らしとは即ち公務員が従事するジョブ減らしであり、すなわち公共サービス減らしであるということをちゃんとわかって、というか、それを大前提として主張しているのです。彼らの主張は極めて明快であって、そんな公共サービスは要らないんだ、民間でやればいいんだ、だから当該サービスを行うジョブは要らないんだ、だから当該ジョブに充てられる公務員は要らないんだ、というまことに筋の通った議論であって、それゆえ、それに賛成する人も反対する人も、当該公共サービスの必要性という本丸の議論を戦わすことができます。まずジョブがあり、そのジョブを遂行するために人が雇い入れられるという点では、民間企業も公共部門も何の違いもないのですから当然です。

そういうまっとうな議論があらかじめ不可能となっているのが民間企業も公共部門もメンバーシップ型で運営されてしまっている日本です。

日本では、公務員減らしを主張する人が、少なくとも筋金入りの一部の立派な欧米風のネオリベを除けば、それによって当該公務員の遂行するジョブが減るのであり、即ちあんたが享受しえた公共サービスがその分だけ減らされるのだよという、ジョブ型社会であればあまりにも当たり前の事実が脳みそから完全に消え失せてしまって、その極限まで減らされた公務員が、なぜかもっといっぱいいた時と同じくらいの、あるいはむしろそれ以上のサービスを提供してくれるのが当たり前だと、悪意などこれっぽっちもなく、ほんとに素直に、それのどこがおかしいの?と稚気愛すべきほど無邪気に、思い込んでいるんですね。

それはもちろん、かれら特殊日本的いんちきネオリベが、自分では欧米のネオリベと同じことを言っているつもりで、その実は冥王星ほどかけ離れた発想で、日本的なメンバーシップ感覚にずぶずぶに漬かり切った発想で、人を減らすことはいかなる意味でもジョブの減少を意味せず、むしろサービスの拡大ですらあり得るという感覚に対して、これっぽっちも疑いを抱いてみることもないからなのでしょう。まず人が雇い入れられ、それからおもむろにその人にジョブがあてがわれるわけですから、ジョブの総量が少なければ暇になり、ジョブの総量が多ければ少ない人数のみんなでそれを必死でこなすのが当たり前。もちろん日本だけの当り前ですが。

そういう社会では、素直にメンバーシップ感覚にどっぷり漬かった善良な国民諸氏が、政治家やマスコミがはやし立てる公務員減らしに「それいけ、やれいけ」と調子に乗って騒ぎ立てても、それがいざというときに自分が享受できる公共サービスを減らすことだなどということは、ほんとにかけらすらも考えていないというのは、あまりにも当たり前のことなのかもしれません。

本ブログで何回も繰り返してきた気がしますが、わたしは、筋の通ったネオリベは好きです。筋の通ったというのは、公務員減らせということは、自分が享受できる公共サービスをその分減らせと言っているということをきちんと理解して言っているということです。そういう人は尊敬します。

しかし、残念ながらこの日本では、論壇で活躍する評論家にしても、居丈高な政治家にしても、みんなずぶずぶメンバーシップ型のいんちきネオリベでしかないのです。居丈高に公務員を減らしておいた上で、いざというときに公共サービスが足りないと、赤ん坊のようにわめきたてるのです。いや、それお前のやったことだろ。

(追記)

ちなみに、最近やたらに「ジョブ型」がはやり言葉になって、猫も杓子もみんなうわごとのようにジョブジョブ言ってますが、そいつらが本当に口に出している「ジョブ」なる概念が分かって言っているのか、それとも全然分かりもしないでただ世間で流行っているからもっともらしくくっちゃべっているだけなのかを、即座にかつ的確に判定するのに一番有用なのが、本ブログで書いた「公務員を減らして公共サービスを増やせ」という(ジョブ型社会からすれば)奇天烈な議論を、ちゃんとおかしな議論だと言えるのか、それともそっちも世間で流行っているからとそうやそうやそうやったれ!と平気で言えるのか、という判定道具でしょうね。

 

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コメント

な、なるほど。日本社会に蔓延している「公務員の数は多すぎるのはケシカラン!でも公的サービスを減らすのもまかりならん!何?非正規公務員の待遇が悪い?それもケシカラン!」と言う無茶な言説も「理念はジョブ型だが実態はメンバーシップ型」という乖離ゆえだったのですが。

もちろんhamachanもご存知かとは思いますが、「リベサヨ」たちが「反権力」なるしょーもないイデオロギーにいまだに囚われているのも大きいのでしょうね。

当方も元公務員でしたが、この無茶な言説のおかげでどれだけ辛い目にあったことか。
いい加減に何とかしてもらいたいです。

>当方も元公務員でしたが、この無茶な言説のおかげでどれだけ辛い目にあったことか。

この4月から元公務員になられたマシナリさんも、同様の感想をお持ちのようです。

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-805.html

特に付け加えるべきことはありませんが、さらに絶望的なのは当の地方公務員法の所管大臣とか各自治体の首長とかその指揮命令下にある所管課を含めて「メンバーシップ型のいんちきネオリベ」しかいないということでしょうか。

初めに申し上げておきますが、私が以下に申し上げる事は、意見の紹介であって、私がそのように考えている とか 私がそれに賛成している という事ではありません。

日本で”(公共サービスを減らさずに)公務員を減らせ”と主張している方は、
 ・人は減らすとアウトプット(サービス)が減るというのはおかしい
 ・職員の業務が固定しているのはおかしい
という理由でそれが可能だと言っているのだと思います。

・人は減らすとアウトプット(サービス)が減るというのはおかしい
  民間では、従業員は同じ業務(アウトプット)をより少ない人数(工数)で行えるように仕事のやり方などを工夫するQC(生産性向上活動)を行っている。しかし公務員がそのような活動を行っているという話を聞いた事がない。長年QCを行ってこなかったので、公務員の業務にはQCによる改善できる部分が大きいはずで、現在の業務をより少ない人数で行う事は可能なはずだ。

・職員の業務が固定しているのはおかしい
  例えばA業務とB業務にそれぞれ1.5人必要だとすると、役所はそれぞれの業務に専任者を2人ずつ割り当てるが、民間では2つの業務を3人で対応する事を考える。役所も民間と同じように複数の業務を担当できるようにすれば、現在の業務をより少ない人数で実行できるはずだ。

ジョブ型を
 全ての担当者は定められた業務のみを行う(他の業務を行わない)
と思っている人は、ジョブ型は(悪い意味の)”お役所仕事”と同じようなものと思っているかもしれません(公務員の業務を”お役所仕事”と批判するのはおかしいかもしれませんが)

ご紹介ありがとうございます。付記2で引用させていただいた部分と、
>当方も元公務員でしたが、この無茶な言説のおかげでどれだけ辛い目にあったことか。
というbalthazarさんの言葉には特に諸手を挙げて賛同いたします。その無茶な言説が役所の意思決定を歪めて公的サービスの質を下げていることについても「いや、それお前のやったことだろ」といいたいところですが、私も既に中の人ではないので、これからはそういう言説に同調しないよう心したいと思います。

なお、ご紹介いただいたエントリでは保健所の区分を間違ったり(修正しました)してまとまりがなくなってしまいましたが、引き続きご笑覧いただければ幸いです。

マシナリさん、ようこそ。
このエントリ、「冷静さが失われた書きぶりだからこそわかる論理の明快さ」という殴りながら褒められているような不思議な評をいただいております。

https://twitter.com/StarMoonCrystal/status/1257658127672987648

急に浮上したけれど直近のところでは聞こえなくなった「9月新学期移行」論が出たときには驚きました。「9月新学期」そのものの賛否は別として、10万円給付だのその他諸々の業務で、国も自治体も関連の現場の職員は「おうちにいましょう」「8割削減」どころではないはずなのに、その上に年度切り替え業務を入れるつもりかと。それもけっこう定員削減を推し進めてきたような首長が旗振りでの発言でしたね。
もしも実施するのだとしたら、大きな政策課題に対応する「ジョブ」が増えるときにはそれなりの職員数を増やすべきだろうと思いますが、公務員は定員の縛りがきつすぎますね。
もっとも都庁では8割削減ができているとのこと。どこをどう増減しているのかわかりませんが、「不要不急」の業務があるとしたら、今回はそれを見直して必要な業務へとスクラップアンドビルドを進める良い機会なのかも。

追伸です。
「定員の縛りがきつすぎる」という「定員」が要するにメンバーシップのメンバーですよね。非正規公務員はジョブには携わっているけれどメンバー外、で、メンバーの中でも役職は割り振られたジョブではなくて「身分」でもある(エレベーターの乗り降りの順序の話を書きましたが)という、なんというか、わけわからない封建的な状況が残っている、うーん、どう理解したものか的な閉鎖的な職場と思えます。
民間はさすがにそれほどではないのでは。
で、ヨーロッパなら、そもそも民間と公務員はけっこう相互の人の流動性もあって、そもそも民間と公務員の職場の風土が違うというようなことはあまりないように思いますが。

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