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« ジョブ型とメンバーシップ型の文明史的起源 | トップページ | 雇用保険のみなし失業はコロナに適用可能か? »

2020年5月 3日 (日)

ネット世論駆動型政策形成の時代の言説戦略と無戦略

今回のコロナ危機に対する様々な政策形成の動向を見ていて痛感するのは、これまでであれば現場で発生している様々な苦情が様々な社会組織を経て政治家の元へ行き、そこから行政に行って実現するまでに相当のプロセスを要したであろうようなことが、当事者がネット上に書き込み、それが拡大(場合によっては炎上)して与野党の政治家に認知され、そしてそれが直ちに行政に指示されて実施されるという形で、その意味では今までにないスピード感で政策形成が行われていることです。これは私が主に見ている雇用労働関係の政策、とりわけ雇用調整助成金の要件緩和やら助成率引き上げやら手続き簡素化やら社労士の連帯責任解除やらによく示されています。今日(5月3日)にも、先日助成率引き上げを公表した時にも維持されていた日額上限を引き上げると西村大臣が述べたそうですが、ここ数日のネット上における批判がこうしてすぐさま政治的に引き上げられていく様は、確かにネット世論駆動型政策形成の時代が到来しつつあることを実感させます。

https://www.asahi.com/articles/ASN534GM3N53ULFA007.html

 西村康稔経済再生相は3日、新型コロナウイルス対応の一環で、企業が雇っている働き手に払う休業手当を支援する雇用調整助成金の日額上限を引き上げる方針を明らかにした。テレビ番組で、安倍晋三首相から引き上げ検討の指示が厚生労働省に出ていることを明らかにし、「その方向でします」と述べた。
 現在の日額上限は働き手1人当たり8330円。西村氏はフジテレビとNHKの番組に出演し、「首相も強い問題意識をもっており、『もっとできないのか』という検討の指示をいただいている」とした。引き上げる場合、雇用保険の財源でまかないきれず、一般会計のお金が必要になるとされる。今年度の補正予算は4月30日に成立したばかりだが、2次補正予算案の編成を含めて「できるだけ早く結論を出す」とした。引き上げる場合には「さかのぼって支給ができるように考えていきたい」とも述べた。・・・ 

私はこういう動きを必ずしも悪いものだとは考えていません。現実社会の、しかし上からは目につきにくいところにある様々な苦情を政策決定の場に迅速にもたらすためのメカニズムとして、少なくとも例えば雇用助成金の細かな支給要件といったようなレベルにおいてはマイナスよりもプラスの効果が勝っているのは確かだろうと思うからです。その意味では、私はこのネット世論駆動型政策形成メカニズムに対して少なくとも部分的には肯定的です。

とはいえ、ネット世論駆動型政策形成の基盤であるネット世論というものが、いかに風にそよぐふわふわしたものであるかは、そのネット上におられる諸氏はよく理解されておられるところのはずで、その危うさが露呈したのが、雇用助成金において先行的に適用除外の撤廃が先行しながら、経産省所管の持続化給付金が始まる直前に猛烈な急ブレーキがかかった、例の性風俗営業関係の適用除外問題だったと思います。

雇用助成金における風俗営業の適用除外に対して、職業差別だという批判の嵐が巻き起こったのもネット世論であったわけですが、今回その勢いに水をぶっかける形になったのも、深夜ラジオ番組における芸人の発言に対するネット世論における猛烈な批判であったというのは、やはりこのネット世論駆動型政策形成の本質的な危うさを浮き彫りにする事態であったように思います。

注意すべきは、前者の雇用助成金における風俗営業の適用除外を批判するネット世論は、明確に当該制度の変更を求めるネット言説戦略としてなされ、そういう意図に即した形で政治家から行政に迅速に伝えられて実現に至ったわけですが、後者はそうではなく、むしろその芸人発言批判の言説が現下の政策形成プロセスにどのような影響を与えるのかについての認識を欠如した形で、その意味では言説戦略の欠如(無戦略)としてなされてしまい、結果的に想定していなかった政策効果をもたらしてしまったらしいところです。

上述したように、私は今回かなり全面的に回転しているこのネット世論駆動型政策形成プロセスに対して必ずしも否定的ではありませんが、こういうある種のバタフライ効果が発生しうるという点は、とりわけネット上で活躍されている方々は改めて認識しなおす必要はあるのだろうと思います。

この問題、もう少し視野を広げていろいろと考えたいテーマですが、とりあえず、この記事を見て思ったことをメモ代わりに書いてみました。

https://note.com/kanameyukiko/n/n6deb27eae9ea (岡村叩きにみる正義を語る悪魔 by 要友紀子)

Profile_174a8c87554cc839372ff33fe3581c06 ・・・・私がこのたび筆をとったのは、経済産業省がいま持続化給付金のことで、本当に風俗業従事者を給付対象にするのか否か、流動的な微妙な空気が流れているからだ。
どういうことかというと、官僚というのは、風俗店がこの先も存続すべきものかどうかを見据えて法律や制度を作るらしい。・・・
 この背景を藤田氏は知らない。私がとても懸念しているのは、経済産業省の官僚たちがまさに今、「世の人々は風俗は本来あってはいけない産業だと思っている、他の労働と同じ労働としては捉えてないらしい」というSNSでの世論をどこまで参照にしているかだ。
 政治家にとって、政治・政局・選挙という3大状況判断を藤田氏はご存じだろうか。この3つの状況判断のいずれか1つを間違えても命取りになり、うまくいくはずのこともダメになってしまうという意味だ。だから、岡村発言を炎上させるのを、この持続化給付金のことが落ち着くあと数週間待ってほしかった。岡村発言は確かに問題で世間で騒がれて当然の話ではあるが、今はやめてほしかった。いま私たちは経済産業省をなんとか説得しようと必死で動いている喫緊のところだ。今からでも、藤田氏には、自身がまき散らした風俗利用叩き、風俗嬢は本来風俗ではなく福祉へ大合唱の禍根について急いで原状回復をお願いしたい。さしあたり、風俗が労働として否定されることがないよう追加アナウンスすべきだ。そのための草稿づくりであればいくらでも協力する。 ・・・・

 

(追記)

いかにも表層的な世間受けしそうな「正義」に、軽々しく、そう、その「正義」の論理的帰結がどのようなものであるかというところまできちんと深く考えることなく、表層的な世間受けしそうな「正義」に軽々しく乗っかりたがるという、藤田さんの傾向に対しては、かつて「年金返せ」騒ぎの際に、本ブログでも指摘したことがありますが、その時も、そもそも何を批判されているのかを自省しようという姿勢はほとんど見られませんでしたね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-9979b9.html (無知がものの役に立ったためしはない)

例の「年金返せ」デモについて、藤田孝典さんがこういうことをつぶやいていたようですが、
https://twitter.com/fujitatakanori/status/1141039413918437377
年金について勉強してから発言したり、行動するべきだ、という議論もあるみたい。しかし、そんなことは政治家、官僚、研究者、専門家の仕事。一般市民や大衆は、怒りを感じたらみんなで集まり、デモや示威行動で表現すればいい。何も行動しないよりはるかにマシ。
いやこれは全然駄目。
細かいところまで勉強せよとは言わない。しかし、公的年金とはそもそも如何なるものであるか、そして公的年金制度において「年金返せ」なるスローガンが如何なる、どちら向きのベクトルを持った台詞であるかという、基礎の基礎のそのまた基礎に当たるようなことを全く理解しないほどの不勉強な、方向性を全く間違えた「怒り」なるものを、それが無知な大衆の怒りであるという理由で賞賛するような議論は、良く言って愚かの極みであり、悪く言えば利敵行為以外の何物でもないでしょう。
保険料の拠出という形で個人の権利性を確保しつつ、公的社会保障制度全体で貧富間の再分配を図るという仕組みの根源を破壊する方向の論理だからです。
公的年金をつかまえて、あたかも私的な取引に基づく積立貯金であるかの如く「返せ」などという言語を発すること自体が、脳内主観では敵対していることになっているホリエモンと全く寸分違わない立場に自らをおいているという基礎の基礎すら理解できていないような人間は、やはり最小限のことを勉強してから発言したり行動すべきなのです。
同じ社会保障制度で例を取れば、健康保険で医者にかかって本人負担分の高さに逆上して、「健康保険料返せ」とわめき散らして、公的健康保険を破壊し、市場ベースの医療保険だけの、ムーア監督の「シッコ」の世界を求めるかの如き無知な「庶民の怒り」を、褒め称えるようなことを言ってはいけないのです。 

 

 

 

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コメント

ブログ主殿でない方の意見にコメントするのは良くない事かもしれませんが。

別の記事のコメントでも申し上げましたが、望まないのに(経済的な理由で)風俗業に従事せざるを得ない人をなくすという事と望んで風俗業に従事している人を保護するという事は別だと思います。望んで風俗業に従事している人を保護する活動を行うために、望まないのに風俗業に従事せざるを得ない人をなくすという活動を控えるべきだという主張はよく理解できません。2つの活動は排反ではないので協力してどちらも推進すればよいと思います。


>藤田氏には、自身がまき散らした風俗利用叩き、風俗嬢は本来風俗ではなく福祉へ大合唱の禍根について急いで原状回復をお願いしたい。

”コロナによって落ちていく女性を見ることができるのは楽しみだ”という発言を批判する事がなぜ”風俗利用叩き”になるのでしょうか? また、望まないのに(経済的な理由で)風俗業に従事せざるを得ない人をなくすために福祉を活用すべきだ という主張がどのような禍根になるのでしょうか?
以前の記事に対するコメントでも申し上げましたが、岡村発言批判への批判に対してあるブログで述べられている
  元々風俗を志向してない女性が止むを得ず性風俗産業に入って来るのを望むような
  発言への批判が、いつの間にか「風俗(で働く女性)差別」にすり替わっている
という意見は、この方にも当てはまるように思います。
ネット世論も玉石混淆だという事でしょうか?

>いかにも表層的な世間受けしそうな「正義」に、軽々しく、そう、その「正義」の論理的帰結がどのようなものであるかというところまできちんと深く考えることなく、表層的な世間受けしそうな「正義」に軽々しく乗っかりたがるという、

私には、
”コロナによって落ちていく女性を見ることができるのは楽しみだ”
という発言に抗議したり、
”望まないのに(経済的な理由で)風俗業に従事せざるを得ない人をなくすために福祉を活用すべきだ(活用できるようにすべきだ)”
と主張する事は極めて真っ当な活動(正義)だと思えますが、それらは ”いかにも表層的” で ”世間受けしそう” な「正義」なのでしょうか?
そのような活動(正義)の論理的帰結とはどのようなものなのでしょうか?
それらの「正義」を自粛しなければならない程の” いかにも表層的” でもなく ”世間受けしそう” でもない「正義」とはどのような「正義」なのでしょうか?

情報リテラシー、という言葉はよく聞きますが、行政の側で、ネット情報をどう読むか、あるいはネットにどのように正確な情報を提供するか、というのがけっこう問題なような気がします。
ネットで情報が伝わる、議論が形成される、それを読み取るのも必要でしょうが、逆にネットに出にくいけれど大きな問題というのもあるのでは?そういうネットの構造やあり方を行政側は知っている必要があると思います。たとえば、今回のコロナ関連では、生活・労働関係の情報は早く流れていたように思いますが、中小事業者、特に大量に自粛した飲食店の家賃の話など、先日、支援案が出たようですが、けっこう遅かったように思います。これって、そもそも自転車操業の中小飲食業の人たちは従業員対応やテイクアウト切り替えなどに追われてネット世論形成などではなかったからかな、などと、閑居してネットサーフィンしている小人は想像しとりました。あと、飲食業界は業態が多様すぎ、小規模のところが多すぎてロビー団体がない(スシロー水留氏)、というのがなるほどなあ、と。困窮者では、対象数が比較的小さいグループでも、ネットを駆使しロビー活動を行う支援団体があると違うでしょうからね。
行政からの情報提供でいえば、これも、コロナのネットサーフィンしている小人、「東京がニューヨークのようになるぞ」とネットで騒がれた頃からNYCと東京都の様子を追ってきましたが、そもそものデータが、NYCのものがきわめてわかりやすい(感染・入院・死亡が総数だけでなく、地域別・年齢別・性別内訳あり https://www1.nyc.gov/site/doh/covid/covid-19-data.page )のに比べて、東京都のデータは一見「らしく」作られているけれども、内訳なし、死亡数なし、なぜか、データとしてどれほど重要なのかわからない地下鉄利用者や都庁来訪者が掲載されているのに、というもの(https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/)。なお、厚労省サイトもデータは、死亡者もないし、グラフもなし(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11222.html)でしたね。

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