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2020年4月21日 (火)

マルクスの労働思想(を取り上げない理由)@『労基旬報』2020年4月25日号

Karl_heinrich_marx 『労基旬報』2020年4月25日号に「マルクスの労働思想(を取り上げない理由)」を寄稿しました。

 わたしは株式会社ニッチモが刊行する人事関係の季刊誌『HRmics』に、2015年8月号(第22号)から「原典回帰」という連載をしています(まだ続いています)。第一回のウェッブ夫妻の『産業民主制論』から始まって、取り上げた本は既に英米独仏日5か国の12冊に及びます。ところで、この連載には、編集長の海老原嗣生さんのアイディアで「マルクスなんてワン・オブ・ゼム。労働イデオロギーの根源を探訪」という魅力的なサブタイトルがついていますが、これまでのところ、まだマルクスの本もマルクス主義の本も取り上げていません。正直言うと取り上げる気があまりしないのです。とはいえ、ワン・オブ・ゼムといいながらナン・オブ・ゼムではサブタイトルに反するではないかとか、もっとまじめに、マルクスこそ労働思想の最高峰なのに、それを無視するとは許し難い保守反動の書だ!と怒り心頭に発する人もいるかもしれません。
 そこで、マルクスの本を取り上げたく理由というまことに消極的な角度からのものではありますが、マルクスないしマルクス主義と労働運動という、(かつてであれば山のような本が積み上がっていたけれども)最近ではあまりきちんと論じられることのない領域について、ほんとにごくごく簡単に私の乏しい知識の範囲内のことをまとめておきたいと思います。
 ご承知のようにマルクスもエンゲルスもドイツ人ですが、ベルギーやフランスに亡命し、後半生はずっとイギリスで過ごしました。彼らの資本主義分析も労働論も、基本的には当時世界の最先進国であったイギリスの製造業がベースになっています。ただ、彼らが描き出した悲惨な工場労働者の姿は主として繊維産業のかわいそうな女子年少労働者が中心で、ウェッブ夫妻が描いた機械金属産業の熟練職人たちではありません。もちろんいずれも当時の労働の現実だったわけですが、少なくともトレード型のイギリス労働運動を生み出し発展させていったのは、マルクスが「労働貴族」と罵った彼らジャンタたちであったのは確かです。工場法や労働基準法がなぜ作られたのかを語るのであれば、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』やマルクスの『資本論第1巻』は必読文献でしょうが、労働組合法の起源を語るのには必ずしも適当ではないのです。
 こうして、イギリスやアメリカの労働運動にとってはマルクスは縁なき衆生に終わったのですが、マルクスやエンゲルスの祖国ドイツではさすがに彼らの思想が労働運動に大きな影響を与えました。ドイツはイギリスに比べ産業化は遅れており、渡り職人のヴァイトリングらがフランスに亡命して正義者同盟なんていうやたらに意識高い系の結社を作ったりしていました。マルクスらが入って共産主義者同盟と改名したこの結社の綱領として書かれたのが有名な『共産党宣言』です。ちなみに、戦後日本の新左翼界隈で流行った「ブント」ってのは、この共産主義者同盟の「同盟」からきています。
 その後ドイツの労働運動はプロイセン政府の支援を求めるラッサール派が主導権をとり、マルクスらはそれを猛烈に叩きます。その後ビスマルクによる社会主義弾圧を経て、マルクス主義者のカウツキーやベルンシュタインらが率いる社会民主党が発展していきますが、ここまでは労働運動は社会主義運動の陰に隠れていました。19世紀末になってようやくレギーン率いる自由労働組合が発展していきます。ベルンシュタインはウェッブ夫妻と付き合って修正主義を唱えましたが、カウツキーら正統派はマルクス主義に固執しました。しかし、第一次世界大戦が事態を大きく変えました。戦時中の「城内平和」で労働組合は積極的に戦争に協力し、その代わりに労使共同参加や企業内労働者委員会といったワイマール労働システムの端緒を手に入れたのです。
 実のところ、リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクら急進派を除けば、社会民主党の大勢は(口先は別にして)修正主義にシフトしていたようです。1918年11月のドイツ革命では、前年起きたロシア革命でボルシェビキ(共産党)が唱えた「すべての権力をソビエトへ」に倣って「すべての権力をレーテへ」が唱えられました。ソビエトもレーテも労兵評議会という意味ですが、ここでは「レーテ」が急進派のシンボルだったのです。ところがエーベルトら社会民主党の指導部は軍部と連携して急進派の反乱を鎮圧し、議会制民主主義を維持します。これと並行して、中央労使団体間のシュティンネス・レギーン協定によって、ワイマール労働システムの大枠が合意され、順次法制化されていきます。
 ここで面白いのは、「ソビエト」のドイツ語版であり、ドイツ共産党のシンボルであった「レーテ」が、むしろ戦時中の城内平和で確立した企業内労働者委員会を受け継ぐ「ベトリープス・ラート」の「ラート」として(見事に換骨奪胎されて)受け継がれたことです(「レーテ」は「ラート」の複数形)。その後の社会民主党や労働組合はまさにナフタリ流の「経済民主主義」路線を歩んでいき、共産党とは敵対関係になりますが、その中核に革命期の「レーテ」という言葉が残っているのは皮肉です。逆に言えば、今日の社会民主党にもドイツ労働総同盟にも、その「レーテ」という言葉以外にはマルクス主義は残っておらず、思想的には絶縁しているのです。
 一方、その「ソビエト」の系譜はソ連で発展し、第二次大戦後は東欧諸国や中国などに広がり、先に述べたマルクス主義対非マルクス主義という二項対立図式が常識化します。しかし、共産圏では労働組合は共産党の下部組織に過ぎず、その自律性を唱えたトムスキーや李立三らは粛清されました。終戦直後にはいったん世界労連という形で統一しましたが、1949年には西側の労働組合が脱退して国際自由労連を結成し、二項対立図式を具現化しました。ちなみに、戦後ILOで結社の自由と団結権条約が金科玉条のように振り回されたのは、西側労働組合の共産圏に対するイデオロギー攻撃だったのです。共産圏には結社の自由も団結権もないではないかと。お前らは共産党の召使に過ぎず、ILOの三者構成原則に背く奴らだと。ところが戦後日本ではこれが、公共部門の労働基本権をめぐって(マルクス主義にシンパシーを抱く)総評系官公労が(反共主義の)保守政権を攻撃する手段として使われるというこれまた二重の皮肉がありました。
 もっとも、西側の有力組合でも戦後フランスのCGTは世界労連に残り、共産党と繋がっていました。しかしそのCGTも、ソ連崩壊後は世界労連から脱退し、2006年には(国際自由労連とキリスト教系の国際労連が合併してできた)国際労連に加盟しています。二項対立図式はほぼ完全に崩壊したといえます。もちろん今も世界にはマルクス・レーニン主義を掲げる共産主義労働組合というのは細々と存在していますが、論じるに足る存在としてはもはやほとんどないといっていいでしょう。
 というわけで、歴史の流れを本気で論じだすといっぱい語るべきことはありながら、では労働思想の古典として何か一冊マルクスの、あるいはマルクス主義の本を取り上げて講義するという気にはとてもならなかったのです。せっかく海老原さんが「マルクスなんてワン・オブ・ゼム」というサブタイトルをつけてくれたにもかかわらず、遂に一冊も取り上げるに至らなかったことの背後には、こういう複雑怪奇な事情があったわけです。
 しかし、こういうマルクス界隈の話というのは最近さっぱり人気がないため、かつてはある程度常識であったこういうことも、近年はちゃんと説明してくれる人も少なくなったので、こういうまことに意気上がらないつまらない話も意外に役立ったという人もいるかもしれません。もしそうなら、せめてもの慰めです。 

なお、ニッチモのHPはこちらです。ここで『原典回帰』はすべて読めます。

http://www.nitchmo.biz/index.html

 

 

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