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2020年3月23日 (月)

倉重さんの実践塾でわたしや労務屋さんが喋ったこと

Kurashige 弁護士の倉重公太朗さんは八面六臂くらいでは済まないその猛活躍ぶりで世間を震撼させていますが、昨年12月7日の実践塾では、わたしや労務屋さんも参加して「これからの『はたらく』を考えよう」をテーマにしたトークイベントが開催されました。その様子が、「ポストコロナ時代の「働く」を考えよう」というタイトルでヤフーニュースに載っていますので、紹介しておきます。

https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20200323-00169144/ (前編)

https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20200323-00169147/ (中編)

https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20200323-00169150/ (後編)

私が主催している2019年12月7日の実践塾では、『雇用改革のファンファーレ』の出版を記念すして、5人の有識者をお招きし、「これからの『はたらく』を考えよう」をテーマにしたトークイベントを開催しました。新型コロナウィルスによる自粛ムードが漂ういまだからこそ、敢えて「大きな」視点で、価値観が大きくアップデートされるであろうポストコロナ時代の「はたらく」を考えてみたいと思います。 

Profile1522398932 最初に倉重さんがいきなり「私は日本の労働法は変えるべきだと強く思っています」とぶちかまして始まります。

私の喋りは、こういうしょもなさそうなぼやきから始まりますが、

濱口:私の書いた本は新書で5冊ほどありますが、そのうち一番売れていないのが、『日本の雇用と中高年』という本です。他の本はそれなりに売れていますが、これだけが初版のままで増刷されていません。『若者と労働』という本は、若者の興味を引くのでしょう。『働く女子の運命』というのは、たぶん女性が読みたくなります。でも『日本の雇用と中高年』という本は、嫌なことを書いているから中高年の人は読みたくないのだと思います。
 この本には「あなたたち中高年は、能力があると思って高い給料をもらっているけども、本当はそうじゃないでしょ?」という内容がオブラートに包まれています。実はこれがいろいろな問題につながっていくのです。・・・

これに対して、続く労務屋さん曰く:

・・・濱口先生が、『日本の雇用と中高年』があまり売れなかったとおっしゃられていました。あの本に関して、私は意見が違うのです。「日本の中高年は能力がない」というのは多くの場合間違いです。日本の中高年は能力があります。足りないのは何かというと、中高年の能力が生きる仕事とポストです。 ・・・・

その後、これまで倉重さんとの対談に出てきた田代英治さん、森本千賀子さん、澤円さん、豊田圭一さんといったかたがたのスピーチが続き、最後の壇上対話のコーナーで、この二人が再度こういう台詞を語っております。

濱口:実はこの話は、最初にお話しした『日本の雇用と中高年』にも書いたのですが、日本で管理職とは何かというと、社内の地位なのですよ。日本の標準産業分類表にはきちんと「管理的職業」というのが、「事務的職業」や「製造の職業」「建設の職業」と並んで、職種の欄にあります。でも日本で、「管理職は職種だ」と思っている人は、多分管理職自身でも一人もいません。では誰が管理しているのかというと、みんなが管理しているのです。管理職でない人たちも、プレーイングマネジャーならぬマネジングプレーヤーをしています。これは、日本型システムの特徴です。
 逆に言うとこの手の議論をするときに、ハイエンドの話をしているのか、普通の話をしているのかというのがぐちゃぐちゃになると、訳が分からなくなるのです。欧米では普通の労働者はマネンジメントしません。管理職が全部しなくてはなりません。それをするのは職種としての管理職です。つまり管理職が全部管理して、その下の人は管理などしないのです。ところが日本では、部下に対して課長が「おまえが課長になったつもりでやれ」と命じます。課長に対しては部長が、「おまえが部長になったつもりでやれ」と、部長に対しては、「おまえが社長になったつもりでやれ」と、ジョークみたいな感じでやっています。
それがうまく回らないがゆえに、マネジングプレーヤーとして若い頃からやってきた人の中から、本当のマネジャーを選択するというときに、「こぼれ落ちた人は何をするのだ」という話になるのです。
 普通の労働者としての働き方の余地がなくなっているというのが、今の私たち中高年問題だと思っているし、その延長線上に今の高齢者問題があります。定年後にいったいどういう働かせ方をするか、みんなが頭を悩ませなくてはいけません。「70歳の給料、困ったな」と悩むのは普通の働き方がないからなのです。それが悪いと言っているわけではないのですよ。それなりに今までは、多くの人にマネジングプレーヤーとしてのハッピーな職業人生を与えていたものです。
でもそれがなくなったときにどうするか。逆に言うと、マネジメントプレーヤーであった人たちをどうするか。普通のハイエンドでない人たちをどう扱うのかについて、私は考えています。

荻野:ほぼ濱口先生がおっしゃられるとおりで、少しだけ補足させていただきたいと思います。
日本企業では、経営方針が各部署の方針や計画、予算などに落とし込まれています。さらにそれが、正社員の場合には各個人の業務計画、目標などとして一人ひとりに割り当てられます。それをもとに、みんなが自分のPDCAを回している、濱口先生が言われるように業務を管理しているわけです。それを一生懸命やっていると、だんだんマネジメント能力や専門能力がついてきますし、本当のマネジャーになったり、中にはゼネラルマネジャーになったり執行役員になったりする人も出てきます。
 ただ、高度成長期のようにどんどん会社や組織が大きくなっていく時期ならともかく、今は組織も拡大しませんしポストも限られてしまいます。それなのに、減ったとはいえまだ6割が正社員ですから、どうしてもマネジャーになれない人や、力量に応じた職務を付与されない人が出てきてしまうというのが、最初に私が申し上げた話であり、今、濱口先生がおっしゃられたことですね。
もちろん、欧米でも経営方針に基づく管理をしている人はいますが、それはぜいぜい全体の1割くらいのエリート、幹部候補だけなんです。残りの9割はマネジメントをしません。 契約で決められた仕事を決められたように決められた時間やって決められた賃金を受け取ります。給料もわずかしか上がらなくて、平均的には60歳過ぎまで働いても、トップエリートの初任給にも達しないというような社会です。むしろそちらのほうが国際的に見れば普通です。だから彼らは年間1,400時間とか1,600時間とかしか働かないのです。もっと働いたところで昇進できませんし、人事評価もありませんから。
今の日本のやり方が持続可能とは思えませんが、欧米型が国民の支持を集めるかといえばあまり楽観できないようにも思います。どのように変わっていくにせよ、ゆっくり進んでいくことが大事だと思います。
 

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