桝本卯平@ILO第1回総会のその後
電機連合から『電機連合NAVI』73号が届きました。特集は「2020年を展望する」で、経済、電機産業、政治、労働法制について論じられ、山田久さんが外国人労働者が産業に与える影響について論じているのも見逃せませんが、ここでは例によって石原康則さんの連載エッセイから、「101年目のILO 赤恥かいた第1回総会での日本の茶番劇」。
この話は『日本の労働法政策』p39~p40にも出てくるし、いろんなところで紹介しているのでご存じの方も多いと思いますが、ILO第1回総会における日本の労働者代表となった桝本卯平がその後どうなったかを知る人は少ないのではないでしょうか。実は彼は労働問題の論客となり、『労資解放論』などの著書もあるほか、持論の労働者自治生産を実行しようとしたりと、いろんな活動をしています。
さらに、彼の娘である桝本セツがその世界では有名人です。左翼運動に飛び込み、妻子ある岡邦雄を「略奪愛」して子どもを産む。その姿は澤地久枝の『昭和史のおんな』(文春文庫)に描き出されています。
そうして生まれた子どもが、昨年亡くなった元連合総研副所長の桝本純さんであったということを、知る人はどれくらいいるでしょうか。旧同盟から連合に移った組合書記プロパーとしての彼を知る人は労働界隈には結構多いと思いますが、その血脈を語ることはほとんどなかったですから。
退職後、卯平じいさまのことを調べて本にしたいみたいなことも語っていましたが、かなわなかったようです。
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