フォト
2020年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 萬井隆令さんの再三批判@『労働法律旬報』1月合併号 | トップページ | アセモグル&ロビンソン『自由の命運』(上・下) »

2020年2月11日 (火)

新書の読者はおじさんなんだから、男女平等の話なんて読まされたくないですよ

5e4086222400003100c1dd78 ハフポストというネットメディアで、高崎順子さんという方が西村博之さんという方にインタビューしている「ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか?」という記事があって、なんとはなしにぼんやりと読んでいたのですが、

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627

その中で、高崎さんがこう言うことを言っていたので、思わず「へえ」とつぶやいてしまいました。

髙崎:思い出したんですが、2016年に少子化関係の新書(『フランスはどう少子化を克服したか』)を出版した後、新書編集部に男女平等の企画を提案したことがあったんですよね。
でもけんもほろろで、「新書の読者はおじさんなんだから、男女平等の話なんて読まされたくないですよ」と。なるほど〜!と。 

51h3lh2bfal_sx312_bo1204203200_ その前の年に文春新書で『働く女子の運命』を出してたんですが、結構それなりに売れているんですが。

26184472_1_20200211141601 むしろ、その前の年にちくま新書から『日本の雇用と中高年』ていう、まさに働く and/or 働かないおじさんをテーマにした本を出してんですが、こっちが実に売れ行きが悪い。

Chuko_20200211141701 そのまた前に中公新書から出した『若者と労働』は売れ行きが良かっただけに、どうも新書の読者たるおじさんは他人事を扱った本なら安心して読むけれども、自分らのことをあからさまに書かれると拒否反応を示すようですね。

まあ、私の書いた本という狭い範囲で判断する限りではありますが、「新書の読者はおじさんなんだから」といって、おじさん自身の姿を描き出してしまうと嫌がられるようです。

« 萬井隆令さんの再三批判@『労働法律旬報』1月合併号 | トップページ | アセモグル&ロビンソン『自由の命運』(上・下) »

コメント

まあ、でも、(男女のその生物学的な与件において)「メンバーシップ型雇用は、女性が活躍しづらい環境である」みたいな話って、「女性の“人格や学歴”(≒文化資本)ではなくて、主に“顔(ロリとか)や体(巨乳とか)”(≒妊娠資本)に魅力を感じている(ジャップ?)男はけしからん!」みたいなことばかり言っているフェミニズムの主流からは大きく逸脱してますけど。

フェミニストの皆さんは、恋愛において、文化資本で差別しようが、妊娠資本で差別しようが、そんなことは当人の自由である一方、職業において、当該業務と無関係な「人格や顔」で差別するべきではない、という理屈すらも理解をすることができないのでしょう。

> 妊娠・出産は社会や男が女性に強制をするものであって、そのような強制がなければ、女性は妊娠・出産をしないので(特に高学歴の)女性は(高学歴の)男と同様に、エリートとしての資格を持つ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-a30cbc.html

結局、「エリート的な働き方をすることを望む女性」は、こうなっちゃうしかないのかもしれませんね。
エリート的働き方は、必然的に様々な差別を伴います。年齢、学閥、人格などなど。
そこで、そうするとエリート的働き方を望むと「様々な差別を受け入れる必要」があります。その中で、しかしながら、特に女性差別は否定したいとなると、こんな訳の分からん理屈を社会に対し振り回すことになるんでしょう。

ここまでは特段、日本に限った話ではない訳ですが、一方、日本(及び、韓国?)が極めて特異なのは、普通科教育、新卒一括採用などがデフォルトであることに端的に現れているように、エリートであること(少なくとも目指すこと)がデフォルトになっていることですね。
日本は、女性に妊娠・出産を強制する社会ではなくて、(特に男性に)エリート的働き方を強制する社会であって、むしろ、そこに現れる女性差別の多くは実は男性差別の裏返しだった訳ですが、それが近年、「男性だけでなく、女性にもエリート的働き方を強制する社会に発展した」というのが実情です。
日本は男女平等を実現しつつある訳ですが、この男女平等は「より女性にとってキツイ」ので当然、男女格差の解消の役になぞ立つ訳がないのです。

個人的な印象ですが、フェミニズムの多勢は、
   
  1:使えない中高年男性をリストラして、女性を総合職に採用せよ
  2:(女性を)性的な魅力で評価をするな
   
のいずれかが主訴なんですよね。1については、「不況時の(一部の)若者」と同じだし、
2については例えば、仮にジョブが定まっていれば、多くのジョブにおいて「当該ジョブの
遂行に性的魅力は関係はないので、性的な魅力で評価するな」というのは当然の主張となり
ますが、(合理的か、不合理的かは、さておき、総合職モデルを前提に)「年齢差別が横行
しているような状態」で性的魅力で差別をすることは回避するなんて、難しいでしょうね。
ただ、性的魅力というのは、年齢に比べて「不定」であることによる違いはありましょう。

性的魅力をもう少し一般化した概念でいえば「官能」って言葉になりますかね。
実は、本ブログではかつて(はるか昔)そのあたりをめぐってあれこれ論じたことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_384b.html

労務屋さんの「新卒採用は官能的な要素」という言葉に、本田先生が大変カチンときたということのようであります。・・・・専門性で人間を測るのではなく、俺たちが一から教えるのにふさわしい奴かどうかを見るのですから、そりゃあ「官能的」になるでしょう。
企業側が、職業を蔑視する教育界の我が儘に適応した結果が、この本田先生の言う「職業レリバンスの欠如」なのですから、この因果関係自体について今さら企業を責めてみても始まりません。教育界の自業自得であり、ツケが回ったのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_722a.html

歴史的にいえば、かつて女子の大学進学率が急激に上昇したときに、その進学先は文学部系に集中したわけですが、おそらくその背景にあったのは、法学部だの経済学部だのといったぎすぎすしたとこにいって妙に勉強でもされたら縁談に差し支えるから、おしとやかに文学でも勉強しとけという意識だったと思われます。就職においてつぶしがきかない学部を選択することが、ずっと仕事をするつもりなんてないというシグナルとなり、そのことが(当時の意識を前提とすると)縁談においてプラスの効果を有すると考えられていたのでしょう。
一定の社会状況の中では、職業レリバンスの欠如それ自体が(永久就職への)職業レリバンスになるという皮肉ですが、それをもう一度裏返せば、あえて法学部や経済学部を選んだ女子学生には、職業人生において有用な(はずの)勉強をすることで、そのような思考を持った人間であることを示すというシグナリング効果があったはずだと思います。で、そういう立場からすると、「なによ、自分で文学部なんかいっといて、いまさら間接差別だなんて馬鹿じゃないの」といいたくもなる。それが、学部なんて関係ない、官能で決めるんだなんていわれた日には・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-28b3.html

この、就職と結婚のアナロジーから窺えるように、「官能性」重視の根源にあるのは、ジョブ型かメンバーシップ型かという雇用システムのあり方であるわけで、新卒一括採用というのはその一つの現れに過ぎません。
それはさらに、本田先生が繰り返し指摘されるように、雇用システムだけでなく、メンバーシップ型雇用システムと相補的な職業レリバンスの希薄な教育システムとも対応しているわけです。「官能性」だけを目の敵にして済むものではありません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-074f.html

皮肉なことに、「仕事に直接関係しないこと」を会社が学生に聞くな、調べるな、と(それだけとれば、徹底した職業レリバンス論を主張しているとしか思えぬことを)言っているその舌の根も乾かぬうちに、大学は「仕事に直接関係しないこと」を教えるんだ、キリッ、という徹底して反職業レリバンス論を唱えて、その矛盾に気がついていそうにないというあたりに、日本の人文社会科学系の学問をしている人々の知的インテグリティの希薄さが感じられないでもありません。
言うまでもなくこれは、どちらが正しいとか間違っているとかという議論とは関係ありません。どちらにもそれぞれメリットもあればデメリットもある。ただ、ある立場を取ってそのメリットを称揚するならば、それが論理必然的に随伴するデメリットについても、率直に認めるのは最低限の知的誠実性ではありましょう。
企業がメンバーシップ型の「官能性」に基づく採用をしてくれているおかげで、「仕事に直接関係しないこと」を教えるという大量の雇用機会を享受し得ている人文社会科学系の大学教師の方々が、そのことの論理必然的コロラリーである「仕事に直接関係しないこと」ばかりを企業が気にして調べたがることを批判するというのは、控えめに言っても天に唾する行為と言うべきでしょうし、人文社会科学系の学問をすることの最低限の意味があるとすれば、そういう内在的矛盾に対する鋭い感覚を養うことくらいではないかと思ったりもするのですが、まあこれも余計なことかも知れません。


就活に典型的に現れているように、総合職モデルであれば、必然的に(合理的か、不合理的かは、さておき)官能で差別することになるでしょう。
その官能の中には、(性的魅力を含め)色んな物が入って来るんだ、と思います。
「上手いことやれば性的魅力は除外できる」なんてことは期待できないでしょう。

何と言うか、1については、たまたま「不況時」にぶちあたってしまった若者がそれを言うのは当然であるように「高学歴女性」が「1だけ」を言うのは当然でいいのですが、1を言いつつ、2も言ってるみたいなのが扇動者に多いような気がするんですね。1を望むなら、官能で評価されることを結果的に甘受するしかないのに。煽るだけ煽って、その矛盾は知らん顔かよ、みたいに思う訳です。

“「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから”
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
    
祝辞で指摘されているように、女子の方が傾向が強い、とは思いますが、
例えば普通の【中小企業に就職】しようとした場合など、男であっても
「東大が忌避」されるということはあると思います
    
類似の事案として、「性的魅力が有り過ぎて忌避」されるということも
あると思うんです。公的機関の広報ポスターで「巨乳女性」をモデルに
使うな、というのは、そういう差別でしょう。こういったことも含めて、
(合理的なのか、不合理的なのか、はともかく)「学歴」による差別で
あり、「性的魅力」による差別ですね

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 萬井隆令さんの再三批判@『労働法律旬報』1月合併号 | トップページ | アセモグル&ロビンソン『自由の命運』(上・下) »