日本版O-NET、間もなくスタート
新型コロナウイルスで政府全体、とりわけ厚生労働省がてんやわんやの状態にある最中ですが、去る2月18日に厚生労働省職業安定局総務課首席職業指導官室からこういうプレスリリースが出されていたようです。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000054375.html (労働市場の「見える化」をめざす 職業情報提供サイト(日本版O-NET)まもなくスタート! )
本サイトは、約500の職業の解説(動画コンテンツを含む)、求められる知識やスキル等の「数値データ」などを盛り込んだ、総合的な職業情報を提供するものです。
本サイトにより、職業情報が「見える化」されると、人々は自分に最適な職業を選択することができ、これから必要な「学び」は何かを知ることができます。企業は、求める人材を獲得するために必要な労働市場情報を正確に把握することができます。加えて、キャリアコンサルタント等は、これらの人々に対し、より適確に支援を行うことができます。
本サイトは、新たな労働市場のインフラとして、外部労働市場におけるマッチング機能を高めていくことが期待されています。
ここに、慶應義塾大学の大藪毅さんが、このサイトの意義を端的に述べている文章がついています。短いものですので、全文引用しておきましょう。
1.日本は企業内部労働市場がメイン
日本の労働市場は、一度入社したらその会社の人事ルールによって配置・教育訓練・報酬などが決まる内部労働市場が中心である。戦後の順調な経済成長下、企業成長はそこで働く社員の報酬上昇や昇進につながり、それを長期雇用や年功序列などの雇用・人事慣行が支えていた。
ところが平成以来、低成長期に入って30年近く、高いはずの日本企業の賃金と労働生産性は、先進国中すでに最低レベル。「まじめに仕事をすれば課長まではいける」という時代も終わった。
近年の学生のベンチャー志向の高まりも、大企業で働くことが必ずしも魅力的に映らなくなったことが一因だろう。
これらは、日本企業がながらく自社フレームで物事、特に労働力の最適化を考えてきたため、ドラスティックなグローバル経済の変化と新しい雇用・人材マネジメントの流れへ対応できていない現状を示している。
しかし過去の成功体験からか、企業はなかなか「自前主義」から切り替えができていないように見える。2.外部労働市場とのバランス
労働市場は、基本的に労働需給の調整、つまり「人材」と「仕事」それぞれの価値を基にマッチングさせるプロセスである。外部労働市場は、単なる転職市場ではなく、企業の枠を越えて行われる賃金の価格調整と人材配分のしくみである。これによって、社会レベルの労働取引の適正化と人材の最適配分が同時に図られる。
また外部労働市場は、企業へ人材配分と報酬適正化を通じ、会社内部での人材の一層の有効活用、つまり労働生産性向上の努力を促し、企業活動全体を活性化させる重要な側面を持つ。
日本の労働市場はこの外部労働市場機能が弱く、企業内部は外部と連動しないため、伸びない賃金と弱い企業活動が構造的に「低位均衡」してしまい、もう20年以上この状態から抜け出せていない。
外部労働市場中心の欧米でも、あたりまえだが人材をうまく使っている優良企業の転職率は低い。健全な外部労働市場の存在は元来、企業にとってもプラスであることはもっと認識されてよい。3.労働情報の「見える化」がもたらすもの
米国では90年代以降、ITを先頭に新産業の隆興とともに生産性向上がすすみ、その結果賃金水準も継続的に上がっている。それに一役買ったのが、米国のDOT(Dictionary of Occupational Titles:職業辞典)、米国O*NET(※)等、職種別にフォーマット化された労働市場情報を提供する公的インフラであり、政府はこれに長年にわたって積極的に予算と人員を投入してきた歴史がある。
その情報を用いることによって、個々の人材マッチングが安全化し活発になるだけでなく、各種人材サービス産業も発展してきた。そして何より企業が労働環境とマネジメント力の向上に注力したことが、現在の米国の高い労働生産性につながっている。
今回の日本版O-NETは「労働市場の見える化」を目指すとされている。それを私なりにかみ砕けば、「仕事の内容」と「人材に求められるもの」を明示化し、それらの相場と動向をリアルタイムに示す、信頼性が高い情報の提供ということになる。
これによって求人・求職におけるミスマッチを防ぎ、社会的な人材ロスの減少が見込まれる。個人は主体的に学んでキャリアを形成していくことができる。企業にも自社の人材マネジメントの確認とブラッシュアップが期待される。
従来の企業内部労働市場と労使関係を基本フレームとする日本の労働市場政策には、こういった「社会的視点」がなかった。現在働き方改革・雇用改革が議論されているが、日本の労働市場は、企業レベルの最適化から「社会レベルの最適化」へ舵を切る時期にあるのではないだろうか。
というのが、現時点での日本版O-NETの過不足ない説明ということになりますが、わたくしの立場からはやはり、労働法政策の歴史という観点からちょっと解説をしておきたいと思います。これはまだこれが厚生労働省内で議論されていた2018年4月にWEB労政時報に寄稿したものですが、ざっと全体的な俯瞰をするには適当ではないかと思います。
先日ようやく国会に提出に至った働き方改革関連法案の元になったのは、昨年3月の「働き方改革実行計画」ですが、同計画には法案に持ち込まれた労働時間の上限規制や同一労働同一賃金、既に検討が開始されている雇用類似の働き方や兼業・副業といった、誰もが注目する論点のほかに、おそらく少数の関係者しか関心を持たないであろうけれども、日本のこれからの労働市場のあり方という観点からは潜在的にかなりの重要性を秘めている項目がさりげなく入っています。その一つが「転職・再就職の拡大に向けた職業能力・職場情報の見える化」という項です。
AI等の成長分野も含めた様々な仕事の内容、求められる知識・能力・技術、平均年収といった職業情報のあり方について、関係省庁や民間が連携して調査・検討を行い、資格情報等も含めて総合的に提供するサイト(日本版O-NET)を創設する。あわせて、これまでそれぞれ縦割りとなっていた女性活躍推進法に基づく女性が働きやすい企業の職場情報と、若者雇用促進法に基づく若者が働きやすい企業の職場情報を、ワンストップで閲覧できるサイトを創設する。・・・
この前半の「日本版O-NET」とは何でしょうか。このネーミングの元は、アメリカ労働省が開発した職業情報サイトO*NET(Occupational Information Network)です。しかし、実は日本にもごく最近まで、民主党政権の看板政策である「事業仕分け」によって廃止されるまで、似たようなものがあったのです。労働政策研究・研修機構(JILPT)が運営していたキャリア・マトリックスというデータベースです。今回は、その歴史を振り返るとともに、こうした外部労働市場指向型の政策に対する否定的な感覚の原因も探ってみたいと思います。
1947年、日本の労働省はGHQの指示により職務分析を開始し、1948年よりこれに基づく職務解説書を刊行し、最終的には173 冊となりました。この職務解説書をまとめる形で、1953年、『職業辞典』を労働省が刊行しています(34,000 職業、雇用問題研究会)。第Ⅰ部、第Ⅱ部の2分冊であり、第Ⅰ部は職業分類、第Ⅱ部が各職業の解説でした。1952年より実施していた職業別雇用観測と1954年の職種別等賃金実態調査の結果を併せ、1956年、労働省統計調査部は『職業ハンドブック』100(約329 職業、中山書店)を出版しています。また、『職業辞典』が大部であり、出現頻度が少ない職業も多いことから、職業を絞り新たに書き下ろしたコンパクトな書籍として、労働省は『職業小辞典』(4,830 職業、雇用問題研究会)を1957年に刊行しています。『職業辞典』は1965 年『改訂職業辞典』(雇用問題研究会)が刊行され、1969年の『改訂職業辞典』追補では52 職業の解説が加わっています。
1969年に雇用促進事業団に職業研究所が設立されると、職業に関する研究は同研究所に引き継がれ、新たに『職業ハンドブック』を制作することとなりました。職業研究所は雇用職業総合研究所と改名後、日本労働協会と合併して日本労働研究機構となり、その後独立行政法人労働政策研究・研修機構となっています。職業ハンドブック以前にも、職業研究所では中高生向け職業ガイドブック『職場としごと』全30巻を1977年から1979年にかけて刊行しています。
1981年から1983年にかけて、『職業ハンドブック』第1版を刊行しています。1981年から1983年となっているのは、この第1版は分野毎の分冊形式であり、逐次刊行したためです。全体で242 職業、31 分冊でした。その後、1986年に改訂第2版、1991年に改訂第3版を公開し、1997年に改訂第4版をCD-ROM版とともに出版しています。全体で300職業を取り上げ、1995年から2010年の職業別需要見通しも行っています。職業ハンドブックとしてはこれが最終となりました。
2000年、厚生労働省に官民職業情報検討委員会が設置され、日本労働研究機構にも職業情報の現状とニーズに関する調査が委託されました。さらに2001年には、厚生労働省より同機構に対して、職業間移動を支援する米国O*NET に相当する情報システムの開発が要請されました。そして2002年、厚生労働省に職業情報データベース検討会議が設置され、システムの目的、構成等が検討されました。2003年には、労働政策研究・研修機構の総合プロジェクトとして、総合的職業情報データベースの研究開発が開始されます。
総合的職業情報データベースはプロトタイプ、パイロット版、実用試験版等の開発を経て、2006 年9 月に「キャリアマトリックス」の名称により公開を開始しました(500 職業)。
ところが2010 年10 月には、民主党政権の目玉商品として宣伝されたいわゆる「事業仕分け」の第3弾として、キャリアマトリックスが廃止と判定されてしまいました。仕分け人全員一致の廃止判定です。ちなみに同じ雇用関係では、ジョブ・カード事業も廃止判定される一方、雇用調整助成金だけは断固維持することとされました。事業仕分けに関わるような人々は大企業正社員型のメンバーシップの中で育てられてきた人が多いでしょうから,自分や自分周辺の素朴な発想で仕分けをすればこういう結論になることは不思議ではありません。とはいえ,これらジョブ型施策を止めれば,メンバーシップ型モデルが拡大するというような社会ビジョンに基づいて仕分けたわけでもなさそうです。むしろ社会全体としては,グローバル競争の中で企業も今までのような生ぬるいやり方ではなく,少数精鋭でいかなければならないというような考え方が強調される一方で,そこからこぼれ落ちる人々のための外部労働市場型の仕組みにはなぜかメンバーシップ的感覚から批判が集中するという矛盾した現象の中に,現在日本の姿が凝縮的に現れているのかも知れません。
いずれにしても、今回ようやく外部労働市場の活性化のための公的なインフラを整備しなければならないというまっとうな政策判断の芽が出てきたわけです。そもそもキャリアマトリックス自体がO*NETに倣って作られたことを考えれば、再出発ということになります。JILPTは上記働き方改革実行計画を受けて、2017年度に学識経験者、労使、官民の委員で構成される「職業情報提供サイト官民研究会」を設置し、職業情報提供サイトの基本構想について検討を行ってきました。その結果がつい先日、『仕事の世界の見える化に向けて―職業情報提供サイト(日本版O-NET)の基本構想に関する研究―』として、JILPTのホームページにアップされたところです。
http://www.jil.go.jp/institute/siryo/2018/documents/203.pdf
同報告書は、アメリカのO*NETの開発と利用の現状、大学生・社会人と企業人事担当者、専門家(高校教師、キャリアコンサルタント)のニーズ調査の結果を踏まえて、日本版O*NETの基本構想を示しています。気になる今後の動きですが、開発スケジュールや開発・運用体制としては次のように書かれています。
6 開発スケジュール
2017年度にとりまとめた日本版O-NETの基本構想をもとに、2018年度は、①日本版O-NETへのインプットデータとなる職業情報の収集・分析と、②サイト構築に向けた調査・分析等を行う。
①は厚生労働省からの要請研究として労働政策研究・研修機構において実施し、②は厚生労働省の委託先事業者に作業部会を設置し、ユーザニーズ調査及びWebサイト基本方針の策定等を実施する。
2019年度は、2018年度の調査・分析結果等を踏まえ、サイトの設計・開発及び同年度末までの運用開始を目指すこととする。
7 開発・運用体制
日本版O-NETの設計開発・構築及び運用開始後のサイト運営及びメンテナンスは、厚生労働省が委託事業として行う。
また、本格運用後の職業情報のアップデート等は、厚生労働省からの要請研究として労働政策研究・研修機構が基本的に実施する。米国O*NETでは、974の職業を2~3年で更新しており、IT等は年4 回更新している。これに倣い、日本版O-NET も一律にデータを更新するのではなく、職業により更新頻度に違いを設け、変化の激しい職業への対応を図る必要がある。
政治状況が不透明な中、今後この通り進んでいくかどうかはわかりませんが、一度は「事業仕分け」で廃止された外部労働市場のインフラ事業が、再びその意義を社会に示すべき時期が近づいてきていることだけは間違いないようです。
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