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2019年12月17日 (火)

伊原亮司『合併の代償』

Imagesiql2rjp7 プリンス自動車工業、といってももはや知っている人は数少ないかもしれません。いや、つい先日、NHKの歴史秘話ヒストリアで、「走れ!たま 知られざる電気自動車の時代」が放映されたことで、へえ、そんな会社があったんだ、日産に合併されたのか・・・と思った方も多いかも知れません。

https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-11-27&ch=21&eid=12270&f=1201

70年前の日本に「電気自動車」が活躍した時代があった!車の名は「たま」。敗戦で飛行機製造を禁じられた元ヒコーキ屋らによる、日本と自動車、もう一つの歴史を描く。 

ここで描かれた立川飛行機を前身とする「たま自動車」が、中島飛行機を前身とする富士精密と合併してできたのが、皇太子の立太子礼の年にちなんで名付けられたプリンス自動車。

9784905261445_600 そのプリンス自動車が、日産自動車と合併することで、労働組合同士の凄惨な抗争劇が展開するというのが、このエントリで紹介する伊原亮司『合併の代償 日産全金プリンス労組の闘いの軌跡』(桜井書店)のテーマです。

改めて、著者の伊原さんより本書をお送りいただきました。ありがとうございます。

少数派として闘い・働いた人たちの跡形をとおして、日産という会社のもうひとつの相貌を描く、労働現場からみた日産側面史!
著者の言葉:組織の「物語」は、力を持つ者により一面的につくられてきた。わたしは、本書により「正しい物語」に書き換えた、というつもりはない。しかし、日産という日本有数の大企業を少数派から捉え直すことにより、微力ながらも、閉ざされた組織を社会に開かせるきっかけになり、企業をはじめとする組織を「社会の公器」たらしめる一助になればと思っている。 

1214l 当時のプリンス自動車の労働組合は総評に加盟する全国金属プリンス自工支部、対する日産の労働組合は、これは有名な塩路一郎が牛耳っていた時代ですね。塩路氏については本ブログで取り上げたこの本がこれまた大変面白いのですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-4c1f.html (塩路一郎『日産自動車の盛衰 自動車労連会長の証言』緑風出版)

これはやはり、労使関係の研究者、労使関係に興味のある人にとっては必読でしょう。「あの」塩路一郎氏が、日産自動車に入って、宮家愈氏の下で益田哲夫氏率いる全自日産分会を倒す民主化運動の回想から、プリンス自動車との合併をめぐって、全金プリンス支部の大会に乗り込んで労組統合を進めたいきさつ、そして、多くの本であまりにも有名になった石原俊社長との「対立」の全経緯を語り尽くした本です。500ページ近い分厚さですが、小説よりも面白くて思わず一気に全部読んでしまいます。

同書でも一章を割いて描かれている日産とプリンスの合併に関わる経緯を、日産労組に行くことを潔しとせず、プリンス支部で少数派として戦い続けた男たちの目から描き出しています。

はじめに
第1章 日産とプリンスの合併:経緯と背景
第2章 合併にともなう問題:異なるナショナルセンター傘下の労働組合
第3章 暴力と差別
第4章 少数派組合の「反撃」:法廷闘争を中心に
第5章 少数派の中の少数派の取り組み:女性組合員の活動
第6章 働く場における「存在感」
第7章 労働戦線の再編成:「連合」の誕生と全金日産支部の再分裂
第8章 全面解決闘争と「和解」
第9章 市場原理に基づく「改革」と2つの労働組合の反応
第10章 「改革」の犠牲者の支援:組織のウチとソトをつなぐ
第11章 会社人間とも独立独歩とも異なるキャリア:「社会」に足場を持つ
終章 最後の組合員
補章 職場をつくる労働組合
おわりに:誰もが「少数派」になりうる時代に 

このストーリーの面白さは、その後塩路一郎が失脚し、やがて日産自体の経営が傾いていき、ルノーからゴーンがやってきて、という有為転変の中で、旧プリンスの人々の人生を改めて考えさせることです。

本書の終わりの方には、生前の塩路氏にインタビューしたときの発言も収録されています。

ちなみに、本書の「おわりに」は、通常の「である」調の後記的部分に続いて、「ですます」調で伊原さん自身が巻き込まれた合併話がやや詳しく語られています。伊原さんの勤め先の岐阜大学が名古屋大学と合併するので、ついては伊原さんの所属する地域科学部を廃止するという話に、学部を挙げて反対運動を展開し、遂に撤回させたという武勇伝ですが、その最後にこう述べています。

・・・大学を取り巻く環境が厳しいことはわかります。大学人は、「改革」を先行して行ってきた民間企業から学ぶべきでしょう。しかし、教員や理事・監事に民間経験者を入れる、流行の官吏制度を導入する、といった形式的なことではありません。もっと広い視野から、長期的視点を持って学ぶべきです。その点に関していえば、本書の日産とプリンスの事例は、合併や「改革」の<その後>を知ることができる格好のケースです。強引な合併や現場軽視の「改革」により組織が<腐っていく>経過と<よどんだ空気>が職場に定着する過程に関して、<見えざる人たち>が長期間支払わされる<見えざるコスト>について、そして少数派であっても自らが働く場を守り理念を実現することが可能なことを、誰よりも私自身が学ばせていただきました。・・・

(追記)

ちなみに、労働法クラスタには定年の男女差別に関わる例の日産事件の原告中本ミヨが、男女とも55歳定年だったプリンス自動車が日産に合併されて、男55歳、女50歳にされ、50歳で退職を命じられたことがそもそもの原因というストーリーも興味深いのではないでしょうか。

(再追記)

なお、本書にはhayachanこと早川行雄さんも顔を出しています。早川さんは合併後に日産に入社しており、入社以前は総評全金のことはまったく知らなかったそうですが、塩路時代の日産労組の実態にあきれて脱退し全金プリンスに移ったということです。そうすると仕事を干されて、

・・・当時、なんの仕事をしていたのか、ほとんど覚えていないそうである。・・・隔離部屋に入れられて、何もしていなかったからであろうか。「当時のことはまったく記憶にない」。職能資格は全金に入る前までは同期と同じように上がっていったが、入ってからはまったく上がらず、主事にとどめられた。

とのことで、あたら若い優秀な人材をそういう無駄遣いしているような会社がやがて行き詰まるのも当然だったのかも知れません。早川さん個人はその後労働運動家としてのキャリアを積んでいくわけですが。

 

 

 

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コメント

ついに伊原さんの本が出たのですね。職場の同僚からこの本が出ているとの話を聞いて、検索していたらhamachanブログもヒットしました。しかし伊原さんにお話をしたのは遥か10年以上前だったように思います。全国金属に加盟して以降の隔離職場では、覚えていないというよりOECD英文資料の翻訳などをやらされた以外は超ヒマで、『パリ燃えゆ』や『竜馬が行く』などを読破。このころ英文と悪戦苦闘した経験は、その後多少の役にはたちましたね。そのあと、日産本社を追放されて旧プリンスの事業所である繊維機械事業部(三鷹市)に配転になったのでした。みんな通えるところなのかと心配してくれましたが、わたしは武蔵野市在住なので、なんと歩いて(40分程度)通える距離でした。いい運動になったものです。温情的な会社というわけではなさそうですが。さらに89年には労働戦線再編の中で、主流・多数派が全労連系のJMIU(当時)加入大会を開催する一方で、わたしたち(6人)は全金東京の指示の下、全金支部再建大会を開催して総評全国金属の旗を守り、金属機械結成、連合加盟へと進んだのでした、総評全国金属日産自動車支部書記長と履歴には書いていますが、実はこの6人の支部の書記長でした。全金プリンスの運動史については元組合員の東條さんらの『労働運動の終焉』(2004年)もありますが、伊原さんの本もさっそく購入してみます。

さすがHayachan、なんだか少数派の中の少数派、マイノリティ・ユニオンの極致みたいですね。

上の記述に付け加えると、全金プリンス自工支部婦人部の成果として、既に立法解決した男女別定年に加えて、今日までなお同一労働同一賃金の障害ともなっている家族手当の問題も取り上げられています。
当時の労働運動主流派にとってまったく当たり前であった家族手当に疑問を呈することを可能にしたという意味で、その意義は大きいと思います。

hamachanの仰るように、当時の婦人部の闘いは特筆に値しますね。「一歳の差別は一切の差別につながる」というスローガンで取り組まれた中本さんの定年差別裁判。世帯主を変更しても家族手当の支給を認められなかった家族手当裁判(男性一人稼ぎ手制度を象徴する手当です)。私の配転先である三鷹の繊維機械事業部にいた矢嶋さんらが中心メンバーで、弁護団も東京法律の今野さんらに、いまはなき中島通子さんも加わった強力な女性弁護団でした。連合総研の研究委員会「戦後労働運動の女性たち」(『労働運動を切り拓く』として書籍化)でも取り上げたいテーマでしたが、そこまで手がまわりませんでした。

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