採用における人種差別と国籍差別
どこかの大学の特任准教授氏のつぶやきが炎上しているようですが、話が採用における差別ということなので、燃え上がる頭の整理のために、法制上の概念整理だけしておいたほうがいいでしょう。
https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197017322185052161
そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします。
このつぶやきは、
https://twitter.com/taisuke_hory/status/1197016493491245056
もしある人が面接に来て、その人が中国国籍だったらどうします?
に対するものであるので、このでいう「中国人」とは中国の国籍を有する者を指し、国籍のいかんを問わず民族としてのチャイニーズに属する者をさすわけではないようです。
もっとも、中国の国籍という概念自体が国際政治上は大変複雑で、中華人民共和国の国籍を有する者だけなのか、日本が国家として承認していないけれども密接な経済的社会的関係を有する台湾の中華民国の国籍を有する者を含むのか、今大変な騒ぎになっている香港はどうなのか、とか、これだけで本一冊分の議論ができますが、それはすべて置いておけば、話が国籍による差別だけの問題であれば、一部で参照されている国連の人種差別撤廃条約との関係では必ずしもそこでいう人種差別になるとは限りません。
第1条
1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。
2 この条約は、締約国が市民と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない。
3 この条約のいかなる規定も、国籍、市民権又は帰化に関する締約国の法規に何ら影響を及ぼすものと解してはならない。ただし、これらに関する法規は、いかなる特定の民族に対しても差別を設けていないことを条件とする。
とはいえ、このツイートだけを見れば「中国人」と書いてあり、通常これは国籍の如何を問わない民族概念としてのチャイニーズを指しているようにも見えます。というか、本人もこの二つが異なる概念であるということをあまり意識していない可能性が高いですが。
とはいえ、そもそも国連の人種差別撤廃条約って、日本において法的効力を有するのか?
同じ国連の女性差別撤廃条約は、批准するために男女雇用機会均等法を制定したので、採用における女性差別は現在は違法です。
ところが人種差別撤廃条約は、国会は批准しておらず、これを実施するための国内法も制定されていません。
ところが、ここがやや不思議なんですが、日本政府は人種差別撤廃条約に「加入」しており、国内法としての効力を有すると説明しています。
一方、既存の国内法では職業安定法にこういう規定がありますが、
(均等待遇)
第三条 何人も、人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について、差別的取扱を受けることがない。但し、労働組合法の規定によつて、雇用主と労働組合との間に締結された労働協約に別段の定のある場合は、この限りでない。
これはあくまでも職業紹介機関が差別をしてはならないといっているだけなので、雇用主が採用する際にこれらに基づいて差別することまで禁止しているわけではありません。職業安定法施行規則にこうあります。
(法第三条に関する事項)
第三条 公共職業安定所は、すべての利用者に対し、その申込の受理、面接、指導、紹介等の業務について人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、差別的な取扱をしてはならない。
2 職業安定組織は、すべての求職者に対して、その能力に応じた就職の機会を多からしめると共に、雇用主に対しては、絶えず緊密な連絡を保ち、労働者の雇用条件は、専ら作業の遂行を基礎としてこれを定めるように、指導しなければならない。
3 職業安定法(昭和二十二年法律第百四十一号。以下法という。)第三条の規定は、労働協約に別段の定ある場合を除いて、雇用主が労働者を選択する自由を妨げず、又公共職業安定所が求職者をその能力に応じて紹介することを妨げない。
なお、労働基準法第3条は、国際相場に反して国籍差別を禁止しながら人種差別を禁止していないというおかしな規定ぶりですが、
(均等待遇)
第三条 使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。
こちらは採用した後の差別待遇だけが対象なので、どちらにせよ採用差別には関わってきません。
とはいえ、かつて小泉内閣時代に国会に提出された人権擁護法案が、当時の民主党をはじめとした野党の反対によって廃案になっていなければ、今頃は採用における人種・民族差別を禁止する法律が日本の六法全書に載っていたかもしれません。
(定義)
第二条 この法律において「人権侵害」とは、不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。
5 この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。
(人権侵害等の禁止)
第三条 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
一 次に掲げる不当な差別的取扱い
ハ 事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和四十七年法律第百十三号)第八条第二項に規定する定めに基づく不当な差別的取扱い及び同条第三項に規定する理由に基づく解雇を含む。)
繰り返しますが、当時の野党やマスコミのメディア規制規定がけしからんという反対によってこの法案は成立に至りませんでした。その後、今度は自由民主党の中から猛烈な反対論がわいてきて、結局こういう法律は日本には存在せず、国内法はないまま人種差別撤廃条約が国内法としての効力を有するという説明がされているだけです。
いろいろ議論するのは自由ですし、どういう立場をとるのも自由ですが、最低限これくらいの常識はわきまえて議論したほうが有益なのではなかろうかと思われます。
(追記)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677673857669631202/comment/zakinco
浜ちゃん先生の誤読。だって「中国国籍だったら?」って聞かれて「そもそも中国人」はって答えているのだから、国籍に関わらず中国人という人種・民族に対して採用しないと明言している。
いや、両方の可能性があるから場合分けして説明したつもりだけど。
国籍による差別のみを主張し、民族的チャイニーズへの差別を否定しているのなら、そもそも国連人種差別撤廃条約の対象外。
zakincoさん読解通り民族的チャイニーズに対する差別を主張したのであれば同条約に反する。ただし、日本は同条約に「加入」しているが、現時点で採用における人種・民族差別を禁止する国内法は存在しない(人権擁護法案が潰されたので)。
あとは裁判所が、具体的な国内法の規定がなくても、日本政府が「加入」した条約の趣旨を適用できるかの問題。雇用労働問題に関してはそういう前例はないが、入店拒否やヘイトスピーチでは前例あり。
(参考)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-0347.html (人種差別撤廃条約と雇用労働関係(『労基旬報』(2014年7月25日号))
昨年6月に障害者雇用促進法が改正され、障害者に対する差別の禁止や合理的配慮の提供が規定されたことは読者周知のことと思います。同月にはより一般的な法律として障害者差別解消推進法も成立しています。これら立法が、2006年に国連総会で採択され、2007年に日本政府が署名した障害者権利条約の批准のためのものであることもよく知られているでしょう。
このように国際条約の批准のための立法として最も有名なのはいうまでもなく、1979年に国連総会で採択され、1980年に日本政府が署名した女性差別撤廃条約とそれを受けた1985年の男女雇用機会均等法です。
他にこのような例はないのでしょうか。国際条約としては障害者や女性よりももっと早く。1965年の国連総会で採択された人種差別撤廃条約があります。ところが、労働法の世界でこの条約が議論されることはほとんどありません。多くの読者にとっては意外な事実かも知れませんが、実は日本政府は1995年にこの条約に「加入」しており、1996年1月14日から日本について「条約」の効力が生じているのです。ところが、この条約を実施するための国内法というのは存在していません。
アメリカでもヨーロッパでも、差別禁止法制といえばまずは人種差別と男女差別から始まり、やがて年齢差別や障害者差別に広がっていき、さらにこういった属性による差別とは異なる類型として雇用形態による差別的扱いも問題にされるようになっていったというのが歴史の流れなのですが、日本ではその最も根幹のはずの人種差別が、条約の効力はあるとはいいながらそれを実施する国内法は存在しないという奇妙な状況がずっと続いていて、しかもそれを(少なくとも雇用労働分野では)ほとんど誰も指摘することがないのです。
かつては女性差別撤廃条約を批准するためには国内法整備が必要だと言って男女雇用機会均等法が制定され、最近は障害者権利条約を批准するために国内法整備が必要だと言って障害者雇用促進法が改正されたことと比べると、人種差別撤廃条約に対するこの国内法制の冷淡さは奇妙な感を与えます。実は、2002年に当時の小泉内閣から国会に提出された人権擁護法案が成立していれば、そこに「人種、民族」が含まれることから、この条約に対応する国内法と説明することができたはずですが、残念ながらそうなっていません。
このときは特にメディア規制関係の規定をめぐって、報道の自由や取材の自由を侵すとしてマスコミや野党が反対し、このためしばらく継続審議とされましたが、2003年10月の衆議院解散で廃案となってしまいました。この時期は与党の自由民主党と公明党が賛成で、野党の民主党、社会民主党、共産党が反対していたということは、歴史的事実として記憶にとどめられてしかるべきでしょう。
その後2005年には、メディア規制関係の規定を凍結するということで政府与党は再度法案を国会に提出しようとしましたが、今度は自由民主党内から反対論が噴出しました。推進派の古賀誠氏に対して反対派の平沼赳夫氏らが猛反発し、党執行部は同年7月に法案提出を断念しました。このとき、右派メディアや右派言論人は、「人権侵害」の定義が曖昧であること、人権擁護委員に国籍要件がないことを挙げて批判を繰り返しました。
全くの余談ですが、この頃私は日本女子大学のオムニバス講義の中の1回を依頼され、講義の中で人権擁護法案についても触れたところ、講義の後提出された学生の感想の中に、人権擁護法案を褒めるとは許せないというようなものがかなりあったのに驚いた記憶があります。ネットを中心とする右派的な世論が若い世代に広く及んでいることを実感させられる経験でした。
一方、最初の段階で人権擁護法案を潰した民主党は、2005年8月に自ら「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」を国会に提出しました。政権に就いた後の2012年11月になって、人権委員会設置法案及び人権擁護委員法の一部を改正する法律案を国会に提出しましたが、翌月の総選挙で政権を奪還した自由民主党は、政権公約でこの法案に「断固反対」を明言しており、同解散で廃案になった法案が復活する可能性はほとんどありませんし、自由民主党自身がかつて小泉政権時代に自ら提出した法案を再度出し直すという環境も全くないようです。
ちなみに、人種差別撤廃条約に国内法としての効力を認めた判決は、雇用労働関係ではまだありませんが、入店拒否事件(静岡地浜松支判平11.10.12、札幌地判平14.11.11)やヘイトスピーチ事件(京都地判平25.10.7)などいくつか積み重ねられつつあります。
(再追記)
特任准教授氏の呟きの中には、
https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197022344637603841
だったら告訴してみろよ勘違いビジネスマン笑笑
無能を採用する方が業績悪化のリスク高まるんだっつーの。
というのもあり、氏の「中国人」に対するスタンスは、民族的チャイニーズに対する無能呼ばわりから来ているようなので、言葉の正確な意味での人種・民族差別であったようです。
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大平三原則にもとづいて、人種差別撤廃条約は国会の承認を求めない行政取極にしたんでしょうね。法律事項および財政事項を伴わず、政治的に重要でないという判断ですね。
投稿: 条約への(加入) | 2019年11月25日 (月) 11時31分
外務省人種差別撤廃条約Q&A
A4(中略)
ただし、「国籍」の有無による異なる取扱いが認められるかは、例えば、参政権が公権力の行使又は国家の意思の形成に参画する行為という合理的な根拠を持っているように、このような取扱いに合理的な根拠のある場合に限られ、例えば、賃貸住宅における入居差別のように、むしろ人種、民族的、種族的出身等に基づく差別とみなすべきものは、この条約の対象となると考えられます。
投稿: 人種差別撤廃条約 | 2019年11月26日 (火) 06時50分