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2019年11月 2日 (土)

入試英語の社会的存在感

大学入試などという問題が政局を揺るがすほどの問題になる国といえば、入試をめぐるスキャンダルでぱく・くね大統領が失脚し、むん・じぇいん大統領も揺らいでいるお隣の韓国が筆頭ですが、この日本もここ数日の動きを見ていると、大学入試というものの社会的存在感が異様に大きな国の一つなんだなあ、と改めて感じます。

興味深いのは、これからのグローバルなビジネスでは英語の能力、それも読む、書くだけではなく、聞く、話す能力が必要だというのであれば、まさにそういう能力が要求されるスタートラインの選抜において、そういう能力を示させるような試験結果を要求すればいいはずであって、そういう能力が必要だと考える企業や組織がその選抜に何とか試験で何点以上を要件とするとかすれば、そういう仕事をしたいと考える人はみんな目の色を変えてやるでしょう。

そういう風になっていないから、少なくとも大学受験生の大部分がそういう必要性をひしひしと感じていない状況下でみんなに課す共通試験でもってやろうとするから、話が果てしなくねじれていくのではないかと感じます。

根っこは、職業能力との関係を切り離された一般的選抜のための一般能力試験(「できる子」「一生懸命頑張る子」を適切に選抜するための試験)として英語なるものが長年位置づけられてきたことにあり、そういう国民的常識を前提とすれば、こういう反発が澎湃とわいてくることは不思議ではないな、と。

ある種のジョブを遂行する上で必要不可欠なスキルレベルを測定する話と、集団のメンバーとして一生懸命物事に取り組む「意欲」「能力」を測定する話との間で英語がもみくちゃになっているという姿でしょうか。

でも、つまるところ、英語の試験て仕事の能力を測る技能検定以上でも以下でもないはずなんですが。

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コメント

>そういう風になっていないから、少なくとも大学受験生の大部分がそういう必要性をひしひしと感じていない状況下でみんなに課す共通試験でもってやろうとするから、話が果てしなくねじれていくのではないかと感じます。

必要性を感じない勉強ほど苦痛なものはありません。
入試英語は「試験科目として強制的に課せば自ずと英語(外国語)が身につくだろう」という前提が誤っていることを毎年再認識させるだけに留まっていると思います。

>根っこは、職業能力との関係を切り離された一般的選抜のための一般能力試験(「できる子」「一生懸命頑張る子」を適切に選抜するための試験)として英語なるものが長年位置づけられてきたことにあり、そういう国民的常識を前提とすれば、こういう反発が澎湃とわいてくることは不思議ではないな、と。

 このあたりは、職業能力として就職までに必要であるなら、就職試験で試験の点数要件を設ければよいはずですが、そうしないのは、会社の中での整合性(既にいるメンバーの既得権益の確保)なのかなと感じました。
 既にいるなんとなく企業に長くいるというだけで、そこそこの位置にいる人が企業の人事制度も当然決めるわけで、評価基準に数値的な能力を設けると、その能力を持っていない自分たちの既得権益を守ることができない。
 だから、経済界の「自分たちが公に条件に点数を加えることなく、学生全員が能力の底上げをしてくれれば既得権を守りつつ、有能な人材がとれるなー」というヨコシマな欲望を感じてしまいますね。

なぜ入試では国語より英語が重視されてきたのか。
それは、国語よりも英語の方が多数の受験生を公平に評価する試験が作りやすかったからです。
英語の文法、読解、作文は高いレベルの論理的思考が必要で、そのあたりが英語ほど論理的でない国語よりも、受験生の頭のよさを公平に測る試験が作りやすかった。
ところが、聞くはまだよいのだけど、英語を話す方は、国語と同じくらい、頭のよさを公平に測る試験を作るのがむずかしい。
国語の記述式が問題視されているのも同じ理由です。
大学入試は多数の人が受験するため、多数の人を公平に測る試験であることが最重要なのに、それを無視する方向に進んでいるのが今。
英語を話す力とか、国語の記述の力とかは、少人数を相手にする試験でないと力を測ることはできないのです。
英語の話す力は、それが必要な企業が最終面接でやればいいことです。
英語を話す力が必要な企業がどのくらいあるのか、それ自体がかなり怪しい
大学受験の段階で文法、読解、作文のレベルが高い人なら、本気で英会話やれば、基礎ができていなくてレベルの低い日常会話だけ得意な人より高い会話能力を得られる。

>大学入試などという問題が政局を揺るがすほどの問題になる国といえば、入試をめぐるスキャンダルでぱく・くね大統領が失脚し、むん・じぇいん大統領も揺らいでいるお隣の韓国が筆頭ですが、

政局を揺るがすほどの問題にはなりませんが、大学入試というものの存在感が対象年代の若者の大部分にとって異様に大きいという点では中国もそうだと思います。その韓国や中国の入試では英語はどのように試験されているのでしょうか?
英語が使える(国際的に通用する)人材の輩出という点では中国や韓国は日本より優れているそうですが、それは入試の英語の試験方法が優れているからでしょうか?それとも(英語の試験方法は従来の日本と同じで)それ以外に原因があるのでしょうか?

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