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2019年11月

2019年11月29日 (金)

人間らしく働くための九州セミナー@長崎大学

明日、長崎大学で開かれる人間らしく働くための九州セミナーで、「EUの労働時間法制とその含意」について講演します。


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2019年11月27日 (水)

菅野和夫『労働法 第12版』

481404 遂に出ました。労働法の超基本書、菅野和夫『労働法 第12版』です。

https://www.koubundou.co.jp/book/b481404.html

「働き方改革」関連法改正に完全対応!「労働法のバイブル」の最新版。

「働き方改革」に伴う労働法制の大改正をはじめとした最新の法改正をフォローし、近時の重要な裁判例・実務の現状等にも目配りして労働法の姿を描き出した基本書の決定版。
時代の変化のなかで形成されてきた新しい労働法の姿を体系化し、その中で個々の解釈問題を相互に関連づけて検討した、労働法の現在を知るために最適の書。  

まず形而下的なことから言うと、ページ数は1227ページ。第11版が1166ページだったのがさらに増えています。しかし分厚さはほとんど変わっていません。

内容的にはもちろん、この間の働き方改革等が盛り込まれているわけですが、とりわけ「日本版同一労働同一賃金」に対する冷静かつ鋭利な批評(p361~p363、特にp363の注31)に見られるように、その筆致はますます冴え渡っています。

31) 欧州の同一労働同一賃金原則も、裁判では、学歴、資格、勤続年数、キャリアコースの違い等、職務以外の諸要素を考慮した合理性の有無、として判断されているので、日本に導入可能であるという指摘もあるが(中略)、職務給が普遍的賃金制度となっている欧州での「職務以外の要素の考慮」と、職務給の普遍性が全くない日本での「職務以外の要素の考慮」とは、その意義や程度が大きく異なる。端的には、欧州の非典型雇用者に関する同一労働同一賃金の法規定について、裁判で争われるのはほとんどが手当に関する相違である。これに対し、日本では、正社員・非正社員の手当の相違を争う事例も多いが、基本賃金(さまざまな基本給、そして賞与と退職金)の相違がより大きな、そして困難な問題となる。

また、解雇権濫用法理についても、p785~p786の*コラム「解雇権濫用法理の日本的特色」が、「日本では正社員の解雇は労働法上ほとんど不可能である」といったたぐいの誤解を、懇々と諭すように雇用システムとの関係から解説しているところも、是非切り出して日経新聞あたりに載せたいところです。

一方で、p19~p22では、フリーランスやデジタル情報革命といった今世界的に最先端の議論にも言及し、JILPTの調査研究も引用していて、目配りも行き届いています。

 

タニタについて(再掲)

日経のこの記事が話題になっているようなので、先月のエントリですが再掲しておきます。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52473440S9A121C1X12000/ (さらば正社員 タニタ流「個人契約」が雇用を変える )

正社員の根幹をなす終身雇用や新卒一括採用などに疑問を投げかける経済人や経営者の発言が目立ってきた。戦後の日本経済を支えてきた正社員制度は今後も不変なのか。ニュース解説イベント「日経緊急解説Live!」を11月12日に開催し、社員を個人事業主契約に切り替えているタニタの谷田千里社長と正社員の行く末を話し合った。
タニタは2017年に大胆な雇用制度を導入した。社員に1度退職してもらい、個人事業主として会社と契約を結び直す。契約切り替えは強制ではなく、本人の希望を聞く。現在社員の約1割に相当する27人が個人事業主として働いている。・・・・・

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-9d74ab.html (『タニタの働き方革命』雑感)

 

51ae66rlz0l 最近話題になっているタニタの「社員のフリーランス化」について、社長自ら編著の本が出ていることを知り、読んでみました。

https://www.nikkeibook.com/item-detail/32282

◎タニタの「日本活性化プロジェクト」とは?
希望社員を雇用から契約ベース(フリーランス)に転換、主体性を発揮できるようにしながら、本人の努力に報酬面でも報いる社内制度。
経営者感覚を持って、自らの仕事内容や働き方をデザインでき、働く人がやりがいを持って心身ともに健やかに働ける「健康経営」の新手法

昨今の雇用類似の働き方をめぐる諸情勢等に鑑みると、絶賛と罵倒の応酬になりそうなこのテーマなんですが、実のところ読んでみた感想は、「これって、メンバーシップ型雇用からの脱却という話をオーバーランしているだけなんじゃないか」というものでした。

というのも、本文中にもジョブ型雇用、メンバーシップ型雇用という言葉が出てくるのですが、フリーランス(非雇用)と立派な雇用であるジョブ型雇用がどうもいささか脳内でごっちゃになっている感がするのです。

・・・個人事業主になると、その直前まで社員として取り組んでいた基本的な業務以外に、他の部署から新たに仕事を頼まれるケースもあります。従って、業務内容は「基本業務」と「追加業務」に分け、「追加業務」を請け負う場合は、その分の報酬を「成果報酬」として上積みするすることとしました。

 また「基本業務」でも、想定以上の成果を上げれば、その分は成果報酬に反映させます。頑張りがきちんと報酬面でも報われるようにすることで、モチベーションアップにもつながるでしょう。

 従来のメンバーシップ型企業では、業務内容が曖昧であるがゆえに、「同じ給与なのに、次々に新たな業務が付け加えられる」といった事態が起こり、働く側も不公平感や不満を持ちやすい面がありました。それを、個人事業主への移行を機に業務内容を「基本業務」と「追加業務」とにしっかりと分け、一つ一つの仕事にきちんと「値付け」するという発想です。

 付け加えていえば、会社の中で「この仕事はいくら」という相場観が形成されていく効果にも期待しています。これまでは社員に「悪いけどちょっとこれもお願い」と気軽に頼んでいたことも、「仕事」として発注することになると、頼む側も金額を意識するようになるでしょう。・・・

いや、ある意味、気持ちは凄く良く伝わってくるのですが、それって要するにジョブ型雇用に徹底するぞといっているのと何が違うのだろうか、と。ジョブ型「雇用」とは、つまり人ではなく仕事に値札がついているということなのですから。

あるいは、これも現在の日本の状況下では言っていることはよくわかるのですが、

・・・個人事業主として独立するのですから、基本的に働く時間の制約もなくなるのは当然です。24時間をどう使うかは、すべて当人次第。法律上でも、業務委託契約においては、発注者である会社が、出退勤や勤務時間の管理を行うことは禁じられています。・・・

 自己裁量ですから、業務委託契約書に書かれている業務をきちんと遂行できるのであれば、週休3日、4日でもかまいません。極端なことを言えば、ある期間は週末も含めて集中的に働き、その後1か月のまとまった休みを取って旅行することも可能なのです。・・・

いやいや、業務委託契約で労働時間管理をしてはいけませんが、雇用契約で時間管理をしなければならないわけではありません。まさにそういう(雇用の枠内で)裁量的に働く人のために裁量労働制というしくみもあるし、やたらに狭くなってしまいましたが高度プロフェッショナル制度というのも出来ました。少なくとも理屈の上では、時間管理を外すが為に雇用契約から飛び出なければならないというわけではないのです。

現在の日本では、雇用契約である以上時間管理あるべしという発想が強く、裁量労働制やいわゆるホワイトカラーエグゼンプションなど雇用契約の範囲内での労働時間規制の緩和に反対する人が多いために、こういう風に却って個人請負いに追い散らす傾向もあるのは否定できないのですが、少なくとも理屈の上では、ジョブディスクリプションに書かれている職務をきちんと遂行できるのであれば、週休3日でも4日でもずっと休みでもかまわないという雇用契約は十分可能です。それを目の敵にする必要は全くないと私は思います。

あるいは、

・・・個人事業主になると、時間だけでなくどこで働くかも当然、自由になります。自宅やカフェでの作業の法が効率的であれば、毎日会社に来る必要もありません。子育てや介護のために、自宅をベースにした方が良い人には好都合でしょう。・・・

いやだから、テレワークとか、リモートワークとかいろいろとやっているんですけど。

それ以外にも、「個人事業主になると、これまで以上に社外の人と接する機会が増え、知識や人脈が広がる可能性が高い」とか、いやいや社員にそういう機会を与えてなかったのかよ、とか。

この本全体からは確かにある種の「善意」が感じられます。これまでのメンバーシップ型雇用にがんがらじめになっている社員に、もっと自由で裁量性のある働き方を認めてあげようという善意は感じられます。でも、それはフリーランスにしければ絶対出来ないような話ではないのです(社会保険等の制度的な面は別として)。

「メンバーシップ型雇用からの脱却という話をオーバーランしているだけなんじゃないか」という感想のよってきたる所以です。

このエントリには書かなかったのですが、世界的に今流行している雇用の形式的自営業化がいちばん懸念されているのは、実は社会保障制度です。企業が社会保険料の使用者負担を免れるために形の上で自営業化することが社会保障制度を空洞化するという問題です。

日本でこれがあんまり問題にならないのは、そもそも紛うことなき雇用労働者であるパート・アルバイトを健康保険や厚生年金保険から(未だにに500人以下では)排除しているために、そういう人を自営業化するメリットがあんまりないからでしょう。

 

 

 

2019年11月26日 (火)

病気の治療と仕事の両立@WEB労政時報

WEB労政時報に「病気の治療と仕事の両立」を寄稿しました。

https://www.rosei.jp/readers-taiken/article.php?entry_no=77095

 ワーク・ライフ・バランスといえば、これまでは子どもや老人親のケア(育児と介護)と仕事の両立が中心課題でしたが、近年になって労働者自身のケア(病気の治療)と仕事の両立が大きな政策課題として取り上げられるようになりました。とりわけ、2017年3月の『「働き方改革実行計画』」において、「病気の治療と仕事の両立」が大項目の一つとしてに挙げられ取り上げられ、翌2018年6月のに成立した働き方改革推進法の中で雇用対策法が衣替えした労働施策総合推進法において、国の施策としてわざわざ一項目立てて、「疾病等の「治療を受ける者の職業の安定を図るため、雇用の継続、離職を余儀なくされる労働者の円滑な再就職の促進その他の疾病等の治療を受ける者の治療の状況に応じた就業を促進するために必要な施策を充実すること」が盛り込まれたことで、その位置づけは一気に上昇しました。
 とはいえ、現時点では病気休職制度の義務づけといったハードロー(法的拘束力を持つ規範による規制)政策は考えられておらず、 ・・・・・

 

統計的差別と中国人

例の自称最年少准教授氏が、「中国人は採用しないのは統計的差別だ」という耳を疑うような言い訳をしているようです。

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1198801312407621633

 ④今回の採用方針が統計的差別にあたると認定されたところで、「では、私企業が業績を向上する目的で、統計的差別をすることは許されないのか」という点には大いに議論の余地があります。

人物属性を考慮に入れることが不当なのであれば、企業の書類選考はすべて不当ということになります。

いや、統計的差別に関する議論はそれだけで膨大な紙数を要する結構深刻な問題ではあるのですが、そして、それが元々アメリカにおける黒人差別の文脈で出てきた概念であることからしても、人種・民族差別と密接な関連を有する論点であるのも確かなんですが、なんぼなんでも民族的チャイニーズを差別するのが統計的差別だなんていう言い訳がこれぽっちでも通用すると思っていたんでしょうか。

拙著で女性差別を論ずる文脈でごく簡単に説明したように、

・・・実は、アメリカで統計的差別理論を作りだしたケネス・アローやエドマンド・フェルプス(いずれもノーベル経済学賞受賞者)のもとの論文を見ても、こんなことは書いてないのです。
 どちらも主として人種差別を念頭に置いて理論を組み立てているのですが、労働者の能力(日本的な「能力」ではなく、端的にそのジョブを遂行する能力のことです)は外部からは見分けにくいので、その外見的な属性でもって雇用上の判断をしてしまうという現象を指しています。わかりやすくいえば、黒人には能力の低い者が多いので(あるいは平均値は変わらなくても、分散が大きい=とんでもない食わせ物に当たる可能性があるので)、いちいち個別に能力を確認するコストをかけずに黒人だというだけで採用対象から排除してしまう、ということですね。しかし、いうまでもなくこれは社会全体としては非効率な意思決定です。ミクロな能力測定コストの節約のために、マクロには優秀な人材を浪費してしまうわけですから。アメリカの統計的差別論には、それゆえそれを「市場の失敗」として公共政策の介入によって是正しなければならないという含意があります。この点を強調するのが遠藤公嗣氏の「日本化した奇妙な統計的差別論」(『ポリティーク』第3号)です。・・・

黒人は能力が低い者が多いので、いちいち個別に能力を確認するコストをかけずに黒人というだけで採用対象から排除するのが合理的な統計的差別である、ということからすると、現状では、中国人は能力が高い者が多いので、いちいち個別に能力をかけずに中国人というだけで採用対象とするのが合理的な統計的差別ということになりますね。

実際には、とりわけ教育システムにおいては、ほっとくと中国人ばかりが合格してしまうので、わざわざそうならないように(黒人に対するポジティブアクションの反射として)ネガティブアクション(?)で一生懸命減らしているのが実情なわけですが。

まあ、このへんも、AIに入力し忘れた雑学なのかもしれません。

 

 

2019年11月25日 (月)

周保松・倉田徹・石井知章『香港雨傘運動と市民的不服従』

9784784513680 周保松・倉田徹・石井知章『香港雨傘運動と市民的不服従 「一国二制度」のゆくえ』(社会評論社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

それにしても、本書は何というタイミングで出版されたのでしょうか。本書はタイトル通り、5年前に香港で起こった雨傘運動について論じた本です。

その主要部分は、香港の政治思想学者であり、雨傘運動にも参加した周保松さんが昨年明治大学で行った講演録です。

おそらく本書の出版企画が始まったころは、香港が今のような状況になるなんて関係者のだれも予想すらしていなかったでしょう。

これこそ人智を超えた天のめぐり合わせというものかもしれません。

周さんの講演の最後の一節を:

・・・私は本当に、雨傘運動はまだ終わっていないと考えています。その記憶や理念は黙々と我々に影響を与え続けていて、私たちが前進し続けるための重要な思想的・道徳的資源となっています。香港の未来には確かに各種の不確実性が満ちています。しかし私たちが確信していることは、私たちの将来の香港という家に期待し、そのために一緒に努力し続けていくだろうということなのです。

ちなみに本書にはいっぱい当時の写真も載っていて、今回も活躍しているアグネス周庭さんの5年前の写真も。

なお本書を読む際には、「香港に栄光あれ」(願榮光歸香港)をBGMとして流すと気分が高まります。

 

 

未だに女子制服制?

今朝の朝日に、

https://www.asahi.com/articles/ASMCL75DXMCLULFA032.html (朝の更衣室は大渋滞 事務職になぜ制服?苦痛ばかり)

 自動車部品関連で事務の仕事をしています。支給される制服の着用義務が悩みです。
会社も費用がかかるし、着替える時間や場所を確保しないといけません。廃止すれば経費の節約になるのに、なぜ必要か理解できません。・・・・

正直、女子事務員のみ制服制という昭和の遺制はもう余り残っていないだろうと思っていましたが、しっかり残っていたようです。

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この、女子事務員のみ制服制については、『働く女子の運命』の中で、ちょびっとだけ言及したことがあります(p61)。

・・・こうして確立した「OL」という言葉は、幹部社員に昇進していくことが前提の男性事務職員とは全く別の身分としての「女子事務員」を指す言葉ですから、どうひっくり返っても英語に訳せません。「花の」という形容詞付きで語られることも多く、文字通り「職場の花」と見なされていたのでしょう。
 もう一つ、BG~OLモデル華やかなりしころの職場慣習として、女子事務員のみに制服の着用を義務づけられていたことがあります。もっとも、男性はみな背広にネクタイという社会的制服を課せられていたので、女性だけ服装を自由にするわけにはいかないという理由もあったのでしょう。深読みすれば、「一人の娘さんをあずかった」という意識から、女子生徒と同じ扱いで制服を着せていたのかもしれません。

一方では、メガバンクが今ごろになって総合職と一般職を統合するというニュースもあり、

https://www.asahi.com/articles/ASMCP4HBWMCPULFA015.html (みずほFG、総合職と一般職を統合 2021年度下期)

みずほフィナンシャルグループが2021年度下期に、総合職(基幹職)と、支店で窓口業務や事務を担う一般職(特定職)を統合する。サービスのデジタル化による来店者数が減る中、職種の統合で効率的な人材配置を進める。大手行では、三井住友銀行も来年1月に両職種を統合する方針だ。・・・ 

同じく、『働く女子の運命』で、1990年代半ば頃にOLビッグバンが起こったという記述(p203)から四半世紀経ってようやくこういうことなんですね。

・・・そう、この1997年という年は、それまで長く日本の女性労働のベーシックモデルであったOLというあり方が大きく揺さぶられた年でもあったのです。
 そのあたりをジャーナリスティックに取り上げたのが、『週刊文春』1997年11月6日号の記事、「「OLビッグバン」襲来-一般職は消滅、派遣社員が増加」です。三菱商事を筆頭に商社、生保、デパート、メーカーなど一般職女子を採用しない企業が続出し、そのあおりでOL供給の右代表であった女子短期大学の就職戦線が苦戦を強いられている姿を報じています。その「苦境の女子正社員たちを尻目に、最近めきめき頭角を現しているのが派遣社員」。中堅生保人事担当者の「同じ“職場の花”だったら、安くつくし、割り切っている派遣社員の方を選びますよ。一般職のすみかはだんだんと狭くなっていくはずです。もうOL、OLと騒いでいた時代は終わりなんでしょうね」という冷たい言葉を引いて、OL型モデルの終焉を告げています。同時期、『日経WOMAN』11月号も「OLビッグバン到来、その時消えるOL笑うOL」という大特集を組んでいますから、この言葉は流行語だったのでしょう。
 目に見える変化としては、それまでOLといえば制服というのが常識だったのが、それを廃止する企業が相次いだことでしょう。大部分の制服OLの中で数少ない総合職女性が私服で働いているがゆえに、上述のように否応なく「浮き上がってしまう」わけですが、制服が廃止されれば総合職も一般職も見分けがつきません。企業の女子制服廃止には経費節減という狙いもあり、肝心のOL側は猛烈に反対する人々が多かったようです。
 この大きな転換期であった1997年に、慶應義塾大学経済学部を卒業して東京電力に総合職として入社し、当時企画部経済調査室副長を務めていた女性管理職社員が殺害される事件が起こりましたが、これを描いた佐野眞一氏のルポルタージュのタイトルは『東電OL殺人事件』でした。いくら何でも彼女は「OL」ではなかったはずです。

 

2019年11月23日 (土)

採用における人種差別と国籍差別

どこかの大学の特任准教授氏のつぶやきが炎上しているようですが、話が採用における差別ということなので、燃え上がる頭の整理のために、法制上の概念整理だけしておいたほうがいいでしょう。

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197017322185052161

 そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします。

このつぶやきは、

https://twitter.com/taisuke_hory/status/1197016493491245056

もしある人が面接に来て、その人が中国国籍だったらどうします? 

に対するものであるので、このでいう「中国人」とは中国の国籍を有する者を指し、国籍のいかんを問わず民族としてのチャイニーズに属する者をさすわけではないようです。

もっとも、中国の国籍という概念自体が国際政治上は大変複雑で、中華人民共和国の国籍を有する者だけなのか、日本が国家として承認していないけれども密接な経済的社会的関係を有する台湾の中華民国の国籍を有する者を含むのか、今大変な騒ぎになっている香港はどうなのか、とか、これだけで本一冊分の議論ができますが、それはすべて置いておけば、話が国籍による差別だけの問題であれば、一部で参照されている国連の人種差別撤廃条約との関係では必ずしもそこでいう人種差別になるとは限りません。

第1条
1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。
2 この条約は、締約国が市民と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない。
3 この条約のいかなる規定も、国籍、市民権又は帰化に関する締約国の法規に何ら影響を及ぼすものと解してはならない。ただし、これらに関する法規は、いかなる特定の民族に対しても差別を設けていないことを条件とする。  

とはいえ、このツイートだけを見れば「中国人」と書いてあり、通常これは国籍の如何を問わない民族概念としてのチャイニーズを指しているようにも見えます。というか、本人もこの二つが異なる概念であるということをあまり意識していない可能性が高いですが。

とはいえ、そもそも国連の人種差別撤廃条約って、日本において法的効力を有するのか?

同じ国連の女性差別撤廃条約は、批准するために男女雇用機会均等法を制定したので、採用における女性差別は現在は違法です。

ところが人種差別撤廃条約は、国会は批准しておらず、これを実施するための国内法も制定されていません。

ところが、ここがやや不思議なんですが、日本政府は人種差別撤廃条約に「加入」しており、国内法としての効力を有すると説明しています。

一方、既存の国内法では職業安定法にこういう規定がありますが、

(均等待遇)
第三条 何人も、人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について、差別的取扱を受けることがない。但し、労働組合法の規定によつて、雇用主と労働組合との間に締結された労働協約に別段の定のある場合は、この限りでない。 

これはあくまでも職業紹介機関が差別をしてはならないといっているだけなので、雇用主が採用する際にこれらに基づいて差別することまで禁止しているわけではありません。職業安定法施行規則にこうあります。

(法第三条に関する事項)
第三条 公共職業安定所は、すべての利用者に対し、その申込の受理、面接、指導、紹介等の業務について人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、差別的な取扱をしてはならない。
2 職業安定組織は、すべての求職者に対して、その能力に応じた就職の機会を多からしめると共に、雇用主に対しては、絶えず緊密な連絡を保ち、労働者の雇用条件は、専ら作業の遂行を基礎としてこれを定めるように、指導しなければならない。
3 職業安定法(昭和二十二年法律第百四十一号。以下法という。)第三条の規定は、労働協約に別段の定ある場合を除いて、雇用主が労働者を選択する自由を妨げず、又公共職業安定所が求職者をその能力に応じて紹介することを妨げない。 

なお、労働基準法第3条は、国際相場に反して国籍差別を禁止しながら人種差別を禁止していないというおかしな規定ぶりですが、

(均等待遇)
第三条 使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。 

こちらは採用した後の差別待遇だけが対象なので、どちらにせよ採用差別には関わってきません。

とはいえ、かつて小泉内閣時代に国会に提出された人権擁護法案が、当時の民主党をはじめとした野党の反対によって廃案になっていなければ、今頃は採用における人種・民族差別を禁止する法律が日本の六法全書に載っていたかもしれません。

(定義)
第二条 この法律において「人権侵害」とは、不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。
5 この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。
 (人権侵害等の禁止)
第三条 何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。
 一 次に掲げる不当な差別的取扱い
  ハ 事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和四十七年法律第百十三号)第八条第二項に規定する定めに基づく不当な差別的取扱い及び同条第三項に規定する理由に基づく解雇を含む。)

繰り返しますが、当時の野党やマスコミのメディア規制規定がけしからんという反対によってこの法案は成立に至りませんでした。その後、今度は自由民主党の中から猛烈な反対論がわいてきて、結局こういう法律は日本には存在せず、国内法はないまま人種差別撤廃条約が国内法としての効力を有するという説明がされているだけです。

いろいろ議論するのは自由ですし、どういう立場をとるのも自由ですが、最低限これくらいの常識はわきまえて議論したほうが有益なのではなかろうかと思われます。

(追記)

https://b.hatena.ne.jp/entry/4677673857669631202/comment/zakinco

浜ちゃん先生の誤読。だって「中国国籍だったら?」って聞かれて「そもそも中国人」はって答えているのだから、国籍に関わらず中国人という人種・民族に対して採用しないと明言している。 

いや、両方の可能性があるから場合分けして説明したつもりだけど。

国籍による差別のみを主張し、民族的チャイニーズへの差別を否定しているのなら、そもそも国連人種差別撤廃条約の対象外。

zakincoさん読解通り民族的チャイニーズに対する差別を主張したのであれば同条約に反する。ただし、日本は同条約に「加入」しているが、現時点で採用における人種・民族差別を禁止する国内法は存在しない(人権擁護法案が潰されたので)。

あとは裁判所が、具体的な国内法の規定がなくても、日本政府が「加入」した条約の趣旨を適用できるかの問題。雇用労働問題に関してはそういう前例はないが、入店拒否やヘイトスピーチでは前例あり。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-0347.html (人種差別撤廃条約と雇用労働関係(『労基旬報』(2014年7月25日号))

 昨年6月に障害者雇用促進法が改正され、障害者に対する差別の禁止や合理的配慮の提供が規定されたことは読者周知のことと思います。同月にはより一般的な法律として障害者差別解消推進法も成立しています。これら立法が、2006年に国連総会で採択され、2007年に日本政府が署名した障害者権利条約の批准のためのものであることもよく知られているでしょう。
 このように国際条約の批准のための立法として最も有名なのはいうまでもなく、1979年に国連総会で採択され、1980年に日本政府が署名した女性差別撤廃条約とそれを受けた1985年の男女雇用機会均等法です。
 他にこのような例はないのでしょうか。国際条約としては障害者や女性よりももっと早く。1965年の国連総会で採択された人種差別撤廃条約があります。ところが、労働法の世界でこの条約が議論されることはほとんどありません。多くの読者にとっては意外な事実かも知れませんが、実は日本政府は1995年にこの条約に「加入」しており、1996年1月14日から日本について「条約」の効力が生じているのです。ところが、この条約を実施するための国内法というのは存在していません。
 アメリカでもヨーロッパでも、差別禁止法制といえばまずは人種差別と男女差別から始まり、やがて年齢差別や障害者差別に広がっていき、さらにこういった属性による差別とは異なる類型として雇用形態による差別的扱いも問題にされるようになっていったというのが歴史の流れなのですが、日本ではその最も根幹のはずの人種差別が、条約の効力はあるとはいいながらそれを実施する国内法は存在しないという奇妙な状況がずっと続いていて、しかもそれを(少なくとも雇用労働分野では)ほとんど誰も指摘することがないのです。
 かつては女性差別撤廃条約を批准するためには国内法整備が必要だと言って男女雇用機会均等法が制定され、最近は障害者権利条約を批准するために国内法整備が必要だと言って障害者雇用促進法が改正されたことと比べると、人種差別撤廃条約に対するこの国内法制の冷淡さは奇妙な感を与えます。実は、2002年に当時の小泉内閣から国会に提出された人権擁護法案が成立していれば、そこに「人種、民族」が含まれることから、この条約に対応する国内法と説明することができたはずですが、残念ながらそうなっていません。
 このときは特にメディア規制関係の規定をめぐって、報道の自由や取材の自由を侵すとしてマスコミや野党が反対し、このためしばらく継続審議とされましたが、2003年10月の衆議院解散で廃案となってしまいました。この時期は与党の自由民主党と公明党が賛成で、野党の民主党、社会民主党、共産党が反対していたということは、歴史的事実として記憶にとどめられてしかるべきでしょう。
 その後2005年には、メディア規制関係の規定を凍結するということで政府与党は再度法案を国会に提出しようとしましたが、今度は自由民主党内から反対論が噴出しました。推進派の古賀誠氏に対して反対派の平沼赳夫氏らが猛反発し、党執行部は同年7月に法案提出を断念しました。このとき、右派メディアや右派言論人は、「人権侵害」の定義が曖昧であること、人権擁護委員に国籍要件がないことを挙げて批判を繰り返しました。
 全くの余談ですが、この頃私は日本女子大学のオムニバス講義の中の1回を依頼され、講義の中で人権擁護法案についても触れたところ、講義の後提出された学生の感想の中に、人権擁護法案を褒めるとは許せないというようなものがかなりあったのに驚いた記憶があります。ネットを中心とする右派的な世論が若い世代に広く及んでいることを実感させられる経験でした。
 一方、最初の段階で人権擁護法案を潰した民主党は、2005年8月に自ら「人権侵害による被害の救済及び予防等に関する法律案」を国会に提出しました。政権に就いた後の2012年11月になって、人権委員会設置法案及び人権擁護委員法の一部を改正する法律案を国会に提出しましたが、翌月の総選挙で政権を奪還した自由民主党は、政権公約でこの法案に「断固反対」を明言しており、同解散で廃案になった法案が復活する可能性はほとんどありませんし、自由民主党自身がかつて小泉政権時代に自ら提出した法案を再度出し直すという環境も全くないようです。
 ちなみに、人種差別撤廃条約に国内法としての効力を認めた判決は、雇用労働関係ではまだありませんが、入店拒否事件(静岡地浜松支判平11.10.12、札幌地判平14.11.11)やヘイトスピーチ事件(京都地判平25.10.7)などいくつか積み重ねられつつあります。  

(再追記)

特任准教授氏の呟きの中には、

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197022344637603841

 だったら告訴してみろよ勘違いビジネスマン笑笑
無能を採用する方が業績悪化のリスク高まるんだっつーの。

というのもあり、氏の「中国人」に対するスタンスは、民族的チャイニーズに対する無能呼ばわりから来ているようなので、言葉の正確な意味での人種・民族差別であったようです。

 

「工業高校」と「工科高校」の違い

正直意味がよくわからないニュースです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191122/k10012186251000.html (「工業高校」を一斉に「工科高校」に変更へ 全国初 愛知県教委)

愛知県の教育委員会が、県立の「工業高校」13校の名称を、再来年4月から一斉に「工科高校」に変更する方針を固めたことが分かりました。科学の知識も学び、産業界の技術革新に対応できる人材を育成するのがねらいで、工業高校の名称を一斉に変更するのは全国で初めてだということです。 ・・・

いやまあ、高校の名称をどうするかは自由ですが、その理由がよくわからない。

・・・関係者によりますと、すべての県立工業高校の名称について「工学だけでなく、科学も含めた幅広い知識を学ぶ高校にしたい」というねらいから、再来年の4月から一斉に「工科高校」に変更する方針を固めたということです。・・・

ほほう、「工業高校」だと科学は学べないとな。「工科高校」だと科学が学べるとな。

「工業高校」の「業」は「実業」の「業」ですが、「工科高校」の「科」は「科学」の「科」だったとは初めて聞きましたぞなもし。

東京工業大学は実業しか学べないけど、東京工科大学は科学が学べるんだね。ふむふむ。

というだけではしょうもないネタなので、トリビアネタを付け加えておくと、東京工業大学は前身は東京高等工業学校でしたが、それとならぶ東京高等商業学校は、一橋大学になる前は東京商科大学でした。一方が「業」で他方が「科」となった理由は何なんでしょうか。

ちなみに、東京高商と並ぶ神戸高等商業学校は、大学になるときには神戸商業大学と名乗っていますな。今の神戸大学の前身ですが、同じ商業系でもこちらは「科」じゃなくて「業」です。

さらにちなみに、神戸商科大学というのもあって、これは戦前の兵庫県立神戸高等商業学校が戦後大学になるときにそう名乗ったんですね。今の兵庫県立大学の前身です。

なんだか頭が混乱してきましたが、東京商科大学は戦時中東京産業大学と名乗っていたので、別に「業」を忌避していたわけでもなさそうです。

 

 

 

2019年11月22日 (金)

日本型人事の花いちもんめ

小峰隆夫さんが「帰ってきた経済白書」というエッセイを書かれています。

https://www.jcer.or.jp/j-column/column-komine/20191118-4.html

冒頭、鶴光太郎、前田佐恵子、村田啓子『日本経済のマクロ分析 低温経済のパズルを解く』(日本経済新聞出版社)の著者3人がいずれも内国調査課の課長補佐経験者だと話を振っておいて、

・・・良い仕事をするコツは、良い人を得ることである。経済白書は補佐クラスの3~4人が原案を書く。この原案執筆者に人を得ることが、良い白書を作る上で決定的に重要である。

 では誰がその補佐クラスの人事を決めるのか。役所の人事の決め方にはいくつかの方法がある。一方の極端は「人事当局(秘書課)が一方的に通告してくる(Aタイプ)」というやりかたであり、もう一方の極端は「現場(課長)の方が特定の人を指名する(Bタイプ)」というやりかたである。ただしこれは両極端だから、現実にはこの中間の形を取る。つまり、ある程度の候補者の中から、人事当局と現場の課長が話し合って決めるということになる。・・・

役所という極めてメンバーシップ型の組織の中で、経済白書を執筆するというかなり特定のスキルを要求されるジョブに誰を充てるかという、日本の組織では結構見られるシチュエーションを、自らの経験に即して絵解きしています。

・・・例えば、私にはこんな経験があった。一つは、私自身が最初に内国調査課の補佐になった時のことである。当時私は、経済研究所で計量モデルの仕事をしていたのだが、突然内国調査課の補佐への異動を伝えられた。当時研究所で上司であったA氏は私に、「君を取られると我々も困るんだが、内国調査課長が是非君を補佐に欲しいと言ってるんでねえ。それに君にとってもこれは良い話だからね」と言った。つまり、私が補佐になったのは、当時内国調査課長であった横溝氏が私を指名したからであった。また、その人事案にA氏が反対しなかったのは、A氏自身がかつて内国調査課補佐を勤めた経験があるので、そのポストの重要性を良く知っていたからなのだった。 もう一つは、その1年後の話である。私が内国調査課補佐になった時、筆頭補佐は大来洋一氏(故人)であった。大来氏の任期が近づいたある時、守屋課長が私のところに来て「今、大来君の後任を誰にするか考えているのだが、新保さん、Bさん、Cさんの中で誰が適当だと思いますか」と訊ねたのだった。私は迷わず「それはもちろん新保さんでしょうね」と答えた。そしてその通り、新保氏が補佐になった。これは、守屋課長が私のアドバイスも参考にして新保氏を指名し、人事当局もその希望どおりにしたということである。

 こうした経験があったので、私も普段から「次の補佐を誰にしようか」ということを考えていた。補佐交代の時期が近づいてきたとき、私はかねてから考えていたD氏を人事当局に申し入れた。D氏は当時、エコノミスト的な仕事ではなく、行政的な仕事に従事していたのだが、私はその人物の人柄やエコノミストとしての素質を高く評価していたのだ。人事当局は「いいんじゃないですか。相談してみましょう」ということだったのだが、この人事は実現しなかった。その時D氏が所属していた課の課長が「今、当課は重要な業務の真っ最中であり、この時期にD氏を動かすことはできない」と強く拒否したからである。

 「現場がD君を離さない」と聞いた時、私は「こうして人の運命が分かれるのだな」とため息をついた。かつて私が補佐に指名された時、研究所の上司は「困ったな」とは思いながらも、私の将来を考えて、反対はしなかった。私は内国調査課の補佐となり、3回の白書を書く中でエコノミストとしての力を磨き、最初の著作を出すことができた。今日の私があるのは、この時補佐として内国調査課に配属されたからだとさえ言える。

 D氏はその後、行政的な分野でさらに実績を積み、かなり重要なポストにまで上り詰めている。それはそれで一つの人生だ。しかし、もしこの時、D氏が内国調査課の補佐になっていたら、D氏はエコノミスト的な分野で実績を積み、全く異なる人生を歩んでいた可能性があったのだ。

個人名がぞろぞろ出てきてリアル感たっぷりですが(旧経企庁の方なら、アルファベットの人名も全部わかるのでしょう)、日本型組織における人事メカニズム(少なくとも組織にとって枢要なポストについての)が、人事センターと現場管理者とのネゴシエーションであるという、誰もがうすうすわかっているけれども、人事管理の教科書なんかではあんまり明示的に書かれていないことが、非常にくっきりと浮かび上がってくるエッセイです。

 

2019年11月21日 (木)

パワハラ指針ほぼ確定?

もめていたパワハラ指針ですが、昨日の労政審雇環分科会でいったん出した案をもう一度修正したのを出しなおすなどして、ようやくほぼ確定したようです。

https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000568623.pdf (当初案)

https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000568624.pdf (修正案)

イ 身体的な攻撃 (暴行・傷害
(イ)該当すると考えられる例
①殴打、足蹴りを行うこと。
②相手に 物を投げつけること。
(ロ)該当しないと考えられる例
①誤ってぶつかること。
ロ 精神的な攻撃 (脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言
(イ)該当すると考えられる例
①人格を否定するよう な 言動を行うこと。 (例えば、 相手の性的指向・性自認に関する侮辱的な言動を行うことを含む。
②業務の遂行に関する必要以上に長時間にわたる厳しい叱責を繰り返し行うこと。
③他の労働者の面前における大声での威圧的な叱責を繰り返し行うこと。
④相手の能力を否定し、罵倒するような内容の電子メール等を当該相手を含む複数の労働者宛てに送信すること。
(ロ)該当しないと考えられる例
①遅刻など社会的ルールを欠いた言動が見られ、再三注意してもそれが改善されない労働者に対して 一定程度 強く注意をすること。
② その企業の業務の内容や性質等に照らして重大な問題行動を行った労働者に対して、 一定程度 強く注意をすること。
ハ 人間関係からの切り離し (隔離・仲間外し・無視
(イ)該当すると考えられる例
①自身の意に沿わない労働者に対して、仕事を外し、長期間にわたり、別室に隔離したり、自宅研修させたりすること。
②一人の労働者に対して同僚が集団で無視をし、職場で孤立させること。
(ロ)該当しないと考えられる例
①新規に採用した労働者を育成するために短期間集中的に 別 室で研修等の教育を実施すること。
②懲戒規定に基づき 処分を受けた労働者に対し、通常の業務に復帰させるために、その 前に、 一時的に別 室で必要な研修を受けさせること。
ニ 過大な要求( 業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制 ・ 仕事の妨害)
(イ)該当すると考えられる例
①長期間にわたる、肉体的苦痛を伴う過酷な環境下での勤務に直接関係のない作業を命ずること。
②新卒 採用者に対し、必要な教育を行わないまま到底 対応できないレベルの業績目標を課し、達成できなかったことに対し厳しく叱責すること。
③労働者に業務とは関係のない私的な雑用の処理を強制的に行わせること。
(ロ)該当しないと考えられる例
①労働者を育成するために現状よりも少し高いレベルの業務を任せること。
②業務の繁忙期に、業務上の必要性から、当該業務の担当者に通常時よりも一定程度多い業務の処理を任せること。
ホ 過小な要求( 業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)
(イ)該当すると考えられる例
① 管理職である労働者を退職させるため、誰でも遂行可能な業務を行わせること。
② 気にいらない労働者に対して嫌がらせのために仕事を与えないこと。
(ロ)該当しないと考えられる例
①労働者の能力に応じて、 一定程度 業務内容や業務量を軽減すること。
ヘ 個の侵害( 私的なことに過度に立ち入ること)
(イ)該当すると考えられる例
①労働者を職場外でも継続的に監視したり、私物の写真撮影をしたりすること。
②労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、当該労働者の了解を得ずに他の労働者に暴露すること。
(ロ)該当しないと考えられる例
① 労働者への配慮を目的として、労働者の家族の状況等についてヒアリングを行うこと。
② 労働者の了解を得て、当該労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、必要な範囲で人事労務部門の担当者に伝達し、配慮を促すこと。

 

 

G型L型と英語4技能と「身の丈」

「東大はグローバルに活躍する人材を輩出するところなんだろう、英語で発信する能力が絶対に必要じゃないか、だったらしっかりと英語4技能を測る試験をするべきではないか」というのは全く正しい。ただし、「東大独自の二次試験でな」と付け加えておく必要がある。

東大だけではなく、同様にグローバル人材を目指すG型大学にも同じことを言っていいし、言うべきだろう。国際会議で黙りこくるような「受験エリート」は要らないんだ、と。

とはいえ、そんなたいそうなことは考えず、ローカルに活躍する人材を育てようと思っているようなL型大学にまで、同じことを要求するのは無理無体というもの。

そう、求められる英語の技能水準も当然「身の丈に合った」ものである必要がある。

問題の根源は、「身の丈」を無視して、全国一律に、G型もL型もひっくるめて、大学共通テストといういわば最低要件的な性格の試験に、4技能を測ることを求めようとしたことにあるはず。

ところが、悪しき平等主義が、その技能が求められるべき者と求められるわけではない者とを無差別に扱うことを要求したために、中途半端な民間試験を活用せざるを得なくなり、その不完全さが露呈するという事態になった。

なのに、それが国民レベルでの問題となったのは、「身の丈」発言によって平等主義に反するものと受けとられてしまったからだというのが、今回の経緯の最大の皮肉。

政治家も官僚もマスコミも国民もみんな、どういう技能がどういう人に必要で、どういう人に必要ではないのかという次元に立ち戻った議論が全然できなくなっている。

まあ、そもそも日本社会における英語教育というのはいかなる意味でも「職業技能」ではなかったということの論理的帰結かもしれない。

2019年11月20日 (水)

労基法の管理監督者とは異なる女活法の『管理職』@『労基旬報』2019年11月25日号

『労基旬報』2019年11月25日号に「労基法の管理監督者とは異なる女活法の『管理職』」を寄稿しました。

 今年の5月に成立した女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律は、タイトルにある女性活躍推進法(女活法)よりもパワハラを規定する労働施策総合推進法の方が遥かに注目されました。現在も労政審の雇用環境・均等分科会でパワハラ指針をめぐって熱い議論が闘わされています。確かに女活法の改正は事業主行動計画の作成義務が300人超企業から100人超企業に拡大されるということなので、あまり注目されないのも仕方がありません。とはいえこの女活法、じっくり読んでいくと労働法上議論のネタになりそうな概念が潜んでいるのです。
 それは、女活法第8条第3項で一般事業主行動計画に記載しなければならない「管理的地位にある労働者に占める女性労働者の割合」の「管理的地位にある労働者」という概念です。これを受けた女性の職業生活における活躍の推進に関する法律に基づく一般事業主行動計画等に関する省令第2条第1項第4号では、これを「管理職」と呼んでいます。
(女性の職業生活における活躍に関する状況の把握等)
第二条 法第八条第一項に規定する一般事業主が、一般事業主行動計画を定め、又は変更しようとするときは、直近の事業年度におけるその事業における女性の職業生活における活躍に関する状況に関し、第一号から第四号までに掲げる事項を把握するとともに、必要に応じて第五号から第二十五号までに掲げる事項を把握しなければならない。・・・
四 管理的地位にある労働者(以下「管理職」という。)に占める女性労働者の割合
九 管理職、男性労働者(管理職を除く。)及び女性労働者(管理職を除く。)の配置、育成、評価、昇進及び性別による固定的な役割分担その他の職場風土等に関する意識(派遣労働者にあっては、性別による固定的な役割分担その他の職場風土等に関するものに限る。)
十七 各職階の労働者に占める女性労働者の割合及び役員に占める女性の割合
 この「管理職」概念はまた、女活法第9条に基づく一般事業主の認定基準にも顔を出します。
(法第九条の認定の基準等)
第八条 法第九条の厚生労働省令で定める基準は、次の各号のいずれかに該当することとする。・・・・
(4) 直近の事業年度における管理職に占める女性労働者の割合が産業ごとの管理職に占める女性労働者の割合の平均値以上であること又は直近の三事業年度ごとに当該各事業年度の開始の日に課長級より一つ下の職階にあった女性労働者の数に対する当該各事業年度において課長級に昇進した女性労働者の数の割合を当該三事業年度において平均した数を直近の三事業年度ごとに当該各事業年度の開始の日に課長級より一つ下の職階にあった男性労働者の数に対する当該各事業年度において課長級に昇進した男性労働者の数の割合を当該三事業年度において平均した数で除して得た割合が十分の八以上であること。
 このように、「管理職」に占める女性の割合は女性の活躍ぶりを測る重要な指標とされているわけです。そのこと自体は特に異とする必要はありません。ただ、この「管理職」という言葉、ややもすると労働法の他の法律で用いられている似たような響きの言葉とごっちゃにされてしまいかねない危険性を孕んでいます。いうまでもなく労働基準法第41条第2号の「事業の種類にかかわらず監督又は管理の地位にある者」、いわゆる「管理監督者」です。通常の日本語感覚から言えば、女活法は「管理」だけで、労基法は「管理」んに加えて「監督」も入っているのだから、後者の方が広いのだろうと考えてしまいかねません。そうでなくても、「管理職」の方がずっと広くて「管理監督者」は厳密にはとても狭いのだという認識を持つのはなかなか難しいところでしょう。
 いうまでもなくこれは、女活法の「管理職」がその概念を労働法の世界からではなく別のところから持ってきたからなのですが、それはなんだかお分かりでしょうか。女活法の通達(平成27年10月28日雇児発1028第5号)を見てみましょう。
ウ 省令第2条第1項第4項の「管理職」とは、「課長級」及び課長級より上位の役職にある労働者の合計をいうこと。
「課長級」とは、次のいずれかに該当する者をいうこと。
①事業所で通常「課長」と呼ばれている者であって、その組織が二係以上からなり、若しくは、その構成員 が 10 人以上(課長を含む。)のものの長
②同一事業所において、課長の他に、呼称、構成員に関係なく、その職務の内容及び責任の程度が「課長級」に相当する者(ただし、一番下の職階ではないこと。)
 「課長級」の「級」に示されているように、この「管理職」概念は「組織を管理する」という機能からは切り離された職能資格制度における「偉さ」の程度です。確かに、会社組織の中で女性がどれくらい「偉い」地位に到達しているのかが重要なのであれば、実際に管理しているかいないかにかかわらず管理職クラスの人数を数えればいいでしょう。その意味では、女活法の世界ではこの「管理職」概念はそれなりに合理的といえます。
 とはいえ同じ労働法の世界で、いわゆる「名ばかり管理職」という形で、世間で言う「管理職」には該当するかも知れないけれども、労基法上の「管理監督者」には該当しないのだ、といった議論を展開しているそのすぐそばで、堂々とその世間で言う「管理職」を用いて事業主に行動計画を作らせているというのも、なかなかにシュールな世界ではあります。

 

 

日本の賃金・人事評価の仕組みはどうなっている?@『情報労連REPORT』11月号

1911_cover 『情報労連REPORT』11月号が届きました。今号の特集は「日本の賃金・人事評価の仕組みはどうなっている?」です。

http://ictj-report.joho.or.jp/1911/

冒頭に来るのは今をときめく小熊英二さんで、「職務の平等より社員の平等」等と、例の分厚い新書のエッセンスを語っています。

http://ictj-report.joho.or.jp/1911/sp01.html

次は『POSSE』でその小熊さんと木下武男さんの対談に割って入った今野晴貴さんで、「職業の再建」を訴えています。

http://ictj-report.joho.or.jp/1911/sp02.html

その中身はリンク先を読んでいただくのがいいですが、こんな興味深い図が使われています。

1911_sp02_01

続く遠藤公嗣さんは企業横断的な職務給を唱道していますが、一方後ろの方の金子良事さんは賃上げのための労働組合の課題を論じていて、いささか雑多な印象を与えてはいます。

我らが常見陽平さんの連載は、今回は「労働組合役員の「働き方改革」「おまいう案件」にならないために」というタイトルで、「おまいう」すなわち「お前が言うか!」というのはあちこちにいっぱいありますね。そういえば、私がその昔労働省労働基準局労働時間課で労働時間短縮がどうとかこうとかいう文書を山のように作成していたのも、概ね深夜だったなあ。

 労組幹部は、労働者の権利を守るため、拡大するために日々、闘っている。しかし、熱が入るあまりに、本人自身が過労気味になっていないか。さらには、プライベートを犠牲にしていないか。自らが労働者、生活者として過酷な日々を送っていたとしたら、感謝されるどころか「ああはなりたくない」と言われるかもしれない。「おまいう案件」そのものである。・・・・

 

2019年11月19日 (火)

児童手当の雇用システム的意味

財務省が誤ったデータをもとに児童手当の削減を主張していたということで、そのデータ元の厚生労働省もろとも批判されています。データミスが批判されるのは当然ですが、むしろ、この件の背後には、会社がそのぶんまで年功賃金を支払ってくれているんだから、国の児童手当なんてそもそもまともに役立っているはずないだろうという、ある時期までの日本社会ではかなり一般的であったであろう発想が濃厚にあるように思われます。だからこそ、財務省の担当者はデータは間違いだったとしても見直しの議論は進めるといっているわけで、そこのところの問題の根っこを議論せずにデータミスの問題だけにしてしまうのは、むしろもったいない論点であるように思われます。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/child-allowance_jp_5dce036ce4b0294748146e14

26184472_1 この問題については、『日本の雇用と中高年』の最後の章でやや詳しく論じていますので、そこのところを部分的に引用しておきます。

・・・1960年代までは経営側も政府も日本型雇用システムに対しては批判的で、職務給への移行を唱道していました。労働側が程度の差はあれそれにためらいがちであった最大の理由は、それが「特に中高年齢層の賃金を引き下げ」るものだったからです。年功制による中高年の高賃金を引き下げて困るのはなぜでしょうか。子供の養育費や教育費、住宅費など家族生活を営む上で必要なコストをまかなえなくなるからです。しかし、考えてみれば、欧米諸国でもそうした費用は同じようにかかるはずです。職務給の国では、いったいそれらをどのようにまかなっているのでしょうか。・・・・・ 

 この年齢別賃金と生計費とのギャップはどのようにして埋められているのでしょうか?白書は当時のフランスの児童手当についてやや詳しく説明しています。・・・・・ 

 このほか住宅費用についても詳しく説明していますが、これらを裏返していえば、欧州諸国では公的な制度が支えている子供の養育費、教育費、住宅費などを、日本では賃金でまかなわなければならず、そのために生計費構造に対応した年功賃金制をやめられなくなっているということが窺われます。
 こうしたことは、実は1960年代には政労使ともにほぼ共通の認識でした。それゆえに、ジョブ型社会を目指した1960年代の政府の政策文書では、それにふさわしい社会保障政策が高らかに謳いあげられていたのです。
 例えば、1960年の国民所得倍増計画では、「年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、すべての世帯に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう」と書かれていますし、1963年の人的能力開発に関する経済審議会答申でも、「中高年齢者は家族をもっているのが通常であり、したがって扶養手当等の関係からその移動が妨げられるという事情もある。児童手当制度が設けられ賃金が児童の数に関係なく支払われるということになれば、この面から中高年齢者の移動が促進されるということにもなろう」とされていました。
 しかし、ようやく1971年に児童手当法が成立したころには時代の雰囲気は変わりつつあり、その後は日本型雇用システムを望ましいものと評価する思想が強くなる一方でした。その中で児童手当は、「企業に家族手当があるのにそんなものいらない」という批判の中で細々と縮んでいくこととなります。高度成長期の問題意識も失われ、教育費や住宅費は賃金でまかなうのが当たり前という社会が強化されていったのです。

 ところが、1970年代以降の年功賃金への高評価は、それがそもそも立脚していた生計費をまかなうための生活給であるという原点を隠蔽する形で進んでいったのです。
 かつて政府や経営側が職務給を唱道していたときには、労働側の反論は「それでは中高年は生活できない」というものでした。そうであればこそ、それなら中高年の家庭生活を維持できるような社会保障制度を確立しなければならないという議論につながり得たわけです。
 ところが、1970年代以降に労働経済学で主流となっていった知的熟練論では、そもそも中高年が高賃金となっているのは生計費をまかなうためなどという外在的な理由ではなく、労働力そのものが高度化し、高い価値のものになっているからだと、正当化理由が入れ替わってしまっていたのです。その意味では、労働の価値自体にはあまり差はないのに、生活のために高い賃金をよこせと言わざるを得ない後ろめたさを感じていた中高年労働者にとっては、大変心地よいロジックを提供してくれるものだったと言えるかも知れません。しかし、好況期にはそのロジックを信じている振りをしている企業であっても、いざ不況期になれば、「変化や異常に対処する知的熟練という面倒な技能を身につけ」たはずの中高年労働者が真っ先にリストラの矛先になるのが現実でした。
 まことに皮肉なことに、生計費ゆえのかさ上げではなく労働力の価値が高いから高い賃金をもらっているはずだったのに、企業からそれだけの値打ちがないと放擲されてしまった中高年労働者は、本人の能力が低かったからそういう目に遭うのだという形で問題が個人化されてしまい、生計費がかかる中高年労働者の共通の問題としてそれを訴える道筋が奪われてしまうという結果になってしまうのです。中高年に心地よいロジックの裏側には罠が仕掛けられていたというべきでしょうか。
 そしてその罠のマクロ的帰結は、1960年代まではあれほど熱心に論じられていた中高年労働者の生計費をまかなうための社会保障制度という領域が、その後はほとんど議論されなくなってしまったことでしょう。

・児童手当の迷走

 1960年代には年功賃金制を是正するための切り札として、国民所得倍増計画をはじめとする累次の政府の政策文書で、児童手当に対して熱いまなざしが注がれていました。ところが、ようやく1971年に児童手当法が成立する頃には、世の中の雰囲気は変わりつつあったのです。
 児童手当は被用者については使用者拠出を主とする社会保険制度として設計されました。ですから制定当時は第5の社会保険と呼ばれたのです。医療、年金、労災、失業に続く第5の社会保険です。しかし、財政当局の姿勢が厳しく、所得制限が付けられた上、第3子以降にのみ月3000円(1975年以降は月5000円)支給されるという形での出発でした。当時は「小さく産んで大きく育てる」と言われたようですが、その後の推移は小さく産まれた子供をさらに収縮させていったのです。対象年齢が義務教育終了までとなった1974年は、日本の雇用政策の方向性が企業主義に大きく転換する潮目でもありました。その後は財政当局や経営側から、児童手当の廃止論が繰り返し叫ばれるようになります。
 たとえば、1979年の財政制度審議会報告は、日本では養育費の社会的負担という考え方はなじみにくい上に、賃金体系が家族手当を含む年功序列型の場合が多く、生活給の色彩が強いので、児童手当の意義と目的には疑問があると述べています。年功賃金をなくすために児童手当が必要と謳っていた60年代とは打って変わり、年功賃金があるから児童手当なんか要らないという議論が大手を振ってまかり通るようになっていたわけです。
 その後の児童手当は、少子化対策の一環として出産奨励的な色彩を強めつつ、対象年齢が引き下げられていきました。1986年からは第2子から、1991年からは第1子から支給されるようになる一方、支給対象年齢は9歳、5歳、4歳、3歳と引き下げられていったのです。子供の養育や教育にお金がかかる時期を公的に支援しようという発想は、もはやなくなっていたと言えましょう。象徴的なのは、1997年に介護保険法が制定されたとき、当時の厚生省はこれを第5の社会保険と呼んだのです。30年近く前に作られた児童手当は、このときにはもはや社会保険の座から失脚していたということなのでしょう。
 2000年代に入ると、再び支給対象年齢が引き上げられていきます。6歳まで、9歳まで、12歳までと徐々に引き上げられていくとともに、2007年には3歳までは月1万円となりました。そして、2009年に政権についた民主党は、そのマニフェストで「中学卒業までの子ども1人当たり年31万2000円(月額2万6000円)の「子ども手当」を創設する」と訴え、2010年にはその半額の1万3000円で中学卒業まで所得制限のない制度となりました。
 当時私は、民主党政権の課題を論じた文章(「労働政策:民主党政権の課題」『現代の理論』21号)の中で、こう述べました。

 まずは、一見労働政策とは関係なさそうに見えるマニフェストの第2「子育て・教育」である。選挙戦でもっとも華々しく論じられた子ども手当の創設は、育児や教育にかかる費用は個別正社員の生活給でまかなうのではなく、公的な給付として社会全体で支えていくという正しい方向性を示している。実はこの方向性は50年近く前の国民所得倍増計画で明確に示されていたものであり、それを受けて1971年に児童手当が創設されていた。ところがその後「企業に家族手当があるのにそんなもの要るのか」という批判の中で細々と縮んでいき、ようやく最近になって拡大の方向に転換したところである。半世紀前に提起されていた課題に、今ようやくスポットライトが当たり始めたというべきであろう。

 ところが、この制度に対して野党の自民党やマスコミからバラマキ政策だという批判が投げかけられると、民主党政権はあっさりと子ども手当を廃止し、2012年からもとの児童手当に戻してしまいました。彼ら自身も、これを選挙目当てのバラマキ政策だとしか考えていなかったことが露呈したわけです。私が「正しい方向性」などと褒めたのは、とんだ見当外れだったようです。

 

2019年11月18日 (月)

経団連は厚生年金保険の適用拡大に賛成

去る11月13日付で、経団連が「経済成長・財政・社会保障の一体改革による安心の確保に向けて~経済構造改革に関する提言~」というのを公表しています。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2019/098_honbun.pdf

例によってSociety5.0から始まって(個人的にはこの言葉あんまり好きじゃなくて、Industry4.0第四次産業革命という言い方の方がぴったりするんですが、それはともかく)、わりと総花的にあれこれ書かれていて、その中には、こんなちょっと「?」がつくような一節もあったりしますが(なんでジョブ型にしたらエンゲージメントが高まるのかよくわからない。別の軸の話でしょう)、

また、企業が生産性を向上させ、持続的に活力を生み出していくためには、働き手のエンゲージメント25を高める必要がある。そのために、個々人が能力を一層発揮しながら働けるよう、雇用システムの変革が重要となる。今後、企業においては、従来のメンバーシップ型雇用26に加えて、ジョブ型雇用27のさらなる活用に向けた検討が求められる。政府においては、個々人の能力の発揮や希望の一致につながる形で、柔軟な働き方の拡大や人材移動の円滑化を推進すべきである。 ・・・

ここではそっちじゃなく、社会保障の話から:

①年金制度改革
現在でも、多様な人材がそれぞれの選択に基づく様々な働き方を行っているが、今後ともこの傾向は続くことに加え、高齢者の就労期間の延長も進んでいる。こうした中、公的年金制度として、年金財政への影響を中立的にすることを前提に、まずは受給開始年齢の選択67をより弾力化していく必要がある。あわせて、高齢者に限らず、働き方や家族のあり方が大きく変化し、働きたい人が就労調整を行うことを意識しないで働くことができる環境を整える必要性が高まっていることから、企業規模要件の見直しをはじめ、被用者保険の適用拡大を進めるべきである68。その際、中小企業の生産性向上に関する支援策を講じることが求められる。
なお、在職老齢年金制度69の廃止によって、高齢者の就業促進を図るという意見がある。しかし、その単純な廃止は、過去の提言で述べてきたとおり、平均的な現役世代に比べ恵まれた年金受給者の給付を増やすことを意味し、真に必要な人への給付の重点化には相反する。65 歳以上において本制度を廃止した場合、これまでのところ、就業抑制効果は限定的といわれており、また、将来世代の年金給付水準(所得代替率70)が低下することに留意する必要がある。 ・・・

おっと、経団連は明確にパートタイム労働者への適用拡大(中小企業への拡大)を掲げてますね。パート・アルバイト多用型ビジネスモデルをいつまでも擁護しきれないという判断でしょうか。

また、在労の見直しにも大変否定的な態度であることがわかります。

2019年11月15日 (金)

副業・兼業で議論されている問題点@『月刊人事労務実務のQ&A』2019年12月号

1281691969_o 『月刊人事労務実務のQ&A』2019年12月号に「副業・兼業で議論されている問題点」を寄稿しました。

政府の「働き方改革実行計画」(平成29年3月28日「働き方改革実現会議」決定)で盛り込まれた副業・兼業の促進問題。厚生労働省はモデル就業規則にあった「許可制」の規定を「届出制」に改定するなど新たな動きもみられました。また、副業を許可制から届け出制にして認める企業の動きも見え始めました。その一方で、副業・兼業がもたらす長時間労働やそれに伴う健康管理の確保などの懸念が議論される中、この8月8日には、厚生労働省の「副業・兼業の場合の労働時間管理の在り方に関する検討会」が検討結果の報告書を公表しました。ただし、この報告書は、健康確保措置に関しては、労働者の自主申告を前提に労働時間を通算して把握し、措置を講ずることや自主申告を前提にしても通算せずに措置を講ずることなど複数の選択肢を提示するという複雑な内容となっています。そのため既に副業・兼業を認める決定をした企業や検討中の企業には戸惑いが生まれています。こうした副業・兼業をめぐる様々な問題について、労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎労働政策研究所長に解説してもらいます。

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 ここ2年余りにわたって、政府は副業・兼業の推進に大変前のめりの姿勢を示し、労働社会保険制度やとりわけ労働時間規制のあり方の見直しを進めています。今回は、この動きがどうして始まったのか、制度の見直しの方向性はどうなのか、そしてそもそもこの問題をどう考えるべきなのか、といった諸点について、包括的に概観したいと思います。・・・・・

 

『POSSE』vol.43

9784906708819_600 『POSSE』vol.43をお送りいただきました。今号の第1特集は「拡大する中高年の貧困問題」、第2特集は「外国人労働者とともに」です。後者には、台湾で外国人労働者のために活動している青年ユニオンの人も登場していて、興味深いのですが、ここでは特集以外の記事で、『日本社会のしくみ』の小熊英二さんとジョブ型論者の木下武男さんの対談を紹介しておきましょう。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784906708819

「日本型雇用崩壊」の内実から格差社会への処方箋を問い直す――ジョブ型労働運動はどんな労働者層を救うのか?
木下武男(労働社会学者)×小熊英二(慶應義塾大学教授)

ただこの対談、途中で今野晴貴さんが見かねて介入しているんですが,確かにいささか噛み合っていないところがあります。職種別労働運動を掲げる木下さんに対して、小熊さんは、欧米みたいに職種別にしたって、格差はなくならないんじゃないか、はじかれる人は変わらないんじゃないか,と問いかけています。それはまったくそうなんですが、問題点が少しずれている感はありますね。

◆第一特集「拡大する中高年の貧困問題」
子どもの貧困からワーキングプアへ――貧困を拡大再生産するシステムのループから脱出するために
渡辺寛人(本誌編集長)

女性の視点から考える中年フリーター問題――保育労働市場の改善と地域拠点としての保育所の必要性
小林美希(ジャーナリスト)

「男性世帯主依存モデル」の歪みの総決算としての中高年女性の貧困
竹信三恵子(ジャーナリスト)

仙台発の「大人食堂」――ワーキングプアの集まる場の創出
森進生(仙台けやきユニオン代表)

賃金低下がもたらす中高年世代の困難と社会的危機――ワーキングプア論をアップデートして新たな運動の構築を
後藤道夫(都留文科大学名誉教授)

◆第二特集「外国人労働者とともに」
私から見た、ふるさと日本のいま
ナディ

「失踪」した外国人労働者はどこにいったのか?――外国人が「逃走」ではなく「闘争」できるために
巣内尚子(ジャーナリスト)

外国人技能実習生を守るための新たな試み――SNSを駆使した「相談室」の取り組みと支援の輪
榑松佐一(愛知県労働組合総連合(愛労連)前議長)

台湾における若者の労働運動と外国人労働者の組織化――台湾青年ユニオン95と桃園市家事労働者労働組合
周于萱(台湾青年ユニオン95)×黃姿華(桃園市家事労働者労働組合)

グローバリゼーションと低賃金移民労働者――21世紀における人の移動が抱えるジレンマ
伊豫谷登士翁(一橋大学名誉教授)

◆単発
書評 斎藤幸平 編
『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐』
本誌編集部

とあるIT企業の面接へ行ったらラブホに連れ込まれそうになった話
笹川めめみ(コミックエッセイスト)

「日本型雇用崩壊」の内実から格差社会への処方箋を問い直す――ジョブ型労働運動はどんな労働者層を救うのか?
木下武男(労働社会学者)×小熊英二(慶應義塾大学教授)

プラットフォーム型労働に対する法的保護のあり方をめぐって――ウーバーイーツユニオンの結成を支えた弁護士に聞く
川上資人(弁護士(早稲田リーガルコモンズ法律事務所))

「スト破り」に負けずに闘おう!――佐野SAの闘争から考えるストライキ権の行使
本誌編集部

地域社会に根ざした労働運動とは――富山県農業協同組合労働組合と地域の連携
篠島良幸(富山県農業協同組合労働組合書記長)

育児のモヤモヤから労働と社会をとらえ直す
常見陽平(千葉商科大学国際教養学部専任講師)

沖縄におけるブラックバイト――解決事案を通して考える深刻な実態
ブラックバイトユニオン

◆連載
My POSSE ノート page7

貧困研究の視点から社会を探る 第2回
女性の貧困と性搾取
岩田正美(日本女子大学名誉教授)×仁藤夢乃(女子高生サポートセンターColabo代表)

[新連載]現代韓国フェミニズム 第1回
#MeToo ムーブメント前夜・ミソジニーへの抵抗
古橋綾(東京外国語大学非常勤講師)

[新連載]映画のなかに社会を読み解く 第1回
天気の子
西口想(文筆家・労働団体職員)×河野真太郎(専修大学教授)

社会を変えるのは私たち 第4回
大学を、社会を、変えるために何ができるのか?――学生アクティビスト座談会(上)
大澤祥子(一般社団法人ちゃぶ台返し女子アクション共同代表理事)

知られざる労働事件ファイル No.16
川崎の自動車製造下請2社でフィリピン人労働者を組織化
ジェローム・ロスマン(東ゼン労組) 

この最後のロスマンさんは、アメリカではSEIUのオルグをしていたんですが、日本に来て英会話教室の講師をした後東ゼン労組のオルグとして活躍しているそうです。オルグの血が騒いだんですね。

この東ゼン労組、聴いたことがあると思った方、そう、JIL雑誌9月号を紹介したときに、奥貫妃文さんが委員長をしている全国一般東京ゼネラルユニオンのことに触れましたが、その東ゼン労組ですね。

ロスマンさんは川崎の大手自動車メーカーA者の下請二社でフィリピン人労働者を組織し、労使交渉によっていろいろと勝ち取ってきています。しかし彼の目標は高く、

・・・私の戦略は、この二つの支部でストライキを行うことで、B社に対する交渉力を高めるというものです。川崎地域で自動車部品の梱包業務をしている労働者全員が労働組合に加入して大きなストライキを行えば、B社からの請負料金を高くすることができるはずです。・・・・

と、述べています。

2019年11月14日 (木)

研究者の「働き方改革」と自由な研究時間確保の両立についての日本学術会議幹事会声明

Scj 11月7日付で「研究者の「働き方改革」と自由な研究時間確保の両立についての日本学術会議幹事会声明」が出されています。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-kanji-3.pdf

これ、本ブログでも8月にNHKニュースウェブと白井邦彦さんの論文をネタにちょっと考えてみたことですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-32b896.html (大学教授の労働時間概念)

・・・白井さんはかなり幅広く労働法の文献を読まれた上で(参考文献にはジンツハイマーまで出てきます)、大学教員に今回の働き方改革関連法で義務づけられた「労働時間の状況の把握」をそのまま適用するのは無理があると主張しています。

今回は日本学術会議という学者先生の本丸が乗り出してきています。

一般労働者向けの働き方改革を下手に我々研究者に適用されたりしたら、自由な研究時間確保ができなくなる!という危機感に溢れています。

ここでは、その本論部分を要約せずにそのまま引用しておきます。

・・・学術研究は、いうまでもなく研究者の自由な意思に基づく活動であって、組織的な指揮命令によって遂行される業務とは性格を異にしている。研究者の自由な学術研究活動が阻害されるようなことがあっては学術研究の停滞を招くのみならず、誰もが生きがいを持ってその有する能力を最大限に発揮できる社会を創るという「働き方改革」の趣旨にも反することとなる。
 研究者には、既に裁量労働制の活用が進められている。その趣旨は、研究状況に応じて労働時間を研究者自身が自由に設計することにある。研究時間は、週や月単位で一律に管理されるべきものではなく、学術研究の性格や進捗状況に応じて研究者自身によって自由に設定されるべきである。しかし、労働行政による裁量労働制の運用が必ずしも学術研究活動の実態に即していないという指摘が多くの大学等の関係者からなされている。
 学術研究活動の自由は最大限尊重されなければならず、勤務時間管理についても学術研究の特性に配慮した取り扱いが望まれる。学術研究の拠点である大学には、自由な学術研究を支えるために大学の自治が認められている。むろん、大学には自治に伴う責任があり、制度を適切に運用しなければならないことは言うまでもないが、自由な学術研究活動として行われる活動に割り当てられる時間を労働時間に入れるかどうかの判断は、大学や研究者の判断を尊重するべきである。大学の自治を尊重し、学術研究の当事者の納得性を基本とした制度の運用が望ましい。
 今般の法改正で導入された高度プロフェッショナル制度については、厚生労働省の通達で大学の学術研究が対象業務から外されている。大学の研究者は最も高度なプロフェッショナルということができるが、現行の高度プロフェッショナル制度についてはその是非を含め様々な議論がある。今後の検討においては、裁量労働制との関係を含め、大学の研究者の自由な学術研究活動に資する方向での検討を求めるものである。
 学術研究を活性化し研究環境のダイバーシティーを確保するためには、女性、外国人、障がい者が活躍することのできる研究環境を整えることが必要である。我が国の研究者が欧米の研究者に比べて長時間労働である傾向も指摘されるところであるが、「働き方改革」の観点からも、短い労働時間で高い研究力を獲得する仕組みを大学等の研究機関が組織として整えていかなければならない。・・・

裁量労働制については、実は今の大学教授たちの大部分は本当は適用できないのが実情でもあり、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-cce81a.html (研究時間が3割の大学教授は専門業務型裁量労働制が適用できない件について)

本気で見直そうとすれば、結構大変な話でもあります。

日本学術会議としては、せっかく昨年の改正で作られた高度プロフェッショナル制度が、企業部門では不人気のようなので、それなら自分らのために使えるようにしてくれというのが本音の要求のようです。

客観的な事情を考えれば気持ちはよくわかるところではありますが、猛然と高プロに反対していた方々はどうされるのか、いささか興味深いところではあります。

 

 

 

2019年11月13日 (水)

「働かないおじさん」視線 おびえる記者が専門家に聞く@朝日新聞デジタル

As20191112004348_comm 朝日新聞デジタルに、浜田陽太郎記者による私へのインタビュー記事が掲載されています。曰く:「働かないおじさん」視線 おびえる記者が専門家に聞く・・・・ときたもんだ。

https://www.asahi.com/articles/ASMBV3V8KMBVULFA002.html

昨日の「動けぬ「会社の妖精さん」」という記事の延長線上なので、リンク先のてっぺんには中年の妖精さん?らしき変なのが宙を舞っていますな。

「働かないおじさん」として若者から冷たい視線を感じてしまう53歳の記者が、独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)研究所長の濱口桂一郎さんに聞きました。 

――私は昔のような体力はありませんが、健康である限り働き続けたい。でも、それがかなうような社会になるんでしょうか。

 「まず聞きたいのですが、あなたはいま、給料に見合うような仕事をしていますか」

――(しばし沈黙)。この質問に胸を張って答えられないところが……。

「そうでしょうね。年功で賃金が上がっていく日本の制度だと、中高年になれば貢献よりも報酬が高すぎる状況が生まれやすい」

「でも、勘違いしないでください。私は『若者に比べて、日本の中高年サラリーマンは既得権にしがみつき、いい目を見ているからけしからん』と言っているわけではありません。世代間の対立や分断をあおる言説は非生産的です」・・・・・

 

2019年11月12日 (火)

動けぬ「会社の妖精さん」@朝日新聞

今朝の朝日新聞の3面に、「老後レス時代」という連載記事の「動けぬ「会社の妖精さん」」というタイトルの記事の中で、ちょびっとだけコメントしています。

ちなみに、会社の妖精さんというのは、「メーカーに勤める50代後半で、働いていないように見える男性たち」のことだそうです。

 

2019年11月11日 (月)

野川忍・水町勇一郎編『実践・新しい雇用社会と法』

L24319 野川忍・水町勇一郎編『実践・新しい雇用社会と法』(有斐閣)を、執筆者の一人である長谷川珠子さんよりお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641243194?top_bookshelfspine

働き方改革関連法により,長時間労働の是正や多様な働き方実現のための新たな施策等が導入される。本書では,実務に精通した研究者が,契約締結から終了にいたるプロセスの中で実際に問題となりうるケースを用いて,労働法実務の今後を描き出す。

というわけで、以下のような内容と執筆陣です。

第1章 労働契約の成立と若者・高齢者雇用(小西康之・山下 昇)
第2章 パート・有期雇用(野川 忍・水町勇一郎・北岡大介)
第3章 派遣労働(橋本陽子)
第4章 雇用平等・障害者差別の禁止(長谷川珠子)
第5章 人事制度(土田道夫)
第6章 労働関係の変動,企業における人格的利益,ハラスメント(水町勇一郎・大橋 將)
第7章 労働時間(山本圭子)
第8章 労働者の傷病,労働災害・メンタルヘルス(北岡大介・鎌田耕一)
第9章 労働契約の終了・退職金・年金(原 昌登・渡邊絹子・北岡大介)
第10章 国際化への対応(早川智津子)
第11章 今後の労使関係(野川 忍)
鼎談:雇用社会における労使関係の将来展望(菅野和夫・逢見直人・荻野勝彦)  

この目次を見たら、なんと言っても最後の鼎談に興味をそそられるでしょう。我らが労務屋こと荻野勝彦さんが、各方面にわたってやや慎重な言い回しながら持論をぶちかましています。

荻野 日本の正社員は、組織中枢から末端に至るまで、企業業績にコミットしているという意識を持っています。・・・そのためには、勤務地変更、職種変更、時間外・休日労働にも無限定で応じるわけです。・・・欧米でそうした無限定な働き方をしている人は、恐らくトップ10%程度のエリートだけで、そういう人は高い賃金と賞与を受け取る。残りの9割は決められた仕事を決められた通りにやって決められた賃金を受け取る。職務記述書と職務給の世界で働いていて、企業業績にコミットしているとは思っていない。・・・同一労働同一賃金も基本的にはこの90%の世界の話でしょう。

日本が特徴的なのは、正社員がすべてそうかは別としても、正社員が6割以上いるところで、欧米との違いは量的な違いに過ぎません。1割と9割だと比べようと思わないけれども、6割と4割だと比べたくなるというのは、気持ちとしてわからないではありませんが、やはり無理があるというか、筋が悪いと思います。そもそものスタート地点が悪いので、議論が先に行くほどまずくなる。それが派遣の話ではないかと思っています。・・・・

同一労働同一賃金という看板で進められた政策にはこのように辛口ですが、今後の方向としてはこういうみんながエリート目指して頑張る在り方に疑問を呈しています。

荻野 企業文化、風土については、頑張れば報われる、努力すれば成功するという意識が強すぎるのではないかと感じます。・・・あまりに一般的な価値観として徹底されすぎてしまうと、報われないのは頑張らないから、失敗するのは努力不足ということになってしまう。それがパワハラとか、長時間労働につながっているという面はあるのではないか。・・・

この点、私が結構以前から繰り返し言っていることなんですが、ある面で階級格差を導入せよみたいな面があって、なかなか受け入れられがたいようです。

Hyoshi17 もう7年も前に、『POSSE』17号で今野晴貴さんとの対談で、こう語ったことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-40cf.html

濱口:これはおそらく労働にかかわるいろんな人たちにとって、ややタブーに触れる議論になるんですが、ここに触れないと絶対にブラック企業の問題が解決しないと思っていることがあります。それは、エリート論をエリート論としてきちんと立てろということなんです。つまり、日本では、本当は一部のエリートだけに適用されるべき、エリートだけに正当性のあるロジックを、本来はそこには含まれない、広範な労働者全員に及ぼしています。・・・・ 

あと、この鼎談で連合会長代理の逢見さんがこうはっきりと従業員代表制の立法化に積極的な発言をされているのも、重要なポイントですね。

逢見 ・・・・非正規雇用の処遇改善についても、労使が議論もせず裁判所に丸ごと判断を任せるということではないと思います。むしろ労使で検討して解を求めていかなければいけない問題です。・・・そうすると組合のないところで過半数代表者をどういうふうに選んでいくかということの手続きが必要になります。ゆくゆくは従業員代表法制という方向に行くことになると思います。過半数代表として労働組合が機能していれば、そこは労働組合がやるし、なければそれに代わるものとして従業員代表を選んでいくというそういう枠組みで立法化するということは必要なことではないかと思っています。

 

 

 

 

 

 

2019年11月10日 (日)

労働者と自営業者の社会保護アクセス勧告

Eueu 先週金曜日(11月8日)に、EUの新たな「労働者と自営業者の社会保護アクセス勧告」が正式に成立しました。

https://ec.europa.eu/social/main.jsp?langId=en&catId=89&newsId=9478&furtherNews=yes

https://data.consilium.europa.eu/doc/document/ST-12753-2019-INIT/en/pdf

これは、今年6月に成立した透明で予見可能な労働条件指令と並んで、EUの新たな就業形態への対応を示す法政策の一つです。

その内容については、労使団体への協議の段階で『季刊労働法』260号に載せた「EUの透明で予見可能な労働条件指令案」にちょっと書きましたが、改めて今回成立した勧告の文言を見ていきますと、

3. This Recommendation applies to:
3.1. workers and the self-employed, including people transitioning from one status to the other or having both statuses, as well as people whose work is interrupted due to the occurrence of one of the risks covered by social protection;
3.2. the following branches of social protection, insofar as they are provided in the Member States:
(a) unemployment benefits;
(b) sickness and healthcare benefits;
(c) maternity and equivalent paternity benefits;
(d) invalidity benefits;
(e) old-age benefits and survivors’ benefits;
(f) benefits in respect of accidents at work and occupational diseases.
4. This Recommendation does not apply to the provision of access to social assistance and minimum income schemes.

この勧告は、労働者にも自営業者にも、というだけではなく、その間を行き来する人にも、労働者と自営業者の両方の地位を有する人にも適用されます。

具体的に加盟国がこれらすべての就業者に社会保護へのアクセスを提供するように求められる制度は、(a)から(f)まで6種類並んでいますが、(b)と(d)(e)は日本でも国民健康保険、国民年金として皆保険、皆年金となっていますが、それ以外は労働者向けの制度だけですね。

(a)失業保険、(c)出産給付、(f)労災保険を自営業者にも適用するという議論は、まだまだ日本では大きくなっていません。

もっとも、自営業者もすべて強制適用しろと言っているわけではなく、

(a) all workers, regardless of the type of employment relationship, on a mandatory basis;
(b) the self-employed, at least on a voluntary basis and where appropriate on a mandatory basis.  

労働者である限りは雇用形態にかかわらずすべて強制適用せよという一方、自営業者は少なくとも任意加入制で、できれば強制加入で、とお手柔らかになっています。

 

2019年11月 9日 (土)

『「尊厳ある社会」に向けた法の貢献』

482286 島田陽一・三成美保・米津孝司・菅野淑子 編著『「尊厳ある社会」に向けた法の貢献 社会法とジェンダー法の協働』(旬報社)をお送りいただきました。浅倉むつ子先生古稀記念論集ということで、全30人による力のこもった論集です。

http://www.junposha.com/book/b482286.html

第Ⅰ部 差別・平等と法
第Ⅱ部 雇用社会と法
第Ⅲ部 ジェンダーと法
第Ⅳ部 ハラスメントと法

全30論文のうち、私の『働く女子の運命』と問題意識が大変近かったのは、島田陽一さんの「「同一労働同一賃金原則」と「生活賃金原則」に関する覚書」です。そこで引用されている様々な文書は、私もこの問題を考える中で渉猟したものでした。

「同一労働同一賃金原則」と「生活賃金原則」に関する覚書…………島田陽一
 はじめに
一 「同一労働同一賃金」論の登場とその具体的内容
二 「男女同一労働同一賃金」論と「生活賃金」原則
 むすびに代えて

あと、読みながらものすごく考えさせられたのは、笹沼朋子さんの「業務上の自殺、あるいは精神病者の自己決定について――業務上の自殺を考察する」です。

業務上の自殺、あるいは精神病者の自己決定について――業務上の自殺を考察する…………笹沼朋子
一 問題の所在――自殺の意思
二 判例(「意思」の客観的評価)
三 精神病者の声――躁うつ病を例にして 

これは、これだけではよくわからないかもしれないですね。笹沼さんが言いたいのは、自殺を労災認定するために精神障害に陥っていたと言うことは、自殺に追い込まれた、追い込まれて自殺という決断をした本人の立場からして却っておかしいのではないかという疑問です。加害者に対する怒りに満ちた遺書を、精神障害のため書かれた無意味な文書にしてしまっていいのか、というまことに実存的な疑問なのですが、それをうかつに正面から受け止めてしまうと、意図した自殺は労災にあらずという労災保険の大原則に抵触してしまうという矛盾。自分をいじめた人間に対する復讐としての自殺を、その意図通りに受け取ってしまうと労災にならなくなり、労災認定するためには頭がおかしくなっていたからだよ、遺書は気違いのたわごとなんだよと言わなくてはならないという、この矛盾に、笹沼さんは敢然と立ち向かっていきます。

 

 

 

海老原嗣生『年金不安の正体』

9784480072658 昨日の朝、日暮里駅前で権丈善一さんとばったり出会いました。いやいやばったりじゃないです。二人ともその日、全国中小企業団体連合会(全中連)での講演を、会長の峰崎直樹さんから依頼されていたのですから。この名前記憶にありますか?5日のエントリ(ラッサールの呪縛@佐藤優)で、佐藤優さんと連合の神津会長の対談を紹介した時に出てきた方です。

佐藤 峰崎さんは一橋大学出身ですよね。社会主義協会でも将来を嘱望されて、いずれは大学で教鞭を執り、理論的主柱になってほしいと思われていた。ところが現場に行きたいと労働組合の職員になる。そこで現実を見て、やはりソ連の体制はおかしいと思って、ケインジアンに転向したそうです。 

なんでこういう話になったかというと、昨夜家に帰ると、雇用のカリスマこと海老原嗣生さんから『年金不安の正体』(ちくま新書)が届いていたからです。実はこの本、権丈節の海老原ヴァージョンという趣の本なんですね。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480072658/

いわゆる「老後資金2000万円問題」や「マクロ経済スライド」とは何か。消費税と年金の関係は。賦課方式と積立方式はどこがどう違うのか。一部で期待されるベーシック・インカムの現実度は……。国民の不平不満につけこみ、世代間の違いを不公平だと騒ぎ立て、少子高齢化で年金制度が崩壊するなどと危機感を煽る。それらのほとんどは誤解や無理解から起こっているのだが、なかには明らかなフェイクも含まれている。不安を利益に変える政治家や評論家、メディアのウソを暴き、問題の本質を明らかにしよう。  

権丈節と海老原ヴァージョンは、問題意識において全く共通していますが、あえて言えば揶揄攻撃する相手にややずれがあるといえます。権丈さんはやっぱり学者なので、経済学者でございという看板を掲げながら嘘や大げさで危機を煽り立てた学者たちに主として照準を合わせます。「焼け太り」ならぬ「負け太り」という皮肉なフレーズもありましたっけ。

それに対して、海老原ヴァージョンの方は、もちろん学者も標的に挙げられていますが、一番叩かれているのは無責任な政治家たち、とりわけ旧民主党系の政治家たちです。その舌鋒の鋭さは例えばこんな感じです。第4章「ウソや大げさで危機を煽った戦犯たち」から。

「とにかくデタラメ」の一語に尽きる。2009年に政権の座に上り詰めた旧民主党が、年金制度に対して示した方針が、だ。そのあまりの酷さについて振り返ることにしておく。・・・

・・・2017年9月の解散総選挙では、当初よりマニフェストに疑問を抱いていた前原氏が敵役に転落し、遅きに失した感はあるが非を認めた野田氏と岡田氏は無所属で不遇をかこつこととなった。対照的に、終始一貫いい加減なことを言い放ち、その発言を訂正も謝罪もしなかった枝野氏が、民進党などと合流した希望の党の”排除の論理”を覆したヒーローとしてもてはやされた。・・・かつての政治的不見識・不誠実など忘れてしまう人の好さに呆れかえるばかりだ。

気になるのは、自他ともに認める「ミスター年金」長妻昭氏の言動だ。・・・・彼は、年金の制度や理論に関して全く言及したことがないだけだ。ミスター年金と言われながら、その実やっていたのは年金記録の消失いわゆる「消えた年金問題」に対して追及をしていただけなのだ。この問題も決して捨て置くべき話ではないが、年金財政にとって九牛の一毛ほどの微額にとどまる。そこに食らいついただけで、制度や理論には何の言及もせず、政権奪取後は論功行賞で厚労大臣の座を射止める。

こんな政治がまかり通るはずなどない。その後に民主党は衰亡の道を歩んだのも当然の結果だろう。

ここまで舌鋒鋭く旧民主党の政治家を糾弾する姿を見ると、別段そんな政党を弁護する義理などありませんが、いやいや旧民主党にもちゃんと物の分かった政治家はいたんですよと一言申し上げたくもなります。ただ、残念なことに、この党においては、一番上で出てきた峰崎さんをはじめとするそういうものの分かった方ほどさっさと政治家を引退されてしまい、どうにもこうにも始末に負えないタイプの空疎なポピュリスト的傾向の方ほど政界に居残って、後継政党の年金政策を歪め続けているんですね。

そういう人々はたぶん間違っても、権丈さんや海老原さんを呼んで一から年金制度を勉強しなおし、かつての過ちを悔い改めるなどということはしないのでしょう。

というわけで、本書はいつもの海老原さんの本とは一風違っていますが、権丈さんの本でもなかなか難しくてとっつきにくいというような方々には、とてもいい入門書になっていると思います。

ただ、やや細かいことですが、事実関係で一点だけ指摘しておきたいことが。

76ページに、「1986年までは30人未満の中小企業は厚生年金加入義務はなかった」と書かれていますが、いやいや1985年改正は、それまで適用対象外だった5人未満事業所を対象に入れたんです。30人規模で線引きしたら、それ以下は労働者数の約3分の1ですからね。基礎年金の導入など大改正のついでにやれるほどの生やさしいものではないでしょう。

なお玄人向けに正確に言えば、この改正は厚生年金保険法第6条第1項の各号列記の本文には5人以上の要件を残しながら、第2項の「法人」に当たれば5人未満でも適用になるという、いささか技巧的なやり方をしています。そのため現在でも厚生年金の適用事業所は説明のつきにくいねじれが存在しており、今回も懇談会での検討課題に挙がっていたはずです。

 

 

 

2019年11月 8日 (金)

金融プラスフォーラム第9回研究報告会

A1bb866bb34624b950ed8f7935caf7cc_f461ec5 金融プラスフォーラムという団体に呼ばれて、その第9回研究報告会でお話しをすることになりました。

https://financeplusforum.amebaownd.com/posts/7242523

 金融プラス・フォーラム「第9回研究報告会ご案内(最終案内)」を送付させていただきました。今回は労働問題の第一人者である濱口桂一郎先生(労働政策研究・研修機構研究所長)をお招きし、「人生100年時代の雇用と労働」と題して報告して頂きます。報告内容については下記の通りですが、先生の経歴や著書にみられますように労働法から労働政策、ジェンダーから高齢者問題、その他時論的話題を含めて極めて幅広く、「国際比較の観点と歴史的パースペクティブ」からのリアリティある報告になると思われます。当フォーラムでは一部有志による団塊ジュニア世代に焦点をあてた新研究を今夏に立ち上げたところですが、「メンバーシップ型とジョッブ型」の提唱者として知られる先生から次の雇用システムについても示唆に富む話をお聞かせいただくことができるのではないかと考えています。「新産業革命の進展や少子高齢化などにより経済社会は大きな転換期を迎えている」(会則第3条)との認識のもと、これまで最先端の先生方を講師としてお招きしご意見を伺ってきましたが、今回は「雇用と労働」に焦点をあてました。質疑応答や懇親会の場を借りて活発な議論を期待したいところです。・・・・

 

 

2019年11月 6日 (水)

『社会のためのデモクラシー』

9784779150715 網谷龍介さんより、網谷さんも2章執筆されている『かわさき市民アカデミー双書 6 社会のためのデモクラシー ヨーロッパの社会民主主義と福祉国家』(彩流社)をお送りいただきました。小川有美さんが総論を書き、宮本太郎さんがスウェーデン、水島治郎さんがオランダ、網谷龍介さんがドイツという、鉄壁の布陣です。

http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-5071-5.html

ただ、もとは2014年にかわさき市民アカデミーで開講された「社会民主主義と福祉国家-ヨーロッパと日本から」の講義録であるということもあり、この激変の5年間の後の視点から見ると、いささか古くなってしまっている面もあります。特に、ドイツではこの間、AfD(ドイツのための同盟)が急速に勢力を伸ばし、社会民主党は縮む一方ということもあり、オランダ編で水島さんが強調している新右翼ポピュリズムとどこが共通でどこが違うのかといった話を聞きたかった感が残るのはやむを得ません。

ほんとに、ヨーロッパの社会民主主義政党は、20年前の元気良さがどこに行ってしまったのかと思うくらい、ほぼどこでも元気がありませんね。コービンのイギリス労働党も支持率は低迷気味のようだし。

とはいえ、意外にも現在でも欧州各国で社会民主党は結構与党に参加しているんですよ。欧州社会党のサイトによると、ポルトガル、フィンランド、デンマーク、スウェーデン、スペイン、マルタ、スロバキア、ルーマニアで首相を出しています。

https://www.pes.eu/en/about-us/leadership/

また、つい先月の10月24日にも「デジタル経済における労働者の権利」(Workers’ rights in the digital economy)という社民党雇用社会相宣言を出しています。少なくとも、極東のどこかの国の労働組合の支持を受けているはずの政党よりはずっとこういう問題に敏感なようです。

https://www.pes.eu/export/sites/default/.galleries/Documents-gallery/PES-Statement-digital-EPSCO-241019.pdf_2063069299.pdf

・・・We are all getting used to ordering services on a phone app or goods via the internet. But let’s be clear: a teenager delivering meals on a bike is not an entrepreneur, neither is a mother of four children, driving people through the city after her day-job in order to make ends meet. We need to ensure that those people are neither treated as start-ups in the making nor as second-class workers, but with the respect and rights they deserve.
It is obvious that the labour market of the 21st century can’t be the resurrection of the labour market of the 19th, with a digital lumpenproletariat working paid per task, without social protection and without knowing if they will get enough work to make a living.・・・・

我々はみんなスマホアプリでサービスを、インターネットで商品を注文するのに慣れてきている。しかしはっきりさせよう。バイクで食べ物を配達する十代の若者は企業家じゃないし、4人の子供を抱えて生計を立てるために昼間の仕事の後で市内で客を乗せて運転するお母さんも企業家なんかじゃない。我々はこれらの人々を創立途中の新規企業とも二流の労働者とも扱うのではなく、それにふさわしい尊敬と権利を持って扱う必要がある。

21世紀の労働市場は、タスクごとに賃金が払われるデジタル・ルンペンプロレタリアートが、社会保護もなく生計を立てるために十分な仕事を得られるかどうかもわからないような、19世紀の労働市場の再臨であってはならない。・・・・

 

ふむ、デジタル・ルンペンプロレタリアートか、いい言葉見つけたな。

 

 

2019年11月 5日 (火)

ラッサールの呪縛@佐藤優

1910290555_1714x476 デイリー新潮で、連合の神津会長と佐藤優さんの対談が載っています。

https://www.dailyshincho.jp/article/2019/10290555/?all=1

冒頭のあたりも、社会主義協会の先輩の峰崎直樹さんと意気投合したとか、神津さんの教養学科アジア科時代の卒論が宮崎滔天だったとか、関係者には面白いややトリビアな話が詰まっていますが、その辺はリンク先をそれぞれにじっくり読んでいただくこととして、今日的関心からするとやはり最後のあたりの消費税をめぐる論議が重要です。

佐藤 それでは、連合は消費増税なのか国債の発行なのか、どちらなんでしょう?

神津 私は国債だけを選択肢にすることはできないと思っています。これだけの借金の積み上がりを見ると、返済不能ということも大いにありうる。財政破綻で真っ先に悪影響を被るのは、私たち労働者であり、制度なら社会保障と教育です。労働組合の立場からすると、破綻の可能性を織り込んだ選択は取るべきじゃない。

佐藤 よくわかります。

神津 かたや消費税ですが、政策要請で「消費増税は予定通りやってください。ただし軽減税率はダメです」と要請しました。ところが消費増税賛成とだけ世の中にメッセージが伝わってしまい、連合に批判が寄せられました。消費税でなくてもいいんです。負担の構造がきちんと担保されるのなら別の税目で構わない。ブログなどでもそう発信したんですが、所得税の累進性はこれでいいのか、法人税も国際競争のために低くしているがこれが妥当なのか、あるいは金融取引の税でもこの税率でいいのか、などいろいろな議論が必要です。

佐藤 今は税率を低くして金融取引を奨励し、それでGDPをかさ上げしようとしていますからね。

神津 社会保障や教育を、どう財政的に担保していくのか。そのトータルの姿が与党も野党も描けていない。

佐藤 理念としては、高福祉高負担か、低福祉低負担の二つがある。でも中途半端にやっていると中負担低福祉みたいなことになってしまう。

神津 それが実際の姿じゃないですか。

佐藤 行政への不信がある限りは、将来への不安から、手元に少しでも可処分所得を残しておきたいというのが国民心理ですからね。増税反対は致し方ないところがある。

神津 それで悪循環に陥るんです

ここまでは、しかし、よく言われていることです。この後に、佐藤優さんが持ち出しているこれが、とかく古典的な左翼の人々が陥りがちな傾向をよく示しています。

 佐藤 消費税については、すぐ機械的に、高所得者より低所得者の税負担率が大きくなり、逆進性が強いと言う人がいますね。その起源は19世紀にプロイセンの社会主義者ラッサールが書いた『間接税と労働者階級』だと思うんです。でもあの時代の間接税は、再分配が想定されていない。集めたお金は軍事や治安に使う時代でした。だから当時の感覚で消費税を考えてはダメで、増税分が所得の低い層にどう再分配されるかを見ないといけない

Lassalle なるほど、古典的な左翼の人々がやたらに消費税を目の敵にしたがる根源には、ラッサールがあったとは!

 

 

 

 

 

2019年11月 4日 (月)

菊池桃子さんについてのエントリ

菊池桃子さんが新原浩朗氏と結婚したというニュースが流れてきたので、

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201911040000441.html

 女優菊池桃子(51)が4日、ブログを更新し、交際していた一般男性との結婚を発表した。
関係者によると、お相手は経済産業省経済産業政策局長の新原浩朗氏(にいはら・ひろあき=60)。「働き方改革」や「幼児教育無償化」などに取り組み、近い将来の事務次官候補と言われるエリート官僚だ。交際期間中から2人の子どもの後押しもあり、離婚から約7年半を経て、再婚を決意した。・・・・・

本ブログでかつて菊池桃子さんを取り上げたエントリを再掲しておきましょう。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b5ce.html (あまりにもアカデミックすぎた菊池桃子さん)

Lif1510290029p1マスコミは、内田樹氏みたいな学生を呪うしかできないようなのを偉い「学者」扱いする一方で、菊池桃子さんみたいな雇用問題に見識を持つ人はいつまで経っても「タレント」扱いしたがるという抜きがたい偏見がありますね。

確かに出発点は「パンツの穴」だったかも知れないけれど、戸板女子短大客員教授でキャリア権推進ネットワーク理事の彼女をタレント枠に入れるのは、内田樹氏を学者枠に入れるのと同じくらい違和感があります。

まあ、それはともかく、産経新聞にこんな記事が:

http://www.sankei.com/life/news/151029/lif1510290029-n1.html(菊池桃子氏が名前に「ダメ出し」 1億総活躍国民会議初会合 「ソーシャル・インクルージョンと言い換えては?」 記者団とのやり取り詳報)


「はい。1億総活躍のその定義につきましては、ちょっとなかなかご理解いただいていない部分があると思いますので、私の方からは、1つの見方として、言い方として『ソーシャル・インクルージョン』という言葉を使うのはどうでしょうかと申し上げました。ご存じのとおり、ソーシャル・インクルージョンというのは、社会の中から排除する者をつくらない、全ての人々に活躍の機会があるという言葉でございまして、反対の言葉は、対義語は「ソーシャル・エクスクルージョン」になります」

「今、排除されているであろうと思われる方々を全て見渡して救っていくことを、あらゆる視点から、今日各大臣がご参加いただきましたので、考えていただきたいと、そのように申し上げました」

彼女の過ちは、マスコミや政治家のレベルを高く見積もりすぎているという点であって、おそらくこの「ダメだし」記事を書いた記者も含めて、ソーシャル・インクルージョンといってもあまり理解していないようです。もちろん、社会政策学会とかそういう所に行けば、当たり前に通用しますが、どこでも通用するわけではない。

あまりにもアカデミックすぎる言葉遣いをすると、それについて行けない人々にちゃんと理解されないというリスクを負います。皮肉なことですが。

ちなみに、お相手の新原氏については、官邸時代の彼が牛耳ったあれやこれやに関するエントリは山のようにありますが、直接言及しているわけではないので、特に挙げることは控えておきます。

 

 

 

 

2019年11月 2日 (土)

入試英語の社会的存在感

大学入試などという問題が政局を揺るがすほどの問題になる国といえば、入試をめぐるスキャンダルでぱく・くね大統領が失脚し、むん・じぇいん大統領も揺らいでいるお隣の韓国が筆頭ですが、この日本もここ数日の動きを見ていると、大学入試というものの社会的存在感が異様に大きな国の一つなんだなあ、と改めて感じます。

興味深いのは、これからのグローバルなビジネスでは英語の能力、それも読む、書くだけではなく、聞く、話す能力が必要だというのであれば、まさにそういう能力が要求されるスタートラインの選抜において、そういう能力を示させるような試験結果を要求すればいいはずであって、そういう能力が必要だと考える企業や組織がその選抜に何とか試験で何点以上を要件とするとかすれば、そういう仕事をしたいと考える人はみんな目の色を変えてやるでしょう。

そういう風になっていないから、少なくとも大学受験生の大部分がそういう必要性をひしひしと感じていない状況下でみんなに課す共通試験でもってやろうとするから、話が果てしなくねじれていくのではないかと感じます。

根っこは、職業能力との関係を切り離された一般的選抜のための一般能力試験(「できる子」「一生懸命頑張る子」を適切に選抜するための試験)として英語なるものが長年位置づけられてきたことにあり、そういう国民的常識を前提とすれば、こういう反発が澎湃とわいてくることは不思議ではないな、と。

ある種のジョブを遂行する上で必要不可欠なスキルレベルを測定する話と、集団のメンバーとして一生懸命物事に取り組む「意欲」「能力」を測定する話との間で英語がもみくちゃになっているという姿でしょうか。

でも、つまるところ、英語の試験て仕事の能力を測る技能検定以上でも以下でもないはずなんですが。

2019年11月 1日 (金)

岩出誠『労働法実務大系〔第2版〕』

0000000011172_sksd1vn 岩出誠さんより『労働法実務大系〔第2版〕』(民事法研究会)をお送りいただきました。ありがとうございます。本書は、 このタイトルとしては第2版ですが、その前身の『実務労働法講義』から数えると第5版ということになります。最近は労働法の浩瀚な体系書が汗牛充棟ですが、本書はタイトルにある通り、まさに「実務」の視点から書かれていて、学者の書いた体系書とは一味も二味も違う味わいがあります。

http://www.minjiho.com/shopdetail/000000001117

 激しく変貌する現代労働法を、実務家のために、実務的かつ理論的に詳説!

なるほど、実務家の実務家による実務家のための労働法体系書というわけです。

どういうところにそれが現れているかというと、やはり目次を一瞥すればわかるように、学者の体系書では出てこないような項目がさりげに出てくるんですね。そうですね、第7章労働時間の、Ⅶみなし労働時間制という節の中はこうなっています。

Ⅶ みなし労働時間制
 1 みなし労働時間制の意義
 2 法定外みなし制
  (1)固定残業手当、みなし労働時間制の概要、(2)法定外みなし制の隆盛の背景、(3)みなし割増賃金の適法性・法的意義・効果、(4)法定外みなし制の許容要件・要素、(5)みなし割増賃金制度導入の就業規則不利益変更の問題、(6)法定外みなし制利用上のコンプライアンス上の留意点
 3 事業場外労働の場合
  (1)事業場外労働、(2)時間報告の問題提起と残された課題

ね、学者の書いた体系書では見られないような項目建てでしょう。

 

 

 

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