呉学殊『企業組織再編の実像』
JILPTの研究員呉学殊さんの『企業組織再編の実像 労使関係の最前線』がようやく刊行されました。
https://www.jil.go.jp/publication/sosho/restructuring/index.html
企業の労使からの生の声に基づき再編の実像を明らかにした事例調査・研究の決定版!本論の7事例と補論の5事例から企業組織再編の望ましいあり方を示す。
1か月ほど前に本ブログでも紹介した呉さん自身による「リサーチ・アイ」というエッセイが、本書の内容を適切に紹介しているので、再度リンクしておきます。
https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/033_190903.html
・・・今回、企業組織再編7事例の中で、分割が6事例、合併1事例(分割と併行)、譲渡1事例であった。正直、再編の実像は調査をしてみないとわからないとの思いである。事例ごとに再編の環境やプロセス、また、労使関係においてそれぞれ特徴があった。例えば、再編の主要背景・形態についてみてみると、次のように6つのタイプに分けられる。
第1に、分割部門の業績悪化により、分割会社がそれを抱えることが難しく、他社同事業部門との合併を通じて、分割部門の維持・発展を図るタイプである(「分割部門業績悪化・他社同業部門との統合再編」)。一番典型的にはG事例である。2003年、電機大手2社が半導体部門を分割して新設会社に統合したのである。また、2010年、同新設会社の他社半導体子会社との合併も同じ背景といえる。
第2に、分割部門がより成長していくために、他社との統合を通じて規模の経済性を高める分割・統合である(「分割部門専業化・他社同業部門との統合再編」)。典型的なのはD事例である。世界の強豪と伍していくためには、2つの会社が火力発電部門を持ち続けるよりは、それを分割して新設会社に統合したほうがよいと判断した結果である。C事例のA事業、C事業の分割もこのタイプに当たるが、いずれも政府関連機関からの支援を得て、更なる成長を目指すために分割したのである。
第3に、分割部門の収益性が高いが、選択と集中の経営戦略を進めていくために、同部門の分割益を活用するために行う分割である(「分割益活用・選択事業集中戦略再編」)。F事例とC事例のB事業がこれに当たる。分割売却益は、前者の場合、経営の負担となってきた有利子負債の返済とともに集中事業への更なる投資に有効に活用された。
第4に、分割部門と他の異種部門子会社との統合を通じて、統合のシナジー効果を図るための分割である(「分割部門と異種部門子会社との統合シナジー効果再編」)。A事例がこれに当たる。A事例では、営業部門を分割して、エンジニアリングや保守サービスの子会社との統合により、顧客へのソリューション・サービスを効果・効率的に行うために再編が行われた。
第5に、分割部門と同種部門子会社との統合を通じて、統合のシナジー効果を図るための分割である(「分割部門と同種部門子会社との統合シナジー効果再編」)。E事例がこれに当たる。E事例では、4つの製造部門(工場)を分割し製造専門子会社に統合させて、高い品質・高い生産性を実現しようしたのである。
第6に、不採算部門を切り離して同業他社に譲渡するタイプ(「不採算部門切り離し同業他社への譲渡再編」)であるが、これにはB事例が当たる。半導体後工程を担当するJI社は、経営が厳しくいくつかの工場を閉鎖する等の対策を講じても改善せず、S工場を同業他社のB社に譲渡した。
こうした企業組織再編は、企業グループ内での再編とグループ外のものに分かれる。再編元も先も特定の企業グループ(親会社が子会社株の100%保有)に属しているのは、A事例、B事例とE事例である。再編先の資本金50%以上を持ち、再編元が再編先企業の主導権を持ち、当該企業の連結会計対象としているのはD事例である。分割会社が、分割当初、分割統合会社株の50%以上を保有していたが、その持ち分が低下して連結会計対象外となっているのがG事例である。その他の事例は、再編当初より再編先企業の株を50%未満保有するかまったく保有しない形であり、企業グループ外の再編に当たる。
各事例に特徴があるのは再編の背景・形態だけではなく、労使関係もしかりである。具体的な内容は研究双書をご覧頂きたい。
で、そのときにも触れたのですが、最近はせっかく労使関係について調査しても、「協力先から公にしないでほしいとの要請があり」報告書に載せられないというケースが増えているようです。ただでさえ先細り傾向の労使関係研究なのに、いちばんおいしいところが世に出せない状況というのはなかなか辛いものがありますね。
さて、中身は是非本書自体をじっくりとお読みいただくこととして、ここでは呉さんの肉声が垣間見えている「あとがき・感謝の言葉」から、日本社会への叱咤の言葉を。
・・・私が韓国から日本に留学したのが1991年。この職場(労働政策研究・研修機構、旧日本労働研究機構)に就職したのが1997年である。その間、日本社会は大きく変わってきたが、どちらかといえば悪い方向にである。企業の国際競争力もそう言える。来日の前は「ジャパンアズナンバーワン」と言われるほど、日本企業の競争力が世界的に最高であった。しかし、今はそうはいえない状況である。なぜそうなのだろうか。その1つは対応力の弱さ・遅さではないかと思われる。過去の成功体験にとらわれて、前向きの発想をしその達成に向けた戦略を打ち立てることを怠ったまま、競争力にマイナスに働く事態が進み、早めの対応ができなくなったのではないか。企業組織再編でもそういう側面があったと見られる。
特定の事業や企業全体が競争力が失われるまでに手を打たない。手を打つときには、競争力を取り戻すことが難しい。そのために後ろ向きな企業組織再編が多かったのではないかと思われる。企業も労働者も多くの痛みを受けてしまう結果へとつながるのである。・・・
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