鈴木誠『石原康則オーラル・ヒストリー』
鈴木誠さんより『石原康則オーラル・ヒストリー』をお送りいただきました。鈴木さんは長くJILPTでアシスタントフェローをされ、2016年から愛知学泉大学に就職されていましたが、今年4月に長野大学に移られたようです。
鈴木さんはずっっと三菱電機の人事制度を深く研究してきた方ですが、今回のオーラルの相手は三菱電機労働組合の中央執行委員長を務めた石原康則さんで、インタビュイーにふさわしいインタビュワーといえます。
このオーラルの目的は、2004年に導入された役割・職務価値制度の労使合意の経緯を探ることにありますが、その前段階で石原さんがいろいろと語っておられることに興味が結構惹かれます。
特に、第2回目の入社直後に組合活動に入り、当時の鎌倉支部の左翼的執行部に疑問を持ってインフォーマルグループに出入りし、やがて鎌倉支部の委員長になっていくあたりの叙述は、大変生き生きしていて、面白いです。
その前の左派執行部時代の伊藤書記長が職場復帰後転任命令を拒否して長い裁判闘争になったときも、なかなか複雑な思いだったようです。
・・・僕らの執行部としては、純粋に労働運動を進めてきていて、もう現職の労働組合役員でもなかったし、立候補もされていないんで、別にその人を会社が排除する意味も、もう選挙に勝ったあとなんて別に、組合活動を嫌って転任命令を出したというふうに裁判所から、本人も含めて裁判所もそういう風におっしゃるんですけど、そんなことはないのにという思いのもとで裁判なんかの経緯を見つめていて、ある意味勉強させられましたね。・・・
また、石原さんは三菱電機労組中央執行委員長時代に神奈川大学の博士課程に入学し、『三菱・川崎大争議研究』という修士論文を書かれているとのことで、このオーラルの中でも数ページにわたってその話が語られています。
最後のあたりで、日立と協業して作ったルネサスの話が出てきますが、それを踏まえて、労使関係のあり方について、とりわけ3種の神器のうち企業内組合だけは生き残っている理由について見解を述べておられます。
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