小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』
小熊英二さんより『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書)をお送りいただきました。新書でありながら600ページという常識外れの分厚さにまず目を剥きましたが、中身を読み始めて、これはいったい何という本だ!と叫んでしまいました。どういうことか?というと、私の様々な議論や本と、ほぼ重なるような内容の本になっていたからです。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000321617
正直言って、この著者名とこのタイトルから想像される中身とは相当に異なっています。もし本書が学術出版であれば、内容を正確に伝えるタイトルをつけるとしたら、『詳説 日本型雇用システムの形成史』となるはずです。そう、私がいくつかの本で、序説であったり傍論であったりしながら割と簡略に叙述してきた事柄を、(ページ数が増えることを全く顧慮することなく)元の研究成果をかなり詳細かつ緻密に追いかけながら、あれこれの論ずるべきことをほぼ取り落しなくややゆったりとした筆致で描き出しているのです。
「日本社会のしくみ」は、現代では、大きな閉塞感を生んでいる。女性や外国人に対する閉鎖性、「地方」や非正規雇用との格差などばかりではない。転職のしにくさ、高度人材獲得の困難、長時間労働のわりに生産性が低いこと、ワークライフバランスの悪さなど、多くの問題が指摘されている。
しかし、それに対する改革がなんども叫ばれているのに、なかなか変わっていかない。それはなぜなのか。そもそもこういう「社会のしくみ」は、どんな経緯でできあがってきたのか。この問題を探究することは、日本経済がピークだった時代から約30年が過ぎたいま、あらためて重要なことだろう。(中略)
本書が検証しているのは、雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルまでを規定している「社会のしくみ」である。雇用慣行に記述の重点が置かれているが、それそのものが検証の対象ではない。そうではなく、日本社会の暗黙のルールとなっている「慣習の束」の解明こそが、本書の主題なのだ。 ――「序章」より
本書がそういう内容のものになった事情は、あとがきに書かれています。もともとは、日本の戦後史を総合的に、つまり政治、経済、外交、教育、文化、思想などを連関させ、同時代の世界の動向と比較しながら歴史を描くという構想だったようです。
ところが、研究を進めていくうえで、「カイシャ」と「ムラ」を基本単位とするようなあり方を解明しなければならないと考え、
・・・「日本社会の仕組み」としか表現のしようのないもの、つまり雇用や教育や福祉政党や地域社会、さらには「生き方」まで規定している「慣習の束」が、どんな歴史的経緯を経て成立したのかを書きたい
と変わったようです。それであれば、それは本書の副題「雇用・教育・福祉の歴史社会学」にぴったりと符合します。しかし、本書の内容はそういうものにもなっていません。なぜなら、小熊さんによれば
・・・ところが、雇用慣行について調べているうちにこれが全体を規定していることが、次第に見えてきた
からです。そこで、
・・・最初に書いた草稿はすべて破棄し、雇用慣行の歴史に比重を置いて、全体を書き直すことになった。
「比重を置いて」、というよりも、これはもはや、日本型雇用システムの形成史に関する、現在の時点の知見の相当部分を包括的に取り入れたほとんど唯一の解説書になっています。小熊さん自身はそういうつもりはなかったようですが、社会政策とか労働研究といった分野の研究者が、細かなモノグラフは書くけれどもこういう骨太の本を書かないものだから、これから長い間、日本型雇用システムの関する定番の本になってしまう可能性が高いように思われます。
目次は以下の通りですが、まさに『詳説 日本型雇用システムの形成史』であることがお判りでしょう。
第1章 日本社会の「3つの生き方」
第2章 日本の働き方、世界の働き方
第3章 歴史のはたらき
第4章 「日本型雇用」の起源
第5章 慣行の形成
第6章 民主化と「社員の平等」
第7章 高度成長と「学歴」
第8章 「一億総中流」から「新たな二重構造」へ
終章 「社会のしくみ」と「正義」のありか
ちなみに、このうち第2章と第3章は、欧米社会の雇用システムについて120ページ以上を費やして論じています。下手をするとそれだけで新書一冊になるような分量です。ここは、私も最近JIL雑誌に書いた「横断的論考」でごく簡単に考察したところですが、そのトピックをここまでねちっこく追及する小熊さんの執念深さには脱帽します。
日本型雇用システムを下手に論じる人の陥りがちな落とし穴は、ややもするとある政治勢力や社会勢力に一方の在り方を重ね焼きして非難の対象とし、それに反する歴史的事実は無視するという傾向ですが、小熊さんは極めて丁寧に様々な勢力の動きをフォローしており、歴史叙述としては(当たり前と言えば当たり前ですが)安心できます。
逆に言うと、その叙述の大部分は、私にとっては既視感のあるところが大きいのですが、最後のところで、私の変に世に普及してしまった図式に対する異論が提示されています。
・・・日本の雇用慣行を語る際には「ジョブ型」「メンバーシップ型」あるいは「初めに職務ありき」「初めに人ありき」といった類型がよくつかわれてきた。これは日本の慣行を理解する際に便利な図式化ではあるが、主として企業の労務担当者の視点からの類型であって、一面的なものと言える。
企業の労務担当者から見れば、アメリカもドイツも、どちらも「ジョブ型」「初めに職務ありき」の社会のように見える。企業を横断した職務市場や技能資格があるため、どちらも経営の裁量だけでは賃金や人事配置を決められないからだ。
しかし労働者の視点から見れば、話は違う。専門職団体が認可した専門学位や技能資格があれば、どの企業でも同じ賃金になる社会のほうが、よほど「初めに人ありき」で「メンバーシップ型」だと映るだろう。
というわけで、小熊さんは2類型ではなく「企業のメンバーシップ」「職種のメンバーシップ」「制度化された自由労働市場」の3類型を唱えます。日本は「企業のメンバーシップ」が支配的な社会であり、ドイツは「職種のメンバーシップ」、アメリカは「制度化された自由労働市場」が支配的な社会だというのです。
実は、それには私はほぼ全面的に賛成です。ただ、話は日独米の3社会だけでは終わらないでしょう。他の労働社会もそれぞれに特殊性があり、それぞれに類型化していくと類型はどんどん増えてしまいます。
これは、本書でも引用されている拙論「横断的論考」で、イギリスやフランス、さらにはオランダやスウェーデン等も含めてあれこれ(ごく簡略に)考察したところですが、限られた紙幅の中で分かりやすく説明するという状況下であれば、最初の2類型がある意味一番間違いのない類型化なんじゃないかと考えているところです。
もちろん、私にも600ページを超える新書を書かせてくれる奇特な編集者がいれば、もう少し詳しく突っ込んでみてもいいんですけど。
(参考)
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2018/04/pdf/002-010.pdf (この国の労働市場-横断的論考(『日本労働研究雑誌』2018年4月号))
Ⅰ ジョブ型社会の多様性
日本の雇用システムをメンバーシップ型とか 「就社」型と定式化し,欧米諸国のジョブ型ない し「就職」型と対比させる考え方は,ごく一部の 人々を除き,多くの研究者や実務家によって共有 されているものであろう。 ところが,日本以外の諸国を全て「ジョブ型」 に束ねてしまうと,その間のさまざまな違いが見 えにくくなってしまう。常識的に考えても,流動 的で勤続年数が極めて短いアメリカと,勤続年数 が日本とあまり変わらぬドイツなど大陸欧州諸国 はかなり違うはずだ。そこで,世界の雇用システ ムを大きく二つに分けて,日本に近い側とそうで ない側に分類するという試みが何回か行われてき た。ところが,そうした議論を見ていくと,まっ たく矛盾する正反対の考え方が存在することがわ かってくる。 ・・・Ⅱ 欧米諸国の人事管理
Ⅲ 雇用システム形成史からの考察
(余計なお世話)
一点だけ余計なお世話ですが間違いを指摘しておきます。407ページに、1951年に労働省婦人青年局が「男女同一労働同一賃金」という書籍(正確にはパンフレット)を出したとありますが、役所の名前は婦人少年局です。労働組合の場合は青年婦人部ですが。
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